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奈良公園の南端、浮見堂と鷺池の南側に位置し、明治から大正にかけてこの場所を所有した大阪の財閥「山口家」が作庭した庭園があります。名勝奈良公園の指定を受けた絶景のなか、志賀直哉など、日本を代表する文化人も訪れた庭園をゆっくりとお楽しみいただけます。
ターミナル機能、ガイダンス機能、おもてなし機能を備えた施設として、平成31年4月13日に供用を開始しました。屋上からは、春日山原始林から東大寺・興福寺までを一望でき、奈良公園でも有数のビューポイントとなっています。
荒池は、水に乏しい奈良公園に明治時代に築造されました。緑が広がる芝生広場と柳が揺れる池畔のベンチは憩いの場となっています。
奈良春日野国際フォーラム 甍〜I・RA・KA〜の東側、若草山麓方向に登っていく間にある緑地です。 奈良公園では県花であるナラノヤエザクラを増やして園内に植えています。
奈良公園を訪れて最初に目に飛び込んでくる景色、それが芝生に覆われた三つ重ねの山、若草山です。
最盛期には寺の建物の数が175もあった大寺です。有名な五重塔を始め、東金堂、阿修羅像などを安置する国宝館があり、薪御能や節分の鬼追いなど古来の日本文化を伝える行事も多く残ります。
県庁屋上広場からは、奈良盆地の景観が一望のもとに眺められます。特に東側と南側に広がる奈良公園の東大寺大仏殿、若草山、興福寺五重塔を間近に眺めることができます。
訪れる人達が芝生と樹木の自然にとけこむ第一歩、奈良公園の玄関口です。明治に官有地となった興福寺旧境内地を公園地としたことから、奈良公園の歴史は始まりました。
興福寺五重塔と池の柳が水面に映える猿沢池の景観は、奈良公園の代表的な名勝地です。市街地に最も近く、市民の憩いの場でもあります。
奈良公園の中心部にあります。大仏殿交差点と奈良春日野国際フォーラム甍の間をゆったりと歩ける園路があります。イベントにも利用されます。
春日参道の南側丘陵地一帯で地形の変化に富んだ、静かなたたずまいの景勝地です。片岡梅林、鷺池の水面に映える浮見堂があります
シルクロードの終着駅といわれ、古文書をはじめ、服飾品、調度品、楽器など、8千点を越える宝物を収蔵しています。毎年秋にその一部が正倉院展として奈良国立博物館で公開されます。
天平文化の象徴といってもよい寺で、世界最大の木造建築である大仏殿や、見事な彫像群が並ぶ法華堂、伝統行事の「お水取り」の舞台である二月堂など、じっくり見て回ると、一日かけても足りないほどです。
奈良時代の創建当初の東大寺には大仏殿をはさんで高さ100メートルもの東西塔が並び立っていたそうです。中世以降、2度の兵火で焼失し、現在は基壇の跡だけが残っています。
奈良公園の中で最も広い多目的広場です。東に若草山、北西に東大寺大仏殿、西に東大寺南大門を望むぜいたくな空間です。イベントにも利用されます。
春日山原始林は、1100年以上前に狩猟と伐採が禁止されて以来、春日大社の聖域として守られてきました。国の特別天然記念物に指定されています。
校倉造りを模した昭和の西新館と、それに明治27年(1894年)に建てられた旧帝国博物館時代の本館、およびその付属棟の4つの展示館からなります。
「興福寺古絵図」によると江戸時代までは同寺の子院の摩尼珠院(まにしゅいん)があったところとされています。明治に民間の所有となり大正8年(1919年)に現在の建物と庭園が作られました。
江戸時代に造られた前園と明治時代に造られた後園。その2つの庭を水の流れでつないでいます。特に後園は、東大寺南大門と若草山・春日山・御蓋山を取り入れた借景庭園です。
県庁東交差点から北を向いて国道369号沿いにある細長い緑地です。名前の由来は、春日大社一の鳥居が見渡せたことから、「見鳥居」池とも。南都八景に数えられる轟橋と雲井坂があります。
一の鳥居を抜けて長い参道を行くと、鮮やかな朱塗りの社殿が、緑濃い杉木立の中に浮かぶように姿を見せます。社殿と回廊には釣燈籠が、参道両側には石燈籠が並び、すべての燈籠に火が入る万燈籠の日(2月・8月)は幽玄そのものです。
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