「オッサン、あんま待たせんなよ。また人事評価下がるぞ」
「悪ぃ悪ぃ。もう一口で終わっからよっ......と」
丁度足元に転げ落ちた火種を潰し、焦げ付いたフィルターだけになった煙草を灰皿に投げやりながら、オッサンがこちらに向き直る。「どんなモンも最後の最後まで楽しまなきゃ損」がポリシーらしいが、他人と足並みを揃える融通は利かせて欲しい。
「急ぎの招集だって聞いただろ。連絡受けてから動き出すまでに、一分もかけんなよ」
「あのなボウズ、『急ぎ』の招集と『緊急』の招集は違えんだ。前者なら、ちょっと俺らがのんびりしたところで上司の眉間に皺が増えるだけだ」
なんて能天気さだ。信じられない。
......ああ、全く以て信じられない。このオッサンが、機動部隊のエリート隊員だってことも。任務の際に見せる精悍な姿も。──その正体が、要注意団体から送られたスパイかもしれない、ということも。
オッサンとの出会いは丁度一年前だった。正式に機動部隊に入隊した俺に対して、「指導役」として割り当てられたのがこの男。
「俺はくどい事、面倒なことが嫌いだ。一々、『大林さん、おおばやしさん』なんて間延びした呼ばれ方をされてると、全身がむず痒くなってくる。だからお前は今後、俺のことは簡潔に『オッサン』と呼べ。俺も、そのイガグリ頭に敬意を表して、お前の事は『ボウズ』と呼ぶ」
挨拶の直後に言われたことがコレだ。その瞬間に、「オッサン」に対する俺の敬意なんてものは消え失せた。
「てめぇは前のめりになり過ぎだ。物事はもっとじっくり最後まで、俯瞰して見るべきなんだ。最終的に、そっちのが面倒事が少なく済む」
初任務。要注意団体支部の制圧の時、オッサンにかけられた言葉。逃走する敵の追跡に夢中になっていた俺は、足元のトラップに気付かなかった。あの時オッサンが俺の腕を引いていなければ、俺の脚は義足になっていただろう。少し、オッサンを見る目が変わった。
「ボウズの癖して、なんもかんもしょい込もうとすんな。俺ほどじゃなくてもいいが、もう少し楽な考え方をした方が良い。ヤなこたぁ一旦、酒でも飲んでパァ〜ッと忘れたらどうだ? 飲み方は教えてやる。どうせ世間の学生と違って、そういう遊びもしてこなかったんだろ?」
脱走したオブジェクトの鎮圧に参加した際、俺のミスでサイトに必要以上の損害が出た時にかけられた言葉。ある程度任務に慣れてきたが故の、油断があったのだと思う。ありきたりな話だ。周囲も俺を責めなかった。けれど俺は羞恥と罪責に押し潰されそうになり、財団から離れようとすら考えた。
それでもオッサンは、無神経に俺のそばに居続けた。話す内容は時代錯誤なものばかり。ウザったいことこの上ない。なのに、何故だかそれが心地良いとも思えた。後から知ったことだが、先の件では俺の代わりに、オッサンが色々後始末をやってくれてたらしい。俺の指導役が、オッサンで良かったと思うようになった。
「初めて会った時と比べると、大分顔つき変わったなぁボウズ。こう言っちゃなんだが、俺ゃあ誇らしいね。お前はもう、どこに出しても恥ずかしくない、我が部隊の新エース候補だ」
一月前、俺が入隊して一年が経った日にかけられた言葉。振り返ってみれば、俺がここまでやってこられたのはオッサンの存在があったからだと思う。心底からありがたいと思っているし、俺のことを「誇らしい」と言ってくれたのも嬉しかった。
まあ、そんな小っ恥ずかしい心情を打ち明けでもしたらオッサンがイジってくるのが目に見えるから、決して態度には出さなかったが。それに、普段のだらしない姿を見ている分、未だに「敬意」とかは抱けない。オッサンの言葉に対して俺はシンプルに、ごく簡潔に「ありがとな」と述べただけだ。それでも、ガシガシと頭を撫でられたのがくすぐったくて、頬の弛みは隠せなかったけど。......ともかく、今後もオッサンと上手くやっていけたら良い、色々教わりたい。そう思っていた。
そしてつい先日、財団から「お前の指導役は、要注意団体から送られたスパイの可能性がある」と告げられた。
スパイを差し向け、差し向けられ。要注意団体との腹の探り合いは日常茶飯事だ。故に、財団は定期的に各職員の行動を監査し、経歴の再確認を実施している。そんな中で、オッサンの経歴に関して不自然な過去・認識改変の形跡が見つかったらしい。そこで諸々の技術を使って正確な情報を洗い出してみれば......なんとヤツは、俺と同時期に財団に入ってきた、ベテラン隊員でも何でもないペテン野郎だったのだとか。
一応、行動面に関してはこれまで怪しい素振りを見せたことはなかったらしい。それなら、まだオッサンがスパイと決まった訳ではないんじゃないか、と声を上げたい気持ちはあった。だが、自身の経歴を偽っている時点でソイツが信用できる筈がない、ということも十分に理解していた。俺はこの後、オッサンを財団のお偉いさんに差し出さなければならない。
「......ったく。なんだって模範的財団職員の俺が呼び出しを受けなきゃいけねえんだ。後輩とのコミュニケーションタイムを大切にさせろよな」
「アンタが模範的ってんなら、不品行で注意受ける職員は居なくなるだろうな。あと、俺とはまぁ、いつでも話せるだろ」
のしのしと、体を揺らしながら不服そうにオッサンが歩を進める。こいつは常日頃から気だるげな姿を見せているが、今日の足取りは輪をかけて重そうに見えた。
「いやぁ、お前が入隊してからもう一年経ったし。『指導役』も、そろそろお役御免さ。そうなりゃ今ほどは会えなくなるだろう」
「そうか、そいつは残念だな。アンタの酒臭い息を浴びながら大昔の自慢話を聞くことも、そうそうできなくなりそうだ」
「ははっ、言うようになったなぁボウズ!」
初任務で、オブジェクトの鼻っ柱を拳でへし折ってやった話。危険生物がうじゃうじゃいた異常空間から、一人だけ生還した話。こいつの経歴が偽物だったと言うのなら、それらも全て嘘偽りだったのだろう。結局、俺はこのホラ吹きのことを何一つ理解してこれなかったのか。
「......なんだかんだよう。この一年、俺も良い経験させてもらったぜ。人生色々あったが、『人を導く』なんてことは初めてだった。絶対向いてねえ仕事だと思ってたんだがな」
「ああ。実際、アンタはそういうの向いてない。俺が保証する」
「......まぁなんだ。それでも、何事もやってみるべきだな、うん。お前も絶対に縮こまらずに、物事にはぶつかって行けよ。その調子なら大丈夫そうだがな」
「そうだな。オッサンといて、そういう大胆不敵さ?みたいなのは人一倍、身についたと思うよ。本当に、感謝してる」
オッサンがその細い目を、似合わないぐらいに丸くした。俺が真正面から礼を言うの、そんなにおかしいかよ。
「──そうだ。もうコレ要らねえからさ。お前にやるよ」
そう言うと同時に、紙箱を投げ渡してきた。ついさっきも吸っていた、お決まりのメビウス。
「まだ結構残ってるじゃんか。俺、別に普段は吸わねえのに」
「まぁ持っとけって。また会った時、もし余ってたら返してくれてもいい。あれだ、餞別みたいなもん。大人になったボウズがこれから頑張っていけるように、ってな。んじゃ、またな」
ダラダラと喋りながら歩いていたのに、もう招集場所に着いてしまったようだ。おそらく、このドアの先でコイツは即座に拘束され、その後は......俺には分からない。けれど、もう二度と会えないんだろうということは察せられる。
「......知ってたんだろうな」
扉の先に消えていく男の背を見て、そんな言葉が口から零れていた。これから先、俺は何をすればいいのか。その場に居座るのも何となく心地が悪くて、ぼんやりとこれからの事について考えながら俺は足を動かしていた。
適当にぶらついた足の先に喫煙所があった。元々ここはこじんまりしたサイトで、所属人員は全員顔見知り。その中でも煙草喫みは少なく、喫煙所の面子は固定されている。それ故か、俺がガラス戸を開けると先客には少し怪訝そうな目を向けられた。
軽く挨拶をしてライターを借りる。こうして煙を燻らせるのは数カ月前、オッサンに飲みの席で一本もらった時以来だった。火を点け、煙を口に含み、ゆっくりと気道に落とす。肺に灰が降り積もるような感覚。これがどうにも気に食わない。すぐに二口目を愉しむ気にはなれなかった。
静かな場所でただ立ち上る煙を見つめていると、色々なことが頭に浮かんでくる。確かにオッサンは、機動部隊のベテラン隊員でも何でもなかったんだろう。それでも奴の言葉一つ一つには、なんというか、説得力があった気がする。年相応か、あるいはそれ以上に人生経験を積んだ人間じゃなければ、あんな言葉は吐けないだろう。
多分、これまでもスパイか何かとして、色々経験してきたのは嘘じゃないんだ。一年アイツの姿を見てきて、そこについては確信している。
一年。一年か。それだけの期間を共にしてきたというのに、俺はオッサンの真意について全く見抜けなかった。それは財団も同じ......かもしれないが、思い返してみれば「指導役」という枷があったこともあり、オッサンが特に機密性の高い任務に参加したことはなかった気がする。もしそういった任務を担当させるようなことがあれば、経歴の確認はもっと念入りに行われていただろうし、結局、オッサンもただ財団に泳がされていただけ......なんなら、都合の良い人材としてこき使われていた、とさえ言えるかもしれない。
「オッサン」の存在は財団にとって、取るに足らない小さな火でしかなかった。俺の手元、煙草の先端の赤い光。灰皿に押し付ければいとも簡単に消えてしまうソレを見ていると、なんだか気の毒に思えてしまう。
それでも。その程度の存在であっても。もし隣に燃えやすいものがあれば、そちらに火が移ることはある。そうだ、俺は火を移されてしまったんだ。
再三になるが、オッサンの真意がどんなものであったかは知らない。都合の良いコネの一つとして育成しようとしてたとか、そんな所かもしれない。けれど、俺が財団で熱意を持って日々を過ごせたのは、アイツのおかげなんだ。全ての火元はアンタなんだ。なあ、火を点けておいて、そのままどっか行くんじゃねえよ。どっか行くなら、ちゃんと始末してから行けってんだ。
財団から招集を受けた理由、本当は全部分かってたんだろう? その場でなりふり構わず、なんなら俺を人質にするなり殺すなりして、逃げようともがくことだってできたはずだ。どうして最後まで「指導役」らしい姿ばっか見せやがったんだ。いっそ、こちらを嘲笑いでもしてくれた方が胸が空いたってもんだ!
......それでも、そうしなかったってことは。オッサンも、少しは俺との日々を気に入ってくれてたんだろうか。それは都合の良すぎる考え方だ、そう分かってても、そんな気持ちを捨てきれない。スパイ相手に絆されるなんて屈辱でしかないが、それでも、アイツに残されたものを手放したくないと思ってしまう。
結局、煙草には殆ど口をつけられなかった。気づけば種火は灰皿に落ちていた。俺はそれをわざわざ潰すこともできず、ヤニの香りを纏いながら喫煙所を後にする。
アイツが俺の心に残していった、燻り続ける小さな火。なあオッサン、俺はこいつをどうしたらいい──?
暗い室内。「分割精神並行送信システム RP-G」──そう彫刻された巨大な機械と、老若男女が入った無数の培養ポッドに埋め尽くされた空間。そこに男女二人の声だけが響く。
「あっ、やば。32号と35号も財団にバレちった。最近は二カ月ももたないなぁ」
男は自身に接続された機械を外し、ゴーグルから顔を出す。少年のようにも青年のようにも見える顔つき。黒のスウェットに縒れたジーパン。印象としては「平易」そのもの。彼はそんな男であった。
「承知いたしました。結局、これまで重要な情報の入手はできていませんし、そろそろ、この手法での情報収集も限界かもしれませんね」
女は苦々しい表情を浮かべながら機器を操作している。ディスプレイに映るのは、彼らが「人形」を用いて得た財団の内部情報の数々。
「ま、別の手法もそう簡単には用意できないでしょ? とりあえず次のヤツを送ろうよ。今度は堅物エリート博士と、ドジっ子新人職員とかどう?」
「......前者はともかく、あまり目立った性格の人間を演じることは推奨されません。それと前々から思っていたことですが、それぞれの『人形』を切り捨てる判断が遅すぎます」
「いやいや! 『ドジっ子』ってキャラ付けがあれば、色々やらかしても大目に見てもらえるかもしれないじゃん。あと僕、どんなことも最後までしっかりやり遂げたいタイプの人間で──」
瞬間、室内の壁が砕け、強い光が差し込んだ。
「......よぉ。会いたかったぜ、オッサン!」
「......よく来てくれたじゃねえか、ボウズ。なんてね」
即座に財団の機動部隊が室内になだれ込む。女は壁面のパネルを操作し、大慌てでどこかへ連絡を行なっているようだった。
「財団舐めんな。近頃頻繁に見つかるスパイ野郎共、全員とっ捕まえて解剖バラしてみりゃあ、みんな素体が同じクローンで、どこか一か所に信号を送ってた形跡があったと来た! どいつもこいつもテメェが操る、盗聴器付きのお人形だったって訳だシャバ僧が!」
「ありゃあ、ちょっと調子乗りすぎちゃったか。しょうがない。ほら、降参だ」
男が覇気なく両手を掲げる。それを確認した一人の機動部隊員が前に出ようとするが、「ボウズ」と呼ばれた隊員に制止させられた。彼は胸元のポケットを弄りながら、ニヤケ顔で口を開く。
「そうだ、返してえモンがあったんだよ。ホラッ!」
「ボウズ」によって投げられたのは煙草の空箱。それが弧を描いて男の足元に落ちる──その直前。
奔る、赤い閃光。一瞬にして空箱はその形を失い、塵となった。罠があったなんて。そんな言葉を漏らす隊員を横目に、「ボウズ」は男に向き直る。
「皮肉だなぁ、オッサン。テメェに教えられたことがこんな状況で活きてくるとは。もうそっちの負けだ。大人しく降伏してくれ」
「......確かに、ここまで辿り着かれた時点で僕たちの負けではあるかもだ。でもさ、ここで君たち全員返り討ちにすれば無問題だよね? 惜しいなあ。僕、20号──年長者のロールも君との生活も、けっこう気に入ってたのに」
男の言葉の後、全ての培養ポッドが爆ぜ、機械が火を噴き始める。壁面からは数多の銃口が突出し、女の「証拠隠滅・防衛システム、全て稼働させました!」の声と共に、室内は炎と弾幕の海となる。たじろぎ始める機動部隊員たち。そんな中で、「ボウズ」はただ一人不敵に笑い、前へ出る。
「やってみろよ。テメェには聞きたいことが山ほどあんだ。檻ン中にぶちこんでから、じっくり話し合いといこうやァッ──!」
あの日消しきれなかった小さな火は、ついに恐怖すら呑む炎となった。