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今日はほんとにツいてない

甘すぎた? 「今日はほんとにツいてない」 一杯のコーヒーがまずいとか甘すぎるとかを問題にする。電車が遅れたとか、タクシーがなかなか来ないとかで悪態をつく。ガサガサした現代に生きる僕たちは、何かというと「今日はツいていない」とか「運が悪い」「うまくいかない」とか文句を言ってしまうものだ。ものごとがうまくいかないのを他人のせいにしたり、世の中のせいにしたり。そんなふうな毎日だ。 そんなある日ワイルド・スワンという本を読んだ。「読んだ」などと生易しいものでは無かったかもしれない。これまでこの本を読み始めたことは三回ほどあるのに、いつも途中で投げ出す。それくらい僕には読むエネルギーが必要な本なのだった。今回は、やっと上下巻を通して一気に読み終えた。読んでいる間は、常に心をかき乱され続けた。 著者のユン・チアン(張戎)は、1950年の生まれ。この本は著者の母から祖母の三代に連なるひとつの家族の物語である。著者の家族に次から次へと襲いかかる悲劇。体制を批判した父親は迫害を受け、家族は離散となり地域での労働を強いられる。この悲劇を乗り切れたのは家族の強い絆と深い愛情があったから。この家族の物語を通して、筆者は中国全土を覆いつくした恐怖と混乱の近代史を鮮烈に描き、近代中国史の謎に迫っている。1991年に出版されると、たちまち世界的なベストセラーとなった。 ワイルド・スワンというのは、「鴻(野生の白鳥)」のこと。著者の本名である「二鴻」と母の名前にちなんだものだ。激動の社会に翻弄されながらも、たくましく生き抜いた著者の母。それは、まさに荒れ野の空を駆け抜ける野生の白鳥だ。著者の家族が、関東軍の支配から国民党支配へ、共産党の躍進から文化大革命へと翻弄されていく。泥水や火炎に飲まれながらも、真っ白な心で家族を守っていく。 この家族の物語を知ったおかげで、僕にとって「ツいていない」という言葉は ほとんど意味をなさなくなったみたいだ。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - こんな話を書いたあとで... 実は僕の身の上に、ものすごく「ツいていること」が起こってしまった。 うっかり屋の僕は、このブログを書いていた電車から、椅子にスマホを置いたまま降りてしまったようなのだ。降...

本当に本と言えるのか

これは本当にお茶と言えるのか 僕は電子書籍は嫌いなのだ。これを言い出すと、またもや古い人間のカテゴリーに入れられそうなので、周りの人にはあまり話さないようにしているが、僕は電子書籍にはなにか重大な欠陥があるとずっと感じている。紙に印刷されていないものは本として認めたくない。あくまで感覚的なものなのだが。 電子書籍はエコです。紙の節約はエコです。あなたは本の内容を検索しないのですか。情報を大量に持ち運ぶ時代なのです。時代には逆行できません。あなたの考え方は単に過ぎ去った過去の習慣です。旧弊です過去の幻想です。古いのです。 わかっています。 でも釈然としない。ああモヤモヤする。 こういうモヤモヤは、長く抱えているとある日突然、手品のように答えが出る事がある。今回、鮮やかな答えを出してくれたのは、6月18日(木)放送の「あさイチ」だった。さすがはNHKの情報番組だ。受信料は払っておくものだ。 正確には「あさイチ」そのものではなく、それに出演していた谷川俊太郎さんが、答えを出してくれたのだ。生放送で谷川さんが自作の詩を朗読している。そして自作について語っている。なんて豪華で素敵な番組だったことか。いや、なんと谷川さんが素敵だったことか。僕のぼやけた記憶なので正確ではないが、こんなことを話されていたと思う。 「詩というものは、PCの画面の上にあるだけでは詩にはなりません」 「本という形に印刷されて、それで、活字になった文字や、紙や、表紙などに支えられて、そういうものの力を借りて、詩になるのです」(☆1 / ☆2) これでしばらくモヤモヤは解決。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ☆1:やはり僕の頭に残っていた番組の記憶は相当にいいかげんで、実際の谷川俊太郎さんの発言とは違っていたようです。 谷川さんの「あさイチ」出演は、あちこちで話題になっていて、 HUFFINGTON POSTの記事でも紹介されていました。 そちらから、改めて、電子書籍と紙の書籍について谷川さんが指摘していた部分を引用させていただきます。 「ただ文字データがあればいいだけじゃないんですよ。僕も電子メディアで詩を読むことがあるんですが、味気ないんですよね。意味し...

TVスター

YouTubeで、昔のテレビ番組をいくつか探していたら、いつのまにか偶然に「モンキーズ」のTVシリーズのデータに出くわした。なんとNBCで放送されていたシリーズがほとんどフルバージョンで残っているではないか。ケロッグのCMまで当時のままだ。 早速、シリーズ順に観てみる。全体のストーリーはぜんぜん覚えていないのに、なぜか映像の細部をあちらこちら覚えていた。特に、番組挿入歌の部分は、ひとつひとつのカットにまで見覚えがある。記憶ってすごいものだ。当時はビデオもなく、テレビで一回みただけだと思うけど。 当時の僕は小学2年生。田舎で育った僕には、ビートルズは遠い存在だったけど(当時はほとんど情報がなくて、僕がビートルズを発見するのは中学生になってから)モンキーズは、少ないテレビ放送網を通じて田舎の少年にまで届けられていた。 ビートルズと違って、モンキーズは「テレビによって創り上げられたバンド」と言われる。彼らは、レコーディングでは演奏することを許されず、プロのミュージシャンをバックに歌っていただけらしい。その後いくつかのアルバムが、彼ら自身によって作られたのだが、それらはあまり評価もされず、いつか彼らは忘れられていく。 この話を聞くと、いまならば「捏造のバンド」とか「テレビの嘘」とか言われそう。でも、そんなのいいんじゃないの。今見ても、十分に面白くてエネルギッシュなモンキーズ。まさにテレビが作り上げたスター。それでいいのだ。ファンが自分の夢として大事にしていればそれでいいのだ。それがTVスターというものだ。 メンバーの近況を伝えるインタビュー映像なども出てきた。一番人気だったデイビー・ジョーンズが早世してしまったのは残念だけど、ほかのメンバーはいまも元気そう。当時のゴタゴタはすっかり切り抜けて、すっかり落ち着いた初老のモンキーズ。みな、ジョークだけは健在なのが嬉しい。 ピーター・トークは「創られたバンド」であることに嫌気をさして、モンキーズを一番先に脱退した。彼のインタビューもあった。彼はこんなことを言っていた。栄華を極めたTVスターだけが味わう人生の艱難。それをくぐり抜けた彼ならではの味のある言葉だと思う。 「みんな自分自身のヒーローになれれば、それでいいんじゃない?」

イルカと話す

梅の樹だってコミュニケーションしていると思う イルカは、シグネチャー・ホイッスルと言われる、高音の信号をだして仲間に語りかけるのだそうだ。 これは、イルカ一頭ごとに異なる「名前」のようなもので、イルカはこれをずっと覚えている。久しぶりに会った仲間でも、これで認識するという。イルカが人間と同じように「言葉」を持っていると推測される理由のひとつだ。今月のナショナルジオグラフィックの特集「イルカと話せる日は来るか」で知った。 イルカにとって、コミュニケーションツールとしての「言葉」が必要と考えられるのはなぜか。それはイルカも人間と同様に、集団で生きる社会的な動物だからだ。 社会的な動物にとって、自分が属するグループの動きと同期できるかどうかは自分の生存に関わる問題だ。家族の朝食の時間に起きられない家族メンバーは、朝食にありつくことはできない。会社の会議に出席できないメンバーは出世することはできない。

これは見せられない

じっとタイミングを待ってるアジサイの鉢 朝日新聞の地域総合欄に「光の国から」という連載コラムが続いていて、毎回とても楽しみにしている。「光の国」というのは、あのウルトラマンの故郷のことである。 子どもたちは、それがどこか遠い銀河の向こうにある、ウルトラマンたちの国と信じているのだろうが(私も信じていた)ウルトラマンの故郷とは、実は円谷プロダクションのことにほかならない。特撮の神様、円谷英二先生のもとで育ったスタッフへのインタビューをもとにしたこの連載、実に面白い。 テレビ界に「昭和の大特撮ブーム」を湧き起こした「ウルトラQ」シリーズの制作秘話。第一話として撮影が進められて「マンモスフラワー」のこと。(☆1)この回の撮影、編集作業が終わっての「試写会」での出来事。これを僕はとても他人事とは思えない。 試写が終わって、円谷英二監督は静かに言ったという。 「これは客には見せられない」

オージーな生き方

日本では初夏の到来。しかし南半球では秋まっさかりのはず。ある時期に仕事でシドニーに居た時、私は灼熱の太陽の下でのクリスマスというものが不思議でしかたなかった。5月には秋を迎えてそれからどんどん冬に向かうというのも、不慣れな自分にはとても違和感があった。 またオーストラリア人の「オージー」なメンタリティーにも驚かされた。日本人の精神構造とはちょっと違う、ぼやーっとしていい加減でありながら、大自然に対応するような図太さ、タフさを感じた。 仕事としてのテレビ番組制作に違いはない。オーストラリアであっても、番組づくりというものはストレスが多い。撮影スケジュールが迫ってくると、スタジオではただならぬ緊張感に覆われ、スタッフの人間関係も、プレッシャーの中でだんだんとギスギスした状態になってくる。 ところが、そこで「オージー」な精神がすべてを変える神秘の時間がやってくる。 それは、仕事の終わる夕方の5時。(☆1)

007の仕事も変わりました

スコットランドのスカイフォール 「スカイフォール」を見るとスパイ仕事も隔世の感がありますね。この第23作でシリーズも50周年とか。Qが用意する武器類を見ても、指紋認証付きのワルサーPKK/S、サイバー戦争を戦う最新鋭のパソコン(☆1)、WiFiによる無線爆破装置など、007もITを駆使した闘いが出来なければ、現代のスパイ戦は闘えないようです。 ネット社会では「これからの世界ではコードを書けることが必須」と言われていていますが、まったくですね。次回作あたりでは囚われの身となったボンドは、脱出のためのコードを自ら書いているのかもしれない。これからスパイ活動はITによるインテリジェンスが最重要事項なのかも。私たち庶民の生活だってITを駆使しなければ世の流れにはついていけませんからね。 それに対して、悪者たちがやることの基本は変わっていませんね。2010年にパリで盗難にあった、モディリアニの「扇を持つ女」が、上海のアジトで競売にかけられていました。(☆2)ただし、そこで行われる殺人の舞台は、まるでプロジェクション・マッピングさながらにCGの光の洪水に彩られていました。