'12-57 東海道一人歩き その13

'12/11/10 (土) 快晴
今日の行程は「磐田から浜松まで」

例の血が混じるのはその後も続いていますが、ナニの色が赤く染まるほどではありません
それでも気になるので、東海道歩きは浜松までで 残念ですが一旦我が家に戻ることにしました

今回はこのことを除けば足・腰の痛みもあまりなく、至極快調だっただけに残念のひと言
尤もお得意の電車利用でずいぶん楽をしましたが(笑)

Photo4時方向の磐田をスタート

10時方向に向かうが、今までのような見所があまり有りません

天竜川を渡ると浜松に入ります

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左:常夜灯 9:42
『この常夜灯は平成8年に部分修正されているが、殆ど昔のままのものとか。
その棟札には、文政11年(1822年)の建立と記されている
竜の彫り物があるので、竜燈(りゅうとう)と呼ばれ、数ある常夜灯の中でも貴重なもの』 とのことです

右:ワンポイント松 10:03
何の意味もない写真ですが、昔は松並木があったのかも知れません

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左:小学校校舎
磐田南小学校の校舎ですが、中央のトンガリ帽子が印象的だったので パチリ
けれども昨日の旧見付小学校校舎もこのようなデザインなので、この周辺の伝統的な形なのでしょうか?

右:郷社 若宮八幡宮 10:23
明治7年(1874年)、近隣28村の神社が合祀され、社殿を新築して「若宮八幡宮」となった。
祭神は仁徳天皇、応神天皇と神功皇后の三神である。
現社殿は昭和49年(1974年)に改築された。例祭での奉納相撲は有名である

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左:長森立場の標識(この標識は東海道を歩いていて多く見掛けました)
この周辺は天竜川手前に位置していたので、川越をする人々や反対に越えてきた人たちで賑わった。又ここの名物は「膏薬」で・・・万治年間(1658〜1660)から、山田与左衛門家で作り始められた家伝薬で、冬季にできる「あかぎれ」や切り傷などに抜群の効能があるとして、近隣の村人は元より、参勤交替の大名行列の一行や東海道を上下する旅人たちの土産品として大変な人気だった とのことです(表示板の左下に こうやく の文字が見えます)

右:天竜橋跡の碑
説明によると・・・『1873年(明治7)、架橋の第1段階として船橋の計画があり、翌年 船橋が完成
1875年、船橋は木橋に架け替えられた 長さ1163m 幅3,6m で、長い間有料だった
1933年(昭和8)、現在の鉄橋が完成し、木橋は廃止になり、取り壊された』
(これは磐田市教育委会から抜粋)

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左:天竜川橋 10:54
この天竜川を渡れば「浜松」に入りますが、この天竜川を渡った辺りが「東海道五十三次の距離の中間点」だそうです。
ということはまだ半分残っているわけで、体調と相談しながら後半も愉しみ&苦しみたいと思っています
橋の長さは大井川よりも短いようですが、河原が広く幾つもの川筋が有るのはよく似ています ただ、天竜川のほうが深そうなので水量は多いのかも知れません

右:無題 11:04

Photo_2右上の天竜川を渡り

後はほぼ一本道で浜松に向かいます

浜松では浜松城を見学

今回の東海道歩きは浜松までで、残念ですが我が家へUターンします

Dscn1484明善記念館 12:05
『平成23年(2011)3月からは、約2百年前に建てられた木造2階建ての生家が大幅に改修され、一般公開されていて、天竜川の治水工事に、私財を投じて尽力した「金原明善」の遺品や、遺墨、関係資料のほか、明善と親交の深かった人々の遺墨や、関係文書などが収蔵・展示されていす』

見学させてもらいましたが、私自身、業績の内容が無知であるため、どうもピンと来ませんでした

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翌 11/11 (日) 曇り
午前中 浜松城を見学

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浜松城 11/11(日) 9:14
徳川家康の築いた浜松城の城郭は南北約500m、東西約450m。三方ヶ原台地の斜面に沿い、西北の最高所に天守曲輪、その東に本丸、二の丸、さらに東南に三の丸と、ほぼ一直線に並ぶ、「梯郭式」の築城法をとっています。
「梯郭式」とは、各曲輪が隣接しながら、階段状になっている様式のことで、本丸の背後が自然の防衛線になるような城に多く見られます。

徳川家康が駿府城に移ったあとの浜松城は、代々の徳川家とゆかりの濃い譜代大名が守りました。
歴代城主の中には幕府の要職に登用された者も多いことから、浜松城はのちに「出世城」と呼ばれるようになりました。
明治維新後、城郭は壊され荒廃していましたが、昭和33年、野面積みの旧天守台の上に新天守閣を再建、翌年には浜松市の史跡に指定されました

右:本物の鎧 9:34
城内に数点置かれている鎧兜ですが、係りの人の話だと、これだけは本物で他はレプリカなのだそうです

この日の昼頃の列車で我が家に戻りました

蛇足:我が家に戻った途端、例の血が混じる事は発生してません ホッとしたからでしょうか? 尚この事はカミサンが心配するので内緒です

【以上で東京から浜松までの投稿を終わります。
なお、この続きは医者のご指示を頂き出来れば来春に再挑戦したいと思っています

長い旅行記にお付き合い下さいまして誠に有り難うございました】

2012年12月14日 (金) ★ 「東海道」一人旅 | 固定リンク
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