いくらかの誤字脱字、衍字が見受けられます。一度念入りに推敲を行った方が良いでしょう。
祝詞にノイズをかけるのは、祝詞の間の文を読むのを妨げて効果的でないと思いました。
Kiryu様、ご批評ありがとうございます。
気になった誤字脱字・衍字を訂正しました。
祝詞のノイズ構文については、趣味です。
残させてください。
ご批評ありがとうございました。
誤字脱字などのチェックを行いました。
おのれらは、あの日輪の元に死ぬ。
下
靖国神社の方から、数えきれるほどの人波が
数え切れぬほど
主上の前に固まった賀茂らはの一層
賀茂らは一層
だがしかし、行列の更新は止まない。
行進
賀茂はさらに声の声量を上げ
「声量を上げ」で十分ではないでしょうか。
ひときわ大きな胴間声が響いた、
読点ではなく句点ではないでしょうか。
何万、何十万にもなろうという人々の列が我、
割れ
私は、病弱で公務につけなかった父に代わり、私は公務に当たっていた。
「私は」はどちらか1つで十分ではないでしょうか。
晴明ら登場後に見られる「戦」と「戦さ」
統一した方が良いかもしれません。
面白かったのでuvさせていただきました。祝詞の演出も厨二心を擽られます。陰陽師コンビかっこいい。
一点だけささいな提案があります。
先々代の明治帝には伊藤博文のような強力な政治的助言者は存在しなかったのが彼の不幸であった。
ここの文に混乱が見られます。この文のみを読むと、明治帝が誰も頼れなかったように読めてしまいます。
前後の文脈を鑑みると、彼=昭和天皇でしょうし、明治帝は部下を頼れたが昭和天皇は部下を頼れなかったという対比を行っているようなので、
先々代の明治帝には、伊藤博文らを初めとする老練の政治家達が側仕えしていた。しかし、彼の周りには一人とて頼れる助言者は居なかった。それは彼にとって不幸だったろう。
ぐらいにしておくと分かりやすいかと思いました。あくまで提案なので参考程度になさってください。
質問、というよりは確認なんですが
大日本帝国興隆の時代、明治三年。明治政府は巷間に蔓延る淫祠邪教の排斥を掲げた。
そして最初に修験道を、次に陰陽道に対し、禁令を発したのだ。これは、徳川幕府時代に幕藩側に付いた妖術者、その残存分子を排斥するためでもあった。
しかし、これによって陰陽寮の組織は空中分解を起し、人員の多くは蒐集院に吸収されてしまった。そして陰陽寮中枢に居た陰陽師たちを、皇室は抱え込んだ。
それが晴明院である。もともとは、皇室の超常物品の管理を行うのが彼らの任務であった。
少なくとも超常行政機構としては、弱体であると言わざるを得ない。しかし、皇室は彼らを保護した。
理由は明白だ。皇室は、基本的に超常行政及び超常機関と一定の距離を保つのが通例とされた。
要は、あまり信用することができなかったのだ。だからこそ、一番弱い勢力のみを抱え込んだ。結果、晴明院は枢密院の下部組織として、枢密院の呪術的守護を行う超常機関として再出発を果たした。
私は、先達から伝え聞いた話を思い出した。
晴明院は大陰陽師安倍晴明が作り出した国家機関であったと。
そして晴明院は、陰陽寮の内奥に存在し、安倍晴明より直接の指揮を受けていたと。
蒐集院もまた陰陽寮の内奥に存在し、陰陽寮没落後に拡大されたのだと。
そして、先達は賀茂にこうも語った。
蘆屋道満こと道満法師は、法師陰陽師を率いて律令制に反旗を翻し、滅んだ。
しかし、実は道満は生きており、安倍晴明と手を携えて五行結社を作ったのだと。
この二つで書かれている『清明院』が同じ組織だと仮定した場合、
- 明治三年以降、安倍晴明は陰陽寮が崩壊すると皇室の指揮下に入る形で『清明院』を作った。
- しかし秘密裏に蘆屋道満と五行結社を結成していた。
- 玉音放送の後、五行結社は国家機関であることを辞め世界オカルト連合に加盟した。
ということでよろしいのでしょうか。私が間違えていたら申し訳ありません。