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阪神ドラ1・伊原が長寿左腕の誓い 地元のパワースポット橿原神宮初詣 健康・延寿の御利益あるぞ

[ 2025年1月4日 05:15 ]

キャッチボールする阪神ドラフト1位の伊原(撮影・須田 麻祐子)
Photo By スポニチ

阪神のドラフト1位・伊原陵人投手(24=NTT西日本)が、3日、奈良県香芝市の母校・大商大グラウンドで自主トレを公開した。1日未明には地元の奈良・橿原神宮へ初詣。神武天皇を祭り、健康・延寿に御利益があるとされるパワースポットで、長寿左腕となることを誓った。おみくじは末吉だったが、同所で再挑戦する構え。大商大仕込みの"負けられません勝つまでは"の精神で、大吉を引き当てる。

神の御利益を受けて、プロの世界へと飛び込む。伊原が年越しの瞬間を迎えたのは、出身地である奈良県橿原市の橿原神宮。新たな門出を前に、そっと祈りを込めた。「健康で、まずはしっかり1年間やれるように」。ルーキーイヤーを無事に駆け抜け、その先の輝かしい野球人生へとつなげる。

「一年一年勝負して、自分が満足いくプレーができなくなるまで現役選手でやりたい」

智弁学園(奈良)の2年時から毎年、カウントダウンを迎えている橿原神宮は正真正銘のパワースポットだ。祭られている神武天皇は127歳の長寿を全うしたとされ、健康・延寿の御利益が特に大きいとされる。「全然知らなかったです」と目を丸くしたが、20年後も現役バリバリでいることを目標に掲げる左腕にとっては願ったりかなったり。神武天皇からのご加護を授かりながら"長寿投手"としての道を歩む。

「そこまで先のことは考えていないけど、一年一年やったその積み重ねが、10年とか。その先につながればいいなと思っています」

第一線に立ち続けるためには、故障の防止が何よりも大切となる。「いい選手でもケガでダメになることが多い」。昨年11月に社会人野球の日本選手権を終えてからも、NTT西日本の施設にある陸上トラックでひたすら走り込んだ。走ることの重要性を学んだのは、恩師である大商大の富山陽一監督(60)から。「"ピッチャーは走るのが仕事"と教わってきた。そこは大事にしたいです」とうなずいた。

橿原神宮では、おみくじも引いた。結果は末吉だったが、話には続きがある。

「中途半端で終わらないように、大吉が出るまで引く。一発では当たらなくても、自分でつかみ取るという意味です」

再挑戦する意向を示したのも、大商大時代の教えがあるからだ。モットーは「負けられません勝つまでは」。プロで使用するグラブにも刺しゅうするほど、思い入れのある言葉となっている。おみくじも、野球も同じ。徹底して勝利を追求することで、進むべき道を切り開いてきた。1年目から開幕1軍をつかみとり、"大吉"な一年にする。(松本 航亮)

【憧れの先輩ヤクルト・大西と練習】
しろまる...大商大の3学年先輩にあたるヤクルト・大西も母校のグラウンドを訪れ、伊原とキャッチボールを行った。伊原にとって、絶対的なエースだった大西は憧れの存在。伊原は「よく面倒を見てもらって、大西さんのようになりたいと思ってきた。相手をしてもらえてありがたい。これからもその姿から見習えたらなと思う」と充実感をにじませた。

▽プロ野球の長寿投手 プロ在籍年数では山本昌の32年が野手を含めて最長。日大藤沢から83年のドラフト5位で中日入団。50歳シーズンの15年に引退している。14年9月5日阪神戦の49歳0カ月勝利はプロ野球最年長記録。1軍戦に登板した投手実働年数では山本昌と工藤公康の29年が最長。工藤も高卒入団で西武、ダイエー、巨人、横浜を経て西武に戻った10年、47歳シーズンで10試合に登板した。

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