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本物らしいということ

この絵は、先日の大阪出張のおりにいただいたオリーブの盛り合わせ。これが本物に見えるかどうかは、ひじょうに怪しい。所詮「絵」なので、本物とは違う。しかし、「本物」と「絵」の間には不思議な関係性がある。つまりは、それを見る私たちという存在の問題。そこにリアリティを見いだせるかどうか。 嵐の大野君。今年の日テレ24時間テレビの中で、スペシャルドラマに出演する予定とか。いまから本当に楽しみである。大野君ほどの演技の達者なタレントは珍しいと思う。「魔王」「鍵のかかった部屋」から「怪物くん」まで、幅広い演技力で魅了してくれる。大野君のすごいところは、それがどんなドラマであっても、そのドラマの世界観に合わせたリアリティを出現させてしまうこと。

運命というもの信じますか

昨日は大学院生13人と一緒に古都鎌倉を歩いた。富士山の世界遺産登録と対照的に、ちょっと落ち込んでいるかなと思いきや、折からの強風もものともせず、たくさんの観光客や修学旅行の生徒さんで、とてもにぎやかであった。特に鶴岡八幡宮では七夕飾りがほどこされ、お囃子の披露などもあって、華やいだ雰囲気に迎えられてとても気分がよかった。 今年の大学院生は留学生が多く、特に中国からの学生さんが多い。サウジアラビアやインドネシアからの学生もいるので、国際色ゆたかな旅行グループとなった。彼らに「ジンジャ」と「おテラ」の違いを説明しつつ、彼らの目に日本の古都がどのように映るのか、こちらも興味津々。しかし心配をよそに、彼らもごくごく自然に鎌倉の擁する日本文化を吸収していたようだ。

時代をつくるのは

駅のホームに貼ってあったポスターを見て笑ってしまった。 男は組織をつくる 女は時代をつくる うまいこと言うな。思わず「そのとおりだな〜」と独りでうなずいてしまった。「男は組織をつくる」というのは、まあ本当だと思う。どういうわけか男という種族は、上下関係を気にしたり、仕事のルールをいろいろと吟味したり。とかく組織として秩序だって動くことを尊重する。どういうわけだろうか。 一方で女性という種族の方たちは、男よりももっと純粋に人生の損得のようなもののセンスが発達していて、男の人とは違う価値観を備えている。だから、普通は「女は家庭をつくる」といいそうなところ、うまいこと「時代をつくる」と来た。確かに、したたかに時代の価値観をつくっていくのは女性なのかもしれない。

パーフェクトワールド

先日来、プログラム中毒になっている。このブログも休みがちになるくらい、パソコンの画面とにらめっこしては、Flashというソフトのコードを書き込んでいる。がらにもなく、にわかプログラマーをやっているのだが、本人には意外と「プログラム」という意識がない。むしろ「動く絵」を作っているという感じだ。あるいは「動く世界」を作っている。 「世界を作る」といえば、大げさである。しかしこれは確かに、なにか自分だけの「世界」を創造しているような気分になる。だから楽しいのだろう。「世界よ回れ」と命令すればその世界は回る。「世界よ止まれ」と命令すればすべてが止まる。すべては自分の書き込む「コード」次第なのだ。偉そうである。しかし、時々大失敗をする。

失踪したくなった時には

むかしむかし「蒸発」という言葉が流行ったことががある。真面目一徹だったサラリーマンが、ある日突然消えてしまう。一家を笑顔でささえていたパパがある日突然消息をたってしまう。誰しも「会社にいきたくない」とか「学校にいきたくない」という気持ちになることがあるだろう。 「男はつらいよ」シリーズ第34作、「寅次郎 真実一路」では、米倉斉加年演じる熟年トレーダー富永が失踪。残された美しい奥様(大原麗子)に頼まれて、人のいいの寅さんが富永の捜索に大奮闘する。牛久から大手町まで遠距離通勤するエリートサラリーマンが、ふと消えてしまいたくなる。マイホームの夢を達成した後、熟年男性を襲う空虚感。そんな当時の世相が鮮やかに描かれていた。

やはりそうか!

このところ、このブログもお休みがちだったのは、ある「お仕事」にかかりっきりだったからなのである。その「お仕事」というものが何だったかというと、それはなんとプログラミングなのであった。アナログ人間のわたくしとしてはガラにもないことである。しかしこれが実に「楽しい」のである。 なぜ楽しいのか。それは、そのプログラミングの作業が、とても創作的だからなのである。オブジェクト指向言語というのだそうだが、コンピュータの言葉による命令のしかたや、ルールの決め方などが、とてもわかりやすい。そして、とても自然界のルールに近いのだ。そこがとても気に入っている。

ただいま消去させていただきました

ただいま焼き上がりました 「ものは言いよう」ちょっとした言葉の使い方で、その印象は大きく変わる。「パイ焼けだぜー」と「パイ焼き上がりました」では、親近感や堅さが変わる。どちらがよいか悪いかは、その時の状況によるだろうけど、とにかく印象が変わる。 言葉づかいの善し悪しを感じるのは、脳のどのへんの部分なのだろうか。ロボットや音声認識装置にしてみたら、その違いを感じるのは大変なことだろう。なのに、僕たち人間は、ちょっとしたものの言い方で、喜んだり怒ったり、感情をかき立てられてしまうのだ。