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改良してはいけない

近所を散歩していると、紅色のカンナよりも黄色のカンナの方が何故かよく目につく。群生しているのは、ほとんどが黄色だ。 自然界のカンナは、紅色よりも黄色の方が優勢なのだろうか。それとも、紅色のやつは、綺麗なので人間が採取してしまうのだろうか。この絵のカンナもひとりぼっちだった。 千葉市の中央公園で大人気となっているハス池のことで、びっくりするような話を聞いた。あれだけ沢山咲いていたハスも、冬には全て取り去られて、さら地ならぬ「さら池」になってしまうのだとか。

地獄のドキュメンタリー

ビデオが出来て以来、家族の記録を撮ることは当たり前なこと。でも、自分の夫が破産寸前で発狂しそうなところを記録するとなると話は別だ。 映画史に残る大作「地獄の黙示録」をフィリピンで撮影する際に、コッポラ監督は、現地で家族とともに暮らす決断をした。「学校に預けたままにしたら、子供たちが凡庸な人間に育ってしまう」というのがその理由。 そのため、奥様のエレノア・コッポラも、300日にも及ぶ苦難の撮影の日々をともにした。撮影については完全なシロウトだった、エレノア夫人は、ひょんなことから、16ミリカメラを持たされて、本作のメイキング・ドキュメンタリーを撮影することにもなった。 そのフィルムは、たった数分間のメイキング映像として使われるだけの予定だった。しかし撮影の12年後に、それは驚異のドキュメンタリー映画「闇の奥(Heart of Darkness)☆1」として注目を集めることになる。夫のフランシスが恐怖とプレッシャーに襲われ、苦難に満ちた撮影の日々につぶされそうになる姿を、淡々と16ミリフィルムに収めた。 そのままであれば、ただの映像メモの切れ端になっていた、その映像が、ハリウッド映画製作の真実の姿を伝える傑作ドキュメンタリーに化けたのはなぜか。

時代錯誤もいいかもしれない

もしもこの世界が、食べ物やワインで満たされていたならば。 トルクメニスタンという国は、そのように豊かな国なのだとか。 この国について、なにも知らなかった私。佐藤優氏の「インテリジェンス人間論」を読んでいたら、初代大統領ニャゾフについての興味深い文章の中で、この不思議な国について考えさせられた。 ニャゾフの政府は、国民に対して、食料やウォトカなどが豊富に供給されるように計らった。国民ひとりあたりのGDPは低くとも、生活の満足度は高いのだという。独裁制に近かったものの、国民からの政府の支持率は高かった。

ウォーター・ワールド

NASAのホームページを見ると、いまも宇宙人探しは続いているようだ。 宇宙人探しといっても、地球防衛網を突破してくるUFOを探知しているとか、MIBのように、一般市民に紛れて地球征服の陰謀を働いているET を捕まえるとか、そういうことでは無いらしい。 地球から見ると針の先のような狭いエリアでも、実は何千という銀河がひしめき合っているらしい。ハッブル宇宙望遠鏡などが持つ超高性能な眼で見ると、その針の先のどこかに、地球とよく似た環境の惑星がいくつも発見できるかもしれないのだ。

さよならヒマワリさよならロビン

江戸川の土手に向かういつもの散歩道。群生したヒマワリが秋を夕暮れの空に向かって背伸びしていた。そろそろ、ヒマワリともさよならかな。 昨日は、男性アカペラグループ、 ジョリー・ラジャーズ の年に一度のコンサートに行った。NHKの番組の音楽も担当するなど、どんどんメジャーになっている。 後半第三部に、ルネサンス時代の、ものすごく古い宗教曲(☆1)があって、それに引き込まれた。僕の頭の中になぜか映画のシーンがいくつもいくつも現れてきた。それは、いつの間にかロビン・ウィリアムスのヒマワリのような笑顔のイメージにいきついた。 あの笑顔は、おそらく、映画「フィッシャー・キング」でのパリーだな。精神を病んだ大学教授の役。あまりに辛い体験のために精神を病んだ彼は、自分の使命が「失われた聖杯を探すこと」だと信じている設定だった。それが、昨日の宗教曲的なサウンドに触発されて思い浮かんだのだと思う。 現実世界で傷ついたエリートが、無垢な心を持つ道化者に救われる。本物の救済は、無名で無力な者が行う。また、どんな者でも、誰かの救済に身を捧げた時に、自分自身が救済されるのだ。そういうメッセージだったと思う。信じられないほど美しいストーリーなので、この映画が大好きだ。 ロビン・ウィリアムスとジェフ・ブリッジスという、若く才能溢れる二人の演技が素晴らしかった。その無上のストーリーが最高のリアリティで迫ってくるのだ。路上生活をしながら、聖杯を探し続けるパリーの笑顔は、本当にヒマワリのように輝いていた。 もう、二人そろっての演技は見られない。 あなたのいない映画は寂しくなります。 さよならロビン。いい映画をたくさん残してくれてありがとう。 - - - - - - - - - - - - - - - - - -  ☆1: Con Amores, La Mi Madre という曲でした。スペインの作曲家ファン・デ・アンチエタの四声部の曲。邦題は「母さま、私は恋を抱いて」だそうです。

この線を描くのに何年かかったか

30年前に大流行した「ビックリマンシール」が復刻されて人気を集めているそうだ。 渋谷で「ビックリマン原画展」が開かれて、平日の初日にも行列になったらしい。  当時、ビックリマンシールのキャラクターデザインを手がけていた、大坂のデザイン会社「グリーンハウス」のデザイナーさん。当時は当然ながら「手描き」だった。キャラクター太い線を、使い込んだペンで描いた。「この線を描くのに何年かかったか」というコメントが泣ける。  いま、大学で学生さんたちにデザインを教えたりしてるのだが、手描きに挑戦しようというのは、ほとんどいない。よくてもタブレットペン。ガシガシ塗ったり消したりは、まだいいとして、ガシガシとコピペしたり回転したりレイアウトしたり。色だって、一気に変えてしまうこともできる。  反則じゃんね。  そう思うけど、それはそう思う僕が時代遅れ。手描きの時代にはもう戻れない。すべては、タッチパネルやペンタブレットから生み出される。そういう時代になってしまったのだし、もう昔に戻る予感はこれっぽっちも無い。 まもなく、ハサミものりも、ペンも鉛筆も使わない子供たちが育っていくのだろうか。

コップのバジル地球温暖化と闘う

コップの中のバジル。 ちょっとだけかもしれないが、地球温暖化と闘っている。 アマゾンの中心に325メートルの巨大タワーが建設される。そんなニュースを新聞で読んだ。アマゾン・トール・タワー観測所(ATTO)と言って、その周辺の数百キロの範囲についてあらゆる気象データや、二酸化炭素の吸収量などを測定するのだそうだ。 ブラジルを中心にしたアマゾン川流域の熱帯雨林は、地球全体の気象変動に大きな影響を与えるほど巨大。しかし、そのアマゾンの熱帯雨林の年間消失面積は増加し続けている。うーん、とても心配だ。どうすれば、地球を温暖化の一途から救うことが出来るのか。 うちのテーブルに載って、葉っぱを広げているバジル君。この小さな葉っぱも、一生懸命に、二酸化炭素を取り込んで、光のエネルギーを定着してくれている。こんな芸当ができるのは植物だけ。人間は、まだその一部をちょっと真似できるだけ。 今日、僕がはきだした分の二酸化炭素も取り込んでくれるかな。 こんなに働き者なのに、ちぎってパスタに乗せたりしてごめん。