数学
数学(すうがく・英:mathematics)とは、Wikipedia執筆者などが好む数を勘定する学問である。また、数を崇拝するカルト宗教の教義で、常人には理解不能な神学体系を持つ。世界の役に立つか判らない、また、ノーベルの恋敵の本職であるという理由でノーベル賞の仲間に入れてもらえない。また、日本では中学・高校から授業に追いつけなくなることも多い。自然科学の嫌われ者として、物理学と双璧である。物事を単純化・抽象化しすぎるとむしろ分かりづらくなってしまう良い例でもある。 因みに算数と数学の違いは文字だけであり、神が算数という言葉が嫌いであったため新しい学問を作ったという話がグリム童話にある。
概要[編集 ]
この学問は、数字を知ることに意義がある。数字は一般的に使われているアラビア数字や漢数字、あるいはローマ表記など様々であるが、とりあえず10程度までの数字を理解していなければ意味が無い。
この学問の究極の目的のひとつは「指みたいなレトロなもの使わなくても数を勘定する」である。多くの国では右手と左手を合わせて10までの数字を勘定するが、常にサンダルを履いていて素足が露出しており、また器用な人の多いインド ×ばつ20までの掛け算を暗唱する必要があることにも現れている。 ちなみに、多くの人が使っている数え方は10進法であり、馬鹿馬鹿しいほど効率が悪いが、2進法を利用すると、片手で31,両手で1023,両手両足で1048575まで数えることが可能である。
ついで足し算・引き算という段階や、掛け算・割り算という段階を経て、+(プラス)や-(マイナス)という電極 ×ばつ(かける)や÷(わる)といった「チョイワル親父の行動」を理解する必要性も存在するとされるが、このあたりは諸説あるため不明である。
こうして紆余曲折を経て、様々な現象を数字によって表したりするための一助となる数学だが、これには全ての現象を数字で表せるとの見解を示す宗教も含まれる。このうち最も先鋭的な一派が「デーモニッシュ(悪魔崇拝)」で、彼らは数字の羅列は悪魔ないし精霊の呼び出しを可能にすると信じて、数字の羅列を使った魔方陣で召還を行おうとしている。
因みに数学教師には変わり者が多いとされる わー不思議。
応用分野[編集 ]
この学問は、数を勘定するためのものなので、以下のような分野に(削除) 乱用 (削除ここまで)利用されている。
経済 [編集 ]
お買い物をする際に、官僚の天下りに国民の税金を無駄に使わせないようにするための学問。株価の変化を予言するためにも利用される。 最近では、造幣することなく赤字国債を積み増す便利な道具として利用されている。
天文学 [編集 ]
月が落ちて来るのではないかという心配から生まれた学問。数学的帰納法により人間の精神に強い負荷を掛けることにより、頭の上の月なんかよりも、目の前の数式に注意を向けさせるために利用される。同じ仕組みを利用し、数式に集中させて痛みを忘れさせてから歯を抜く歯科医もいる。文系の人が天"文学"にまで数式を使うのは、人間精神への冒涜であると主張するが、天文学は天"文学" ではなく、"天文"学である事が理解されていないようだ。
情報科学 [編集 ]
多分、恐らく、もしかして、ひょっとするとまではいかないまでも初めて見たときほんの少し目を疑う人が世界に数人いるかいないかのレベルかもしれないし、そうじゃないかもしれないが、コンピュータに関係する分野だと一般的には思われている。しかし口コミから宇宙人と連絡を取る手段まで幅広く考えていると言われる。
コンピュータの不正確性[編集 ]
9+ 6= 10でしょう。
↑のように、正確に演算できることも稀にあるようである。
物理学 [編集 ]
数式により様々な現象を引き起こす。もっとも有名なのはこの世の終わりを自ら造りだすために研究された「この世を終わらせる方法」である。核爆弾を作り上げた学問でもある。戦争では特に重視される。 とりわけ一言で言い表すのならば「実におもしろい」ということなのであろう。ときどき、「数学なんか、物理学にとっては、ただの道具だ」と言う物理屋と「物理なんか、数学が無ければ身動きすらできねーじゃないか」という数学屋が衝突したりするが、両者とも自然科学の嫌われ者であるという自覚が無い場合が多い。
酒造[編集 ]
数学を駆使しておいしい日本酒を作ろうという論文を出す学者たちもいる。どれぐらいおいしくなるかはお察し下さい。
囲碁[編集 ]
囲碁界には「数学で囲碁を解き明かす」「囲碁を数学に取り入れる」などという無謀な挑戦が存在する。なお数学に疎い日本棋院と関西棋院はこれらの研究を関知していない。多分こんなことをしても名人戦では勝てないだろう。
数学の限界[編集 ]
他の自然科学とは異なり数学のみが完全な学問であるという主張があるが、誤りである可能性が高い。数学の公理や新定理が正しいかどうかを確かめるのは知識が有限の人間に他ならず、証明文の論理の飛躍を見落としていないという確証が得られない以上、数学もまた、根本から崩れていく可能性がある。
例として我々が証明した1=2が挙げられよう。つまり、世界中の全員が計算ミスをしている可能性が0ではないため、1+1=2という等式さえ、正しいかどうかも分からないのだ。
対偶は数学の思想であるが、これについて矛盾が発見された。数学小辞典 第2版増補内の記述による。条件文P→Qについて、¬Q→¬Pをその対偶という。条件文P→Qが真であれば、その対偶も真である。これを対偶法という。しかしこの思想によると、以下が成り立ってしまう。
「馬は鹿でない。このとき、これ以前に文が存在する」 対偶の思想により、以下も真である。 「これ以前に文が存在しない。このとき、馬は鹿である」
関連項目[編集 ]
- 算数
- 神
- なぞなぞ
- 自然数
- 小数
- 素数
- 分数
- モジュロ
- 無理数
- 指数
- 1=2
- 円周率
- フェルマーの最終定理
- ギリシア三大作図問題
- 156
- 極限値の乗算
- ラプラス変換
- 数学者
- フィールズ賞
- ノーベル数学賞
- アレレー・バー
- フェレンゲルシュターデン現象
- 行列式
- ベクトル
- Baldi's basics