呼子鳥

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クレジット

タイトル: 呼子鳥
著者: ©Transcend_man Transcend_man
作成年: 2024

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John Doe 2021年04月04日 (日) 19:42:36 #82671496


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アキちゃんが亡くなった交差点。

初めまして、パラウォッチの皆さん。

僕の名前は、佐々木 翔太です。ええ、こちらからは画面の向こう側にいる皆さんの苦笑いは見えませんよ。尤も、仰りたいことは何となしに伝わってきます。まずは誤解を解きましょう。これはインターネット初心者の取るに足らない失敗談でも、他愛のない戯言の類いでもありません。これは、僕という人間が"僕"であり続けるための存在証明であり、社会の一員として真っ当な人生を歩むために故郷の市長から与えられた、戸籍にも記されている嘘偽りのない真実です。

お気付きの方も居られるでしょうが、僕は棄児 — いわゆる捨て子という奴でした。ですから、誰一人として僕を捨てた両親の所在を知らないどころか、彼らの名前や国籍すらも未だに分かっていません。どんな退っ引きならない理由があって、赤ん坊だった僕のことを寒空の下の河川敷に置き去ったのか知る由もない。

そういった経緯から児童相談所に保護され、乳児院に預けられた後の捨て子には、2つの選択肢が待っています。養子縁組をして里親に引き取られるか、最寄りの児童養護施設に預けられるか。僕は後者の方でした。確かに自分で選んだ道ではなかった。けれど、施設での賑やかな生活はそれ程悪いものではなかったと思います。その点だけを見てみれば、捨て子にしては恵まれている環境だったのでしょう。

さて、僕の預けられた施設には、他の子達から"アキちゃん"と呼ばれていた女の子が暮らしていました。

彼女の名前は、倉本 彩季子と言います。しつこいようですが、これは社会の一員として真っ当な人生を歩むために故郷の市長から与えられた、彼女の戸籍にも記されている嘘偽りのない真実です。血の繋がった両親から名前を授かることのないまま、世界に生きるを強いられている。僕と似た境遇を抱えた女の子です。施設の子供たちの殆どは酷い虐待を受けていたり、もしくは家族を事故や事件で亡くしたことが切っ掛けで引き取られた子ばかりでした。僕やアキちゃんのような、産まれた時から天涯孤独の身の上は存外に珍しいケースだったようです。そんな2人が施設の中で出会い、誰よりも早く打ち解けて竹馬の友になったのは、ごく自然の流れだったと言えるのかもしれません。

思い返せば、アキちゃんは昔から不思議なところが多い子でした。今でも強く印象に残っているのは、"季節の中でも春が嫌いだ"というお話です。どうして? と聞き返す僕に、彼女はこう返しました。

「春は出会いの季節だから、その度に自分の名前を教えなくちゃいけないでしょ」

どうやら彼女は、"倉本 彩季子"という名前を気に入ってはいなかったようです。季節が春となれば、日本に暮らす学生にとっては入学式の時期になります。とりわけ、初対面のクラスメートに名前を名乗らなくてはいけないのが苦痛だったと零していました。

「ショウタは自分の名前が嫌じゃないの?」

彼女にそう訊かれた僕は、そんな風に考えたこともなかったと答えました。物心の付いた頃から、僕の名前は"佐々木 翔太"です。名付け親の市長が、部下である市役所の職員にパワハラ発言を繰り返した問題を追求されて辞職に追い込まれた時にも、僕はなんとも思いませんでした。

「子供のための想いが込められていない、私たちの名前は記号でしかないんだよ」

アキちゃんはとても悲しそうな顔をして、ぽつり呟いたかと思うとそのまま走り去っていきました。彼女は誰にも明るく気丈に振る舞っていた子だったので、その小さくなっていく後ろ姿は忘れられない記憶になっています。

彼女が自身の名前を気に病むようになった原因について、特に心当たりはありませんでした。僕より1つだけ年上のアキちゃんが、無事に18歳の誕生日を迎えて独り立ちをした後にも、ささやかな疑問に対する答えが見付かることはなかったんです。いっそ、死ぬまで知らない方が良かったのに。

そうですね。前置きはこれくらいで充分でしょうか。ここからは、僕がパラウォッチに身を寄せる切っ掛けとなった出来事について話していきます。

アキちゃんが退所した次の年には、僕も晴れて18歳になったということで、地元の高校を卒業後は上京して専門学校に通う予定になっていました。その頃にはアキちゃんと連絡を取る回数も少なくなっていましたが、春からの新生活に向けて色々な準備に取り組んでいた中、久しぶりに彼女から一通の便りが届きました。

曰く、「私も今は東京で暮らしてるから、ショウタが上京する日に待ち合わせでもしない?」とのこと。

僕としても、心の何処かでアキちゃんに会いたいという想いが無かった訳ではないので、わざわざ断りを入れる理由はありませんでした。いえ、恥ずかしながら白状します。彼女に対して、かねてから友人以上の好意を寄せていた事実は隠せません。ともあれ、二つ返事で彼女の誘いに応じた後に、とある喫茶店の前で落ち合うことになりました。

そして、いよいよ待ち合わせの当日になり、待ちに待ったアキちゃんとの再会を果たした時に何が起こったのか。スレッドの始まりに載せられた画像のキャプションを読んでいる皆さんは、大方の想像が付いていることでしょう。

この画像の場所は、アキちゃんとの合流を予定していた喫茶店の前にある交差点です。僕は約束の時間よりもかなり早めに到着していたので、店の前でスマホを弄りながら適当に時間を潰していました。時折、交差点に備えられた信号機から、カッコウの鳴き声が聞こえてきました。目の不自由な人達に、歩行者側の信号が青になったことを知らせる役割を持った音響式の信号機です。カッコー、カッコー、カッコー。淀みのない、甲高い鳴き声が辺りに響いていましたが、それに僕は少しだけ違和感を覚えました。なにか、別の鳥の鳴き声とも人間の囁き声とも取れるような。言うなれば、奥の方にざらついたノイズが混じっているような感覚でしょうか。

信号機に付けられた音声装置の調子が悪いのかな。そう思って顔を上げると、交差点の向かいに青信号待ちをしているアキちゃんの姿がありました。すぐに彼女も僕の存在に気付いたようで、こちらに笑顔を向けながら手を振ってきました。僕も途端に嬉しくなって、何度も手を振り返します。カッコー、カッコー、カッコー。ちょうど、信号機が青に変わったことを告げる鳴き声が響いてきました。

彼女は1人、交差点の横断歩道を早足で渡ろうとしています。周りにいた通行人の面々は皆一様に驚いたような表情をしていて、その中には彼女の歩みを引き止めようと、咄嗟に腕を伸ばした方も居たようです。

「ショウタ、私の名前は......」

それが彼女の発した、最期の言葉でした。

歩行者側の信号機は、青になってはいませんでした。横断歩道の真ん中に差し掛かったあたりで、彼女は直進してきた大型トラックに衝突されて、僕の立っていた場所から完全に見えなくなるまで身体を吹き飛ばされていました。全てを理解する前に、僕の視界はぐらついて、心臓と肺は凍てつくような鋭い痛みに襲われます。ですが、それ以上に僕の両耳は目の前に広がる光景を否定しようと必死でした。

あの時、僕は確かにカッコウの鳴き声を聞きました。事故調査の際に担当の警察官にも伝えましたが、他の方の証言では彼女とトラックの衝突時にカッコウの鳴き声を聞いた者は自分以外に報告されておらず、おそらく音響式信号機が誤作動を引き起こした可能性は低いだろうと教えられました。

決して認めたい訳じゃない。だけど、そんな我が儘は通じない。僕だって分かっていました。あの鳴き声が、信号機から発せられたものではないことなんて。カッコウの鳴き声に混ざっていた、ざらついたノイズは彼女が轢かれる直前、成人した男女の声となって、愛おしそうな声色で知らない女性の名前を呼んでいたから。

今朝は、アキちゃんの命日でした。事故のあった交差点に、彼女の好物だったお菓子と花束の供え物を持って行きました。カッコウの鳴き声は、相も変わらずに青信号を告げていました。僕は、腹を痛めて産んだ赤ん坊の人生を放棄して、たまたま拾った人間の善意にその子の運命を委ねるような身勝手は許せない。だから、どれだけ彼らが聞き慣れない僕のものらしき名前を使って、すぐ耳元で優しげな言葉を囁こうとも、彼女が手を振る交差点の向こう側に渡ろうとは考えなかった。今はまだ、そう思えています。

僕の名前は、佐々木 翔太です。

彼女の名前は、倉本 彩季子でした。

遂に僕の心が根本から折れそうになる瞬間が訪れて、僕の人生、アキちゃんと同じような結末を迎えることがあったとしても、その真実だけは皆さんに覚えておいて欲しいです。

どうか、宜しくお願いします。

ページリビジョン: 16, 最終更新: 16 Mar 2024 14:04
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