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作成者: zhang kaiyv
ご批評頂いたkumer1090 kumer1090 様に、この場を借りて感謝申し上げます。誠にありがとうございました。
また、本記事は「KanKanの(10月)信仰コンテスト」「インドマンチャレンジ201910 不殺」エントリー作です。
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タイトル: sasidome.png
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公開年: 2019
global-occult-coalitionタグを世界オカルト連合タグに差し替えておきました。
ガツンと殴りつけられるようなよい記事だと思います。ミスリードがうまい・・・・・・。
拝読しました。
全体に非常に面白いのですが、ただ一点やばすぎるところがあるので当面NVとさせていただきます。
静的カシミール力の喪失は、ZK-クラス:現実不全シナリオを即座に発生させかねないものです。この宇宙の真空エネルギー自体(カシミール力はその現れ)を否定すると、宇宙の根本から変わってしまいます。
オブジェクトが何らかの形で「喪失させたかのように見せている」あるいは「別の原理で補填している」場合、前者では他の現象と矛盾が生じますし、後者でもオブジェクトを中心とした別宇宙が発生することになりかねません。
以上、ご参考になれば幸いです。
ご指摘頂きありがとうございます。結構軽く決めてしまったので、さすがに宇宙をぶっ壊す意図は無く焦りました...。ひとまず影響少なさそうな「ペルチェ効果」に変更してみました。再度ご確認頂けましたら幸いです。
確認いたしました。
こちらも強く言い過ぎた模様です。
アノマリーの起こす現実改変は主流科学の埒外にあるので、事更に主流科学を持ち出すのもどうかと反省しました。
非常に面白かったです。ただkumer1090さんの指摘に同意します。ですが、半神実体というのも個人的にしっくり来ません......何か現人神のニュアンスも含めたカテゴリーらしい名称にするといいと思いました。そして、変更した上でメタタイトルを「現人神」などにしてもいいのではないでしょうか。いまいちイサナギ系の名前タイトルなのは、いつも通り感があってもったいないと感じます。
中国支部の読者から熱い考察文が送られてきたので、翻訳して転載します。
(査読協力: BenjaminChong)
私は今、様々なことを考えている。結局、宗教は善なのか?それとも悪なのか?宗教で一体何が成せるというのか?なぜ我々は未だに宗教を必要とするのか?(無論、カルト宗教はこの範疇に含まれない)
私は三武一宗の法難や中世、十字軍、両眼以外を黒いヴェールで覆った女性...などといった事実を否定したいわけではない。これらは宗教が我々にもたらした災難であり、文明史上における暗黒の数ページであることを、私は否定できないし、誰も否定できないだろう。
これらの点を除外するとして、宗教は果たして本当に無益なのだろうか?無益ならば、なぜ改革のみ行って、直接それをひっくり返そうとはしなかったのだろうか。民衆を鎮めるためだけにあるのか?「私の毒薬、彼の糖蜜」といった類の弁解のためだけにあるのか?はたまた、財団や他の組織が、彼等にそうさせたのだろうか?
私はジョン・キーツがどうして科学が天使の翼を断ち切ったことに嘆いたのかを思い出した;「忘れられし者の楽園」に如何にして土着神が現れたのかを、自分の祖国がどうして巨額の金や宝石、貴金属を持ち出して、寺院や宮殿を修繕したり、移築したりしたのかを思い出した......その資材と金銭をほかのことに使うのではなく。
だが、私は長らく答えを得られなかった。誰も答えてはくれないし、答えられるわけもなかった。
それでも、私は落ち着かないままでいた。
私は神を信じない、私は神の存在を信じない。遠足で寺社に行った時も、私は拝んたことがなかった。個人的には、自分は宗教と最も無縁な人間だと思っている。
だが、私はこれが理由で宗教に反対している訳ではない。
私は当初、これを自己の性格のせいに、身分や地位、階級のせいにしていた......だが、今になって私は理解した。
思うに、私の問題の答えは、いわゆる「物事の発展の規律性」であり、同時に、物事の両面性も含まれている。
起・承・転・結というのは、何でもそうであり、宗教でも、命でも、あらゆるものがこの過程にあてはまる。
何かが突如湧き上がるなんてことはないし、突如消え去るなんてこともない。絶対に何らかの原因がある。大変滑稽でおかしな話でさえ、原因は存在するものだ。
この規律を無視する者は、いくら良いスタートを切れても、良いことを成し遂げることはできない。
むやみにスピードを出したり、事の進行を遅らせたり、ハナから一刀両断したりするのは極めて愚かな行為だ。「愛ゆえの行動だ」と言いながら害しかなさないし、「憂いている」と主張しても仇にしかならない。
そうではないだろうか?
文化の伝承がすでに絶たれていると言えなくもない某国を見れば、無闇に速さだけを追求して掲げられた三面の旗(=総路線・大躍進・人民公社、中華人民共和国建国初期において実施した実態を無視した政策。これらの政策が原因で中国の発展が10年遅れたとされている。)を見れば、誰がそうでないと言えるだろうか。
どんなものでも、「善」と「悪」の両面性をもつのではないだろうか。
例えば、「一人が一振りの刀を持っている」という一文だけを見て、その良し悪しを判断できるのだろうか?
「悪」という側面が消滅すると、「善」という面、ないしその物事自体が消滅する。
思うに、これが答えなのだろう......。
柃は愚かではないと私は考える。彼女にはいくらかの特異性があった。最後は兵器に改造されてしまったが、彼女は巫女としてするべきことをしたまでであった。そして、宗教を信ずる者たちも、決して愚かではない。彼らは様々の理由で宗教を必要とし、それを信仰するのだ。例え宗派が林立し、互いにせめぎ合ったとしても。真に愚かなのは「彼ら」......SAPHIRや、神の名を借りて侵略する人でなし達、そして大自然の法則を無視して無闇に物事の発展を早めようとする人たちだ。
つまり、こういうことである。
私は第二の日奉柃が現れないことを願っている。いや、当の日奉柃も、存在する必要はない。
私は彼女が安息を得ることを、彼女のビジョンが終ぞ実現しないことを願っている。
私はサファイアの光芒が完全に消え果てることを願っている。
......以上です。
Agt.GYAKKOU
十一月六日夜にて
追記: fennecistさんが仰る通り、訳註3は「幻想郷」でした(PMにて確認)。
翻訳いただきありがとうございます...!めちゃくちゃ嬉しいですね。
返礼を書きましたので、以下に掲載いたします。
よくぞ私が早苗さんを念頭に本作を書いたと見破りましたね!!
"物事の両面性"...私の思うところを表す、良い言葉だと思います。あの仏陀も「物事は中道、ほどほどが良い」と言っていました。SAPHIRが所詮テロ集団と断じられている(SAPHIRハブの中ですら!)のは、その両面性を許容する事ができない愚かさが内部で煮詰まっているからです。"宗教は善なのか?"、この疑問自体は妥当なもので、思索することでより実りある考えが得られる可能性があります。それと同じくらい"宗教は悪なのか?"という命題を追求することも尊いはずです。どちらにも与せず、「疑わしきは、疑え。」という姿勢が科学であると私は考えます。それを蔑ろにし、自らの信条すら不徹底であるが為、SAPHIRは一流の科学者集団ではないのです。
私はSAPHIRという団体の主義主張が嫌いです。私は宗教家では無いですが、宗教(とそれのもたらす文化や道徳心)は人を豊かにできますし、許容と相互理解を試みる姿勢は最大数の平穏を守ると信じています。ですが、同時に私は(記事を書くくらいには)SAPHIRという団体に惹かれており、(賛同はしかねますが)いくらかの共感を持って彼らを見ています。彼らの在り方が、あまりに"人間的"だからです。
宗教は人を豊かにできますが、歴史上は酷い争いの種でもありました。それには様々な理由があったかと思いますが、どれも根底にあるものは他者を許容しきれない人間の心の弱さだと考えています。この"弱さ"は、好ましいものではないですが、同時に最も"人間らしさ"が現れる部分でもあると思います。私はそのような人間味のあふれる姿に同情的で、一種の愛おしさのようなものさえ感じるのです。
SAPHIRには、そのような人間の弱さや愚かさが詰まっています。同時に、弱い市民の立場にも関わらず困難に立ち向かう人間の高潔さも兼ね備えています。このようなギャップと、しでかす事の迷惑さが、彼らを魅力のある要注意団体足らしめているのだと私は思います。
そんなSAPHIRという団体を通して、私はSCP-1343-JPの中で人間の弱さを描きたいと思っておりました。SAPHIRは平気で他人を改造しますし、利益が無くなった途端に村人は柃を見捨てます。柃当人も、あれ程信じ続けようと縋った神を最後には捨て、村の歴史と文化、ついでに居合わせたGOC職員の尊厳も消滅させてしまいました。辛い時、他者を攻撃し物事を台無しにしてしまう、そのような人間の心情を少しは描けたと思っています。
ですが、できれば現実の世界では、この作品のような人々には登場して欲しくないとも私は願っています。
この願いを託すため、私は作中に柃の希望となる"神"を残してきました。「不明な品種のイネの種籾9~22粒の低頻度かつ不定期な出現」。作中の他の箇所では1度も言及されず、ただ柃の後ろで発生し続けるだけの些細な現象です。これは弱り果てた神の残滓なのです。
「不明な品種のイネ」...品種管理が行き届いた現代において、品種不明なイネは神代の時代の古代米に他なりません。「種籾」は豊穣の神の恵みの最も代表的な例でした。「9粒」は"苦"を訴えるコミュニケーションの試みであり、「22粒」は柃が収容後に迎えた22歳の誕生日に贈られた心ばかりのメッセージでした。腐敗し干からびてしまった神は、それでも柃を想い、柃の背後に未だ居るのです。受ける信仰を失った今もなお、神はまだ柃を見放してはいないのです。
もちろん、これは神の実在性の証左にはなりません。柃は一種の現実改変者ですから、これも柃の無意識下の心残りが生み出した幻影かもしれません。ですが神の有無はともかく、この現象について作中に記すことには意味があると考えています。柃の中には、拒絶を止め"神"と向き合い、抱擁または決別を自分で選べる余地が残されているということなのですから。
このような事を書くのも、SAPHIRと、人間の愚かさがあってのことです。サファイアの光芒が完全に消え果てることを願っております。しかし、物語や知識の上で、あのサファイアの光芒は忘れられるべきではありません。柃の将来と、願わくば安息を切に祈ります。
......以上です!
SCP-1343-JP作者
Sanks269