「誰それさんは、会社にとってなくてはならない人でした」というが、あれも多分にお世辞である。〜曽野綾子著『中年以後』〜

2025年07月23日

<60代の視点>結婚式や葬式の時に、「誰それさんは、会社にとってなくてはならない人でした」というが、あれも多分にお世辞である。〜曽野綾子著『中年以後』〜

今朝はウォーキングはお休みでも、目覚めはいつもの時間。横になったまま思考しては、枕元の本を開く、長寿作家の曽野綾子さんが、私くらいの時に書いた『中年以後』には、いろんな視点から世の中を見ているのがおもしろい。

こんな私も、たまに祝辞を頼まれるのですが、人を褒めることは、とても難しいと思います。まして、冒頭の言葉のようなことは、私は言わないようにしています。

せめて、

(以下、『中年以後』より)

「誰それさんは、実に楽しい人でした」というような褒め言葉なら、大いにあり得る。しかし、なくてはならない人などというものは、家族か親しい友人の関係にしかない。(中略)

また、このページのはじめには、以下のことが書かれていました。政治の現実の話です。

(以下、本より)

ケネディ大統領が、暗殺された事件はいまだについ数年前のことのように私の記憶にも残っている。ケネディは、大統領としてもスター的な存在であった。その人何突然失われたら、アメリカという国家の舵取りは誰がやるのだろう、と一瞬思ったのである。
暗殺の後、大統領の遺体を乗せた専用機はそのままワシントンへ向けて飛び立った。夫人はまだ血染めの服を着たままだった。その飛行機の中で、ジョンソン副大統領は、大統領に就任するための宣誓をした。
(以上、『中年以後』より)

国を守ることを考えると、大統領に何か起こったら、副大統領がすぐに交代するのが、当たり前と言えば当たり前のこと。

世の中を回していくには、

>誰それさんは、会社にとってなくてはならない人でした

と、居なくなって途方に暮れることはなく、必ず次を担う人が出てくるものです。

よく「人は居るが、(頼れる)人は居ない」と言いますが、それはまだその立場になっていないから、見つからないのであって、交代できる人は、必ず近くにいるものです。

やはり、日頃から周りの方々の言動に関心を持つことが大事だなぁ、と思います。

私も、今後に祝辞の依頼が来たときは、「誰それさんは、周りを楽しく、和ませることのできる方でした」と言うことにします。このごろは、曽野綾子の言葉が、とても参考になる歳になったようです。

学校の夏休みは、我が家は早朝の草刈りシーズン、ぼちぼち準備して汗をかきます。

(追記) (追記ここまで)

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(追記) (追記ここまで)

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