山本権兵衛

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22代首相就任時ノ地震ハ複雑怪奇
山本権兵衛 について、平沼騏一郎
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山本権兵衛(やまもとごんべえ、ごんのひょうえ 1852年11月26日―1933年12月8日)とは、世界一、名の知られている名無しの権兵衛である。名前の読み方が2通りあって、本人も同時に両方使っていたので、頭の固い事典でも読み方で論争が起きた。元来は「ごんべえ」だが、後述のように「名無しの権兵衛」だの「権兵衛さんの赤ちゃん風邪ひいた」だの言われ続けて忸怩たる思いがあったのか、宮中ではかっこつけて「ごんのひょうえ」と呼ばせていた。内閣総理大臣としても知られる。また、一部では「改造人間 ナマゴン」(ナマズの怪人)と呼ばれる。

山本権兵衛

経歴[編集 ]

海軍時代[編集 ]

1852年に薩摩藩で生まれる。両親が名前をなかなか決められずに8歳となり、やっと「権兵衛」と言う名前がつけられた。しかし、寺子屋の仲間からは「名無しの権兵衛」と言われ、その「名無しの権兵衛」が後の世でよくつかわれることとなる。15、6歳で戊辰戦争に参加(今それをすると国連からバッシングされる)。

その後は(削除) NEET (削除ここまで)浪人していたが勝海舟に薦められ海軍にはいる。その後、自身の出身地、薩摩藩の武士らが西南戦争を起こしたことを船の上で知ってその船(ハワイ周辺を就航中の)で薩摩まで戻ろうとしたが方向音痴のお陰で南極まで行ってしまいさらに寒さで風邪を引いてしまう。この事が歌になり、

権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた、権兵衛さんの赤ちゃんが風邪ひいた


という内容のものである。なお、赤ちゃんと言うのは「権兵衛=アカン野郎=アカンちゃん=赤ちゃん」という意味である。

そして海軍大臣という大仕事を日露戦争終了まで8年間務めた。さっそくお友達の東郷平八郎を連合艦隊司令長官にして怒られるが「海軍に関しては俺が仕切るんじゃぁ、文句あるか」と逆切れ。結局その人事は成功したがこれでダメだったら総理大臣就任もなかったろう。海軍大臣時代最大の功績といえば海軍士官のリストラと、海軍カレーを作ったことである。特に海軍カレーの方は、元々料理好きの権兵衛が趣味の料理を戦艦の調理場で部下に「何も大臣がしなくても・・・(ヘタクソなんだろうからするな)」と言われつつ制作した料理。このほか、肉じゃがマグロの煮つけ、挙句の果てには戦艦でトロール漁をして捕まえた魚を塩焼きにして食べるなどの行為で部下からは「クッキング大臣」と言われる。辞任の理由はカレーの中にある物を入れたからである。

総理就任[編集 ]

これらの功績で内閣総理大臣に就任した。本人は軍人出身ながら、あえて軍部大臣現役武官制を廃止して、軍部の政治的発言力の増大を防ぐというマゾっぷりをみせた。ところが、自分が作ったシーフードカレーで食中毒になった人がいたため(これを俗にシーフードカレー中毒事件と言う)辞任した。任期は最近の総理よりはましな1年2カ月。

なんやかんやで2度目の総理を・・・と思ったところ加藤友三郎首相が死に、大正天皇の代わりのメガネの皇太子に「総理大臣をやらないか」と誘われついていってしまう。さぁ組閣しよう・・・と思ったところ今度は東京が揺れだした跡形もなくなり本格的な組閣はできなかった。これがナマゴンと言われる要因である。なお都市伝説として、

もうすぐお昼ですが権兵衛さんはまだ出てきません。ノックして入ったらまた頭を抱えていました。すると私を見て「なんだ、見物客は帰れ、帰れ!」と言って、机を叩きました。するとそこいらの本棚は倒れ、周りの建物からはガタガタという音とともに倒れていくではありませんか。もしやと思い後日調べてみたらちょうどココが震源地だったのです。―――秘書

その後、メガネの皇太子が国会議員の息子に狙撃されただけで辞任するというさじ投げっぷりを見せつけた。

人物像[編集 ]

とにかく癇癪持ちで、関東大震災で一旦は活動を終息したと思いきや、1995年、復活し阪神淡路大震災、新潟中越地震などを起こした。

名無しの権兵衛との関係[編集 ]

山本権兵衛には名前がある。名無しの権兵衛にも権兵衛と言う名前がある。名前があるのに名無しである。これは大きな矛盾と言える。なお何故、名無しの権兵衛と言うのかというと戊辰戦争で活躍した際に「権兵衛、権兵衛」と言われていたが名字が分らなかったので「しろまるしろまる権兵衛」と書かれた表記が出回りそのうちに名無しの権兵衛と言われるようになった。つまり、山本権兵衛=名無しの権兵衛である。

関連項目[編集 ]

帝国時代  1 伊藤博文 | 2 黒田清隆 | 3 山縣有朋 | 4 松方正義 | 5 伊藤博文 | 6 松方正義 | 7 伊藤博文 | 8 大隈重信 | 9 山縣有朋 | 10 伊藤博文 | 11 桂太郎 | 12 西園寺公望 | 13 桂太郎 | 14 西園寺公望 | 15 桂太郎 | 16 山本権兵衛 | 17 大隈重信 | 18 寺内正毅 | 19 原敬 | 20 高橋是清 | 21 加藤友三郎 | 22 山本権兵衛 | 23 清浦奎吾 | 24 加藤高明 | 25 若槻禮次郎 | 26 田中義一 | 27 濱口雄幸 | 28 若槻禮次郎 | 29 犬養毅 | 30 齋藤實 | 31 岡田啓介 | 32 廣田弘毅 | 33 林銑十郎 | 34 近衛文麿 | 35 平沼騏一郎 | 36 阿部信行 | 37 米内光政 | 38-39 近衛文麿 | 40 東條英機 | 41 小磯國昭 | 42 鈴木貫太郎
 GHQ‎統治下時代  43 東久邇宮稔彦王 | 44 幣原喜重郎 | 45 吉田茂 | 46 片山哲 | 47 芦田均 | 48-51 吉田茂
日米安保時代  52-54 鳩山一郎 | 55 石橋湛山 | 56-57 岸信介 | 58-60 池田勇人 | 61-63 佐藤榮作 | 64-65 田中角栄 | 66 三木武夫 | 67 福田赳夫 | 68-69 大平正芳 | 70 鈴木善幸 | 71-73 中曽根康弘 | 74 竹下登 | 75 宇野宗佑 | 76-77 海部俊樹 | 78 宮澤喜一 | 79 細川護熙 | 80 羽田孜 | 81 村山富市 | 82-83 橋本龍太郎 | 84 小渕恵三 | 85-86 森喜朗 | 87-89 小泉純一郎 | 90 安倍晋三 | 91 福田康夫 | 92 麻生太郎 | 93 鳩山由紀夫 | 94 菅直人 | 95 野田佳彦 | 96-98 安倍晋三 | 99 菅義偉|100-101 岸田文雄|102-当代 石破茂
臨時代理  三条実美 | 内田康哉 | 後藤文夫 | 伊東正義 | 青木幹雄|松野博一
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