笠井信輔アナ、がん闘病を綴る"セルフワイドショー"に込めた覚悟
笠井信輔アナウンサーの「がん治療選択」#06
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突然、告げられた進行がん。そこから、東大病院、がんセンターと渡り歩き、ほかにも多くの名医に話を聞きながら、自分に合った治療を探し求めていくがん治療ノンフィクション『ドキュメントがん治療選択』。本書の連動するこの連載では、独自の取材を重ねてがんを克服した著者の金田信一郎氏が、同じくがんを克服した各界のキーパーソンに取材。今回登場するのは、悪性リンパ腫から復活したアナウンサーの笠井信輔さん。笠井さんは自分の闘病の様子をブログなどで赤裸々に語ってきました。どんな狙いがあったのでしょうか。(聞き手は金田信一郎氏)
■しかく笠井アナの「がん治療選択」01回目▶「笠井信輔アナ、悪性リンパ腫から復活「昭和の価値観捨てて休む勇気を」
■しかく笠井アナの「がん治療選択」02回目▶「笠井信輔アナの"しくじり"告白!「がん罹患、なぜ備えておかなかったのか」」
■しかく笠井アナの「がん治療選択」03回目▶「笠井信輔アナ流、怪しいがん治療の見分け方「ネットで調べすぎてはダメ!」」
■しかく笠井アナの「がん治療選択」04回目▶「笠井信輔アナ「がん治療のセカンドオピニオン、医者に言うのが怖かった」」
■しかく笠井アナの「がん治療選択」05回目▶「悪性リンパ腫を克服した笠井信輔アナが病院選びで重視したあるデータ」
――笠井さんは、がんが発覚した後、かなり早い段階で公表していますね。
笠井信輔氏(以下、笠井) それはもう、私は30年間、情報番組で働いていて、有名人のプライバシーを公表することを仕事としていましたから。時には知り合いの有名人から、「直撃されたけれど、放送しないでほしい」と頼まれたこともありました。
それが、「自分のことはそっとしておいてほしい」というのは違うなと思ったんです。そこはやっぱり、自分が人にやってきたことを、自分にもやらなければならない。それで、公表することにしました。
――そうして公表してくれたお陰で、私は笠井さんが発信する情報を見て勇気づけられました。今や年100万人が新たにがんにかかる時代ではあるけれど、笠井さんほど丁寧に情報公開をしてくれた人はいませんでした。
笠井 がんになると、やっぱり死と向き合うことになりますよね。日本人の死因のトップががんですから。とてつもなく多くの人が興味を持っていて、情報が欲しいと思っているわけです。
私はフリーアナウンサーになって、ブログ(「笠井TIMES 人生プラマイゼロがちょうどいい」)やInstagram(アカウントは@shinsuke.kasai)を始めたんですが、最初は何やってもフォロワーは300人くらいしかいなかったんです。仕事もたくさんあったけれど、全然フォロワーが増えなくって。
ところが、がんになったことを公表して、入院時の情報を更新しはじめると、あっという間にフォロワーが30万人になったんです。私の人気ではないことは、それまでのフォロワー数と比べれば一目瞭然です。それくらい、がんというものにとてつもない注目が集まっている。
これだけ知りたい人がいるなら、それに答えるのがワイドショーです。そこから、私は「セルフワイドショー」をはじめたんです。自分のライフワークだったんだから、今こそ自分が媒体になるべきだと思ったんですね。
当初は私の母親も反対していました。「自分の病気のことを人さまに伝えるなんて、いいのかしら」と。妻も「前向きなことを書いてね」と。
だから私自身、「元気に頑張っています」と前向きな投稿をしようと思ったんです。実際に私のブログにコメントをくださる半分以上の人が、がんに罹っていたり、家族がんだったりするわけです。彼らが、いろんな励ましの言葉や経験談を教えてくれるわけです。そしてみなさん「支えにして頑張っています」と言ってくれる。
みなさん、とても率直に色々伝えてくれるのに、私だけが無理していい話ばかりしていたら申し訳ないなと思うようになったんです。やっぱり、ちゃんと伝えなきゃいけない。闘病の裏も表も。つらいなら「つらい」と書く。元気になったら「元気になりました」と。それをリアルに伝えないと、役に立つ情報にはならないなと思うようになったんですね。そこで、良くないことも、ありのままを伝えるようになりました。
だって、「一緒に頑張りましょう」と言ってくれているのに、私が元気な様子だけを伝えたら、「笠井のブログを見てると、抗がん剤ってラクなんだね」と勘違いされてしまいかねません。そういったミスリードはしたくないと思ったんです。
――私も、がん治療を始める前、水泳の池江璃花子さんが闘病生活を終えてテレビに出演して、「抗がん剤治療が苦しくて、スマホも触れなくなった」といった告白をしていました。彼女の姿を何度も見て、「世界トップの選手がこれだけつらいんだから、自分も大変なことになるだろうけど、心して臨もう」と思いました。だから、少々きつくても、あの池江さんの言葉を思い起こすと、「大したことはないな」と感じられたんです。
笠井 そうなんですよ。我々は入院してベッドで抗がん剤を受けていたわけですよね。でも、世の中には、通院で抗がん剤治療をしながら、副作用と戦っている人たちがいる。彼らはほかの人に明かさず、働いているケースもあるんです。子どもに気づかれないように、つらさや倦怠感に襲われながら、仕事や家事をやっている。本当に大変だと思います。
私自身は、抗がん剤を受けていた4ヵ月間、1回も吐きませんでした。制吐剤が効いて、ひどい吐き気はなかったんです。これは5年前に抗がん剤治療を受けた先輩に話を聞いたら「信じられない」ということでした。
――薬の開発そのものも日進月歩で進んでいますよね。
笠井 そういう意味ではやはり、がんは遅く罹患する方がいいんです。薬も治療も、日進月歩で進化していて、半年前にはなかったような治療法がどんどん使えるようになっていきますから。
――分かります。仮に数年後に再発したとしても、その時にはかなりいい薬と治療法があるんじゃないかと期待できますよね。
笠井 本当にそうなんです。再発を怖がって生きるのもナンセンスです。私のがんの場合、再発率は大体4割ぐらいと言われています。ただそれって、今はがんに罹っていない人が、がんになる確率(約5割)よりも低いとも言えるんです。そう考えると、普段からビクビクしながら暮らすことはないと思っています。しかも2ヵ月に1回は検査もしている。むしろこまめに身体の様子を見ているから、細かな変化があった時にもすぐにキャッチできる。
――ものは考えようですよね。
(2021年8月2日公開記事に続く)
どうしたら、自分に合った
「がん治療」にめぐり合えるのか――。
突然、告げられた進行がん。
最初に入院した東大病院からは、抗がん剤1クールを終えて逃亡。
ようやく見つけた"神の手"を持つ外科医のいる転院先では、土壇場になって手術を回避。
抗がん剤治療の最中、執念で多くの名医に話を聞きながら、自分に合った治療を探し求めていく。
「切らずに治す方法はないのか」。
自分にぴったり合う治療法を探し求めて、奮闘した記録をすべて残した『ドキュメントがん治療選択』。
もがき、苦しみ、身体にメスを入れる直前、自分に合う治療法を探し当てた。だから、生き延びた――。
多くのがん患者や家族が悩む「治療選択」。それを考え抜く一つの道筋を描いたノンフィクション。
【ポイント1】
突然のがん告知で焦るすべての人に向けた、自分に合う治療法の選び方が分かる
【ポイント2】
セカンドオピニオン、転院するときのリアルなやり取りが分かる
【ポイント3】
手術、放射線、抗がん剤で迷ったときのヒントが分かる
【ポイント4】
本書を読み終えたら、きっと自分で治療法を選びたくなる
がんと告知されたら、まず読もう
【目次】
■しかくまえがき
「東大病院をやめることにした」。その一言に、周囲は驚愕した。ステージ3のがんを抱えて、コロナ禍の中を「最適な医療」を求める旅がスタートする。
■しかく第一章 罹患
突然の嘔吐、そして地元のクリニックで胃カメラを入れると、そこには火山のように突起したガンがあった。「すぐに東大病院に行くように」。いきなり、最高の医療が提供されたかに思ったが......。
■しかく第二章 東大病院918号室
豪華な病棟のベッドに横たわっていた。強烈な抗がん剤が5日間連続で投与される。だが、病状も治療も納得できる説明がない。
■しかく第三章 逃亡
「何かがおかしい」。決裂覚悟で、セカンドオピニオンの紹介状を手に、東大病院を去る。
■しかく第四章 がんセンター5A病棟
資料を読みあさり、専門家を訪ね、「神の手」の名医に辿り着いた。だが、ふと疑問が沸いてくる。「手術でいいのか?」
■しかく第五章 疑念
「壮絶ですよ」。同じ食道がんの手術をした先輩から、生々しい話を聞かされる。なんとか、臓器を失わない方法はないのだろうか。
■しかく第六章 大転換
偶然知った放射線の名医から「できる」と言われて、メスが入る直前に、「放射線に転換する」と宣言する。
■しかく第七章 再々検査
前例の少ない抗がん剤5クールと放射線28回。副作用で免疫が急降下して、ドクターストップがかかる寸前に追い込まれる。そして、ついに最後の治療がスタートすることが決まる。
■しかく第八章 最後の夜
5回目となる入院で、がん告知から7ヵ月目にしてすべての治療を終えた。最後の点滴を終えて針が抜けると、夜が明けて、がんセンターの病棟に日が昇ってくる。
■しかくあとがき
同じ時期にガンの闘病をした友人が、病院が示す治療を拒否して半年で命を落とした。今も、年に100万人を数える新規がん患者たち。その人々が、納得できる「医療選択」ができる時代を考える。
「え、切るしかないの!?」 突然の進行性がんを告知され、提示された治療法は「切る」の一択。ここで取材歴30余年のジャーナリストが覚醒した! 「切らずに治す方法はないのか」。自分にぴったり合う治療法を探し求めて、奮闘した記録をすべて残したノンフィクション『ドキュメントがん治療選択』。 東大病院から逃亡し、ようやく見つけた転院先では土壇場になって手術を回避。だから、生き延びた。