'13-14-12 東海道歩き(大津〜京都三条大橋まで)

『嬉しいご案内』
或る会社のHPに私のこのブログをリンクさせて頂けることになりました
会社のHPと言っても、その中にある1つのカテゴリーなのですが、そこに書かれているのが 『元気の出るブログ・愉快満載の百科店」 となっていて、内容は「いつだって街歩き」「パソコンよろずマニュアル」「満点デジカメライフ」「錦町世情研究所」などがあって、ここの私のブログを転載させて頂けることになったのです

その名は 『サンキyou広場

どうぞ この広場にもお越し下さいますようお願い致します

〜〜〜〜〜〜〜〜

Photo_3
歌川広重 東海道五十三次 「大津」の図

92001
713/5/18
きょうの行程は 3時方向の大津から9時方向の京都・三条大橋まで で、最終日です
このルートは、以前中山道を三条大橋から歩いた時と逆コースを歩くことになり、今回のルートでは一番短い距離を歩くことになります。
その為 油断したのでしょうか 気合いが入らず、歩いていても疲れを感じます

Dscn3553

Dscn3554

左: 9:25 ロシア皇太子遭難の地 碑
説明によると・・・1891年(明治24年)年5月11日、滋賀県大津市で、来日していたロシア帝国の皇太子ニコライ(後の皇帝ニコライ2世)に対し、警備に当たっていた巡査、津田三蔵が突如斬りかかり、皇太子が負傷したという事件。
津田三蔵巡査はただちに取り押さえられ、皇太子も命に別状はなかったが、警官が他国の皇太子暗殺を試みたというのが大事件であるのには変わりなく、対ロシア外交の上で重大な危機となった となっています
検索すると、当時の日本とロシアの緊迫した様子が出ています

右: 9:50 街道筋の町屋で、特に意味はありません

Dscn3562

Dscn3563

左: 10:10 「関蝉丸神社上社」
東海道が通る逢坂峠の関の鎮守・道祖神として創建されたと考えられている。
祭神は、上社が猿田彦命に琵琶の名手の蝉丸霊を合祀してある そうです

右: 10:15 「逢坂山関跡」
逢坂越は、都と東国・北国を結ぶ東海道・東山道・北陸道の3つの主要道路が集中する交通の要衝でした。
古くから貴族や武将をはじめ、文人墨客がこの道を通過し、この関所や峠を題材にした作品が万葉集や古今集に多く残っています

大津の市街地を抜けると、逢坂の関への登りになりますが、思っていたより簡単に「逢坂の関跡」に到着

Dscn3565

Dscn3566

左: 10:25
これやこの 行くも帰るも別れては
知るもしらぬも 逢坂の関
蝉丸

右: 10:25
名にしおはば 逢坂山のさねかずら
人にしられで くるよしもがな
三条右大臣

Dscn3567

10:25 夜をこめて 鳥のそらねは はかるとも
よに逢坂の 関はゆるさじ
清少納言


ここには三人の有名な?歌人の歌碑が建っていますが、以前見たときはもっと大きな碑だと思っていましたが、イメージが膨らみすぎていたのでしょうか

Dscn3571

Dscn3573

左: 10:40 京阪電鉄「大谷駅」
この駅は「逢坂の関跡」の傍にあります

右: 10:50 「月心寺」
京、大津への玄関口、逢坂山の関所を控える、かつては東海道随一の賑わいをしていた追分の地で繁昌していた走井茶屋の跡。
境内には今も枯れることなく走井の名水が湧き出ている。
歌川広重が描く「東海道五十三次」で、溢れ出る走井の水のそばの茶店で旅人が休息しているのが見られる。その茶店がこの月心寺である
(この頁のトップで、左側に水が溢れている井戸が走井)

と説明されているのですが、見た感じでは生活感が感じられません
この寺の井戸は有名で、浮世絵などにも描かれていますが、その井戸も涸れているように見えます

Dscn3579

Dscn3580

左: 10:66 月心寺の近くにあった古そうな道標
「右一里丁 左大谷町」とあり、この付近に、一里塚があったということです

右: 11:15 「追分道標」
道標が立つ分れ道に来て、ここが大坂との追分で「髭茶屋追分」と呼ばれているようです
現在の滋賀県と京都府との県境にあたる。 左折すると「伏見方面」

Dscn3587

Dscn3589

左: 11:40 徳林庵・六角地蔵堂
街道の出入口六ケ所に一体ずつ分置された。
以後、この山科の徳林庵は東海道の守護仏となっている とのこと

右: 11:40 堂内の地蔵尊
六角堂に安置される本尊の地蔵菩薩は、平安時代に小野篁が一本の桜の大木から作ったとされる六体の地蔵尊像のうちの一つと言われているそうです

Dscn3593

Dscn3595

左: 13:10 荒廃している「亀水不動」
京都の「蹴上」に近付くとやや急な坂になりますが、この坂の途中にあった 亀水不動 というのも廃墟になっていました
地権者の立ち入り禁止板があって、縄が張ってありました

右: 13:25 蹴上に向かう登りの旧道
振り返って撮ったのですが、下り坂に見えませんね(苦笑)

Dscn3598

Dscn3599

左: 14:10 坂本龍馬結婚式場跡の碑
最近建てられてようで、側面には「青運院塔頭金蔵院寺 跡」となっています

東海道を歩き始めた頃、神奈川宿でお龍さんが働いていた料亭前を通り、最終地点の京都でまたお龍さんの結婚にまつわる所を歩き、感慨深い街道歩きです

右: 14:15 古そうな道標
三条大橋のほど近い所に建っていましたが、よく読めません

Dscn3601

Dscn3602

14時25分 三条大橋に到着
ここで鼻歌の集大成として「愛の賛歌」を歌うつもりでしたが、人通りが多くて止めてしまいました

右: 三条大橋西詰めにある「弥次さん喜多さん」に到着のご挨拶を

これで何となく 東海道歩きは終わってしまいました

Photo
歌川広重 東海道五十三次 「京都」の図

このときの感じは
感動も 達成感もなし 暑い三条
終わったな ただそれだけの 初夏の午後
それほどの コースでもなく 初夏終わる


今日の記録
歩行距離 17、7キロ 28298歩


まとめてみると
もっと変化があると思っていたのに 残念
東海道を歩かれる方がいたら、私は日本橋から掛川辺りまでをお薦めしたいとおもいます

蛇足
昨年のような血尿現象はありませんでした
ヒトカラもこれから帰れば地元で出来るので今日は行きません(笑)

『付録(強者達がキズの跡)』
東海道後半歩きのために買ったウオーキング・シューズですが、踵の部分がすり減っていました
こんなに減るのも 殆ど全てと言ってもいいほど舗装された道路ですから、仕方ないのかも知れません
Dscn3623

手首に付いた腕時計のあとです
雨に降られたのは1日半、あとの日は好天でしたから仕方ないかも知れません

Dscn3606

長い blog にお付き合いくださいまして 有り難うございました

【以上で東海道歩きは完結です】

2013年6月 4日 (火) ★ 「東海道」一人旅 | 固定リンク
Tweet

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: '13-14-12 東海道歩き(大津〜京都三条大橋まで):

AltStyle によって変換されたページ (->オリジナル) /