記事構成協力: yzkrt yzkrt 氏、H0H0 H0H0 氏、notyetdr does not match any existing user name氏、kskhorn kskhorn 氏、本村 智裕氏
ご協力いただいた方々にこの場を借りて感謝申し上げます。
Voila Voila 氏の主催するTouhou Challengeに参加します。使用楽曲は「信仰は儚き人間の為に」です。
天宮帝華は「思い出のエピソード」をパトロンに教えてもらいました。「思い出の品」であるロザリオを見つけました。それでも何も思い出せていません。つまり、彼女は「妹」に直接会う必要があります。しかし、「妹」は財団の高位職員なので、一介のアナーティスト(異常芸術家)に過ぎない彼女が会うのは容易な事ではありません。
企画案「色の無い迷路」が存在しない件についてのヘッドカノン解説
1998年以降、基底世界とは異なる道を歩んできた98カノンにおいて、全く同じ芸術作品が存在する方が不自然だと考えました。芸術作品というものは芸術家の歩んできた人生が反映されるため、歴史の変化によって受ける影響は大きなものとなります。事実、死の終焉カノンでは基底世界ではあり得ないような芸術作品が作られています。
祈りというのは本質的に祈る主体本人のための行為であるという点については個人的に好きな主題であり、面白いと感じました。
ですが、せっかく1998年カノンであるならば"神の不在"という文脈に対してもっと深いアプローチができたのではないかと思い、物足りない印象を受けました。勝手に過剰な期待をしているだけでもありますが......。しかしそれでもわざわざカノンを採用するのであれば、そのカノン特有の世界観("世界に対する捉え方"を意味するほうの用法です)に沿った何かがほしいなと私は思います。特にこの作品は主題が芸術なので......
また、これは構成的な部分への言及となるのですけども、"神の不在"と"妹の不在"は文脈として相似の意味関係にあると思うのですが、"神の不在"が掘り下げられていないせいで"妹の不在"が印象として浅くなってしまっている可能性がある気がします。
"信仰は内省を通して自己を再確認する機能を担う"というのが帝華の結論ですが、その結論への導線が引けていないのもあるかもしれません。結局お前なんでその考え方に至ったのん?というのが読者に伝わっていない、ないし共感を得られていないのかなあ、と......。
[以下ちょっと考えて思いついたので追記したものです。読み間違えていたらすみません]
"信仰それそのものが大事なもの/アイデンティティである→たとえ対象が存在せずとも信仰心を発揮し祈る(自己と対話する)ことでそれを取り戻せる"という構図なのかと思いましたが、祈る対象と大事なものはそれぞれ別っぽいのがそのあたりの錯綜の原因かもしれません。いっそそこを一緒にしてしまうと妹の不在もうまく拾えるかもしれないなぁと思いました。
眠れていないままで書き込んでいるのでしっちゃかめっちゃかでしたらすみません。以上参考になれば幸いです!
御批評いただきありがとうございます。
せっかく1998年カノンであるならば"神の不在"という文脈に対してもっと深いアプローチができたのではないかと思い、物足りない印象を受けました。勝手に過剰な期待をしているだけでもありますが......。しかしそれでもわざわざカノンを採用するのであれば、そのカノン特有の世界観("世界に対する捉え方"を意味するほうの用法です)に沿った何かがほしいなと私は思います。特にこの作品は主題が芸術なので......
今回の記事は"神の内在"がテーマとなっているため"神の不在"について掘り下げることは難しいですね......ご期待に沿えず申し訳ございません。わざわざカノンを使った理由としては、98カノンという神の外在や信仰の資源利用が当たり前になっているカノンにおいて神の内在や資源利用ではない信仰の形を描いたことで特色を出せたと考えています。
"信仰は内省を通して自己を再確認する機能を担う"というのが帝華の結論ですが、その結論への導線が引けていないのもあるかもしれません。結局お前なんでその考え方に至ったのん?というのが読者に伝わっていない、ないし共感を得られていないのかなあ、と......。
目覚めた時に薄っすらと残っていた"自分の大切なモノの記憶と想いを奪われた感覚"が辿り着いた理由なのですが、企画案を書いている段階ではその事を完全に自覚できない状態であるため導線を引くための文章を書くことは出来ないと考えています。