男がプロジェクターのスイッチを押した。暗闇の中でそれが唯一の光源に成り得るほどに、彼のいるこの空間は奥底のさらに奥底に存在しているのだろうと推測される。
「今日は御忙しい中にお集まりいただき、ありがとうございます」
男が真っ白に照らされるスクリーンの横に立ちながらマイクを片手に話し始める。彼の持つ明確な表情こそ見えないものの、その声色は若干震えている様にも窺え、緊張の度合いが空気越しに伝わってくるようだ。
「本日は、私の提唱するある説についてご説明しようとこの様な催しを準備させていただきました。なに分、不慣れなもので御聞き苦しい部分も多分にあると思いますが、どうかご容赦いただきたいと思います」
ゆっくりとした首の動作で男は自身の眼前に広がる情景を細かに視認する。たとえ、そこにあるのが暗闇しか無かろうとも、彼の下に集まった者達に対して一定の敬意を表するようにその所作には無駄がない。
「では、早速ではありますが、これからある映像をご覧いただきたいと思います」
その言葉を皮切りに、男はもう片方の手に持っていたリモコンを操作した。それと同時にプロジェクターの方からキリキリとした機械音が流れ始め、排熱を促すファンの回転数もその数値を上げる。そして、先程まではただの白色とした映像しか流れていなかったスクリーンが一瞬にして紺色の画面へと切り替わり、かと思えば直ぐにある映像へと切り替わった。
恐らくとある企業の廊下と思われる場所の様子。画角からも監視カメラの様な物で撮影された代物だろう。
明度は薄暗いとも明るいとも言いづらく、画面の左端に表示されている録画時間と思われる数字のカウントだけが進んでいく。壁にはトイレの入口と思われる戸があり、証拠に二枚ある扉の横には赤と青の標識が設置されている。
1人の男がその廊下を横切る。背格好は中程度痩せ型。着ている背広の感じからも、この映像に映し出されている社員であろうか。
男が歩みを進め、画面の枠から姿を消しそうになる。しかし、突如として映像の男は歩みを止め、一歩、また一歩と後退し始める。最初こそはゆっくりとした動きではあったが、次にはその場から逃げ出すように反対側へと駆けて行く。
誰も映っていない映像が数秒ほど流れる。が、すぐさま次の登場人物が姿を現し、映像の中心で直立をする。
よくよく見てみれば、その人物は先程の背広姿の男と同一人物だと分かるが、その姿形は先の状態からは逸脱し、髪は乱れ、服ははだけ、口元や首元には赤黒い液体が大量にこびり付いている。
映像の男は片足を引きずりながら前進を始める。まるで、何かに吸い込まれる様に彼は歩みを続け、当初の目的を果たすかのように画面外へと姿を消していった。
再びスクリーンが紺色の画面へと切り替わる。かと思うと、男は間髪を入れずに再びリモコンを操作し直ぐに次の映像が再生される。
緑色に塗装された金属製の扉を正面から撮影した映像。壁の雰囲気などから、先の映像と同じ建物内で撮影された物であると思われる。扉は固く閉じられている。
10秒程経過した段階で、映像内の場所を照らしている蛍光灯からの照明が次第に点滅し始める。
点滅の間隔が短くなり、それが更に10秒程続いた段階で物理的に暗転する。それは先の照明の不具合よりは長くは掛からずに復活し、再び緑の扉が映し出される。
閉じられていた筈の扉が開かれ、中の様子が映し出されている。
その扉の向こう側には小さい窓があり、そこから入る日の光だけが暗い部屋の中を明確にしている。
一部の情報から察するにこの区画は何かの倉庫であり、扉からの道筋を避ける様に積み上げられた段ボールと金属製の籠の端が見えている。
カメラの真正面に位置する場所に一体のマネキン人形が立っている。
腰から先は鉄棒状のスタンドで構成されたタイプのマネキン人形が扉の向こう側で鎮座し、頭には足元まで到達しているであろう毛髪がある。
薄暗い部屋の影響により正確な全貌までは分からないが異常な状態で彩られている事だけは窺える。
映像越しではそれがウィッグなのかマネキン人形から直で生えているものなのかは分からない。それ以外は何の変哲もないただの人形である。
またも照明が点滅する。そして、再び暗黒が訪れる。
が、それはすぐさま解き放たれ、とある男の顔面が映し出される形で再開される。
その男の顔は真っ赤に濡れ、それは彼の口や目から滾々と溢れ出している。
男の叫び声。再びの暗転。そして、映像が終わる。
「次が最後です」
スクリーンの前に立つ男がそう言い、再びリモコンを操作する。
そして、最後の映像が映し出される。
先の倉庫の中を映した物と思われる。若干見覚えのある段ボールや鉄製の籠などが、またしても監視カメラを彷彿とさせる天井近くからの画角で納められている。
またしてもそこに1人の男が現れる。無論、一番最初に映し出された男と同一の人間であり、しかしその背格好はまだ真面な頃のままである。
そんな例の男が、この倉庫の中に何かを運び込んでいる様子が映し出される。それは一体のマネキン人形であり、先の映像内の物と同一の物品であると思われる。
男がマネキンを置き、長い黒髪のかつらを被せる。これにより、先に映し出された映像に納められていたマネキンと同様の状態へと移行する。
ここで、最後の映像が終わる。
「見てもわかる様に、あのマネキン人形はこの映像の男が作り出した物だと言うのは明白です。つまり、今、我々のいるこの倉庫にて噂されている怪現象はこの男の手によって生み出された物だという事です」
男がまたもリモコンを操作し、再び紺色の画面へと切り替わる。
「事の発端などありはせず、この映像制作会社において噂されている『呪いの人形』など存在しないのです。にも関わらず、我が社ではあまたの目撃情報や被害が跡を立ちません。ですが、そもそも、大元となっている事件も、発端も、この会社には何処にも無いんです。では何故? 何故、この人形の呪いは生まれたのでしょうか?」
質問を投げかける男がスクリーンの前に立つ。そんな彼の顔面は真っ赤に濡れ、充血した目からは今も尚赤い涙が溢れ続けている。
あの映像の中で活動していたあの男が、今この場にて実体を持って存在しているのだ。
「なのに、何故私は......呪われたのでしょうか?」
男が一歩前に踏み出し、今もなお稼働し続けるプロジェクターへと近づく。そして、徐にそれを載せている台を倒したかと思えば、そのまま床に膝をつくように倒れ込む。
そして、床に落ちたプロジェクターが彼のいるこの区画の中を朧気に照らす。
男の眼前。そこには例のマネキン人形が立っていた。しかし、それはこの区画内に存在している人形の一部でしかなく様々な形の黒髪を抱えたマネキンがこの場に屯していたのだ。明らかに広すぎるこの空間ににおいて、夥しい数の人形たちが今も彼を見つめている。そして、その人形たちの顔面にはそれぞれ異なる一枚の写真が貼り付けられ、凄惨な事件が起きたのであろう殺人現場の様子が残されているのだ。
ある者は頭が砕かれ、ある者ははらわたを床にぶちまけ、またある者は体の節々があらぬ方向へと捻じ曲げられている。皆が皆、老若男女問わずに、揃いも揃って死んでるのだ。そして、それらの死体たちの首には例外もなく、恐らくはあの映像に残された会社の社員証と思われるタグがぶら下げられていた。
「最初は、ただの悪戯だった」
男が、零す様に語る。
「新作のモキュメンタリーの資料を集めたかった......! 噂を流して、社員の皆がどんな反応を示すのか知りたかっただけだった......!」
遠くで、誰かの笑い声が聞こえる。
「君達は嘘だ......! その証明もした......! なのに、どうして......!」
男が、まるで彼を見下ろすように立ち続けているマネキンの顔を覗き込む。
「君は、一体どこから来たんだ!?」
ぶつんという音と共に、周囲は再び暗闇につつまれた。