ホールには幾列もの空席が連なっている。今夜ここにいるのが自分一人なのは確認済み — 他の皆は所用で出払っているか、業務に掛かり切りだ。君はマガルフでの仕事を終えた後に、しっかり1週間の休暇を確保した — この途方もない疲れを解消しなければいけない。
昇進してから数ヶ月間、あまり自分の時間は持てなかった。しかし、長年興味を抱いてきた事、今までの権限では窺い知れなかった事が幾つもある。君は1冊のファイルを請求した。サイト-01でも特段に胡散臭い一角のファイルキャビネットに押し込まれていた記録。大抵の者なら忘れてしまいたい何かであるのは明白だった。
リールが再生を開始する — 勿論、全自動だ。粒が画面上でちらつき、やがて唐突に映像になる。高校の運動場。1975年か、76年に違いない。音声は無く、映像は大事な時に限ってちらついたり歪んだりするが、形は全て明瞭である。彼らがやっているのは — ラグビー? アメリカンフットボール? 何かそれらしいスポーツだ。何となく正しくないような気がする。
カメラはあちらへこちらへと動き回る。笑顔の群衆、観客たちが全員カメラに向かって手を振っている。彼らの動きは統制されていない、協調していない、正確でもない — 乱雑であやふやな、けらけらと笑う若者たち。人々。君の目の前に座っているのは現実の人々だ。そうじゃないか?
君は文書に目を下ろすが、いまいち集中できない。学校を覚えているだろう? 君の経験は違うものだ — 違う場所、違う時間 — それでも覚えてはいる。厳格に定められた時間、在りし日の心痛、君の前にあるあらゆる夢への約束。君の名前で象られた、限りない若さ。それは全て君の前に広がっていた。地平線に弧を描くあの夕陽。
覚えているだろう?
忘れてしまったのかい?
O5評議会指令
以下のファイルはレベル5/4833機密情報です。
無許可のアクセスは即時終了の対象となります。
事案4833-8Cの現場。
特別収容プロトコル: SCP-4833の活動は現在、機動部隊イータ-11"獰猛な獣たち"によって監視されています。イータ-11は報告された全ての事案に速やかに対応し、状況を確認し、潜在的な異常の収容を試みます。
記憶処理部門による最近の発見から、SCP-4833の性質は根本的に変化したものと見做されています。エージェント ホーソーンの報告が完了次第、SCP-4833は再分類され、ファイルは更新される予定です。
説明: SCP-4833は、通常"失神交響楽"の名称で活動している、現実改変能力者の組織化された集団です。SCP-4833は10〜29名の人物で構成されており、その全員が類似の能力や特性を示すと考えられています。
1940年代後半に始まった当該組織の主な活動は、15〜18歳の青少年を対象とする、未知の目的のための異常な改変を意図した実験です。SCP-4833はかつて異常事態の重大な発生要因であり、1940年代後半以降に多数の人物を誘拐、強制改造したことから、超常コミュニティではその存在が強く危惧されていました。しかしながら、近年、彼らの影響力は著しく減退しています。
上記以外の点で、SCP-4833の目的、手口、基本的性質は殆ど知られていません。SCP-4833は自ら画策した事件を通して間接的にしか財団エージェントと遭遇していません。数名の生存者から得られた証言は、SCP-4833の最終目標が"調和の状態"state of harmonyの確立であることを示していますが、それが何を意味するかは不明です。
SCP-4833の異常特性は記憶と音楽を中心に展開されるようです。財団が遭遇した事例の大部分において、彼らは管弦楽団または楽器店のどちらかの形式で現れています。SCP-4833構成員の目撃者は例外無く彼らが"仮面を付けて"いると述べます。しかしながら、このような目撃者は全員が忘却効果に曝されているため、更なる詳細は不明確です。
SCP-4833は1970年代半ばに初めて財団の注目を集めました。間もなく、SCP-4833の調査と追跡を明確な目標に掲げた専門機動部隊が設立されました。この機動部隊は今日までSCP-4833構成員の追跡には成功していないものの、SCP-4833のより広範な活動を収容するのに役立つ情報を数多く提供しています。
SCP-4833のタイムライン
1947年: SCP-4833の活動が始まったと考えられる。青少年が世界各地で誘拐され始めるが、とりわけイエローストーン国立公園の近傍に被害が集中している。
1964年: 最初の集団実験がアイダホ州ボイシで行われる。世界オカルト連合をはじめとする様々な組織からの圧力により、SCP-4833は███████州████████郡に主要活動拠点を移転したと考えられる。
1969年: SCP-4833は[編集済]の町に"失神交響楽"という名の楽器店を開く。当初、異常な活動は発生しなかった。
1975年、秋: 集団認識災害事件が███████████湖で発生。この事件をSCP-4833と関連付ける決定的な証拠は発見されていないが、異常存在の性質はSCP-4833の手口と一致している。
1976年: SCP-4833による一連の実験がカーク・ロンウッド高校および███████高校で行われる。問題の高校と町には速やかに避難措置が取られ、財団の制御下に置かれる。"失神交響楽"楽器店は財団が襲撃した時点で既に放棄されていた。
1977年: SCP-4833に誘拐された人物の数は1976年と比較して急激に減少し、今日に至るまでその傾向が続いている。超常コミュニティにおいて、これはSCP-4833が1976年の何処かの時点で目標を達成したためであり、その後の誘拐は単なる"微調律"の一種に過ぎないと推測されている。
1988年: 財団職員とSCP-4833に改造された人物の、2019年以前の最後の既知の遭遇。
2019年: 事案4833-8C(下記参照)。
以下は、エージェント ジョン・ハードキャッスルと異常な現実改変能力者の交流の記録です。
日付: 1988年11月09日
場所: ソビエト連邦、アルハンゲリスクのバー、 "忘却酒場"Traktir na Zabytyy
注記: エージェント ハードキャッスルは、SCP-4833による実験の最初期の記録を調査するのに数ヶ月を費やしていた。彼は自らの知人であるヴァシーリー・ストロガノフが、1940年代後半にSCP-4833実験の対象となったことを示す記録を発見した。ストロガノフ氏はアルハンゲリスクまで追跡され、エージェント ハードキャッスルによる単独インタビューが行われた。
<記録開始>
エージェント ハードキャッスルがカメラを起動する。彼は広い、荒涼とした路地に立っている — 大雪が降っている。"трактир"と記された看板が見える。彼は入口に進み、中に入る。
内装は暗く、汚れている。壁は装飾の無いレンガ造りで、数脚のテーブルが散在している。バーテンダーは肥満体の中年男性であり、明らかに酩酊している。もう一人の男性 — ヴァシーリー・ストロガノフ — がウォッカのグラスの上に覆いかぶさっている。施設内には他に誰もいない。
エージェント ハードキャッスル: (ロシア語) ウォッカください。
バーテンダーはウォッカのグラスを取りに行く。その間に、ストロガノフは姿勢を正してエージェント ハードキャッスルを凝視する。エージェント ハードキャッスルはストロガノフに頷く。バーテンダーはエージェント ハードキャッスルに飲み物を渡す。
エージェント ハードキャッスル: (ロシア語) この時期は結構儲かるかい?
バーテンダー: (ロシア語) 少しな。あんたアメリカ人か?
エージェント ハードキャッスル: (ロシア語) イギリス人だ。心配しなくていい — 良いタイプの奴だから。
バーテンダー: (ロシア語) 良いイギリス人なんかいやしねぇよ。良いロシア人だっていねぇけどな。
エージェント ハードキャッスルはルーブル紙幣の厚い束をバーテンダーに手渡す。
エージェント ハードキャッスル: (ロシア語) ちょっとしたチップだ、その、プライバシーのための。
バーテンダーは札束に目を通し、頷いて奥の間へ下がる。エージェント ハードキャッスルはストロガノフの隣の席を引く。
ストロガノフ: クソが。
エージェント ハードキャッスル: やぁ、ヴァシーリー。随分と久しぶりじゃないかい?
ストロガノフ: 頼む、一人にしてくれ。放っておいてくれるって約束だったろ。ブダで助けてやった後 —
エージェント ハードキャッスル: 本当に済まないと思っている、ヴァシーリー。私だってこんな所に来たくなかったさ、だが君や私よりも重要な事が起きている。
ストロガノフ: 俺はただのジジイだぜ、ジョン、助けてやれねぇよ。今じゃ、誰も目に留めねぇようなコンクリート固めのクソみてぇなアパートで、雪が降るのを眺めてる。暖房すら無ぇんだ。帝国時代はこんな...
ストロガノフは頭を振り、数秒間沈黙している。
ストロガノフ: 帰ってくれ。
エージェント ハードキャッスル: そうはいかない。帰りたいが、無理なんだ。失神のことを教えてほしい、ヴァシーリー。
ストロガノフは目に見えて緊張する。
ストロガノフ: 断る。ダメだ、それはダメだ。帰れ、ジョン、お前は自分が何に手を出してるか分かってねぇ。
エージェント ハードキャッスル: 子供たちだ、ヴァシーリー。かつての君のような子供たち。1954年に何が起きたか知る必要がある。
ストロガノフ: ダメだ。無理だ。頼む、俺には答えられん。
エージェント ハードキャッスル: 君の移転を手配できる。何処かにもっと住み心地の良い—
ストロガノフ: 何処に俺を引っ越させたって何も変わりゃしねぇよ。
ストロガノフはウォッカを大きく一杯呷る。
ストロガノフ: お前ここに来てどのぐらい経つ? この町をどう思う?
エージェント ハードキャッスル: それは — まぁまぁじゃないか。これまで訪れたソ連の他の町と同じ — 広くてコンクリートだらけだ。ごく普通の寒くて目立たないロシアの町だよ。
ストロガノフ: この町はな、住民にとっては目立たねぇどころの話じゃない。ここら辺の数百マイルで最大の都市なんだ。だが西側から来た奴、世界地図を見てる奴からすれば、文明の最果てにある植民地に思える。お前が拠り所だと思ってるものは全部、果てしない海に散らばるただの小島だ。別のデザインが、最後のものよりデカいものが常に在る。あいつらは俺にそう言った、そして俺を見つけ出すだろう、ジョン。俺は何も話せない。
エージェント ハードキャッスル: もう助けてくれたじゃないか、ヴァシーリー。彼らは"最後のものより大きなデザイン"を信じている。それで十分だよ。私たちなら君を快適に、安全に守れる。今まで一度も明かしたがらなかった能力についても話してくれて構わない。昔とは違うんだ。私たちは今じゃ優しくなった。紳士的になった。
ストロガノフ: いつかこの場所も目立たなくなる。この時間も、この場所も、お前のカメラの映像も。1980年代か。未来の連中はそれをどう思うだろうな?
エージェント ハードキャッスル: 輝かしい十年。
ストロガノフ: 一部はそうかもしれん。暗黒期として思い出す奴らも出るんじゃねぇか。夜に湖を渡るような、冷え切って不確かさに満ちた時代として。
エージェント ハードキャッスル: だったら尚更世界を良くする必要がある。失神がその第一歩だ。
ストロガノフ: だが失神にはもう大した力は無いぞ。お前はそれを知ってたか? ここ数年で攫われた奴は殆どいない。あいつらは探してたものを見つけたんだ。あいつらを放っておけねぇのか? 俺たちに余計な手出しをしないでくれねぇか? 俺を寒さの中で死なせてくれ、ジョン。俺が惨めなゴミクズだってことを忘れさせてくれ。俺は戻りたくねぇ。
エージェント ハードキャッスル: 彼らは子供を攫っているんだ、ヴァシーリー。
ストロガノフ: 知ったことか。
エージェント ハードキャッスルは大きく溜息を吐く。
エージェント ハードキャッスル: だったら無理にでも連行するしかなさそうだ。
ストロガノフは数秒間、エージェント ハードキャッスルを凝視している。
ストロガノフ: マーシーってのは誰だ、ジョン?
エージェント ハードキャッスルは素早く身を引く。
エージェント ハードキャッスル: ど — どういう意味か分からないね。止めろ。
ストロガノフ: マーシー・グリーン。荒れ野で踊る村娘。お前もあの子も絶対にそんな日は来ねぇって分かってたはずの人生に備えた練習だった。お前は寄宿学校を抜け出してあの子に会いに行った。
エージェント ハードキャッスル: や — やめてくれ —
ストロガノフ: お前のファーストキス。お前は一緒に逃げようって話をした。でも親に見つかって引き離された。お前は17歳だった。人生最後の夏。
エージェント ハードキャッスル: 僕は待つって言った...
ストロガノフ: でもお前は待たなかった。お前は去った。あの子も多分そうだろうが、そこまでは俺にも見通せん。お前の頭の中のマーシーはただの影法師、本当の物語の切れっ端だけを語る弱々しいコピーだ。どうして戻らねぇんだ、ジョン? あ — 嗚呼、すまん。
エージェント ハードキャッスル: 原っぱに戻らなきゃ...
ストロガノフ: そ — そうだ。戻れ。すまねぇ、ジョン、すまねぇな...
エージェント ハードキャッスルは倒れ、数秒間何事かを呟いた後に死亡する。ストロガノフは数秒間、無言で涙を流しながら、何も無い空間を見つめている。
ストロガノフ: 俺はこうしなきゃならなかった。こうしなきゃならなかった。あいつらは俺の頭から絶対に出て行かねぇよ。あいつらがなりふり構わずそれを求めてるのが分からねぇのか? 自分が何をしたか分かってんのか?
ストロガノフは頭を振り、固く目を閉じる。映像がちらつき、途絶する。
<記録終了>
君はハードキャッスルを覚えている。80年代後半、君がまだ財団で働き始めたばかりの頃、彼はサイト-90にいた。博士号を取ったばかりの、知識に飢えていた君の師だった人物だ。数ヶ月後に彼は姿を消した。異動になったと君は聞いていた。
今や彼は殆ど存在していない。彼をまだ覚えている残り少ない人々もすぐに死ぬだろう。この文書は彼を不滅のものにしたが、それにしても記録の転写に過ぎない。抽象化のそのまた抽象化だ。
君はタバコに火を灯し、映像を見続ける。撮影者は自宅にいる。彼の母親の服は撮影時期から見ても古臭い — 色褪せた50年代の主婦のような彼女は、カメラに完璧な笑顔を向けている。とは言え彼女の時代錯誤ぶりには不備があり、ちょっとした同年代の流行りが忍び込んでいる。
父親が微笑む。半袖シャツ、旧式の腕時計、缶ビール、サングラス。自分が浮いているとは絶対に考えない、いつでも浮いている男。君はこういう人々を知っている。彼らは今の時代を生きる何千人もの親と同じだが、過去という立ち位置が依然として彼らを変化させ、変質させる。彼らは同じではない。あの時代にしては自然体すぎる。
1976年の君は、そう — 13歳か、14歳ぐらいだろうか? 君にとってさえ、それは失われた時間となっている。君が忘れていないのは断片的な記憶だけだ。微笑む女、笑う父。恋したあの人。変な顔の教師たち。古いカメラ映像の粒。白黒、カラーテレビ。
影法師のそのまた影法師。
君はファイルに目を戻す。
以下の文書は、エージェント ヴァレリー・コワルスキーが1997年に自殺した後、彼女の私物から回収されたものです。これらはSCP-4833を調査する過程で、彼女によって編纂されていました。文書の内容を以下に転写します。
文書1: マーシャル・カーター&ダーク社の輸送目録の1ページのコピー。1947年にアメリカに輸入された商品の詳細。
日付 | 商品番号 | 商品 | 数量 | 価格 | 注記 |
---|---|---|---|---|---|
05/08 | SS-13 | フレンチホルン | 1 | 11,099ドル | 強力な忘却効果; 使用者が子供時代の重要な側面を忘れるように強制する。 |
05/08 | SS-14 | 書籍 "20世紀の幻想: 1940-1970年" | 1 | 1,120ドル | 異常性は無いが、有り得ないほどに正確な予測と、出版日以降に撮影されたことが判明している写真が収録されている。 |
10/14 | SS-15 | 試作"記憶処理"薬剤 | 30 | 45,900ドル | SCP財団"Q"施設より入手。 |
10/14 | SS-16 | バスーン | 16 | 56,900ドル | 記憶復元効果あり。移植された記憶に対する実験が進行中。 |
10/14 | SS-17 | イエローストーン公園観光ガイド、1970年版 | 1 | 20,000ドル | SCP財団"Q"施設より入手; "時間異常部門"のラベルが添えられている。 |
11/19 | SS-18 | マリアナ海溝から回収された文書及び物品 | 7 | 101,000ドル | ダーク女史による追加情報は提供されていない。 |
11/28 | SS-19 | 木製バイオリン | 1 | 3,250ドル | 異常性は無いが、ユグドラシルの木材から作られているため、異常な改変の影響を極めて受けやすい。 |
文書2: 1959年に財団施設"Q"から送られたメッセージ。
To: ホロウェイ管理官
From: ブラウン研究員
日付: 1959年07月16日
メッセージ開始
被検体BH12について: 広範な試験にも拘らず、海馬には反応が殆ど見られなかった。研究者は自分たちの記憶の安全性も懸念している — アスベスト防衣は効果的だが、健康面への不安があるため、スタッフは次第に使用を渋るようになってきた。グレゴリーの新式ホルムアルデヒド張り防衣への出資を推奨する。
BH12の症状に変化無し。自身の記憶は完全に欠落しているが、1976年の学生であるという一貫した信念を抱いている — にも拘らず、1954年以降に起きた出来事の正確な情報を提供する能力を欠き、近代史の大部分に無知だ。しかし、感染キャパシティは増大しているらしい。最近注目された第二次世界大戦期の掩蔽壕の探査に病的な関心を示している。
観察を継続する。
P.S. ディアドラと私から改めて昨晩のディナーのお礼を — お返しに君を招待したいが、いつなら都合が良いだろうか? ディアドラは新しい電気フライパンで何か相当野心的な料理に挑戦する気満々なんだ。
メッセージ終了
文書3: 財団施設"Q"で1968年の閉鎖時に収容されていた異常存在に関する、出所不明の報告書の抜粋。
異常被検体1号は19歳男性。対象は異常な記憶改変能力を示した後に財団に拘禁された。対象は1966年の不明な時期に異常な改造を受けている。対象は改造者たちが"白いカーニバルのマスク"を着用していたと述べた。
対象は時間改変が可能である; 1966年以前に知覚した出来事を具体的に変えることができるが、その程度は極めて限定されており、出来事の全体的な流れには最小限の改変しか及ばない。1965年の長距離自動車旅行の出来事と、1964年に対象の同級生ヴァレリー・スミスとの間に発生した短期間のロマンスの結果を除いて、変化は殆ど確認されていない。
対象は自身が経験した改造実験以降の長期記憶の保持が不可能である。対象は現在がまだ1966年であると信じており、しばしば自身がまだ実験を受けている最中であると思い込む。
時間異常部門による実験のためにサイト-107への移送を推奨する。
異常被検体88号は36歳女性。対象は1949年に、認知機能を恒久的に損なうほどの顕著な異常改造を受けたと考えられる。
対象はマリアナ海溝に執着する様子を示し、頻繁にそれが"世界の端っこから落っこちて"いると語る。特筆すべき事に、対象の声明は[編集済]と高い一致を示す。対象は改造実験以前にその存在を知られていなかった高度なピアノ演奏能力を有する。対象はピアノの演奏中は常に未知の言語で発話する。
O5司令部は対象を即時サイト-01へ移送するように指示している。しかし、[編集済]生体解剖を巡る倫理委員会の異議のため、この指示は一時的に停止されている。
異常被検体212号は死亡当時30歳の女性だった。1959年より拘禁。対象の記憶は、1976年から来たと主張する未知の17歳学生の記憶と完全に置換されている。しかし、対象による過去10年間の出来事の予測は完全に不正確であることが証明されている。対象は1960年代および70年代に、"ケネディ大統領"の暗殺や、アメリカ合衆国と"北ベトナム"と呼称される未知の国家(3世紀の趙王朝/ハノイ共和国との関連性アリか?)との間での戦争といった事件が起こるであろうと主張していた。
対象は半径5m以内に接近した全ての無防備な人物に対する異常な記憶置換能力を帯びていた。対象は1969年10月09日、施設"Q"が閉鎖されサイト・システムに統合される直前に、首吊り自殺しているのが発見された。遺書は発見されなかった。しかし、バイオリン、WW2期の掩蔽壕、未知のブランドの"スーパー8ミリ"フィルムカメラを描いた一連の鉛筆画が彼女の個室から発見された。これらは自殺の直前に描かれたものと思われる。
文書4: スーパー8ミリフィルムカメラから回収された映像の動画記録。1985年にアイダホ州の小洞窟で発見された。
エージェント コワルスキーの所持品の中から発見された画像。文書4で説明されている映像の増強処理された静止画と思われる。
<記録開始>
00.00.00〜00.00.43: 映像は未知の丘陵の斜面から始まる。風景はアメリカ中西部を連想させるものだが、配色はこの現実世界と大幅に異なっている。小規模な集落、もしくは町が丘陵の下に見える。この町は1970年代半ばのアメリカに存在した多くの町を連想させる。
渦を思わせる形状の巨大な雲が町の上に見える。雲は断続的に赤と黒の色合いを呈する。数体の不明瞭な灰色の姿が雲から出現し、町に向かうのが見える。
カメラの動きは、扱い慣れた人物が保持している場合と一致している。しかしながら、天候が著しい画面揺れを引き起こしている。
00.00.43〜00.08.54: 撮影者は丘を勢いよく駆け上がり始める。この場面は不鮮明で、詳細な点がはっきりしない。
00.08.54〜00.09.02: 撮影者が一瞬カメラを落とす。カメラを拾っている時、彼の姿が短時間映る — 10代半ばの白人男性、バイオリンケースを背中に括り付けている。1970年代に典型的な長髪だが、それ以上の詳細は明確に映っていない。
00.09.02〜00.11.12: 撮影者は再び走り始める。数分後、彼は洞窟に辿り着く。洞窟内に光が見える。
00.11.12〜00.14.33: 撮影者は洞窟に入る。薄い薔薇色の膜が洞窟の中央に張り渡されているのが見える。"かくれ家"SAFE HOUSと読める雑な落書きが膜の向こう、洞窟の反対側に見える。撮影者はカメラを持った手を脇に降ろし、膜に向かって前進する。彼は入場直前にカメラのスイッチを切る。
00.14.44〜00.15.27: 映像は深刻に痩せ衰えた撮影者の姿から始まる。彼はカメラに向かって話しているが、局所的な画像の歪みのため、何を話しているかは定かでない。彼の話し方は追い詰められた様子を増していき、やがて彼はカメラのスイッチを切る。周辺環境の配色は正しいものになっている。
00.15.27〜00.17.38: 映像は丘陵の斜面から始まり、洞窟の入口から撮影していることが見て取れる。カメラの揺れは撮影者が足を引きずっていることを示すものと思われる。彼は洞窟の端に向かって移動し、中途で嘔吐と思われる行動を取った後、先へ進み続ける。
00.17.38〜00.18.03: カメラはかつて町があった場所に向けられる。今は廃墟となっているが、その各所に大規模な足場と建築材料が見える。不鮮明ながら同一の容姿と思われるヒト型実体群が数千体、建設作業に従事している様子が伺える。他の人物の姿は無い。全ての実体は同じオレンジ色のつなぎを着用している。以前の映像に見られた異常気象は確認できない。
00.18.03〜00.18.07: カメラが取り落とされ、映像が唐突に途絶える。
00.18.07〜00.19.25: カメラが拾い上げられる。撮影角度は町に向けられている。町は今、1940年代半ばのアイダホ州ボイシに類似している。
00.19.25〜00.19.30: カメラが撮影者に向けられる — 撮影者の顔と両手は不鮮明になっており、映像の歪みによって視認できない。見て分かる限りの情報から判断すると、撮影者は叫んでいるように思われる。カメラのスイッチが切られる。
00.19.30〜00.19.35: 映像は洞窟の内部から始まる。幾つかの単語が黒いマーカーペンで壁に走り書きされているのが見える: "シナプス"Synapse、"歯擦音"Sibilance、"予兆"Signs、"サヨナラ"Sayonara、"シビュラ"The Sybil。一つの単語、"失神"Syncopeが円で囲まれている。
00.19.35〜00.19.49: カメラが撮影者に向けられる。撮影者は明らかにもう痩せ衰えていない。顔と手には以前同様の、しかし著しく悪化した歪みが生じている。撮影者は白いヴェネツィア風の仮面を着用している。カメラのスイッチが切られる。
誰も語らない場所がある。イエローストーン国立公園の数マイル地下に埋もれた、創造者である財団にとってすら謎の場所。それは彼らを真に恐怖させる存在だ。
この場所、この大洞窟めいて広がる鋼鉄とコンクリートの主目的は再増殖であり、復興であり、復元だ。しかし、その中にはもっと広範な目的で埋められた物もある。スクラントン現実錨、シャンク/アナスタサコス恒常時間溝、君には何も分からないその他の埋め込まれた機械。微妙な、未知の、知られざる手段で時間を捻じ曲げ、因果律を変える装置。
時には、ひび割れから零れ落ちる物もあるかもしれない。
煙が君の目を曇らせ、君は虚空を見つめながら深く物思いに耽る。君は没頭し過ぎて画面の変化に気付かないのに、リールはひたすら回転して遥か昔の像を映し出していく。ロッカーの前で笑いながら、忘れ去られたジョークをかますか、或いは身元不明の人々の噂話をしている友人たちの一団。話の内容は保存されない — ただ形式だけが残されている。
撮影者からは見えていないが、画面の背景に映り込んだ一人の少年が、紙切れに何かを書き込んでいるのが分かる。彼の目付きと表情は真剣で、集中している。彼は時々、神経質に、落ち着かなげに顔を上げる。隣にはバイオリンケースが置かれている。
君は少年の姿を見ていない — もう既にファイルに目を戻している。その少年は、現実であったかもしれない何かの像の中に在るまた別な像は、君の記憶の一部ではない。
彼は本当に存在したと言えるのか?
2019年01月26日、SCP-4833は███████高校の音楽堂跡地の敵対的乗っ取りに着手しました。財団工作員は速やかに現場を確保し、SCP-4833の構成員1名のみが存在しているのを確認しました。エージェント オハラが当該構成員のインタビューおよび拘留に派遣されました。以下は彼の個人カメラからの映像記録です。
<記録開始>
SCP-4833の構成員(以下SCP-4833-Aとする)が音楽堂のステージ中央に立っている。SCP-4833-Aの外見は著しく歪曲しているが、その歩き方、姿勢、動きは高齢の人間男性と一致する。SCP-4833-Aは白いカーニバル用の仮面を着用しており、服装は20世紀半ばのアメリカの指揮者に典型的なものである。金色のバイオリンを持っている。
SCP-4833-Aの周囲には多数の衣服が散乱している。これらは20世紀初期から半ばにかけて世界各地の交響楽団員が着用していた服に類似する。
エージェント オハラ: やぁ。お前と少しの間、話し合えないかと思っていた。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: 構わない。お前を傷付けるために来たんじゃない。私はただ、お前が何者で、何故こんな事をしているのか知りたいだけだ。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: す — すまないが、どういう意味か分からない。私は掩蔽壕なんて知らない — 我々のサイトの一つか?
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: いや、それは — OK。分かった。出だしからまずい切り出し方をしてしまったようだ。交響楽の他の皆のことを教えてはもらえないか? お前の共演者たちは?
SCP-4833-Aは身振りで周囲の衣服を指す。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: ...それは — ただの服だろう。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: 彼らは — 死んだ? お前のような連中がそんな—
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: あぁ... そうか。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: つまり、計画でも何でもなかったんだな。お前は衰えた。力を失ったんだ。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
SCP-4833-Aはバイオリンを取り上げ、エージェント オハラに向かって数歩踏み出す。エージェント オハラは拳銃を抜き、SCP-4833-Aに照準を合わせる。
エージェント オハラ: 子供たちを実験台にしたのは何故だ?
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: 自分のようだから、とはどういう意味だ?
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: だったら湖は?
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: な — 何?
SCP-4833-Aの両手は目に見えて震える。SCP-4833-Aはバイオリンを中心とする何らかの不可視の力に逆らっているように思われる。
エージェント オハラ: "解釈"とは?
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: ち — 違う。常に意味はある。時には何も裏が無い場合だってある。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: 他の勢力なんて存在しない。有り得ない。お前と、お前の音楽家たちと、お前が手を出した子供たちだけだ。記憶なんてのは、ある種の記録手段に過ぎない。何処から来たのか知らないが、お前には私と同じ血肉がある。お前に謎めいた点なんて何も無いし、何かがお前にこれを強いたわけでもない。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: なら一体何をやったんだ?
SCP-4833-Aはバイオリンで音を奏でる。エージェント オハラの右腕が下がり、彼女は銃を取り落とす。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: 何を — 何をした —
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: どうでもいい。お前は子供たちを攫った。そもそもお前は何だ? 私にはお前の顔が見えない。記憶していられない。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: お前には彼らを忘れさせない必要なんかなかった。そいつらの命にそんな価値は無い。そしてお前は失敗した。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: 掩蔽壕なんて無い! 過去の言葉も、忘れ去られた人々もいない! お前は子分たちを騙して仲間に引き入れ、そいつらは全員去るか死ぬかした。誰も忘れられていない! お前が存在するだけだ! 歴史はただ一つのもの、真実はただ一つのものだ。お前の存在は解明できる、'76年度の生徒たちに何が起きたかも解明できる、私は — きっと、真相を見つけ出す。
SCP-4833-Aはバイオリンの演奏を開始する。曲調はスローテンポで始まり、徐々に速度と音程を増してゆく。
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: お — 音楽には意識なんて無い。それはただそんな風に—
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: そうじゃない — あの子は私にそんな事を — 違う、違う—
SCP-4833-A: [歪んだ音声]
エージェント オハラ: 最後の夏だった。来年には大学に行く。私はウォークマンを持っていて、雨が降っていた。後で訊いた時、ケンカのせいじゃないと彼女は言った、で — でも私が覚えているのとは違う。真実はどっちだ?
SCP-4833-Aの演奏はますます急速になり始める。SCP-4833-Aはバイオリンから身を遠ざけているように見える。
エージェント オハラ: 丘は緑だった。私たちは — 私がギターを、彼女がドラムを演奏していた。彼女の両親はそんな私たちが気に食わなくて、でもそんな — そんなのは私たちにとってどうでも良かった、きっと素晴らしいことができるはずだった。地平線に広がる茜色の空。
SCP-4833-Aは今や人間には不可能な速度と複雑さで演奏している。大きく身体を捻って、SCP-4833-Aはバイオリンから自分を引き離し、床に倒れ込む。バイオリンは空中に浮かんだまま演奏を継続している。
エージェント オハラ: 私たちは何だ? 私たちは誰なんだ? 忘れたのか?
SCP-4833-Aは頭を抱え込んでいる。SCP-4833-Aは叫び声と思われる歪んだ音声を出す。バイオリンは有り得ない速度の演奏を継続する。
エージェント オハラ: 忘れてしまったのか?
数体の人影がコンサートホールの端に出現するのが映る。実体群は全員、顔の造形が著しく歪んでおり、エージェント オハラの方を向いている。
エージェント オハラ: 私は忘れない。
カメラ映像が途絶する。
<記録終了>
この直後、応援部隊が音楽堂に突入しました。SCP-4833-A、衣服、バイオリン、歪んだ容貌のヒト型実体群は全て消失していました。エージェント オハラは完全に意識を保った状態で発見されました。報告にあたり、彼女は音楽堂に誰か/何かが存在した記憶は無いと主張しました。
少女が廊下で微笑んでいる。彼女は友達から聞かされた、もう耳には届かない何かのジョークに笑う。顔に不安げな表情を浮かべた女教師が通り過ぎる。陽射しが窓から差し込んでいる。画質は粒状の光の中に一連の場面を洗い流してゆく。
その廊下はもう、決して存在しなかったものになった。このフィルムリールは、他の小さな断片と共にマリアナ海溝の底から回収された。暗闇の中、人間には到達し得ない場所に埋まっていたのだ。かつて在りし物が見つかり得るただ一つの場所。
誰も彼女を覚えていない。君に見えるのはページを、図像を、この太古の生物に偶然似ている影法師が落としたそのまた影を照らす光だけだ。それは記憶ではなく、ある時そこで何かが動いたことを示す揺らぎでしかない。
リールは再生を終えた。残響が部屋に谺する。カチッ、カチッ、カチッ。白黒の線が画面にちらつく中、君はそこに座っている。タバコの煙が、君の無表情な顔の前の空気を満たす。
いつの日か、君もまた存在しなかったことになるだろう。何かの惨事か、つまらない破局が訪れて、上を下への大騒ぎがまた始まる。掩蔽壕、操作レバー、死と終焉。活動は停止する — それでも交響曲は永遠に続いてゆく。
たとえそんな事が起きなくても、全てが失敗しても、君自身の人生はそこで終わる。他の沢山の人々がそうであったように消え去るのだ。君は死体になり、骨になり、塵になり、決して存在しなかったものになり、誰もが君を忘れてしまう。
木々が君の墓の上に育つ。花々は踊る。人類はぐずぐずと長居してから死ぬか、星々の間へと広がって故郷を忘れ去る。地球はひび割れて炎上し、分子が死に、原子が死に、闇が全てを包み込む。ほんのわずかに散らばった波の名残さえ消散して、その後は永久に何も起こらなくなるのだろう。無限という概念を持たない無限。
或いは、そうはならないかもしれない。
君はライターを取り上げて文書を燃やし、舐めるように紙を呑む炎をじっと見つめる。立ち上がり、揺らめく光に冷然と向き合って、部屋を出てゆく。
何一つ後に残すことなく。