[フレーム]
クレジット
特別収容プロトコル: SCP-3273-JPはサイト81██の特殊断熱セル内に収容されます。セル内部およびセル外壁の温度を常に計測し、15 °Cを下回らないよう保温を継続してください。SCP-3273-JPはセル内部に設置された耐寒カメラによって監視を継続され、異常発現終了の兆候が見られた場合にはSCP-3273-JP自体の温度が人体に適切な温度となるよう保温設備の出力を調節してください。
セル外部には1基以上のシャンク・アナスタサコス恒常時間溝(XACTS)が常に稼働可能な状態で維持されます。時間異常の影響がSCP-3273-JP外部に波及していることが観測された場合、即座にこれを起動し時間正常性の維持に努めてください。
説明: SCP-3273-JPは絶対零度に極めて近い温度を有する、外観上は 20歳代後半と推測される女性の身体です。SCP-3273-JPには呼吸や拍動などの生命活動の徴候は見られず、脳波や心電図などを測定した場合にも測定機器のノイズ以上の電気活動は観測されていません。
SCP-3273-JP発見契機となった████神社(写真はSCP-3273-JPの影響消失後に撮影されたもの)
SCP-3273-JPは極低温の物質であり、温度計による計測では -273.15 °Cと測定されます。ただしこれは正確な数値ではなく、実際には -273.15 °Cに限りなく近しいながらもわずかに高い温度を有しているものと考えられています。この誤差に関しては実際のSCP-3273-JPの温度と -273.15 °Cとの差が現存する温度計の精度を超えているために生じています。
SCP-3273-JPを加温することによってその温度を上昇させる試みは現在まで成功しておらず、極めて大きなエネルギーを用いて加温した場合にもSCP-3273-JPの温度は上昇しません。この性質上、SCP-3273-JP周囲の物質は介入を行わない場合継続的に冷却され続けます。
補遺1: 発見経緯
SCP-3273-JPは東京都狛江市に存在する████神社周辺において、異常な低温環境が発生していることを契機に調査が開始されました。
2025年8月の東京都府中市において、最高気温は連日 30 °Cを超過していました。ところが複数の民間団体およびSNS上の民間人の投稿において、8/12から狛江市で████神社を中心に最高気温が著しく低下しており、中心となっている神社内では最高気温が 20 °Cを下回る日が続いているとの報告が相次ぎました。
財団による調査の結果、この温度低下は████神社内に存在する吽形の狛犬像を起点として発生していることが判明しました。狛犬像は余剰次元へのポータルとして機能しており、特定の結界術および奇跡論的手法によってのみ交通可能な余剰次元と接続されています。接続先の余剰次元は空間全体が著しい低温環境となっており、基底次元における温度低下は余剰次元内の環境情報素がポータルを通じて漏出したことによる変化であったことが判明しました。
余剰次元のポータルとなっていた狛犬像(写真は不活性化状態のもの)
狛犬像から接続されていたのは限定的なサイズの重ね合わせ型余剰次元であり、内部には基底次元の████神社周辺環境と類似した半径 500 m程度の限られた範囲の空間と"狛犬病院"と記された建造物のみが存在しています。初期調査により余剰次元内の気温低下はこの"狛犬病院"を起点に発生していることが判明したため、機動部隊と-273("霜踏み")により病院内の調査が行われました。機動部隊による院内調査時には病院は営業されておらず、気温低下の中心部からSCP-3273-JPが回収されました。
病院内部調査によって回収された各種資料から、SCP-3273-JPは以前"狛犬病院"に入院していた西雨 麦氏の身体であることが判明しました。詳細は下記の補遺2. を参照してください。
補遺2: "狛犬病院"内から回収された各種資料と考察
機動部隊と-273("霜踏み")による院内調査時、病院内に残されていた紙媒体の資料は院内の温度変化によりその多くが失われていましたが、回収された電子媒体資料の復元には成功しました。"狛犬病院"内は異常性対策のため各部屋に監視カメラを設置し必要に応じて記録を行っていたため、この復元資料の大部分は院内各部屋における映像記録となっています。
以下は"狛犬病院"の性質について言及されていた会話記録の中の一つを抜粋したものです。
会話記録 3273-JP - 日付 2022年03月30日
記録部屋: 狛犬病院 応接室
<記録開始>
[スーツを着用した一人の男性と白衣を着用した一人の女性が入室する。男性が女性に着席を促すと女性はこれに従い、その後男性もテーブルを挟んで向かいの席に着く]
男性: 病院の案内は以上になります。この後事務の方から入職に当たっての各種手続きの案内をさせて頂きますが、その前に八戸先生の方から何かご質問はありますか?
[「八戸先生」と呼称された女性は口元に手を当て少し考え込んだ後、自身の手元を一瞥する。その両手には白い手袋が嵌められている]
Dr. 八戸: この手袋は付けたまま勤務しても構いませんか。
男性: 構いませんよ。特殊性を有する人間であっても普通に生活できるように、それが理事長の慈杖会を設立した理由ですから。
Dr. 八戸: 理事長......三杖先生とはどのような方なのでしょう。
男性: 先生は以前MCFで、人型特殊資産......つまり、特殊性を有する人間の管理や、財団職員の健康管理に携わっていた方です。
Dr. 八戸: MCF。名前は聞いたことがあります。
男性: ええ。特殊性を有する物品も含めてその資産を最大限に世界のために使用する人道支援機関です。ただ、先生はそこで特殊性を有する人間の置かれた厳しい環境について知ることになりました。特殊性に関わる巨大組織は基本的に社会全体の維持が最優先であり、特殊性を有する人間個人の人権など保護してはくれません。ですから、私達のような存在はそんな存在達から隠れて生活する必要があります。
Dr. 八戸: ええ。ですが、人生にはそうも言っていられない場合もある。
男性: はい。その最たるものが病気です。薬を飲んで寝ていれば良いようなものであればともかく、虫垂炎のようなごく普遍的な疾患でさえ、一般の医療機関を受診できない私達にとっては命取りになりうる。それに、特殊性自身が命を奪うこともあります。その......先生の以前のパートナーのように。
Dr. 八戸: [沈黙] 彼は直接特殊性で死んだわけではありません。ですが、治療さえ出来ていれば死ぬことは無かったかもしれません。
男性: だからこそ、先生は慈杖会を立ち上げたのです。特殊性を有する人間が普通に医療を受けられるように、そして必要に応じて、特殊性自体の治療を行えるようにと。
Dr. 八戸: 素晴らしい考えだと思います。ですが、実は以前あまり良くない噂を聞いたことがありまして。
[Dr. 八戸の言葉に男性は苦笑いを浮かべる]
男性: 「人体実験」のことでしょうね。ええ。正直に言って、それは否定できない事実です。
Dr. 八戸: 一般の治験では使用できない薬剤を実験的に患者に使用していると。なぜそのような行為が行われているのですか。この病院の理念に反していると思うのですが。
男性: 当院では診療費用を頂いていません。慈杖会はあくまでも慈善団体ですし、そもそも特殊性を有している方には生活に困窮している方も多く、費用を払えないことも多いですから。ですが、病院という組織を運営していく上でどうしても資金は必要です。先生の伝手でMCFからの援助も頂いていますが、やはりそれだけでは厳しい。
Dr. 八戸: だから、企業からの献金の見返りというわけですか。
男性: お伝えしておきますが、当院の職員でこれに賛同している者はいません。慈杖会の他の病院ではそうでない場合もあるようですが......。そこで、企業からの要請があった場合にも、あくまで「患者様の希望」があった場合に限って運用しています。申し訳ありませんが、私からはこれ以上のことは。
Dr. 八戸: [沈黙] そういうことですか。分かりました。自分からはこれ以上ありません。
男性: ありがとうございます。では、入職手続きに移ることにしましょう。
[二人は椅子から立ち上がり、部屋を出る]
<記録終了>
"狛犬病院"は正式には"医療法人社団慈杖会 狛犬病院"と呼称されており、本映像中で言及されていた三杖 零士氏によって設立された"慈杖会"と呼称される団体によって設立されたことが判明しました。映像中の男性の言動から"慈杖会"は他にも複数の病院を保有している可能性が指摘されていますが、現時点でこれらは発見されていません。なお、"慈杖会"は医療法人社団を自称していますが、日本国内における正当な医療法人設立申請はなされておらず、あくまでも団体が名称を自称しているのみであることが判明しています。
上述の会話記録および複数の映像記録より、"慈杖会"の理念は以下の通りであると推測されています。
- 異常性を有する人型実体に対して、その情報を保護した上で、非異常の疾患に対し非異常の一般的医療を提供する。
- 異常性を有する人型実体に対して、その求めに応じて異常性の解決を目指す。
一方で"慈杖会"はその資金提供源となる組織からの要請のために以下の役割を行う場合があることも判明しています。
- 超常技術を開発する団体に対して、その研究過程における実験において必要な人体を提供する。
- 異常性を有する人型実体に対して、その異常性を無力化するための技術開発に必要な人体を提供する。
現在のSCP-3273-JPと推測される西雨 麦氏は初め未知の早老症患者として一般の医療機関に通院していましたが、この医療機関に非常勤医師として週に1度勤務していた慈杖会所属医師によって異常性を有することが疑われました。この医師と西雨氏の両親との協議の結果、異常性の解消を目的として西雨氏は狛犬病院に入院することとなりました。
現在のSCP-3273-JPの異常性について理解を促すため、以下に入院後の西雨氏と診療を主に担当したDr. 八戸との会話記録を中心に映像記録の書き起こしを時系列に沿って提示します。治療経過や検査結果などに関しては復元された診療録にも記載が確認されていますが、病院独自の省略用語や専門用語が多用されており、詳細な内容に関しては現在調査中となっています。このため、現時点ではDr. 八戸と西雨氏との会話記録から西雨氏の異常性が推定されています。
診療記録 3273-JP-1 - 日付 2023年05月04日
記録部屋: 狛犬病院 305号室(西雨 麦氏の入院病室)
<記録開始>
[Dr. 八戸が病室の扉をノックする。西雨氏はベッドの上で本を読んでいるが、その速度は明らかに一般的な読書の速度よりも速い。ノックの音を聞くと西雨氏は本を置き、扉の方を見つめる]
Dr. 八戸: 失礼します。
[Dr. 八戸は声をかけると入室する]
Dr. 八戸: 初めまして。ご挨拶遅くなって申し訳ありません。医師の八戸と申します。西雨さんの入院中の担当をさせていただきますので、よろしくお願いします。
西雨氏: へえ、お姉さんが私の先生なんですね。
[西雨氏はベッドの上で胡坐をかき、八戸氏を値踏みするように見つめる]
西雨氏: ねえ、私何歳に見えますか?
Dr. 八戸: ええと、16歳でしたよね。
[西雨氏は唇を尖らせる]
西雨氏: なんだ、ちゃんと予習してきてるんですね。こんな顔で16歳になんか見えるわけないのに。
Dr. 八戸: いや、そんなこと......。
西雨氏: まさかそんなこと無いって言うつもりですか? 先生何歳ですか?
Dr. 八戸: 28です。
西雨氏: なんだ、意外と上なんですね。お姉さん童顔だからもっと若いのかと思いました。ねえ、私もバカじゃないんですよ。何も知らない人が私達を見たら、下手したら私の方が年上にみられるくらいの見た目だってことくらい分かってます。下手な気休めはやめてください。
Dr. 八戸: それはその、ご病気のせいでしょう。
西雨氏: へえ。病気、病気ですか。簡単に言いますけど、先生、私がどんな病気なのか分かってるんですか? これまで色んな先生に診てもらって、それでも分からないって匙を投げられたのに。
Dr. 八戸: そのことなのですが、西雨さん、一度これまでの経緯を整理させていただいても良いですか。
西雨氏: いいですけど。
Dr. 八戸: ありがとうございます。ではまず、初めに症状を自覚したのはいつですか。
西雨氏: 自覚したっていうか......学校の健康診断の時に言われました。確か小学2年生の時だったかな。身体の発育が早すぎるとかなんとか。それでえっと、ナントカ早発症とかいう奴かもしれないから、ちゃんとした病院で見てもらった方がいいと言われました。
Dr. 八戸: 思春期早発症、でしょうか。
西雨氏: ああ、そうです。それで近くの病院に行ったんですけど、ホルモンに異常は無いって言われて。それで原因が分からないって言われながら病院に通っているうちに、周りより年を取るのが早いのが自分でも分かるくらいになってきたんです。初潮も4年生の時にもう来ちゃって。
Dr. 八戸: その後、別の病院に行かれたんですよね。
西雨氏: はい。もっと大きな病院で調べましょうって言われて、一回入院もしました。でも、全く原因は分からなかったみたいで。骨とかを調べて、明らかに人より年を取るのが早いのは事実だって言われたんですけどね。
Dr. 八戸: 通常の思春期早発症では第二次性徴のタイミングが純粋に早まるだけですが、西雨さんの場合にはまるで成長そのものが早回しのようになっていて、通常の思春期早発症とも違うようです。ホルモンの値も確かに正常でしたね。
西雨氏: 前の病院でもそう言われました。それでまたしばらく様子見になるのかなと思っていたら、前の病院に来ていたここの先生が転院しましょうって言いだすから入院したんですけど。[沈黙] ねえ、これ意味ありますか? 結局お姉さんにも私の病気は分からないんですよね?
Dr. 八戸: その件については後ほどまたお話します。それ以外に最近気になることはないですか。
西雨氏: いや、特にないですね。最近雨が多いからか時々頭が痛くなるんですけど、それくらいです。
Dr. 八戸: 分かりました、もう一つだけ聞かせてください。西雨さんはこれまで、ご両親に何か不思議な行動について指摘されたことはありませんでしたか。例えば家の中で暇をして、本を読んだりしている時とか。
西雨氏: はい? ちょっと言っている意味がよく分からないんですけど......。少なくとも、何も言われたことはないですね。お母さんもお父さんも元々私にあんまり興味なかったし、病気になってからはずっと気味悪がられてるので。あと私すごくお腹が空きやすくて沢山ごはんを食べてしまうので、それに文句を言われたこともありますけど。
Dr. 八戸: [沈黙] そうですか。わかりました、ではこちらの映像を一度ご覧ください。
[Dr. 八戸は手元のタブレット端末を西雨氏に提示し、動画を再生する。動画内では西雨氏が病室内のベッド上でスマートフォンを使用しているが、寝返りを打つなどの動作が一般的なそれと比較して速いことが見て取れる]
西雨氏: えっ、なんですかこれ。盗撮?
Dr. 八戸: 病室内での映像です。様子を記録させていただく場合があることは入院の際に書面で同意を頂いたかと思います。問題はそこではなくて、西雨さんのこの映像のほうです。ほら、この寝返りを打ったところ。見てください。
西雨氏: いや、聞いてないし。寝返り? それがなんなんですか。
Dr. 八戸: 見てください、この動き。明らかに普通の寝返りの速度じゃないでしょう。
西雨氏: 別にいいじゃないですか。寝返りくらい好きに打たせてくださいよ。
Dr. 八戸: それだけじゃありませんよ。眼球の動き、スマホを操作する際の指の動き、まばたきの回数、西雨さんの行動を記録していると、明らかにすべての動きが平均を逸脱して速い瞬間があるんです。
西雨氏: はあ。
Dr. 八戸: つまりですね、西雨さんが人より早く年を取っているのは、日常の中で何らかのタイミングで、物理的に他の人よりも早く時間が経過しているからという可能性があるんです。
西雨氏: [沈黙] すいません、何を言っているのかさっぱりなんですけど。
Dr. 八戸: いえ、大丈夫です。まだ仮説の段階ですし、他にも色々と調べないといけないですから。ですがもしこの仮説が正しく、タイミングの条件を突き止めることができれば、西雨さんの老化を食い止めることができるかもしれません。
西雨氏: はあ......。
Dr. 八戸: とにかく、これから検査を進めていきますので。よろしくお願いします。
[Dr. 八戸は退室する。西雨氏はしばらく扉を眺めている]
西雨氏: 別にもう、どうでもいいんですけど。
<録画終了>
上述の映像記録の通り西雨氏には時間に関連した異常性の存在が疑われたため、これに対して狛犬病院内で検査が行われました。以下はDr. 八戸がその結果について西雨氏に説明した際の映像記録です。
診療記録 3273-JP-2 - 日付 2023年06月12日
記録部屋: 狛犬病院 305号室
<記録開始>
Dr. 八戸: 失礼します。
[Dr. 八戸が病室の扉をノックする。西雨氏はベッドの上で部屋の隅に置かれた大きな機械を睨みつけているが、ノックの音がすると扉の方に向き直る]
西雨氏: [沈黙] どうも。
Dr. 八戸: どうされましたか? 何か気になることでもありますか。
西雨氏: あるに決まってるでしょ!
[西雨氏は声を荒げるとベッドを下り、部屋の隅に置かれた機械へ向かう。機械は小さく低い稼働音をあげている]
西雨氏: この機械はなんなんですか! それに、この間一日腕に付けさせられた機械も結局何だったんですか! 毎日毎日、とても病院とは思えないような検査ばかりされて頭がおかしくなりそうです。先生も白手袋の上に手袋を付けてて意味が分からないですし。
Dr. 八戸: そう、まさにその、この間の検査の結果がようやく届きまして、その説明を──
[西雨氏は八戸氏の前に両手を突き出し、言葉を遮る]
西雨氏: ちょっと待ってください。検査の結果は聞きますけど、まずはこの機械の説明からしてください。
Dr. 八戸: いや、実のところその機械に関しては私もよく理解しているわけではないんですけど、なんでも、ええと、"シャンク・アナスタサコス恒常時間溝"......の、部分的複製品だとか、なんとか。
西雨氏: シャン......なんですか? というか、先生もよく分かってないんですか?
Dr. 八戸: なんでも資金提供機関から寄贈されたものらしくて。一定空間内のタキオン場を固定することによって時間の流れを安定化させる効果があるらしいですね。
西雨氏: はあ。で、なんでそんな機械が私の部屋に置いてあるんですか。
Dr. 八戸: そう、それがこの間の検査の話にもつながるんです。検査の結果、ついに仮説が正しいことが証明されたんですよ。
西雨氏: 仮説、えっとなんでしたっけ。
Dr. 八戸: 西雨さんの年を取るのが早いのは、何らかのタイミングで西雨さん自身の時間の流れが周囲よりも早くなっているからという仮説です。
西雨氏: ああ、そんなこと言ってましたね。それが何か?
Dr. 八戸: 実は、この間の検査では西雨さんの体内タキオン場の状態を24時間測定していたんです。その結果、やはり1日の中でタキオン場の状態が変動していることがわかりました。
西雨氏: つまり?
Dr. 八戸: つまり仮説通り、1日の中で西雨さん自身の時間の流れが変化しているということですよ。
西雨氏: [沈黙] そうですか。それで、それがどうしたんですか。
Dr. 八戸: どうもこうも、これまで全く分からなかった西雨さんのご病気のメカニズムがようやく分かってきたんですよ。凄いことじゃないですか。
西雨氏: メカニズムが分かって、それで私の身体は元に戻るんですか?
Dr. 八戸: いえ。時間の流れが変化する条件さえ分かれば、進行は食い止められると思いますが。
西雨氏: 戻すことはできないんですよね。
Dr. 八戸: それは、その。ですが食い止められさえすれば、年を取れば数年程度の違いなど気にならなくなっていくものですし。
西雨氏: [沈黙] 私が入院してから、人が何回お見舞いに来たか知ってますか?
Dr. 八戸: え? ええと。
西雨氏: 0回ですよ。一人もお見舞いになんか来てません。両親も入院の日に来てそれっきり。気味の悪い存在を体良く厄介払いできた、くらいにしか思ってないんです。
Dr. 八戸: そんなことは......。
西雨氏: 友達だって居ません。昔は居ましたけど、私の見た目が明らかに周りと違い始めてから居なくなりました。正直、今更病気の進行が止まるとか、もうどうだっていいです。失ってしまったものが戻るわけじゃないし。なんなら年を取るのが早いのなら早く死ねて、その方がいいくらいなんですよ。
Dr. 八戸: 西雨さん、そんなこと言わないでください。病気を食い止めて、これから楽しいことを積み上げていけばいいじゃないですか。
西雨氏: またそんな綺麗事を──うぅっ!
[西雨氏は言葉の途中で大きな呻き声を上げ、頭を抱えながらその場に蹲る]
Dr. 八戸: 西雨さん? 西雨さん! 大丈夫ですか?
[Dr. 八戸は西雨氏に駆け寄ると、手首に触れ脈拍を取る]
西雨氏: うっ、離れてください。
[西雨氏はDr. 八戸を跳ね除けようとするが、Dr. 八戸は従わない。西雨氏は蹲ったまま口元を押さえ、数回えずいた後に足元に嘔吐する。胃液様の嘔吐物がDr. 八戸の足と床に吐き出される]
Dr. 八戸: 西雨さん、分かりますか?
西雨氏: [沈黙] ごめんなさい。
[Dr. 八戸はベッドの傍に置かれたナースコールを押す。すぐに数人の看護師が病室内に姿を現す]
Dr. 八戸: 西雨さん、一度横になりましょう。
[看護師とDr. 八戸で西雨氏を抱え、側臥位でベッドに寝かせる。Dr. 八戸は看護師に向けて指示を出す]
Dr .八戸: すみません、生食100速でルート確保とプリンペランをお願いします。それと今から頭部CTをオーダーするので連絡があったら搬送をお願いします。
西雨氏: 先生、あの。
[Dr. 八戸は指示を出すと病室を後にしようとする。西雨氏はDr. 八戸に向けて声をかける]
Dr. 八戸: ひとまず安静にしましょう。後ほどまた伺います。
[Dr. 八戸は病室を後にする]
<記録終了>
会話記録より、西雨氏の異常性としてその身体における時間速度が変化している可能性が示唆されました。
映像記録内に登場した装置は外観上確かにシャンク・アナスタサコス恒常時間溝のプロトタイプのようであり、これが正常に稼働している中で異常性が継続しているとすれば、この速度変化は西雨氏の身体内部で発生し完結している現象であることが推測されます。
その後、新たに出現した頭痛、嘔吐症状について検査が行われました。以下はその結果についてDr. 八戸から西雨氏に説明があった際の映像記録です。
診療記録 3273-JP-3 - 日付 2023年06月13日
記録部屋: 狛犬病院 305号室
<記録開始>
Dr. 八戸: 失礼します。
[Dr. 八戸が病室の扉をノックする。西雨氏はベッドの上で横になって天井を見上げているが、ノックの音で上体を起こす。西雨氏の左前腕には点滴ルートが留置されている]
西雨氏: どうも。
Dr. 八戸: その後、体調はいかがですか?
西雨氏: あの後は落ち着いてます。
Dr. 八戸: 特に気持ち悪くなったりもしないですか。
西雨氏: 大丈夫です。[沈黙] なんなら、先生の方が私より体調悪そうに見えますけど。それで、先生が来たってことは検査の結果が分かったってことですよね。
Dr. 八戸: はい。ええと、本来ならご両親にもこちらに来て頂いた上で、画像をお見せしながら改めて説明するべきなのですが。
西雨氏: 悪いんだ。
Dr. 八戸: はい?
西雨氏: なんとなく分かりますよ。大したことのない結果だったらわざわざそんな大げさな前振りなんてしないで、ちょっと画像を見せて終わりですもんね。先生、まだ若いからそういうところ下手ですよね。
Dr. 八戸: [沈黙] いえ、あの。あくまでも画像検査の結果ですので、悪い病変かどうかは改めて追加の検査をしてから判断することになりますが。
西雨氏: はいはい、そういうの良いですから。で、何が見つかったんですか? ガン? いや、脳にガンは出来ないか。脳の神経の細胞って増えたりしないからガンとか出来ないって聞いたことありますよ。
[Dr. 八戸は言葉を探すように視線を細かく動かし、唇をかみしめる]
西雨氏: うそ、本当に? というか、先生って本当にそういうところ下手ですね。
Dr. 八戸: [沈黙] 申し訳ありません。
西雨氏: ああもう、そんなに落ち込まないで下さい。やり辛いなあ。先生、昨日はあんなに楽しそうだったのに。前も言いましたけど、私、むしろ早く死にたいくらいなんです。特にやりたいこともないし。早く年を取って死ぬのがガンになって死ぬのに変わったくらいで落ち込んだりしないですよ、今更。
Dr. 八戸: ですから、まだ悪性のものと決まったわけではありません。それについてこれから詳しく検査をしていくことになります。
西雨氏: そうですか。まあ、好きに検査してください。それにしても、私も運がないですね。ただでさえ、あー、なんでしたっけ。身体の時間の流れが速くなるタイミングがある......でしたっけ? そんな病気なんだか、なんだかよく分からない状態になってるのに、その上こんな年でガンだなんて。
Dr. 八戸: そのことなんですが、確かに西雨さんの仰る通り、2つのことが偶然同時に起きたと考えるのは確率が低すぎると私達も考えています。ですから2つのご病気は別々に起きているのではなく、どちらかがどちらかの原因になっているのではないかと考えています。
西雨氏: どういうことですか?
Dr. 八戸: 実は画像検査の結果、西雨さんの今回の病変が島皮質という場所にできていることがわかりまして。
西雨氏: とうひしつ?
Dr. 八戸: 大脳の領域の一部で、まだ分かっていないことも多いのですが、身体の感覚や感情、共感性、報酬系などに関わっているのではないかと言われている領域です。そしてこの領域は、最近になって個人の「時間感覚」にも関わっているのではないかと言われているんです。
西雨氏: 時間感覚。
Dr. 八戸: はい。つまり、西雨さんの時間異常とこの島皮質の病変は独立したものではなく、病変によって時間異常が発生したという可能性も考えています。
西雨氏: でも、前に頭の画像を撮った時には何も言われませんでしたよ。その時から年を取るのは早かったですけど。
Dr. 八戸: 画像検査と言えど万能ではありません。病変が小さければ映ってこないことも多いんです。
西雨氏: なるほど。まあ、なんでも良いです。
Dr. 八戸: 西雨さん、その......。
[Dr. 八戸は自身の頭を手で押さえて西雨氏に何かを言いかけてから黙り込む。西雨氏はその様子をじっと見つめている]
Dr. 八戸: いえ、なんでもありません。とにかく検査の日程を立てていきますので、また決まったらお伝えします。
西雨氏: わかりました。
[Dr. 八戸は一礼して部屋を出る。西雨氏はその姿をじっと見つめ、部屋を出た後もしばらく扉を見つめている]
<記録終了>
この説明記録および診療録に残されていた画像所見より、西雨氏の頭蓋内の右島皮質領域に腫瘍様病変が出現していたことが判明しました。西雨氏の頭痛・嘔気症状はこの影響で出現していたものと推測されます。
説明後、西雨氏には狛犬病院内で覚醒下開頭腫瘍摘出術が施行されました。この摘出術は腫瘍様病変の病理検査を兼ねられており、病変についての精査が行われました。
西雨氏の異常性についての精査も並行して進められており、狛犬病院内でその性質について一定の結論に達した段階で西雨氏に対して再度説明が行われています。以下はその際の映像記録です。
IC記録 3273-JP - 日付 2023年07月12日
記録部屋: 狛犬病院 3F東病棟 患者説明室
<記録開始>
[Dr. 八戸と西雨氏は小部屋の中で机を挟んで向かい合わせに座っている。机の上には一台の電子カルテ端末が置かれている。西雨氏は車椅子を使用している]
Dr. 八戸: それでは説明を始めさせていただきます。確認なのですが、やはりご両親に来ていただくのは難しいでしょうか。こちらから登録連絡先に電話させて頂いたのですが繋がらず。
西雨氏: ダメですね。連絡しても既読すら付かないです。
Dr. 八戸: 分かりました。止むを得ませんのでこのまま説明をさせていただきます。
西雨氏: よろしくお願いします。
Dr. 八戸: まず本日の目的ですが、検査に関して概ね結果が出揃いまして、ご病気の解釈についてもほぼ見解が固まりましたのでお伝えさせていただきます。
西雨氏: これまでにも検査の度に話してもらっていたので大体知ってますけど。
Dr. 八戸: まあ、改めて初めから振り返りましょう。まず症状について西雨さんが初めに気が付いたのは、8歳の時に受けた学校の健康診断の時でしたね。
西雨氏: はい。身長と体重の伸びが早すぎると言われました。
Dr. 八戸: その後、精査のため近くの病院に行っていただき、思春期早発症を疑われて検査を受けたが異常はなかったと。
西雨氏: そうですね。
Dr. 八戸: そこでしばらく経過を見ていたところ、ご自身でも自覚するくらい周囲との発達速度の違いが出てきてしまったため別の病院に行き、一度入院したが、それでも原因は分からなかった。このときに画像の検査もしていますが、この時には特に異常は指摘されていませんでしたね。
西雨氏: はい。
Dr 八戸: その後、当院の二俣が西雨さんの特殊性を疑って当院への転院が決まりました。ここまでが当院に入院するまでの流れです。ここまでは大丈夫ですか?
西雨氏: 大丈夫です。
Dr. 八戸: では次に入院してからの流れを振り返りましょう。まず入院後の病室での映像から、やはり西雨さんの症状は何らかの時間的特殊性によるものであることが疑われました。具体的には、一日の中で西雨さんの身体自身に流れる時間の速度が一定でないというものです。つまり、世界の時間が1分しか経過していない間に、西雨さんの身体の時間は2分進んでいる、そのようなタイミングが1日の中に存在していたということですね。
西雨氏: うーん、改めて聞いてもあんまりピンと来ないですね。それにそんなことになっていたら、私自身が気付きそうなものですけど。
Dr. 八戸: 後ほどご説明しますが、西雨さん自身でこれに気が付くのは難しいと思います。正確には、気付くことができるタイミングではこの特殊性は発揮されないということですね。
西雨氏: はあ。まあ、取り敢えず進めてください。
Dr. 八戸: はい。この特殊性は今でこそ概ね間違いないだろうと考えていますが、当初はあくまでも仮説だったのでいくつかの検査を行いました。検査自体は色々と行いましたが、最も分かりやすいものは体内タキオン場の密度を1日通して測定した検査になります。
[Dr. 八戸は電子カルテ端末を操作してグラフを示す]
Dr. 八戸: 検査開始時における西雨さんの身体タキオン場密度を1として、1日における相対的タキオン場密度変化を表したグラフになります。睡眠時や食事時、私や看護師が訪室している際などは基本的に密度は変化なくほぼ1のままですが、日中に病室内で一人になっている時にはこの密度が最大で10程度まで上昇していることが分かります。
西雨氏: つまり、どういうことなんでしたっけ。
Dr. 八戸: 西雨さんの身体は1日の中で最大10倍程度、世界の時間速度よりも速く時間が経過しているということです。
西雨氏: いやあ、言われてることが非現実的すぎて未だに信じられないですね。
Dr. 八戸: 信じられないかもしれませんが、現実に起きている出来事です。西雨さんの成長が異常に早かったのはこの影響によるものだと考えられます。それと西雨さんは以前お腹が減るのが早いと仰っていましたが、これもこの影響によるものですね。
西雨氏: そうですか。入院してから酷くなっていて困っていたんですよね。食事を増やしてもらってからは良かったですけど。
Dr. 八戸: 元々調べる予定であったご病気に関してはこれで良いのですが、入院後に以前から時々自覚していたと仰っていた頭痛と、新しく出現した嘔吐についてCTとMRIの検査を12日に行いました。
西雨氏: はい。
[Dr. 八戸は電子カルテ端末を操作して頭部MRI画像を提示する]
Dr. 八戸: こちらが検査の結果ですが、以前ご説明した通り、頭の中に腫瘍を疑う病変が見つかりました。頭痛や嘔吐に関してはこちらが原因となっている可能性が考えられ、また発生している部位から先程の特殊性とこの病変が関係している可能性があると判断しました。
西雨氏: 言ってましたね。とう......なんでしたっけ。
Dr. 八戸: 島皮質ですね。この病変の検査を進める方針になったわけですが、とにかく組織を取ってこないことには話にならないことと、いずれにせよ切除した方がよい病変だということで、手術を受けてもらいました。場所と広がり、脳機能を考えると取りきることは出来ませんが、可能な範囲での切除は必要だと考えたためです。
西雨氏: あの手術は面白かったです。頭に穴が開いていた状態で普通に話したりするなんて体験するとは思ってなかったので。
Dr. 八戸: 手術は大きな問題なく終了して、取った組織を病理検査、つまるところ顕微鏡でその組織の様子を詳しく調べました。先日お話しましたが、結論として病変は未知の組織型を有する腫瘍様病変であることが判明しました。
西雨氏: それって結局どういうことなんですか。ガンってことですか。
Dr. 八戸: 誤解を恐れずに言えばそうなりますが、実際には通常のガンとは少し異なります。通常ガン、すなわち悪性腫瘍とは、とても簡単に言えば、遺伝子異常などの原因により正常な機能を失い異常に増殖するようになった細胞の集合体と言えます。今回の組織もまた異常な速度での増殖が起きていますから、その意味では悪性腫瘍に近いものとは言えます。
西雨氏: やっぱりガンじゃないですか。
Dr. 八戸: ただ今回の組織の異常な増殖は細胞自体の変化ではなく、組織に流れる時間速度が早まったことによるものであることが判明しました。細胞に流れる時間が周囲より早まったことで、結果的に周囲の組織と比較して増殖速度が早まり、腫瘍のような振る舞いを見せていたのですね。
西雨氏: 時間速度? それって。
Dr. 八戸: はい。西雨さんの特殊性に関わってくる要素です。病変の存在していた場所から考えても、おそらくは今回切除した病変組織そのものからタキオン粒子が異常産生されていたのではないかと考えています。ただ、切除と言っても完全に取りきれたわけではないので、今回の切除で西雨さんの特殊性が治癒されたわけではありません。
西雨氏: なるほど。それで、これからどうするんですか。
Dr. 八戸: これからの方針ですが...... [沈黙] 実は、一度退院して頂きたいと思っています。
西雨氏: 退院? まだ治ったわけじゃないんですよね。
Dr. 八戸: はい。組織を完全に切除できたわけではないので、これからも治療は継続します。一般的に脳腫瘍の後療法では化学療法と放射線療法を行いますが、今回の組織に化学療法がどれほど効果があるか不明なので、基本的には放射線療法を行っていくことになります。ただ、この治療は外来でも継続可能です。だからこそ、今日はご両親にも聞いて頂きたかったのですが。
西雨氏: それは分かりましたけど......何か隠しているというか、含みのある言い方じゃないですか?
Dr. 八戸: ああいえ、別に隠そうというわけではなく、これから説明しようと思っていました。以前お話して先程も少し触れた、西雨さんの時間特殊性が発生するタイミングの話です。
西雨氏: そういえば食事の時とか、誰かと話している時は起きないって言ってましたね。あと、自分で気付くことは難しいだろうとか。結局あれって何だったんですか?
Dr. 八戸: 結論から申し上げますと、西雨さんの時間特殊性は西雨さんが「退屈を感じているとき」に発生するものと考えています。
西雨氏: 退屈?
Dr. 八戸: はい。正確には「主観的な時間間隔が延長しているとき」と言っても良いです。ここからは仮説になってしまうのですが、おそらく主観時間感覚の延長を捉えた島皮質内の特殊な神経支持組織が、この延長を補正するためタキオン粒子を産生し西雨さんの身体時間速度を速めているのではないかという推測です。
西雨氏: ちょっと待ってください。例えばつまらない話を聞いている時とか、大して興味のない動画を見ている時とか、ダラダラSNSを眺めてる時とか、そういう時にも退屈だなと思ってますけど、そういう時に私の時間が早くなっていたら聞こえてくる声とか映像とかが全部遅く聞こえたり、見えたりしないですか? そういうの感じたことないですよ。
Dr. 八戸: 理由は二つあります。一つは、退屈な時とはいえ何らかの外的刺激がある時にはそこまで極端な時間速度の変化は起こしていないということです。先ほど最大で10倍程度とお話しましたが、この時は本当にベッドの上で何もしていない時のことでした。
西雨氏: なるほど。もう一つはなんですか。
Dr. 八戸: もう一つは、そういった外的刺激を受けながらも退屈を自覚している場合、人間はその外的刺激に対して自覚的ではないということです。
西雨氏: ええと、よくわからないんですけど。
Dr. 八戸: 簡単に言えば、そういった時に人間は言葉や映像を聞いたり見たりしているようで、実際にそれを「知覚」してはいないということです。例えば、漫然と流れてきたショート動画を見ていて、気付いたらループしたり次の動画に移っていたことがあると思います。そういった場合、人間は情報を感覚器から入力されていても、本当の意味で「知覚」はしていないんです。
西雨氏: うーん、あとそれなら逆に、体感時間が速い時に身体の時間が遅くなったりはしないんですか? ほら、グラフのこことか、むしろ基準より下がっているような。
Dr. 八戸: 現時点ではそれはないと考えています。もしそうであるのならば、睡眠中には身体時間速度が低下していなければおかしい。夢の時間感覚は実際の時間よりもずっと速いものですから。ですがご覧の通り、睡眠中のタキオン密度は基準のままになっています。ごく一部で基準よりわずかに低下しているところに関しては、あくまでも測定誤差だと考えています。
西雨氏: なる、ほど。分かるような分からないような。まあいいです。それで、なんで退院を......って、ああそうか。病院なんて一日中退屈ですもんね。まだ退院した方が多少はマシか。
Dr. 八戸: お察しの通りです。更に言えば、今回切除した病変はおそらくこの時間特殊性の進行によるものだと思われます。つまりこのまま症状が進んだ場合、急速な老化以前に、脳内の腫瘍様病変の影響で生命に関わってくるものと思われます。
西雨氏: でも結局、親と連絡が付かなかったら退院できなくないですか?
Dr. 八戸: ですが......。
西雨氏: それに前も言いましたけど早く死にたいんです、私。特に夢もやりたいこともないですし、私が死んで悲しむような人もいないですし。こういうこと言うと若者の気の迷いとか、ありがちな死にたがりとか思われるかもしれないですけど、だって本当にそうじゃないですか?
Dr. 八戸: やめてください!
[Dr. 八戸は身を乗り出して机を大きく叩く。西雨氏は衝撃音に身をすくめる]
西雨氏: な、なんですか、急に。説教ですか。
Dr. 八戸: そうですよ! 説教ですよ! 軽率にそんなこと言って欲しくないんです!
西雨氏: 知りませんよそんなこと!
[Dr. 八戸は身を乗り出して西雨氏を睨みつけ、西雨氏はそれに対して身を引く。しばらくの後にDr. 八戸は何かに気が付いたような素振りを見せ、体勢を戻す]
Dr. 八戸: 申し訳ありません。取り乱しました。
西雨氏: はあ......とにかく退院は難しいと思いますし、私もしたくありません。
Dr. 八戸: 分かりました。方針に関しては再度検討します。今日はこれで終わりにしましょう。
[Dr. 八戸は西雨氏の車椅子を押して部屋を出る]
<記録終了>
本記録およびその他診療録の記載より西雨氏の異常性は、大脳島皮質内の神経支持組織の異常な活動によって自身の主観時間速度と連動してその身体時間速度を変化させる、というものであると推測されました。また島皮質において発生していた腫瘍様病変については記録内で言及されていた通り、この異常性が島皮質を起点に発生していたために異常性組織自身の時間速度が周囲の身体組織と比較して上昇しており、増殖速度が周囲に比して速くなったために発生した病変であると推測されます。
一方で、この時点で判明している異常性のみでは現在のSCP-3273-JPの状態については説明不能であり、保管されていた狛犬病院内映像記録の更なる調査が進められました。
以下は上記説明の1週間後に西雨氏の病室で記録された会話記録です。本記録において、西雨氏には新規の症状が出現しています。
診療記録 3273-JP-4 - 日付 2023年07月19日
記録部屋: 狛犬病院 305病室
<記録開始>
Dr. 八戸: 失礼します。
[Dr. 八戸が病室の扉をノックする。西雨氏はベッド上でスマートフォンを操作しているが、ノックの音を聞くと顔をしかめながらスマートフォンを置く]
西雨氏: また来たんですか。
Dr. 八戸: 体調はいかがですか。
西雨氏: そんなにすぐ変わるわけないじゃないですか。今日もう5回目ですよ。
Dr. 八戸: 西雨さんが退屈しているんじゃないかと思いまして。
西雨氏: ええそうですよ。退屈してましたよ。別にいいでしょ。先生こそ暇なんですか?
Dr. 八戸: 暇ではないですね。先程もこの病院で新しく研究を進めることになった超常薬の説明を受けていました。
西雨氏: へえ。どんな薬なんですか?
Dr. 八戸: 身体の覚醒状態を維持したまま意識だけは夢を見られるようになる薬ということで。正確には夢というよりは走馬灯のようなものらしいんですが。なんでも、鎮静すら難しい末期患者の苦痛緩和のために開発されているようですね。超常技術を使用しているのでまずはこの病院で実験するようにと。私達は患者で人体実験を行うようなものだと反対し続けているんですが、病院経営の都合もあって表立っては逆らえないんです。
西雨氏: [沈黙] 聞いといてなんですけど、それって無関係の私に話して良いことなんですか?
Dr. 八戸: [沈黙] ダメかもしれません。今言ったことは忘れてください。
西雨氏: はあ......。
[西雨氏が答えた後、しばらく沈黙の時間が続く。Dr. 八戸は言葉を探すように目線を素早く動かす]
Dr. 八戸: そうだ、西雨さん、音楽とか聞きますか?
[西雨氏はDr. 八戸の言葉を聞くと小さく溜息を吐く]
西雨氏: 先生、雑談苦手でしょ。
Dr. 八戸: え? なぜですか?
西雨氏: いや滲み出てますよ。全身から。
Dr. 八戸: と、とにかく。好きな音楽とかありませんか。
[西雨氏は再度溜息を吐く]
西雨氏: ゲームの音楽とか。歌のある曲ってそんなに好きじゃなくて。
Dr. 八戸: 例えばどんな曲ですか?
西雨氏: 例えば......これとか。
[西雨氏はスマートフォンを操作して音楽を流す。電子ピアノを中心とした和風のテイストを有する音楽が流れ始める]
Dr. 八戸: 良い曲ですね。
西雨氏: でしょう? 実はゲーム自体をプレイしたことは無いんですけど、曲は凄い好きなんですよね。
[Dr. 八戸は曖昧に相槌を打つと再び言葉を探すようにして目線を揺らし始める。西雨氏はそれを見るとみたび大きなため息を吐く]
西雨氏: 話すことがないのなら、本当に帰れば良いじゃないですか。
Dr. 八戸: いや、でもそれだと西雨さんが退屈して......。
西雨氏: じゃあ!
[西雨氏はDr. 八戸の言葉を遮るように大声を上げる]
西雨氏: じゃあ、先生がどうしてそんなに私に拘るのか教えてください。
Dr. 八戸: それは、医者として。
西雨氏: それじゃ聞きますけど、死にたいって言ってる患者に声を荒げるのが医者として正しい姿勢なんですか。私も退屈なんで調べたんですけど、まずはどうしてそう思うのか聞いたり、穏やかに自殺しないように約束したり、そういうのが正しい手順みたいじゃないですか。明らかに普通の先生の反応じゃなかったですよね。
Dr. 八戸: そんなことは。
西雨氏: そんなことは無い、なんて通りませんよ。話したくないなら良いですけど、私もそれ以外の会話をこれ以上するつもりはありませんから。
[Dr. 八戸は西雨氏の言葉にすぐには返事を返さず、十数秒程度沈黙が流れる]
Dr. 八戸: 分かりました。話します。話しますから、その前に、西雨さんの本当の気持ちを改めて聞かせて欲しいんです。西雨さんは、本当はどう思っているんですか。
西雨氏: 私は......。
[西雨氏は数秒口ごもる]
西雨氏: 入院するまでは、早く死にたいと思ってました。親からも、学校の先生からも、クラスメイトからも、誰からも化物を見るような目で見られる生活が辛くて。入院して、そんな風に見られることが無くなったから、別に今は積極的に死にたいとは思いません。でも、それだけです。辛くないからといって楽しいわけでもないし、将来の夢も、やりたいことも何もないので。
[西雨氏は一瞬言葉を止めるが、すぐに再開する]
西雨氏: この間先生の言っていた私の病気のメカニズムは正直半分くらいしか理解してません。でも一つだけ分かったことがあります。きっと世界は人の力ではどうしようもないことで溢れていて、それに抵抗することに大した意味はないんだって。仮に先生達が頑張って私を治療してくれて、それで症状が出なくなったとして、それでその後私はどうすればいいんですか。
[西雨氏は一度深呼吸を挟む]
西雨氏: 私の身体の年齢、入院してから更に進んで、もう27歳くらいなんですよね。本当はまだ16なのに。治療したって時間が止まったり戻ったりするわけじゃないから、この差は一生埋まらない。普通の生活なんか出来るわけないじゃないですか。それなら、どうしようもないことに抵抗なんてしないで、私は──
[西雨氏は途中で急に言葉を止め、虚空に視線を向ける。Dr. 八戸は唇を結んで西雨氏の言葉を聞いていたが、西雨氏の変化に気が付くと駆け寄って肩を揺すりながら声をかける]
Dr. 八戸: 西雨さん? 西雨さん!
[西雨氏は一瞬呆然として呼びかけにも応えないが、その後Dr. 八戸の方に向き直る]
西雨氏: あれ、先生、なんだか変な感じがします。寂しい、寂しいです。みんな何処かに行ってしまう。いや、私だけが何処か遠くに行ってしまって、みんなと一緒に居られないんです。助けてください。
[Dr. 八戸が呼びかけると西雨氏は呼びかけに応じるが、数秒前までとは明らかに様子が異なっている。更に言葉を続ける途中、西雨氏の左腕が小刻みに震え始める]
西雨氏: なんで腕が震えてるんでしょう。
Dr. 八戸: 西雨さん、落ち着いて。私の声が分かりますか。
[Dr. 八戸は西雨氏に声をかけながらベッドの4点柵を全て上げ、枕元に置いてあった西雨氏のスマートフォンを離れた机の上に置くとナースコールを押す]
西雨氏: 先生、あれ、私。
Dr. 八戸: 大丈夫。大丈夫ですよ。
[しばらくすると西雨氏の左腕の痙攣は収まり、同時に2名の看護師が入室する。Dr. 八戸は看護師に状況を説明する]
Dr. 八戸: 単純部分発作だと思われます。既に頓挫していますが、おそらく腫瘍様病変による症候性てんかんと思いますので検査をしましょう。
[西雨氏はやや朦朧としているが、Dr. 八戸に話しかける]
西雨氏: 先生、先生の話をまだ聞けてないです。
Dr. 八戸: 検査が先です。検査が終わったら、結果と一緒に話します。
[Dr. 八戸が部屋を出る]
<記録終了>
本記録内で発生した西雨氏の症状はDr. 八戸の言及した通り、腫瘍様病変の拡大に伴って生じた症候性てんかんであると推察されます。これは長期入院や各種検査の終了に伴い西雨氏が主観時間の延長を自覚する機会が増加したことで、異常性の発揮されるタイミングが増加したことにより発生したと考えられます。
本病変に関してはその後院内で精査が行われ、これと同様の結論が得られていますが、その結果についての説明は西雨氏に対して最低限にしか行われていません。
以下はその際の記録です。
診療記録 3273-JP-5 - 日付 2023年07月20日
記録部屋: 狛犬病院 305病室
<記録開始>
Dr. 八戸: 失礼します。
[Dr. 八戸が病室の扉をノックする。西雨氏はベッド上で何をするでもなく空を見つめており、音に合わせて視線を向ける]
西雨氏: そんなに悪かったんだ。先生って本当に表情分かりやすいですよね。
[Dr. 八戸は数秒逡巡するような素振りを見せる]
Dr. 八戸: [沈黙] はい。想定していたよりもずっと進行が早く、非常に悪い結果でした。画像もご覧になりますか。
[Dr. 八戸はタブレット端末を取り出そうとする]
西雨氏: 別にいいです。見ても分からないし。それより、この間の先生の話がまだですよね。
Dr. 八戸: 別に面白い話ではないですよ。本当によくあるつまらない話です。
[西雨氏は無言のままDr. 八戸に続きを促す。Dr. 八戸は一呼吸置くと言葉を続ける]
Dr. 八戸: 大学生の頃、パートナーがいました。一年の時から付き合っていた同級生で、卒業したら籍を入れようとも話していた人です。とても優秀で、正義感に溢れていて、それでいて時には現実を見て妥協することもできる、素晴らしい医学生でした。本当ならきっと素晴らしい医者になったと思います。
[西雨氏は無言のままDr. 八戸を見つめている]
Dr. 八戸: 六年生の夏のことでした。二人で家の近くに新しく出来た、少し変わったオーガニックレストランに行きました。メニューも見慣れないものばかりで、私はなぜだか少し怖くなってコーヒーとデザートだけを頼みました。彼はシェフのおすすめとして提示されていた、聞いたこともない、調べても出てこないような名前の料理を頼みました。
西雨氏: そうしたら?
Dr. 八戸: たった一日。たった一日で、彼の皮膚全体が緑色になりました。彼は日光と水と酸素と二酸化炭素とほんの少しの土だけあれば生活ができるようになった代わりに、普通の食事は一切できなくなりました。私の方はといえば、こんな風に。
[Dr. 八戸は左手の白手袋を外すと胸ポケットに入れていたペンライトの光を当てる。Dr. 八戸の左手母指と第二指の間から新たな指状構造物が形成され始める。Dr. 八戸が光を逸らすと成長は止まり、新生していた指は脱落する。西雨氏はその光景に目を丸くしているが、Dr. 八戸が言葉を再開すると再び向き直る]
Dr. 八戸: 彼は優秀すぎました。それまでの人生で一度も挫折を知らなかった彼は自身の人生を悲観して、すぐに命を絶ってしまった。皮膚が緑色だろうと、一緒にご飯が食べられなくても、私はただ彼がそこに居てくれればよかったのに。それで二人で、身体を治す方法を探していければよかったのに。
[Dr. 八戸は再び左手に手袋をはめる]
西雨氏: それは......先生の我儘じゃないんですか?
[西雨氏は上体を起こす]
西雨氏: 相手がどんな思いだったのか、これからどんな人生になるのか、そういうことを考えもしないでただ生きて欲しいだなんて、そんなのはただの我儘じゃないですか。そりゃあ先生だってその左手......大変だと思いますよ。でも、彼氏さんはもっと大変な状況だったんでしょう?
Dr. 八戸: [不明瞭な発声] ......ですよ。
西雨氏: それで、今度は私に諦めないで欲しいって言うんですか? 私は先生の彼氏じゃないですよ。どこまで我儘を続けて、他人に苦しみを強いようって言うんですか。
Dr. 八戸: そんなことは分かってるんですよ! 全部私の我儘だってことくらい。それの何がいけないって言うんですか。
[Dr. 八戸が突然大声を上げると、西雨氏はわずかにたじろぐ]
Dr. 八戸: 西雨さんが、それでも生きる理由が無いと言うなら、私があなたの生きる理由になります。我儘だろうと構いません。そんなの知ったことじゃありません。西雨さんにそれに応えろとは言いません。でも、私は私の好きなようにやらせてもらいます。もう、誰一人私の前で理不尽に負けて欲しくないので。
西雨氏: 最悪ですね。最悪としか言いようがないです。だいたい、私は先生の彼氏じゃないんですよ。代わりじゃないんです。先生は昔の後悔を人に押し付けて自分が楽になりたいだけでしょう。第一、今更先生に何が出来るって言うんですか。親に見捨てられて退院もできない、そもそもそんな健康状態じゃない、入院していれば病気が進む、そんな私に先生が今更何を出来るって言うんですか。
Dr. 八戸: ずっと側にいます。
西雨氏: はい?
Dr. 八戸: 可能な時間はずっとここに居て、西雨さんを退屈させません。
西雨氏: それ、本気で言ってます?
Dr. 八戸: 本気です。
[西雨氏は無言でDr. 八戸を見つめていたが、しばらくすると堪えきれなくなったように口元と腹にそれぞれ手を当て、大きな声をあげて笑い始める]
Dr. 八戸: 何がおかしいんですか。
西雨氏: 無理ですよ、先生には。
Dr. 八戸: 何故ですか。確かに、他の仕事でどうしても離れないといけないタイミングはあるかと思いますが。
西雨氏: だって先生、雑談下手じゃないですか。退屈させないなんて無理ですよ。
Dr. 八戸: そんなことありません。絶対に──
[西雨氏はDr. 八戸を遮るように言葉を続ける]
西雨氏: だから、今度はゲームでも持ってきた方がいいです。そうだ、ちょうど前に先生に言ったあの曲の原作やって見たかったんですよね。パソコンのゲームなので難しいかもしれないですけど。そしたら、一緒にやりましょうよ。
[西雨氏はDr. 八戸に笑いかける。Dr. 八戸ははじめ呆気に取られたような表情を浮かべていたが、数瞬後に笑みを浮かべて答える]
Dr. 八戸: 分かりました。必ず。
<後略>
<記録終了>
本記録以後、Dr. 八戸による西雨氏の病室への訪室が頻回かつ長時間になったことにより、会話記録も膨大かつ長大なものになっています。その中で、西雨氏が現在のSCP-3273-JPの状態となった契機として疑われる記録を以下に示します。
診療記録 3273-JP-6 - 日付 2023年07月27日
記録部屋: 狛犬病院 305病室
備考: 本記録は記録時間が非常に長大であったため、一部のみを抜粋して書き起こしている。
<記録開始>
<前略>
[西雨氏はベッド上で臥床しており、Dr. 八戸はその隣に椅子を置いて座っている。西雨氏の両脚にはフットポンプが装着されている。西雨氏の右腕は軽く曲がったまま投げ出されており、左手のみで本のページをめくり読書しているが、最終ページをめくり本を閉じる]
Dr. 八戸: 読み終わりましたか。
西雨氏: はい。結構面白かったですね。特に主人公が「夢」を肯定的なものではなくて、人生を縛り付ける否定的なものと捉えたまま話が進んでいくのが面白かったです。ちょっと、そんな顔しないでくださいよ。私がそう思っているわけじゃないですよ。
Dr. 八戸: いえ、別に西雨さんの感想を否定するわけでは。
[西雨氏は小さく微笑む]
西雨氏: そうだ、先生の夢を教えてくださいよ。ああ、言っときますけど私関連のことは禁止で。
Dr. 八戸: 夢ならもうずっと変わりませんよ。
西雨氏: へえ。なんですか?
Dr. 八戸: 超常が原因で生きることを諦める人をなくすこと、超常があっても普通に医療が受けられるようにすることです。
[西雨氏はしばらくDr. 八戸の顔を見つめる]
西雨氏: [沈黙] いや、それこの病院の理念じゃないですか。玄関ホールに書いてあるやつ。
Dr. 八戸: はい。理事長が慈杖会を設立したときの理念だそうで、素晴らしい考えだと思います。この理念に共感したからこそ、私はこの病院を選んだので。
西雨氏: 自分で聞いておいてなんですけど、ここまで真っ直ぐに言われると反応に困りますね。
Dr. 八戸: それじゃ、西雨さんの夢を教えてください。
西雨氏: いやいや、私に夢なんて......。
Dr. 八戸: 夢なんてない、とは言わせませんよ。
[西雨氏は両目尻を落として小さく溜息をつく。しばらく考え込む素振りを見せた後、西雨氏は口を開く]
西雨氏: 世界の終わりが見てみたい、なんてのはどうですか。
Dr. 八戸: ちょっと、またそんなことを言って。
西雨氏: いや、真面目に言ってるんですよ。世界の終わりと言っても別にネガティブな意味じゃなくて。とんでもなく長生きして、世界が終わるくらい遠い遠い未来が見てみたいって意味です。なんだかしらないですけど、超常で身体の時間が速くなるのなら、逆に遅くなることがあってもいいじゃないですか。
Dr. 八戸: なる......ほど?
[Dr. 八戸のポケットでPHSの着信音が鳴る]
Dr. 八戸: すみません、失礼します。はい、八戸です。
[Dr. 八戸は着信に応じる。当初簡単な相槌を続けていたが、あるタイミングで顔をしかめて西雨氏を見つめる]
Dr. 八戸: はい、はい。え? いえ、聞いていません。はい。[沈黙] はい。今から向かいます。
[Dr. 八戸は表情を失いPHSをポケットにしまい、椅子を立つ]
西雨氏: どうしたんですか。
Dr. 八戸: えっと、いや、その。以前お話した超常薬のことで。あの、少し席を外します。すぐに戻ります。
[Dr. 八戸は慌ただしく病室を出る。西雨氏はその様子を呆気に取られたように見つめている]
<記録終了>
本記録において、Dr. 八戸は院内で何らかの連絡を受けている様子が伺えます。続く記録や院内に保存された各種申請記録などから、これは狛犬病院内で、"マナによる慈善財団"からの要請により同財団が今後特殊医療資産としての活用を予定している新薬の実験を開始するとの連絡であったものと推測されています。
この新薬に関しては"マナによる慈善財団"内部で作成された資料が狛犬病院内にも送付されており、同資料が回収されています。以下にこの資料を示します。
復元記録 3273-JP - 日本生類総研 第十三寄贈品
日本生類総研 超常製薬部門より
ご寄贈いただきました。
関連項目: 医療、医薬品、人体、睡眠、鎮静、取扱容易、実証実験中、慈杖会
安全上の懸念: なし。
資産概要: 医療技術の発展と各種慈善活動により、人類は未だ大きな地域差こそあれど全世界的に、緩徐に急性疾患を克服しつつあります。一方で、医療という行為の持つ一側面である苦痛緩和の点においては現代においても沢山の課題を残しているということもまた事実です。慢性疾患の終末期において、十分な疼痛管理を行えない戦場において、医療資源の不足している第三世界において、人類は未だ疼痛という不倶戴天の敵と戦闘状態にあると言っても良いでしょう。本資産はそんな大敵をも打破する可能性を有する非常に有用性の高い資産と言えます。
本資産は 7 mm大のサイズを持つ白色の錠剤です。本剤の目的は錠剤を服用するのみという簡易な処置により、服用者に生じている疼痛を含む一切の不快な感覚を遮断し、本剤によって生じる疑似感覚にのみ意識を活動させることにあります。この際生命維持に必要な生体活動には一切の影響を与えないため、従来の苦痛緩和を目的として行われていた鎮静処置に付随する呼吸抑制や血圧低下といった有害事象の考慮は不要です。
本剤によって生じる疑似感覚には服用者の記憶を用います。これは不特定の人物によって服用される可能性のある錠剤という性質上、どのような服用者においても十分に効果を発揮させるためです。記憶の疑似感覚としての利用には生来人体に備わっている走馬灯現象の際に使用されるメカニズムが利用されます。未だ原理は不明であるものの走馬灯現象発生時において体験者はその内容に関わらず激しい多幸感を覚えることが知られており、服用者個人の記憶の性質によってネガティブな感情が想起されることもありません。
本剤の有効時間は現時点では 3時間程度となっていますが、現在、より効果時間の延長した薬剤の開発も継続されているとのことです。本来の走馬灯現象においては 1秒間におよそ 11.574年分の記憶が再生されることが判明しており、これは例として 70歳の人間であればおよそ 6秒で走馬灯が終了することを意味しますが、本剤においては走馬灯を繰り返し発生させることによって有効時間の延長に成功しています。
管理と使用: 本剤は高温多湿の環境を避けて常温保存を行ってください。保存可能期間に関しての研究は行われていませんが、一般的な薬剤と同様未開封の状態であれば 3 - 5年程度を目安とします。
本剤は口腔内崩壊錠であり、内服後に舌の上で溶かして服用してください。服用後は 10分程度で効果発現が開始し、効果発現後の服用者は完全に脱力状態となるため、本剤は必ず臥床した状態で服用させてください。
取扱い制限: 本資産は現在、財団協力機関である慈杖会各病院での臨床試験段階にあります。現時点で明らかな有害事象の出現は認められておりませんが、臨床試験実施対象病院外での使用は禁止されています。
割り当て: 臨床試験終了後、本剤は現在設定されている医療資源に同梱される形で世界各地の財団支部に割り当てられます。
なお、この薬剤に関しては機動部隊による院内調査の際にSCP-3273-JPと同時に回収され、財団内での実験により以下の性質を有していることが判明しています。
- 錠剤を記録文書通りの方法で服用すると、概ね 10分から 15分後に服用者は眠気を訴え、疑似的な入眠状態に陥る。ただしこの際の脳波変化は通常の睡眠時のものではなく、一般的に臨死状態の際に測定される脳波と酷似している。また、通常の鎮静時に見られるような血圧低下や呼吸抑制は見られない。
- 効果時間は文書に記載された通り約 3時間であり、効果時間が終了すると服用者は覚醒する。
- 覚醒後の服用者は効果中の詳細な記憶を有していないが、一般的に「走馬灯」として知られる現象を体験した感覚は覚えている。また効果時間中は強い多幸感を自覚していた記憶を有しており、薬の服用に対する非異常の強い執着を見せるようになる。
Dr. 八戸はこの新薬を西雨氏へ使用することを要求されたものと推測され、西雨氏に対してこの新薬の説明および服用を希望するかの確認を行っています。前述した記録の中で言及されていた通り狛犬病院内では入院患者に対する実験的医療の実施に対して必ず患者の希望を確認するという行程を取っており、このため回収された記録内でも実験的医療の実施記録が確認された例は非常に稀となっていました。
以下はその際の説明記録です。
診療記録 3273-JP-7 - 日付 2023年07月30日
記録部屋: 狛犬病院 305病室
備考: 新薬の内容に関する公式な説明を行っている部分の記録は他資料と重複するため省略している。
<記録開始>
<前略>
[Dr. 八戸はベッド上に臥床する西雨氏に対して資料を眼前に提示しながら説明を行っている]
Dr. 八戸: と、ここまでがこの新薬の概要になります。当院ではこのような新薬の使用に対しては本人の希望がなければ実施しないこととなっていますので、西雨さんが希望しなければ新薬の使用は行いません。
[Dr. 八戸は言いながら使用した資料を机の上に置く]
西雨氏: 先生はどう思いますか。この薬について。
Dr. 八戸: 私は。
[Dr. 八戸はわずかに逡巡したのち、言葉を続ける]
Dr. 八戸: 私は、この薬を西雨さんが使用する必要は一切ないと考えています。実のところ院長からは『必ず希望させるように』と言われていますが、全くそのつもりはありません。
西雨氏: へえ。どうしてですか?
Dr. 八戸: 理由は3つあります。まず1つは、西雨さんがこの薬を服用する必要性が全くないことです。現時点で西雨さんに出現している主要な苦痛症状は頭痛、嘔気、てんかん発作、神経痛、片麻痺ですが、麻痺以外はいずれも対症療法でコントロールされています。苦痛緩和のために開発されたこの薬を服用する意味がありません。
西雨氏: なるほど。2つ目はなんですか。
Dr. 八戸: 2つ目ですが、私はこの薬剤の苦痛緩和としての有効性にも疑問を抱いています。
西雨氏: 有効性?
Dr. 八戸: 内服した患者に、起きながらにして走馬灯を見せる。確かに一見効果的に見えます。ですが主観的な体験としてはどうでしょうか? 1秒で11.574年分の記憶が再生され、それが3時間継続する。つまり、合計で約12万5000年もの記憶を体感するということです。体感中は多幸感を覚えるというのもあくまで服用後に聞いたことで、実際の体感中に服用者がどう感じていたかなど分からないのです。下手をすれば、この薬剤は苦痛緩和どころか拷問になりかねない。私はそう危惧しています。
西雨氏: なるほど、それは怖いですね。それで3つ目の理由はなんですか。
Dr. 八戸: 3つ目は単純です。例え仮にこの薬剤が西雨さんにとって必要で、薬の有効性が確からしかったとしても、治験はこれほど雑に行って良いものではない。もっと厳格に、もっと責任をもって行うべきものだからです。これは医者としての職業倫理によるものです。
西雨氏: [沈黙] まあ、先生ならそう言うと思ってましたけどね。
Dr. 八戸: 分かっていただけましたか。
西雨氏: それでも、私はこの薬の内服を希望します。
[Dr. 八戸は目を見開き、西雨氏を見つめる]
Dr. 八戸: なぜですか。理由を聞かせてください。
西雨氏: 簡単な話です。先生は自分の我儘で、私に生きていて欲しいと言った。でも、私はやっぱりそれじゃ嫌なんです。先生一人の我儘ってだけじゃなくて、もっと他に、私が人生を諦めない理由が欲しいんですよ。
Dr. 八戸: この薬が理由になると、本当にそう思っているのですか。
西雨氏: なりますよ。よく分からないけど、この薬って将来的に広く使われる予定があるんですよね。もし私が使うことで効果のあることが示されて、それで世界中でこの薬に助けられる人が出来るのなら、そこらの人よりもよっぽど意味のある人生じゃないですか。
Dr. 八戸: ですが、先程もお伝えしたように有効性もまだ......。
西雨氏: 有効じゃなかったり、危険だったりすることが分かるのならそれも良いことじゃないですか。そんな危険な薬を広めないで済むんですから。
Dr. 八戸: そういうことではなく!
[西雨氏はDr. 八戸に笑いかける]
西雨氏: いえ、そういうことなんですよ。ねえ先生、私もう長くないんですよね。あえて聞いたりはしなかったですけど、分かりますよ。右手右脚が動かなくなって、いつ左も動かなくなるのか分からない。来週なのか、それとも明日なのか。そんな状況で後が長いなんて考えるほど私もバカじゃないです。ねえ、そうなんですよね。
Dr. 八戸: それは、確かにそうですが。
西雨氏: なら良いじゃないですか。どうせ何もしなくても、もうすぐ無くなる命なんです。私の好きに使わせてくださいよ。
Dr. 八戸: それでも、それでも私は反対です。
西雨氏: また我儘ですか。
Dr. 八戸: はい、また我儘です。
[西雨氏はDr. 八戸から視線を逸らし、窓の方を向いて呟く]
西雨氏: 先生の気持ち、嬉しくないわけではありません。たとえ最後でも、そう言ってくれる人に出会えてよかったと思います。
Dr. 八戸: それなら。
西雨氏: でも、これは私の我儘です。先生がそれでも駄目だと言うのなら、先生よりも偉い人に直接言いに行きます。
[Dr. 八戸は天を仰ぐ]
Dr. 八戸: [沈黙] 分かりました。一度、出直します。明日、もう一度聞かせてください。
[Dr. 八戸は病室を出る。西雨氏は未だ窓の方を向いている]
西雨氏: 本当に、もっと早く先生に会いたかった。
<記録終了>
同様の会話が数回繰り返されましたが西雨氏の意思は変わらず、最終的に西雨氏は新薬を内服することになりました。以下はその際の記録です。
診療記録 3273-JP-8 - 日付 2023年08月12日
記録部屋: 狛犬病院 305病室
<記録開始>
[西雨氏はベッド上で臥床しており、心電図モニターやSpO2モニター、間欠的血圧測定器が取り付けられている。Dr. 八戸はベッドの横で俯いている。ベッドには机が備え付けられており、机上には1錠の白色錠剤が封入された分包袋が置かれている]
西雨氏: 先生、もうそろそろ顔を上げて下さいよ。
[Dr. 八戸は俯いたまま呟く]
Dr. 八戸: どうしても、どうしても考えは変わりませんか。
西雨氏: はい。
Dr. 八戸: [沈黙] 分かりました。
[Dr. 八戸は分包袋から錠剤を取り出し、西雨氏の口元まで持っていく]
Dr. 八戸: それではこれを。口腔内崩壊錠ですから、舌の上で唾液で溶かしてください。
[西雨氏は促されるままに錠剤を口の中に入れる。しばらく閉じたまま舌を動かした後、再度口を開く]
西雨氏: 初めてこのタイプの薬飲みましたけど、結構飲みにくいですね。
Dr. 八戸: [沈黙] 体調に変化はありませんか。
西雨氏: ちょっと先生、早いですって。効いてくるには10分くらいかかるって話じゃないですか。忘れちゃったんですか?
Dr. 八戸: こうなった以上、薬の効果を詳細に観察します。それが私の責務です。
西雨氏: はいはい。それにしても先生、顔怖いですよ。もっと笑ってください。
[西雨氏は小さく微笑む]
<中略, 約10分が経過>
[西雨氏は臥床したまま天井を見上げている。Dr. 八戸はベッドの横に椅子を置き座っている]
西雨氏: あ、なんだかぼうっとしてきたかも。
Dr. 八戸: [沈黙] 薬を飲んでから、おおよそ 10分です。
西雨氏: はは、なかなか正確じゃないですか。これなら効果の方も心配なさそうですね。
Dr. 八戸: 西雨さん。
西雨氏: [沈黙] 流石に、少し不安になってきましたね。ねえ先生、走馬灯ってどんな感じなんでしょうか。
Dr. 八戸: 分かりません。私にも、そしてきっと世界のほとんどの人にも。
西雨氏: なら、私が確かめて来ますよ。[沈黙] 先生、手をにぎってくれませんか。てぶくろをはずして。
Dr. 八戸: はい。
[Dr. 八戸は手袋を脱ぐと西雨氏の右手を両手で握りしめる。室内の照明に照らされることで緩徐にDr. 八戸の左手に新たな指が形成され始める。西雨氏の瞼が閉じ始める]
西雨氏: ふつうのてじゃないですか。ねえ、せんせい、めがさめたら──
[西雨氏は言葉の途中で入眠したかのように瞼を閉じたまま動かなくなる]
[西雨氏の言葉が止まった瞬間、西雨氏の身体全体が瞬間的に霜に覆われる。霜は数秒と経たない内に衣服や装着されていたモニター類にまで広がっていく]
Dr. 八戸: え──
[Dr. 八戸はその光景に目を丸くし、同時に手元を見ると顔を歪める。その手元は既に手首まで霜に覆われている。外部で部屋の映像を確認していた看護師が室内に駆け込んでくる。西雨氏の周囲の空気は氷の結晶が浮遊し光り始めている]
看護師: 様子が、って、なんですかこの冷気は! 先生、とにかく一度避難を!
Dr. 八戸: いえ、私は離しません。んんっ、もう、決して離したくない。
[Dr. 八戸の開く口元から現れる吐息は白く、呼吸によってそれを吸い込む度にDr. 八戸は大きく咳き込む。西雨氏の右手を包むDr. 八戸の両手は既に完全に霜に覆われており、中の皮膚もまた完全な白色になっていることが伺える]
看護師: そんなこと言っている場合じゃないでしょう! ちょっと、誰か先生を!
[追加の看護師が現れ、Dr. 八戸を西雨氏から引きはがし始める。Dr. 八戸の両手は西雨氏の右手と接着されており、力が加えられたことによってDr. 八戸の皮膚が剥がれ始めるが、そこから血液が流出することはない。またDr. 八戸の左手に新しく形成されつつあった指は切断されて落下する。光に照らされているが、更に新しい指が形成される様子は見られない]
Dr. 八戸: やめて。やめてください。また私は、また私は守れないと言うのですか。
[Dr. 八戸は3人がかりで部屋の外に連れ出され始める。室内を記録しているカメラの映像が次第に白く靄のかかったような映像へと変わり始める]
<記録終了>
本記録映像の状況や、本記録映像以後に院内で他の記録映像が殆ど残されていないことから、最後に西雨氏の陥っていた状況が現在のSCP-3273-JPであると推測されます。
西雨氏のこの変化は西雨氏自身の異常性と西雨氏の服用した薬剤の性質が相互作用した結果であると推定されました。西雨氏の異常性は狛犬病院内で想定されていたものとはやや異なり、最終的には以下の通りであると考えられています。
- 右島皮質周囲の神経組織あるいは異常な身体組織の活動により、西雨氏自身の覚醒時の主観時間速度とは反比例して西雨氏自身の身体時間速度が変化する。
- 主観時間が遅くなれば身体時間は速く、主観時間が速くなれば身体時間は遅くなるが、時間速度が負になることはない(時間は逆行しない)。
- この速度変化は西雨氏の身体内部で完結しており、外部からの干渉が行われた場合にも即座にそれを補正するように組織が活動するため、身体外部での時空間安定化は西雨氏自身の時間速度安定化には寄与しない。
以前の記録内では睡眠時に身体時間速度の低下が見られないことから西雨氏の異常性には身体時間速度の低下は含まれないものと推測されていましたが、これはおそらく誤りであると思われます。睡眠時に身体時間速度の低下が見られないのは主観時間速度があくまで覚醒時に参照されるものであるためであり、検査において見られた僅かな身体時間速度低下は測定誤差ではなく真の異常性によるものであると考えられています。入院中の西雨氏において覚醒時の主観時間速度の上昇タイミングが非常に限られていたことがこの誤認識の主な要因です。
すなわち、現在のSCP-3273-JPとは服用した薬剤の影響により著しく身体時間速度が低下した西雨氏の身体であると推測されます。
西雨氏の服用した薬剤の効果を簡潔に表現した場合、服用者に対して覚醒下で走馬灯を体験させ続ける効果と言い換えられます。これは復元記録を参考にすれば西雨氏が 1秒間に 11.574年分の記憶を体感しているということであり、これに伴う西雨氏の著しい主観時間速度の上昇により身体時間速度が低下したものと推測されています。
SCP-3273-JP内部ではその身体時間速度の低下により、内部粒子の運動速度もまた外部と比較して低下しているものと見なされます。これはSCP-3273-JP自体がその構成粒子の運動速度が極めて遅い物質、つまりは極低温の物質と同じ状態にあることを意味しています。
SCP-3273-JPの内部時間速度の遅延のため、外部からSCP-3273-JPに粒子が衝突した場合であっても衝突されたSCP-3273-JP内部の粒子は外部時間においてはほぼ反応しないものと見なせます。一方で衝突したSCP-3273-JP外部の粒子は通常の低温物質の場合と同様にその運動速度が低下、すなわち温度が低下します。これはSCP-3273-JPが通常時間速度の空間において常にその温度を維持したまま周囲を冷却し続ける、絶対零度に限りなく近い温度を有する実体としてふるまうことを意味しています。
またSCP-3273-JP内部から放射される電磁波はその時間遅延のために波長が著しく延長されるため、放射される電磁波を用いた温度測定によってもSCP-3273-JPは絶対零度に限りなく近い温度を有する実体として計測されます。SCP-3273-JPから検出される電磁波のスペクトラムから、SCP-3273-JP内部の時間は外部と比較して 3.56 x 108 倍に延長されていると推定されました。
SCP-3273-JPからは心拍、呼吸、脳波といった生体活動を観測できません。しかしこれはSCP-3273-JPの時間特性によりいずれもが時間的に引き延ばされて観測不能となっているのみであり、SCP-3273-JPが生命活動を停止していることを意味しているわけではありません。
服用した薬剤の性質から、SCP-3273-JPは薬剤の効果期間の限り現在の時間特性を保持し続けるものと考えられます。薬剤の効果期間は通常約3時間ですが、SCP-3273-JP内部の時間が外部と比較して 3.56 x 108 倍に延長されていることを考えると、これは外部時間における約 12万2000年に相当します。よってSCP-3273-JPは約 12万2000年後にその時間異常特性が終了し、同時に熱力学的異常性についても解消されるものと推測されています。