人類の知る世界がそのありようを変えてから、およそ一世紀が過ぎようとしていた。
あの日を境に、超常は日常となり、世界にEVEが満ちた。
そうして現れた隣人たちと、人々はいがみ合い、時には友になり、また愛し合った。
やがて「ヒトたるもの」は揃って未来を見据えるようになった。
二十一世紀が終わりに近づいてきた頃。
加速する技術についてゆけなかった「国家」による秩序は崩壊し、企業による統治の時代が始まった。
ここは新大連自由市。
欲望とカオスが渦巻く極彩色のメガロシティ。
メガコーポによる資本主義的無政府状態が罷り通る末法の世。
政治に参加したくば、株券を買って株主総会に出る他ない。
この都市の光のすぐ横に、濃い闇が横たわっている。
その闇を走る者たちは、叛客PUNKと呼ばれている。
人々は、正道と邪道のはざまで生きるしかない。
ブルーグレーの空が、白銀の大地を覆っている。すべての音を吸い込むような雪が静かに降り積もる中、雪原に横たわる「彼女」は覚醒した。「彼女」はここが現実ではないことを知っている。「彼女」の体は雪に沈まず、また降る雪も「彼女」の体に触れることはないからだ。彼女は雪面に立ち上がる。雪片が体を通りすぎる度に、ぞっとするような冷たさが背筋を走る。
彼方、白いヴェールに隠された灰色の建物。「彼女」はいつの間にか、その建物の正門前まで来ていた。掠れた表札からは、かろうじて「病院」の文字が読み取れる。彼女は、心の端に顔をのぞかせた怖気に顔を歪ませた。それに合わせて、地面も波打ってくる。灰色の病院は積み木のように組み替えられ、彼女を覆う。
再び視界が開く。どうやら、そこは分娩室のようだった。血まみれのベッドの周りにいくつものディスプレイがある。それらはすべて、白黒のノイズを映し出していた。ザザザ寄せては返す波の音のようなノイズ。
この部屋に祝福の気配はない。事故現場のような慌ただしさと、悲しい感情があるだけだ。「彼女」は場の気配を如実に感じ取り、目元をわずかに濡らした。ふと、ディスプレイの一つに自分が映っていることが気づく。彼女は画面の中の「彼女」と目が合った。二人は一つとなる。彼女はディスプレイの中から、血に塗れた分娩室を見つめる。
眼の前に、男がいる。彼だけは、この酸鼻極まる空間で希望を抱いていた。顔はよく見えないが、慈しみにあふれた表情をしている。彼女は、彼に向かって手を伸ばした。しかし、彼女の小さい手は、透明で冷たい仕切りに阻まれる。男は、彼女と手のひらを合わせた。何かの加護かのように、ほんの少しの温みが伝わる。しかし、真に触れられない悲しみが彼女を満たす。彼女は泣いた。生まれたての赤子のごとく。分娩室を満たす悲しい空気が、彼女のために震えた。
かつては中国と呼ばれた地の北東に位置する港町、新大連自由市Новый Дальний。中国、日本、ロシアの文化が入り交じるそのメガロシティは、日没とともに覚醒する。それぞれの国の伝統建築を踏襲したようなスタイルの高層ビルが渾然一体と立ち並び、その隙間にバラックが宵市を形成している。
ビルの隙間を縫うように、灰色のVTOL機が飛ぶ。その上に直立する影があった。まるで旧時代のテレビ画面からそのまま飛び出してきたかのような、全長二メートルをやや超える程度の"コンバットドレス"だ。世界オカルト連合のホワイト・スーツの思想的後継であるその機体は、目が覚めるような白色と赤色のカラーリングが施されている。額からはまっすぐ天を衝くブレード・アンテナが伸びており、顔面の中心にはモノアイがあしらわれている。武器の類はない。その両腕はよく磨かれているが、新品同然というわけではない。装甲には細かい傷がいくつもついており、使い込まれた印象だ。背中には推力偏向ノズル、さらに脛の半ばから下はブースターになっており、それの開口部を守るようにして足が存在している。GOC系のメガコーポであるマゼラン重工が開発した〈BDL-004 メスジャケット〉である。その右手首には菱形の結晶があしらわれている。"コンバットドレス"とその結晶はリンクしており、緊急時にはパイロットが携帯している結晶を起点に装甲を転送し、開封する機能も備えられている。
その胸部には、毛筆書体で「轟海」とプリントされていた。
[轟海ホンハイ、調子はどうか]
「良好です。マスター」
機内からの通信に、轟海は短く答える。機甲を小刻みに動かし、各部の動作を確かめる。視界、良好。うるさい有機EL広告がこれでもかというほどに見える。手足、良好。運動性に問題なし。体幹部、良好。柔軟性に問題なし。〈メスジャケット〉の操縦系には、従来のマッスルトレース機構ではなく、EVE回路を通じて中枢神経系と直接接続する方式が採用されている。この機能を十全に使いこなすには『素質』が必要だ。目を閉じる。それでもなお、周りの状況は手に取るようにわかる。人の意思がEVE場を振動させ、轟海の『素質』を持った脳がそれをキャッチするのだ。VTOLの中ではマスターの他に三人のクルーが操縦をしたり、機器と睨めっこしている。(今日もスーツの調子はいいな)(でもあいつ危ないぞ)などといった声をキャッチする。
轟海は目を開けた。HMDの向こう側から、煌びやかな新大連の風景が目に飛び込んでくる。本来は着用者のストレス軽減のために、カメラで写した現実にコンバットドレスのシステムが意図的に安っぽいCGを被せる。音なども外部の音声をキャッチしたものをそのまま流しているわけではなく、それを基に効果音を生成している。しかし、轟海にとってこういった機能は邪魔でしかなかった。だから、ディスプレイに写っているものも、聞こえてくる音も現実だ。そうだ。『現実』を見なければならない。
轟海は叛客の三大原則を脳内で復唱する。「躊躇わずに撃て」「背中に気をつけろ」「タイプ・ブラックには手を出すな」......叛客として、生き延びていくための教義コードだ。
[轟海、今日のルーティンを復習するぞ。行き先はアンダーソン・ロボティクス大連支社。目標は『死者蘇生』の論文だ]
「わかっています、マスター。私が作ったルーティンですから」
[お前の希望だものな]
轟海らは叛客PUNKの一党であった。すなわち、企業や個人の依頼を受けて後ろ暗いビジネスを行う者たちである。リスクは高い分、実入りはいい。この都市で「自由」を手に入れるには金がいる。しかし、轟海はわかっていた。真に自由なのは死した者だけであるということを。今、自分にその「自由」を得ることは許されない。それもわかっている。だから、轟海は思考を止めている。それゆえに、昔ほど自由に『素質』を活かすことができていない。
アンダーソン・ロボティクスの大連支社ビルへと近づく。壁全面がLED広告に覆われており、刺激的な映像とともに「最新鋭のサイバーアイ」「X線まで見える」などといった文言が踊る。轟海は足裏の電磁石を強めて体を屈めると、背中のブースターから青白い火を噴き出させる。
「轟海、行きます」
電磁石を切ると同時に、轟海はVTOLの機体を蹴るようにして飛び上がった。脚部のブースターも点火すると、その速度は瞬く間に音の壁に触れる。そうしてLED広告を突き破ると、轟海はアンダーソン・ロボティクスのオフィスへと飛び込んだ。いまは一七時ちょうど。退勤時刻の三〇分前である。どの時間に行っても、倒すべき人数は変わらない。昼シフトから夜シフトに移り変わるこの時間こそ、相手がもっとも疲弊している時間帯のはずだった。
疲れた顔の技術者たちが一斉に闖入者を見つめる。本来ならば、VTOLの接近を察知した時点でお抱えの叛客がオフィスで待機しているはずだった。今はそれがない。叛客の気配すらしない。何か妙だ。そう語りかける『素質』の声を圧しつつ、轟海は部屋の奥まったところで専用のデスクを構えている中年男性のところへと歩みを進める。胸の名札に「技術主任」の文字。
「『死者蘇生』の論文を渡せ」
「......今日で三人目だよ。ったく」
「三人目っ」
その瞬間、轟海の額のあたりで火花が弾けるような感覚があった。さては同類か。そう考える間もなく、体は動く。世界はスローモーションとなり、技術主任の声が間延びする。時間の重みを感じる。弾丸。それを追いかけるように、破裂音。轟海は技術主任の前に立ち塞がり、〈メスジャケット〉の装甲で弾丸を受ける。簡略化された装甲だが、ライフル弾を受ける程度なら問題ない。
オフィスの扉の向こうから、二つの人影が乱入した。片方は黒い戦闘服と覆面を被り、胸に尖射シャープシューターとゴシック体で書かれている男。腰にアサルトライフルをくくりつけている。彼はおそらく生身。もう片方は都市迷彩に塗装したコンバットドレス〈スワロウテイル〉を着た女だ。〈メスジャケット〉の派生元で、それに比べてやや厚い装甲が搭載されているモデルだ。
その頭部にティアラのような何らかのアタッチメントがポン付けされているように見える。右手首には轟海のものと同じような菱形結晶。その女の方がアサルトライフルを片手で構え、轟海に向けていた。〈スワロウテイル〉のモノアイが怪しげな緑色の光を放つ。
「気持ちはわかるがセイロ、やめないか。当たったらどうする。殺しはナシだ」
「つってもよォ、シャープシューターさん、あらァ同類だわ」
セイロ。シャープシューターの発音には、やや不自然な促音が混じっていた。素直に書き写すなら「セイァロッ」だろうか。シャープシューターはセイロの構えているアサルトライフルを少し抑えた。轟海が技術主任の方をチラッと確認すると、彼は全く動じていない様子で、「これで五人目だ」と声に出さずに唇を動かした。セイロの着ている〈スワロウテイル〉の頭部アタッチメントが怪しげに光る。あいつは「同類」と言った。同じ『素質』があるのか。
「目的はなんだ。DHTか? 雇い主は同じなのか?」
「DHTの実験論文データだ。雇い主については、言えるわけがないものでな」
技術主任の呑気な質問に、シャープシューターが答える。DHT理論ある日突然、arXivに投稿された理論の論文だ。曰く、死者蘇生を可能にするらしい。投稿者はアンダーソン・ロボティクスの技術者で、それに関する実験論文がどこかに存在するという噂がまことしやかに囁かれている。轟海はその噂を追ってここに来たのだ。それに比べると、シャープシューターとセイロはやや確信めいている気がする。
「暗号化されたバイナリのテキストならある。それなら渡しても良い」
「......いいのか?」
「量子暗号だ。解けるはずがないものだ」
技術主任が手元のデバイスを操作すると、〈メスジャケット〉のHMDに"DHT_Experiment"なるファイルを受信したとの通知が現れる。ウイルススキャンを待ち、そのファイルを開いて中身を確認する。確かに0と1の羅列だ。何が書いてあるかわからない。それは相手方も同様のようで、シャープシューターとセイロの落胆が伝わってくる。セイロは相変わらず轟海に銃口を向けたままだ。
「なァんだ。拍子抜けだなァ」
セイロの攻撃的な声を聞いて、轟海は自分が開けた大穴を背中に立つ。念のためマスターたちに退避するように言っておく。背後のVTOLが大連の空めがけて上昇していく。その瞬間、轟海は殺気を感じた。その源はセイロ。証明するかのように、彼女は〈スワロウテイル〉のブースターを吹かせて轟海めがけ突進してきた。
轟海は〈スワロウテイル〉の突起部を掴み、後ろに倒れ込む。さらに脚をセイロの腹に添えてブースターを点火する。大昔にテレビで見た、巴投げ。そうしてセイロは吹き飛ばされ、新大連の夜へと消えていく。合わせられたな。動きを読まれた。まるでモダン・ダンスでもやっているみたいな気分だ。そう考える轟海の脳に、一つの思惟が飛んでくる。この腑抜けめっ......。緑色のモノアイが闇夜に溶けていく。
轟海は体を起こして、シャープシューターの方を見やる。彼は脱力した様子で立っており、何かをするそぶりは見せていない。
「本当に残念だが、やり合うつもりはない。だが」
彼は余裕のある足取りでオフィスの出口へと向かっていく。出入り口に差し掛かったところで、シャープシューターは振り返り、「また会おう!」と言った。その直後、彼は空気に溶けるようにして消えた。まるで、元からそこにいなかったかのように。さては"共鳴者"か。電網洞天福地サイバースペースにある神仙の残響に共鳴した者。例外なくサイバネを導入することができず、突出した身体能力を持つ。ある種の超能力を持つ場合もある。全く、勘弁してほしいものだ。
轟海は身を翻し、全身のブースターを吹かせる。そうやって寒空に上がり、一人になるのが好きだった。遥か遠くではロケットが打ち上げられている。つい最近始まった宇宙移民のためのものだ。小型だから、地球の近くのラグランジュ点へと向かうものだろう。轟海はそれを追いかけるように、上へ、上へと向かった。
[轟海、推進剤の残量も気にしろよ]
マスターからの通信。重力の手からは、逃れられない。
黄色がかった夕焼けが窓を撫でる中、下着姿のメイウーは目を覚ました。慎ましやかな乳房を包む黒のナイトブラ、パンツには「❤️,☠️&🤖ラブ、デス&ロボット」の文字。彼女の部屋は、ベッドと椅子と机だけの簡素なものだった。むしろ、それで十分と言った方が良いのかもしれない。メイウーは立ち上がって、ベッドを整える。彼女の体にインプラントしているサイバーアイが起動し、「アンダーソン・ロボティクス」のロゴとともに、周りの景色がCGに塗り替えられる。それは真に迫ったものであった。
またあの夢だ。雪の中、不気味な病院での悪夢。でも、最後の瞬間だけは甘い味がする。熱くて苦い茶を飲み干したあとの、喉の奥に残る甘さのような、決してただ甘いだけの砂糖菓子ではなく、苦みと熱さという代価を払っての甘さだ。ベッドサイドテーブルに置いてある茶杯から水を少し飲む。体を通り抜けるなんてことはないから、ここは現実。
夕日が高層ビルの向こうに沈む。都市が覚醒する。有機EL広告が点灯し、空には広告ドローンが浮かぶ。メイウーは遠方に目を凝らした。「威士忌ウイスキー、有香味」などといった文言が踊る。ふと、広告の一つが不意に消える。メイウーはサイバーアイの望遠を最大にした。遠くで打ち上げられるロケットを追いかけるようにして、一筋の光が不安げに走る。
サイバーアイ。そう、サイバーアイである。年端も行かぬ少年少女がさらなる「機能」を求めて、体を機械や生体パーツで置換することは、ここ新大連では当たり前のことであった。メイウーがこうなのは、アンダーソン・ロボティクスに勤めているという父の教育方針でもあるらしい。もっとも、メイウーは父のことをほとんど覚えていなかったが。
机の上に封筒が置いてある。もっともそれは現実ではなく、CGの封筒だ。差出人欄にはただ彼女はそれを掴んで、開いた。どういうわけか、紙の感触まで再現されている。「爸爸パパ」とだけ書かれている。本文には、幼少期の写真と、「体調はどうか」という一言だけ。これまで怪我らしい怪我も、病気らしい病気もしたことはない。一年に二回か三回、パパは決まってこういうメールをよこすのだ。
いでよ、手紙。メイウーが念じると、はらりと便箋が舞い降りてくる。彼女はそれを掴み、同じようにして出した万年筆で「大丈夫」とだけ書いた。彼女がそれを折りたたむと、便箋は自動で封筒に包まれる。やや誇張されたCGだが、メイウーはこれを見るのが好きだった。まるで、苦くて甘い夢の延長みたいで。
一七歳。わたしも、ずいぶんと大きくなったと思う。メイウーはメールに添付された写真を見る。それをスワイプすると、幼少期の写真が表示される。初めて走ったとき、初めて一人で歩いたとき、初めてつかまり立ちをしたとき......メイウーの記憶にも、そのシーンがリフレインする。初めて立ったときは、自分が歩けるということ自体に驚いたっけなあ。でも、自転車は三十秒くらいでマスターした覚えがある。
メイウーはクローゼットを開け、己の服を吟味する。今日はアメリカン・カジュアルで行こう。オリーブ色のスウェットに、オーバーオールを合わせる。学校指定のスカーフは首元にさりげなく巻く。額を撃たれて血を流しているニコちゃんマークとともに"HAVE A NICE DAY SOMEWHERE ELSE"と書かれたキャップを手に持つ。
自室を出て、リビングに向かうと、そこには母のユンがいる。彼女は刑事警察機構の青い隊章を身に着けていた。服の隙間から覗く包帯が痛々しい。
刑事警察機構とは、公的機関の側面が強い財団と世界オカルト連合が合同で創設した治安組織である。ここ新大連において、警察権の一部を持っている組織だ。フランス系メガコーポ・プリモルディアルが持つ「警備騎士隊」が警察権の大部分を持っているが、サブスクリプションを購入できない市民に対してはまともな仕事をしてくれない。ところが刑事警察機構は公的機関に近いので、すべての市民に対して平等に働く。すなわち、新大連における最後の良心でもあった。
メイウーの母ユンは、機動警備隊の上等巡士という階級にあった。普段は私服でパトロールをし、通報があったら現場に急行して初動対応を行うのが彼女の仕事だ。メイウーがテーブルにつくと、ユンは真珠のように白く光る餃子を運ぶ。酸菜牛肉餃子だ。
「高校はどう? メイウー。喧嘩とかしてない? 勉強は?」
「大丈夫だってば。ママ、仕事はどうなの?」
「んー、機密。ナイショだよ」
二人の血は繋がっていない。メイウーの生物学的母親は出産時に死亡していると聞いている。最初こそ名状し難いぎこちなさが走っていたが、メイウーが言外に「心配しなくてもいい」という念を送り続けたら、逆に自然体になっていったのを覚えている。餃子を食べる。皮はもちもちで、スパイスの効いた牛肉と酸菜がよくマッチしている。
「父さんから来たよ。手紙」
「返したの?」
「うん」
血の繋がりがないからこそ、家族をしなければならない。結局のところ、家族とは「ある」ものではなく、「する」ものなのだ。ずっと暮らしている中、何でもない他人同士でいられるわけもない。こうして結束を保つためには、少なくとも「そうである」というふうに取り繕う必要がある。だから、父のメールにも返信をするのだ。それは半ば義務のようなものでもあった。
「ところでその......怪我は大丈夫なの?」
「大丈夫」とユンは言い、腕の包帯を剥がした。かさぶたに覆われた切り傷があらわになる。彼女は箸を起き、ゆっくりと呼吸をした。時間を早回ししているかのように、かさぶたが剥がれる。その下から、少しだけ引きつった皮膚が現れる。あたりに満ちる躍命薀Elan-Vital Energyが彼女の体に取り込まれ、傷が癒えたのだ。
「ふうん、サイバネは駄目なの?」
「駄目ね。どうしても体が受け付けない」
いわく、ある日突然息をするだけで傷が急速に回復する体質になったらしい。その分のエネルギーも消費するので、食事をしっかり摂らなければ餓死する羽目になるとも。メイウーはいままで怪我らしい怪我をしたことがなかったので、その痛みがわからない。メイウーは母の顔を見た。自分の丸々とした顔とは似ても似つかない、厳しい印象の切れ長の美人。私だけが、すこし違う。メイウーは黙々と餃子を口に運ぶ。少し冷めたもちもちの水餃子。この美味しさだけが、違和を消してくれる。
最後の水餃子を腹に収め、メイウーは立ち上がる。そのままシンクで皿を洗う。着替えてからご飯を食べるのはすこしだけリスキーだが、幸いにも服を汚さずに済んだ。彼女は慎重に手を拭き、服のシワを伸ばして、母の方に向き直る。彼女はちょうど、ダークブルーの警察手帳を懐に仕舞うところだった。警察番号46893メイウーの知る、正義の象徴。
メイウーは玄関でテックブーツを履いた。防水、防刃仕様のものだ。これは、母とおそろい。
「じゃあね、ママ。お仕事頑張って」
「あなたこそ、学校もね」
軽く挨拶を交わして、外に出る。新大連自由市、ナカヤマ・ディストリクト。日系企業の強いこの区域の地名には、日本名が多く使われていた。中山記念公園にほど近いマンションの低層階から出る。そこに夜闇はない。市街地の明かりと空に浮かぶ広告ドローンの光が、あたりを昼間がごとく照らしていた。メイウーは星というものを見たことがなかった。
中山記念公園発、大連駅行きのバスに乗車する。メイウーは連絡先を開き、友人の華果にメッセージを送る。「今日は大連駅で集合しよう」送信したが、直ちに既読がつくというわけではない。彼女は外を見た。大連市内の交通事情は基本的に悲惨極まりないものだが、それでも大通りは幾分かマシだ。自分とその他数十名を運ぶバスが車の間を通り抜けていく。時々止まって人が入れ替わる。やや黄色がかった空気の中、好き勝手に広告が流れる。メイウーはサイバーアイのブロック機能をONにした。車内がやや暑いせいか、どうしようもなく眠くなってくる
「次は大連駅。乗り換えは地下鉄と瀋大線です」のアナウンスが聞こえて、彼女は目を覚ました。本当に眠ってしまっていたらしい。暖かいところに放り込まれた時に茹で上がったかのようになってしまうのは、自分の面倒な体質だと思うことにしている。メッセージアプリに通知が二つ。一つ目は華果から「駅のガス灯で待ち合わせよう」というもの。メイウーは短く「おっけ〜」とだけ返した。もう一つは見知らぬ連絡先から「开始吧始めよう」というメッセージ。何これ? 送信相手は誰? スパムにしては芸がない。メイウーは一旦気にしないことにして、ガス灯へと向かった。
そうしてしばらく待っていると、群衆の向こう側から見知った顔が歩いてきていることがわかる。華果だ。日本風のセーラー服を着て、やや背の高い猫背の彼女は、すでにメイウーを見つけているようだった。こうやって集合するときはいつもそうだ。群衆に紛れているはずの背の低いメイウーを、華果カカが一番最初に見つける。その視線を感じ取って、メイウーは華果を見つける。
「華果!」
「メイウー!」
二人は互いの名を呼び合った。そばかすが散っているが、形の良い鼻と目。肌のキメも細かい。ちゃんと化粧すればもっと可愛くなれるのにとメイウーは思うが、華果はどうも気が乗らないらしい。彼女は生体LAN端子すらインプラントしていない。サイバネに躊躇いのないメイウーと違い、自分の体をいじくり回す気にはならないそうだが、今日の彼女は何かが違う気がした。メイウーは目を凝らして華果を見つめる。
「な、何?」
「いや、なんか。ね」
「見ないでよ、そんなに。恥ずかしくなっちゃう」
メイウーは少し目を細めた。こういう反応は可愛らしい。そうやって眺めていると、華果の唇の端にわずかな赤色がついていることに気づいた。また、少しだけメントールすなわち湿布の香りがする。
「化粧、やっぱりしてるんじゃないの? それに怪我でもした?」
「あー、バイトでちょっとね。しなきゃいけないから、そういうの」
「ふうん。とりあえず、不夜市場でなんかつまんでく?」
華果はあからさまに口を濁した。話してくれないことは少し残念だったが、無理に聞くものでもあるまい。二人は大連駅北口へと向かった。そこから出てすぐに、屋台の並ぶ不夜市場がある。生鮮食品もさることながら、胡椒餅や包子、それに寿司やタコスなどの点心類も売っている。極度のグローバル化が進んだ新大連においては、食事の国境などとうに消え失せて久しい。メイウーは注意深く不夜市場を歩く。メインストリートはまだ安全だが、一歩脇道にそれてしまえば、死体が転がっていてもおかしくはない。横の華果は美味しそうにタコスをつまんでいた。
「それ、一つもらっていい?」
「いいよ」
メイウーは彼女の持つ紙パックからタコスを一つ掴んだ。華果とメイウーは頭一つほど身長が違うので、華果なら摘めるタコスをメイウーは掴む必要がある。口からこぼれないように慎重に食べる。どうやら豚肉のタコスのようだ。バスの熱気が残っているのか、少し体が熱いので、襟を広げて空気を流し込む。華果は恥ずかしげに目をそらした。やっぱり、こういう反応はかわいい。
二人の通う大連先端科技高校は、ちょうど大連港の外れに位置する。アンダーソン・ロボティクスが主に出資し、西暦2070年代に建造された高校だ。その名と出資元に違わず、ロボット工学系に力を入れている。
並んで歩いて、およそ二〇分。物々しい警備下にある校門をくぐり、二人は寮に戻る。女子二人の部屋なれど、しばらく暮らしていればそれなりに乱雑さを増していく。かろうじて足の踏み場が残っている床を踊るように歩き、着替えを掴んでシャワールームへ。こうすれば、外から持ち込んだ悪い気のようなものが落ちていく気がする。
二月二九日、午前三時五九分。メイウーは意識を覚醒させる。温かな布団から手を伸ばし、その辺に放ってあったツナギと下着を掴み取る。音を立てないように布団の中で着替えると、二段ベッドの上から身じろぎの音が聞こえる。華果を起こしてはならない。彼女の睡眠を邪魔するわけにはいかない。大連先端科技高校の裏手には、アンダーソン・ロボティクスの「ゴミ捨て場」がある。学生連中はそこから使えそうなものを探し、マーケットで売り出して金を稼ぐのだ。そしてそれは、往々にして性能の良い重機を手に入れるための早いもの勝ちであったりする。たとえ親しい友人との間にも、仁義なき戦いが生まれるのである。外に出る用意を終えて、部屋の扉に手をかけた瞬間、華果がガバリと起き上がった。
「メイウー、抜け駆け!」
「しまったっ!」
華果は山猿が如くその身を翻し、空中で曲芸じみた早着替えを披露した。彼女の脱ぎ捨てた服がメイウーの顔面に直撃する。メイウーは部屋の自動ドアを半ば力ずくで開け、外へと弾かれたように飛び出す。彼女は走る。しかし、後ろから重い足音が聞こえる。一歩が小さいメイウーを、華果は容易に追い越してゆく。驚くべき身体能力であった。二人が知り合ってからしばらくしたある日、彼女は突如この身体能力を手に入れた。
なぜか扉の横でニヒルな笑みを浮かべている華果を横目に、メイウーは女子寮「夏天」の裏口から息を切らせて飛び出した。さらに少し走ると、ジャンクヤードがある。しかし、肝心の重機がどこにもない。
「今日は出払ってるよ。どうもデカい工事があるみたいで、おれも詳しいことは知らねえ」
「そ、そんな......」
強い大連弁を喋る男にそう言われてしまえば、メイウーはその場にくずおれるしかない。日の出まで約二時間、課業の開始までは四時間。再びベッドに戻って寝るわけにもいかず、メイウーは相変わらずニヒルな笑みを浮かべている華果と一緒に食堂に向かうことにした。
テーブルとパイプ椅子が同じ顔で並ぶ食堂には、まだ簡単なものしかない。粥、塩漬けのアヒル卵、ザーサイや香椿の漬物などを適当に盛り付けて、メイウーは席についた。向かいには同じようなメニューを取った華果。
「そういえば、父さんから連絡が来たよ」
「......どうだった?」
「別に、今更出てきても」
困るよ、とは言い切れない。おぼろげながらも、メイウーは父親のことを記憶していた。薄い磨りガラスのような透明な膜を境に、自分の小さい手と父の手が重なる。そのときの父のは焦燥に駆られた顔をしていたように思う。やがてメイウーが自分を認識できるくらいの年になった頃、家に新しい母が来た。それからというもの、父は家を空けがちになってしまい、いつしかメイウーは血の繋がっていない母とともに暮らすようになった。
「家族とは『ある』ものではなく、『する』もの......」
「何それ?」
「ママがよく言ってるの。だから、私も頑張らなきゃ」
父が自分をこの大連先端科技高校に推薦したことは知っている。形だけの受験を経て、自分はこの高校に入った。それから二年、友達らしい友達は英語の授業で一緒になった華果くらいのもので、あとは機械油にまみれた高校生活を送るばかり。いつの間にか、眼の前の椀も空になっていた。「それじゃ私、ちょっと外に行ってくる」華果にそう告げて、メイウーは席を立った。
大連港、重機置き場。鈴の音のように凛冽な冷気が、メイウーの体を包みこむ。こうして体の芯まで冷やしたあとは、なんとなく調子が良くなるような気がする。だから、メイウーは冬の朝が好きだった。やかましいほどに明るい市中心とは打って変わって、すべてを吸い込むような暗い海。ここに立っていると、自分がただ自分であることが許されるような気さえしてくる。学業も、何もかもを忘れて
ふと、何か別の鋭い光が走った。それは複雑な曲線軌道を描き、やがて海中へと一直線に没していく。高高度を飛んでいたはずなのに、メイウーにはその飛行体のディテールまで見えた気がした。それは重力という巨人の掌を掻い潜るようにして、広告ドローンの間をひらひらと舞っていた。カートゥーンに出てきそうなロボット、その頭には光輪、背中には翼......恐怖を覚えるほどに美しいそれは、天使。
そうして、すべてが始まった。
「速度高度方位ともによし」「意識への影響、許容値以内」「オールグリーン」
「よし、最大速度を出して広告ドローンを突っ切れ」
扇型の部屋に、緊張した面持ちの人間がおよそ三〇人。そしてその皆が手元のモニターを凝視している。中心最前方にいるアンドリュー・チャンは、手元のマイクに声を吹き込んだ。彼の眼の前にある寝台に、下着姿の男が寝そべっている。彼は軍人風で、筋肉質であった。その脇には丁寧に畳まれたオレンジのツナギ。彼の首筋からは多数のワイヤーが伸びており、寝台の横に位置するお立ち台へと繋がっている。
「しかしチャン先生、誰かに見られでもしたら」
「構わん。人払いは済ませているし、この時間に起きている学生もそうおるまい......D-16242、テストは終わりだ。帰投せよ」
[了解]
部屋に詰めている人のうち半分は、盾に三ツ矢のロゴを衣服に付けている。もう半分はアンダーソン・ロボティクスのロゴ。アンドリューはただ一人、両方のロゴをつけている者であった。アンドリューはヘッドセットを机に置いて、一息つく。「テスト」は終わりだが、「実験」の本番はこれからだ。そうして十秒ほど待てば、眼前のポッドに問題の機体が戻って来る。乳白色のフェミニンな曲線的デザインに、飛行用のウイングと「意識」のありかを示す光輪。胸部の中心にはアンダーソン・ロボティクスのロゴ。財団との共同開発である、アンヘレス-Xモデルだ。
「では、デジタル・ヒューマン・トランスファー最終実験を始める」
アンドリューがそう宣言すれば、部屋はにわかに騒がしくなる。機体のうなじにユニバーサル規格の端子が差し込まれ、頭の光輪が消える。しばらくすると、隣の寝台で寝ている男の目が開く。彼は体を重そうに引きずりながら、近くに畳まれているツナギを着た。
「バイタルサイン、すべてよし」
「了解。では、実験を終了する」
両手を後ろで組んで威圧的に立つアンドリューに、男は所在なさげな視線を向ける。
「これで、おれはもう開放されるんですよね」
「そうだ。だが、最後に視力の検査だけさせてほしい」
アンドリューはサングラスをかけ、懐からレーザーポインターを取り出した。それを男に向け、ボタンを押す。白い閃光が走り、男は意識を失った。彼の今後の扱いは、財団に任される。「開放」されるかどうかは、アンドリューにもわからない。
EVEこの国では俗語的に躍命薀などと呼ばれているが、その本質は生物の意思に感応する媒体だ。それを感じ取ることができれば、人と人とが真に同じものを共有することも可能となろう。アンドリューは取得したデータを暗号化する。これで、このデータの中身を見られるのは彼だけになった。
安心に一息ついたアンドリューのもとに、若い男の秘書が駆け寄り、耳に顔を寄せる。
「アンドリュー先生、昨夜大連支社に五名の叛客が現れました」
「顛末は?」
「全員に暗号化データを譲渡、うち二人は『技研』の依頼で動いていたようです。筋金入りですよ、ありゃあ」
悪い対応ではない。暗号の鍵の本体はアンドリューの脳内チップにのみ存在する。定期的にアップデートされるバックアップの在処も彼以外は知らない。アンドリューはわずかに伸びた顎ひげを撫でて「ふむ」と呟いた。『技研』か。古巣の愛着がないわけではないが、奴らは頭の中に勢力拡大の四文字しかない連中だ。優秀だが、株主総会も扱いに困っている。
「その技研の連中が、今日あなたに会いたいと言っています」
「......日が明けるまで仮眠をとる。そのあとは仕事だから、会えるとしても昼だな」
彼らには昼食のタイミングを逃してもらおう。それはアンドリューのささやかな意趣返しでもあった。
目を醒ましてみると、食堂には人が満ちていた。どうやらいつの間にかに寝落ちていたらしい。メイウーは体を起こす。視界の端に映っている時計によると、時刻は八時ちょうど。僅かな空腹感を覚えた彼女は、豚肉の角煮をほんの僅かだけ取った。それを手早く片付け、彼女は寮に戻る。二段ベッドの上で、華果が高いびきをかいて眠っていた。予定を確認する。今日は午前に工学実験情報演習が二コマ、午後に体育が一コマ。実験が得意な彼女にとっては、簡単な一日となるだろう。
部屋に戻り、眠りこけている華果を起こす。二人で教室へ向かうと、まばらに座った生徒らが油断ならぬ視線を教壇備え付けの椅子に腰掛ける講師に向けている。その講師の名は、アンドリュー・チャン。アンダーソン・ロボティクスの開発部からここに飛ばされたともっぱら噂の人間だ。メイウーは彼の目元に濃い隈があることに気づいた。
「それじゃあ、説明は先週にしたから、みんなその通りに実験を進めてくれ。質問があれば聞いてほしい」
ぶっきらぼうな言葉を合図に、生徒たちは一斉に動き出す。ある者は既に組み上げておいたプログラムをロボットに流し込み華果はこのグループであったまたある者はこの場でプログラムを組み上げる。メイウーはそのどちらでもなく、ただ己の首筋の端子とロボットに備えてあるユニバーサル端子をつなぐだけだった。目を閉じると、ロボットのセンサーを通じた「視界」が開ける。極めて荒いモノクロ映像だが、動かすだけならばこれで十分だ。
自転車は体を拡張するデバイスだが、体そのものを機械にしてしまう場合、己を「自転車」にしなければならないすなわち、いままで知っている体の動かし方をすべて忘れ、新しい動かし方に慣れるということだ。メイウーはこれが得意であった。ものの十秒ほどでぎこちないながらも「動ける」ようになる。そのまま様々な障害のあるコースを走り終え、接続を解除する。
「それじゃ駄目だ。メイウー」
「どうしてですか、チャン先生」
「お前にしかできないだろう。それは。万人にできてこその技術だ。一人だけにしかできない魔法は要らん」
確かに筋は通っている。科技高校の卒業生のほとんどはアンダーソン・ロボティクスか財団の工員として雇用される。そこで必要とされるのは規格化された技術だ。メイウーのこれは、メイウーにしかできないものだ。ある程度サイバネ化している生徒に教えようとしても、一つのロボットを動かせるようになるまで一時間ほどかかってしまう。チラリ、と華果のロボットが課題をクリアしているのを見ると、メイウーは観念した様子でパソコンを立ち上げた。
生徒がぞろぞろと実験を終えて食堂へと向かう中、メイウーは思いの外課題に苦戦していた。プログラムを手打ちしてロボットを動かすことは、彼女にとって分厚い手袋をつけながらラジコンを動かすのと同じようなことだった。ふと、耳をすませば窓の外から銃声とタイヤのスキール音が聞こえる。日常だ。やがて彼女は単純な記号間違いを見つけて、課題をクリアした。
「じゃあ、私はこれで失礼します」
「ちょっと待ちたまえ」
実験室を出ようとするメイウーを、アンドリューは呼び止めた。彼女は華果に「先生に捕まった」とメッセージを送った。アンドリューは教壇から離れて、メイウーの前に立つ。名状し難い心地悪さを感じ、メイウーは少し目を細めた。
「ご用件は何でしょう」
「さっきのあれについてだ。直結であれだけ動かせるのは立派だが、ウイルスでも仕込まれていたらどうするつもりだ」
「アンドリュー先生はそんなことをしません」
「私の話はしとらん。一般の話をしている」
メイウーの挑戦的な物言いに、アンドリューは語気にやや怒りを滲ませた。だが、メイウーは彼の口端がわずかに上がったのが見えた。なぜ笑う? 何かおかしいことでもあるのか? しかし、それは一瞬で消え去って、アンドリューは厳しい教師の表情を顔に貼り付けた。気のせいだったと思うことにしよう。今度は素直に「すいません」と言った。アンドリューは満足したように頷くと、
「君がどうにかなった時に謝るのは、君の父上と母上だよ」
「......おっしゃる通りです」
「それに、こうして悪目立ちするのは、君を本学へと推薦したお父上の意思にもそぐいはしまい?」
「父上の意志」メイウーにとっては、あまり意味のないものだ。しかし、家族とは「あるもの」ではなく「するもの」である。血の繋がっていない母も、顔を殆ど覚えていない父も、少なくとも家族でいようとしている。であれば、私もそれに応えなければならない。メイウーはひとまずアンドリューの言葉を腹の中に落とした。
「だが、これは君にしかできないことでもある。安全な環境で磨きたまえよ」
アンドリューはぶっきらぼうに言い放った。メイウーはその硬い声の裏から、教師にそぐわぬ慈しみが漏れ出ているのを感じた。なぜそう思ったのかはわからない。多分、わずかに表情でも動いたのではないのだろうか。彼女は一礼して、実験室から退出した。さすがにお腹が空いている。食堂に向かうべきだ。
実験室から食堂に向かう途中、妙な三人組とすれ違った。難しい顔をしている長髪男、武装している黒装束の男に、パワードスーツを着ている何者か。おそらくアンダーソン・ロボティクス関連なのだろう。物々しい。しかし、これも日常にすぎない。このうちの誰かとほんの少し視線が合った気もするが、別に気にするほどのものでもなかった。
メイウーは食堂の入り口で手持ち無沙汰になっている華果を見つけ、学生の列に並んだ。実際のところまだ授業中であるので、食堂はガラガラだ。昼食はビュッフェ形式となっており、アルミ製の鍋が並べられている中、学生は好きなものを好きにとっていいことになっている。
メイウーは茶碗山盛りの白米と、また大量の味の濃いスペアリブ煮込みをプレートに取っていた。向かいに座る華果は、昼休み直後のバレーボールの授業を見据えて、やや少なめに取っている。メニューは魚の煮物に多少の白米、それに黄桃のシロップ漬け。
「よく胃もたれしないよね。それで」
「なんかよくわかんないんだよね。その感覚。胃がギュッとなる感じ?」
「羨ましいなあ、ほんとう」
新大連、旅順口区。メガコーポが共同で利用している軍港の端にアンダーソン技研の研究所が存在している。薄暗いLED灯に照らされている無機質な廊下を一人の長髪男が足早に歩いていく。彼は三十代半ばであったが、眉間に刻まれているシワのせいで、少なくとも四十代に見える。やがて彼は「調整室」「無関係者立入禁止」と札が掛けられている扉の前に立った。彼は深呼吸をしたのち、ゆっくりと扉を開ける。
「やあ、ベニモトさん」
「『やあ』とは何だ。集合時間は五分前だ」
「とは言っても、調整がなかなか終わらないもんで」
その部屋の中では、黒い戦闘服と覆面をつけた男シャープシュータが、休止状態のコンバットドレス〈スワロウテイル〉を横目に、ベッドで寝ている三十歳前後の女から伸びているケーブルを個人用端末に繋ぎ、何かをしている。剽軽に返事をするシャープシューターに、長髪男ベニモトは眉間のしわを深めた。
「私に貸せ。貴様がこれをやるのは業務外だろう。追加料金を請求されたらたまらん」
ベニモトは時計を見やる。大丈夫。アンドリュー・チャンとの待ち合わせまでは十分に余裕がある。ベニモトはシャープシューターを押し除け、シャープシューターも抵抗せずに大人しく押し除けられる個人用端末の画面をチェックする。すでに滅びた企業である「ニッソ医機」のロゴが左上に小さくあるほか、ユーザーインターフェイスには「第四世代六番」と表示されている。その女叛客はセイロの名で通っている。それはすなわち、広東語で「46」を意味している。彼女は強化人間であった。『素質』を持たぬものにEVEブレイン・マシン・インターフェイスをインストールすることで、擬似的に『素質』を再現する試みだ。無論、人体には多大な負荷がかかる。
「報告に上げた、あの轟海とかいう叛客。ありゃ天然物だね。そいつに会って、触発でもされたのか......行けそうかい、ベニモトさんよ」
「問題ない。少し古いが、ヤクシの連中が開発した強化人間と似た仕様だ。その調整ならしたことがあるそれに、強化人間は元々うちの技術だ」
「そりゃ、ニッソはヤクシに買収されてるからね。じゃ、俺は武器とかの調整をしてくるわ」
シャープシューターは「超能力」を発動させ、虚空に滲むようにして消え去った。こうなると、ただの凡人であるベニモトには何もできなくなる。"共鳴者"であるシャープシューターほど身体能力も高くないし、『素質』を持つセイロのようにEVEを読んで他人のことが分かるわけでもない。しかし、何かの専門性を持っているという点においては、二人と共通していた。それが今のベニモトにとっての矜持となっている。画面の中のパラメータを調整し、VRヘッドギアにデータを送り込む。その度にセイロの肉体が少し痙攣する。この「調整」は人体と精神に多大な負荷がかかる。この叛客に使われているインプラントは確かに第四世代のものだ。しかし、どこか設計の古さを感じる。
その時、ベニモトが埋め込んでいるサイバーアイに着信通知が現れる。ベニモト直属の上司、ドニーであった。彼はベニモトよりも少し年上のはずだったが、ベニモトと同じくらいか、それよりも若く見える。ベニモトはため息をついて、ビデオ通話を開始した。もちろん調整の手は止めない。
「ドニーさん、ご用件は」
[首尾はどうだ?]
「今日、アンドリューさんに会います。それで鍵が手に入れば上々、そうでなければ別の手段を講じねばなりません」
ドニーの声はほんの少しざらついていて、それが心地いい。彼の体のうち、手が入っていないのは脳みそと生殖器くらいだ。一つ一つのサイバネが全て特注品であり、美しく磨き上げられた"肉体"をしている。
セイロの脳内EVE結晶濃度を少し上げる。感応が劇的に向上する代わりに、本人の感情がややフラットになる。元々彼女は感情過多の人間だから、これでちょうど良くなるかもしれない。VRヘッドギアにテスト環境を流し、実行。エラーが発生し、コピーされたセイロの自我が崩壊した。彼女の体が少し震える。これではダメだ。EVE結晶濃度を下げ、ブレイン・マシン・インターフェイスの共振周波数を調整する。
[ダメなら、俺から先生に掛け合ってみよう。知らん仲ではないし、何より先生は俺に借りがある]
「借りですか?」
[おまえは知らんでもよい。どうしても無理そうなら、実力行使も考えうる]
知らん仲ではない。そんな言葉で済まされるほど、あなたとアンドリューの関係は軽くないでしょう。ベニモトはその言葉を必死で飲み込んだ。実力行使は最終手段だ。できればやりたくないが、やればならぬのであれば仕方がない。ベニモトもアンドリューとは「知らぬ仲ではない」。結局のところ、アンドリューは甘さを捨てきれなかった男だ。だから彼は技研を去り、財団と手を組んで独自で研究を進めている。
ふと、背後にわざとらしい足音が聞こえる。シャープシューターだ。彼は「いかにも不安です」といったふうにクネクネと体を捻らせ、何かを言いたげにしている。
「何だ」
「そろそろ出ないとまずいんじゃないの。ここから科技高まではどう頑張っても一時間はかかる」
「調整はどうするんだ」
シャープシューターは一瞬だけ考え込んだ。
「〈スワロウテイル〉をオートパイロットにして、俺たちを運ばせればいい。頭の追加パーツを使えば空中でも十分にできるでしょ」
「......そんなバカなことは誰もやったことはないぞ」
「あんた技研の人間でしょ。俺が知ってる技研の連中は皆バカだ。......それにセイロが"動作"しなかったら、俺の出番が増える。それはそれで実に嬉しいね」
おおかた、先日の大連支社に対するビジネスで十全に彼自身の性能を発揮できなかったことに対する鬱憤でも溜まっているのだろう。セイロを雇うための金は安いものではなかったが、契約違反ともなれば、成功報酬は払わずに済む。もしシャープシューターの出番が増えれば、それをそのまま彼に回せば良いだろう。
「......最後に一つだけ試させてくれ」
「どうぞ、御身の意のままに」
シャープシューターはその辺に放ってあったパイプ椅子に座り込んだ。そのまま彼は動かなくなる。彼は潔い男だ。自分の「道タオ」というものを持っている。こういう男と仕事をするのは実に気持ちがいい。他方でセイロも実直な女で、手間はかかるがその分愛着も湧く。むしろ、そう思わなければやってられない。この二人に報いるためにも、また上司であるドニーの期待に応えるためにも、自分は実直で潔くいなければならない。ベニモトは画面の中のUIを通して、EVEデバイスの感応閾値を調整する。これが高すぎると、余計なノイズまで拾ってしまう可能性がある。テスト環境を走らせる。自我が崩壊。ダメだ。
「行くぞ、シャープシューター。セイロをドレスアップして、オートパイロットを起動するんだ」
「まあ、カカシくらいにはなってくれるでしょ」
周囲のEVE場振動を〈スワロウテイル〉のティアラのような頭部追加パーツが感知。それをパイロットの脳に送信し、無意識の反射によって生まれる脳波を捉える。そして〈スワロウテイル〉のAIがそれを処理して、自動で機体を動かす。当然パイロットの負担は高くなるが、強化人間であるセイロはそれに耐えうるように設計されている。人が直接動かすよりも精度は落ちるが、喫緊の問題は生じまい。
シャープシューターは意識のないセイロを〈スワロウテイル〉の背面開口部から滑り込ませる。装甲が閉じ、モノアイが点灯する。緑色ではなく、黄色に。
空中でも満足な調整はできなかった。オートパイロットをシャープシューターに追従するように設定する。大連先端科技高校付近に着陸した一行は、事前にしておいた入校申請に従って、正門から進入する。そのままアンドリュー・チャンの居室へ向けて歩みを進める。右方やや後ろを歩くシャープシューターは各装備をつけたままではあるが、銃からは弾倉を抜いている。罷り間違っても生徒を傷つけるわけにはいかないとのことだったが、ベニモトはあまり気に入らなかった。
「ベニモトさん。そういや昨夜のあの轟海とかいう叛客はなんだったんだ?」
「『素質』を持つ優秀な叛客だ。セイロとは最後まで迷ったが、そっちの方が安かったのでな。お前の言う通り、技研はバカどもの集まりだから、叛客なぞにかける予算はなかなか下りんのだ」
「じゃあ、あそこにいたのは偶然?」
そうなるな、とベニモトは言おうとした。しかし、偶然を信じてはならない。もっとも考えうるのは、誰かが事前に実験論文の存在をリークしたということだ。しかし、何のために? 疑問は残るが、結論が出ないものを考えても仕方がない。ベニモトは「いや......」と曖昧な返事をすることしかできなかった。
アンドリューの部屋まで向かう途中、一人の女子学生とすれ違った。ベニモトとシャープシューターは同時に彼女を一瞥する。名状し難い違和感が脳内を走る。
「ベニモトさん、あの生徒」
「わかっている。妙だ」
作り物のようだ。生身の人間が歩いているというよりも、むしろサイボーグやアンドロイドといった方が近いだろうか。その類の機械をベニモトは仕事で文字通り山ほど見てきている。シャープシューターも気づいたのは、おそらく彼の長年の戦闘経験によるものに違いないだろう。
「アンドリュー・チャン」とプラスチック板が貼り付けられた扉の前で立ち止まると、ベニモトは丁寧に四回ノックした。日系人らしいプロトコル遵守の精神である。「入りたまえ」と扉の向こうからぐぐ持った声が聞こえると、彼は「失礼します」と言ってドアノブを回した。一瞬、アンドリューの気だるげな表情が見えた気がしたが、それはすぐに微笑みに変わった。
「ベニモトくんか。君が来ると知っていたなら、もう少し別の時間にしたのにな」
アンドリューは彼の姿を見るや否や、内線電話を取り「食堂か? 照り焼きサンドイッチを三つ」と言った。ありがたい。昼食を摂るタイミングを逸してしまうところだった。
「いえ、二つで結構です。このパワードスーツはオートパイロットなもので」
「そうかでは二つで。頼む」
照り焼きサンドイッチを待つ間、ベニモトは部屋を観察する。変哲のない木製のデスクや座り心地の良さそうなオフィスチェアが備え付けられており、大きくて分厚い本棚には、伏せられた写真立てが二つ置いてある。もしセイロが起きていれば彼女の『素質』を使って写真の中身を透視することもできただろうが、それは今となってはただの贅沢にすぎなかった。
やがて照り焼きサンドが運ばれてくると、シャープシューターとベニモトは手早くそれを胃に押し込んだ。
「早速、本題に入ります。DHT実験論文のデータを読むための鍵をお渡し願えませんか?」
「私の独断ではできない。財団にも筋を通す必要がある」
「ドニーも興味を持っています。私の上司です」
アンドリューはティーポットから三杯分の茶を注いだ。そして椅子に深く座り直し、深くため息をついた。彼は寝不足を気にするようにこめかみを少し揉んだ。
「技研設立の経緯は知っているかね?」
「......はみ出しものを集めたと聞いていますが」
「そうだ。会社の中でも異端の科学者たちに、居場所を作ってやるのが目的だった話は長くなるが、聞いてくれるか」
ベニモトは出された茶を一口飲んだ。それは了承の合図でもあった。
二二年前、大連。珍しく雪が降り頻る中、アンドリュー・チャンは中山大路を歩いていた。行き先はアンダーソン・ロボティクスの大連支社。技術特区にある一番高い建物だ。当時はまだ「国」が残っていたので、治安もそれほど悪くはない。もっとも、その「国」は息も絶え絶えで、闇社会と叛客はすでに萌芽の兆しを見せていたが。
それを示すかのように、道端には浮浪者が集い、炊き出しを待つ列を作っていた。長引いている「戦争」の影響か、手足が欠けている者もいる。
支社ビルのエレベーターに乗り、中層階まで行く。昔ながらのスマートフォンを取り出し、メールをチェックする。今日はどうやら何かの辞令が降る日らしい。普段のオフィスへとは向かわず、直接上長の部屋に行く。
「アンドリュー。君は今日から設立される技研の配属になった。EVEを介して意識を転送するという理論を作るのはいいが、我々は実利を優先しているものでな」
「それは左遷ということでよろしいでしょうか」
「いや、君の理論には可能性を感じている。技研は、君のようなフロントランナーを目指す者らにとって、良い環境になるだろうと、株主総会の決議で設立されるものだ。それも今日からな」
つまりは体のいい厄介払いだということだろうか。もともとアンドリューは理論屋であり、アンダーソンの社風との「ずれ」を強く感じていた。この会社は大きい。近々、企業法廷なるものに参加するとの噂も流れている。数十万からの社員が詰めていれば、自分のような者も他にいるわけだ。文字通り、掃いて捨てるほどに。
オフィスの自分のデスクは、綺麗さっぱりに片付けられていた。パソコンや紙束の代わりに置いてあったのは、特急のチケットだった。古風だな。だが、嫌いではない。アンドリューが理論屋に"甘んじている"のは、己の異常なまでのサイバネ耐性の低さによるものでもあった。最低限の生体LAN端子は入れているが、それ以上入れると日常生活がままならなくなる。調子に乗って自分を機械に置換し続けた挙句、物言わぬ鉄クズになった社員の噂はよく聞いている。
特急に乗って、旅順口区まで行く。そこは「国」の軍港であったが、さまざまな企業の連名によってレンタルされている地区もある。その地区の端に、納屋のような建物が孤独に立っていた。幸運なことに、建物自体は新築のようだ。「アンダーソン技研」「ペンキ注意」などという看板がまばらに立っている。アンドリューは正門のカードリーダーにカードキーを読ませて、建物の中に入った。
すでに数人が先着しているようだった。作業用のツナギを着た工員らが機械の点検をし、袖をまくったチェックシャツを着ているエンジニアがスーパーコンピュータの設定をしている。それらの機器はどれも新品のように見える。しかも最新鋭だ。厄介払い? とんでもない。ここは最高の環境じゃないか。
そうして研究を進めて、約半年。技研設立の効果を確かめるための社内発表の日がやってきた。
EVEを介して人の意識をいじるための理論の大台はできた。シミュレーション環境での実装もできた。数学的には問題はない。動物実験も概ねうまくいっている。しかし、実際に人間を対象に実験することができない。
技研の人的リソースは少ないし、かといって本社の方から「被験体」を寄越してもらうわけにもいかない。アンダーソンの社員は概ね自分を被験体にしているが、そんなことをした日にはアンドリュー自身がどうなってしまうかわかったものではない。
こういう時、「財団」が心底羨ましくなる。電話一本でどこからともなくオレンジのツナギを着た人が運ばれてきて、人的資源の損耗を気にせずに実験ができる。アンダーソンはより人道的だと言うことができるかもしれないが、それはつまり個々人の資質によってできることが違うという意味でもあった。
それは、アンドリューの思想にそぐわない。科学に間違いは許されるが、技術に間違いは許されない。それは画一された規格のもとに行われることであり、個々人の資質に頼ってはならない。アンドリューは科学と技術の狭間で、無力に足掻くことしかできていなかった。時計を見る。そろそろ出発しなければならない。アンドリューは壁にかけてあった麻のジャケットを羽織った。
急行列車に乗り、大連駅まで。発表は支社ビルで行われる。大連の夏は極めて過ごしやすい気候であるとして知られている。気温が二五度を上回ることは稀で、空気もよく乾燥しているのだ。それでも晴れ間の下を歩かされれば、少しは汗ばんでくる。アンドリューは懐からハンカチを取り出し、汗を軽く拭った。
大連支社ビル地下一階、カンファレンスルーム。自分と同じような顔をしている連中の間に、彼は座り込んだ。
同僚たちが発表をしていく。超軽量装甲を採用した"コンバットドレス"や、自律飛行が可能な二六メートル級の人型兵器など、革新的な発表がなされる中、アンドリューの手番が近づいてくる。
「次、アンドリュー・チャン博士」
「はい」
深呼吸で心を落ち着かせ、登壇する。あらかじめ用意しておいたスマートサングラスに発表原稿を投影する。
「それでは、EVE場を通じた意識の操作についての発表をします。アンドリュー・チャンです」
発表を終える。まばらな拍手をする聴衆の表情は、どこか腑に落ちなさそうにしていた。そして質問の時間が始まる。真っ先に手を挙げたのは、アンドリューに辞令を渡した上長の男だった。
「大変よくできた理論だとは思います。実際に動物実験である程度の成果も出しているということで、それは非常に良いかと思いますが、人体実験はされてないのでしょうか」
「それは非常に鋭い指摘です。現在、人的リソースの不足により、その実験はできていません。不足が解決次第、実施していく予定です」
実利の出ない基礎研究は大学にでも任せておけばいい。企業はその基礎研究を活かし、モノを作るのが仕事だ。やり場のない悔しさが心臓の中で暴れて、それが痛みとなって現れる。この壇上で、弱みを見せるわけにはいかない。アンダーソン・ロボティクスは魑魅魍魎の集まりだ。そんなことをしたら、たちまち食われておしまいだ。
その後も、二つか三つの質問が来た。どれも理論の基礎的なところを補完するものだった。実験屋が多い性質上、たまに理論のことをろくにわかっていない人もいるのだ。
発表会を終えて、本社ビルを出る。近くにいい飯屋でもないかとスマートフォンを取り出して検索をする。良さげな餃子屋にあたりをつけたその時、後ろから走り抜けた人影により、アンドリューのスマートフォンは持ち去られてしまった。
「あっ、おい!」
そう叫ぶも、声は冬の大連に吸い込まれていく。アンドリューはサイバーサングラスをかけ、スマートフォンの位置座標を追跡する。まだそれほど離れているわけではない。彼は大路に飛び出し、適当なバイクを止める。
「おい、危ねえだろ!」
「金は出すんで、そのバイクを借りたい。いいか」
アンドリューは目の前の男の電子ウォレットに一万元ほど送金した。中古のバイクくらいなら買えるが、最新式のスマートフォンの値段よりは安い。何よりアンドリューのスマホには重要な情報が山ほど詰まっている。それの価値に比べたら塵芥がごとき金だ。
男は「ああ......」と呟いて、直ちに怒気をおさめた。そのまま彼からバイクを受け取る。シートボックスの中にあったカバンを投げ渡すと、アンドリューは直ちに走り出した。昔ながらの二気筒サウンドが鳴り響く。嫌いじゃない。
スマホを盗った人は、バイクとほとんど同じ速度で走り続けている。おそらくはこの土地に根付いた浮浪者か何かか。土地勘がないアンドリューは不利だ。しかし、その分は技術で埋めればいい。コーポを舐めるなよっ。彼は心の中で独りごつ。
チャットAIに音声入力。「私の携帯の位置座標まで、交通情報を勘案して最適なルートを出せ。ルートは随時更新せよ」直ちにサイバーサングラスに青い線で道筋が表示される。車の間を縫うようにしてバイクを走らせる。ヘルメットをつけていない顔に、雪が当たって少し痛い。
レースの展開はアンドリューにだんだんと傾いてくる。彼我の距離は縮みつつある。程なくして追いつけるだろう。ではどうやって盗人を止める? 最悪バイクを駄目にしてもいい。自問自答。
このまま行けば、下手人の通る道とアンドリューの道が交わる。三、二、一。今。バイクを横に向け、タイヤから下手人にぶつかりに行く。どうせサイバネ強化しているだろうから、勢い余って轢殺することもないだろう。衝撃轟音。奇跡的にバイクは無傷に近い。彼方を見ると、あらぬ方向に脚を曲げられた盗人が倒れている。どうやら男のようだ。
彼は脚をサイバネ強化していた。またネックウォーマーとニット帽を使い、顔は目以外を露出させていない。アンドリューは彼の懐からスマホを抜き取ると、彼の顔を隠す布を剥ぎ取った。
「子供じゃないか......」
「誰が子供だよ、このオッサン!」
「私はまだ二七だぞ!」
その少年の歳の頃は、おそらく十七かそこらだろう。彼は顔に恐怖と焦燥の入り混じった表情を浮かべている。
「君、親は?」
「いねえよそんなもん。クソが......俺の脚......」
「ふむ」
アンドリューの脳内に、一つのアイデアが生まれる。この少年なら、消えても足がつかないのではないか? 今、自分が喉から手が出るほど欲しかった"モノ"が目の前にある。そして、アンドリューはその欲に逆らえるほど諦めが良いわけでもなかった。
「では、私が君に脚を用意してあげよう。代わりに、私のために働いてはくれまいか? 私はアンドリュー・チャン。君は?」
「......ドニー。ドニー・マァ」
「よろしくね」
アンドリューはドニーに手を差し出す。しかし、それが握り返されることはなかった。
脳波正常、EVE-電子発振機正常。アンダーソン技研建屋の、アンドリューに割り当てられた一室で、彼はドニーと向き合っていた。ドニーの脚は取り外され、代わりにVRヘッドセットのようなものを頭に被せられている。元々彼にインストールされているサイバネと妙な反応でも起こしたらまずいのだ。アンドリューはシミュレーション環境用のパラメータをそのヘッドセットに流し込む。目標は生体脳による直接のEVE操作。今までは素質ある人にのみ許されていた行為だが、これさえ成れば素質の有無など関係なくなる。そう。技術の本懐とはこういうことを指すのだよ。アンドリューは心の中で違和を叫ぶ自分にそう囁きかけた。
「調子はどうだ? 自分が剥がれて、乖離していくような感覚は?」
「むしろ調子いいっすよ。ねえ、これ安全なんですよね」
「もちろん。私に任せてほしい」
ドニーの不安や恐怖を煽らないように、努めて落ち着いた声音で話す。そう、これは全て善きことのためなのだ。電圧から周りの人工EVE場まで、基礎的な設定を全て見直す。ここで失敗したら、最悪目の前の実験装置が爆発してもおかしくはない。大丈夫。何も問題はない。アンドリューは手元のスイッチのカバーを開け、拳を叩きつけるようにしてそのスイッチを押した。ドニーの体が弛緩する。その直後、彼は「あッ......」と呟いた。
「大丈夫か?」
「これは誰かが俺に見える」
「何が、何が見えている?」
その時。アンドリューとドニーの間に何かの閃光が走った。少なくともそういう感覚があった。その直後、二人は同じ色彩を見た。赤から紫、そしてところどころに黒が入り混じるそれは、ドニーの額のあたりから広がって、実験室を満たしていく。また二人は同時に音を聞いた。それはソプラノ歌手の歌のようでもあり、地獄の底に吹く風のようでもあった。
そうして、二人は互いの心に触れた。結局は私利私欲のためにドニーを利用したアンドリューの懺悔と、同じく金のためにアンドリューの携帯を盗ったドニーの後ろめたさが交ざったのだ。
ぱちん、と弾けるようにして、部屋が元の状態に戻る。さっきまでの全てが夢だったのではないかという錯覚すらある。手元のコンソールを見やると、EVE場の変動が確かに記録されていた。データは嘘をつかない。実験は成功だ。
そうして、また半年が経った。その間にアンドリューはドニーを研究員補佐として技研にねじ込むことに成功した。また基礎的な数学から物理学、制御理論に至るまで、手ずから授業を施した。日本にいた時に通っていた大学で取っておいた教職課程で学んだことが威力を発揮したとともに、素質を目覚めさせたドニーの学習能力は凄まじいものであった。
ドニーを連れて、二度目の定例発表会に臨む。前回のような居心地の悪さはない。息を吸って、言葉を紡ぐ
「それでは、人為的なEVE感応能力の発現についての発表をいたします。こちらは私の助手のドニー・マァです」
発表を終える。盛大な拍手をする聴衆の顔には、納得の表情が浮かんでいた。そして質疑応答の時間が始まる。真っ先に手を挙げたのは、前回と同じくアンドリューの元上長であった。
「実験も成功裡に終わったようで、大変素晴らしいと思います。そこにいるドニー君においてEVE感応能力が発現したとのことですが、これから先に実験の対象を拡大していく予定はございますか?」
「ご指摘のとおり、これはまだ一般的な結果とは言えません。果たして全てのヒトたるものにEVE感応能力が発現するかは全くの未知であります。ですので、これから先は被験者を公募し、より一般的な結果を出していけたらよいかと思っております」
別の人が手を挙げる。
「基礎的なことで申し訳ないのですが、人為的に発現させることなく、生まれつきそのような能力を持つ人もいるのでしょうか?」
「いわゆる現実改変者や魔法使いなどは、EVEを操作することはできるものの、その振動に対して感応し、他人の意識を感じ取ることは一般にできるものではありません。しかしながら、前世紀末に超常が日常になった兼ね合いで、一部のヒトたるものがそのような能力を生得的に獲得している可能性を否定することはできません」
チャイムが三回打ち鳴らされ、発表時間の終わりを告げる。アンドリューは一礼ののち、演壇を降りた。その後も同僚の研究員の発表を聞き続ける。アンドリューだけでなく、ドニーもいくつか質問をして、その日の発表会はつつがなく終わった。
また、半年が経った。長引く戦争によってショックじみた好景気が訪れている。しかし、それはコーポに勤める人にのみ訪れたものであり、それ以外の一般市民は苦境に喘いでいた。
旅順軍港のアンダーソン技研で、アンドリューとドニーは長蛇の列を見据えていた。それは全て、彼らがインターネットに流した治験バイトに参加登録をした者たちである。参加に対する報酬自体は安いが、興味深い結果が出た場合は上乗せする契約になっている。EVE感応能力を発現する人なぞあまりいないことが推察されるので、その上乗せ額はかなり高く設定されている。
「壮観ですね、アンドリュー先生」
「そうだな、本当に」
そろそろ時間だ。アンドリューはドニーに目配せをする。彼は頷き、手元のマイクに声を吹き込む。「ただいまの時間を以て、実験開始とします。参加者は順次入室し、ヘッドセットを被ったあと、お持ちのQRコードをスキャンしてください」一年半前の彼とは違い、極めて礼儀正しい口調だ。
参加者が続々と入室し、ベッドに横たわり、指示に従ってヘッドセットを被る。一度に三〇人分のデータを取得することができるようにしてはあるが、この数の被験者に対して実験パラメータを手動で調整するのは骨が折れる。だから、アンドリューは演習問題も兼ねて、ドニーに人工神経網を組ませた。それを使い、入力された脳波から最適なパラメータを出力するというわけだ。
実験は進行する。わずかに痙攣する被験者もいれば、鼻血を流す者もいるし、全くの無反応な者もいる。
そんな中、アンドリューの手元の画面に「EVEアノマリー検知: 三番ベッド」の文字が現れる。仕切りの向こうを見ると、ベッドに寝ている女性の手を握っている幼女がいた。空いている方の手には薄汚れた何かのぬいぐるみを持っている。
「あー、失礼。三番ベッドの方。娘さん? をベッドに乗せてテストをお願いしていいですか。その分の報酬は出します」
検知されたEVEアノマリーは、ほんのわずかのEVE場の変動を示すものであった。その女性は指示に従い、娘をベッドに乗せる。アンドリューはEVE場の状態を示すグラフを注視する。
「先生来たッ!」
何かを感じ取ったドニーがそう言うのと、EVE場が大きく変動したのは同時だった。
「えー、三番ベッドの方は一〇一室へと進んでください。......ドニー、私はちょっと話してくるから、見といてもらえるか」
「あいよ、先生」
一〇一室は、職員同士の秘匿面談に使用される部屋だ。一切の通信機器の使用が禁じられ、また監視の類も存在しない。パイプ椅子数脚と一卓の机が存在するだけの簡素な部屋だ。そこで不安げに座っている女性と、その娘。アンドリューはここに来たばかりの頃のドニーのことを思い出した。今、二人がしている表情は彼のそれとよく似ていた。特に娘の方は不安そうにしていて、ぬいぐるみを大事そうに抱きしめていた。
「さて、お宅の娘さんに能力の発現が見られました。後日送金するので、口座をお教え願いますか?」
「......持っていません」
母親の方が答える。きょうび銀行口座を持っていないなど、珍しいこともあるものだ。アンドリューはしばし思考する。確かこの親子は住所不定、母の方は風俗店で働いていたはずだ。であれば、今この場で現金を渡しておくのも選択肢の内に入る。風俗店で金の受け渡しはしたくないし、住所不定ならば追跡も困難になるだろう。アンドリューは「失礼」と言い、一〇一室の外へ出ると、秘書に現金を持って来させるように電話した。
部屋に戻り、母娘の前に座る。母の方は唇を噛み締めて何かを悩んでおり、娘はその様子を見て不安げにしていた。
「あの」
「いやだよ」
母が何かを言おうとしたその瞬間、娘はその言葉を遮った。「いや」彼女は強調するように言う。「静かになさい」と母が少し語気を強めて言った。
「娘を預かっていただくことはできますか? きっと、それがこの子のためなんです」
「いいでしょう。報酬は少し減りますが」
母は頷いた。娘はというと、諦めの表情を顔に浮かべていた。元々『素質』を持っていたのか、機械に感応されたのかはわからないが、目覚めた者特有の表情であるように思えた。アンドリューは椅子から立ち、娘の前で屈んで、彼女と視線を合わせる。
「君には才能があるんだ。他の誰にもできないような、見られないような世界を一緒に見にいこう」
「......うん」
その声には、彼女の幼さに似つかわしくないほどの虚無が含まれていた。
結局のところ、公募した数百人の被験者のうち、機器に適合したのはその少女ただ一人だった。名前はリィンというらしい。アンドリューは彼女を自身のオフィスへと連れて行った。聞くところによると、歳はまだ四歳とのことだ。世も末だ。そろそろこの「国」も終わりか? そんな考えが脳内によぎる。
彼女に簡単なヘッドギアを装着させ、感応力のテストをする。しかし、その結果は全て「特殊性なし」を示す。この娘に感応力はないのか? いや、そんなはずはない。先ほどの実験で、確かな結果が出ている。
「ドニー、ちょっとこの子のことを見てもらえないか」
「あいよ。どれどれ......」
ドニーはリィンの対面にしゃがみ込み、彼女の瞳をじっと見る。アンドリューの頭の中でキン、と何かが響いた気がした。こめかみのあたりが少し痛くなる。しばらくそうしていると、リィンは気だるげに首を横に振った。
「先生、ちょっと外に」
ドニーに言われるままに外に出る。
「協力しなければ、ここを出られるって思ってるみたい。あなたが失望することで」
「そうか。対処法を考えてみよう」
アンドリューはオフィスに戻る。リィンは相変わらず椅子に座ったままで、足をぷらぷらさせていた。ドニーは彼女の耳に口を寄せると、何かを囁いた。リィンは椅子から飛び降り、扉から外に出ていく。
「モジモジしてたんで、トイレの場所を伝えました。で、対処法とは?」
「四歳の少女が好きそうなものを全て詰め込んだ部屋を用意する。そして、我々はあの子に干渉しない。それだけでいい」
「へえ。面白いじゃないですか。じゃ、手配しときますね」
その日のうちに、彼女には十分に広い一室が与えられた。サイバネを一切インストールしていないリィンのために、古式ゆかしい紙の本やぬいぐるみどれも彼女が持っているものとは違うものだを備え付けたファンシーな内装の一室だ。しかし、紐や刃物の類など、自己を害するのに使えそうなものは一切ない。それを見届けたアンドリューは、定時で帰宅した。
カメラは仕込まれていないが、床に感圧センサーは仕込まれている。無論、食事も希望通りのものをそのまま出すようにする。
一日目。リィンは元々持っていたぬいぐるみのそばから離れなかった。二日目。リィンはぬいぐるみと一緒におままごとを始めた。三日目。リィンはおままごとに飽き、ぬいぐるみに絵本を読み聞かせ始めた。
そのようにして、一週間が経った。
「賭けますか? 先生。あの子が何日目で痺れを切らすか」
「私が君に賭け事で勝ったことがないのを知っていて言っているのか?」
「冗談です。俺の見立てだと、あと三日が関の山ってところでしょうか」
そう、人は退屈に耐えられるように設計されてはいない。特に幼い子どもはそうだ。リィンは与えられた部屋に概ね満足しているような反応をしていたが、その満足が平凡なものに変わり、やがて退屈に変わるまで待てばいい。リィンもそれに薄々気づきつつあるだろうから、これはもはや我慢比べの綱引き勝負であった。そして、我慢という点において、子どもが大人に勝つことはできない。そして、アンドリューらがこの環境を提供したという恩義もある。子どもはそういうことに敏感であると、アンドリューは知識で知っていた。
ドニーの予想通り、三日後。唐突に開け放たれたオフィスの扉の向こうから、リィンが肩をいからせながらやってきた。彼女の手にあの薄汚れたぬいぐるみはない。
「それで、私は何をすればいいの?」
「なんだ、結構喋れるんじゃないか」
「ああいう風にしなければ、助けてもらえなかったから。おじさんたちは何か違うと思って」
ひとくくりに「おじさん」と言われたドニーは少し物悲しそうにしていた。アンドリューは顔に微笑みを浮かべる。
「いいね。では、これからやっていこうか」
アンドリューがリィンを待つ間も、公募実験は行われてきた。その中で、ドニーよりもやや年若い少年二人と、少女一人が素質を発現させた。
そうして、さらに二年が経った。アンドリューは元貧困層の若人らに十分な教育を施しつつ、EVE感応力に関する実験を行なっていった。中でも最も年若いというより幼いリィンの成長は凄まじいもので、その力は最初に能力を発現させたドニーを凌ぐほどだった。リィンが素晴らしい結果を出すたびにアンドリューはリィンを褒めて見せ、また他の実験メンバーに激励を送った。
さらなる公募により、被験者兼実験助手は合わせて三十名ほどになっている。誰も彼もがアンドリューのことを「先生」と呼ぶ中、リィンだけは彼のことを「パパ」と呼んでいた。アンドリューも特にそれを咎めず、その呼び名を受け入れていた。
そろそろ潮時だろうか、とアンドリューは考える。実験の合間に、知り合いの弁理士に連絡して特許申請を行なっていた。その特許は無事に受理されて、国際的に効力を発している。もとよりアンダーソン・ロボティクスは機械系の企業だ。人体を直接弄るのであれば、ニッソグループなどのバイオテック系企業の方が優れている。実際、研究にも限界が訪れつつあった。直接脳に切り込む能力も度胸も、彼にはなかった。
ある日、アンドリューは関係者全員を食堂に集めた。
「えー、今日は重大な発表があります。私はこのEVE感応発現術に関する特許の通常実施権をニッソグループやヤクシ、イーヴォルヴ・コーポなどに認めようと思います。そこで、皆さんには実験助手として、それらの企業に派遣されていただきたいのです」
「皆さん」とはすなわち、ドニーを除く全員である。アンドリューを除く研究メンバーのうち、最も技研に勤めて長く、また最も理論や実験に対する理解が深いからである。感応力で言えば中の上程度であるが。
「ちょっと、嫌だよそんなの! もう一人にはなりたくない!」
仕方ないか、という空気が広がりつつあったその時、リィンが悲痛な叫びを放った。彼女の境遇を考えれば納得できる。しかし例外を作るわけにはいかない。そうしてしまえば、キリがなくなってしまう。
「永遠のさよならというわけではない。いずれまた会えるし、私はその時を楽しみにしているよ。私はリィンのことを信頼しているから、君をニッソグループのニューホンコン支社へ派遣する班のリーダーにしようと思っていた」
「でもいや......うん。パパはそうだもんね」
リィンは声に諦めを滲ませながら言う。
「じゃあ、次会うときはもっと大人になってからだね」
彼女は静かにそう呟いて、それからは一切喋らずに、アンドリューの通達をじっと聞いていた。ドニーの批判げな視線がアンドリューに突き刺さるが、彼はそれに気づく様子がない。あの時に触れた先生の心は、何だったんだ? ドニーは自問自答した。
研究グループの集会を解散したあと、アンドリューとドニーはオフィスに戻っていた。いつものようにアンドリューは自身のデスクに座り、またドニーは備え付けのソファに腰掛ける。しばらくの間、二人に会話はなかった。
「なあ、先生。あなた家族とかはいるんですか」
「いるよ。母と父がそう、家族といえば。私、結婚するんだ」
「はぁ!?」
ドニーは驚きのあまり、立ち上がる。アンドリューの周りに女の気配を感じ取ったことはない。本当に「らしくない」......あなたはそれができるほど、人の情を持っているのか? そう聞こうとする自身の欲望を、必死に押さえ込む。
「会社がうるさくてね。良さげな人を向こうで見繕ってくれるそうだから、お言葉に甘えようかと思って」
「......そういうことですか。俺は、結婚してもすぐに離婚する方に賭けますよ」
「......ほう? それは私に対する挑戦と受け取るぞ?」
アンドリューはいたずら心を含ませた笑顔を顔に浮かべた。マズい。こうなった時の先生は、とにかく手強い。
「とりあえず、今日が初顔合わせだ。それで相性が良さげなら、縁談にもなるんじゃないか?」
「そんな、まるで他人事のように......」
その日を境に、アンドリューが技研の建屋を離れることが多くなった。彼がいない間はドニーが実験の主導を取っていた。彼はそのまま技研におけるアンドリューの後継者のようにして扱われ、本来ならば幹部連中しかしないような事務仕事まで任されるようになった。
一年もしないうちに、彼の左薬指には二つのリングがはめられていた。彼は時々「家族サービス」なる言葉を使うようになり、実際に「結婚生活」を送っていた。記念日は大事にし、決して彼の伴侶より幸せになろうとせず、また家計にも気を配るようになった。
大連にしては珍しい雪の日だった。その日、アンドリューは午後過ぎに出社してきた。彼はいつも通りの微笑みを顔に貼り付けている。しかし、何かが違う。ドニーにはわかる。それは彼の足取りだろうか、それとも吐く息の匂いの違いだろうか。なんにせよ、今までにない何かが彼に纏わりついていることだけは確かだった。
彼はいつも通りデスクに座り込み、そして個人用端末を立ち上げる。それは澱みない動きだった。そのまま打鍵を始め、何かのプログラムを書く。いつも通りだ。ドニーはアンドリューのオフィス備え付けのソファーの前に持ち込んだ机の上に電子機器を広げ、それを弄りながら彼の方を見た。アンドリューの手が止まる。彼は目を細めてモニターを見た。
「ドニー、このプログラムが動かない。少し見てくれないか」
「はい。......アルゴリズムには問題ないようですがこれ、コロンじゃなくてセミコロンになってますよ」
「あれ。本当だ」
つまらないミスですよ。その言葉を飲み込んで、ドニーはじっとアンドリューを見た。慌てているのか? 彼は。聞くところによると、今日は奥さんの出産予定日ではなかったか。そこで何か不測の事態でもあったのか? ドニーは考えた。
結局、アンドリューは深夜まで残業をした。技研の建屋に住んでいるドニーにとっては日常のことであったが、アンドリューには家族がある。
「先生、家族はどうしたんです。俺との賭けに負けますよ」
「それは......」
アンドリューは苦々しげに言葉を噛み潰した。彼は「いや、私の負けだな」と言って、荷物をまとめた。
「なあ、私は君たちに酷いことをしたか?」
「先生、急にどうしたんですか」
「辛いんだな、何かを失うってのは」
「そりゃそうですけど......もしかして」
言葉に詰まる。本当はすぐに否定するべきだった。思えば、最初の出会いからそうだったのではないか? アンドリューはずっと自分たちを利用しようとし続けてきた。表面上のやさしさだけ取り繕って、あとは彼の欲すままだったというわけだ。
「すまない、ドニー」
「甘い男です。あなたは。技研の気風に合ってませんよ」
気づけば、そんな言葉がドニーの口から飛び出していた。ドニーの奥底で妙な熱さと冷たさが渦を巻いている。それが、言葉を彼の肚から押し出した。技研はアンダーソン・ロボティクスのはみ出しものを押し込めた檻だ。皆が真理を追い求めて谷底に身を捨てる中、二の足を踏む者が勝てるわけなどない。
アンドリューはこめかみを抑えながら、少し頭を振った。彼は何かを振り払いたくて仕方がないようだった。
「合っていない......そうかもしれんな」
「じゃあ」
「だが、やるべきことができた。私はしばらく理論の研究に専念するから、その間のことは頼めるか」
いつも通りのやさしい声音で、いつも通りの微笑みで彼は言った。取り繕うのが上手い男だ。だが、ドニーには通じない。彼はアンドリューの心が泣いていることを知っている。
「少しお休みになってください。その間のことは、俺が」
「ああ......」
アンドリューは荷物をまとめて、力なく立ち上がる。そして彼はオフィスを去った。空っぽの部屋でドニーはため息をつく。体の底で巻いている渦は、一層強まりつつあった。
あくる日の朝、ドニーは一件のメールを受け取った。アンドリューは大連の高校に転属になったとのことだ。
それからすぐに「国」がなくなった。そして、企業によるパワー・ゲームの時代が訪れた。
静かなオフィスの中で、ドニーは一人ソファーに座る。どうしても、あの木製のデスクに座る気はなかった。それは彼の居場所ではない。寒々しく、またよそよそしい部屋であった。
ドニーは目を閉じる。あの雪の日を思い返す。あの時、アンドリューは自分にどんな目を向けていた? バイクを自分にぶつけた時、死んでしまっても構わぬと思っていたのではないか? いや、そんなはずはない。
そう思わずにはいられないほど、自分は彼のことが好きだったのだと驚いた。そう自覚した瞬間、彼は自分の心の底の渦がすっかり冷えてしまっていることを知った。
アンドリュー。あなたはやはり、甘さを捨てきれない男だ。メガコーポの中で生き残るためには非情にならざるを得ないと知っているはずなのに、なまじ人のことがわかってしまうから、人に情をかけるフリができてしまう。
そして、あなたは喪失によってその情が何たるかを知った。では、今までのあなたは、我々に何を思っていたんだ? ドニーは携帯端末を取り出して、アンドリューの番号にかけた。しかし、応答はない。
アンドリューとは訣別をしなければならない。頭ではわかっている。だから、手元のタブレットでサイバネ導入の申し入れもした。しかし俺はあなたの心を見つけることができなかったその事実が、彼に重くのしかかる。
せめて、報いねば。
ベニモトは飲みかけの茶杯を机に置き直した。技研を去った一方で、アンドリューは財団と手を組んでデジタル・ヒューマン・トランスファーの研究をしている。結局、人の生まれ持った性からは逃れられないということか。
「わかるか、ベニモトくん。そういった善意が、技研を作ったのだ。しかし、人は善きことのためなら、どこまでも邪悪になれる。私はそれをよくわかっているつもりだ」
「やはり、あなたは卑怯です。アンドリューさん。ドニーはかなり怒っていますよ。なぜ財団と手を組んだのです」
「あれは私に報いようとするあまり、技研を大きくすること以外に目が向かなくなっている。財団と手を組んだのは、コーポの連中の中で一番マシだと思えたからだ」
ベニモトは考える。DHTの理論部分の論文をarXivに公開したのはアンドリュー自身だ。では、実験論文の暗号データを流したのは? アンドリューの他に、暗号を復号するための「鍵」は誰が持っている? そもそもなぜ、理論の論文を流した? 彼が失ったものとは、何だ? 点と点がつながり、ある一つの絵が見えてくる。ベニモトは思考の速度でメッセージアプリを開き、シャープシューターにメッセージを送る。「我々が退席したあと、透明化を維持してアンドリューの部屋に潜入せよ」シャープシューターはわずかに身じろぎをした。彼のつけている覆面にメッセージが投影されたはずだ。
「そういえば、リィンの行方については?」
「......ニッソがヤクシに買収された時のゴタゴタで、行方不明になったと聞いているが」
「わかりました。では我々はこれにて失礼します。お茶とサンドイッチ、ありがとうございました」
ベニモトは立ち上がり、奥ゆかしく一礼する。一行が外に出た瞬間、シャープシューターは透明化し、アンドリューの部屋に滑り込んだ。さて、あんたが見えた絵を俺にも見せてくれ。心の中で独り呟いた。
旧世紀の警備会社のコマーシャルを思わせる体制で、彼はは壁と天井の間に張り付いた。アンドリューには気づかれない。彼は勘が少しいいだけの一介の凡人にすぎず、共鳴者たるシャープシューターの透明化を見破れるはずがないのだ。彼は写真立てを起こす。なるほど、そういうことか。彼はベニモトにメッセージを送る。「鍵のありかがわかった。」
新大連自由市、ナカヤマ・ディストリクト某所。湿気った空気の地下室に、男と女が一人ずつ。女はソファーに座ってスピーカーから流れる日本語の音楽に耳を傾けており、男は赤白の"コンバットドレス"〈メスジャケット〉の装甲を開いて中の機械をいじっていた。そのコンバットドレスには、毛筆体で「轟海」と書かれていた。どちらも年齢は二十代前半といったところだろうか。男が手を後ろに伸ばすと、見計らったかのようなタイミングで女がモンキーレンチを投げ渡す。
「気味悪いくらいだな。轟海の『素質』は」
「......あまりこれに頼りたくはない」
「そうだったな。すまない」
轟海と呼ばれた女は、サイドテーブルに置いてあったペットボトルから、水を舐めるようにして飲んだ。彼女は〈メスジャケット〉に溜まっていたさまざまな疲労がその男の手によってたちまち取られていく様を見学している。
「この歌、好きなんだな」
「ファンだから。歌っている人の」
この曲自体が作られたのは今世紀の初めごろである。しかし、歌っている女性は轟海の友人であった。彼女は目を閉じて、音の世界に沈み込む。『素質』が起動し、脳裏に鮮明な映像が流れる。コンサートホール。アコースティック・ギターを弾く女性。爆発。轟音。ブラックアウト。またこれだ。轟海は目を開け、頭の中を支配する虚無の中で思考をする。
そう、私は自由になれない。彼女を地獄の業火の中に置いたままでは。
「それで、死者蘇生なわけか。マジで現実見た方がいいと思うぜ」
「......わかっている。だが」
「仕事ができるのはいいんだが、辛気臭いんだよな。轟海は。もうちょっとさ、今を生きてくれよ」
その男の呑気な呟きに、轟海は「ああ......」と頷き返すしかできなかった。その時、彼女のサイバーアイに一つのメッセージが現れる。差出人はPUNKS.net。内容を見る。オープン・コントラクトで、ターゲットは
午後一番のバレーボールは、華果がその身体能力を十全に発揮した。彼女が身長の倍の高さまでジャンプし、殺人的なスマッシュを連発した結果、メイウーらのチームは相手にほとんど点を取らせずに勝つことができた。たまに相手方から飛んでくる球は、メイウーが身長の低さと敏捷性を活かして地に落ちる前に拾った。相手方のチームもそれなりに身体をサイバネ強化していたが、それでも超えられない壁はあるものである。
「ね、ちょっと外に遊びに行かない? あなたも私も、課題の進捗は大丈夫でしょ」
体育のあと、少しだけ火照った体をロッカールームで冷やしながら、メイウーは華果に言った。華果は胸肉の余った部分をスポーツブラに押し込みながら「いいね、行こう」と同意した。メイウーは手早くアメカジ風の服を着込んだ。
夕暮れ時の大連は、黄色くぼやけている。それは大陸の奥地から運ばれてくる砂のせいか、はたまた独特の風土がそうさせるのか。極彩色のメガロシティが寝ぼけ眼を擦り、チカチカと広告ドローンが瞬く。本当の星はきっともっと素晴らしいものだろうが、今のメイウーにとってはこれで十分だった。
ナカヤマ・ディストリクトの中心に位置する中山広場。この時刻になると、近くに住んでいる老若男女が体操をしに集まってくる。「広場ダンス」と呼ばれる行いだ。その人波に紛れ、メイウーと華果は公園裏の屋台ストリートへ行く。「二百五」「混蛋」「孔子の尻、尻孔」などといった悪罵を極めたグラフィティを覆い隠すようにして、「水餃」「空芯菜」「椰の吸」などといったノボリや、香ばしい蒸気が立ち上っている。メイウーは行きつけの包子屋台へと一直線に歩き、席に腰掛けた。
「四つちょうだい」
「二つで十分ですよ。うちのはデカいからね」
「じゃあ、一人二つってことで、四つお願い」
「任せてくださいよ」
華果が少し遅れてメイウーの隣に座ると、屋台の老主人は匂い立つ肉まんを四つ紙皿に盛り、二人の前に出した。メイウーはそれを片手で鷲掴みにして、躊躇なく頬張る。
「とんでもなく熱いのに、よくいけるね。それ」
「......そう? 結構ちょうどいいと思うけど」
華果は恐る恐る指先で肉まんに触れ、その度に「あちっ」とこぼして手を引っ込める。この様子では、メイウーが食べ終わるのが先か、華果が肉まんに口をつけるのが先か、わかったものではない。しかし、メイウーにとってはそれが良かった。華果が豪快にものを食べる様子を見るのが好きだからだ。ふと、やわらかな視線を感じて、メイウーは華果に視線を向ける。「なに?」と聞けば「ううん、何でも」と華果が答える。
華果は肉まんを両手で掴んで、口元へと持ってくる。その時、二つの通知音が同時に鳴った。華果と、屋台の老主人から、同時に。二人は直ちに携帯端末を確認する。そして目を見合わせ、同時にメイウーの方を見た。華果は悲痛そうな表情で、屋台の老主人はやけに鋭い目で。次の瞬間、空気が弾けた。少なくとも、メイウーはそのように認知した。
「なに......何!?」
「......背中に気をつけろ、躊躇わずに撃て、タイプ・ブラックには手を出すな」
半壊した屋台、弾き飛ばされたメイウー。彼女が目撃したのは、前腕から血を流しながら意味不明なつぶやきをする華果と、マチェーテを構えた老主人であった。華果は流れ出る血を両の親指で取り、それで唇と目の下に紅を入れた。化粧、バイト......もしや、叛客? どうして華果がそんなことを?
華果は直ちに動き出した。メイウーがギリギリ目で追えるかどうかの速度で老主人に肉薄する。マチェーテの間合の内側に入り、コンパクトな打撃を放つ。老主人は太極拳の構えでそれを一つずつ丁寧にいなしていく。
「その娘を守るか。あのインセンティブで」
「友達だから!」
マチェーテの柄の打撃を前腕で受ける。一瞬止まったその隙に、ショートフックを相手の腕に叩き込む。これでマチェーテが落ちた。そのまま彼女は老主人の腕を抱え込み、合気道の要領で投げ飛ばす。その時、肘を逆側に極めて折るのも忘れない。
「これで痛み分け。あんたの包子また食べたいから。......メイウー、逃げるよっ」
「う、うん」
華果はいつになく勇猛に、メイウーの手を取って走り出した。遠くから撃たれている。だから、できるだけジグザクに。二人は中山広場に飛び込み、健康増進ダンスを踊る老若男女に紛れる。その間も周りを警戒することを忘れない。人の目が多いこの場所では、ヤクザ騒ぎや大っぴらな戦闘はやりづらいはずだ。メイウーは母の務める刑事警察機構に通報をした。
その時、二人を取り巻く人が不自然に動きを止め、メイウーのことを見た。ここもダメなのか。叛客が多すぎる。新大連の治安はどうなっているのだ。さまざまな思考が脳内を駆け巡る。華果はヤケになってしまったようで、手当たり次第に怪しい人影を殴り、また蹴り飛ばしている。
「さっきの、何!?」
「メイウーが狙われてるの!」
「なんで!」
心当たりはない。メイウーは華果が投げてよこしたポンチョを被る。誰かから剥ぎ取ったものなのだろうか。わずかに生暖かい。
「なんでかは後で説明する! 今はとにかく逃げるのよ!」
「逃げるたって、どこに!」
「学校!」
華果は走りながらメイウーの生体端子に何かを差し込んだ。メイウーの視界に「Disconnected」の文字が映る。インターネットから切断されたのだ。もし何かのGPS信号が発されていたとしても、これで大丈夫だろう。
「これで多少は追っ手を撒けるよ」
敵はそこかしこにいる。この混乱に乗じて、全く関係のない火事場泥棒を行う叛客もいるだろう。しかし熟考の暇はない。とにかく走り続けなければならないのだ。二人は中山広場を出て、大通りへ。さらに人通りの少ない裏通りへと進む。
「メイウー危ない!」
「きゃ」
思わず悲鳴が口から漏れてしまう。華果がメイウーを抱いて飛び退いたのである。先程まで二人が居た場所には弾痕。射手のほうには三つの人影。それらは、三つ子のようにそっくりな見た目をしていた。それらは、日本の時代劇に出てくるような甲冑と刀を持っていて、さらに肩からはアサルトライフルを提げている。華果はこの恐るべきクローン兵器について知っていた。日系のバイオテック系メガコーポ・ヤクシが開発した培傭侍バイヨウサムライである。しかし、その頭部には見覚えのないアタッチメントが取り付けられていた。それにはアンダーソン・ロボティクスのロゴが描かれている。ヤクシとアンダーソンは反目しあっているはずではなかったのか? 華果は考えた。しかし、結論は出ない。
「「「逃げないでください。ご同道を願います」」」
三体は同時に声を発した。華果は悩まず、狙いをつけて飛び蹴りを放った。しかし、それはまるで先読みされているかのように回避される。なんで!? いつもの奴らより連携がいい! そう考える間もなく、培傭侍の刀が華果の防御をすり抜けて彼女の胴体を切り裂く。直前に刃筋をずらすことができたから、傷は浅い。
「華果!」
みっともない。私は親友に守られてばかりなのか! メイウーは心の中で悲痛な叫びを聞いた。メイウーは培傭侍に視線を向ける。彼女の視界の中に「ハッキング機能使用?」の文字列が写った。なにこれ。私、電脳化はしていないはずだけど。しかし、なりふり構ってはいられない。メイウーは首筋に差し込まれたインターネットブロッカーを抜き、それを捨てた。
その時、彼女は色彩を見た。華果が次に何をしようとしているかわかる。培傭侍の動きも手に取るように。彼女は脳内で適当なジャンクデータを生成し、目の前の培傭侍に送信する。それは一瞬だけ彼らの動きを止めた。そして、華果にとってはその一瞬こそが最も欲していたものであった。
空中で翻筋斗を打った華果は近くに落ちていた小石を三つ拾い、彼女の剛腕で持って投げつけた。それはまさしく殺人的であり、培傭侍の額を貫く。
しかし、それで終わるわけではなかった。三体の培傭侍は確かに沈黙した。それとは別に、やけに揃った足音が四方八方から聞こえてくる。囲まれた。培傭侍に。しかもその全てが謎の頭部アタッチメントをつけている。
華果が覚悟を決めたその瞬間、サイレンともに白黒塗装のセダンが飛び込んできた。
大連の交通事情は悲惨である。朝や夕方などの人の動きが大きい時間帯には常に渋滞しており、オービスなどはおよそ百メートルごとに設置されている。刑事警察機構のユンは、ハンドルにもたれかかりながらつぶやく。「これじゃ、機動警備隊の名が泣くね」助手席に座っている、異常発達した筋肉を持つ男ズオ・ホーがため息をついた。
「交通整理は交通課の仕事だ。俺らとは関係ない」
「これじゃ、なんかあっても走ったほうが早いかもしれないねえ」
勘弁してくれ、とでも言いたげにズオ・ホーは額を手で覆った。彼の手のひらだけでユンの顔ほどの大きさだ。車列が僅かに動いたかと思えば、また止まる。その間を歩行者がすり抜けていく。バイクや原付も同様に。一番右の車線は駐車場と化しており、時折なぜか逆向きに駐車している者もいる。ちょうど曲がり角に停まっている車も。
「大通りに出ればちょっとはマシになるだろうよ」
「まあねえ。ラウンドアバウトが増えたとはいえ......」
ユンがそれを言い終わるや否や、ダッシュボードに搭載された警察無線が鳴る。ズオ・ホーが受信ボタンを押せば、いつもどおりの機械音声が流れる。〈ナカヤマ・ディストリクト、解放大路付近で暴行事件発生。ヤクザ案件です〉「機動警備隊502、現場に向かいます」無線機に吹き込んでから、ユンはグローブボックスから青色の回転灯を取り出し、サイレンを鳴らす。
「緊急車両じゃ! 道開けんかい!」
「どっちがヤクザだか......娘さんには見せられんな」
ユンがそう叫ぶと、自動運転機能を搭載している車種が、わずかながらも道の端に寄る。それにつられて、人間が運転している車も。道の中央に、ギリギリ車が一台通れるくらいの隙間が開く。
「とっととせんと違反取るぞ〜〜!」
そうやって声を張り上げたおかげか、二人の乗っている車は大通りに出ることができた。赤信号も構わず右折して、解放大路に入る。普段と変わらないストリートではあったが、心なしか交通量が少ないだろうか。しばらく車を走らせれば、不自然な通行止めが現れる。
「こんなところ、止めてたか」
「いや、そんなことはない。突っ切ろう」
「了解」
ユンはアクセルを踏み込む。作業員が「ちょっとやめないか!」と叫ぶが、二人の乗っている車は構わず突っ込んだ。形ばかりの柵が弾け飛ぶ。ふと、遠くで銃声が聞こえた。
「狙撃手がいるな。対応頼めるか?」
「了解」
ユンが車を止め、ズオ・ホーが外に出る。彼は有り余る筋肉を駆動させ、身長の三倍の高さを跳ぶ。瞬く間に巨体がビルの隙間に消えたことを確認してから、ユンは再び車を走らせる。彼女の超人的視力は、よく知る二人の少女が薬師医機の恐るべきクローン兵器と対峙する様をしっかりと捉えていた。アクセルを踏み込む。モーターのコイル鳴きが物悲しく響く。
それはパトカーであった。空力の良いセダンに大出力のモーターを載せ、車体前面には衝角さながらのプッシュバンパーが搭載されている。幾らかの培傭侍を赤茶けたシミにした直後、そのパトカーのドアが開く。そこから出てきた顔は、華果もよく知るものだった。メイウーの母、ユンである。メイウーの家には何度か遊びに行ったことがあったので、二人は顔見知りだった。
「乗って!」
「はい!」
ユンに答えた華果は、メイウーをパトカーに押し込んでから、彼女の隣に座る。普段は素行の悪い人間を載せていることが容易に推察されるような切り傷や打擲痕に塗りつぶされた後部座席だが、不思議と車内に殺伐な雰囲気はない。防弾アクリルで前部座席と区切られているにもかかわらず、安心が残っているのは、ユンがハンドルを握っているからだ。
体が暑い。さっき無理をしたせい? メイウーは強烈な眠気を感じる。こんな時に? その厄介さを呪う間もなく。彼女は眠りに落ちた。
「ユンさん、メイウーが」
「......上着を捲ってあげて」
華果はメイウーに触れた。彼女は到底人が出して良いものではない熱を発しながら、苦しそうに眠っている。華果は彼女のオーバーオールを半ば脱がせ、スウェットをまくる。脇腹の上の方から肋骨のあたりにかけて、彼女の体にはサメのようなスリットが開いていた。そこから狂いじみた熱気が放出されている。
これは親友の秘密だ。それも、私が知ってはいけない類の。華果は携帯端末を見た。オープン・コントラクト。『死者蘇生』の実験論文の鍵。報酬は三〇万。ターゲットの写真は、知っている顔メイウー。依頼主は、アンドリュー・チャン。
「それで、どこに行く?」
「......とりあえず、学校まで」
「あいよ」
確かめなければならない。これは嘘に決まっているから。誰かが先生を嵌めたに違いない。だって彼は、やさしい人だ。
高校はすでに黒煙に覆われていた。どこの所属とも知れぬ叛客が好き勝手に暴れ回り、校門などは半分ほどが瓦礫になっている。いくら治安が悪いといえど、このようなことは新大連においても珍しくあった。華果につづいて、華果はメイウーを抱えて車から降りる。斜め後ろからアスファルトを引き裂く轟音が聞こえたかと思うと、そこには大男が立っていた。彼はユン同様に刑事警察機構の制服を身に纏っている。そして、右腕には機械の生首。
「ズオ・ホー、大丈夫だった?」
「唐代功夫の使い手の狙撃手だったもんで、ちと手こずったが」
そう言い放つ彼の体には、いくつもの生傷が刻まれている。そこから見える血液は赤色ではなく、青色であった。何かの生化学的身体強化をしている証である。彼は二人に同情のこもった視線を投げかけた。同情はするが、どうすることもできない。そういう視線だ。
「娘さんと、そのご友人か。挨拶もできずすまないな」
男ズオ・ホーは儀礼的に言葉を発する。華果は彼にほんの僅か頭を下げた。腕の中のメイウーが持つ熱は、少しずつ落ち着きつつある。とはいっても、平熱までは程遠いが。
「奴ら、統制が取れていない。ごろつきどもの集まりだ」
ズオ・ホーは学校の周りで暴れ回っている叛客をそう評した。周りを見渡してみると、確かにそのようだ。装備の品質もバラバラで、やっていることも無軌道。総体として何がしたいのかがよくわからない。華果はそのように結論づけた。
「とりあえず、二人とも学校の中へ。それまでは私たちが守るから」
アンドリュー氏の部屋の角に両手両足を押し付けて壁に張り付いてから数時間。俄かに外が騒がしくなり、銃声や爆発音が好き放題に聞こえてくる。覆面の通知を見ると、アンドリュー・チャンの名義でバラマキ依頼が出されていることがわかった。外の騒音は校内にも浸透し、部屋の外から悲鳴が聞こえてくる。
これはベニモトの仕事でもないし、当然アンドリューが依頼を出したわけでもない。であれば、ベニモトの上司であるというドニーが、アンドリューのフリをして依頼を出したということになる。
アンドリューは極めて落ち着いた様子で本棚を一瞥した。そういえば、外から見た時と中から見た時、部屋の大きさがやや違かったような気がする。本棚の裏に何かあるのか。アンドリュー氏は立ち上がり、窓のシャッターを少し開けて外を見た。それは迂闊だぞ、と声をかけそうになったが、ここにいることが気取られてはいけない。
壁に押し付けている手足が僅かに震える。その瞬間、木製の扉を押し開けて一人の叛客が部屋に入ってきた。彼はアンドリューの姿を見るや否や、腰に提げた拳銃を撃つ。このトーシローめ。シャープシューターは心の中で毒を吐く。アンドリューは呻き声をあげて、その場に倒れた。
シャープシューターは壁から離れ、音もなくその叛客の後ろに位置取る。そのまま拳を引き絞り、心臓の裏に向けて一撃を放った。その衝撃は叛客の体内に浸透し、心臓を容易く破裂させる。血を吐いて倒れる叛客のウエストポーチから応急処置キットを剥ぎ取る。それを倒れたアンドリューの元に投げた。透明化したまま一連の動作を行なったので、アンドリューから見れば応急処置キットがどこからともなく降ってきた形になるか。彼は痛みに顔を歪ませながらも、怪訝そうな表情でそれを手に取った。シャープシューターは、彼が痛み止めと止血剤を取り出したのを見届けると、部屋を後にした。子どもを傷つけさせるわけにはいかない。
学校の中に入り込んだ叛客を排除する。唐代功夫の使い手が多少混じっていたが、実力はシャープシューターが歯牙にかけるほどではなかった。シャープシューターは正面玄関のシェルターを下ろす。裏口は開けたままにしておく。この校舎の構造を知っている人間が避難をしやすいようにするためだ。
校舎を一通り回り、怪我をしている人々を起こす。そろそろ十分だと判断した彼は、アンドリューの居室に戻った。元の優美なアンティーク調家具はすっかり血に濡れて薄黒くなっている。部屋の変化は、それだけではなかった。本棚が少し移動し、今までは見えていなかったハッチが顕になっている。その取手には血痕が付着していた。
その時、ベニモトから着信があった。
[シャープシューター、セイロが起きた。こっちの指令を聞かないので、対応を頼めるか]
「その分の報酬はもらうぞ」
[わかっている]
二人がした契約は「実験論文の暗号データを手に入れるほか、アンドリューとの交渉時に圧力をかける」というものだった。その契約はすでに満了している。つまりシャープシューターにこの依頼を聞く義理はなかったが、彼はベニモトの潔さが気に入っていた。覆面からセイロの位置座標を確認する。彼女は音速でこの大連先端科技高校へと向かっていた。
「ベニモトさん、あなたは技研に戻るな。あそこは危険だ」
[了解だ......さらにもう一つ頼まれてほしい。アンドリューと話したいのだが]
シャープシューターはハッチの中に飛び込んだ。その先には司令室じみた部屋がある。彼は地面を力なく這うアンドリューを見つけた。
「おい、先生。どうした」
「......何だね」
「敵じゃない。ベニモトさんが話したがっている」
シャープシューターはアンドリューを抱え上げる。そして彼のことを部屋の中央まで運ぶ。そこには天使のような謎のロボットが安置されていた。アンドリューはコンソールに取り付き、何らかの操作を始めた。シャープシューターは携帯端末のスピーカーをオンにした。やや悪い音質で、ベニモトの声が流れる。
[アンドリューさん、そこは危険です。早く離脱してください]
「......ベニモトか。この怪我では無理だよ」
[すみません、私の落ち度です。ドニーさんの執念を見誤っておりました]
確かに彼は致命傷を負っていた。凄まじい痛みなのだろう。彼はそれを堪えてコンソールの操作を続けている。見上げた執念だ。シャープシューターはこの男に少しの敬意を抱き始めていた。
「......守りたい人がいるのだが、紹介できる叛客はおるかね?」
[一人だけ。ですが、その叛客はあなたの希望と相反する依頼を受けています。四〇万は出していただかないと]
「構わん。どうせ死ぬ者の金だ」
ベニモトはシャープシューターを通じて、ある叛客の連絡先と口座情報を送った。やはりベニモトも甘さを捨てきれていない。だが、それこそ人を人たらしめるものだ。アンドリューはメッセージアプリと銀行アプリを開く
高校の校庭では雑多な叛客が火事場泥棒をしようと暴れ回る中、プリモルディアルの警備騎士や刑事警察機構の警官らが入り混じり、しかし、それさえ過ぎれば安全地帯に入れる。壁を直接破られない限り、学校の中で戦闘が起こることは滅多にない。華果の腕の中のメイウーが身じろぎした。「どう? 立てそう?」華果がそう声をかけると、メイウーは弱々しく頷いた。彼女はメイウーを地面に下ろす。
ずっとあの夢を見ていた。見せられていたと表現した方が正しいか。何度もあの雪原に飛ばされて、何度もあの血まみれの分娩室に吸い込まれる。そして、何度もあの男と手を合わせる。途中、まるでコマが落ちたみたいに夢の映像が不連続になっていたような気がする。それはまるで熱暴走であった。
サイバーアイの端に表示されている時間は、メイウーの意識が断絶してからおよそ三〇分後を示している。体が熱い。だが、動けはする。関節の軋みを感じつつ、メイウーは華果の肩を借りた。身長差のせいで、華果がメイウーを半ば引きずるような形になってはいるが。だが、今はそれでいい。ユンとズオ・ホーが二人に降りかかる火の粉を払ってくれている。ただ、前に向かって足を進めればいい。
正門にはすでにシェルターが下ろされていた。華果は声を張り上げて、裏口へ向かうように指示した。校舎の裏の簡素な扉は、まだ叛客に見つかっていないようだ。メイウーと華果が校舎内に入るのを確認した警察二人組は、軽く頷いてその場を後にした。
華果はその辺りに散らばっているガラクタをかき集めて、簡易的なバリケードを作った。裏口はここだけではない。これから校内に避難しようとする人たちには、諦めて別の扉を使ってもらうしかない。
華果の肩を離れて、メイウーは一人で立った。随分と久しぶりに歩いたような気がした。彼女はがらんどうの廊下を見渡す。普段は活気にあふれた高校だが、生徒職員らは皆シェルターに避難してしまったのだろうか。メイウーは構内の地図を脳裏に思い浮かべる。
「ちょっと、メイウー。大丈夫なの?」
「大丈夫。大丈夫だから」
華果の問いかけに、彼女は決然と答える。体も十分に冷えている。だから、大丈夫その言葉は、メイウー自身に向けられたものでもあった。二人は手を繋ぎ、ゆっくりと廊下を歩いていく。外から断続的に銃声や爆発音が聞こえてくる。それらは校舎の分厚い壁に阻まれて、ぐぐもった音となっている。まるで、夢の中にいるようだった。
廊下の角を曲がる。高校のシェルターは寮のほうにある。誰もいないものだから、校舎に染みついた汚れがやけに目立って見える。それは、この場所がいまだに生きている証だった。
騒音がだんだんと小さくなっていき、代わりにサイレンの音が聞こえてくる。メガコーポの警ら隊か、刑事警察機構か。どちらのものかはわからないが、とにかく仕事はしてくれているようだ。
「メイウー、アンドリュー先生のところに行くよ」
「なんで?」
「確かめたいことがあるの」
華果は決然と言った。それは有無を言わせぬ圧力を持っていた。床に落ちている血痕を辿る。それはアンドリューの居室の方まで続いていた。閉じている木製扉を、メイウーは押し開ける。その部屋には血飛沫が広がっていた。華果はそれが銃創によるものだと気づく。
また、この部屋に何度か来たことのあるメイウーは、部屋に生じた異変に真っ先に気づいた。本棚の位置がずれて、地下へと向かうハッチのようなものが露わになっている。その取手には、わずかに赤茶けた血痕が付着している。
「メイウー、それって」
「多分、アンドリュー先生が......」
メイウーの声には哀しみが滲んでいた。彼女の頭の中で、母の顔がリフレインする。メイウーはハッチを開け、梯子を降りていく。どうやら華果もついてきているようだ。
その先は、極度にハイテック化された部屋であった。何かを示しているモニターや、用途不明の寝台、それに無数のモニターの煌めきがある。どうやら先ほどのハッチはアンドリュー専用の通路だったらしく、ハシゴの横には大きな扉がある。学校の地下にこんな部屋があることに、二人とも驚愕の表情を隠せない。さらに、奥のポッドには謎めいた機械人形が鎮座していた。メイウーは、それが今朝見た天使のような不明機体であると直感した。
その横に、アンドリュー・チャンの姿がある。彼は夥しく出血しており、顔に脂汗を浮かべていた。
「先生!」
「な」
メイウーの呼びかけに、アンドリューが彼女の方を向いた。メイウーは彼の元へと歩みを進める。近づくと、アンドリューの操作している画面が見える。そこには「自爆コード: 62E」の表示があった。痛みに呻くアンドリューの背中に触れる。肋骨の下、脇腹のやや後ろ側あたりに大きい傷がある。腎臓が傷ついていた。彼は痛みに抗いながら、無理に笑顔を浮かべた。
「こんなところで何をしている。早く逃げろ」
「先生こそ、こんなところで何を......」
「野暮用だよ。ただの」
地下室全体が揺れたような気がした。外で轟音が聞こえる。アンドリューの声からは慈しみが漏れていた。メイウーはこの慈しみに覚えがある。そう、あれは夢の中? メイウーは無意識のうちに手を差し出した。その手とアンドリューの手が重なる。その瞬間、彼女の脳裏に雷光が走った。
雪が降りしきる新大連を、男が走る。行き着いた先は、大連中山医院。ナカヤマ・ディストリクトの中心地に位置する、巨大な病院だ。そこが財団によって運営されていることを、メイウーは知っていた。病院の正門に入り、手早く手続きをする。
男は案内表に従って、分娩室まで走る。だんだんと血と臓物の饐えた匂いが強くなってくる。やがて、驚くほどに静かな分娩室の扉前にやってくる。男はその扉を押し開けた。途端、足元に血が流れてくる。赤黒く、生気を感じさせない血だった。
医者は首を振っている。どうやら為す術もなく、危機的出血により男の妻は亡くなり、娘は腹の中に取り残されたままらしい。妻の首筋から伸びているケーブルは、フラットラインを示すモニターにつながっていた。男はその場に膝をつき、慟哭する。
その嗚咽に合わせて、別の泣き声が聞こえる。必死に息をしようとして喘ぐような泣き声だった。男はその声に平静を取り戻す。まるで、分娩室の空間そのものが泣いているかのようだった。モニターの表示が一瞬消え、赤子の泣き顔が映る。赤子。男と、男の妻の。
男はモニターに駆け寄る。心の中に、熱い希望が湧き上がってくる。男は滂沱の如く涙を流す。悲しみの涙ではなく、希望の涙だ。彼はそのまま、モニターに手を差し出した。赤子の丸い手が写っているモニターに、ゆっくりと手を合わせた。
「メイウー伏せて!」
呆然としていたメイウーは、華果の声によって現実に引き戻される。それを追いかけるようにして、金属製の大扉が赤熱する。華果は並んでいる机の後ろに隠れた。
そして、空気が赤く染まり、爆ぜた。
空が青から黒に切り替わる境目を、一機の"コンバットドレス"が飛んでいる。それは赤白に塗装されており、胸部には「轟海」と毛筆書体で書かれている。先日のアンダーソン・ロボティクス大連支社を襲撃した時と、その機体の様子は違った。ブースターなどが収められているバックパックには剣の持ち手のような二本の棒が刺さっているほか、両手両足に大量のマイクロミサイル、さらに腰にはライフルが装着されている。
オープン・コントラクト。「メイウー」なる少女の確保、報酬は三〇万。彼女こそが、『死者蘇生』の実験データの鍵を握っている。依頼主はアンドリュー・チャン。轟海はHMDに依頼内容を写し、確認する。死者蘇生の論文は確かに欲しい。しかし、この依頼はあまりにも怪しくはないか? 背中に気をつけろ、と彼女の『素質』が囁く。
「マスター、こちら轟海。大連先端科技高までおよそ三〇秒」
[了解待て、依頼が入った。これは......妙だな。送信する]
思考入力でHMDの操作をする。マスターから転送されたメッセージを開封。クローズド・コントラクト、報酬は前払いで四〇万。護衛依頼で、対象は「メイウー」なる少女。依頼主はアンドリュー・チャン。なるほど、絵が見えてきた。すなわち、あのオープン・コントラクトはアンドリュー・チャンによって出されたものではない。他の誰かが、メイウーを確保するためにアンドリューの名を騙ったのだ。思えば当然の話だろう。学校の先生が、その学校に通う生徒を確保するために、叛客に依頼を出す必要はない。そして、年端もいかぬ少女をどうこうするのは、轟海の信じる道みちにそぐうものでもなかった。
「依頼確認。この依頼を受けます」
[OK。待て、前方より高熱源体!]
轟海の額のあたりから、閃光が走った気がした。この感覚には覚えがある。昨日、アンダーソン・ロボティクスの大連支社で感じたものと同じだ。前方から強い圧力が近づいてくる。轟海はHMDの映像を拡大した。荒い画像が直ちにAIによって補完され、真に迫ったCG映像となる。"コンバットドレス"だ。マゼラン重工製〈BDH-004 スワロウテイル〉。搭乗者はおそらくセイロとかいう女だろう。
轟海は脚と背中の推力偏向ノズルを前に突き出して、逆噴射をした。そして腰のライフルを構え射撃する。獰猛な獣を思わせるチャージ音に続いて、空気をプラズマ化しながら青色のビームが射出される。超伝導電磁石コイルによって加速された、重金属荷電粒子だ。亜光速で飛ぶそれは、本来宇宙空間での使用を想定されたものである。大気圏内では射程が著しく減衰するが、それでも掠るだけで相手を「蒸発」させられるので、轟海は好んで使用していた。
しかし、セイロの〈スワロウテイル〉は当然のようにそれを回避した。お返しとばかりに同じような光線が飛んでくる。轟海も機体を急加速させて回避。出発前に飲んだ水が胃の中で暴れているが、パイロットスーツの強い締め付けにより不快感はない。
二機は互いに向かい合って旋回を始めた。轟海の〈メスジャケット〉の方が軽量であり、機動性に限って言えばこちらの方が有利だ。しかし、相手の方がいいブースターをつけている。轟海は両手両足のミサイルをすべて放つ。行けっ! EVEによって誘導されるそのミサイルは、敵の『素質』が強ければ強いほどに喰らいつく。相手もほぼ同時にミサイルを放ったのがわかった。
空になったミサイルラックをパージ。轟海は〈メスジャケット〉を駆り、自分が放ったミサイルに紛れながらセイロの〈スワロウテイル〉へと突貫する。その途中で背中から剣の柄を抜いた。それは直ちに「点火」する。EVE場にトラップされた重金属荷電粒子が直ちに刀身を形成したのだ。
いや、このミサイルはダメだ。轟海は空中を伝わった思惟をキャッチした。彼女は〈メスジャケット〉を少し減速させてミサイルを先行させる。相手のミサイルと自分のミサイルが見事に噛み合い、空中でオレンジと黒の花をいくつも咲かせた。その向こうから、荷電粒子刀を構えた〈スワロウテイル〉が突貫してくる。そう。『素質』を持つもの同士の空中戦において、射撃戦は前菜に過ぎない。二機のコンバットドレスの構えた荷電粒子刀が噛み合う。〈スワロウテイル〉のティアラのような頭部アタッチメントに光が点滅した。頭痛周りのEVE場が揺れている。
「『天然物』にしちゃァ、強化されたアタシといい勝負じゃねェか。謝るぜ、腑抜けとか言って」
「......よく喋る!」
「喋らずにもわかるってかァ? さすがだねェ!」
彼女の声に含まれる悲しみが、轟海の『素質』で増幅され、全身の骨の中から突き刺すような痛みとなって表れる。轟海はセイロの〈スワロウテイル〉の腹を蹴り、一度距離を離す。セイロの放つ敵意から逃れるために。そうした瞬間、セイロから失望の情を叩きつけられる。
轟海は荷電粒子刀を構え直し、再びセイロと切り結んだ。空気がプラズマ化して光り、わずかに散った荷電粒子が二者の装甲を叩く。しかし、効果的な一撃を与えることはできない。『素質』を持つもの同士の戦闘とは、相手の数手先まで常に見えている将棋のようなものなのだ。
鍔迫り合いをするたびに、轟海はセイロの思惟に晒される。お前は本物、アタシは偽物。そういう諦念とともに、いくつかのビジョンが像を結び始める。
ある少女がいた。彼女は母親に半ば売られるようにして薄暗い建物の中に置き去りにされる。その建物は研究施設のようで、優しい顔をした男の求めるままに彼女は結果を出していく。男は彼女のことを褒め、また知るべきことを教える。いつしか、彼女は男を父のように慕っていた。
何も知らない彼女に、世界のありかを示して、また誰も知らないものを見せてくれた。だから、彼女はその男に報いたいと思った。その矢先、男は彼女に別の企業へ行けと指示をした。
その企業は酷いものであった。白衣の研究者たちは、その男とは違って、彼女のことを実験動物のように取り扱った。何度も頭にメスを入れられたものだから、彼女は以前のような笑顔を失った。頭の中に訳のわからないデバイスを埋め込まれた。確かに『素質』は強くなったが、それ以外を失っていった。
くそッ、同情するな、轟海。「躊躇わずに撃て」じゃないのか! 戦意を保つために一人叫ぶが、送り込まれるビジョンは止まらない。轟海は彼女自身の『素質』を停止することができないのだ。それこそ「真の自由」を得た時でもない限り。
やがて、その研究施設は火に包まれる。彼女はそこから脱出し、ネオンサインの輝く都市へと消えて行く。
何度目かの鍔迫り合い。轟海は込み上げる吐き気を抑えながら、必死に〈メスジャケット〉を操る。落ち着け。冷静さを失ったらやられるのはこっちだ。
「勝手に人の心、覗くんじゃねェよ!」
「そんなことをくっ!」
鍔迫り合いが解けた瞬間、セイロは彼女の荷電粒子刀を投げつけた。轟海は反射でそれを切り捨てる。高エネルギーの荷電粒子が四散し、プラズマ化した大気が閃光を放つ。それが〈メスジャケット〉の装甲を傷つけることはない。しかし、閃光が鈍化した思考に生んだ隙は致命的なものであった。
セイロの〈スワロウテイル〉が轟海の〈メスジャケット〉を掴む。セイロはノズルを上に向け、降下を始める。轟海も負けじとブースターを吹かすが、軽量機では分が悪い。重力が憎い。ここが宇宙なら、こんな無様はしないのに。その時、〈メスジャケット〉のHMDに着信通知。
[轟海という叛客、聞こえるか。こちらシャープシューター。そいつを地上までデリバリーしてくれ。近接戦闘は苦手だが、ある程度はやってみる]
「了解。助かった」
HMDにシャープシューターの位置座標が表示される。ここからわずかに離れたところであるが、問題はない。〈スワロウテイル〉を押し返すことはできなくとも、方向を変えるくらいならできる。
風をきる轟音と共に、地上が近づいていることを知る。コンクリートに激突してしまえば確実に死ぬので、轟海はブースターを吹かせて、軌道が地面と平行になるように調節した。
衝撃。それと、「背部装甲損傷」のメッセージ。ガリガリとコンクリートを削りながら、〈メスジャケット〉と〈スワロウテイル〉は着地した。
火花を散らしながら、ブースターを吹かせて半回転。頭を進行方向と逆に向けたあと、〈スワロウテイル〉の腹に足を添えて、巴投げをする。速度が打ち消し合い、〈スワロウテイル〉が空中で一瞬静止する。その瞬間、黒い風が〈スワロウテイル〉を捉えた。
「しゃあっ! 最高の瞬間の始まりだぜ!」
それはシャープシューターであった。晴れ空じみた歓喜の声とともに彼は振りかぶった拳を〈スワロウテイル〉に叩きつける。〈スワロウテイル〉は地面に落下し、小さいクレーターを作りながらバウンドした。あれはひとたまりもないだろう。轟海は戦場からやや離れたところで機体の状態を診断した。パーツの疲労が激しく、また装甲の消費も激しい。通話アプリを開き、拠点に連絡する。
「マスター、消耗したパーツを送るので、予備を送り返してください」
[あいよ。予備の残量が怪しい。気をつけろ]
「了解」
転送、開封、ドレスアップ。轟海の右手首に嵌め込まれた結晶体が輝き、〈メスジャケット〉が息を吹き返す。彼女は顔を上げてシャープシューターの方を見た。
〈スワロウテイル〉を地面に叩き落としたシャープシューターは、その機体の真横に着地した。起き上がりざまにブレイクダンスさながらの蹴りを浴びせかける〈スワロウテイル〉に対し、体を屈めながら攻守一体の蹴りを見舞う。顎を狙い澄ましたその一撃は、しかし〈スワロウテイル〉のショートフックと噛み合った。硬質な金属同士がぶつかったような甲高い音が響く。
「邪魔するな!」
「仕事なもんでな!」
蹴りの勢いを保ちつつ、シャープシューターは肝臓を狙って右ストレート。〈スワロウテイル〉は体をわずかにずらして打点を逸らし、同じく右ストレートを返した。シャープシューターは左手でそれに触れつつ一歩踏み込んで、腕を絡めての投げを試みる。〈スワロウテイル〉はブースターを吹かせて一瞬浮かぶ。それは空中で行われる受け身であり、投げ技を無効化するには最も良い手段だ。
「ずるいぜっ、そりゃ!」
「あんたこそ何? わからない!」
全ての"共鳴者"がEVEを読めるというわけではない。しかし、熟練の"共鳴者"は高速戦闘の中でも相手を観察して、体のわずかな動きから相手の意図を読み取ることができる。それは〈スワロウテイル〉の中にいるリィンにとって未知のものであった。
腕を掴んだまま、シャープシューターは身長の倍の高さを跳び、〈スワロウテイル〉にコンパクトな打撃を打ち込む。負けじと〈スワロウテイル〉も返す。
打ち合いながら着地した二人。最接近状態で最大効率の応酬。応酬。そして応酬。空気が震える。あまりにも速い拳で空気が圧縮されたのか、二人の間に星が散ってすら見える。
そうだ、このまま疲弊すればいい。そうすることで、俺の任務は全うされる。シャープシューターはそう考えた。......そういえば、やけに暑くないか?
二人の実力は完璧に調和しているように見えた。しかし、横で見ていた轟海には感じ取ることができる。あたりのEVEが〈スワロウテイル〉を駆るリィンの感情に励起される。それは未知への怖れから焦り、そして熱い怒りへと変わっていく。どうして邪魔をする。近くにいるのに。近くに。
轟海はリィンの思惟を感じ取っていた。〈スワロウテイル〉の急所にシャープシューターの拳が吸い込まれる。あまりにもあっけなかったそれに、シャープシューター自らも驚いた。その隙は致命的だった。
〈スワロウテイル〉はシャープシューターに組み付き、ブースターの出力を最大にする。この状態でシャープシューターにできることは少ない。二人は廃トンネルへと転がり込んだ。
リィンはそのトンネルの奥にある分厚い鉄扉を認識した。ぶつかってしまえば、二人とも無事ではいられまい。シャープシューターとは同じ仕事をしたよしみがある。リィンは腰からぶら下げた荷電粒子ライフルを取り、奥の扉に向けて一発撃った。
そして空気が赤く染まり、爆ぜる。
その爆風の中、メイウーはなんとか体を動かし、アンドリューを庇うことができた。金属やコンクリートの瓦礫が彼女の体に衝突する。視界にエラーメッセージが出現する。「脚部とのリンク切断」それを証明するかのように、腹部から鉄骨が生えていた。痛みはない。赤い血液の代わりに、ぬらぬらした油のような液体が垂れる。メイウーは後ろを見た。一機の"コンバットドレス"と一つの黒い影がもつれあって部屋に突入してきたようだ。華果は頭から血を流して地面に倒れている。
友達を傷つけられた。そのコンバットドレスによるもの? いや、もっと大きい力が背後で動いている気がする。体が動かない。頭がぼやける。......私はここで死ぬのか? いや、そんなことは
「メイウー」
アンドリューのバリトン・ボイスがメイウーの耳に染み込む。そのおかげで、彼女はいくらか意識を保つことができた。そうだ。私は親友を傷つけられた。背後にある大きな力がなんであれ、それを許すわけにはいかない。しかし、この体ではどうしようもない。目の前にある天使のような不明機体。そこから伸びる、ユニバーサル企画のケーブル。メイウーはそれを掴み、自分の首元の端子に挿し込んだ。ロボットを動かす要領でこいつを動かして、大事なものを傷つけた全てに中指を突き立てるのだ。
メイウーのサイバーアイに「DHT進捗」のバーが現れる。アンドリューの方を見ると、彼は必死にコンソールを操作していた。
「君がそう選択するならば、メイウー。私はそれに応えるしかあるまい」
「先生......」
「随分と大きくなったな。体調はどうか?」
父さん、とは言えなかった。そうすることは許されないような気がした。言おうとしても、口が動かない。視界もいつの間に黒くなっている。暗くなった視界に「DHT進捗四五%」の文字。一秒経つと、それが四六%になる。
「結局、私はお前に何もできなかったな」
その言葉は、メイウーに向けられたものではないような気がした。
そうだ、私は一度死んだのだ。そして、再誕した。電脳空間に浮かぶ意識として生を享けたメイウーに、アンドリューはどうにかして体を用意していたのだろう。その流れでサイバーアイや生体LANもインストールした。常人が全身をサイバネにすると、普通は狂うか鉄屑になる。そうならなかったのは、メイウーが最初から死んでいたからなのだ。
「DHT進捗」のバーが一〇〇%を示す。こうして、彼女は二度目の再誕を果たした。その視界は今までと比べてあまりにも高精細なものだから、彼女は少し目眩を起こしそうになった。しかし、己を機械だと再定義する。機械は、目眩を起こさない。呼吸もしない。だから、息も切れない。彼女の頭の上に、光輪が灯った。
それは、歪な形の人工天使であった。背中に折りたたまれていたブースターが展開される。そして、その一つ一つに炎が灯る。心の内から湧き上がる熱で、全てを焼き尽くしてしまえる気さえしてくる。その機体の背格好は、メイウー自身と非常によく似通っていた。彼女は設計者である父の気配をそこに感じた。
体にサイバネティクスを導入するということは、今までの体の使い方を忘れて、新しい体の使い方を脳に叩き込むということだ。メイウーは今までも機械の体を動かしていた。だから、この体も好きに動かせる。視界に「ARX-007-F Angeles」の文字が浮かぶ。それを追いかけるようにして「EVEセンサー起動」「テンソル演算装置起動」「縮退炉正常」「ブラックホール縮小」「IFF起動」「戦闘モード起動」の文字列が下から上へと流れていく。
緑のコンバットドレスと、それに押し倒されている黒い人影。黒い人影の方は、どうやら穴という穴から血液が流れ出ているようだった。そのコンバットドレスは〈スワロウテイル〉というらしい。〈スワロウテイル〉がゆっくりと面を上げた。メイウーは泣きじゃくる少女の声を聞いた気がした。
背中のブースターを全て点火させる。つながっていたケーブルが溶けるが、そんなことは気にしなくていい。そのまま赤で縁取りされている方のコンバットドレス〈スワロウテイル〉のもとへと突撃し、その体を掴む。
「ここから、出ていけェーーーッ!」
「パパ......」
パパ? そう考える間もなく、メイウーは加速していく。溶けた扉を抜け、廃トンネルを通り過ぎ、そしてさらに上へ。重力の手から逃れるように、成層圏。そして、黒い空へと。ふわり、と体が浮いた。目の前のコンバットドレスからは、悲しみの思惟が漏れ出ている。〈スワロウテイル〉の緑色のモノアイ。その向こうにある女性の双眸と、メイウーの目が合った気がした。
「パパは......アタシには何もしてくれなかったでもお前には」
彼女の悲しみが嫉妬に転化し、メイウーを襲った。〈スワロウテイル〉はプールで溺れる子供のようにジタバタと手足を動かす。そして、その勢いのままにメイウーを殴る。
見え透いた打撃だ。洗練のかけらもない。この女は誰だか知らないが、受けてやる義理もない。そもそもこいつは華果を傷つけた。加速する思考の中、メイウーは華果の動きを思い出しながら、その拳を受け流そうとする。
メイウーの手が〈スワロウテイル〉の拳に触れた瞬間、メイウーは一人の少女を見た。その少女は、ずっと泣いている。アンドリュー先生。パパ。あなたはバカな男だ。ずっと身近にいた大事なものを見ず、その叫びも聞かず、それに報いることもなかった。だから、彼は私に対して過剰なほどに父であろうとしたのだ。でも、あなたの罪は、それでは。
〈スワロウテイル〉はバックパックから荷電粒子刀を抜いて、振り回した。一発でも喰らえば、メイウーの体は両断されてしまうだろう。しかし、〈スワロウテイル〉はまるで動き方を忘れたかのように、ただそれを振り回しているだけであった。
メイウーは泣きじゃくる少女の声を聞いた。どうしたの? と問いかけるも、彼女の声は届かない。
お前のことがわからない! 今までこんなことなかったのに。
〈スワロウテイル〉から発せられる絶望の情念が、周りの黒い宙と混じる。それを振り払うかのように〈スワロウテイル〉は腕を振り回している。メイウーの鼻先をかすめた荷電粒子刀が、彼女の顔を少し溶かした。直ちに修復が始まる。
そうだ、この少女に必要なのは拳による拒絶ではない。私が逃げてばっかじゃだめだ。
硬く握っていた拳を、彼女は開いた。〈スワロウテイル〉に向かって、全力でブースターを吹かせる。ひっ、という声が聞こえた。〈スワロウテイル〉は自身を守るようにしてうずくまる。
メイウーは〈スワロウテイル〉の腕を掴んだ。少女の思惟がEVE場を振動させ、それを〈アンヘレス〉のセンサーがキャッチする。またメイウーの意思は、接触回線によって〈スワロウテイル〉へ、そして少女へと伝わっていく。
ごめんね。
謝れば済む問題じゃない!
メイウーの思惟を受け止めた〈スワロウテイル〉は、彼女を拒絶するように腕を振り回す。しかし、メイウーは決してその手を離そうとしなかった。彼女は〈スワロウテイル〉を引き寄せ、そして抱きしめた。「躊躇わずに撃て」とは、撃たないことを躊躇ってはならないということでもある。そして、躊躇わずに守れということでもあった。
でも、お前は奪った! 私の大切を!
これから、私はあなたに返していくつもり。少しずつ。
メイウーは〈スワロウテイル〉の背中に手を這わせ、優しく撫でるように動かす。〈スワロウテイル〉はそんな彼女の背中を叩いた。何度も。装甲の隙間から、火花が散った。
そんなの、どうやって!
家族をしましょう。これから。あなたと私で。
家族をしましょう。接触回線を通じてメイウーの送った思惟が、耳鳴りのように反響した。浮遊感が二人を包む。ブースターに火は灯っていない。地球の重力に引かれつつある。体が熱い。メイウーは〈スワロウテイル〉の脚と、自分の脚を絡ませた。
拒絶の声が返ってくるかと思った。しかし、〈スワロウテイル〉は何も言わない。その中にいる少女が泣いているのがメイウーにはわかった。それはさっきまでの悲痛な泣き声とは違っていた。
ねえ、あなたの名前を教えて。私はメイウーだよ。
確認するように問いかける。その答えは存外にあっさりとしたものだった。
リィン。よろしくね、お姉ちゃん。
年齢はリィンの方が上だろう。しかし、彼女はあまりにも幼かった。メイウーに心臓はない。だが、彼女の中には熱いものが流れている。それが、リィンの凍った時間を溶かしたのだ。だから、私がお姉ちゃんでいい。むしろ、そうしなければならない。
メイウーは星を見た。それは、黒く冷たい絶望の中に灯る、無数の希望でもあった。体が赤色に包まれて、眠気が強くなっていく。だが、大丈夫だ。メイウーは確信している。なぜなら、下から高速で一つの気配が近づいているからだ。
〈スワロウテイル〉にも〈メスジャケット〉にも、単機での大気圏突入機能は搭載されていない。あの天使のような機体は知らないが、それについても同様だと考えた方がいい。轟海は直ちに戦闘区域から離脱し、拠点に戻る。そしてEVE場生成装置を三基〈メスジャケット〉にくくりつけて宇宙へと上がった。重さの増した機体は思うように上昇しなかったが、それでも間に合ったようだ。
自分の分をまず取り付けた後、ひとまず〈メスジャケット〉と似ている〈スワロウテイル〉のバックパックにEVE場生成装置を装着させる。天使のような機体にも取り付けようとしたが、それらしい開口部が見当たらない。それどころか、この機体には継ぎ目がない。轟海が迷っていると、その天使の背中に穴が出現した。流体金属製か、ナノマシンか? 製作者はセンスがいい。
「聞こえるか、二人とも。あー、君たちの父親から、娘を守るように頼まれた。下で刑事警察機構の連中が待ってる」
微動だにしない二機に付き添うように、轟海は地球へと降下していく。地上の星に、飲まれていく。
次にメイウーが目を覚ましたのは、薄暗い取調室であった。目の前には大柄な男が座っている。彼の名前は、確かズオ・ホーだっただろうか。自分は逮捕されたのか? そう思って口を開きかけたところを彼に制止された。
「疲れているだろう。喋らずとも良い。君は狙われているから、我々で保護したというわけだ。あのリィンとかいう叛客も別室にいる」
汎市法の規定によると、警察またはそれに類似する機関は、重要参考人を三日間まで留め置いて良いことになっている。それは尋問のための制度であったが、刑事警察機構は証人の保護のためにそれを利用したという形になる。
「今日は休むといい。逮捕者が多すぎて貸し出せる部屋がここしかないが、勘弁してくれ」
メイウーは自分の意識を落とした。そして、夜が開ける。
昨夜と同じように、メイウーの対面にズオ・ホーが座る。彼は手に分厚い書類の束を持っていた。
「さて、何か聞きたいことはあるか? こちらに答えられる範囲のものは答えよう」
「アンドリュー先生はどうなったんですか」
「残念だが、亡くなられた」
メイウーの心に落胆が広がる。しかし不思議と悲しみの気持ちはない。結局、過去からの因果が回ってきただけなのだ。そういう不思議な割り切りが彼女の心の中にはあった。きっと、それはEVEに溶けたアンドリューの思惟がそう思わせたのだろう。メイウーは椅子に深く座り込んだ。
「この体の見た目、どうにかなりませんか」
「それについては俺も詳しくないが、機体のストレージにユーザーマニュアルくらい保存されているんじゃないか」
「見てみます」
〈アンヘレス〉のUIからメニューを開く。そこからuser_manual.pdfのファイルを探し当て、メイウーはそれを開いた。およそ千ページにわたる長さの書類を思考の速度で検索する。テンソル演算装置の演算能力が秒間四ヨタフロップスであるとか、メインとサブの縮退炉が二つ搭載されているとか、全身がナノマシンで構成されているので拡張性にも富んでいるだとか、空気を縮退炉に送り込んでエネルギーとした上で副産物であるガンマ線で空気を電離させて推進剤としているとか、興味深い情報を得られた。見た目の改善についても同様で、ナノマシンの光学的特性をいじることで実現できるそうだ。
メイウーはUIから「見た目の変更」ボタンを探し当て、それを選択する。一昔前の3Dゲームの、キャラクタークリエイト画面のようなものが現れた。メイウーは満足するまで調整を繰り返す。前の自分の顔に近づけていく。「完成」を選択すると、一瞬のうちにメイウーはメイウーに戻った。顔だけ人のものにして、首から下は概ね黒色にしてある。
「......あとで服も渡しておこう」
「ありがとうございます。ところでその、DHTって結局どうなったんですか」
「うちの組対組織犯罪対策部と電脳知能犯罪対策部が特定した情報によると、理論の論文を流出させたのはアンドリューで、また実験論文の暗号化データを流出させたのも彼とみられている。どうやら、彼はこれを広く公開したかったように思えるな」
「それはきっと、先生は人のことを信じたかったからだと思っています」
どうだろうか、とズオ・ホーはつぶやいた。資料を見る限り、アンドリューはお世辞にも褒められた男であるとは言えない。感情を装うのがうまい男という印象だ。しかし、それをメイウーに言うべきではないことは明らかであった。
「警察がまだ掴めていないこととかってありますか」
「技研がなぜこのような軽挙妄動に走ったかがわからん。組対の連中はアンダーソンの株主総会に理由があると見ているがおっと、口が滑った。内緒にしておいてくれよ?」
「わかっています」
そのようにして、二日目が過ぎた。
三日目。メイウーは「第二小会議室」なる、少し広めの部屋に通された。そこでしばらく待っていると、ズオ・ホーが扉を開いて現れた。「普通サイズ」の人間用に作られた扉をくぐるようにして部屋に入ってきた彼を追いかけるようにして、リィンが走って入室する。彼女の身長はメイウーよりやや高いくらいであった。
リィンはメイウーに抱きついた。もはや、年齢がどうかとかはどうでもいい話であった。
「リィン、これからよろしくね」
「うん。よろしく」
少し幼くなっているのだろうか。彼女の中の少女は、安堵しているように感じられた。やや遅れて、華果とユンが入室する。二人は抱き合うメイウーとリィンを見て、やや困ったような表情で顔を見合わせた。
「華果はさ、叛客だったんだよね」
「うん。その、お金欲しくって......」
「かっこよかったよ、華果。ほんと、助かった」
おそらく彼女はいわゆる"共鳴者"なのだろう。〈アンヘレス〉に搭載されているデータベースに"共鳴者"に関する記述があり、華果はその特徴と一致している。メイウーはユンの方に顔を向けた。彼女の顔には濃い隈が刻み込まれている。身体中に巻かれている包帯がやはり痛々しい。
「ママはさ、パパとどういう関係だったの?」
「大学の友達。あの人は私が警察だから、あなたのことを守ってくれると考えたみたい。それで、結婚はしたけど、それだけよ」
「だから、家族を『する』ってことだったんだね」
ユンは頷いた。メイウーはできればリィンと一緒に住みたかったが、それが難しい相談であると言うこともわかっていた。リィンもきっとわかっているのだろう。だから、彼女はこうやってメイウーにくっついているのだ。
その時、外から爆発の音と悲鳴が聞こえてきた。
旅順港、アンダーソン技研。全身をサイバネティクスで固めた男が、彼のオフィスのソファに腰掛けていた。本当はデスクとセットになっている椅子に座った方が良いのだろうが、彼にとって、そこは別の人の場所だった。その男の名はドニー・マァ。技研において、アンドリュー・チャンの後継と目されている男である。彼の脳裏に着信音が響く。部下のベニモトからのものだ。
[ドニーさん。鍵の奪取については失敗したようです。やはり叛客は叛客。あなたに出てもらうほかありません]
「そうか。俺が出るしかないか。先生はどうなった?」
[......残念ながら]
ドニーはため息をついた。自分らを半ば捨てるようにして去ったアンドリューに恨みがないわけではない。だが、彼にとってアンドリューは最高の先生でもあった。それを横から掠め取ったあのメイウーとかいう小娘に対する嫉妬心も、ないわけでもない。しかし、彼にとって重要なのはそこではなかった。
[どうされるおつもりです?]
「俺は先生の後継だ。だから、DHTの研究も俺が引き継ぐ」
[そうですか。わかりました。では、ご武運を]
ドニーはソファから立ち上がる。その視線の先には、四メートル級の巨大な"コンバットドレス"があった。
会議室の蛍光灯が消え、直ちに赤い光と緊急事態を示すサイレン音が部屋を満たす。ズオ・ホーとユンは互いに顔を見合わせ、厳しい表情を浮かべた。アナウンスが流れる。[自爆ロボット多数、総員警備配置。直ちに対処せよ]自動音声だ。
「みんなはここに残って。私たちが対処する」
ユンは決然とした口調で言い、ズオ・ホーと一緒に部屋の外へと出ていった。三人は顔を見合わせた。これ、私たちも出たほうがいいんじゃないか? そんな雰囲気が三人の間に生まれた。三人は同時に、雷にでも打たれたかのように走り出した。メイウーの視界に「戦闘モード起動」の文字列。リィンは手首の菱形結晶を掲げ、転送された〈スワロウテイル〉を開封、華果はその辺に落ちていた適当な鉄の棒を拾った。
「華果はそれでいいの?」
「これが一番使いやすいよ。伸び縮みしてくれたら最高な気がするんだけど......」
刑事警察機構、新大連支署。そのネオロシア・ゴシック風エントランス・ホールには地獄が広がっていた。ありえない方向に四肢を曲げて爆死している遺体に、傷ついた職員を引きずる戦闘員の姿。前線には大量のテトラポッド型ロボットが押し寄せ、その波を押し返そうとユンやズオ・ホーも含む警察官らが前線を張っている。
「加勢します!」
華果が鉄棒を振り回しながら突貫していく。信管さえ叩き割ってしまえば、自爆ロボットが爆発することはない。それなりに経験のある叛客である華果は、そのことをよく知っていた。こんなところで火器は使えない。荷電粒子刀も同様だ。メイウーとリィンも、完璧な連携で一機ずつ自爆ロボットを潰していく。
「押せるぞ! 押し返せ!」
誰かが言った。重苦しい空気感を、一人一人の士気が晴らしていく。メイウーはEVEを通じて、皆の思惟を感じ取っていた。いや、違う。これは前座に過ぎない。遠くから、大きな気配がやってきている。
時間が鈍化する。エントランス・ホールに残されていたテトラポッド型自爆ロボットの内側が俄かに熱くなり、それは音速を優に超える爆風となる。その爆風がテトラポッドの外殻を割り、破片となって散らばる。その破片が華果に襲いかかるその直前、ユンがロボットと華果の間に立ちはだかった。駄目。声にならない声が漏れる。
失神した華果に覆い被さるように、ユンが倒れる。彼女の額には、角のような金属片が刺さっていた。それはすぐに自然に抜け、傷跡もみるみるうちに塞がっていく。しかし、ユンが起きる様子はない。
「ズオ・ホーさん!」
メイウーの悲痛な叫び声を聞いたズオ・ホーは、己の鈍重さを呪った。いま俺がすべきことはなんだ。まだ生きている連中を死なせないために、後送することだ。彼は華果とユンを含めた数人を一度に抱え上げる。
「すまない、メイウー、リィン......」
そう言い残して、彼は身長の三倍の高さを跳び、どこかへと消えていった。
ネオロシア・ゴシック特有の柱を打ち倒しながら、二機のコンバットドレスが現れる。片方は轟海の〈メスジャケット〉、もう片方は高さ四メートルほどの未知の機体。メイウーの視界が直ちにCG補正され、その不明機体に〈ジュウニヒトエ〉なるコードネームが付けられていることを知る。
その機体は異形のものであった。四肢にキャタピラがついており、地上戦に特化しているように見える。全体的に黒い装甲の中、下半身にだけ赤いラインが入っており、それが言いようのない威圧感を醸している。
ボロボロの〈メスジャケット〉が〈ジュウニヒトエ〉に取りつき、押し返そうとするものの、重量と出力が違いすぎる。武器はないのかっ! メイウーがそう考えると、〈メスジャケット〉が背中に挿さっている荷電粒子刀の柄を投げてよこした。〈メスジャケット〉の装甲はところどころ剥がれており、また機体各部のプロペラント・タンクにも穴が空いている。見るからに限界だった。
「轟海! あなたは関係ない!」
リィンが叫んだ。轟海は一瞬だけ彼女の方を向いた。そして二人は示し合わせたかのように頷く。
「すまない、機体が限界だ。離脱させてもらう!」
轟海は逆噴射をして距離を取ったのち、腰の荷電粒子ライフルを威嚇射撃じみて撃った。そのまま彼女は〈ジュウニヒトエ〉の開けた穴から離脱していく。
ヴヴと何かが発振する音とともに、超高温の刀身が現れる。メイウーはそのまま〈ジュウニヒトエ〉に突貫し、その右脚に向けて袈裟斬りを放つ。
しかし、それが装甲を切り裂くことはなかった。刃が〈ジュウニヒトエ〉に触れた瞬間、不可視の力場に阻まれたのである。こいつ、全身にEVEフィールド・ジェネレーターを搭載している! 視界に表示された情報によると、そういうことらしい。
「おいおい、剣呑じゃないか」
接触回線を通じて聞こえてきたのは、男の声だった。〈スワロウテイル〉の奥から、リィンの驚きを感じる。いやその驚きには、少しだけの納得が混じっている。
「ドニー......」
リィンがつぶやいた。彼女はその男のことをよく知っていた。
「リィン、邪魔立てするか!」
「あなたこそ、いつまで彼の幻影追いかけてんの!」
リィンも荷電粒子刀を抜いて〈ジュウニヒトエ〉に襲いかかるが、それもやはり大した痛痒にはなっていない。ドニーは余裕そうに構えている。
「まあ落ち着けよ。目的のブツを手に入れたら俺も帰るさ」
「それは......」
「鍵だよ。DHTの」
やはりそれか。メイウーは心の中で吐き捨てた。念の為、彼女は〈アンヘレス〉のデータを検索した。しかし、それらしいものはない。もしかすると容易に「鍵」とはわからないようなファイル名になっているのかもしれなかったが、今の彼女にそれを判別する手段はなかった。
「そんなもの! 何に使うつもり!」
「躊躇いがないな......本当にいい」
メイウーは叫び、再び荷電粒子刀を構えて突貫した。〈ジュウニヒトエ〉はその場に立って不動の姿勢であり、彼女の一刀を甘んじて受け入れる。メイウーは〈ジュウニヒトエ〉から発せられる満足の感情を感じ取った。これは、何だ?
「やはり大きくなったものだよなメイウー」
「私の何を知っている!」
「全てだよ。上から下までな!」
全て? そう思った矢先、ドニーの〈ジュウニヒトエ〉が横転し、片手片足のキャタピラに背中のブースター推力も合わせて突進してきた。メイウーはバックパックのブースターを少しだけ吹かせて浮かび上がって回避。
「全部だって?」
「そうだ。誰が君の体を用意していたと思う?」
「だって、それはアンドリュー先生が」
分厚い装甲の奥で、男が笑った気がした。その笑みに、メイウーは心の底から怖気づいた。まさか。
「そうだ。俺が妈妈ママだよ。技研を去った先生に代わって、体を用意していたのさ」
「そんなこと」
「気張ってメイウー! 惑わされちゃダメ!」
そうだ。惑わされてはならない。この男はいつまでもアンドリューの幻影を追いかけて、それに執着しすぎている。そんな彼にDHTを渡してしまったら、何が起こる? もし技研が「不死の軍団」を作り放題になったら? それこそ、その先は地獄だ。データを渡せばひとまずは安全を手に入れられるのだろう。しかし、その在処がわからない。ここで投降すると、次に日の目を見られるのはいつになるのか。
「リィン......お前も優秀な叛客だな。だが、それが命取りになる」
「なんの!」
「鍵を渡さぬとあれば、力ずくで貰い受ける!」
〈ジュウニヒトエ〉の両袖口から荷電粒子刀の柄が滑り出る。ドニーはそれを掴み、武器に火を入れた。それはただの荷電粒子刀ではない。メイウーや〈スワロウテイル〉の身丈ほどある長大で暴力的な光の塊であった。触れたらひとたまりもない。
メイウーと〈スワロウテイル〉は直ちに〈ジュウニヒトエ〉から離れる。そして狭いエントランスホールの中、壁などにぶつからないように縦横無尽に飛ぶ。そして部屋を広く使い、〈ジュウニヒトエ〉に対して一撃離脱の戦法をとる。
メイウーは向かって右から、〈スワロウテイル〉は左から。ひらひらと不規則な軌道で飛び回るメイウーの斬撃を〈ジュウニヒトエ〉は装甲で受けた。〈スワロウテイル〉のものは彼自身の荷電粒子刀で。ピン、ピン、とバイオリンの弦をはじいた時のような音とともに、重金属粒子が飛び散って、〈スワロウテイル〉と〈ジュウニヒトエ〉の装甲表面を焼いた。
「ちょこまかと!」
ドニーの叫びがオープン回線を通じて聞こえる。どうしてそれほどまでに鈍重な機体を持ってきた? メイウーは疑問に思った。空中を飛ぶ彼女と、〈スワロウテイル〉が天井スレスレで交差する。その時、互いが互いの手に触れた。
試したいことがあるわ。お姉ちゃん
わかった。もう一度挟み撃ち?
うん。
思考の速度で会話が交わされる。もう一度、二人は一撃離脱で〈ジュウニヒトエ〉に荷電粒子の一閃を放つ。メイウーはブラウン運動じみた不規則さで〈ジュウニヒトエ〉に肉薄。そして相手の荷電粒子刀の内側に潜り込み、その装甲に刃を届かせる。〈スワロウテイル〉のものは荷電粒子刀に弾かれた。
二人二機は再び空中で交錯する。手が触れ合う。
やっぱり。ドニーはお姉ちゃんのEVEを読めてない。むしろ、お姉ちゃんはEVEを発していない?
どういうこと?
お姉ちゃんにはEVEコミュニケーターがない。受信専用のセンサーだけ。だから、相手に心を読まれない。
だから、こうして触れ合わないと会話ができない。わかったよ、リィン。触れ合った手から、二人はワルツでも踊るかのように手を組み合った。体と体もくっつけて回転し、そして接触を解いた。メイウーは上へ、リィンの〈スワロウテイル〉は下へ。
そして、リィンはメイウーに、自身の荷電粒子ライフルを向けた。彼女は引き金を引く。大容量コンデンサから電気が流れ、ライフルに搭載されている超伝導電磁石が目覚める。それはパッケージ化された荷電重金属微粒子を瞬時に亜光速まで加速させる。大気中では数十メートルの有効射程が関の山だが、それで十分。
その光線は空気を青くプラズマ化しながら、メイウーの真横を素通りした。そして、エントランスホールの天井に穴が開く。
空中に誘い出す。返信不要よ、お姉ちゃん。
空中ならこちらの得意分野だ。メイウーがそう思った矢先、〈ジュウニヒトエ〉に異変が起こる。それは四肢のキャタピラを脱ぎ捨て、大量のマイクロミサイル弾頭を露わにした。それら全てが煙の筋とともに、彼女に食らいつこうとする。
メイウーはなりふり構わず上昇する。できるだけ距離を離さねばならない。そうすれば、ミサイルの燃料切れが狙える。こっちはガンマ線で無尽蔵に推進剤を作れるんだっ!
彼女は一瞬下を見た。〈ジュウニヒトエ〉は空になったミサイルラックをパージし、その真の姿をあらわにする。全長三メートル弱の流線型の機体。その背中からは、何か長いものが伸びている。
その機体各部に搭載されているブースターが、一斉に点火した。脱いで......跳んで......飛んだッ!? 驚いている暇はない。〈ジュウニヒトエ〉がメイウーを猛追している。彼女はいくらでも飛んでいられる。しかし、推力は明らかに向こうのほうが上だ。
後ろから放たれる荷電粒子ビームを避けつつ、〈ジュウニヒトエ〉は腕をクロスにしてメイウーへと体当たりを放つ。速いものはそう簡単に曲がらない。曲がれたとしても〈ジュウニヒトエ〉の巨体を避けることは困難だ。衝撃、そして世界がシェイクされる。メイウーは一瞬で体制を立て直した。しかし、その一瞬こそが。〈ジュウニヒトエ〉はメイウーと相対速度を合わせ、彼女の腹に向けて前蹴りを放った。まるで上へ落ちていくかのように、メイウーは吹き飛ばされてしまう。その勢いのせいで、彼女は持っていた荷電粒子刀を放してしまった。それは光ることをやめて、黒い空へと吸い込まれていく。ここは成層圏。空と宙の境目。
「技研を舐めるなよっ!」
「くぁ......!」
「ナノマシン放出」「機体損傷部修復開始」のメッセージが視界にうつる。何かが少しイカれたのか、体の反応がやけに遅い。空中で落下しながらもがく彼女を、その落下軌道を読んだ〈スワロウテイル〉がキャッチした。
だめ、生半可な攻撃じゃ読まれるわ
じゃあ、どうすればいい?
予想外の、一撃を!
メイウーの返事を聞く前に、リィンは彼女を放り投げた。作戦の共有によって、相手に思考が読まれるのを防ぐためだ。〈アンヘレス〉に搭載されたテンソル演算装置に仕込まれた人工神経網が発火する。それは大気分子の一つ一つに至るまでの完璧なシミュレーションを成し遂げた。そして、視界に「目標」が映る。メイウーはそれに向かって加速した。
後ろからちまちまと発射される〈スワロウテイル〉の援護射撃を疎ましく思ったのか、〈ジュウニヒトエ〉は背中のラックから荷電粒子砲を取り出した。それは〈スワロウテイル〉のものよりひと回り大きく、然るに有効射程も長い。後ろで行われる撃ち合いを感じ取りながら、メイウーは「目標」を掴み取り、全力で逆噴射をする。それは先ほど飛ばされた荷電粒子刀の柄であった。
重力の助けを借りながら、メイウーは〈ジュウニヒトエ〉に突進する。そういえば、〈ジュウニヒトエ〉のジェネレーターは何だ? どこに搭載されている? 誘爆でも引き起こしたら、まずいんじゃないか? メイウーの刃筋に迷いが漏れる。
その刃が〈ジュウニヒトエ〉の中心を切り裂く直前、メイウーはドニーの思惟を感じ取った。舐めるな、と言ったはずだ。
メイウーの荷電粒子刀は、〈ジュウニヒトエ〉の右脚を切り飛ばした。だが、それだけだった。メイウーのバックパックから伸びる天使の翼のようなブースターを、〈ジュウニヒトエ〉の左手が掴む。錐揉みで落下する中、メイウーの胸に荷電粒子ライフルが当てられた。
「頭さえ残ってたらデータは取れる。お前の自我は壊れるだろうがな」
怖い、と思った。その感情が、メイウーの体を......〈アンヘレス〉を硬直させていく。躊躇わずに撃て。背中に気をつけろ。叛客の原則が頭の中でリフレインする。メイウーは躊躇った。ドニーは背中に気をつけていた。ただそれだけの違いだったのだ。〈ジュウニヒトエ〉が荷電粒子ライフルの引き金を動かして
駄目。渡さない。
閃光。耳をつんざく振動。〈アンヘレス〉のカメラ・アイが焼きつく。
次の瞬間、メイウーの視界を塞いでいたのは、重たく温かな装甲だった。リィンが割り込んできている。光の帯が、リィンの背を抉っていた。わずかに残った重金属粒子が〈スワロウテイル〉の装甲表面を焦がした。
リィン、どうして......!
反射的に叫ぶ。ほんの三日前に家族をしようと誓ったばかりの相手が、目の前で崩れてしまいそうになっている。
リィンは震える動きでメイウーの手首を掴んだ。爆音のなかで、彼女の声だけが異様に鮮やかだ。
だって、あなたをドニーに渡したら......駄目だから。それに、私の方が年上だもの
息が荒い。装甲の隙間から金属片が落ち、内部の回路が時折火を噴いている。嫌だ。こんなことは認めたくない。しかし、〈アンヘレス〉に搭載されている優秀極まりないテンソル演算装置が、正しく現実をメイウーに伝えていた。それはもう、残酷なくらいに。
でも、だからってこんなの......ないよ。
かすかに首を横に振ったリィンの顔には、焦げたすすがこびりついていた。けれど、その瞳だけは不思議なくらい落ち着いているように見える。苦痛に耐えるよりも、何かを決意した人間のまなざしだった。
一人になんか、ならない。私は......メイウーの中で生き続ける。......あなたが生きてる限り、私も......
リィンは右手の菱形結晶をメイうーの掌に強く押しあててくる。装甲の接合部が融解し、まるで結晶そのものが溶け込むようにしてメイウーの方へと流れ込んでいく。
分厚い金属の冷たさと、一方で妙に温かい息吹を同時に感じる。メイウーは気づけば涙とも汗ともつかぬ液体が頬を伝うのを感じた。
でも、それじゃあ......あなたが報われないじゃない......!
声にならない叫びが喉を絞る。遠くで〈ジュウニヒトエ〉が再装填の動作を始める気配さえ感じるのに、メイウーは身体を動かせない。動けよ、動けったら! この体はそのためにあるんだろうが! 自分の周りをめちゃくちゃにする奴に、思考の速度で音よりも速く中指を突き立てるのではないのか! 慌てるメイウーを、リィンが弱々しく抱きしめた。
私は......人を殺しすぎちゃったから。最後にあなたと、家族になれた。それで、じゅうぶん
プラズマの熱により、リィンの肌が沸き立つ。彼女は最後の力を振り絞って、頭のティアラをメイウーに被せた。そして、優しくメイウーのことを押す。リィン......リィン! 慟哭の思惟が広がるよりも速く、リィンは重力の井戸へと落ちてゆく。やがて、彼女は一つの光の球となり、消えた。
メイウーの右手首には、菱形結晶が嵌め込まれていた。
「......一人にならないって、言ったじゃん......」
呟いても、返事はない。どこかでシャーッと噴出するエネルギー音を聞いた。
メイウーは右手首を握りしめた。結晶を通じて伝わってくる微かなぬくもり。それはリィンと呼ばれた少女が自分にくれた、最後の光そのものだ。
落下する〈アンヘレス〉に、霜がまとわりつく。それは〈アンヘレス〉自身の発する熱によって溶かされて、水となる。だからきっと、これは涙ではない
「......雪降る日の、夢を見た」
落ちゆく中、彼女はつぶやく。彼女の体となった〈アンヘレス〉を構成するナノマシンが流動し、彼女の肘関節と膝関節が消失する。転送、開封。
「......私の心に、火が灯る。そして」
メイウーの頭に装着されたティアラEVEコミュニケーターが、チカチカと光る。
「悲しみの雪を、全て溶かすために」
ドレスアップ。メイウーは心の中でつぶやいた。彼女の手足に都市迷彩の装甲がまとわりつく。それは〈スワロウテイル〉そのものであった。
メイウーは背中のブースターを吹かせ、上昇する。もともとあったものに〈スワロウテイル〉のブースターを合わせて、推力は以前の倍以上になっている。〈アンヘレス〉のブースターも調子がいい。
メイウーは背中の荷電粒子刀を抜いた。これで両手に一本ずつ、二刀流だ。彼女はそのまま〈ジュウニヒトエ〉に上下二方向からの袈裟斬りを放った。しかし〈ジュウニヒトエ〉はその手に持つ荷電粒子刀でメイウーの攻撃を弾いた。先読みされている?
彼女は思考せず、神経反射のままに両手の荷電粒子刀を振った。しかしそれら全てが空中で迎撃され、〈ジュウニヒトエ〉の本体に届くことはない。先読みされている! 頭のティアラが、周りのEVEを振動させているのだ。それは相手も同じことだった。〈ジュウニヒトエ〉の動きも手に取るようにわかる。彼女は風に吹かれる木の葉のように舞い、〈ジュウニヒトエ〉の荷電粒子刀やライフルの閃光を紙一重で避けていく。このままじゃ千日手だ。それでは駄目だ。〈スワロウテイル〉を接続した分、火力は上がっているが継戦能力が落ちている。だからこそ、メイウーは攻撃の手を弱めない。読み合いなど関係のない、絶対の一撃を食らわせなければ勝ちの目はない。
閃光、閃光、爆発。閃光、爆発、閃光。もう何合打ち合ったかわからない。いくらビームを撃ったかもわからない。しかし、メイウーは一切疲弊していない。余計なことは考えなくていい。剣を振るい、銃を撃ち、目の前の敵を撃滅するだけだ。
メイウーと〈ジュウニヒトエ〉は互いに距離を取った。二者は同時にライフルを撃つ。薄くなった空気の中、閃光が弾ける。それに乗じて、メイウーは荷電粒子刀を突き出して突進した。
あっけなく、それは〈ジュウニヒトエ〉に突き刺さった。ドニーの勝ちを確信した思惟が、メイウーに伝わってくる。彼は先ほどと同じようにメイウーを拘束し、荷電粒子ライフルを彼女に向けた。
この距離じゃ、読み合いとか関係ないでしょ
メイウーは胸部の装甲を展開した。その下にはメインの縮退炉が存在している。その中で、エネルギー源である極小ブラックホールが回転を始める。縮退炉隔壁、解放。彼女の胸から、一筋の強烈な青い光が発せられた。回転軸の反対側から放出されたガンマ線はサブの縮退炉のブラックホールが作る重力によって曲げられ、同じように青色の光となった。ブラックホールから発せられた高エネルギーのガンマ線が大気を燃やし、その先の〈ジュウニヒトエ〉も焼き尽くす。
クソが。絶対に許してやらねえぞ。
〈ジュウニヒトエ〉は飴細工のように解け、そして空中へと散った。それとともに蒸発したドニーの怨念を叩きつけられたメイウーは意識を失い、落下していく。
その日、新大連で上を見ながら歩いていた人々は、二つのものを見た。一つは流星、もう一つは、鮮烈な青いプラズマ。
聖歴二〇九五年大連の空をプラズマが貫いてから五年刑事警察機構の新大連支署の地下にある大講堂にて、青い制服に身を包んだ青年が千人ほど座っていた。その最前列中央に、年端もいかぬ少女のような姿をした者が座っている。彼女の右手首には菱形結晶が嵌め込まれていた。講壇に一人の男が上がる。彼は異常発達した筋肉を持っていた。
「訓示、新隊員代表。メイウー・チャン」
「ハイっ!」
彼女は登壇し、背筋を伸ばして、その大柄な男の前に立ち、敬礼をした。彼女はそのまま座席の方に向き直る。
「総員、起立! 敬礼!」
大柄な男の号令に合わせ、大講堂に詰めている警察官全員が揃って敬礼をする。壮観であった。
「宣誓! 私は、汎市法および財団・連合の定める規則を守護し、また命令を遵守し、何物も恐れることなく、憎むことなく、良心にのみ従い、警察としての職務にあたることをここに誓います!」
彼女は男の方を向いた。男は彼女の胸にやや使い古されたバッジをつけた。彼女の母もまた、刑事警察機構に勤めていた。彼女の母は、およそ五年前から昏睡状態になっている。刑事警察機構の規定において、任務中に受けた傷もしくは殉職によって退職した警官の警察番号は永久欠番とされている。しかし、それには一つの例外があった。すなわち、その警官の子女が警官となった場合である。
「警察番号46893、メイウー・チャン巡三尉。貴官の帰隊を歓迎する」
男がその言葉を言い終わらないうちに、大講堂の中を拍手が満たした。
新大連の空をプラズマが切り裂いた、その夜。ベニモトは大連先端科技高校の地下司令室にいた。彼は迷いのない足取りでその部屋の中央まで歩く。そこには背中に大きな金属片の刺さった少女型ロボットと、満足そうな顔で目を閉じている中年男性の体があった。
彼は個人用デバイスを取り出し、そこから端子を伸ばす。つなぐ先は地面に転がっているその二体だ。彼はそこから何らかのデータを吸い出し、満足げに頷いた。秘匿回線を通じて音声通話を開始する。彼は中国語を話し始める。
「もしもし? アンダーソン・ロボティクスの株主総会実施委員会でしょうか。ええ、べニモトです。はい。技研のスキャンダルは公になりました。株価の下降は避けられませんが、DHTのデータを手に入れることができました。暗号が解除され次第、そちらに送ります。はい。技研はお取りつぶしになるでしょう。ええ。わかりました。では、またよろしくお願いします」
通話が終わる。そして、彼は新しく通話を始めた。今度は日本語だ。
「こちらはベニモトです。先日はどうもありがとうございました。ええ、好調ですとも。シャープシューターもよくやってくれました。はい。実に効果的だと思います。はい。ええ、EVEコミュニケーターを搭載した培傭侍です。あれを量産した方がいいと思います。ええ。もちろん手に入れました。連中には偽のデータを掴ませておきます。おそらく大慌てすることでしょう。はい。DHTは我々の方でしっかりと発展させていきましょう。はい。よろしくお願いします。ええ。来たる企業間戦争のためにも、備えておく必要があります。はい、では薬師寺ヤクシジ虺マムシさん、今後とも、末長くよろしくお願いいたします」
アンドリューという男は、勘が良すぎていけない。彼の前で嘘はつけないし、ビデオ通話でも嘘を見抜いてくる。だからアンドリューが死にかけているとき、ベニモトは音声通話をシャープシューターにかけたのだ。
新大連の夜は深い。それは、明けそうもないほどに。
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