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三人ではケンカに

三角形は安定している? 三人で旅行に行くと、途中で、ちよっとしたことで揉めたりしませんか? つぎの目的地をめぐって、ひとりだけなんだか浮いてしまったり。あるいは、二人がひそひそと、残りのひとりの悪口を言い始めたり。ただでさへ、グループ旅行というものは、もめごとが起きやすいのだけれども、三人というグループは特に揉めやすいのではないだろうか。 古来より伝わる易経の「卦」に、「山沢損」というものがあって、その卦が表すところに、この三人という状態の持つ問題があります。 「三人行かば則ち一人を損す」 易経の根本原理にある「陰陽説」によれば、この世のものは、すべて陰と陽のふたつの要素が、引き合ったり、離れたりしているもの。常に二つの要素による「ペア」が基本となっている。したがって、三という数は、必然として不安定なものとなる。「三人で仲よし」という状態は、一時的には成立し得る。しかしいつしか、どちらかのペアがより親密になりすぎたりすると、残ったひとりが嫉妬したりする。いつか必ずや不穏な状態を引き起こすものなのだ。 この夏ついに中国は、世界大二位の経済大国となった。逆に日本は第三位に転落。世界のメディアは「ジャパン・アズ・ナンバー・スリー」と、派手に書きたてました。これまで日本は、アメリカとのペアという「ふたりだけ」の安定した関係を築いて来た。日米の安全保障は、他の干渉を受けることなく続いで来たのだ。 そこへ、中国という三人目の友人が割って入って来た。中国は、日本を激しく執拗に牽制しつつ、アメリカとの軍事強調を進めようとしている。日本は、この新しい状況下で、三人という難しい関係を、どのように築いていっていいのやら、右往左往するばかり。このままの優柔不断な対応をつづけていたら、仲間はずれとなる一人は、日本ということになりかねない。 さて、山沢損の卦の教えは、さらに以下のように続く。 「一人で行かば則ち其の友を得る」 ひとりの人間が、何か一生懸命やっていれば、それはかならず誰か援助者を得ることになる。「三は一を欠く」のと逆の原理で、ひとつのものは、必ずペアとなる仲間を呼び寄せることになるのだ。だから易経では、重要な話しや相談ごとは、二人だけでじっくりするのが良い、と教えている。 日本は、アメリカと中国と、どちらともじっくりと話しをしして欲...

無為にすごせ

朝ドラ「ゲゲゲの女房」が終わってしまった。最終回は、視聴率も 23%を超えて、国民的朝ドラとしての有終の美を飾ったそうだ。ところでそのドラマで、水木プロの事務所のセットに貼ってあった、この貼り紙が気になりました。 「無為に過ごせ」 その貼り紙には、こう書いてあった。妖怪「いそがし」にとりつかれるほ ど多忙を極め、それこそ仕事と心中するほど全身全霊を傾けた水木先生。 その先生の真意はどこにあるのか考えた。確か、水木先生の著書にもあった言葉だ。 「無為に過ごせ」と言われれば、凡人の私なぞはさっそく無限おさぼりループに突入するだろう。大リーグ中継→お笑いDVD→昼寝。早風呂→ビール→ポテチつまんで新聞をぱらぱら。ぼんやりしているうち に眠くなって結局は早寝。まあ、そんなものでしょう。 凡夫が、文字どおりに無為に過ごすというのは、かくのごとく無駄で、非生産的なものだ。水木先生は、一体どのような「無為の時間」を過ごせと いうのか。 そういえば、壁の貼り紙には、もうひとつこういうのもあった。 「人間、努力をしてもうまくいかない時は、時機の到来を待つしかない」(ちょっと違ってるかも、確かゲーテの言葉らしい...) 時機が熟してもいないのに、人間がどんなに頑張ったって、それは駄目だよ〜。ジタバタしたって無理は無理。 うーん。深い。 これら二つの「貼り紙」に込められた、水木先生のメッセージとは何か? 人間、じたばたせずに、落ち着いてじっくりやりなさい。無理矢理に、目標を超えようとあせっても無駄。役に立つとか、利益がどうとか、いって ないで、悠然とやりなさい。無為に過ごしているようでも、本筋さえやっていれば、道はいつか自然に開けるから。 今日のところは、こういう解釈で、考えておこうっと。 水木先生、有り難うございます。無為に過ごしながら、時期を待ちます!(頑張ります)

こき使われなさい

「若い人は、だまってこき使われればいいんです」 先週、惜しまれながら放送終了となったNHK・朝ドラ「ゲゲゲの女房」。その記念番組にでていた、水木しげるさんが、ぼそっと言った言葉だ。水木先生はときどき、インタビュアーの質問を勘違いしたふりをして、話の流れと関係ないことを言う。しかしこれが、意外に大事な事である事が多い。 なかなか核心事を聞いてこないインタビュアーの、プライドを傷つけないようにしながら、なんとか重要なことを差し挟む、水木先生の高等テクだ。呆けたふりをしながら、説教臭くなく、ぼそっと何か大切な事を言う。 「まずは黙って上司の言うことを聞いて働きなさい」 民間人初の中国大使・丹羽宇一郎さんも、アニメ監督の今敏さんも、同様なことをおっしゃっていた。まずは、黙って働け。そのうち分かる。山田洋次監督も、映画の世界の新人についてこう述べている。助監督は、まずスタッフや役者に弁当を配れ。役者の弁当の好みを覚えるのも大事な仕事だ。撮影助手は、ま ず撮影監督にコーヒーをいれろ。ごたごた言っている間に仕事しろ。理屈やテクニックは、そのうちひとりでに覚えるから。 体力のある若い時に、余計なことを言わずに経験をつみ、先輩の仕事を覚えなさい。ぶつぶつ文句を言う前に、とりあえずやって見なさい。その仕事の意味は、やっているうちにわかるんだから。本当にそうなんだよなぁ。黙ってやってほしいんだよね。 でもいまの職場では、新人に対してなかなかそんな口はきけないんですよ。 言っちゃったら最後、彼らはすぐにやめちゃうかもしれないんだから。 新人「理由もなくこき使われるのは、 いや なんです。 やりがいがあって 自分が納得いく仕事が したいので」 上司「そうですか。ではどうぞよそに行ってくださいね。 ムカっ 」 しかし、ちょっと待てよ。 水木先生は、こんな草食新人相手のくだらない会話を想定して、くだんの発言をしたのだろうか?あるいは、もっと他の大事の事について、何かおっしゃりたかったのではないだろうかしら。いや、そうに違いない。ここで、これまでの話しの「仕事」という主語を「作品」と置き換えて考えてみることを思いついた。 そうすると、水木先生が本当に言いたかったのは、こういうことになる。 作品を作るときは、作品にこき使われなさい。 これから作家...

偶然の配材

たった8年間で、ザ・ビートルズが生み出した傑作の数々。ポップミュージックの奇跡だ。ジェフ・エメリックの書いた「ザ・ビートルズ・サウンド」を読んで今思う。この奇跡は、まさに「人智を超えた」ところから生まれたのだと。すべてはまさに「天の配材」だった。 ジョン、ポール、ジョージ、リンゴの4人がメンバーとして出会ったということも「天の配材」なのだけれども、彼らがEMIと契約した時に、その担当プロデューサーがジョージ・マーティンであり、録音エンジニアがノーマン・スミス。そしてジェフ・エメリックが見習いとして控えていたというのも、大変な「天の配材」だったと言えよう。 特に、ジョージ・マーティンの担当していたレーベルは、別にトップ・アイドルを発掘するレーベルでは無かったというところが面白い。彼の担当レーベルは「パーロフォン」といって、ピーター・セラーズなどのコメディレコードを手がけるものだったのだ。つまり、EMIでは、ザ・ビートルズは、特に売れることも期待されておらず、とりあえず手を挙げたジョージ・マーティンにまわされたってことだ。 しかしこの配材こそが、その後の怒濤の進撃の、まさにスタート地点となる。ザ・ビートルズが持っていたエネルギー溢れる音楽に、ジョージ・マーティンの豊かな音楽的知見や、ウィット溢れるアイデアが加わることで、世界最高のヒット曲が生まれ続けたことは、周知の事実だ。 ジョージ・マーティンは1955年、彼が29歳の時にパーロフォン・レーベルの責任者となった。ここでの6年の経験を経た円熟期の36歳となって、彼はリヴァプールからやってきた4人に出会う。誰が計画したことでも無く、当時は誰も気づかなかったことなのだが、4人とジョージ・マーティンの出会いは、まさに完璧なタイミングと場所で行われたのだ。ジョージ・マーティンは、確かにコメディに続いて、ポップミュージックを手がけたいとは思っていたのだが、まさかそこに「ザ・ビートルズ」が転がり込むとは... ジョージ・マーティンは、ふり返ってこう語る。「もしあの時に私が、このグループには可能性が無いと却下していたらどうなったか。おそらく彼らは、まったく世に出ることの無いままに終わったことだろう」と。神様はこのようにして、私たちのまったく気づかないところで、静かに「奇跡的な配置」を用意してくれている。そしてその配...

大好きなこと

ジェフ・エメリックは、少年時代に特別な英才教育を受けたわけではなかった。しかしその彼が、世紀のバンド、ザ・ビートルズの録音において、天才的な「耳」の能力を発揮するようになったのは何故なのか。そしてまた、彼がその現場に立ち会うこととなった、その運命が彼におとずれた理由とは? 彼自身が著書「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」で語るエピソードは、現代の高校生や大学生にとっても、示唆に富んだ「就活指南」となるだろう。 ジェフ・エメリックの少年時代とは、誰にでもあるような「ありふれた」少年時代だ。しかし、彼の少年時代に起こったエピソードの断片を、お互いにつなぎ合わせて並べてみると、そこには「運命の導き」としか思えないような、一本の「奇跡の人生ライン」が描き出される。 おばあさんの家の地下室で見つけた箱の中に「あのレコード」がはいっていたこと。誕生日に貰ったプレゼントが蓄音機だったこと。BBCが行ったラジオによるステレオ実験放送。寛大な音楽教師に出会ったこと。高校の就職カウンセラーが、誠実なバーロウ先生だったこと。こうしたことは、別に当時のイギリスの少年にとって「特別なこと」ではないだろう。当時のどの少年にも起こりえた「ありふれた出来事」ではないだろうか。 しかし、未来の名エンジニア、ジェフ・エメリックは、こうした「ありふれた出来事」に出会うたびに、自分自身の運命とも言える「人生の進路」を、着実に見いだしていく。「自分が大好きなこと」をひとつひとつ確かめていくということが、「自分の人生を発見すること」である。こうしたプロセスこそが、まさに自分の天職を見いだす道なのだ。 高校の卒業が間近となったジェフは、就職カウンセラーの、バーロウ先生の勧めのままに、4つのレコード会社に手紙を書いた。しかし当然ながら、いずれも不採用。しかしジェフは決してあきらめなかった。なぜならば、彼には「レコード・スタジオ」で働くことが、自分の運命であることを確信していたからなのだ。 そしてある時、ついに扉は開いた。 バーロウ先生のもとへ、EMIからの「ある知らせ」が届いた。 誠実でいつも彼のことを考えてくれていた、バーロウ先生。レコード・エンジニアという不安定な仕事につくことに反対しながらも、応援しつづけてくれた先生。この先生が、ジェフにとって本当の「守護天使」となった瞬間...

ジェフの就職活動

レコーディング・エンジニアになりたいが、どうしても就職口が無い。あらゆるレコードスタジオに就職志望の手紙を書いたが、一社を除いてすべてのスタジオから不採用の返事が来た。残る一社からは、返事すら来なかった。 これは、ザ・ビートルズの数々のレコーディングに立ち会った名エンジニア、ジェフ・エメリックの就活経験である。まるで、現代の学生の就職活動について聞くような話だ。ある意味で、現代と同じような就職難だった。ジェフの試練は、現代における学生の就職活動の苦境に重なるものがある。 ジェフが高校を卒業する1960年代。レコード産業が膨張しすぎた現在とは逆の状況で、レコード会社そのものが数えるほどしかなかった。レコーディング・エンジニアという職種は、稀少職種だったのだ。ジェフの就職活動は、困難を余儀なくされて当然だったのだ。 前回も紹介した 「ザ・ビートルズ・サウンド 」 には、著者であるジェフ・エメリックが、「ザ・ビートルズの録音エンジニア」という「天職」にありつくまでのエピソードが、詳しく紹介されている。この「涙の就活ストーリー」は、現在の高校生や大学生にとっても、非常に参考になるのと思う。ジェフ・エメリックは、いかにしてEMIのエンジニアの座を掴んだのか。 ジェフ・エメリックが、彼の就職活動における「守護天使」と呼び、感謝の念を捧げているのは、高校の就職指導教官だった、バーロウ先生だ。就活の守護神が就職指導教官であるというのは、当たり前のようだが、これが当たり前の話ではないところが面白い。はじめバーロウ先生は、レコーディング・エンジニアなどという、風変わりで就職口も少ない仕事など、あきらめるように説得し続けていた。ジェフをなだめすかして、「もう少しまともな」仕事を進める。当時の就職指導の教員として当然のことだろう。 しかし、ジェフの心には、レコーディング・エンジニアになることが自分の運命であると信じる、信念にも近い「確信」があったのだ。このことが、いつかバーロウ先生の心を動かし、ついに自分の「運命の道」を切り開くことになるのだ。 それでは、ジェフはどのようにしてその「確信」を得ることが出来たのか。そのは、ジェフが幼少期に体験した、一連の「事件」に関連しているのだ。 Photo by wikimedia : The Beatles as they ...

6人目のビートルズ

5人目のビートルズといえば、EMIのプロデューサーだった、ジョージ・マテーティンのこと。時にはバンドに作曲の手ほどきをし、ビートルズ・サウンドを作り上げる数々のアイデアを生み出した男。実際の音楽制作面で多大な功績のある彼が5人目のビートルズと呼ばれることに、異論のある人は少ないだろう。 しかし「6人目」はだれか? この答えには沢山の選択がある。「6人目」という微妙ながら栄光あるポジションに値する功労者としては誰がふさわしいのか。夭折したマネージャーのエプスタイン氏かもしれないし、オノ・ヨーコなのかもしれず、「レット・イット・ビー」で実際にバンドに加わった、ビリー・プレストンかもしれない。ビートルズ・ファンそれぞれの立ち位置によって様々な人を、「6人目」に置いてみることができるのだ。あなたは誰の名前を思い浮かべますか? いまの私の答えは、ジェフ・エメリック。 この人の名前を、いままで私は完全にスルーしていた。思えばなんと恥ずかしいことか。彼の名前は「アンソロジー」シリーズのクレジットには、何度も登場していたはずだ。いまさらながら、私は彼こそが「6人目」のビートルズであると推薦したいと思います。どこへ推薦するかって、それは分からないのですが、とにかく彼の著書「ザ・ビートルズ・サウンド(新装版)」を読んで、確信したので推薦します。 この夏はとにかく、この本「ザ・ビートルズ・サウンド(新装版)」にすっかり引き込まれてしまった。炎天下でバスを待つ時間も、蒸し暑い電車の中でも、平気で読み続けた。これだけ面白がって読んだ本も珍しい。 長い沈黙をやぶって、ジェフ・エメリックが語ってくれた物語は、久しぶりに「生きたビートルズ」の姿を、読む者の目の前に生き生きと浮かび上がらせてくれるような、エピソードが満載。ビートルズの4人と、ジョージ・マーティンという稀代のソングメーカーたちを、録音卓の後ろから見つめ続けた男。世界を変えてしまうような音楽が生まれた現場でおきた「奇跡」を、ジェフ・エメリックは、あくまで等身大の人間の群像物語として、語り伝えてくれるものだ。自分(ジェフ)とバンドメンバーとの個人的なつながりや確執を、つつみかくさず書き残してくれたことに、僕は感謝したいと思う。 これから少しの間、このすばらしい本の中身について書かせていただきたいと考えております。