-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
算盤を見直す動きが出始めている。国内市場では算数教育の軸とした能力育成が進められ、そして先進国、新興国を問わずに「SOROBAN」として基礎能力の有力なツールとして注目されている。石倉洋子・一橋大学名誉教授が、さまざまな分野で活躍する次世代リーダーたちとグローバル時代の事業や人材のあり方を探る対談シリーズ6回目は、算盤のトップブランド、トモエ算盤の藤本トモエ社長に「SOROBAN」の現在とこれからについて聞いた。
日本算盤の歴史的なイノベーション
(今回は、トモエ算盤本社にある「そろばん博物館」の見学から始まりました)
トモエ算盤 代表取締役社長
1954年生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、国際基督教大学で英語科教員免許を取得。高等学校の教師、英会話学校の講師などを経て1985年にトモエ算盤社長に就任。2004年に全米数学者会議で算盤のワークショップを開くなど、海外での算盤普及活動を積極的に展開している。
石倉 そもそも算盤は、いつ頃発明されたものですか。
藤本 起源はメソポタミア文明まで遡ります。当時は数を指で数えていましたが、当然、指だけでは足りないので石に置き換えます。石を使う方法を経て、ローマ型算盤と呼ばれる銅板に溝を掘り、その溝を珠が動くという算盤の原型が誕生したといわれています。
石倉 現在の五珠が1個、一珠が4個というスタイルはいつ頃からですか。
藤本 現在の算盤は、実は日本が起こしたイノベーションで、これがいまでは世界標準になりました。
石倉 日本のオリジナルなんですか。
藤本 いまある算盤の原型は中国算盤で、中国から日本に算盤が伝わったのは室町時代の後半、16世紀の終わり頃だと考えられています。当時の中国算盤は、五珠が2個、一珠が5個でした。当時の中国では、16両で一斤という単位でした。ですから上の5珠が2つと下の1珠が5つで15となり、その後に桁が1つ上がります(図1参照)。
その後、日本では速く計算するために五珠を1個にし、さらに昭和13年に、文部省の算数の教科書を作っていた塩野直道という人が、10進法でもっと速く計算できるようにと下の一珠を1個減らして4個にしました。こうして10の表現方法が1つになりました。これが重要で、この構造のおかげで暗算ができるようになったのです(図2参照)。
石倉 1つ桁が上がって珠があり、下の桁にも9までの珠が並ぶ。つまり目で見てパッとわかる視覚効果があるからこそ、頭の中に算盤が浮かび、計算できるのですね。
藤本 日本のイノベーションはもう1つあります。珠の形です。中国原型の算盤は、珠がいずれもまん丸ですが、日本の算盤は珠が円盤形宇宙船のように鋭角になっています。これは江戸時代の人たちが、速く計算する際、指をかけやすいように工夫したものなのです。
一橋大学 名誉教授
石倉 実際に使う人のすばらしい知恵ですね。江戸時代に算数の問題を解くという算額、和算がブームになったからこうした知恵が生まれたことなのでしょうか。
藤本 算盤で和算を解くのが江戸人の趣味だったといわれます。明治になって問題を解くことより、計算することに重点を置く洋算が導入され、速く計算することが算盤の使命になりました。 速さを競う「物」としてはどんどん研ぎ澄まされていくのですが、逆に、問題を解く面白さが置き去られてしまいました。電卓やコンピューターが出現すると、そのほうが計算はずっと速いので、「もはや算盤なんて」となったのです。
石倉 あ、この写真、算盤がガラスの中に納められてハンマーがついていますね。「IN CASE OF EMERGENCY BREAK GLASS」と書いてありますけど(!?)。
藤本 アメリカのIBMワトソン研究所にある算盤(ABACUS)とそれを説明するメッセージの写真です。コンピューターの聖地のようなところで、「何もかもがダメになったら、これを使いなさい。つまり算盤は何もなくなった時の非常用手段である」という説明がついていたのです。コンピューターの原点は算盤だったということがユーモアを交えて紹介されていますね(笑)。うちも算盤普及のホームページを起ち上げる際に、知っている英語の言葉のほうががよいかと思って、英語版のために「Abacus(算盤)」というドメインを申請しました。しかし、IT系の人たちは、算盤がコンピューターの始まりだと考えていたらしく、すでにシリコンバレーの会社でこのドメインは使われていました。
石倉 産業としての算盤づくりは、現在はどんな状況なのですか。
藤本 日本には「播州算盤」(兵庫県小野市)と「雲州算盤」(島根県奥出雲町)という二大産地があります。最盛期の昭和30年代半ばには、両産地で年間500万丁弱を生産していましたが、現在は10分の1ぐらいでしょうか。日本珠算教育連盟の珠算検定の受験者数も、電卓の普及で算盤の利用者が減り、1980年度の240万人をピークにして2004年度には18万人にまで減りました。しかし、その後、受験者数が増え始め、2011年度には22万になっています。
石倉 算盤を学ぶ人が増えているのですね。それでは、なぜ算盤を習う人が増えているのか、算盤の復権を考えるとしたら何ができるか、を中心に、今日はお話を伺いましょう。
-
Xでシェア
-
Facebookでシェア
-
LINEでシェア
-
LinkedInでシェア
-
記事をクリップ
-
記事を印刷
COGITANSアクセスランキング
- 24時間
- 1週間