コンドル

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評価: +9

クレジット

Title: コンドル
Written by: psul psul
Written in: 2019
Translated by: 2MeterScale 2MeterScale
Translated in: 2023
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評価: +9

塗りつぶしただけみたいな空に、無表情な太陽が浮かんでいた。ジェイムズ・ブラッドショーは軋む空港の階段に足を踏み入れ、そしてやってきた熱気に再び意表を突かれる。一度目はブエノス・アイレスで飛行機を乗り換えたときだ。やはり、二月の夏には慣れそうにない。舗装路の周りに生えている乾ききった草が、熱風に煽られて身をよじった。
寝ぼけているみたいな空港のターミナル。彼は上着を腕にかけて、レンタカーの標識を探した。かすれた紙の広告に「ようこそ、ネウケンへ!1977年も良いお年を!」とスペイン語で記してある。数字の一の桁に厚くインキが塗られていた。去年のものをそのまま流用したということだ。ジェイムズは皮肉げな笑みを浮かべた。
レンタカー屋までやってきたところ、ジェイムズは己の喉の渇きを自覚した。旅行鞄を地面に下ろす。白い塵が舞う。空っぽの駐車場に一人ぼっち。ジェイムズは辺りを無為に見回す。それで、今度は何をすればいい。自問自答。コンタクトをとるべき人間がここにいるはずだった。「ボストンからブエノス・アイレスに、そしてネウケンへと向かって、コンタクトと会合せよ」ジェイムズの受けたこの司令が、とつぜん空虚になったみたいだった。こんなところで突っ立っている場合ではない。ジリジリと灼くような日差しが降り注ぐ。ジェイムズは、まるで晒し者にでもなったかのような気分になった。
目元に影を作り、そしてターミナルの方を振り返る。誰もいない。本当に大丈夫か? 視線の主は友好的か、それとも
鋭く何かを叩く音が、ジェイムズを現実に引き戻した。レンタカー屋の中から響いたものだ。しかし、中は見えない。日光が窓を鏡めいて不透明にしているからだった。躊躇。ジャケットの下の冷や汗。再び音。今度はいくらか軽かった。ジェイムズを促しているみたいな音だった。いや、釣ろうとしているのか。ともかく、どうにかせねばならない。
古びた小屋の中では、小さな扇風機が熱い空気を掻き回していた。折りたたみテーブルの向こうに女がひとり。彼女は四十代半ばで、細身。そして顔には笑み。海軍の制服をオリーブ色の肌の上にまとい、その黒い双眸をこちらに向けていた。

「お兄さん今日も良い午後ネ」

彼女は英語で言った。聞き取れるかどうかという程度に訛っている英語だった。
実のところ、ジェイムズはスペイン語に堪能であった。しかし、彼はわざわざ外国語で話してやる気にもなれなかった。

「中にお招きいただき、ありがとうございます。いや、外は暑くて暑くて」
「お助け要りますか?」

彼女は意地を張って英語を使い続ける。ジェイムズはバカにされたみたいな気分になった。

「実のところ、問題はありません。ただ外で何をするでもなく待ってただけなもんで」

何か情報を取れるほどの明確な動きはなかった。ただ彼女が冷静すぎただけかもしれない。しかしジェイムズは即座に雷めいて理解を得た。合言葉を言いそびれている。
急いで符牒を口にする。

「つまりその、私は建築家でして。だからネウケンの歴史ある教会を見て回りたいんです」
「"嘆きの聖母"が一番古いネ。でもキレイなのは新しい教会のほう」

合言葉を確認してからも、彼女は不機嫌そうな顔でいた。やがて彼女はスペイン語に切り替えて、バカにしたような口調で言い放つ。

「あんた大丈夫かい? 飲み過ぎでもしたのか?」

ジェイムズは抗議の声をあげようとした。しかし、彼女は手を振ってそれを制止する。

「ぶつくさ言う時間なんてないでしょ。あたしはベレン。とっとと探しに行くよ、あんたの車をね」

言葉が終わるのを待たずに、彼女はさっさと外に出てしまっていた。
ジェイムズは彼女についていく。駐車場を横切るうちに、その辺に引かれた白墨が二人の足跡となって地べたに残った。ベレンは少しだけ立ち止まる。彼女は首元のアスコット・タイを緩めた。爽やかで熱い日光が、オリーブ色の肌を照らす。

「アルゼンチンには来たことあるのかい?」
「ありませんね」
「みんな冬の山が綺麗だって言うけどね、あたしゃ夏のが一番だと思うよ」

ジェイムズは気づいた。彼女の笑みは彼以外の者に、そして彼女の身振りや手振りは、隠れているかもしれない観客に向けられていた。

「この業界、長いのかい」

鋭い質問だった。ジェイムズは自分の挙動を振り返り、そして贅肉で膨らんだ腹を一目見る。彼はベレンに見抜かれたことを恥じた。しかし、少なからず彼女が自分のことを信頼していることはわかった。この小馬鹿にしたような態度を隠さなかったからだ。
ジェイムズは足を止める。髪の毛の根本を撫でる汗が、少しくすぐったい。

「私は研究員です。私がここに居るのは、異常物を研究しているからです。フィールド・エージェントだからってわけじゃありません」

彼は圧された様子で言った。

「先行くよ」

ベレンの表情は安心した様子だった。しかし、その声からは心配がにじみ出ている。

「それじゃ、司令部はあたしら二人を窯に放り込んだってこと? アメリカ人がフィールド・エージェントを望んでたところ、科学者先生がねえ」
「アメリカ人? ということは」

ジェイムズは思わず疑った。
二人はゆるい坂道を歩く。その向こうには縄めき連なって停まっている車列があった。真昼の陽光が空港を照らしている。周りのがらんどうには、ただ切り裂くみたいな蝉の声のみが満ちていた。

「ただアノマリーを軍の連中に渡して、国民の皆様がぶっ殺されんのをぼーっと見てるわけにはいかんじゃないか」

ベレンは笑った。

「アメリカ人はな、SIDEのことを信用してないんだ。例のブツをうまく使えるわけなんてないってね。だから奴らはお守りなんてことをやってんだよ。大っぴらにはできないがな。連中は財団のことも見張ってるぞ。だからあんたが来るって知ってんのさ」

暑い。にも関わらず、ジェイムズはぞわりと鳥肌が立つのを感じた。
車列の間を縫うようにして歩く。その間も、ベレンは口を止めなかった。

「今や軍隊は例のブツを民間人に対して使ってやがる。芸術家や教授のセンセイ、時には教会に向けてだ。次の目標は土工の兄ちゃんで、労組のリーダーでもあるオーグスティン・ヴァルレラ。いつになるかは知らんが、モタモタしてる時間なんてないぞ」

ベレンはその辺で作られたみたいなジープの側で歩みを止めた。渋い色の塗装はところどころ剥げていたり、擦り傷がついていたりする。そのまま彼女は助手席側のドアを開け、畳まれた地図を引っ張り出した。ジェイムズはボンネットの上に手を置く。なにかに寄りかかりたい気分だったのだ。

「つまり、私は奴らが例のブツを使おうとした時になんとかして回収してくれば良いわけですね。場所は?」
「ヴァルレラは、ロス・メヌコスの南東60マイルのとこの建設現場で働いている」

ベレンは地図を指し示した。

「制限速度は気にするな。でも高速はやめとけ。雄大な自然の中で、アルゼンチンでの滞在をぜひともお楽しみになってください」

最後の一文は、少し大きな声で発せられた。英語でだ。貼り付けたみたいな愛想の良さが戻ってくる。ふと、気がつく。どうして、車の後ろから男が一人出てきているのだろうか。どうして、こっちに向かって歩いてきているのだろうか。
男はすでに近づききっていた。彼はスペイン語で、この者がアメリカ人かどうかを聞く。ベレンは男に体を向け、そしてジェイムズにハンドサインを出す。地図を持っている左手で。誰も右手に持たれたナイフに気が付かなかった。
男は一歩踏み込む。逆手の一突きが彼の喉を切り裂く。ナイフは深々と喉に突き刺さった。ビチャリと湿った音。男はうずくまった。ベレンは瞬時に体勢を低くした。ナイフが彼女の手から離れる。そのまま、ベレンはジープの下を転がり、姿を消した。
ジェイムズは凍ったみたいに固まった。男はひざまずき、血にぬめったナイフを抜こうと自分の首元で手を藻掻かせていた。やがて、男の腕は力なく垂れる。無駄な足掻きだったようだ。
二人目の男がジープの後部をクリアし、ジェイムズを視認した。そして彼の相棒が死んでいるのを見て、二人の方に向かう。ジャケットの中から何かを取り出そうとした。
二歩。ベレンが男の背後に出現する。彼がちょうど今通り過ぎた車の後ろから回ってきたようだ。ベレンは全体重をかけて男の右膝を蹴りぬく。たまらず、男は崩れ落ちた。ベレンのアスコット・タイが男の首に巻かれる。男が地に伏すまでの間、彼女はタイを強く引く。そして男の頭をジープに叩きつける。膝を背中に載せ、男の顔を砂利敷に突っ込んだ。ベレンはタイをキツく締めた。
一分にも満たない時間の間に、ベレンは二人殺した。車に遮られて、目撃者はいないだろう。蝉の鳴き声が辺りを満たす。
まるで一年間かそこら、息をしていなかったみたいだ。ジェイムズは息を切らしてしまう。具合が悪くなりそうだった。ベレンはジェイムズを無理やり立たせる。

「だから時間がないって。ほい、鍵どうぞ。あたしは片付けをせにゃならん」

一瞬、ジェイムズは血のことかと思った。そして、彼女の制服に白い塵が付着していることを認める。呆然としたままジェイムズは頷き、鞄を拾い上げた。ジープの運転席に座ってみると、革製の座席が温かいことに気がついた。
ベレンはジェイムズに地図を渡す。そして、彼のことを少しだけ見つめた。何か結論を得たようだった。

「もしかするとだけども、司令部はフィールド・エージェントがほしいんじゃなくて、ただ運が良い奴を送ってきたのかもしれんな」
「運が良い、と言うと」

ジェイムズは空返事を返す。
ベレンは死体を指さして言う。

「つまりね、コイツラが素人じゃなかったらどうする? もし真っ先にボスに連絡したら? 二人以上居たら? いずれアメリカ人がここに来る。それで、あんたがこの二人を殺ったってことを知る。今度は慎重に来るぞ。プロの連中を送ってくるんだ。でも、それには時間が要るんだ。だから、あんたは運が良い奴なのさ」

まったく有り得る話ではない。それを聞いたジェイムズは、笑いがこみ上げるのを感じた。しかし、ふと気がつく。ここから先は、一人なのだろうか。

「あなたは来ないのですね」
「行けるわけないね。一人なら、あんたはただの観光客。でも、あたしら二人なら? 目立ちまくりだ。アメリカ人があたしにインタビューし終わるのを待ってから、見つけに行く」
「建築現場と言いましたね。なんて名の町です?」
「名はない。ただ新しい町を尋ねろ。そうしたら見つかる」

彼女は丘を指さした。そこから始まるのだろう。すべてが。
ジェイムズの思考はガラス片めいて辺りに散らばっていた。シートベルトが、少しの安心をもたらす。エンジンを回し、その鳴動を感じる。

「すまない。本当は感謝をするべきでした。......つまり、私はその、本来はクソ。私の言いたいことはおわかりでしょう。財団は私を遣いに出すべきじゃなかったんだ。イエス様の名に誓って聞くが、この異常物は何がそんなに重要なんです?」

ジェイムズの言葉に、ベレンは確信できない様子で首を振った。

「これはアノマリーについてのことじゃない。あたしはソレが何なのかすら知らないんだぜ。奴らがどれだけあたしらから奪い取ったかわかるか? 奴らが、アメリカ人が、ロシア人が。あたしらはもう取り戻せないのさ。一片たりとも」

ジェイムズの中に怒りの感情が噴き上がる。

「それも今までだ。私には何も知らせず、ただ命令に従え。そういうことだな。意味なんかないだろ。こんなもの。財団はもう死に体だ。なぜ私まで道連れにならなきゃいかんのだ」
「なぜ、だと」

ベレンはあと少しでジェイムズを引っ叩くところだった。

「瓦礫の山にも、守るべきものはある。だからじゃないのか。おまえの小さな自尊心よりも大きいものが回ってんだよ。財団はただオブジェクトを収集しているだけかもしれない。でも、それはあんたがここに来た理由じゃない。あたしらはあんたの知識が必要なんだ」
「何だと? どういうことだ」

ジェイムズの怒りは消えた。代わりに、少しの恥ずかしさが頬を熱くする。

「アノマリーの回収なんかじゃないってことだ。これはもっと個人的な問題だよ。オーグスチン・ヴァルレラはサイト-12で15年働いていた。軍の連中はあたしらの身内を狙ってんだよ」

ジェイムズが何か言う前に、ベレンはジープのドアを二度叩いた。

「行け。高速は使うな。......よい旅を」

彼女は身を翻した。そして、停まっている車の間に姿を消した。

やがて、ジープが丘の頂上に到着する。どこまでも平らな大草原が日に照らされて、西に広がっていた。無限の青空に、黒点が三つ円を描いて飛んでいた。ジェイムズは視線を下に下ろす。チェンジレバーを前に押し込み、そして太陽に向かってエンジン音を響かせた。

ページリビジョン: 7, 最終更新: 23 Apr 2023 05:35
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