『HASUMA'S 24 HOURS CHALLENGE Theme 5「クリシェ」』参加作品です。
ソース: https://www.flickr.com/photos/35801495@N06/4437146842
ライセンス: CC BY 2.0
タイトル: Lemonade Sales on the Vivid Image Front Lawn
著作権者: Vivid Image
公開年: 2010
補足: 使用に際し、加工しています
子供が死ぬ理由を入念に書きすぎている感があって、「子供が犠牲になります。そして子供が犠牲になります。加えて、子供が犠牲になります。」と言われているようなしつこさを感じました。特に補遺が顕著です。
×ばつギロチン」です。非常に単純です。そのため、何か付け加える必要がありました。しかし、被害の起点となる「窓口の中に頭を突っ込む」という状況、そしてレモネードスタンドにおける「子どもが集合する」というイメージを考慮すると、子どもが犠牲になる展開以上にマッチする流れはありませんでした。(窓口の仕切りに頭を突っ込む大人の存在は否定しませんが、やはりそうした行動を取るのは子どもだと思います)
(ここからが返信の本題ですが)子どもが死ぬ理由を執拗に書いているのは、「子どもを犠牲にする」という軸を徹底し、現実に即した状況であるが故の犠牲だということを強調するためです。不条理的展開を「そうなっても仕方がない」という現実的な理由で無理やり成立させるためです。(レモネードスタンドはアメリカの文化なので、子どもが関連するという文脈を読み取れない読者もいるかもしれません。その補完を兼ね、オブジェクト特有の状況設定について説明している、という面もあります)
現状でも絞られた文章量からさらに子どもに関する記述を減らすことは、子どもが犠牲になるまでのプロセスを省き、記事を成立させている軸を脆弱化させるという意味で危険だと考えます。むしろ、「どうせ子どもを犠牲にするしかない」と割り切っていたので描写にブーストをかけましたが、ある種の執拗さが伝わっているようなら何よりです。
当時は何も知らなかったんですけど、レモネードスタンドは小児がんにまつわるチャリティー活動で行われることがあるといいます。
実際にはそうじゃないタイプ(ただ参加している子どもが自分たちの利益だけを目的としてやる方式)も混在していますし、条件を見るにおそらく小児がんチャリティー型では起きないように指定されてはいるんじゃないかな〜とは思っています