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幸せである確率

「ユーザー・イリュージョン」という分厚い本を読みました。すごく面白くて一気に読みました。2週間はかかりましたが、その間とても幸せでした。新しい発見が沢山あって、自分の中にすこし智慧が増していくようで。 今では大半の内容を忘れましたが、その中でよく分かった(ような気がした)のがエントロピーの正体について。 エントロピーというのは、簡単にいうと「乱雑さ」のこと。この世の中のすべてのものは「しだいに乱雑になっていく」運命にある。私の部屋もあなたのキッチンも、放っておけば、どんどん汚れて行きます。片付けないかぎり、しだいに乱雑さ(エントロピー)が増すのです。 なぜでしょうか。  「ユーザー・イリュージョン」という本は 、こう言ってます。自然界の中で、物事が「きっちりとした形で並ぶ」確率が低いのは、そういう「きっちりした」パターンになる状態が、その他の「きっちりしない」パターンより少ないからだというのです。私の部屋がきっちりと片付いているという状態よりも、片付いていない状態のほうが、バリエーションが多いのです。だから、しだいにごちゃごちゃになる。なるほどー。わかるわかる。きっちりする状態は珍しい現象だってこと。  

嵐のシンポジウム

メディア学部主催のシンポジウムに参加しました。ソーシャルの時代到来を受けて、 社会企業家による活動を考えるトークイベント でした。台風17号が猛スピードで北上中という悪条件にも関わらず、沢山の参加者で盛り上がりました。 キーノート・スピーカーは、デイビッド・グリーン氏。インドなどの貧困地域での医療活動にあたる。医療活動といっても、医師団を送り込むとか、地域医療の充実とかそういうことではない。いわゆる、市場破壊による医療イノベーションのことらしい。 白内障の手術や、補聴器の購買などは、アジアの貧困地域にとっては、あまりに高額医療である。貧困であるために、治療を受けられずに失明してしまうお年寄り、耳の聞こえない人々を救うプロジェクトだ。 理屈は簡単。医療機器や医療用材料の高騰を作り出して、高利潤をもくろむ大企業の向こうを張り、低価格の製品を生み出す仕組みを起業するのだ。低賃金の労働者を確保し、高水準の技術保有者を雇い、サプライチェーンを抑え、公的ファンドの支援を取り付ける。そして、大企業には逆立ちしても実現不可能なくらいの、低価格の医療サービスを実現するのだ。

ある勝算

フランシス・フォード・コッポラ監督の「地獄の黙示録」。いま観ても画面から発する強烈なパワー。いわゆるベトナム戦争の頃の「問題作」だったのだが、今もなお、その「問題意識」は古びず、訴えかける力は衰えない。 コッポラの奥さんが撮影過程を克明に記録した、素晴らしく面白いドキュメンタリーがある。この中で、コッポラは「この映画はめちゃくちゃな駄作だ」とか「大学で"F"(不可)を取ったようなものだ」とか散々泣きわめいていた。(正直だー) 大金をかけてフィリピンに組んだセットは台風で流されるし、主役は急病で倒れるし、製作予算は底をついて財産は抵当にはいるし。 それでも、コッポラは決して映画の完成をあきらめなかった。彼にはある「勝算」があったから。そのおかげで映画は大ヒットとなり数々の映画賞を総嘗めにした。

闇の奥

この人誰でしょう?  マーロン・ブランド演じる、ゴッド・ファーザー( ヴィトー・コルレオーネ)のつもりです。ちょっと似てないけど許してください。ジェンコ貿易会社の事務所で、ネコを抱いて座っているところですよ(想像)。なぜこの人の表情って怖いのでしょうか。今回、ゴッド・ファーザーDVDボックスの特典ディスクのメイキングを見ていて、やっと分かりました。 ゴッド・ファーザーが怖い理由、 それは彼の「目の表情」がよく見えないということ。 この人の「目」の表情は、飛び出した「額(ひたい)」の影で隠れちゃっているために「チラ」っとしてか見えない。だから怖い。他にも怖いところは沢山ある。なにしろガタイがでかい。ほっぺたがブルドックみたい(口にティッシュをつめた特殊メイク)、声がドスが効いて威厳があるし。でもとにかく一番怖いのが「闇の奥に隠れた目」なのだ。

芸は身を助ける その2

九段の靖国神社。僕はあの場所が好きなんです。それほどの愛国者でもない自分がなぜ?理由はふたつ。大村益次郎の銅像が建っていること。そしてその頭や肩に、たくさんのハトが停まっていること。あの風景を見ていると、大村先生(こう、呼ばせてください)が僕に「日本は平和を守るように」と語ってくれているような気がするんです。 大河ドラマ「花神」。中村梅之助さんが、生き写しのようなメーキャップで、大村益次郎を演じていました。若き村田蔵六が大阪の適塾にて頭角を現し、ついに兵部省次官・大村益次郎となる。このドラマ、大好きでした。だから、僕にとって、大村先生は他人のような気がしない。望遠鏡を持って遠く(上野なんでしょうね)を見つめる銅像。その後ろ姿を見ていると、あのテーマ曲が聴こえてくる。林光作曲のあのメロディー。逞しいチェロの音色。ほんと良い曲だった〜。 ところで、あんな高い塔の上の立派な銅像って日本では珍しい。あれに負けないのはトラファルガー広場のネルソン提督像くらいじゃないかしら。(僕の知っている範囲で)なぜあんなに立派なのか。日本の近代化に尽力した大村先生。皆からとても尊敬されていたから。でもそれだけで、あんなに立派な銅像が建つものだろうか。ずっと疑問に思っていました。

芸は身を助ける

最近、学生さんから相談を受けたり、高校生のご家族とお話していると「資格」について質問をされることが多い。テレビ局に入るにはどのような資格があれば良いのか。放送局で働くのに役立つ資格とは何なのか。正直なところ、答えに困ってしまいます。もちろん、電波や通信関係の技術的な資格はあるし、技術職の方には役立ちます。でもディレクターやプロデューサーとなると、あまり資格は関係ないのです。 本音で言うと、私はこう答えたい。「実際のテレビ局の現場で何が役立つかなんて、その時まで分からない。だから何でも勉強して、人に負けない一芸を持つように」と。でも、これでは答えにならない。高校生や大学生のみなさんが求めているのは、生活の保障となるような資格。 先月、家内が映画「武士の家計簿」をDVDで借りて来てくれました。なんと私の教育用です。 「しっかり見て、勉強するように」 バブル時代に会社生活を送ったせいか、お金に大雑把な私。幼少期に甘やかされたのもいけないのかしら。どうも経済観念が甘い。タイトルからして、おそらくこの映画は、窮乏生活に耐えるために家計簿をしっかりつける武家の話だろう。私を倹約家に改造するために、家内はこのビデオを「教育用」に選んだとのことです。 「はい」。私は素直に見始めました。映画は大好きだもんね。 昨年暮れに夭折した森田芳光監督晩年の作品。さすが、ただの倹約家の話ではなかった。家内は、私の「節約術」の教育には役立たないと知り残念そうでしたが、結局、家族そろって泣き笑い。感動してこの映画を見ました。そして我が家に残ったのは、この鮮やかなメッセージ。「芸は身を助ける」

火曜日が楽しみ

ものすごく忙しい週末だったので、あまり気にもとめていなかったのですが、先月の5月19日(土)に、千葉県地方では大変なことが起きていました。広域にわたる「断水」で、埼玉や群馬でも騒ぎは広がったのです。基準値を超えるホルムアルデヒドが検出されたから。 我が家の近所のコンビニや酒屋さんでも、ペットボトルの水が早々に売り切れに。しかし結局のところ、我が家は「断水」という事態には、ならなかったのです。なぜか。それはうちの近所の「浄水施設」が最新で優秀の施設だったからです。 くわしくは知りませんが、なにか特殊な浄化装置というものがあるそうで、浄水所によってはそれが無いところもあったとのこと。人間の生活にとって「水」の供給は、最も重要なインフラ。浄水施設の機能がこうして進歩しているのは、なんだか安心。関東県全域にこうした設備が配備されてほしいですね。 「エリン・ブロコビッチ」という映画は、「水」をめぐる法廷闘争を描いた映画。弁護士の資格もなく、ロースクールに通った事もない、極貧のシングル・マザーが、公害を垂れ流す大企業を相手に、巨額の賠償金を勝ち取った。そういう実話に基づいて作られています。まるで映画のような話。だけど実話。アメリカ全土が、このサクセス・ストーリーに「スカっとした」という。私もこの映画、見て「スカっと」しました。思いっ切り。