クレジット
協賛アーティスト募集:
特別展示企画『Are We Fool Yet?』
私はいい加減、"狂気の殺人芸術家集団"というレッテルに飽き飽きしているのです。致死的な芸術作品などとうに時代遅れの産物であり、今さらそんなものを作るのは例のフレーズを引用したいだけの芸術家気取りくらいでしょう。しかし嘆かわしいことに、芸術を知らぬ者たちが話題にするのはいつも、我々の真っ当な活動よりも素人製の陳腐な殺人モンスターの方なのです。
断っておくと、私はありきたりな道徳話をしたいわけではありませんし、歴史的傑作を現代の倫理観から否定するつもりもありません。そんなものはどうでも良いのです。ただ私は、芸術が猟奇趣味を慰める為の、見世物小屋の道化のように扱われることに我慢がならないのです。例えば、あの『鮫の不在』がありふれたスリラー映画のモンスターのように解されることは非常に残念でなりません。あれは単なるアノマリーとしてではなく、群衆心理に与える影響まで計算に入れて設計された作品なのですから。
とはいえ、前提となる美的教養がなければそうした作品の意図や背景は理解しにくいものであり、異常性や外見に依った表面的な鑑賞に留まるのも無理からぬことと言えるでしょう。こうした現状を踏まえて、今回私が主催する企画展『Are We fool Yet?』では、専門的な知識を持たない鑑賞者に向けて、芸術への理解を促進する展示を行う予定です。つきましては、本展示にご参加いただけるアーティストを募集しております。企画の趣旨に賛同しご協力いただけるという方は以下の宛先まで一報ください。ご連絡お待ちしております。
概念異常芸術家コンセプチュアル・アナーティスト リリー・リリエンタール
「やあやあ、リリエンタールさん。今日はどうぞよろしく。」
展覧会開催当日の朝、8時55分。待ち合わせ時刻の5分前には落ち合うのが彼らの間では通例となっていた。そうした待ち合わせが成立する芸術家仲間というのは、お互いにとって唯一の存在であった。
「こちらこそ、本日は宜しくお願い致します。ミスター・ジョーダン。この度は本企画にご協力頂き心より感謝申し上げます。」
リリーは高く掛けた金縁の丸眼鏡が落ちそうな程に深々と頭を下げた。彼女の慇懃な態度に、ジョーダンと呼ばれたその背の高い色黒の男は若干のたじろぎを見せる。
「いやいや、そう畏まらずとも。堅苦しいのにはこちらが参ってしまう。」
「ああ、失礼。こうして同志を見つけるのに相当苦労したものですから。何しろ大抵のアナーティストは大衆を馬鹿にしていて、理解を得ようなどとしませんもの。」
「ま、僕たちがアナーティストの中でもちょいと変わった方だってのは、言い逃れようのない事実だろうね。はてさて、変人集団の中の変わり者ってのがマトモな人間なのか、それともそれ以上のイカレ野郎なのか。なかなかの難問だ。」
たわいもない会話を続けながら二人は目的の建物に向かう。その画廊は小さいながらも、洗練された雰囲気を漂わせていた。来場者の数はまずまずといったところだ。会場の白い壁面に沿って、異常芸術家 ジャン=ジャック・ジョーダンの絵画や彫刻が一定の間隔で並べられている。無機質でありながら文字通りの意味で生命力を帯びた、超現実的な作品だ。しかしそうした展示の中に一つ、周囲と大きく趣きを異にするものがあった。
「おや、あれはお宅の作品かい?今回展示するのは僕のだけだと思っていたのだけれど。」
その作品は赤い球体の外観をしていた。奇妙なことに、それは展示室の入り口からすぐの場所に置かれているにも関わらず、来場者たちは誰一人として気に留める様子もなくその前を通り過ぎていく。
「ああ、お気づきになられましたか。流石の認知抵抗力をお持ちだ。あれが今回の企画の要です。どう作用するものかは──、まあ実際に体感してもらう方が早いでしょう。」
展示室に足を踏み入れるとその影響は即座に現れた。ジャックは自身の身に及んだ効果を分析する。視界が明瞭になり、脳神経が活性化するのが感じられる。芸術の普遍的な知識が思考に流れ込む。作品の主題が、意図が、暗喩が、瞬く間に理解できる。──ああつまり、これは鑑賞者の美に対する感受性を高めるものなのだ。その結論に自ら思い至ったのか、それとも異常性がそうさせたのかは定かではなかった。
「これは言うなれば、芸術を理解するための補助輪のようなものです。この空間では審美眼に欠ける者であっても、アナートを単なる呪物のように奇妙がるのではなく、美術として真に楽しむことができるようになります。とはいえそれがアノマリーによるものであると分かってしまえば興醒めですから、我々アナーティストのように高い観察力を持つ者でなければ認識できないようにしているという訳です。」
彼らは展示の確認の為に会場を回りつつ、来場者の様子を横目で見る。確かに、その視線からは単なる好奇の眼差しとは異なる、美に対する真剣さを感じ取ることができた。
「へえ、効果はてき面じゃないか。見事な認識干渉技術だ。」
「ええ、狙い通り機能しているようで何よりです。無知な者の思考を知るというのは、存外に骨の折れる仕事でしたから。」
足を止めて熱心に作品を見つめる鑑賞者の姿を満足するまで眺めてから、彼らは先へと進んでいった。そうして展示の終了間際まで差し掛かったところで、二人は奇妙なことに気がついた。出口のそばで何かを囲むようにして人溜りができている。会場の展示物は既に全て通り過ぎているにもかかわらずだ。ジャックは尋ねる。
「あれも君の作品って訳かい?」
「いえ、今回用意したあの一つだけです。......確かに妙ですね。あそこには特に何もないはずですが。」
二人は人溜まりに近づき傍らからそれを覗く。──そこには、何の変哲もない、ただの椅子があった。
「全く、こんなことになるとは思いもよりませんでした。まさか単なる監視員用の椅子を作品だと誤解するなんて!」
来客が去った画廊には窓から長く伸びた光が差し込んできている。その部屋の中で、リリーは先ほどから壁に寄り掛かかって悲嘆の声を上げていた。
「私は大衆の愚かさというものを甘く見ていたようです。素人向けの芸術啓蒙など、端から破綻した計画だったのかもしれません。」
「まあまあ、そう嘆くほどのことでもないじゃないか。展示の評判は上々だ。あの場に来た観客は芸術の読み解き方を知って、もっと作品を見たいと思っただけにすぎないよ。芸術と芸術でないものの見分け方については、君の作品の効力も及ばなかったようだしね。」
ジャックの言葉通り、展示の反響は事前に想定したもの以上であった。しかしその言葉にも、彼女は鬱屈とした態度を崩さないままだ。
「つまり勘違いが生じたのは、私の作品に問題があったせいだと?」
「"せい"?いいや、"おかげ"と言うべきだろう。あれは実に愉快だった!」
突如として声を高くして笑い混じりで話し始めた彼に、リリーは困惑の表情を浮かべる。
「ええと、仰ろうとしていることが分かりません。あなたは大衆の無知を嘲笑うような輩とは違うでしょう?」
「もちろん、それが単なる無知と偏見から生じたものなら何の面白味もないさ。けれど、真剣に作品と向き合って、十分に思考を巡らせた上で出たものなら、たとえ想定と違っていたとしてもそれは価値のあるものだ。いやむしろ、それはある意味、こちらの意図通りに理解してもらうよりも得難いものだとさえ言える。それは芸術家の手を離れた、新たな創造と呼べるものだからね。君の企画に乗ったのもそれが理由の一つだ。どう?僕の考えは馬鹿げてると思う?」
彼は興奮気味に早口でまくし立てる。その瞳は少し潤み、光り輝いて見えた。彼女は苦笑を浮かべながらも応える。
「ええ、ちょっとはね。でも単なる慰めとして言っている訳でないことは分かりました。そうですね、そういう考え方ができるなら......もう少し、この活動を続けてみてもよいかもしれません。」
「そりゃよかった!それでさ、今回のことで新しい作品のインスピレーションを得たんだが、聞いて貰えるかな?君の腕を借りたいんだ。」
「勿論ですとも。ぜひお聞かせください。」
「企画の内容はこうだ。まず観客に作品を提示して、彼らに様々な異常性を想像させる。そして彼らのアイデアを読み取って、実際の作品に反映させるって寸法だ。」
彼の脳内では既に作品のイメージが完成しつつあった。伝い歩きを始めた赤子の像、それがベストだ。ではタイトルは?──その思案の最中に、リリーが口を開いた。
「なるほど。それなら、題名は独創 The Orignal、なんていかがでしょうか。」
彼はニヤリと笑って言った。
「いいね!そいつは最高のアイデアだ!」