蓋を外した状態のSCP-890-JP。
アイテム番号: SCP-890-JP
オブジェクトクラス: Safe
特別収容プロトコル: SCP-890-JPはサイト-8163のBSL3防疫区画に、本体と蓋を合わせた状態で収容されます。SCP-890-JPを用いた実験は防疫区画内で実施し、実験後は乾熱滅菌処理を施してから再収容してください。オートクレーブ等、SCP-890-JP本体が濡れる可能性のある滅菌方法は用いないでください。
説明: SCP-890-JPは色絵磁器製の平鉢です。高さ9.1cm、直径24.2cmの円形の鉢で、同じ材質の蓋が付属しています。
SCP-890-JPの内面に任意の液体が付着しているとき、液体と触れている部分にSCP-890-JP-Aと指定される細胞が出現します。SCP-890-JP-Aは異常な生存能力および増殖能力を有するヒト骨格筋筋芽細胞です。SCP-890-JP-Aは最低限の培地さえ存在すれば温度や二酸化炭素濃度を調整していない環境でも活発に増殖、分化し、骨格筋組織を形成します。SCP-890-JP-Aから得られた遺伝子の解析結果から、SCP-890-JP-Aの起源は血液型O型Rh+のアジア系女性であると推定されています。
発見経緯: SCP-890-JPは████/11/23に、京都市上京区[編集済]の路地にて桐箱に入った状態で発見されました。発見現場付近には重度の刺傷を負った2人の成人男性が倒れており、発見時点で1人は既に死亡、もう1人は意識不明の重体でした。現場の状況から、どちらか一方が刃物を持って他方を襲撃し、乱闘の末に差し違えたものと見られます。
京都府警の初動捜査により、死亡した男性は京都市会議員の橘███氏(当時48歳)、重体の男性は同市内に住む西洋画家の須山██氏(当時35歳)と特定されました。SCP-890-JPの異常性確認に伴い、事件の捜査は府警警備部経由で財団に移管されました。
事件経緯およびSCP-890-JPについてなんらかの事情を知っている可能性が高いことから、須山氏はPOI-5819-JPとして要注意人物指定されました。POI-5819-JPは意識不明のままサイト-8163に移送された後、治療によって会話が可能な状態まで回復しました。POI-5819-JPに対する尋問によって得られた証言を以下に示します。
橘さんとは十年来の付き合いでした。私の個展に立ち寄った橘さんが絵を買ってくれたのが知り合ったきっかけでした。歳は離れていましたが彼とは気が合いました。政治家であると同時に彼は美食家で、私を食事に誘っては色々なものを食べさせてくれました。高級食材から珍味まで、洛中で手に入る全ての食材を食べ尽くさんという勢いでした。御存知ですか、北白川には山椒魚の唐揚げを出す店があるんですよ。私は毎晩のように美味しい料理とお酒を戴いて、もう食っていないのは人間くらいのものですね、などと嘯いたものです。そうすると橘さんは決まって、俺は人も食っているよ、と答えました。彼はなかなかに偏屈な政治家でしたから、それは自分自身をネタにした単なる冗談だと思っていました。
倶楽部に初めて誘われたのは一昨年の夏でした。案内された会場は雑居ビルの地下にありましたが、そうとは思えないほど広々とした畳敷きの部屋でした。今でも信じられません。襖の外には竹林に囲まれた庭があって、庭の池には小さな滝までありました。室内は薄暗く、漆塗りの燭台に載った蝋燭の火と、辺りを飛び交う蛍の光が照明代わりでした。部屋には私と橘さんの他に8人の人間がいました。男が7人と女が1人。それは石榴倶楽部の会合でした。岩石の石、木偏に留守の留、それに漢字の倶楽部と書いてセキリュウクラブと読みます。なんでも幕末から続く由緒ある秘密結社だそうです。彼らの目的は人を食うことでした。比喩表現ではありません。文字通り、石榴倶楽部は人肉嗜食者のための社交団体でした。
倶楽部の定員は10人で、私は欠員を埋める形で倶楽部の正式な参加者となりました。参加者同士はお互いに偽名で呼び合います。例えば橘さんは宇宿という偽名を使っていましたし、私は早瀬と名乗っていました。彼らは自分達の嗜好を高尚な趣味だと言って憚りませんでしたが、大っぴらに言えない趣味だということも理解していました。会場はいつも薄暗く、他人の顔すらよく見えません。参加者同士で知っていることと言えば、背格好と性別、偽名、職種、それくらいのものです。
鹿の肉をモミジと呼ぶように、馬の肉をサクラと呼ぶように、彼らは人の肉をザクロと呼んでいました。集会の頻度はおおよそ月に一度でしたが、毎回ザクロを食べるわけではありません。そう簡単には手に入りませんからね。参加者に橋詰と名乗る男が居て、この男は医者らしいのですが、ときどき彼がどこかから真新しい遺体を運び込んでくるのです。聞けば、それは死後数日の献体者の遺体だという話でした。
手に入れた遺体を材料にして彼らは様々な料理を作りました。調理は秋津という男の担当で、彼の本職は板前でした。完成した料理を彼らは食べ、私も食べました。率直に言えばそこまで美味しいものではありませんでしたが、人間の肉を食っているという行為そのものに対する興奮は、何にも代えがたいものでした。
そして、私は椎名さんに出会いました。椎名というのは例によって偽名です。本名は知りません。彼女は石榴倶楽部で唯一の女性でした。物静かな人で、人肉食などという行為とは縁遠いように見えました。尤も、それは他の参加者にも言えることなのですが。外から見て判るような露骨な狂人は、倶楽部には一人も居ませんでした。ともあれ私は椎名さんに興味を惹かれました。彼女は他の参加者とは明らかに一線を画していました。彼女が唯一の女性だったというのもあるでしょうが、それだけではありません。石榴倶楽部は要するに金持ちの悪趣味な道楽でしたが、彼女だけは道楽のために参加しているようには見えませんでした。
椎名さんが人を食うのは、彼女の少し変わった思想のためでした。彼女は、人の生涯は人に食われて終わるべきだと考えていました。鳥葬というのがあるでしょう。それになぞらえれば、人葬とでも言いましょうか。死んだ人間の肉体はやがて何らかの形で自然に還りますが、彼女は、人間の還る先は常に人間であるべきだと考えていました。ではあなた自身も最期は人に食われたいのですか、と訊くと、椎名さんは微笑んで、その通りです、と答えました。その時はあなたも私を食べてくださいね、と。私は彼女の控えめな笑みに見蕩れながら、同時になんとなく不安になりました。椎名さんの口振りが、まるで明日にでも死んでしまうかのように聞こえたからです。
私と椎名さんは倶楽部の外でもたびたび会うようになりました。彼女に対する興味と不安は、やがて慕情に変わりました。彼女は掴みどころのない人でした。私はなるべく彼女の傍にいたいと考えるようになりました。そうしないと彼女は姿を消して、次に会うときには肉料理になってしまっているのではないかと、そんな突拍子もない心配が拭い去れませんでした。
椎名さんはいつも1本のナイフを持ち歩いていました。時折彼女はそれを取り出して、自分の肌にほんの小さな刺し傷を付けます。そしていつもの冷たい笑みを浮かべて、溢れてくる血を私に舐め取らせるのです。その行為は私をどうしようもなく不安にさせました。ある時に私は決心して、もうこんなことはやめようと言いました。椎名さんは戸惑った様子で、嫌ですか、と訊いてきました。私は嫌だと答えました。彼女はナイフを差し出して、私に預けてくれました。私はそれを鞄の奥に仕舞いました。それ以来、彼女の自傷行為は無くなりました。
椎名さんと過ごす日々は、実に満ち足りた時間でした。彼女と2人で色々な場所に行って、2人でごく普通の食事をしました。彼女は少しずつ明るい笑顔を見せるようになりました。彼女から預かったナイフはずっと鞄に仕舞い込んだままで、使う機会はもう来ないだろうと思っていました。
あの日の集会に椎名さんは来ませんでした。彼女が集会を休むのは初めてのことで、私は彼女のことが心配で仕方ありませんでした。集会の始めに橘さんが立ち上がって、例の品が手に入ったから見せたいと言いました。例の品と言われても私には憶えがありません。彼は桐の箱に入った磁器を取り出しました。蓋物の平鉢で、蓋を取ると中には大きな肉の塊が入っていました。それは明らかにザクロでした。橘さんは説明しました。曰く、この平鉢は世にも不思議な、ザクロが無限に湧き出す平鉢なのだ、と。
倶楽部の連中は喜んでいました。話が本当なら、もうザクロを食うために病院から献体を盗み出さなくてもいいわけです。彼らは早速平鉢の中のザクロを焼いて食いました。みんな旨い旨いと言っていましたが、なぜだか私は、そのザクロを食べ切るのにひどく苦労しました。今までのような背徳的な興奮もありませんでした。口の中に入れた肉が、やけに生温かく感じました。焼いた肉ですから温かいのは当然です。なのにどういうわけか、その肉の温度はまるで、舌や喉にまとわりついてくるようでした。
解散した後、橘さんが送ってくれると言うので2人で会場を出ました。夜道を歩きながら、私は橘さんに、椎名さんの欠席の理由を知らないかと尋ねました。君には言っていなかったか、と彼は言いました。椎名さんはもう来ないよ、と。辞めてしまったのですか、と私は聞き返しました。質問に答える代わりに彼は、傍らに抱えていた桐の箱を示して言いました。今日君が食べたザクロ、あれは誰の肉だったと思うかい、と。
私はわけが解らなくなりました。いえ、むしろ解ってしまったのです。彼の言葉の意味が。さっき食べた肉に感じた、奇妙な生温かさの理由が。私はひどく狼狽していたと思います。どうすれば良いか解らなくなって、ふと鞄を探るとナイフがありました。私はそれを手に握って、あとは皆さんの推測通りです。
取っ組み合っている間、橘さんはずっと何か言っていました。これは彼女の望みだったとか、私は仲介しただけだとか。でも全部無視しました。だっておかしいじゃないですか。私が最後に会った彼女、私のすぐ隣に居た彼女は、誰よりも幸せそうな顔で笑っていたんですよ。
POI-5819-JPの自宅より回収されたスケッチ。POI-5819-JPの証言によれば、これはPOI-5819-JPが"椎名さん"をモデルとして描いたものです。
意識回復以降、POI-5819-JPは重度の持続的な抑うつ状態にあります。突発的な自殺企図を含む異常行動に備え、適切な治療と厳重な監視を継続してください。
補遺: 事件翌日、POI-5819-JPの自宅に1通の封筒が届きました。封筒に書かれた宛名が"早瀬様"となっていたことからPOI-8519-JPの証言にあった"石榴倶楽部"との関連が疑われ、財団による回収が決定しました。封筒に差出人の氏名や住所は記されておらず、京都聚楽郵便局の消印が押されていました。封筒内には三つ折りの便箋1枚(文書890-JP-01と指定)が入っていました。
前略 わたしが突然居なくなったことで、あなたは今頃ひどく混乱なさっているかも知れません。身勝手な行動をどうかお赦しください。
人の一生は人に食べられて終わるべきだと、わたしはかねてより信じております。それはわたし自身についても例外ではありません。ですからわたしは石榴倶楽部に入りました。わたしを食べてくれる同志に出会うためです。しかもわたしはなるべく若いうちに自分を食べてもらいたかった。倶楽部で何度かザクロを食べたあなたならご存じでしょうが、ザクロは若い肉ほどおいしいものです。どうせ食べられるなら、できるだけおいしく食べられたかったのです。
ですが自分の人生をほんとうに終わらせるとなると、まだその決心はつきませんでした。すべてを完結させるにはまだ何かが足りないと、わたしは感じていました。
そんなときにあなたが現れました。あなたは倶楽部の他の人達とは違っていました。他の人達が平然とザクロを食べる中、あなたは目の前のザクロをゆっくりと、ひとくちずつ口に運んでいました。それは単にあなたがザクロに慣れていないだけだったのかも知れません。ですがあなたのその所作は、わたしにはまるで神聖な祈りの儀式のように見えたのです。
わたしはあなたに食べられたいと思いました。願わくはあなたにわたしを愛してほしい、愛するわたしを食べてほしいと思いました。他人に愛されたいと願ったのはそれが初めてだったかも知れません。願いは叶って、あなたはわたしを愛すると誓ってくれました。たとえそれがかりそめの熱病に過ぎないとしても、わたしは嬉しかった。
だからわたしは死ぬことに決めました。あなたには淋しい思いをさせてしまいます。ですが今でなければ遅いのです。わたしがおいしいザクロになれるうちに、あなたの患った熱病が冷めてしまう前に、わたしはわたしの人生の幕を引くと決めました。
この手紙が届くころには、わたしは磁器のお皿になって皆さんの許へ戻っていると思います。これはまだあなたが倶楽部に来る前に、宇宿さんが持ちかけてくれたお話です。ほんとうは磁器から湧いたわたしではなくて、わたしの身体を直接食べてほしかったのです。けれどこの方法なら、あなたに何度でもわたしを思い出してもらえると思いました。
どうかわたしのことを忘れないでいてください。わたしの顔や声は忘れても、せめてわたしの味だけ憶えていてくれたなら、わたしはきっとしあわせです。
聖者に身を献じた兎は、来世でお釈迦さまになったそうです。わたしは来世で何になれるのでしょう。もう一度あなたの傍に生まれて、今度はわたしがあなたを看取って食べてあげたい。そんな願望はわがままでしょうか。
これからますます寒くなります。どうぞお身体に気をつけてお過ごしください。 草々
椎名