東日本大震災に伴うフロン等の大量排出
(筑波研究学園都市記者会、環境省記者クラブ同時配付)
国立研究開発法人国立環境研究所
環境計測研究センター
主任研究員:斉藤 拓也
フェロー:横内 陽子
地球環境研究センター
センター長:向井 人史
高度技能専門員:曾 継業
その結果、ハロカーボン類の排出量は東日本大震災の発生後に大幅に増加し、震災に伴う排出量は研究対象とした6種のハロカーボン類全体で6.6キロトンと推定されました。これは、オゾン層破壊物質としてフロンCFC-11に換算すると1.3キロトン、温室効果気体である二酸化炭素に換算すると19.2メガトンにそれぞれ相当します。この大量の排出は、エアコンの冷媒や断熱材の発泡剤などとして製品中に含まれていたハロカーボン類が、建物の倒壊などによって大気へ漏出したことによると考えられます。本研究により、地震や津波などの自然災害が、ハロカーボン類の大量排出を引き起こしうることが初めて示されました。
本研究をまとめた論文は、2015年3月12日付けで、米国地球物理学連合発行の学術誌「Geophysical Research Letters」の先行オンライン版に掲載されました。
1.背景
フロン等に代表されるハロカーボン類は、エアコンや冷蔵庫の冷媒、あるいは断熱材の発泡剤などとして、私たちの身の回りで広く使用されてきました。このうち、クロロフルオロカーボン(CFC)類とハイドロクロロフルオロカーボン(HCFC)類は、成層圏オゾン破壊物質としてモントリオール議定書によってその生産や消費が規制されています。国内では、オゾン層保護法によってCFC類の生産が1996年に禁止され、HCFC類の生産も段階的に削減されていますが、これらが残存する製品もまだ多く使用されています。近年は、これらの代替物質としてのハイドロフルオロカーボン(HFC)類の使用が急速に増えています。しかし、HFC類にはオゾン層を破壊する効果はないものの、単位重量あたりで二酸化炭素の数百倍から数千倍以上という高い温室効果を持つため、その他の温室効果気体(六フッ化硫黄(SF6)等)と共に京都議定書によってその排出が規制されています。なお、CFC類とHCFC類も強力な温室効果気体ですが、既にオゾン層破壊物質として規制されているため、京都議定書では規制対象とされていません。
2011年3月11日に発生した東日本大震災と津波は、東北地方を中心に甚大な被害をもたらしました。震災では多くの建物が倒壊したため、建物の製品中に含まれていたハロカーボン類が大気へ漏出した可能性があります。しかし、これまで震災がハロカーボン類の排出量へ与えた影響については明らかにされてきませんでした。
本研究では、ハロカーボン類の大気観測を実施している国内3地点のデータを大気輸送モデル等と組み合わせて解析し、日本国内からのハロカーボン類の排出が震災前後でどのように変化したのかを明らかにしました。
2.ハロカーボン類の大気観測
ハロカーボン類の大気連続観測を実施している国内3地点(沖縄県波照間島、北海道落石岬、岩手県綾里)のデータを解析に用いました。このうち、国立環境研究所の波照間島および落石岬モニタリングステーションでは、CFC類、HCFC類、HFC類、SF6を含むハロカーボン類の観測を実施しています。綾里では、気象庁によってCFC類を含むオゾン破壊物質の観測が行われています。本研究では、フロン類3種(CFC-11、HCFC-22、HCFC-141b)、代替フロン類2種(HFC-134a、HFC-32)、SF6の6種について解析を行いました(ただし、綾里ではCFC-11のみ)。
3.結果と考察
大気観測データの解析から、ハロカーボン類の排出パターンが震災後に変化したことを示す以下のような結果が得られました:
1 落石岬におけるハロカーボン濃度比の変化
落石岬では東日本の上空を通過した空気塊においてハロカーボン濃度の増加が観測されてきました。 そこで、こうした東日本の汚染の影響を受けたと考えられる空気塊を対象に、ハロカーボン類の濃度増加パターンが震災前後でどのように変化したのかを2009年から2012年までのデータを用いて調べました。その結果、各ハロカーボン類のHFC-134aに対する濃度比は、震災が発生した2011年3月に最も高くなっていたことがわかりました。一般に、ある地域の汚染の影響を受けた空気塊では、ハロカーボン類の濃度が増加し、2成分の濃度増加の比はその地域の汚染パターン(排出量の比)を反映します。このことから、これらハロカーボン類のHFC-134aに対する相対的な排出量が、震災直後に増加したと考えられました。
2 綾里におけるフロンCFC-11の高濃度現象の観測
震災の発生前まで落石岬や綾里ではCFC-11の高濃度現象はほとんど見られませんでした。これは、これらの観測地点の近傍に大きな排出源がないためと考えられます。しかし、これら2地点、特に被災地に位置する綾里では、震災による中断を経て観測を再開した2011年5月から高濃度のCFC-11が頻繁に観測されるようになりました。そこで綾里で観測された濃度データと風向との関係を調べたところ、CFC-11の高濃度現象は綾里が西から南東の風を受けた時に観測されたことがわかりました。綾里から見てこれらの方角には、特に大きな被害を受けた太平洋沿岸の被災地が広がっていることから、大量のCFC-11が被災地などから大気へ排出されたと考えられます。
3 ハロカーボン類の排出量推定
ハロカーボン類の排出量が震災前後でどのように変化したのかを明らかにするため、大気観測データと大気輸送モデルを組み合わせて排出量を推定する手法(逆計算法)を用いて、国内排出量の推定をしました(図1)。その結果、震災後の1年間(2011#、2011年3月〜2012年2月)におけるハロカーボン類の排出量は、例年より21%から91%増加したことがわかりました(増加率は成分によって異なります)。2011#における排出量の増分は、研究対象とした6種全体で6.6キロトンでした。この量は、オゾン層破壊物質としてCFC-11換算で1.3キロトン、温室効果気体として二酸化炭素換算で19.2メガトンにそれぞれ相当します。
成分別では、HCFC-22が震災後の全排出量増分の約半分を占めていました。HCFC-22は主に冷媒として用いられることから、震災による被害を受けた冷蔵庫やエアコンから大気へ排出されたと考えられます。HCFC-22の排出量は2011#に38%増加しました。一方、CFC-11は既に全廃されているにも関わらず、その排出量には72%もの増加が見られました。これは、かつて発泡剤として使用され、その後長期間にわたって建物等の断熱材中に気泡として閉じ込められていたCFC-11が、建物の倒壊や震災廃棄物の処理過程における断熱材の破砕に伴って、大気へ排出されたものと考えられます。
4.主な成果と今後の課題
本研究は、ハロカーボン類の大気への排出量が、東日本大震災後に大幅に増加したことを明らかにしました。また、地震や津波などの自然災害が、ハロカーボン類の大量排出を引き起こしうることが初めて示されました。東日本大震災による排出量の増加は、全球レベルで見ると各ハロカーボン排出量の4%以下であり、大きくありません。しかし、ハロカーボン類を含む断熱材や冷蔵庫などは世界中で使用されており、自然災害は世界各地で発生しています。更に被災した機器の更新にハロカーボン類(あるいはその他の成分)が使用されることを考えると、自然災害に伴うハロカーボンの累積した排出量は小さくないと考えられます。
本研究では大気観測データに基づいて日本からの排出量を推定しました。一方、日本のハロカーボン類の排出量は、発生源に係る各種統計データ等(例:エアコンの台数、1台あたりのフロン等の平均漏出量)に基づいて推定され、排出量の目録(排出インベントリー (用語説明))として公式にまとめられています。しかしこうした排出インベントリーでは、震災後のハロカーボン類の排出量の増加が示されていませんでした。この原因として、排出インベントリーでは地震や津波による建物の倒壊に伴う排出を考慮されていないことが考えられます。大気観測に基づく排出量推定は、震災後などのように統計データに基づく推定が困難な場合には特に重要になると考えられます。今後は、大気観測やモデルに起因する排出量推定の不確実性を低減していくと共に、大気観測に基づく排出量推定結果を排出インベントリーの検証や補完に活用する仕組み作りを考えていく必要があります。
なお、本研究は、国立環境研究所の地球温暖化研究プログラムの一環として実施されました。また、環境省の地球保全等試験研究費の支援を受けました。
5.問い合わせ先
国立研究開発法人国立環境研究所 環境計測研究センター 主任研究員
斉藤 拓也(さいとう たくや)
電話:029-850-2859
e-mail: saito.takuya(末尾に@nies.go.jpをつけてください)
6.発表論文
Saito, T., X. Fang, A. Stohl, Y. Yokouchi, J. Zeng, Y. Fukuyama, and H. Mukai (2015), Extraordinary halocarbon emissions initiated by the 2011 Tohoku earthquake, Geophys. Res. Lett., 42, doi: 10.1002/2014gl062814.
7.用語説明
排出インベントリー
化学物質がどれだけ大気へ排出されているかを示す推定値の一覧表。排出インベントリーでは、まず排出源ごとの排出量が、排出係数(例:エアコン1台あたりのフロン等の平均漏出量)や統計データ(例:エアコンの台数)に基づいて見積もられ、次にそれらを積み上げることで全体の排出量が推定されます。化学物質の排出量が、排出源の区分、地域、年ごと等にまとめられており、排出量の管理などに利用されています。
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