クレジット
我々異常発見部門がなぜ独立した部門として存在しているか? とても良い質問ですね、マクブルームさん。私もちょうど、同じことをあなたに尋ねようかと思っていたところです。さて、なぜでしょう?
はい、その通りです。人員の有効活用、これに尽きますね。機動部隊や収容班は各地域に待機していますが、あくまでも彼らの仕事は収容や襲撃です。彼等を異常の捜索に駆けずり回らせるのは勿体ない話ですからね。
捜索や情報収集は我々が行い、収容は任せる、というのは適切な場所に適切な人員を割くための工夫なのですよ! 我々が気にするべきなのは予算ではなく、人的資源です。このことは絶対に忘れないように......
シンシア・マクブルームが車のキーを抜いたのは、午後10時頃のことだった。
ホテルの地下駐車場。天井のライト達は、影一つ許さないと言わんばかりの密度で場内を照らしている。汚れたグレーに包まれる普通の地下駐車場とは異なり、白、という言葉で形容されるに相応しい空間だった。
シンシアは靴の汚れや、腰回りの座り皺、隠しマイクとカメラの位置を念入りにチェックした後、車のドアを開く。
駐車場の一番奥には、暖色のライトに包まれたエレベーターホールが、まるで無機質なこちら側の世界に出張してきた別世界のように存在していた。彼女はその光景を少々可笑しく思いながら、艶やかな光沢を放つ大理石を踏みつける。
彼女がボタンを押すと、すぐにエレベーターはやってきた。ボタン式にも拘わらず20代前半程のエレベーターボーイが待機しており、中は過剰な程広い。エレベーターボーイはマニュアル通りに目的の階を尋ねた。
「どちらへ?」
「一番上へ」
彼女の目的階とは反対に、地下駐車場はこのエレベーターが動くうちで一番下のフロアだった。エレベーターは上昇して3階の辺りを越えると、扉の反対側のガラスから夜景が見える造りとなっていたが、シンシアはそういったものを見る気にならず、扉をじっと見つめていた。その様子を妙と捉え、エレベーターボーイは彼女の様子を怪訝な様子で盗み見ているが、その視線にも気付かない程である。
目的階まで、扉が途中で開くことはなかった。最上階である61階のエレベーターホールからは、縦横に長い廊下が伸びている。
フロアに配置されているオレンジの間接照明には意図された隙間があり、所々に淡い影が落ちていた。シンシアはエレベーター正面の長い廊下をずっと進み、突き当たりの部屋の扉のベルを鳴らす。彼女が所属と名前を言う前に、枯れた怒鳴り声が中から聞こえてきた。
「鍵は開けてる」
シンシアが部屋の扉を開けると、マリファナタバコの酸味がまず鼻に入ってきた。彼女は鼻から軽く息を吐き、名前と挨拶を述べてから入室した。
部屋に入った真正面にはテレビとテーブル、ソファーと肘掛チェアのある談笑室らしきものが設けられていたが、ソファーには一人の男しか座っていなかった。シンシアは、部屋に漂うマリファナ臭が閉じられたバスルームの扉の方から流れてきているものと理解したが、そのことについて探りを入れる気はなかった。
「それで、インタビューの内容は何だったかな、マクブルームさん......座らないのか?」
ソファーに座る男は現在34歳、精力的な労働の末亡くなったという両親の遺産と、それを元手にした投機で生活を成り立たせている金満家だ。その様子にスマートな部分は一切なく、口の中のホワイトニングされた歯だけが浮き上がって見えるような人間だった。なんとか着られているという有様のシャツも、下腹のボタンを外され、皺だらけで見るに堪えない状態である。
部屋には男の風体とあまりにミスマッチな存在であるチェステーブルが置かれていたが、駒達は仕舞われ、手製感のある無地のタバコケースだけがその上に置かれていた。
「取材にご協力いただきありがとうございます。本誌はゴシップを主に扱っておりまして......ちなみに、お心当たりはありませんか?」
「そういう誘導には慣れたものだよ、マクブルームさん。まあ乗ってやろう、俺の殺人疑惑だろ?」
男の声は、枯れてさえいなければ子供のような印象を与えるであろう調子だった。シンシアの脳に浮かんだ、駄々っ子が巨大化して煙で喉を潰したような、という例えは、男と知り合った人間の殆どが共有するイメージである。
「ええ、ありがとうございます。一部ネットメディア上で噂になっているという程度の情報ですが、随分敏感にキャッチされているんですね?」
男は、顔に浮かぶ不快感を隠そうともしなかった。
「まあね......彼らは警察を見くびりすぎなんだよ、シンシア。俺の投機と有力者の変死との間に、奇妙な偶然があることは認めざるを得ないがね、しかしだからこそ俺は警察の監視の的だ。もしも本当に俺が何かをしたのなら、人に指示を出したにせよ、自らの手でやったにせよ、とっくに刑務所の中だと思わないか?」
「ええ、その通りでしょうが......UFOを探す時に空軍の言う事を当てにはしませんからね」
男の眉が動いた。
「ほう! 君の担当している雑誌については訊いていなかったが......何か俺がオカルトなことをしているとでも? 超能力で企業の有力者を縊り殺したとか、そういう......」
「はい、その通りです。そういう噂を是非とも調査してくれと、ファンから依頼がありましたので」
「しかし......しかし、自分が何を言ってるのかは分かってるのか?」
どもりながらそう言った後、男は彼女の立ち姿を上から下まで凝視して、長く息を吐いた。その反応を見たシンシアは、"当たり"を引いてしまったことを直感した。
「座ってくれ」
「いいえ、立ったままで結構です」
「座れ!」
男の攻撃的な態度とは対照的に、シンシアは淡白に「それでは」とのみ言い、一人用のソファーに浅く座って、こちらを睨む男の方に身体を向ける。男は彼女のそんな様子に、ますます動揺を深めていった。
「まず、まずだ、超能力と君は言ったが、それはどういったものなんだ? 企業の重役達の殺害にどういう超能力を俺が使ったと、そのスピリチュアルな寄稿者は言ってるんだ?」
「彼らは......失礼、プライバシー保護の観点上寄稿者のパーソナリティは明かせませんので、とりあえず"彼ら"としますが、まず彼らはあなたが関与している可能性が高い事件に関して、それぞれの状況をまとめ上げました」
男は膝の上に肘を置く形で手を組み、その組み方を忙しなく変えている。その顔には汗が伝っており、バスルームから流れるマリファナの匂いが、彼を冷まさぬままに包み込んでいた。
「死因の殆どは気道の圧迫による窒息、それもロープなどを使わず、手によって直接行われたものばかりでした。しかしながら皮膚片も、頭髪も、犯人の痕跡は何もかも発見されていません。残りはトイレや風呂場での溺死でしたが、こちらでも一切の痕跡は残されていませんでした。」
「待て、風呂場での溺死? そんな事件はSNSでも見なかったが......」
口を開いた当初、男の顔には不安のようなものが見て取れたが、その台詞を言い終わった時には満足気な表情に切り変わっている。彼女の方は、表情を保ち、発する言葉を吟味しながら、自分がこの後対峙することになるものを想像して身体を強張らせていた。
「ええ、あまり広まっていない事件のものですから、あなたと結び付ける人はネットにはいないでしょうね。しかし、彼らはあなたとの関係性を発見しました。2週間前の、リコ・ヴィトーリア氏の自宅で起きた事件です。表向きには事故として処理されているようですが」
「......それは誰だ? 企業の重役ではないだろ?」
「あなたが一カ月前ホテルに連れ込んだ南米出身の女性ですが、名前はご存知ありませんでしたか?」
場の空気が一変する。男の精神は完全に転倒した様子で、両手で目を覆って呼吸を荒くし、膝を震わせながらテーブルの上に首をもたげる。予想外のあからさまな反応に、彼女の方も当惑する。
「その様子を見るに、あの哀れな移民女性と過ごした夜のことを覚えている、というだけではないようですが......」
その言葉を告げられている最中、男は発作的に跳ねるようにして背を逸らし、背もたれに身体を預けて天井を見上げた。突然、シンシアの両肩が、強く、真下に押さえつけられる。彼女は心臓から昇ってくる悲鳴を堪え、男の依然として意気消沈している様を観察する。
「どういうことだよ、これは、一体、一体......」
「なるほど、"これ"はあなたが自由に制御できる類のものではないようですね。リコ・ヴィトーリアの殺害は、むしろあなたも知らなかったように見受けられますが......それでも、あなたは突然趣向を変えて、ここ暫くの間アングロサクソンの女性しか相手にしなくなっているそうですね。何か関係が?」
男は意気消沈したままにシンシアの姿を見つめていたが、次第にその考えは脱線を繰り返し、急激に切り替わっていく。シンシアは言葉を紡ぎながら、自分の身の安全を確保する道筋を探していた。
「あなたの意思とは無関係となると、これは霊体と考えるのが普通でしょうね。ヴィトーリア氏の件を含めて、全ての事件はあなたが滞在するホテルから遠く離れた各々の自宅で発生していますから、霊体はあなたに縛られたり憑いたりしている訳ではなく、自発的に味方をしていると」
「何を言ってるんだ......そんな情報まで掴んで、生きて帰れると思っているのか、シンシア? ......いや、違う、違う......」
シンシアはその間ずっと両肩にかかる圧力が高まり、爪のようなものがその皮膚を貫こうとするのを感じていたが、その力が強まれば強まるほど、彼女の顔は固く、不動のものとなっていく。男はその様子を目にして一層疑念を強くし、彼の中の答えに辿り着いた。
「第一、ただのオカルトライターがこの状況でそんなに落ち着いていられる訳がないんだ、だから、そう、そうだ......あんたは警察だ、そうだろ?」
彼女が眉を顰めると、男は少し得意な顔になった。
「つまり、ここであんたをどうこうすれば、状況証拠で俺が確実に監禁か殺人かで有罪になるように諸々仕上がってるんだろ......そうなんだろ! だから、その、あんたは囮に過ぎないんだ! だからもう、やめた方がいいな、そうだ、やめた方がいい! 少なくとも、今ここでは......」
シンシアの肩にかかっていた圧力が立ち消え、男は一世一代の危機を乗り切った直後のような落ち着きを見せた。
「私を帰して良いのですか? たった今異常現象を体験した私を?」
「あんたを帰したとして、『両肩を霊に押さえつけられたんです!』なんて警官の証言で俺を逮捕できる訳がない。挑発したって無駄だ......あんたを殺した瞬間に特殊部隊が窓から突入してきたって俺には指一本触れられないだろうが、指名手配されちゃあホテル住まいもままならないからな」
男は吐き捨てるようにそこまで言ってから立ち上がり、チェステーブルに置かれていたタバコの箱を掴んでソファーに座った。男の中では、もう警察官マクブルームは室内に存在しないも同然という認識が広がっているようだった。彼女は、何かマイクに拾わせておくべき情報は無いかと、黙って部屋を見回す。
入った当初の彼女には一見して伏魔殿のように感じられたこの部屋だが、落ち着いて見れば、消費と快楽以外に求めるところを失った人間の、静的で退屈な住まいに過ぎないように思われた。
ある銘柄の酒だけが詰め込まれたミニバー、弦の足りないアコースティックギター、日光で一面退色している本棚......
彼女は、そんな事物の中に写真立てを見つけた。男が高校を卒業した際の写真らしきそれには、卒業帽を被った男と、その母親の顔しか写っていなかった。こんなものをこの男が後生大事に保管したり、見える位置に配置したがる筈がない。そう彼女は断定し、仮説を口に出した。
「なるほど......ここにいるのはお母様の霊体ですね?」
男は箱を落とし、法に触れる内容物達が床に転がった。
「手で直接の絞殺となると男性が疑われるところですが、抵抗を受けない霊体であれば確かに女性でも充分可能ですね。なるほど、お母様とあなたは片方の死後も共依存関係にあるという訳ですか......あなたの性生活を考えれば、今も維持されていることが些か理解し難い関係性ですね。まあ、その末路こそが、関係を持ったあの移民娼婦の殺害だったのでしょう。あなたとお母様との間でどういったやり取りがあったのかは存じませんが......」
仮説は実際のところ、"彼ら"警察が調査したという前情報と、自分の肩にかかった圧力、立てられた爪から彼女が推測した不確かな憶測に過ぎない。それでもそれは、男を再び狼狽と興奮の世界に誘うには充分な出来だった。そして彼女の仕事は、男の反応を見届けたこの時点でほぼ終わりを迎えていた。
「もちろん、身元が分かったとしても霊体を裁く法などありませんよ」
彼女は冷笑的に言ってから、ソファーから立ち上がって扉へと向かった。男は反射的に叫び、ドアノブに手をかけた彼女の腕は何かに掴まれる。
「シンシア・マクブルーム! どこへ行く」
「奇遇ですね。私もちょうど、同じことをあなたに尋ねようかと思っていたところです」
彼女は真っ白なシニシズムを再び顔に浮かべ、振り返って返事をした。男も、彼女の腕を掴んだ何かも、最早この襲撃者を留め置く理由が無いことを思い起こしたらしい。彼女はすぐに解放され、部屋から退出した。
廊下に出た彼女は酸味の無い空気を堪能したが、それでも何か不快なものがこの空気中に混じっているような気がしてならなかった。エレベーターホールに続く長い廊下をどれだけ進んでも、やはりその感覚が抜けることはない。
「この廊下も、ホールも、結局はあの男の部屋とそう変わりはないのだろう」
そんな、自分自身でも理由を説明できない腹立たしい直感に苛まれながら、彼女はホールに足を踏み入れる。
果たして、あの男はどうなるだろうか、というのが彼女の頭に浮かび続ける疑問だった。霊体は収容されるとして、あの男は? 自分自身に異常性がある訳ではなく、異常に長期間触れ、悪用してきた人間。やり方が非異常であったなら、今頃死刑か無期懲役を言い渡されているはずの人間だが......
彼女は自身がそれを判断する立場にも、知る立場にもないことをしっかりと理解していた。ボタンも押さず、上がってくる中央のエレベーターの正面に立ち、その扉、無機質な金属に映る財団職員の姿を眺め、深く息を吸う。
最上階に到着したエレベーターに乗っていたのは、6名の"清掃業者"だった。2列縦隊が彼女の両脇を通り抜け、真っ直ぐに男の部屋へと向かう。彼等と入れ替わるようにして乗り込んだシンシアは、奇怪なものを見たという様子のエレベーターボーイのことは、一切気にも留めずに思考を再開した。
清掃業者、となれば、彼等の役割は決まっている。霊体を確保し、バスルームの人間には適切な処置をして解放する筈だ。そして男の行く末も......
エレベーターボーイは恐る恐る尋ねた。
「どちらへ?」