益留俊樹氏インタビュー・4
20220519 聞き手:立岩真也 於:東京都田無市・自立生活企画事務所
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益留 俊樹
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◇文字起こし:ココペリ121 20220519益留1034_
〜このように表現しています〜
・タイムレコード:[hh:mm:ss]
・聞き取れなかった箇所:***(hh:mm:ss)
・聞き取りが怪しい箇所:【
○しろまる○しろまる】(hh:mm:ss)
・漢字のわからない人名・固有名詞はカタカナ表記にしています。
※(注記)記録を幾つかに分けました。この頁はその4です。
◆だいやまーく益留 俊樹 i2022a
インタビュー・1 2022年05月19日 聞き手:立岩真也 於:東京都田無市・自立生活企画事務所(本頁)
◆だいやまーく益留 俊樹 i2022b
インタビュー・2――――宇都宮辰範のこと等 2022年05月19日 聞き手:立岩真也 於:東京都田無市・自立生活企画事務所
◆だいやまーく益留 俊樹 i2022c
インタビュー・3――――宇都宮辰範のこと等 2022年05月19日 聞き手:立岩真也 於:東京都田無市・自立生活企画事務所
◆だいやまーく益留 俊樹 i2022d
インタビュー・4――――宇都宮辰範のこと等 2022年05月19日 聞き手:立岩真也 於:東京都田無市・自立生活企画事務所(本頁)
■しかく
益留:そうですね。それはそれなりに、やっぱり自立生活センターが増えてきたっていうのはやっぱり、それは評価すべきだと思うんですよね。私はそこは評価してるんですよ。ただだから、けっきょくそこにようするに落ちついちゃうと、そこまでの事実という...なんですよね。けっきょくそこから、ようするに、「できる障害者はできるけど、できない障害者はできない」っていうところがやっぱり依然と変わり映えがしない。昔ね、それこそ「益留くんはしゃべれるから自立できるのよ」みたいな言い方で分けられてきたけど、けっきょくそれがまず合わない。
立岩:益留さん的には最初のっていうか、さっきの話に戻るっていうか、戻るわけだな。
益留:そうですね。やっぱりね、そこで改めて、それこそその...。で、あとね、いわゆる支援費騒動っていうんですかね、支援費騒動の中西・三澤の裏切りというかね。私は裏切りだと思ってるんだけど。あの出来事がやっぱり主流的な、そこに与していけないなあっていうかね。一緒にはやっていけないなあ。
立岩:これちょっと後世のために証言として残しときますけど、もし言ってよければですよ。その支援費の騒動というか、それに関する事実認識とその評価、益留さんの。そこはもし語ってよいのであれば。
益留:私はぜんぜん語っていい。
立岩:じゃあちょっと。
益留:私はそれは声を大にして言いたい。一方的な評価になりますけどね。
立岩:いやいやもちろん、それはそれで。はい。[01:55:06]
益留:まあようするにその問題っていうのは、やっぱり私は要求者組合のあるぶん代表として、あの騒動を取り仕切ってきたわけですよ。それこそその、大臣室の前を占拠したあの行動だって、私が「大臣室行け」と交渉してて、で、その郡司課長ともう一人いたんですけど、その二人が出てきて。ようするに、上限問題をどうすんのかと。「今までようするに、東京都にしろ全国各地で24時間介護がまがりなりにもできてるんだと。ようするに、派遣事業と生活保護とヘルパーと、この三つで24時間ができてんだと。これが支援費制度になって、ヘルパーが上限がつけられたことによって、これが崩れるんだよ、これどうすんの?」ってふうに言ったときに、最初は、「いや、そんなことはないですよ。上限っていっても財政の問題だから」みたいなことを言ってたんだけど、最終的に、いや、ほんとにこれ真面目な...真面目なっていうかね、ようするに「ヘルパー制度の問題としてどうすんの? この12時間のヘルパーを派遣している自治体が困るんだよ」っていうふうに言った時に、郡司さんが、「それは厚生省の判断じゃありません」と、「問題じゃありません」と、「自治体の問題なんです」と。「自治体が判断するかどうかであって、厚労省は上限をつけることに対しては変わりません」っていうふうに言ったわけですよ。
「いや、それを言ったら、自治体によっては、厚生省の意向にやっぱり歯向かえないから、12時間のヘルパー派遣をやめちゃうところが出てくんだよ」っていうふうなことを言ったときに、「いや、知りません」と。「いや知らないってどういうことなの?」っていうふうな話から、「じゃあ、部長を出しなさいよ」と言うとね、「部長はいません」と。「局長もいません」と。「じゃあしょうがないから大臣室。大臣に会わせてくれ」って言ったら「大臣は会えません」って言うから、「じゃあ大臣室行きましょうか」って、大臣室の前を占拠したっていう流れなわけですね。
そのあとにけっきょく、郡司さんがね、「もう一度そこは考え直します」というふうに言って、あそこのロビーに、けっきょく500人ぐらいいたのかな、障害者が。ぶわーっとあのロビーを埋め尽くした、あのとこに階段があるじゃないですか。階段の踊り場のところで郡司さんが「いや、見直します」みたいなことを言って、それでいちおうそこではみんな帰ったわけですね。
で、ちょうど私がね、そのあとかな、その前かな、裏に通路があって、そこを向かっていくとトイレに行きやすいんで、そこを一人で行ってたわけですよ。そしたらね、むこうの厚労省の、厚生省の係長だったと思うんだけど、係長がむこうからばーっと走ってくるわけですよ。それで「あー、何か言われるかな」と。大臣室占拠しちゃったから。大臣室の前を占拠しちゃったから何か言われるのかなってちょっと身構えたんですけど、その時に握手してきたの。「益留さん、よくやってくれた。これでちょっと上の人たちもこの問題の大きさに気がついて見直してくれるんで。いや、ほんとありがとうございます」って握手されたんですね。それはね、私、さっきの山下さんと同じぐらい、「あ、中にはやっぱりこういうふうにこの問題に対して...」。だからあのリークも、そういう人が新聞社にリークしてるんですよね。で、その、問題意識があって、で、現場としてはこれをやったら大変なことになるっていうのはわかってる、だけど上は机上の計算で上限問題っていうのを出してきたんだというのがわかって、「ああ、なるほどなあ」っていうふうにその時思ったんですよね。[01:59:58]
その後に、けっきょくあの厚労省の前での抗議行動になるわけだけど、その時に、私ずっと新田さんに、「ボス交渉だけはやるな」と。やっぱり「現場でこうやって交渉している人たちの前でやれ」というふうにずーっと言われてて、それで何回か、それこそ部長に呼ばれたり局長に呼ばれたりして何度か懐柔されるときもあったんだけど、一回はやっぱり自民党の本部、自民党部会か何かに呼ばれて、私とか、それこそ親の会とか主だったメンバーが呼ばれて、やっぱり「何とかその厚労省の話に乗りなさい」と、「乗ってもらえないか」というふうに懐柔されたんだけど、「いや、もうそこはできません」と。「とにかく現場でこの話はしましょう」というふうにずっと頑なにそこは蹴ってきたんですよね。
で、最終的に、だから最終の金曜日に厚生労働大臣にね、その上限問題についての回答を出せっていった時にけっきょく出なくて。それでその、あの時も200人か300人ぐらい厚労省の前を囲んで、職員が出るに出られない状況を作ったわけですよ。で、その、ちょっとこう何ていうかな、もめたりとかしたんだけど。連日新聞記者とかも来たりとかして。最終的に解放して、記者会見とかね、やりましたけど。あの時もね、記者にね、「こんな騒動っていうか、中にはね、塀を乗り越えて侵入する人もいたけど、こういう行動をすることをどう思いますか?」っていうふうに言われて。「それはだって、ね。殺されようと、この制度によってやっぱり死ぬ人が出てくる」と。「殺されようとしてる人がね、それこそ抗うっていうのはもうとうぜんの行動じゃないですか」と。っていうふうな、そういう話とかしたりしたんだけど。
それが金曜日で。その次の月曜日に主管課長会議が「やる」と。それが3月かな、4月か。3月の十何日、***(02:02:56)かな、そういう話があって。で、その主管課長会議でこの方針が出されたらもうだめだから、それを潰そうと。で、まず「金曜日にあそこの周りをこう囲んだような、あれぐらいの人数がいればもう一切出入りできないようにできるから、ちょっとその手配しようと」って言って、何人かその主だったメンバーに声掛けて人集めてほしいと。たとえばそういう連絡取りあうのに、その当時携帯とかなかったんで、ハンディーカム、トランシーバーとかそういうのを用意して、それでそういう***(02:03:45)というふうに決めてたんですけど。
けどいきなり月曜日の朝ですよ。「もう解決しました」と。ようするに「厚労省がこちらの意見を受け入れて、検討委員会を立ち上げることになりました」みたいな。中西さん★から来たんで、「え、どういうこと? そんなね、どこでそれ決まったの?」って聞いったら、大野★に聞いたら、その前の日曜日に、ようするに大浜さん★とか中西さんとかあのへんの人たちが厚労省に呼び出されて、そこで決まったと。「え、何それ?」って。そんなその、ね。まさしくボス交渉なわけじゃないですか。で、結論だけ出されて。もうその検討会を開くっていうことで、ようするに「今年は制度はいじらない」と。「上限はつけない」というところで。ただ、いわゆる目安はね、ようするに「何時間、何時間、何時間」みたいな目安は出すけども、それは上限ではないっていうふうな。そういうので決まったから、みたいな。「えー」って言って、けっきょくその抗議集会も、ようするに勝利集会に変わっちゃったわけですね。[02:05:14]
ピープルファーストとか、私たちはもうそれに反対だから、けっきょくその前で抗議行動してたら、さっきのその派遣センターのその学生運動崩れの人たちが「今度突っ込む」みたいな話になって。それで、「いやそれ突っ込んでも意味がないから、それ止めるよ」っていうふうに言ったんだけど、「いや、やる」って言うから、だからもうしょうがないから、今度はそれを止めようとして自分たちが校門っていうか正門の前とかにね、こう、立ってて。それで、いやほんとにこれやめさせるっていうか、主管課長会議をやめさせるっていう話だった、裏からやっぱり突っ込むしかないから、私は裏で待ってたんですよ。そしたら表から来やがって。もうただほんとにこう「わー、わー、反対!反対!」みたいな感じでもめただけですぐ帰ってって。私たちはほんとになんか唖然とした感じで。止めた私たちはね。で、止めてる私たちに対して、
立岩:その表から来たのは誰?
益留:学生運動の人たちですかね。第四インターか何かかな。その人たちが20人ぐらいで来たのかな。なんかわっしょいわっしょい来てね、障害者を一人担いで突っ込んでいくわけですよ。ほいでそれを止める自立生活企画の介護者たち、みたいな。そういうのでね。ほんでこう、けっきょくそれも収まって帰ってって、「何だったんだこれは?」みたいな。
それでちょっと私もなんか文句言いに行こうと思ってその決起集会のほうに行ったけど、中西さんとかと会えない。で、また校門っていうか正門のほうに戻ってきたら、なんかそのチラシとかそういうのが、ビラとかがなんかゴミ袋に入れて置いてあるわけですよ。しょうがないからそれ引き取って、それで職員に声掛けて「大丈夫でしたか?」って言ったら、「ああ、まあ大丈夫でしたー」みたいな話で。で「じゃあちょっとこのごみ持って帰りますね」みたいな感じでごみ持って帰って。でね、その時はそれで終わって。
けっきょくだからその後のあの検討会自体も、もうまったく検討会にもならない。ただたんに自立支援法を容認するだけの、一割負担を容認するだけの流れになって。その後ねやっぱり、あれで死んだ人たちもいるじゃないですか。親子心中した人とかさ。そういったこともあったのに、中西さんは「やっぱりあれは大勝利だ」と。「やっぱり障害者運動としては画期的な勝利だったんだ」みたいなことをいまだに言ってるから、それはおかしいんじゃないかと。やっぱりあれによって死んだ人もいるわけだし。やっぱりその後の総合支援法に変わる経過だって、やっぱり問題があったからこそああなったわけだし、あれを勝利だっていうふうに言うんだったらば、やっぱりその、じゃあほんと死んだ人たちに対して中西さんどう考えるの? っていうことはやっぱりずっと言いたいわけですよね。もう三澤さん亡くなっちゃったから、中西さん生きてる間にどっかで言いたいんですけどね。
一回、そのあとに何年かして中西さんと新田さんを対論させたことあったんですよ。その対論した内容を新田さんが公表しようとしたら、「それはやめてくれ。そんな運動側で反目しあったことを公表されたらだめだ」とか言って、それに対しては同意しなかったんですね。
立岩:それはさあ、どういう趣旨でそもそもその二人の対論っていうかが持ち上がって。実際行なわれることは行なわれたってことですよね? 記録もあるっちゃあるんでしょ? [02:09:55]
益留:あります。けっきょくそれは新田さんの『足文字は叫ぶ!』★の出版記念の記念講演会みたいなふうにしたんですよね。それはやっぱり新田さんの根幹にある、やっぱり介護者と当事者とのやっぱり「見合う関係」っていうんですかね。介護は「見合う関係」なんだと。その「見合う関係」をたぶん後ろ盾とするのが介護制度なんだと。そもそも介護制度があって自立が始まるわけじゃなくて、何ていうかな、当事者が、それこそ「どうしたら自立した生活をしていけるのか」っていうのを介護者と共に作り上げていくっていうのが自立生活っていうところに、新田さんのいわゆるその、それを補足するっていうか、整えていくのが介護制度、社会保障なんだというのが根幹にはあるわけですね。
だけど中西さんはやっぱり、ようするに「自立っていうのは障害者のものなんだ」と。それは当然なんだけど、だけど、そのための介護者っていうのはどの手でもいいんだと。どういう手であったとしても、ようするに、役に立てばいいと。役に立たない手はいらないんだと。それができるのが介護制度なんだと。っていう考え方なんですね。いわゆる当事者性、いわゆる自己決定ですよね。自己選択・自己決定・自己責任。でもけっきょくそれをやって、たとえば派遣してくれるね。「この人はいらない」って言って、「この人は介護外してくれ」って言って外されて、で、また来た人がそれできればいいけども、けっきょくチェンジ、チェンジ、チェンジ、で最終的に「もういません」っていって、けっきょく今泣いている人たちっていうのが障害者なんですよね。
もうほんとに最後に何ていうかな、今もうちのほうで問題になってるのが、やっぱりこう、あの...。けっきょくその、たとえばね、ALSなんかの人で、やっぱりもう言葉ができない、ほんとにしんどくてしんどくて毎回ナースコールっていうかね、ヘルパー呼んじゃうっていうときに。で、けっきょくその、たとえば「腰の位置が、足の位置が、腕の位置がつらいんだ」っていうふうに言っても、そのポジションって決まらないんですよね、最終的に。っていうこう何だろ。いろいろ動かしてみて、「もういいよ」ってあきらめるところなんだけど、けっきょくあきらめるまでに2時間でも3時間でもやっぱりやらせちゃう。それを応えられる人はいいんだけど、応えられなくなってく。で、どんどんどんどん、それこそ、「どうすればいいんですか?」「どうすればいいんですか?」とするともう相手も泣いちゃうみたいな。泣かせてる自分の技術の低さっていうのにやっぱり自己嫌悪になってしまって、「もう私には介護はできません」って言って介護者が辞めていくっていうのが、これはもうパータンとして今きてるわけですよね。
まあ確かに、ALSの人の介護の、介護っていうか、ALSの人のいわゆる生活の大変さっていうのかな、もう日常の大変さ。「あー!」って叫びたいときでも叫べない。やっぱりちょっとね、顔がかゆいって思ってもその顔のかゆさを文字盤で言わなきゃいけない。かゆいのにほんと30分、1時間かかってしまうっていうこのまどろっこさみたいのに対してもう自己が崩壊してしまうALSの人の、自身の大変さっていうのもあるんだけど、やっぱりそれに付き合う介護者も大変だっていうことは、これは理解してほしいんだけど。とうぜんやっぱり自分のそういう欲求とか、自分のやっぱり感情が優先されるから、なかなかそこで折り合うところっていうのは生まれてこないんだけど、でも中にはやっぱ折り合える人もお互いに出ているわけですよね。じゃあその折り合えるところをどう広げていけるかっていうところに、あるぶん自立支援も含めた当事者の自立性と、介護者の自立支援っていうのの醍醐味というか、その、[02:15:33]
(中断)
[02:15:42]
益留:そういうのがなかなかこう、何だろ。「自立」っていう言葉によって、やっぱりこう、その...。
一方でね、自立生活センターとしてうまくいく場面もあるけれども、けっきょく自立生活センターも「そういう人は派遣できません」っていうふうになってしまう。ようするに自己決定なんだと。「自分で選んだんでしょ」って言って、「もうこれ以上自分とこのヘルパーは入れられません」っていうふうにいってこう切っていく、っていう自立生活センターがあったり。なかなかね、自立生活センターの功罪っていうのかな、功はすごく評価されるんだけど、罪のほうがまったく顧みられない。ようするに何でか? 自己決定だから、自己責任だから、っていうふうに自己完結してるわけですね。そこがね、今の自立生活センターのやっぱり限界だと思ってるんですよね。
で、それをその、何ていうかな、対局にあるっていうのかね、新田さんのその介護者との関係っていうのは。ようするにお互いに見合う、贈与する関係っていうんですかね。与え合う。それがようするに成立するのが新田さんの介護なんだけど。自立生活センターってそういうの成立しないんですよね。ようするに報酬なんですよ、そこの贈与の関係の集結するのが。けっきょくその報酬に見合うか見合わないか。もうそれ以上に、耐えられないっていうんですかね、そこが説明されない。説明されないっていうのな、邪魔してるっていうのな、「自立」という言葉が。「自己選択・自己決定・自己責任」っていうのがやっぱりお互いに考えるところを邪魔している。
立岩:今日話うかがいに来たので、私が話す番ではないというか、***(02:18:45)ないんだけど、私自身が言ってきたってことっていうのは、「自分が決めるっていうことがそんなにすごく大切なことではない」っていうのと、「決めたからっつって自分が責任とんなきゃいけないっていう理屈はぜんぜんおかしい」っていう話と。そういったたぐいのことは言ってきたし、それはぼくは信じてるっていうか、そっちが正しいと思ってんですよ。それじゃあそのうえでどういう仕組みを立てていくかっていうか作っていくかってことは考えなきゃいけないよねっていうことも思っていて。で、なおかつ今、私京都ですけど、おっしゃったように、ややこしいっていうか難しいっていうか、ところに多少も関わってはいるので、それもよくわかりますけど。そっか。[02:19:44]
そのうえでどういう仕掛け? っていうのを制度的な土台に置いて。その土台の上で、一方でその手段と手段みたいなことも確かにできちゃうわけだけど、たとえばぼくは福祉的には社会福祉サービスって基本的には贈与だという立場ではあるんだけれども、それを踏まえながら生活を成り立たせるための関係っていうのを、それ自体は大切だと思って。それを実現することの、たぶん制度の土台の、土台っていうか、の枠組みの中でできるんだろうなっていうことは思っていて。ベースと理念。理念っていうか、基礎的な、部品じゃないんでしょうね、もっと大きな信仰みたいなものですよね。それはぼくは信じなくていいって。つまりそっから組み立てたほうがいいよってことだと思うんですけどね。
ただまあそれを、それがわかったうえで、そのうえで今ある仕組みっていうのの中にその人間関係の濃淡。濃い人も、濃いっていうか、そういうことは大切にする人ももちろんいていいし、そうじゃなくてすかすかのっていう人でもべつにかまわないっていう人も、一方の極にはいる。それをどういうふうに併存させていくのか、みたいなことは考えてますけどね。私はそんな感じなんですけどね。でも益留さんの話は、そっか。
でも今日思ったのはね、一つはその90年代? 80年代、90年...にかけて、その全身性...東京都にあったものが全国に広がりながらうんぬんっていうところの辿った道っていうのかな、それはかなり、ぼくにしても誰にしても不正確にしかっていうか、すごい大雑把にしか辿れてないっていうことはすごく思いましたね。で、その過程みたいなものはもう一回、私はもうやれない、やらないと思いますけど、誰かちゃんと調べてほしいなって思ってね。そっか。
やっぱりその、さっきのあれなんですよ。協議会と組合。たぶんぼくもいろんな、学校も含めて組織ですからいろんなことがあって、なんかつい2週間ぐらい前もほぼ、ほぼっていうか全面的に病んでたんですけど。それはわかるんです。いろんなことがあって抜き差しならないっていうか、もうほんとに腹立つっていうこと。なんかぼくは、協議会と組合のその分岐っていうか、道別れっていうことに関して言えば、わかるけど必須じゃないっていうか、っていうのは思うんです。でもいったんなんかこうカラーが違ってきたりするとその内部で亀裂っていうか、いろんなことが起こって、それが増大していったりするってことがあるじゃないですか。それはそれで、ぼくも組織人なんでわかりますけどね。っていうようなことをこうつらつら思いながらうかがってました。
うん。だいぶ聞けました。ぼく知らないこといっぱいありましたもん。
ぼくはまだ時間大丈夫なんで、もし、「そういえばこれ言うの忘れた」とか、何かちょっとそういう補足っていうか追加っていうか、そういうの、今思いつくんであれば。もし思いつかなかったらいいし、また東京...。
おれね、東京何年ぶりだろう。3年ぶりか4年ぶりぐらい。久しぶりなんですけどね。何かこれ言っとくぞ、みたいな。ついでに言うぞ、みたいな。
■しかく
益留:そうですね。なんかね、いやあ、やっぱりね、そのこう、制度っていうかな、それはいわゆる出会えるきっかけであると思うんですね。介護者と当事者が出会うきっかけっていうのかな。たとえば学校にしてもそうじゃないですか。学校はべつにね、選んで行くっていうのももちろんあるけれども、だけど、「誰と会えるから行く」とか、「ここに来たからよかった」とかっていうようなことっていうのは、それがわかってて行くわけじゃないじゃないですか。で、やっぱり制度もそうだと思うんですよね。「これ使ってて、それでよかった」とかっていうのは、結果的ではあるわけだけども、けっきょくその出会ったことによって、介護者と当事者が、やっぱりそこでお互いの思いっていうのかな、そこに共感するっていうことがやっぱり起きえたときに、やっぱり初めて自立っていうのがなんとなく実現するっていうかな、現実化していくっていうような。そういうのはすごく今考えてますよね。
ただ、ほんとに制度を使って孤立している人、やっぱり人とのせめぎ合いみたいなところできゅうきゅうになって疲弊していく人っていうのがどれだけ今いるのかなっていうところに、やっぱり何だろな、なかなかこう、じゃあどうすればね、「こういうことしたら介護者が大変じゃないか」とか、「こういうことをしたらね、自分がこうなんかなくなってしまうんじゃないか」みたいな、そういったことを感じるのかってのはちょっとわかんないんですけど。だけどこう、なんかね、やっぱり人との根幹にある、やっぱり共感するっていう【ことかな】(02:26:49)。どうすればね、その孤立しているところから抜け出していけるのかっていうのは、まだ答えはまったく見つからないんですけどね。[02:27:13]
立岩:深くしていくとそういう話になると思うんですけど、他方で、益留さんもずいぶんここ長いって、さっきもその話だったけど、でもまだ当面時間あっちゃうわけじゃないですか。その自分の地元の高校の自立生活企画にしても、もうちょい広い範囲、あるいはその組合? ぼく、組合のほんと中のことっていうか動きってほぼつかめてなくて。実はその木村英子がっていうのも、なんか選挙に出てからっていうか、当選してから知って、「ああ、そうなんだ」みたいなこともあって。実はほうぼうで言いふらしてるんだけど、86年とかにぼく、赤窄英子っていってた頃の二十歳ぐらいの彼女にインタビューしたことあって、それ以来なんですけど。でもまあ、三井さんつながりみたいな。それからすればぜんぜん不思議なことじゃないんだけど、組合ずっとっていう、そういうことも、「えー、ああ、そうかー」っていうのが数年前なんだけど、どっちもでもいいし、どっちか片っぽでもいいんだけど、田無ローカルっていうか、もっとここの自立生活企画、これからみたいなことと、それからそのさっきの大きい話も含めて、その組合っていうか、ちょっとこう全国、もっと広い制度がらみの話と、そこんところこれから、予測って言うとなんか...まあなんか予測的なものでもいいし、希望的なものでもいいし、ちょっとうかがえるといいかなって思いますけど。
益留:なかなかね、ちょっとそのへんが、何て言ったらいいかな。実はね、組合一回離れたあとにまたもう一回戻ってるんですよ。それはようするに、それこそ高浜さんって、今、土屋訪問介護の社長さんいるじゃないですか。
立岩:もともと新田さんとこにいたって人ね。
益留:そうです。要求者組合の事務局やってたんですよ、彼はね。それで組合が相も変わらず事務室占拠して、一回事務室の中めちゃくちゃにしたことがあったらしくて。何かの交渉...見守りのことでかな。「見守り」の文言を入れるか入れないでなんか交渉してた時に、もう話になんないっていって、なんか事務室行ってめちゃくちゃにしたらしくて。籠城したらしくて。で、けっきょく組合とはもう交渉しないっていうことになって、それで高浜さんにちょっと泣きつかれて、「なんとか交渉できるようにちょっとお膳立てしてくれないか」みたいな。
いやでもおれの力でそんな、ね。「厚労省と窓口があるわけでもないし、なんともできない」って言ってて、で、「じゃあちょっと尾上さんに話してみるわ」って言って、まあ尾上さんに間に入ってもらって厚労省に詫び入れるかたちで復帰できたんですよね。けっきょくそのあとに新田さんがやっぱりもう一回一緒にやってくれっていうふうなことで言われて。[02:30:59]
立岩:益留さんが組合、距離もいろいろでしょうけど、離れてたって自覚がある時期って、いつ頃からいつ頃みたいな感じですか?
益留:だから一度分かれたその、あれが何年だ? 90...。
立岩:二つに分かれたのは98とかだったんですよね。
益留:いやいや、え? あ、そうなのかな。あ、そうですね。で、
立岩:高橋さん亡くなったのは99なんですよね。
益留:99ですね。そうですね。そのあとに支援費制度が2003年ですよね。でもね、その前からちょこちょこ新田さんとは組んでやってんですよね。東京都との話合いとかそういうとこに来てくれって言われて、それは行ってて。それもあって高浜さんに泣きつかれたのかな。組合をちょっと何とかしてほしいっていうことで。だから実質的にそんなに離れてはいないんです、私と新田さんは。私、新田さんとはそんなに確執があったわけではなくて、組合とのそういう確執みたいなところであったんで、そういうふうに言えば97年から3年ぐらいですか、ちょっと間が空いたっていうのは。
立岩:いったんちょっと分かれたあたりの数年っていうか、2、3年とか。なおかつその間(かん)も新田さんとは、
益留:新田さんとはやり取りはずっとあって。
立岩:付き合いというか、あったと。そうか、おれその話もそっか。組合、そうか。部屋がちゃがちゃにしたことがあったわけだな。
益留:そうそうそう。それで出入り禁止になって。だから今ほら、ゲートあるでしょ。あれは次官が殺されて★作ったとかって言ってるけど、いや、おれあれ新田を入(い)れないためのゲートじゃないかって(笑)。「新田ゲート」って呼んでんですけどね。
★
https://ja.wikipedia.org/wiki/元厚生事務次官宅連続襲撃事件
立岩:じゃあその時に間をっていうか、とりもつみたいなことがあってからそれなりの付き合いはずっとって感じですか?
益留:そうですね。それやってて。で、組合、新田さんが亡くなってね、じゃあどうするかっていうので、私も微力ながら尽力しますよみたいなふうになったんだけど、実際私はあんまそんなやる気がなくなってて。もう新田さんがいないから、もうやる気...。とくに三井さんに対しては、ちょっとやっぱり、ちょっとあんまりお付き合いしたくないと思ってたんで、あんまりやり取りしてなくて。で、「組合で交渉したい」っていうふうにやっぱりずっとそれは一貫して言ってて。ちょっと今4団体で協議してる、JIL(ジル)と、ようするにDPIと、あとその、もういっこ***(02:34:09)か、***(02:34:10)とか***(02:34:11)で交渉することになってるから、もう組合単独ではちょっとできないです、受け入れてくれないしって、ずっとやってなかったんですよ。
それでやってる時に、どっちが先だったかちょっとよく覚えてないけど、ある時私、オダジマさんとピープルファーストで生活保護の問題を話...。ピープルファースト大会の時にちょっと話してくれって言われて、それで話をしようと思っていろいろ調べてた時に、知的障害者の重度加算っていうのがやっぱり対象になってないんですね。あれはいわゆる、身体は対象になるけど、知的障害者は対象にならないんですよ。なんでならないかって言ったら、そもそもあれは身体障害者が介護を受けるための加算なんだと。介護を受けるために必要な加算で重度加算があって、その次に介護加算っていうのがあるんだっていうのがわかって、「いや、これおかしいじゃん」。しかもそれ、年代調べると、昭和30年40年代に決まったことなんですよ。ようするにもう、いわゆる障害者の概念自体がその当時は身体だけだったんですね。知的は家族がみるっていうところで、もうそこからいっこも変わってないんで、「いや、これおかしいじゃないか」と。「重度加算にやっぱり知的障害のあれをやっぱり入れてかないとやっぱりいけないんじゃないか」っていう話をした時に、いや、ようするに「今それは、手をつけられない」と。ようするに、「それ手をつけたら、生活保護の重度加算自体が見直しされちゃって、なくなっちゃう」っていうふうに言われて。いや、それおかしいでしょ。そっちに反対するんだったらば、そもそもやっぱりこうね、重度加算のやっぱり存在...、[02:36:25]
立岩:「言われた」っていうのは誰に言われたって感じなんですか?
益留:三井とか木村英子★とか、あのへんですよね。組合の人たちに。
立岩:あのへんに言われたと。
益留:そうそう。それはおかしいでしょ。「知的障害者が加算を受けられずに生活困ってるのに、身体障害者の既得権だけを言うんだったら、そりゃおかしいじゃない」っていうふうに言ったんだけど、けっきょく「いや、だめだ」って。けっきょくあれの交渉で「それは取り上げない」っていうふうに決められちゃって、それでもうまったくぼくやる気なくなっちゃって、抜けたっていうかね、辞めたんですね、組合をね。
立岩:それは、そのさっきの98からの2、3年のずーっとあとですね。
益留:そのあとですね。いや、そのもっとあとです。だから、えっと...。
立岩:そうですよね。あとですよね。もう一回入ってっていうか、関りがもう一回できてしばらく経ったあとってことですね。
益留:そうです。新田さんが亡くなったのは、
立岩:2013年。
益留:13年ですよね。だから14年か15年ですね。15年かな。
立岩:じゃあ新田さん亡くなった翌年とか翌々年とか、そのへんか。
益留:それから新田さん自身も、そのへんの知的障害者に対する重度訪問介護の対象を広げるというのは一貫して反対はしてたんですね。そのへんは新田さんだったとしても、もしかして重度訪問加算は入(い)れないっていうふうに言ったかもしれないけど。でも、たぶん新田さんは話をすれば目つぶってはくれるとは思うんですよね。だけど、やっぱりね、「やらない」とは言わない。
立岩:ふーん、そんなことがあって。それ以来あんまりって感じですか?
益留:そうですね。だから、れいわの人にね、ちょっと一回、ぜひ山本代表にその重度加算のことについてちょっと聞いてもらおうかなって実は思ってるところもあるんだけどね。
立岩:ああ、はいはい。山本太郎はその話は普通にわかると思うけどね。
益留:そうですね、当事者でないんで。
立岩:そっか。そっちはそんな感じ...。それ以来はほぼほぼ...関係ない感じに近いんですか?
益留:今はもうそうですね。
立岩:あそこを、それ三井さんがそれなりにっていうのはそれはわかるんですけど。で、新田さんいないじゃないですか。木村さんにしても今議員だしっていうなかで、あそこはその...それを益留さんに聞くのは何だが、実質的にこう機能してるのかな? っていうの、素朴な疑問としてあるんだけど。
益留:年に2、3回は通信が送られてくるんで、まあ機能してるのかな。内容的にはちょっと「ああ」みたいな感じはありますけどね。
立岩:誰がリードしてるんだろう?
益留:ちょっとわからないなあ。***(02:39:40)さんとか、三井さんになんのかな。やっぱり、三井さんじゃないのかなあ。
立岩:三井さんが何か言ったらあんまり周囲は文句言えないっていうか、それがあるとは思うんだけど。でも彼女が...。ぼくもわかんない。そうこう今、お歳もあるだろうし、と思うんだけどねえ。そうか、そんな感じですか。
益留:自分もほんとにそこはよくわからない。
立岩:わかりました。
いま、そっちの組合のほうはそんな付き合いっていうか、関りが実質ないっていう話が、ですけど、まあさっきの...。もういったん戻すと、この田無ローカル自立生活企画、30年経って、次の10年みたいなのって何かお考えなのか(笑)。もうめんどくさいから考えないっていうか(笑)。
益留:それこそ原則に戻るんですけどね、やっぱりどんなに障害の重い人でも施設や親元ではなく暮らしていける環境を作っていきたいっていうのは、そこは変わらないですよね。だからそのためには、たとえばグループホームであったとしてもいいし、そこから出て一人暮らしっていうのもあってもいいし。ただその、いわゆるその思いと、たとえば支援者の思いっていうのは、なかなかリンクはしていかない。まあそれは、やっぱりこう何だろ、いわゆる9時5時の仕事じゃやっぱりなくなっていきますからね。それこそ、「仕事として介護をしてください」っていうふうに言うことと、やっぱりこう、「これ仕事ですか?」みたいな思いを自立支援っていうところになかなかこうリンクできない支援者っていうのかな。そこのやっぱりこう、どうすればいわゆる仕事っていうのがあって、たとえば仕事をするのにあたって、いわゆる達成感みたいなもの? 成果みたいなものっていうのが、やっぱり見えにくいもの?
こないだもちょっと別な団体な人と話してて、「自立支援についてどう思いますか?」「自立支援って何ですか?」、自立生活センターの人が言うわけですね。自分はいわゆる当事者の人の介護の時間が足りないと思ったんで、ようするに、事務所が持ち出ししてると。時間数以上の部分を事務所が持ち出ししてるので、それはおかしいと思って、行政に話をして時間数を増やしてもらいましたと。っていう話をしてくれたんですね。確かにその、報酬は上がった。だけど、ようするに、たとえば時間数は伸びてないわけです。時間数はようするに、介護が入っている、たとえば9時から8時まで介護に入ってます、制度としては。でも9時から5時までなの。ようするにその3時間分を、ようするに報酬として足りないと思ったから、行政に対して9時から8時までとってきましたと。これってすごいでしょ? みたいなことを話されたんですね。「まあ確かにそうですね」ってなるんだけど、でも当事者としてはまったく実質的な中身は変わらないわけですね。そこからそのことによって、ようするにこうなんか、ねえ。たとえば「3時間制度が増えたから、ほんとは10時までいてほしいんだったら10時までいようか?」っていう話じゃないんですね。[02:45:10]
やっぱりこう、その、介護者っていうかな、支援者っていうかな、職員としては、ようするに、「私は事務所に利益を生み出しました。そこを評価してください」っていうふうに言うんだけど、いや確かにそうなんだけど、でもそこからようするに当事者の生活ってどう変るのっていう話についてはまったくこう、行きつかないわけですね。だから仕事としての成果は上がってるかもしれない。だけど、自立支援っていう意味においては実質的には何も変わらないわけですね。何も変わらないっていうか、ない。やっぱりそこのところの、今までなんかできなかったこと、それはできるできないじゃなく、たとえば、風俗行っても、けっきょく女の人と何もしないで帰ってきたと。だけど、たとえば、エッチな何した、いうことが、そこまではこう...。風俗はちょっとあんまりよくないですね、あんまり表現としてはね。
なんかねこう、やっぱりその当事者にとって、生活の豊かさ。豊かなものっていうのは何かっていうのが。べつにセックスできたからといって豊かになったかどうかっていうのはわからないけれども、たけど、何かやっぱりそこで一歩その人が人との関わりっていうのがやっぱできるようになった、触れることができるようになったっていう評価っていうのかな。っていうのが共有されない。
ちょっとやっぱ表現よくないですね、ここはね。ちょっとここはあとで...(笑)。
立岩:うん、あとでやってください。
益留:やっぱりそこのその成果っていうのが、当事者のそういう生活のめりはりとか豊かさとか、何かすごい問題行動が起きてたことが、「問題行動をさせないために外出しない」とか、「問題行動をさせないために車で移動する」みたいな、そこに支援の焦点が当たっちゃうんじゃなくて、やっぱり、「なんで問題行動を起こしちゃうのか?」「他人にいっちゃうのか?」っていうところの考え、考えるその基準みたいな、生まれてくれば...。
立岩:だいぶ逸れる話になるかもしれないんだけど、ぼくちょっと来る前に復習したら、いちおう...いちおうって言うとなんだけど、ぼくと大野くんと益留さんと遁所さん、連名の94年の、「自立生活センターに対する公的助成についての報告」って出てきて。その94年の話っていうのは、あのころ直接の介助サービスのお金が出るっていうだけじゃなくて、そのプログラムであったり何かかんかで、東京都の財団からとか、国とか、お金を一時期とってたっていうか、時期があって。それが2000年越えたごたごた? 支援費とかも含めてでしょうけど、ごちゃごちゃあるなかで削られていってっていうか、事実上なくなったに近くなって。で、けっきょく今自立生活センターって、介助たくさんやって、そのあがりでほかのこともやらないとっていう運営形態というか、経営にせざるをえないっていう。それはなんか、90年代から2000年代起こってしまった出来事だなあと思って。そこをむしろ、あの時に始まりかけてたものをもうちょっとちゃんと続けるとか、もう一回主張するとかってことが必要なのかなっていうことはちょっと思ってるんですよね、私。
実際に「何時から何時までやりました。それに、国からなんぼ入りました」っていう、そこのところにどうしてもいくんだけど、実際では直接に「何時から何時介助しました」っていう以外の関係であったり、仕事っていうか、たくさんあって、それでようやくなんとかなったりするっていうのが実情だと思うんですよ。だけどほんとの事業しかやらない事業所は、そういうこといっさいやらないし。それからなんかちょっとやる気があるとこは、その得た利益の一部をそっちに流すみたいな感じでやってんだけど、ちょっと筋としてはちがうんだろうなと思ってるんですよね。
みたいなことを、その94年に連名のやつでちょっと書いてるんだけど、そういえばそれ、そのあとむしろ減らされたっていうか、削られちゃったなあっていうの、しばらく思ってるんですよね。そこのこう考え方っていうか、これもまあ制度設計っちゃそうなんですけど。[02:55:25]
益留:まあだから本来的にはね、今いわゆるその、利益相反になるわけですよね。ようするに自立生活センターの相談支援と、たとえば介護派遣っていうふうにいったときに、ようするに自立生活センターでたとえば自立する人を増やしていく、で、そこで自立した人をヘルパー派遣していくっていう流れがあるんだけど、けっきょくなかなかこう担い手が、ヘルパーがいないなかで、それこそ人が増えてしまうと派遣ができなくなってしまうっていうところで止まってしまう。企画なんかはそういうのがあってすごく停滞してんのがあるんですけど。
一方でね、自立したい人、させたい人っていうような、それぞれの思惑みたいなものが非常に、何だろなあ...自立させたい人って、あれ、いうような、こう...。たとえばね、介護者が「いや、この人自立させたいんですよ」みたいな、こう言ってきた時に、「いや、自立させたいって誰が?」っていう問いをよくするんだけど、お互いに自立っていうふうにいったときに、当事者のその思いと、たとえば介護者の思いみたいなものっていうのは、とうぜん微妙に違うわけですよね。で、たとえば自立させたことで、介護者の自己評価が上がるっていうのもまああるんだけど、だけどそれに、逆にその思いに応えない当事者に対する感情がこう、ねえ。それこそ、「いつ自立するんだよ」みたいな評価につながってしまったりとかね。まあだから、なかなかその、「自立させたい」とかっていう話じゃなく、やっぱり自立支援っていうのを実際に、その、こう、うーん...。[02:58:36]
結果的に、いつする、っていうかな。最近すごく思うのは、たとえばその介護者の技術的な問題? この人はこれができる、これができないとか、あれができないとか。いわゆる当事者からのクレームというか、評価が一方であったときに、技術は高いけど人(ひと)的に(笑)、人的にだめな介護者。技術は低いけど、人的にいい介護者。じゃあどっちがほんとに介護者としていいのかっていう評価をしたときに、やっぱり対外的には技術が高い人のほうが評価されるし、求められるわけですよね。だけど、けっきょくそれってそれこそ誰のための介護、誰のための技術なのかっていうふうに考えたときに、やっぱり技術が高くて...技術の高い人って、やっぱりどっかで不満が***(03:00:38)っていうかな。その、いわゆるもっとそれこそ自分の評価を高くしてくれるところ、それこそやりがいのあるところに行ってしまうっていうか、行きたがる。で、やっぱりその当事者との関係っていうところには焦点が合わない。だけど、たとえば技術は低いけれど付き合いがいいとか、それこそね、やっぱり長く付き合ってくれる人ね。長く付き合ってくれる人っていうのは、実はいい介護者じゃないのかな。[03:01:28]
そう思ったのはね、やっぱり私、家族っていうか、親との関係ってそうなんじゃないかなと思う。親との関係で、なんで当事者が親がいいのかっていうふうに言ったときに、親の介護が必ずしもいいわけじゃないじゃないですか。それこそ、ねえ、たまに叩いたりとかさ。「ごはん抜き」みたいなことを言ってしまう親だっているわけだけど、でも最終的には親の介護がいいっていうふうに戻ってしまうんだけど、それはなんでそうなるのかっていったら、やっぱり私、ほんと「長い年月」だと思うんですよね。年月で培ってきた関係っていうのは、それを支えているんじゃないかと。
だから私ね、やっぱりね、なんとなく介護ができていったほうが、やっぱりいいんじゃないかなと。そのなんとなく介護ができるためには、技術的な問題じゃなく、やっぱりお互いに長く付き合える関係をお互いに作れること。その当事者もそういうふうにね、技術は高いけど視線の厳しい人。やいのやいの、「あれしたら? これしたら?」みたいなふうに言う人よりも、技術、ごはんはおいしいのは作れないけども、なんとなく一緒にいて楽しく過ごせる、気をつかわないで過ごせるっていうとこにやっぱり当事者の評価っていうのは、すごく高くなってる。
というね、やっぱりそこにもとになってるのが、やっぱり私、「視線」じゃないかなと思ってるんです。その介護者が持つ視線。
そう、もう一人ね、私に介護っていうか、関係の何たるかっていうのを教えてくれた人がいて。ここの4階に住んでるカトウヨシコさんっていう知的障害の人なんですけど、その人はね、2011年に、それこそ34年間精神病院にいた人で。たいとうの加藤真規子さん★ってご存知ですか?
立岩:はいはい。
益留:彼女がそういう退院促進の支援をやってて、彼女がたまたま、あそこの陽和病院っていう、練馬区のほうにある施設っていうか精神科に支援に行ったときに、そのカトウさんと出会って。カトウさんたまたま保谷の出身の人だったんですね。で、自立したいというか、出たいっていうふうに言ってるんだけど、ちょっと相談に乗ってくれないかっていうふうに言われて。で、ちょっと私も「大丈夫かな?」みたいなふうに躊躇したんですけど、その加藤真規子さんが、小平とここを見学に連れてきたんですって。で、小平の自立体験室を見に行って、ここの5階のやっぱりグループホームの、その...。
あ、オトさんってご存知ですかね? オトエツコさん。あ、知らないか。[03:05:14]
立岩:たぶん知らないと思うんです。
益留:すごい知的障害の人でグループホームにいる人なんですけど、その人の部屋を見にいって、で、オトさんが猫を飼ってたんですね。猫を飼ってて、そのカトウヨシコさんっていう知的障害の人が、「猫ちゃんがいる部屋がいい」って言って、で、ここに来たんですよ。猫が好きなのかなと思ってたら、実はべつに好きじゃなくて、猫が飼える部屋がよかったっていうのでここに来たんですけど。で、すごい、まあ知的障害があるけど、***(03:05:56)のね、障害があるけど、技術的には何でもできる、自分でできる人なんですよ。だからある程度促したりすればもう何でもできる。だから最初、朝・昼・晩介護者をつけてたんだけど、朝も1時間、昼も1時間、夕方も2時間みたいなね。あとは自分で生活して、みたいな、だんだんだんだん時間を削ってったんですね。そしたらね、やっぱりどんどんどんどん調子が悪くなってきて。
元は自立したいっていう動機っていうのが、結婚したいっていうのがすごく動機としてあって。で、入ってた介護者がみんな当時結婚したり、同棲したり、子どもが生まれるみたいな、そういうのですごく疎外感があったんだろうなと思うんだけど。で、だんだん人を減らしていったあげくに、ちょっと精神的に調子崩しちゃって、けっきょく再入院っていうふうになって。
再入院して1か月ぐらいで帰ってこれるかなと思ったら、2年。しかも、一回寝たきりになって。一回はね、原因不明の内臓疾患っていうんですかね。原因がわからないけど調子が悪くなって、一般の病院に転院したんです。世田谷の松沢病院に転院したんですよね。転院したら、点滴と心電図つけて、その心電図の波形がもうこんなになってて。まあいわゆる最期の波形みたいな、いつ止まってもおかしくないっていうので、「もうみなさん会える人には会わしてください」って。で、みんな会いに行って。「もう今日だめだろう」っていうふうに言ったのが、とりあえずその、持ち直して。
その次の日かな、また会いに行って、ずーっと目がうつろだったんだけど、私と一緒に行った介護者、実はそのカトウさん好きな介護者で、それでその介護者が「カトウさん、ヨシコさん、大丈夫? 誰だかわかる?」って声かけたら、はっと目覚まして「カズちゃん」言ったんです。カズヤっていうんですけど、「カズちゃん」って言って。そしたらね、波形が落ち着いた。
立岩:治っちゃった。
益留:たぶんね、もう次の日にはごはん食べてて。「えー?」って思うぐらい。で、一週間で退院したんですよね。たぶん彼女を救ったのは、愛の力だったんじゃないか(笑)。たぶんあのまま彼女が死んでたら、たぶんね、死因はね、「絶望」だったんじゃないかと思う。
やっぱりなんでそうなったかというと、入院するちょっと前に、妹さんが一人いて、「妹さんともう暮らしたい。ここを出て妹と暮らす」って。それができないのはわかっててここに来たんだから、「もう、だめだよ。できないよ」って言って、ちょうど妹さんが来たので、妹さんに「一緒に暮らさないって言ってあげてください」っていうふうに言って、妹さんもそう言ってくれたんです。「もう一緒に暮らせない」って言ったらもうふわふわふわーと調子狂っちゃって、それで入院になったんですよね。そのあとにけっきょく寝たきりになって、で、もうそのままだから、ほんとに死んでたんですけど。だからもう彼女にとっての結婚の希望もなくなったし、家族と暮らすというそういう希望もなくなって、ほんとに、とくに生きることにあれはなくなったんだろうな。それを持ち直したのが、カズちゃんっていう人のことだったっていうね。[03:10:37]
そのあとにね、とりあえずまた帰ってきて。退院したんだけど、***(03:10:48)はいったんだけど、その時もけっきょく一週間でまた再々入院したんですよ。それはけっきょくこっちの視線っていうか、介護の姿勢が変わらなくて、それで入院になったんだけど。主治医に、「ちょっと今までの支援じゃもたないから、ちょっと考えてくれ」っていうふうに。で、考えたのが、けっきょくその、もうとりあえず24時間でいくしかないと。「24時間つけましょう」っていうふうに言って。「でも、人がいない」って。で、「わかった」って言って、私も二晩泊ったわけです。私が泊まっても、ほら、何ができるわけでもなくて。だけど、彼女はそれですごく落ち着いた。なんで落ち着いたのかっていったら、寝るときに、「益留さんいる?」「いるよ」「うんわかった」。で、寝て。朝起きた時に「おはよう」ってこう、声をかけられる。それで、「今日何しようかな」っていろいろ並べるわけです、洋服を。それを見て、それまでだったら、「どれでもいいんじゃない?」っていうふうに言ってたんだけど、「あ、それいいね」とか、「今日暑いからそれはちょっとやめたほうがいいんじゃない?」っていうふうにやり取りすることで。彼女はある程度決まってるから、だからそれを「それいいよね」っていうふうに言うと、やっぱり安心してその服を着ることができる。やっぱり彼女が三十何年間その施設っていうか病院で生活してきたなかで、やっぱり視線を感じることによって彼女自身が自分を律してきたことっていうのはやっぱあるんだろうなって思うところにいたったわけですね。そうしたときに、やっぱり彼女にとって、介護ってやっぱり「視線」なんだなっていうことを、すごくその時にね、思えたんですよね。
だから、私たちがやっぱり「自立」っていうのを、何かこうね、そういう具体的な介護っていうふうになんとなく思ってきたことが、そうじゃなくって、やっぱり彼女にとってみたら視線、自分が向かおうとする方向をちゃんと支えてくれる、さし示してくれる、そういう言葉だったり視線だったり、それがやっぱり彼女にとっての介護だったんだなと。だから、視線と介護。
立岩:それはわかるんだ。わかる...。一方で、そんなのべつにほかで充足してるとか、そもそもあんまり人間に関心がないとか、まあいろんな人いるじゃないですか。片っぽにこういう人がいて、で、片っぽにこういう人がいて、その間のグラデーションみたいなのがあるんだけど、さっき益留さんがおっしゃったのは、こっち側の一方の極っていうのをもう、それイコール介助・介護っていうふうにしちゃって、それ以外のいろんなグラデーションがあってバリエーションがあったりする部分がなくてもいいっていうかっていう話は、違うと思うんですよ。そういう意味で言えば、益留さんが言うことはその通りだと思うんですけど、じゃあそこ、それからの話は今日はもうあれですけど、それをどういう土台に乗せるかっていうあたりから話はめんどくさくなってきて、
益留:そうですね。
立岩:とは思います。それ今解ける感じもしないけど。でも、でもいくらかはできるんですよ。ぜんぜんできないことじゃなくて、と思っていて。まあそれは、うん、ぼくも少し...と思います。なんか歯切れはあんまよくないですけど。[03:14:45]
益留:なかなか...。いや、そこはね、ほんとに私も解がないっていうかね、解答がないですね。さっきのその、ALSの人の介護で5分おきに呼ばれる、でも5分おきに呼んでも、けっきょくようするに、その人が満足することはできないと思うんですね。そしたら、けっきょくもう2時間おきにしか行かない。2時間ですよ。「2時間経ったから行く」みたいな、そういう介護になってしまってるんですよね。それがね、それがけっきょく介護者としては介護ができる方法なわけですよね。だけど当事者にしてみたら、いわゆる放置されているとしか思えないっていう。じゃあそこをどう折り合うのかっていったら、解がないですよね。だって、求めてるのは、もうほんとに、ようするに「24時間こうみてくれてる」介護なわけで。
立岩:それ議論しだすときりないんだけど、ほんとになんか「人がいてほしい」的なものってある人はあると思うんですよ。それから、ALSの人の場合であれば、ほんとに、もうなったことないからわかんないけど、ほんとにこう微妙に痛いとか痒いとかつらいってのがあって、それはほんとに何かこう、ずっといてほしいって思ってるわけじゃないんだけど、そういうふうに微妙にやってくんないとっていう。でもそれを半年、一年やってるとなんか慣れちゃうって人もいれば、そうでもない人もいるっていうことで、たしかに人が求めてるものっていうのは、こんなこと言ってもあたりまえでしかないけれども、一様ではないってことは言える。それをじゃあどういう枠に乗っけるかってことはあると思う。
益留:ちょっとすいません。
立岩:すいません、どうも。[03:16:45]
(中断)
[03:16:57]
立岩:もしまた何か思い出したり思いついたりしたら、今度来れたらまた東京とかにも来れると思うので、寄らせていただきます、ましたく存じます。
益留:それこそ疑問に思ってたことがあったら、ちょっとお話いただいたほうがいいかもしれない。
立岩:今日たぶんさっそくもう文字起こしに回しますから、書き足し、削除、いかようにもです。でも今日「何でも言うよ」って「オッケーだよ」って言ってくれたの、ありがたかった。
益留:いやいや、まあそういうことで。もう先がね、そんなにないんで、話しとかなきゃいけないことがありますね。
立岩:うーん、そりゃちょっと思いますね。いや、先あるかどうかは別として、やっぱ今までのことでまだ言ってないとか誰も知らないとかいっぱいあるじゃないですか。益留さんそういうことたくさんお持ちだと思うんで。今日ぼくとしてはだいぶ聞けた感じがしますけど、またなんか教えてください。
益留:いえいえ、ぜんぜんそれはかまいません。
立岩:じゃあちょっとぼくも移動せねばならず、次のところに今日行かしていただきます。
ありがとうございました。けっこうなんか長い時間お手間とらせてしまいました。
益留:いえいえ。ああ、もうこんな時間。
[03:18:14]
音声終了