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2010年11月24日 (水)

就活で「盛った」中身のレリバンス

ダイヤモンドオンラインで連載している石渡嶺司さんの「みんなの就活悲惨日記」で、「いまや自己PRで「盛る」のは当たり前!?就活学生に横行する"ウソ"と彼らの顛末」という記事がなかなか面白いのですが、

http://diamond.jp/articles/-/10170

>「ESや面接で盛っておいて、あとでバレたらどうなりますか?」

バレたら?そこまで聞いてきたのはこの学生が初めてです。バレたらって、具体的にはどういう話にしようとしているの?

「パークゴルフ大会で日本一になったというネタで行きたいと思っています。パークゴルフはほとんどやりませんが」

>いやいやいや、それはちょっといくら何でもまずいでしょう。第一、大会に出たというなら、ちょっと調べれば分かることだし。

×ばつ社に内定が決まりました。この先輩は登頂してもいません。今でも、この会社で働いています」

ええええ?登ってもいないのに?

と、こういうのが「盛る」って奴らしいのですが、

>後輩学生「企業に出す書類にウソを書いていいんですか。」
先輩社員「0を100に言ってはいけないが3は100に言ってもいい、これも基本だ。」
先輩「たとえばこの学生、ちょっとES見せてごらん」

>自己PR「私は大学生活の4年間一貫してボランティア活動に従事し〜」
先輩「キミこの地域ボランティア活動って本当は何やってたの?」
就活生「1年の夏休みと4年の夏休みそれぞれ1日ほど逗子の海岸でゴミ拾い。」
先輩「セーフ!」
後輩「これはアリかあ。」

をいをい、という感じなのですが、話はそのあと、

>法的にはどうなの?解雇される?

とか、

>経歴詐称をした場合はどうなる?

という話になっていくのですが、ちょっと待ってよ、と。それってどういう経歴詐称?

何?会社はパークゴルフで採用決めてるの?モンブランで採用決めてるの?ボランティアで採用決めてるの?

いや、まさに、こういう仕事の中身とは少なくとも直接的には何の関係もないことを「盛る」ことに血道を上げなければならないというところに、「メンバーシップ型」採用における「官能性」への狂奔の一断面が見えていると評すべきなのかも知れませんが。

2010年11月24日 (水) | 固定リンク

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コメント

直接関係ありませんが、この文章の中のやり取りを見て

昔の日本海軍で、合理主義で知られた井上成美大将が海軍学校の校長になった時に、
学生の夏季休暇中の日誌を上級生や教官がチェックして
「立派な」日誌にして提出させる慣習があると聞き、
「紙の上の品行方正が何に役立つ?虚偽報告をする海軍士官を育成してどうするのだ!」
と激怒して直ちにやめさせた、というエピソードを思い出しました。

投稿: おおいけ | 2010年11月26日 (金) 00時48分

これも直接関係ない、というよりも、他の記事にくっつけたい話ではありますが、ちょっと面白かった「日本労働研究雑誌」9月号の記事サマリーをご紹介。

ノンエリート大学生に伝えるべきこと
――「マージナル大学」の社会的意義

居神 浩(神戸国際大学経済学部教授)

1990年代からの20年間にわが国の高等教育政策は「計画の時代」から「市場の時代」へと大きく方針転換した。その結果、選抜性の度合いを著しく低下させた大学を中心に、物事の理解力の点においても、あるいは他者と関係を結ぶ能力の点においても、実に多様な若者たちが大学生となりうる現象が生じた。それはかつてのように社会のエリートを輩出する機関としてのみ大学を論じることを困難にさせた。ここにノンエリートを社会に供給する機関としての大学を論じる新しい概念が必要になる。伝統的な大学群を「中核」と位置づけるならば、それに対して伝統的大学像ではまったく把握しえない「周辺」的な位置づけにある大学群を「マージナル大学」と概念化しておこう。

マージナル大学の学生たちの発達的な多様性は、この社会におけるディーセントな仕事につける可能性を大きく減じさせている。ゆえにその卒業生たちの多くはノンエリートとしてのキャリア展開を余儀なくされることになる。かれらが少しでも多く社会からの承認を受けるような仕事につくために、マージナル大学の教員はどのような教育的貢献ができるのだろうか。本稿ではこの問いに対する教育現場からの答えとして、基礎学力の徹底した習得を通じて学生たちの「雇用可能性」を高めるとともに、ノンエリートとしてこの社会に対する正当な「異議申し立て」を行える力量を育てるべきことを主張してみたい。

投稿: 哲学の味方 | 2010年11月30日 (火) 08時38分

この居神浩さんの論文については、本ブログでもこのエントリで取り上げておりまして、

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-a5af.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-a5af.html
(「マージナル大学」の社会的意義)

>読んで一番ショッキングだったのが(といいながら、実はこれはかなりの程度紹介用の修辞ですが)、居神浩さんの「ノンエリート大学生に伝えるべきこと-「マージナル大学」の社会的意義」という論文です。

>こういう記述を読むと、田中萬年さんの非「教育」論、職業訓練こそ真の学びという論すらも、職業能力開発総合大学校というそれなりに優秀な若者たちを集めたターシャリー教育機関の経験に基づくバイアスがあったのではないかという気がしてきます。

>彼らの就職先は総じてブラック職場だが、・・・、「ボイス」の必要性と、そのための労働法教育の必要性を強調しています。ノンエリート大学生だからこそ、必要なのです。居神さんはこの点について、近く『もう一つのキャリア教育試論』(法律文化社)を出されるようです。

なお、このエントリから始まった金子良事さんとのやりとり:

http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-177.html">http://ryojikaneko.blog78.fc2.com/blog-entry-177.html
(「マージナル大学」ではない、大学がマージナルを抱えている)

http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-9581.html">http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-9581.html
(「大学がマージナルを抱えている」のが「マージナル大学」となる理由)

投稿: hamachan | 2010年11月30日 (火) 09時55分

ああ、毎日たくさんの記事なので、うっかり忘れておりました。でも、面白い記事ですよね。学生に喝!とか言ってる内田樹先生に読んで頂きたいですね。

ところで、おまけに。大学のセンセイも雑用が多くていろいろ大変らしいですけれど、それでも楽しそうでいいなあ、と、とある記事を読んで笑いました。以下のものです。最後のオチをちょっとブラックにしてあるのが面白かったです。

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研究会の飲み会で、他大学に勤める中堅どころの男性の先輩と話していた。
大学で雑用を押しつけられないようにするにはどのようにしたらよいか、という話である。

わたしが提案したのは、「あの人に仕事を任せたら大変なことになる」と思われるような、奇抜な発言をすることであった。

たとえば、特大の金のシャチホコを各校舎の屋上に据えつけましょう、と教授会で提案する。
べつに名古屋の大学でも、シャチホコにゆかりのある大学でもないのに、である。
周囲はおそらく引くだろう。

それではダメだ、と先輩。
かつて先輩は、周囲におかしな人と思わせるために、校舎の最上階を「回る展望台」に改造しようと教授会で提案したそうだ。
すると、「いいアイディアですなぁ」「さすが若い人の発想は違いますね」と、長老たちの絶賛をあびてしまった。
実現にはいたらなかったが、先輩の計画「周囲におかしな人と思わせる」は頓挫した。

言葉でダメなら、奇抜な行動ではどうかと、わたしが次にひねり出したのが、腹話術の人形を手に教授会に出席するという案である。

腹話術を習得し、あたかも人形がしゃべっているかのように発言する。
「ボク、ショウチャンです! しろまるしろまる教授の案は陳腐ダヨ!」
批判をしても会議室の空気がギスギスすることはなく、かといって「まともな人」とは決して見られないだろうから、こちらの思惑どおりにコトは動き、八方丸くおさまる。
これ以上ない理想的な案であるように思われた。

だが、先輩の賛同は得られなかった。
それはやりすぎだというのである。退職に追いこまれるかもしれないという。

けっきょく、奇抜な言動ではダメで、奇抜な服装が無難だろうという結論におちついた(奇抜な服装が無難、という日本語もヘンだが)。

奇抜な言動は、受け手の感性しだいで、「いいアイディア」にも「やりすぎ」にもなってしまう。
だが、服装にかんしてはTPOという一定のルールがある。おかげで、やりすぎない、ほどよいルール違反ができる。
なおかつ、退職に追いこまれることはない。服装を理由に退職させようものなら、大学側が人権侵害の罪に問われかねないからである。

なにかの修行中の人のように、タオルをかぶって、作務衣で出席する。
あるいは、マジシャンの格好をし、シルクハットをかぶって出席する。
シルクハットの中からは「クックー」と押し殺したような鳴き声がする。あきらかにハトが入っているのだが、決してシルクハットは取らない。

「おかしな人」のレッテルは確実に頂戴できる。退職の憂いもない。
今のところ出ている最強の案である。

その流れで、かつて教授会でわたしがした発言について話した。
学生の私語防止のために、ある博多ラーメン店の座席の仕様を教室に導入しようと提案したのである。

その店では、客が味に集中できるよう、カウンターの座席と座席の間を板で仕切っている。
隣の席の人とは話せない仕組みだ。
それと同じように、教室の座席と座席も板によって仕切れば、私語を防止することができ、学生を授業に集中させられる、と熱く語った。

「ま、それをやると、フーコーが『監獄の誕生』の口絵で取りあげたフレーヌ監獄における講義の様子にかぎりなく似てくるんですけどね」
と、ちょっと教養のあるところを見せるのも忘れなかった。

が、わたしの熱い語り口とはうらはらに、会議室は静かになってしまった。

「なぜだか分からないんですよ。いいアイディアなのに」
そこまで話し終えると、ビールジョッキを手にした先輩の表情には困惑の色が浮かんでいた。

なぜだか分からない。いいアイディアなのに。

投稿: 哲学の味方 | 2010年11月30日 (火) 10時35分

就活は厳しいストレスと矛盾、つきあいたくない人間関係に終始します。そして誇張や嘘を塗りたくり茶番とういえば茶番です。しかしこれは企業社会では日常茶飯事のことで就活を乗り越えられるかどうかも選考のひとつです。学生さんがこれを茶番だと断言してさけることはできますが、それは企業にはいることも避けることを意味します。就活はある種の通過儀礼なのです。もちろん覚悟があればそういう選択もいいでしょう。大学でて企業に正社員で就職するだけが人生ではないのです。どうしても企業に正社員になりたいなら就活に取り組む、いやなら就職以外の行き方を探る...とういうことです。かんがえてみたら大学受験もおなじですね。あんな暗記競争、ただの茶番です。受験を茶番と断言して拒否するなら大学進学以外の道をさぐればよいのです。大学に入りたければ取り組まないといけません。それは個人個人が決めることです

投稿: やまだ | 2010年12月11日 (土) 11時47分

職業訓練関係のエントリに付けようかと思ったのですがこちらに

http://blogs.yahoo.co.jp/takenaka1221/12255917.html

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低スキル労働者、受難の時代

今週号のThe Economistsが"What's wrong with America's economy?"
並びに"Why ever fewer low-skilled American men have jobs"の2つの記事で低スキル労働者の失業が構造的(慢性的)になっている問題を指摘している。
http://www.economist.com/node/18620710?Story_ID=18620710
日本も次第にその傾向が出てきているようなので、とりあげておこう。

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要するに低学歴、低スキルの労働者層を中心に職を得られない状態が恒常化している。そのことの基本的な原因はITを中心にしたテクノロジーの進歩と、経済のグローバル化が進む一方で、要求されるスキル水準を満たせない労働者をアメリカの教育、社会が大量に生み出してしまっているためだと書き手は判断している。 もちろんカレッジ卒(大学卒)なら大丈夫というわけではない。大学卒=高スキルという保証はないからだ。

投稿: 匿名 | 2011年5月 5日 (木) 11時55分

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