Posts

伝えてあげたいこと

メンデルが住んでいたブルノ(現在はチェコ) メンデルの法則というのは、確か中学校で習う遺伝の仕組みでしたね。そんなにも有名な法則なのに、その論文自体は当時、誰も見向きもしなかったのだそうだ。 グレゴール・ヨハン・メンデルは、エンドウ豆栽培などの園芸と、統計学の両方を趣味にしていて、そのふたつがこの世紀の大発見を可能にした。でも、登場の遺伝学の世界では統計的な表現が理解されにくかった。またメンデルの科学者としての知名度も低く、誰の注意を引くことも出来なかった。

ちっちゃくまとまるなよ

桜、咲きました 今月のナショナル・ジオグラフィックの記事を読んで、ちょっと気宇壮大な心持ちになりました。 アンデスの山が連なる高地に作られたアルマ望遠鏡の記事です。砂漠のような土地に巨大なパラボラ型アンテナが66基も並んでいる。たくさんの眼で同じエリアを見つめ、お互いの画像を重ね合わせることで宇宙の深淵をクリアな映像に描き出すそうです。20年もの月日と、1300億以上の費用を投入した国際プロジェクトなのです。

二卵を以て千城の将を棄てる

イノダコーヒーの中庭 イノダコーヒーでのモーニング。 トーストに乗ってきた目玉焼きを食べつつ考えた。 人事評価的について「減点評価ではなく加点評価」でという話がでることがある。つまり人を評価するのに、失敗したことを減点するのではなく、プラスになったところだけ前向きに評価しましょう。ここで言いたいことは「失敗をおそれずにみなさん勇気を持ってチャレンジしよう」ということである。

明治44年に大学は出たけれど

熟成18年 夏目漱石は、小説のみならす、講演の名手でもあったそうだ。明治44年に明石で開かれた講演会の内容が「道楽と職業」というタイトルで出版されている。 その中で、大卒者の就職難に触れている。当時の大卒者の数たるや、現在とはまるで違うだろうし、社会における職業のあり方も全く異なったはずた。しかし大卒者にとって、就職というものが簡単ではなかった。この点だけは、現代と似た状況であったようだ。 漱石は「最高等の教育の府を出」た若者たちが、「何か糊口の口がないか何か生活の手蔓はないかと朝から晩まで捜して歩いている」。「三ヶ月も四ヶ月もボンヤリして下宿に入ってなすこともなく」しているものや、ひどい場合、「一年以上も下宿に立て籠って」いるものもいる、と嘆いている。 「職業の種類が何百とおりもあるのだから」どこかに決まりそうなものだが、「ちょうど嫁を貰うようなもので」、「いくら秀才でも職業に打付からなければしようがないのでしょう」。もっともな話である。

アイラ島のボウモア18年

ボウモアの港 仙台から高校の同級生のE教授が上京してきた。そうだな、彼と僕との共通点といえば、高校の卓球部で、いつもラリーの練習をしていて、同じ頃に辞めたことかな。専門領域も学力レベルもまるで違うのだ。僕は放送局出身のエンタメ系。彼はいまや日本の物理学を背負って立つくらいの先端的研究者。 彼の研究は先日の日経サイエンスでも紹介されていて、海外の科学誌にも掲載されている。そういう世界的レベルの方。せっかくそういう本人が目の前にいても、研究の内容について、僕は理解するどころか、質問することすら出来ない。歯がゆい。

存在するとかしないとか

高台寺の遺芳庵 今月のナショナルジオグラフィックの特集で、ブラックホールを取り上げていた。アインシュタインは、その存在を否定していたというが、現代の天体観察データによると実際にあるもののようで、物凄い勢いで、物質を飲み込んでいて、光すらもそこから逃げ出せないらしい。 データ上、そこにあると言われても、実際に目で見ることは出来ないんだよね。目には見えない。ということは、僕たちの常識でいうと「存在していない」というものの部類にはいるのでは。凡人の僕にはそのように思える。

日本ではどこに行きますか

大徳寺 高桐院の参道 先日、引退を発表した琴欧洲。引退のインタビューで、これまで一番良かったことは、と聞かれて、「日本に来たこと」と答えてくれた。奥様も日本人で、日本が大好きになってくれたんですね。きっと彼は、本当の意味で日本の良さ、日本人の素晴らしさを知ってくれたんだな。 いまは卒業のシーズン。大学では、お子さんの卒業式に参加するために親御さんが来日されることがある。こうしたお客様との会話で、つい僕は「日本ではどこに行きますか? 京都ですか」とか「北海道もいいですよ」などと、決まりきった観光地の名前を並べてみたりする。我ながらワンパターンで能のない会話。もう少し、日本の本当の良さについて紹介する、気の利いた話はできないのかしら。