クレジット
集合的無意識の彼方に存在する死者の魂の複製モルフェウス型幽体を回収するためのプロジェクト・アパリション。それを巡るインシデントを一通り片付けたあと、僕たちの内部保安部門エージェントとしての日常がまた始まって、しばらくは平穏な日々が続いていた。こまごまとした監査の仕事をいくつかこなすだけで、大きな案件が舞い込んだりはしなかった。
そんなある日だった。僕の相方であるアナステイジア・ライトさんが、扱っていた案件をいきなり僕ひとりに押し付けて、1週間の休暇を取った。相方の僕に一切の相談もなく、だ。
内部保安部門施設の休憩室。僕は、休暇から帰ってきたライトさんにさっそく尋ねた。
「いったいどうしたんですか、ライトさん?」
「.........」
ライトさんは珍しく、暗い顔をして沈黙していた。眉間には深いしわが刻まれ、明らかに消沈の色が見えた。
「......あまり、話したくないんでしょうか? なら」
「いや......いや、いい。話すわ、タッグだしな。黙ってて悪かった」
僕が心配の言葉をかけようとしたら、あのライトさんから謝罪の言葉が返ってきた。何かがあった、というのは明白だった。
「ちょっと待ってろ、たぶん読んでもらったほうが早い」
「え、読むって、何を?」
ライトさんは、取り出した端末を操作して、やがてあるファイルの表示された画面を見せてきた。
「SCP-3856-JP-D。解体済の、とあるヒト型SCiPの報告書だ」
収容クラス: Decommissioned
機密
特別収容プロトコル: SCP-3856-JP-Dの遺体はサイト-885の墓地に埋葬されています。
説明(アーカイブ済): SCP-3856-JPは1953年12月24日生まれのコーカソイド男性、ダニール・ライトです。
主な特異性として、SCP-3856-JPはほぼ完全と言える程度の記憶保持特性を有しています。これに付随して、SCP-3856-JPは記憶影響・ミーム汚染・精神影響に対するクラスV相当の耐性を獲得しています。これら特異性の起源は判明していません。
補遺3856-JP-D.1: 歴史
ダニール・ライトは、1980年04月24日より財団に雇用されていた非異常性の職員でした。当初、ライトは保安部門エージェントとして勤務しており、非異常性職員として模範的な業務成績を残していましたミルグラム忠誠度テストおよびサヴィニャック知能指数テストでも高得点を獲得していました。
1998年04月18日、解体部門の設立と同時に、ライトは解体部門の管理官に任命されました。その後も同様に、ライトは非異常性職員として模範的な業務成績を残していました。
2008年08月29日、ライトは前兆なく特異性を発現したと主張し、監督評議会にその旨を報告しました。ライトに対し無害な記憶影響耐性・ミーム汚染耐性・精神影響耐性のテストが実施され、その特異性が事実であると断定されました。結果、ライトはSCP-3856-JPに指定され、Haritiクラスに分類されました。
SCP-3856-JPの血縁者にも同様の試験が実施されましたがいずれの人物にも特異性は確認されておらず、それは本稿執筆時点においても同様です。
補遺3856-JP-D.2: 解体
2020年05月22日、SCP-3856-JPに脳梗塞の兆候が見られました。医療スタッフによる複数の検査の結果、これはSCP-3856-JPの記憶保持特性の副次的作用であると結論づけられましたSCP-3856-JPの記憶保持特性に対し、脳自体の構造が同レベルの水準に達していないことがこれら症状の原因であるという結論でした。
倫理委員会および解体部門による協議の結果、SCP-3856-JPの解体が決定されました。SCP-3856-JPもこれを承諾し、2020年06月02日、SCP-3856-JPは薬学的手段によって安楽死処置を受けました。SCP-3856-JPはDecommmissonedクラスに再分類され、解体部門管理官はルーク・ハーシェル同部門管理官補佐に引き継がれました。
僕は、呆然とそのファイルを眺めていた。ライト。見たことのあるその苗字ファミリーネームに、僕はしばらく言葉が出なかった。それでも、僕はやっとこさ口を開いて、恐る恐る質問をした。
「......この、ダニール・ライトさんって、やっぱり......?」
「......ああ。あたしの親父だよ」
返ってきたのは、あまりにも予想通りの答えだった。僕は全てに合点がいって、再び沈黙してしまった。
実の父親に行われた、安楽死。恐らく、ライトさんはその葬儀などのために1週間の休暇を取ったのだろう。実の家族が、実質的に病気のようなもののせいで亡くなったのだ。ライトさんであれ誰であれ、元気をなくすのが普通だろう。
「その......お悔やみ申し上げます」
「いいよ、気にしなくて......あたしにとっちゃ、あいつはただのゴミ野郎だからな」
「え?」
ライトさんはそう吐き捨てると、ファイルを閉じて端末をしまった。
「......あいつは、ダニールは最低のゴミ野郎さ。家のことなんて、家族のことなんてこれっぽっちも考えてなかった。昔は忙しい中でもしっかり家族との時間を大事にしてくれたが、あれ以来あたしは一度もあいつに会えてねえお袋がぶっ倒れたときでさえ、あの野郎は来なかった」
「あれ以来、というと......」
「あの記憶保持特性とかいうのを発現してから、あいつはおかしくなっちまった。それまでは......バカみてえな話だが、あたしもあの野郎を尊敬してたよ。だが、あの日に全ては狂っちまった。あいつはまるで家に存在しねえ亡霊か何かみてえな存在に成り果てて、あたしは憧れてた解体部門から内部保安部門に進路を変えたっつうわけだ」
ライトさんはそう言うと、自販機横のゴミ箱を軽く蹴った。ガチャンという金属質な音が響いた。
「......元は、解体部門志望だったんですね、ライトさん」
「まあな。これでも実は理系なんだぜ、元々は? 勉強する分野もガラッと変えなきゃいけねえから大変だったよ」
「でも、どうして内部保安部門を選んだんですか?」
「簡単な話さ。いつか、あの野郎がボロを出したら、そこであいつの息の根を止めてやるつもりだったのさ。『模範的な業務成績』とやらが崩れた瞬間に、エリートの座から引きずりおろしてやりたかっただけだよ」
「ななるほど」
ライトさんはそう言うと、休憩室のソファーにドカッと座った。僕も、彼女の隣に座った。
「......ま、それももう叶わぬ夢になっちまったがな。結果はあいつの勝ち逃げさ。これであたしゃ、ただの道化に終わったっつうわけ」
「僕は......ライトさんが道化だとは思いませんよ。もしライトさんが道化なら、僕もおんなじになってしまいますから」
「そう言ってもらえて助かるよ」
言葉の端々から、ライトさんにいつもの覇気と元気が感じられなかった。やはり、疲労や苦しみは彼女の中にあったのだろう。僕は考えを巡らせたあと、ふと思い立って話題を切りだす。
「......このファイルによると、ダニール・ライトさんの解体を決定したのはルーク・ハーシェルさんという人なんですかね?」
「ん? ......ああ、多分そうだろうな。管理官本人の解体を決めたのは、その一個下の管理官補佐だろうし」
僕は、腰を上げてライトさんの前に立った。ライトさんが、目を開いてこちらを見つめた。
「なら、ですが。彼と直接、話してみるのはどうでしょうか」
内部部門管理官応接記録(2020年06月11日)
<記録開始>
エージェント・カオが、ハーシェル管理官のオフィスの扉をノックする。
エージェント・カオ: 失礼しま
ハーシェル管理官が扉を開き、エージェント・カオに抱きつく。
ハーシェル管理官: ようこそ、ようこそ、お2人とも! お会いできて光栄です!
エージェント・カオ: え、ちょっと、あの
ハーシェル管理官: ああ、こちらがあのエージェント・ジョセフ・カオ! そしてそちらにおわしますは
ハーシェル管理官が顔をエージェント・ライトに向ける。
ハーシェル管理官: エージェント・アナステイジア・ライト! いやあ、感謝感激雨あられとはまさにこのこと! ファンタスティック!
エージェント・カオ: もみあげを! もみあげをこすりつけないでください! ああ!
エージェント・ライト: あー......とりあえず、坊主んこと離してくださいや、ハーシェルさん。
ハーシェル管理官がエージェント・カオから離れる。
ハーシェル管理官: おっと、これは失礼。少々取り乱しました。さ、どうぞどうぞ、こちらへ。
ハーシェル管理官がエージェントらをオフィス内へと案内する。
ハーシェル管理官: そこのソファーにお座りください。今、お茶をご用意しますのでね。
エージェント・ライト: や、いいですよ、そんなんしてもらわなくて。
ハーシェル管理官: 何をおっしゃるか! あのエージェント・ライトにエージェント・カオですよ!? 最大限のもてなしは必須でしょう! さ、どうぞどうぞ。
エージェントらがソファーに座る。
エージェント・カオ: ......ライトさん、この人とはお知り合いですか?
エージェント・ライト: 全く? つか、めっちゃ目上ん人にこんなファンボみてえなことされんの、普通に違和感だな。
ハーシェル管理官がティーセットをいじる。
ハーシェル管理官: 「ファンボ」......まさしくその通りですね。私は、長らく解体部門に勤務してきました。もちろん、その中で多くのアイテムを解体してきましたよ。しかしね、私にとってあなたがたの業績は大きなカルチャーショックだったのです。
エージェント・ライト: カルチャーショック?
ハーシェル管理官: そうです! 我々が今まで解体してきたものよりもはるかに大きな存在数々の内部部門に倫理委員会までを次々と解体していったあなたがたの姿を、私は内報ごしに見ていました。憧れたのですよ。あなたがたは実にファンタスティック! 同じ解体の道を歩む者として、これほど感動的な解体はありませんでした。
沈黙。
エージェント・カオ: ......その、ライトさんに解体どうこうの話は
エージェント・ライト: 別に気にしねえでいい、坊主。あたしゃ別に、この道を選んだこと自体に後悔はしてねえよ。
ハーシェル管理官: ......おっと、何やらよろしくないことを言ってしまいましたかね?
エージェント・ライト: あんたも別に気にせんでもらって大丈夫ですよ、ハーシェルさん。あたしの個人的な話なんでね。
ハーシェル管理官: おや、そうですか? 私はてっきり、その「個人的な話」のために私のオフィスを訪問なさったのだとばかり。
エージェント・カオ: え? というと......
ハーシェル管理官がティーセットをエージェントらの前に置き、エージェントらの対面のソファーに座る。
ハーシェル管理官: ライト前管理官についての話なのでしょう、あなたがたの目的は?
沈黙。
ハーシェル管理官: さ、どうぞ冷めないうちに。茶を淹れる腕には自信がありますので。
エージェント・カオ: どどうも。
エージェント・カオがティーカップを手に取り、紅茶を一口飲む。
エージェント・ライト: ......や、話が早くて助かりますわ、ハーシェルさん。ま、身構えんでくださいや。こちとら仕事で来たわけじゃないんでね。
ハーシェル管理官: 身構えてなどおりませんよ。むしろ、仕事ではないと聞いてほんの少し落胆している自分がいます。あのコンビの解体を、今度は生で見れるチャンスかと思ったのですが。
エージェント・ライト: ま、ゴミ野郎とはいえ親父が死んだんです。せっかくなら、その安楽死を決定した人に話を聞きたいっつうのが娘の気持ちってやつですわ。
ハーシェル管理官: まあ、そうでしょうね。私があなたの立場でもそうしている自信があります。何なら、一発ほど殴ってしまっているかもしれませんね?
ハーシェル管理官の笑い声。
ハーシェル管理官: 本当に殴っていただいても構いませんよ、私としては?
エージェント・ライト: や、別に。さっきも言った通り、あたしゃ親父をゴミ野郎としか思ってないんでね。ただ、やっぱりどういう経緯で解体っつう流れになったのかだけは気になる。ファイルだけじゃわからない、生の話ってのを聞かせてほしいんですわ、あたしとしては。
ハーシェル管理官: なるほど。わかりました。ただ、正直この件に関しては私も全てを知っているわけではありません。今回の決定は、あくまで倫理委員会が主として行ったものですから。
エージェント・ライト: へえ、倫理委員会が。懐かしい......ってほど昔でもないか。イ副委員長さんにオゾリオ委員長さんに、世話んなりましたわ。
ハーシェル管理官: ええ、ええ、聞き及んでおりますよ。インシデント3448-JPの発覚、およびプロジェクト・アパリションの停止。私はファウンデーション・コレクティブ職員ではないので、詳細なことまでは把握していませんが......オゾリオ委員長と対話した際は、あなたがたへの褒め言葉を耳にしましたよ。
エージェント・ライト: それはそれは、ありがてえことで。つうか、委員長さんから直々に親父の解体の指示が下ったんで?
ハーシェル管理官: ええ、その通りです。私はあくまで、ジョジマール・オゾリオ委員長からの提案を受け入れたにすぎません。倫理委員会で協議が行われた以上、こちらとしても反論する必要性はありませんからね。
エージェント・ライト: なるほど。うちの親父に関しては案外ドライなんですね、あんたも。
ハーシェル管理官の笑い声。
ハーシェル管理官: まあ、そうですね。ライト前管理官は、言ってしまえば仕事に関してかなり雑な態度を取っていましたから。それに、こんな素晴らしい娘さんがいらっしゃるのに、その話をしたことなどかけらもありませんでしたし。
沈黙。
ハーシェル管理官: 結論としては、言葉を選ばずに言うならば私も彼のことは「ゴミ野郎」と思っておりましたよ、ええ。ハッキリ言ってとても嫌いでした。
エージェント・ライトの笑い声。
エージェント・ライト: ずいぶん言ってくれますねえ、ハーシェルさん。でも、ある意味あたしらはそこんとこ同志みたいなもんかもしれません。くたばれダニール同盟っての組むのはどうです?
ハーシェル管理官の笑い声。
ハーシェル管理官: 面白いですね、それ! まあ、もうとっくに彼はくたばってしまっているわけですが。
エージェント・カオの咳払い。
エージェント・カオ: ......ブラックなお話で盛り上がってるところ恐縮なんですが、僕からも1つよろしいでしょうか?
ハーシェル管理官: おっと、何でしょう、エージェント・カオ?
エージェント・カオ: 最初にファイルを読んだときから気になっていたんですが、ハーシェル管理官、そもそもどうしてわざわざ倫理委員会がライト前管理官の安楽死に関する協議に参加したのでしょうか?
ハーシェル管理官: と、いいますと?
エージェント・カオ: いえ、大したことじゃないんですが。いくら財団の要人とはいえ、対象となったのは小規模の特異性しか持っていないSCiPです。その安楽死に、わざわざ倫理委員会が関与する理由があまり思いつかなくてですね
ハーシェル管理官が立ち上がる。
ハーシェル管理官: まさか、再び倫理委員会を解体してみせるというんですか!? メイク・財団・ファンタスティック・アゲイン!?
エージェント・カオ: えっ!? いや、そういう意味ではなくてですね......
ハーシェル管理官が座る。
ハーシェル管理官: まあ、冗談はさておき。ライト前管理官に付与されていたHaritiクラスというのは、アイテムに対しある程度の人権を認める、という意味合いを持つクラスです。そのため、その解体に倫理委員会が介入すること自体はごく自然かとまあ、そもそもHaritiクラスアイテムの解体自体が珍しいことではあるのですが。
エージェント・カオ: なるほど。
エージェント・ライト: っていうと、他にもこういうケースがあったりはしないんで?
ハーシェル管理官: そうですね......少々お待ちを。私も着任してまだ間もないので、解体部門の過去の全案件を把握しているわけではないんですよ。
ハーシェル管理官が端末を取り出し、操作する。
ハーシェル管理官: ......これは......
エージェント・ライト: どうしたんで?
ハーシェル管理官: ......あなたがたのセキュリティクリアランスレベルは、いくつでしたでしょうか?
エージェント・カオ: え、レベル4ですけど。
ハーシェル管理官: ......私と同じですか。では、お見せできるのは1件だけですね。
エージェント・ライト: 1件?
ハーシェル管理官: はい。こちらになります。
ハーシェル管理官が端末をエージェント・ライトに手渡す。エージェント・カオが端末の画面を覗き込む。
エージェント・ライト: ......何だ、これ。
ハーシェル管理官: そうですね、どうやら過去にも、似たような案件があったようです。
エージェント・ライトが端末の画面をしばらく読み込んだあと、端末をハーシェル管理官に返す。
エージェント・ライト: ......どうも。
ハーシェル管理官: お役に立てたのであれば幸いです。
沈黙。
ハーシェル管理官: ......他に、ご質問などございますか?
エージェント・ライト: ま......一旦は、特には。
ハーシェル管理官: そうですか。では、紅茶だけお飲みになってからお帰りください。
エージェント・カオ: あ、はい。
エージェントらが、ティーカップの紅茶を飲み干す。
エージェント・ライト: ......ありがとうございました。んじゃ、あたしらはこの辺で。
ハーシェル管理官: ええ......ああ、そう。あなたがたの「ファンボ」として、1つだけ。
エージェント・ライト: はい?
ハーシェル管理官: ......クリアランスの壁は、そうそう解体できるものではありませんよ。
エージェント・カオ: は、はあ......
ハーシェル管理官: では、ごきげんよう、お2人とも。
エージェント・ライトとエージェント・カオが退室する。
<記録終了>
僕たちは、解体部門施設を後にした。帰り際の車の前部座席にあるモニターに、僕は先ほどハーシェル管理官から見せられたファイルを表示していた。
「......これ、どういうことなんですかね」
僕は、車を運転しながらライトさんに話しかけた。助手席のライトさんは、モニターをスクロールしながら無言で考え込んでいた。
収容クラス: Decommissioned
機密
特別収容プロトコル: SCP-74K3-Dの遺体はサイト-109の墓地に埋葬されています。
説明(アーカイブ済): SCP-74K3は1949年03月27日生まれのモンゴロイド男性、ジョー・ツキシマです。
主な特異性として、SCP-74K3はほぼ完全と言える程度の記憶保持特性を有しています。これに付随して、SCP-74K3は記憶影響・ミーム汚染・精神影響に対するクラスV相当の耐性を獲得しています。これら特異性の起源は判明していません。
補遺74K3-D.1: 歴史
ジョー・ツキシマは、1970年06月02日より財団に雇用されていた非異常性の職員でした。当初、ツキシマは管理部門職員として勤務しており、非異常性職員として模範的な業務成績を残していましたミルグラム忠誠度テストおよびサヴィニャック知能指数テストでも高得点を獲得していました。
1992年10月31日、ツキシマは管理部門の管理官補佐に任命されました。その後も同様に、ツキシマは非異常性職員として模範的な業務成績を残していました。
2000年10月25日、ツキシマは前兆なく特異性を発現したと主張し、監督評議会にその旨を報告しました。ツキシマに対し無害な記憶影響耐性・ミーム汚染耐性・精神影響耐性のテストが実施され、その特異性が事実であると断定されました。結果、ツキシマはSCP-74K3に指定され、Haritiクラスに分類されました。
SCP-74K3の血縁者にも同様の試験が実施されましたがいずれの人物にも特異性は確認されておらず、それは本稿執筆時点においても同様です。
補遺74K3-D.2: 解体
2008年08月18日、SCP-74K3に脳梗塞の兆候が見られました。医療スタッフによる複数の検査の結果、これはSCP-74K3の記憶保持特性の副次的作用であると結論づけられましたSCP-74K3の記憶保持特性に対し、脳自体の構造が同レベルの水準に達していないことがこれら症状の原因であるという結論でした。
倫理委員会および解体部門による協議の結果、SCP-74K3の解体が決定されました。SCP-74K3もこれを承諾し、2008年08月28日、SCP-74K3は薬学的手段によって安楽死処置を受けました。SCP-74K3はDecommmissonedクラスに再分類されました。
僕も、運転しながら改めてファイルに目を通していた。やはり、明らかにおかしかった。
財団職員に対する、唐突な記憶保持特性の発現。そして、それに耐えきれず発生した脳梗塞と、それに対して実施された安楽死。既視感という話ではなかった。まるっきり、ライトさんのお父さんと同じ話だった。
「......何で、ファイルが分けられてるんだろうな」
助手席に座るライトさんが、ようやく口を開いた。
「同じ特異性。同じ経緯。同じ末路。さらには細かな文体まで同じなこのファイル。それなのに、全く違うナンバーとして分けられてる」
「そうですね、確かにおかしいです」
「それだけじゃねえ。ハーシェルさんの発言、覚えてるか?」
僕はそう言われて、先ほどの彼の発言を振り返った。そして、ある流れを思い出した。
「......SCLを尋ねられて、結果『お見せできるのは1件だけ』と言われました」
「そうだ。つまりお見せできねえ、というかハーシェルさんでさえアクセスできねえ同じようなファイルが他にも存在しているっつうことになる」
「ハーシェル管理官も、SCLは僕たちと同じレベル4って言ってましたからね」
「ああ。ま、あん人がどう検索したのかまではわかんねえから、偶然の一致が混じってる可能性はあるが」
僕たちは、街道沿いを車で走りながらファイルを眺めていた。
「つまり、だ。同じ特異性と末路のアイテムが複数件こうして存在してるにもかかわらず、何故かそれらが1つのファイルにまとめられることなくバラバラに配置されてやがるわけだ」
「そう......ですよね。明らかに変です。ある程度のサンプル数があるなら、そういう1つの症状や現象としてまとめられてしかるべきです」
「だよなあ。でも、そこで立ち塞がってくるのが」
「『クリアランスの壁』というわけですね」
ライトさんは無言でうなずいた。そう、それがもう1つの問題点だった。ハーシェル管理官によれば、該当するSCiPのファイルの多くはSCL5に分類されていた。監督評議会員や倫理委員会委員などの、最上級の職員にのみ付与されている最高レベルのクリアランスだ。僕たちのSCLは4だから、そこを調べるまでの権限はなかった。
ため息をつきながら、僕は再度そのファイルに目を通していた。そして、ふとあることに気がついた。
「......解体の日付」
「ん?」
「SCP-74K3-Dツキシマさんの解体日、2008年の8月28日じゃないですか」
「......そうだな。おい、マジかよ」
ライトさんも、すぐに僕の言いたいことに気がついた素振りを見せた。そう、その日付は前日だったライトさんの父親、ダニール・ライト元管理官が特異性を発現した、2008年8月29日のちょうど前日。偶然とはとても思えなかった。
僕は、ハンドルを切りながらライトさんに思い切って提案してみた。
「ライトさん。この件について、ちょっと再確認したいファイルがあります」
僕は、彼女にそのファイルの名前を伝えた。ライトさんは早速、モニターをいじってそのファイルを開いてくれた。
収容クラス: Gödel
機密
特別収容プロトコル: N/A
説明: SCP-3448-JPは本稿執筆時点で開発途中の、自他境界維持ヘッドセットです。SCP-3448-JPの装着者には、シャドウの自他境界の喪失(シャドウ溶解)が発生しにくくなります。これにより、装着者はシャドウ溶解およびそれに伴う昏睡から一定の保護を受けます。SCP-3448-JPの主たる使用目的は、集合的無意識の探査におけるシャドウ溶解を防ぐためのものです。
⋮
SCP-3448-JPを用いた探査により、夢界空間から集合的無意識への記憶の廃棄が行われていること、および廃棄された記憶が集合的無意識内に蓄積されていることが判明しました。また、ヒトは死亡時に夢界空間を喪失しますが、この際に夢界空間が高速での全記憶の整理を行うため、ヒトが死亡した際に当時の全記憶が集合的無意識へと廃棄されることも判明しましたこの際に生じる記憶の集合体は一定の自我を有し、他の幽体やシャドウに概ね誘引されるように振る舞うため、新たに「モルフェウス型幽体」と命名されました。
「......これがどうした、坊主?」
SCP-3448-JP。半年前に取り扱った、モルフェウス型幽体にまつわる一連の話。僕はここに、1つの可能性を感じていた。
「ライトさん、モルフェウス型幽体の生成過程がそこに書いてありますよね」
「ん? ああ、この......えー、記憶の整理がどうのこうのっつう話か?」
「はい。集合的無意識というのは、人間の記憶の廃棄先です。そして、人間は死ぬときに持っている全記憶を手放して、集合的無意識に廃棄します。これが自我を獲得し、モルフェウス型幽体になるわけです」
「ああ、そんな話だったな」
僕は、赤信号でブレーキを踏みながら続けた。
「では、完全記憶能力を持つダニール・ライトさんやジョー・ツキシマさんが死亡した場合はどうなるでしょうか?」
「え? いやまあ、多分、普通よりも多くの記憶を持ったモルフェウス型幽体になるってことだろ?」
「そうですね、それは正しいと思います。ただ......僕には、もう1つの可能性があるように思えてならないんです」
「もう1つ?」
ウインカーの音が車内にカチカチと鳴る中、僕はさらに続けた。
「はい。記憶というものは、通常は忘却され劣化していくものです。詳細性は失われ、大まかなことしか覚えていることはできない。しかし、特異性の発現以降のダニール・ライトさんやツキシマさんに、記憶の劣化ということは起こりえません」
「......つうこた、どういうことだ?」
「つまりあくまで可能性の話ですが彼らの安楽死によって生じたモルフェウス型幽体は、通常とは異なるかもしれないということです。例えば、通常のモルフェウス型幽体よりも確固たる自我や自他境界を持ち合わせている、とか」
「それが、どうだっていうんだよ?」
僕は、深呼吸してさらに続けた。
「......その場合、他のモルフェウス型幽体と違う特性を持っている可能性があります。それこそ、この特異性の一致を加味するならば、例えば」
信号が青になり、僕はギアを切り替えてアクセルを踏み込んだ。
「あなたのお父さんのシャドウを、直接モルフェウス型幽体が乗っ取った可能性があるという話ですよ」
内部部門管理官応接記録(2020年06月13日)
<記録開始>
エージェント・カオが、リックウッド財団心理学部門管理官の端末に発信する。しばらくして、リックウッド管理官が通話に応じる。
エージェント・カオ: こんばんは、リックウッド管理官。
エージェント・ライト: どうもどうも、半年ぶりです、リックウッドさん。
リックウッド管理官: ああ、こちらこそ久しいな、2人とも。相変わらず、君たちにこうして連絡されると心臓が縮みあがるな。
エージェント・カオ: すいません、プロジェクト・アパリションの再始動でお忙しいところ、個人的な連絡に対してわざわざ応対していただいて。
リックウッド管理官: なあに、気にしてもらわなくてけっこう。君たちには大いに借りがある。それに、これでも一応、私も超常心理学者の端くれだ。役に立てるのであれば相談にくらい乗ろうとも。
エージェント・ライト: そいつあ、ありがたいこって。そんじゃ、早速あんたに伺いたい。モルフェウス型幽体について、あれからどれぐらい研究は進んだんで?
リックウッド管理官: ああ、その件か。そうだな、モルフェウス型幽体の習性については概ねわかってきた。他の夢界実体やシャドウへの接近、ミーム汚染によるシャドウの集合的無意識への誘導。それらは、集合的無意識という領域の自他境界の薄弱さに起因する、モルフェウス型幽体群の本能的な自己増殖欲求に基づくものだ。現在では、そのミーム汚染に対する対抗策も出来上がり、あとは3448-JPが完成してしまえば無事にプロジェクト・アパリションを再始動できる段階にある。
エージェント・カオ: なるほど。その「他の夢界実体やシャドウへの接近」という習性なんですが、例えばモルフェウス型幽体が他のシャドウの自我を乗っ取って、その肉体を奪うというケースはないんでしょうか?
リックウッド管理官: それは......観測されたことはないな。確かに、例えば悪意あるシャドウが他のシャドウに直接的に干渉したり、夢界実体を植え付けて遠隔操作したりする事例は存在する。ただ、モルフェウス型幽体においてはそのような事例は確認されていないな。
エージェント・カオ: そうですか......
エージェント・ライト: じゃあ、次の質問にいかせていただきますわ。完全記憶能力を持つ人間のモルフェウス型幽体は、どのように振る舞うと思います?
リックウッド管理官: 完全記憶能力? それはまた突然だな。だが、ふむ、面白い話ではある。そもそも、モルフェウス型幽体とは死せる人間1人が持つ全記憶の集合体だ。そしてそれは、往々にして完全に鮮明とまではいかない。人間の記憶能力などたかが知れているからな。それに、モルフェウス型幽体が存在する集合的無意識は先ほど言った通り自他境界が希薄だ。他の幽体と部分的に混ざり合ってしまっている状況も、ここ半年の研究の中で観測されている。
エージェント・カオ: つまり、通常のモルフェウス型幽体はおぼろげな存在である、と?
リックウッド管理官: ああ。だからこそ、モルフェウス型幽体たちは混ざり合う対象を増やすために先のインシデントを引き起こしたのだから。しかし、そこに完全記憶能力を持った死者が現れるとなると話も変わってくる。それこそ、意識を完全に保った状態で集合的無意識に移動し、他の幽体と混ざることなく存在するということもあり得ない話ではないだろう。
エージェント・カオ: やはり、そうですか......
沈黙。
リックウッド管理官: ......あまり首を突っ込むのも野暮かもしれないが、君たちはそういった死者に関する件を調査しているのかね?
エージェント・ライト: ああ、いや、気にせんでください。仕事じゃないんでね、これ。
リックウッド管理官: そうか。ただ、1つ気になったことがあってね。
エージェント・ライト: 気になったこと?
リックウッド管理官: 1人知っているのだよ、その「完全記憶能力」とやらを有していた人物を。
エージェント・カオ: それは
エージェント・ライト: そいつの名前は?
リックウッド管理官: いや、名前までは知らない。何せ、この私よりも昔から財団に勤務していた、ほぼ伝説上の存在に近い人間だからな。
エージェント・ライト: 伝説?
リックウッド管理官: ああ。歴史上最初の財団職員であり、全ての職員が就職時にその人物の説いた標語を教えられる、とうの昔に亡くなった人物。君たちも、心当たりがあるだろう?
沈黙。
エージェント・カオ: ......「管理者The Administrator」、ですか?
リックウッド管理官: そうだ。あの人物が、完全記憶能力を有していたという話は上層部では有名だよ。まあ、若い職員には知らない者も多いだろうが。
沈黙。
エージェント・ライト: ......なるほど。こいつあ、ためになりましたわ。ありがとうございます、リックウッドさん。
リックウッド管理官: 役に立てたのなら幸いだ。
通話が切断される。
<記録終了>
僕たちは、内部保安部門の休憩室にて端末を抱えて呆然としていた。あまりのことに、しばらく頭が働かなかった。
「......『管理者』......」
それは、財団職員ならば誰もが知っている、財団の創設者。あの、耳にタコができるほど聞かされた『確保、収容、保護』の標語を定めた人物であり、それ以外のことは下級職員に知らされることのない最重要人物。それが、ダニール・ライトさんやジョー・ツキシマさんと同じ特異性を持っていた。偶然とはとても思えなかった。
「......坊主、教えてくれ。つまり、どういうことだ?」
ライトさんは、頭を抱えてしまっていた。仕方ないことだ。ライトさんは、ファウンデーション・コレクティブ職員じゃない。状況が飲み込めないのも無理はなかった。
「......まず、財団を創設した『管理者』が、完全記憶能力を持っていました。既に『管理者』は亡くなっているため、そのモルフェウス型幽体が集合的無意識に存在しているはずです」
「ああ」
「一方で、ライトさんのお父さんやツキシマさんといった、全く同じ能力を持った人物が財団内に複数人存在しています。彼らも全員、既に亡くなっています」
「......ああ」
僕は、自分の頭を冷やそうと深呼吸した。しかし、それでもこの肌をざわつかせる緊迫感は止んでくれなかった。
「......そして、そういった完全記憶能力を持つ人物のモルフェウス型幽体は、通常よりも鮮明な存在である可能性がリックウッド心理学部門管理官から直々に語られました。つまり、僕が先日に語った仮説は概ね正しかったことになります」
「......そうだな。つうことは、やっぱり」
「はい。ダニール・ライトさんに、ツキシマさんに、『管理者』。これら人物は、モルフェウス型幽体という魂の複製システムを使って現世に戻り続けている、同一人物である可能性があります......あくまで、可能性の話でしかありませんが」
「......マジかよ......」
ライトさんは、さらに深く頭を抱えてしまった。あまりにも仕方のないことだった。自分の父親が、実は全くの別人それも、財団職員なら誰もが知るような人間に肉体を乗っ取られていた可能性が、こうして強まってしまったのだから。
ただ、自分でも言った通り可能性の話でしかない。あくまで、こうして複数人同じ特異性を持っている職員が存在している現状に説明をつけるとしたら、の話だ。だが、それでも納得できることはあった。
「......ハーシェル管理官の言っていた『クリアランスの壁』の件ですが」
「......ああ。もし背後に『管理者』がいるってんなら、大半のファイルのSCLが5なのも納得だな」
そう、ライトさんの言う通りだった。わざわざ1つで済むファイルを複数件に分け、その大半をSCL5に分類した主犯格というポジションに、『管理者』はピッタリはまってしまうのだ。
そうなると、僕たちが次に取るべき行動も自ずと定まってきた。ライトさんもそれに気づいてか、口を開いた。
「......SCL5の職員に直接訊く、ってのは無理だろうな」
「そう、ですよね。流石に、クリアランスを超えたことを下位の職員に教えることはないでしょうし。ただ」
「過去にそうだった人間になら、訊けるかもしれねえってか」
「ええ」
僕には、1人心当たりがあった。かつて、財団の最高組織の1つの長を務めていた人物。そして現在は、Dクラス職員へと降格されて匡済部門のお世話になっている人物。
「まあでも、流石に記憶処理されてるでしょうか」
「ま、その確率のが高えだろうな。でも、まあこれは仕事じゃない。試すだけ試してみる価値はあんだろ。万が一に賭けてみて、ダメだったならそれでいい」
「......そうですね、ダメもとでやってみましょうか」
ライトさんは、大きなため息をついてから天井を仰いだ。
「......行くか、匡済部門」
Dクラス職員インタビュー記録(2020年06月18日)
<記録開始>
匡済部門のインタビュールームの机にて、D-9518に向かい合う形でエージェント・ライトおよびエージェント・カオが座っている。エージェント・ライトは机に両足を乗せた姿勢である。
エージェント・ライト: お久しぶりですねえ、パントージャ元倫理委員会委員長さん?
沈黙。
D-9518: ......今さら、何の用かしら? 私たちの全ての陰謀を暴いたあなたたちが、今さらこの私にインタビューだなんて。
エージェント・ライト: ......ま、そうですねえ。本当ならうちらも、あんたの顔なんか見たくもなかった。でも、そうも言ってられなくなったんですわ。
D-9518: へえ? どういうことかしら。
エージェント・ライト: 単刀直入に訊かせてもらいましょうや、パントージャさん。あんた、当然「管理者」さんの特異性についてはご存知ですね?
沈黙。
D-9518: ......特異性? 何の話でしょう。
エージェント・カオ: 少なくともそれは機密ではないはずですよ、パントージャさん。「管理者」に特異性があること自体は、リックウッド管理官も知っている事実でした。
D-9518: ......あら、そう。ええ、もちろん知っているわ。あの人に完全記憶能力があることは、確かに上層部やかつてそうだった人物なら誰でも知っている事実でしょうし、機密分類もされてはいなかったはず。にしても、よく辿りついたわね?
エージェント・ライト: んな話はどうだっていいんだよ、パントージャさん。大事なのはこっからだ。あんた、あいつが転生を繰り返してるっていう話について聞いたことはあるか?
沈黙。
D-9518: 転生? また、ずいぶんと突拍子のない。どういうことかしら?
エージェント・ライト: 詳細は......獄中のあんたに話せる内容じゃないんで省きますがね。要するに、その完全記憶能力を使った転生が行われてる可能性ってのにあたしらは気づいちまったわけだ。仮にも倫理委員会委員長だったあんたなら、そのことについて何か知ってるんじゃねえかなと思ってな。
沈黙。
エージェント・カオ: ......やっぱり無駄ですかね、ライトさん。記憶処理されているでしょうし
D-9518の笑い声。
D-9518: 完璧ペルフェクト、完璧ペルフェクト! 本当にあなたたちは恐ろしい! まさか、そこまで辿りついてしまったなんて!
エージェント・カオ: えっ
エージェント・ライト: ......認めるんだな、あんた? あの「管理者」さんが、他人の肉体使って転生しつづけてるっつう事実を?
D-9518: ええ、ええ、認めましょうとも。だって、私はとうに委員長の座から下ろされた身。最高機密だなんて、守ってやる必要はないですものね?
D-9518の笑い声。
エージェント・ライト: んじゃ、いろいろ訊かせてもらいましょうや。まず、このシステム自体はいったいいつから存在するんで?
D-9518: あら。そんなこと、わかりきっているはずでしょう? それこそ『管理者』が亡くなってからよ。財団を設立した果てに亡くなった『管理者』は、気がつけば不明な超意識空間に存在していたんですって。そして、そこをしばらくさまよった挙げ句に、ある人物の魂を乗っ取ることに成功した。それが、最初の犠牲者。
沈黙。
D-9518: でも、結局すぐにその肉体は完全記憶能力に耐えられなくなってしまった。そして、そのまま脳梗塞で死亡。後は、もうずっとその繰り返しよ......ああそう、確かその中にあなたの父親もいたっけねえ、エージェント・ライト?
D-9518の笑い声。
エージェント・ライト: ......ええ、おかげさまでね。ま、今はその話はどうでもいい。そうなるとつまり、その「管理者」さんは財団設立からずうっと財団のつまり監督評議会の裏に潜んで、陰でその実権ってのを握ってやがったっつうわけですね?
D-9518: ええ、そうよ。財団は、監督評議会・倫理委員会・RAISAの三頭政治でも、監督評議会という合議制でもない、たった1人の人物による完全な独裁体制で動いていたっていうわけ。笑えるでしょう?
エージェント・ライトが足を机から下ろす。
エージェント・ライト: んじゃ、笑えるついでにもう1つだけ。その犠牲者の選定っつうのは、いったい誰がどういう基準でやってきたことなんで?
D-9518: それも決まってるでしょう? 「管理者」の独断よ、もちろん。基準は、なるべく脳のスペックが高そうな人材から選んでるって話よ。サヴィニャック知能指数テストってあるでしょう? あれがその選定基準に用いられてるのよ。ま、それでも結局は10年ちょっとしかもたないんだけど。
エージェント・カオ: でも、1つ不可解な点があります。「管理者」はあくまで財団の設立者であって、統治自体は監督評議会が行っていたはず。それなのに、監督評議会がわざわざ、それこそ転生後まで「管理者」に付き従う理由はないように思えるんですが。
D-9518: 簡単なこと。脅迫されてるのよ、あいつら全員。監督評議会も、倫理委員会も、RAISAもね。
エージェント・カオ: 脅迫ですって?
D-9518: ええ。「自分や家族の肉体を奪われたくなければ、大人しく私に付き従え」ってね。ま、事実としてあいつの独裁で財団という組織自体は運営できてしまってるわけだし、脅されてる側も無理に体制を破壊しようとまではしないって構図もあるんでしょうけど。
D-9518の笑い声。
D-9518: これが、私の知っている全てよ。ご満足いただけたかしら?
沈黙。
エージェント・ライト: ......なるほど、ねえ。
D-9518: 流石に言葉もないみたいね。かわいそうに......それじゃあ、私はもういいかしら? 早いところ、あの狭苦しい独房に戻りたいのだけれど。
エージェント・カオ: ははい。そのありがとうございました。
D-9518が席を立つ。
<記録終了>
僕たちは、匡済部門の休憩室のソファーに無言で座り込んでいた。言葉が出なかった。
転生する『管理者』の存在。彼/彼女によって行われてきた、財団の独裁体制。知ってしまったことはあまりにも大きく、僕たちはあぜんとするほかなかった。
しかし、ここまで来ると大きな疑問が頭に浮かんでくる。それは、ライトさんも同じだった。
「......どうして、ここまで道筋が引かれてやがる?」
そう、まさにそこだった。こんな事実、内部保安部門の平エージェントたちが知っていいはずのことではない。そもそも、それに勘付かせるような証拠さえ残すはずはなかったそれこそ、パントージャ元委員長には記憶処理ぐらいされてもいいはず。しかし、現に僕たちはこうして、たったの数週間で全てを知ってしまった。
「あり得ないですよね、流石に。記憶処理もせず、そんな最高機密を放置しておくだなんて、財団の機密管理体制としておかし」
その答えは、嫌味なほどすぐに僕たちのもとにやってきた。僕たちの端末が、不気味な着信音を鳴らした。
「か監督評議会命令」
端末の手を持つ僕の手が、大きく震えた。
監督評議会協議記録(2020年06月19日)
<記録開始>
サイト-001の協議室中央に、エージェント・ライトとエージェント・カオが立っている。エージェントらを取り囲むように配置された協議室の席には、全監督評議会員が着席している。エージェントらの横には、機動部隊アルファ-1("赤い右手")の隊員が待機している。
O5-1: それでは、これより監督評議会協議を開始する。議題は、内部保安部門のエージェント・アナステイジア・ライトおよび同部門のエージェント・ジョセフ・カオに対する処遇である。まず
エージェント・ライト: あー、あー。まどろっこしいこた、なしにしましょうや、皆さん。
沈黙。
O5-1: エージェント・ライト、勝手な発言は
エージェント・ライト: おたくらの背後に「管理者」がいるってこた、もうあたしらはとっくにわかってるんですわ。そして、何故かおたくらはわざわざその導線を引いてあたしらにその事実に気づかせようとしたってことも。いったい、何が目的なんです?
O5-8の笑い声。
O5-1: エイト。
O5-8の咳払い。
O5-8: 失礼。相変わらずの肝の据わりように思わず笑いがこぼれてしまった。
エージェント・ライト: お久しぶりですねえ、エイトさん。例の破砕機のインシデント以来だ。
O5-1: 私語を慎みたまえ、エージェント・ライト。君の処遇に関わってくる話だぞ。
エージェント・ライト: んじゃあ、大事な役者ってのが欠けてるんじゃないですか?
O5-3: 役者?
エージェント・ライト: 「管理者」さんご本人ですよ、もちろん。
沈黙。
エージェント・ライト: 今回あたしらがお呼び出し食らってるのは、まさにその「管理者」さんの件についてなんでしょう? なら、その「管理者」さんに出てきていただかないと。ねえ?
沈黙。
O5-3: ......本当に凄まじい肝の据わりようだ。
O5-1: 両者とも、私語を慎め。これは
ヒールの足音。
女性の声: けっこうではないか、諸君。このような素晴らしき人材が現れたのだ、歓喜とともに迎え入れるべきであろう。
協議室の奥より、人影が現れる。
エージェント・カオ: えっ
エージェント・ライト: ああんたは
D-9518: 昨日ぶりね、エージェント・ライトにエージェント・カオ。
エージェント・ライト: ゾイ・パントージャ!?
D-9518の笑い声。
D-9518: 挨拶も返してくれないなんて珍しいじゃない、エージェント・ライト......ああ、それともこう言うべきだったかしら?
D-9518の咳払い。
D-9518: ......久しぶりだな、アナステイジア。
沈黙。
エージェント・ライト: お親父?
D-9518の笑い声。
D-9518: ああ、そうだ。解体部門元管理官、ダニール・ライトだ。いやあ、こうして立派になってくれて嬉しい。
エージェント・ライト: そその口を閉じやがれ、ゴミ野郎が! てめえが親父の肉体を乗っ取った別人だってこたわかりきってんだよ!
D-9518の笑い声。
D-9518: なら、どうして動揺することがある? 身体は違うが、心は確かにお前の
エージェント・ライト: 黙れっつってんだよ、クソ虫が!
D-9518の笑い声。
D-9518: いやあ、こうして見ると愉快ね、エージェント・ライト! 16年の夏、この私をさんざんこけにしてこれたあのアナステイジア・ライトが、こうも余裕をなくすだなんて!
D-9518の咳払い。
D-9518: と、このアバズレならそう言うだろうな。
エージェント・カオ: じゃじゃあつまり、あなたが......?
D-9518: しかり。この私こそが、財団の頂点に君臨する「管理者」である。
エージェント・カオ: ......ダニール・ライトさんの次に選んでいたのは、パントージャさんの肉体だったわけですか。
D-9518: そうだ。元委員長とはいえ、Dクラス職員の肉体を乗っ取るのは初めての経験だったとも。復帰には少々時間がかかったが、こうして諸君に出会えたのだ。匡済部門職員への記憶処理を挟むことにはなったが、よい判断だったといえるだろう。
エージェント・ライトがD-9518に掴みかかろうとするが、アルファ-1の隊員に取り押さえられる。
エージェント・ライト: 答えろ、ゴミ野郎! 何で、何でよりにもよってあたしの親父を選んだ!? そして何で、こうしてあたしらをここまで誘導した!?
D-9518: 順番に答えていこうではないか。まず、前者については昨日諸君に語った通りだ。脳のスペック、この1点に尽きる。彼は素晴らしい頭脳の持ち主だった。誤差程度ではあったが、過去最長の耐用年数を示してくれた。評議会員諸君、改めてこの場で故ダニール・ライトに拍手を!
監督評議会員らの拍手。
エージェント・ライト: クソ、クソ、クソ!
D-9518: まあ暴れるな、エージェント・ライト。まだ後者の質問への回答が終わっていないぞ? ......後者については、少々込み入っている話なのだ。聞いてくれるな、諸君?
エージェント・ライトが暴れる。
D-9518: 現在、我々には人手が不足している。これは最高機密になるがゆえに詳しくは言えないが、「プロジェクト・D」と名付けたプロジェクトが現在進行中なのだ。それに対し、優秀な人材というものをこうしてふるいにかける必要があったというわけだ。
エージェント・ライトが暴れる。
D-9518: 改めて言おう、諸君は素晴らしい。我々があえて点を置いたとはいえ、たった数週間でここまで辿りついてしまうとは。この私の存在に独力で辿りついたのは諸君が最初だ、誉れ高きエージェントたちよ。
エージェント・ライト: うるせえ、このゲボカスが! 誰が協力してやるかよ!
D-9518: まあ正直、エージェント・ライト、君には期待していないとも。憎き親の仇ともなれば、たとえその命を天秤にかけられても君は断るだろうと考えていた。だが......エージェント・カオ、君はどうだろうか?
沈黙。
エージェント・ライト: おおい、坊主?
D-9518: エージェント・ライトの陰に隠れがちだが、君の実績もまた素晴らしいものがある。それに、君はファウンデーション・コレクティブの職員でもある。何より......君は優秀であろう? であるならば、とうに理解しているはずだここで君が断れば、まず私はエージェント・ライトを処刑するはずだとな。
エージェント・ライト: なっ
D-9518: 何を驚くことがある、エージェント・ライト? 偽装したアイテムを用いて偽装した罪をもとに何者かを処刑するという手口は、他ならぬこの身体ゾイ・パントージャが思いついたことだ。そもそも、こんな愚かなアバズレが思いつくようなことを、この私が今までやってこなかったとでも?
沈黙。
D-9518: ああ、ちなみに、このサイトはテレキル合金によって防護されている。無論、電波ジャミングも完璧に作動している。エージェント・ライト、君が隠し持っている手段は全て無効である。
エージェント・ライト: ああっ、クソ!
D-9518が、エージェント・カオの顎を撫でる。
D-9518: さて、エージェント・カオ。選択権は既に君の手の中にある。好きなほうを選びたまえ。我々への協力を断り、己の命もエージェント・ライトの命も犠牲にするか? それとも、我々への協力を受諾し、コンビ共々生き永らえる最善の選択をするか?
沈黙。
エージェント・カオ: ......すいません、ライトさん。
D-9518: 君はやはり利口であったな、エージェン
エージェント・カオが、D-9518の顔面を殴りつける。
エージェント・カオ: ......これが答えです、「管理者」。
監督評議会員らの動揺する声。
D-9518: ......静まれ!
アルファ-1の隊員が、エージェント・カオを取り押さえる。
D-9518: ......愚かなことだ、エージェント・カオ。実に、実に愚かだ。
エージェント・カオ: たとえ愚かと言われようとも構いません。ライトさんの憎い相手に協力するのは、タッグとしてあるまじきことですから。処刑でもなんでも、いくらだって
D-9518: 本当に、諸君に選択権があるとでも?
エージェント・カオ: まさか。
D-9518が手を叩く。
D-9518: 言ったであろう、これはふるいなのだ。諸君がこの事実に気づいた時点で、諸君はプロジェクト・Dのための人員として消費されることが決定されている。同意など初めから求めてはいないのだよ。諸君のその素晴らしき頭脳でもってして、我々のプロジェクトに是非とも貢献してくれたまえ。
エージェント・ライト: クソ、クソ!
D-9518: いったい何遍、口からクソを垂れ流せば気が済むのかね、エージェント・ライト? ......さて、親愛なる監督評議会員諸君。諸君に問おう。エージェント・ライトおよびエージェント・カオの、プロジェクト・Dへの参画に賛成の者は?
監督評議会員ら: 賛成! 賛成! 賛成!
D-9518: よろしい。それでは、赤い右手の諸君。彼らを連れていきたまえ。
アルファ-1の隊員が、エージェントらを協議室の奥へと連行する。
エージェント・ライト: 覚えてやがれよ、ゴミ野郎が! 必ず、必ずお前を地獄の底に
エージェント・ライトの声が聞こえなくなる。
D-9518: 地獄など、この100年見たこともないな......それでは諸君、これにて監督評議会協議を閉会する。
<記録終了>
こうして、僕たちは敗北した。僕たちはヴェールの中のヴェールへと隠され、詳細すら知らない計画へと加担させられることとなった。
僕たちの破滅へのカウントダウンが、静かに始まった。
告示
2020年06月19日をもって、アナステイジア・ライト内部保安部門エージェント、およびジョセフ・カオ同部門エージェントをDクラス職員へと降格する。
ボブ・マクラーレン内部保安部門管理官
上記のメッセージを送信しますか?
はい / いいえ