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大好きなこと

ジェフ・エメリックは、少年時代に特別な英才教育を受けたわけではなかった。しかしその彼が、世紀のバンド、ザ・ビートルズの録音において、天才的な「耳」の能力を発揮するようになったのは何故なのか。そしてまた、彼がその現場に立ち会うこととなった、その運命が彼におとずれた理由とは? 彼自身が著書「ザ・ビートルズ・サウンド 最後の真実」で語るエピソードは、現代の高校生や大学生にとっても、示唆に富んだ「就活指南」となるだろう。 ジェフ・エメリックの少年時代とは、誰にでもあるような「ありふれた」少年時代だ。しかし、彼の少年時代に起こったエピソードの断片を、お互いにつなぎ合わせて並べてみると、そこには「運命の導き」としか思えないような、一本の「奇跡の人生ライン」が描き出される。 おばあさんの家の地下室で見つけた箱の中に「あのレコード」がはいっていたこと。誕生日に貰ったプレゼントが蓄音機だったこと。BBCが行ったラジオによるステレオ実験放送。寛大な音楽教師に出会ったこと。高校の就職カウンセラーが、誠実なバーロウ先生だったこと。こうしたことは、別に当時のイギリスの少年にとって「特別なこと」ではないだろう。当時のどの少年にも起こりえた「ありふれた出来事」ではないだろうか。 しかし、未来の名エンジニア、ジェフ・エメリックは、こうした「ありふれた出来事」に出会うたびに、自分自身の運命とも言える「人生の進路」を、着実に見いだしていく。「自分が大好きなこと」をひとつひとつ確かめていくということが、「自分の人生を発見すること」である。こうしたプロセスこそが、まさに自分の天職を見いだす道なのだ。 高校の卒業が間近となったジェフは、就職カウンセラーの、バーロウ先生の勧めのままに、4つのレコード会社に手紙を書いた。しかし当然ながら、いずれも不採用。しかしジェフは決してあきらめなかった。なぜならば、彼には「レコード・スタジオ」で働くことが、自分の運命であることを確信していたからなのだ。 そしてある時、ついに扉は開いた。 バーロウ先生のもとへ、EMIからの「ある知らせ」が届いた。 誠実でいつも彼のことを考えてくれていた、バーロウ先生。レコード・エンジニアという不安定な仕事につくことに反対しながらも、応援しつづけてくれた先生。この先生が、ジェフにとって本当の「守護天使」となった瞬間...

ジェフの就職活動

レコーディング・エンジニアになりたいが、どうしても就職口が無い。あらゆるレコードスタジオに就職志望の手紙を書いたが、一社を除いてすべてのスタジオから不採用の返事が来た。残る一社からは、返事すら来なかった。 これは、ザ・ビートルズの数々のレコーディングに立ち会った名エンジニア、ジェフ・エメリックの就活経験である。まるで、現代の学生の就職活動について聞くような話だ。ある意味で、現代と同じような就職難だった。ジェフの試練は、現代における学生の就職活動の苦境に重なるものがある。 ジェフが高校を卒業する1960年代。レコード産業が膨張しすぎた現在とは逆の状況で、レコード会社そのものが数えるほどしかなかった。レコーディング・エンジニアという職種は、稀少職種だったのだ。ジェフの就職活動は、困難を余儀なくされて当然だったのだ。 前回も紹介した 「ザ・ビートルズ・サウンド 」 には、著者であるジェフ・エメリックが、「ザ・ビートルズの録音エンジニア」という「天職」にありつくまでのエピソードが、詳しく紹介されている。この「涙の就活ストーリー」は、現在の高校生や大学生にとっても、非常に参考になるのと思う。ジェフ・エメリックは、いかにしてEMIのエンジニアの座を掴んだのか。 ジェフ・エメリックが、彼の就職活動における「守護天使」と呼び、感謝の念を捧げているのは、高校の就職指導教官だった、バーロウ先生だ。就活の守護神が就職指導教官であるというのは、当たり前のようだが、これが当たり前の話ではないところが面白い。はじめバーロウ先生は、レコーディング・エンジニアなどという、風変わりで就職口も少ない仕事など、あきらめるように説得し続けていた。ジェフをなだめすかして、「もう少しまともな」仕事を進める。当時の就職指導の教員として当然のことだろう。 しかし、ジェフの心には、レコーディング・エンジニアになることが自分の運命であると信じる、信念にも近い「確信」があったのだ。このことが、いつかバーロウ先生の心を動かし、ついに自分の「運命の道」を切り開くことになるのだ。 それでは、ジェフはどのようにしてその「確信」を得ることが出来たのか。そのは、ジェフが幼少期に体験した、一連の「事件」に関連しているのだ。 Photo by wikimedia : The Beatles as they ...

6人目のビートルズ

5人目のビートルズといえば、EMIのプロデューサーだった、ジョージ・マテーティンのこと。時にはバンドに作曲の手ほどきをし、ビートルズ・サウンドを作り上げる数々のアイデアを生み出した男。実際の音楽制作面で多大な功績のある彼が5人目のビートルズと呼ばれることに、異論のある人は少ないだろう。 しかし「6人目」はだれか? この答えには沢山の選択がある。「6人目」という微妙ながら栄光あるポジションに値する功労者としては誰がふさわしいのか。夭折したマネージャーのエプスタイン氏かもしれないし、オノ・ヨーコなのかもしれず、「レット・イット・ビー」で実際にバンドに加わった、ビリー・プレストンかもしれない。ビートルズ・ファンそれぞれの立ち位置によって様々な人を、「6人目」に置いてみることができるのだ。あなたは誰の名前を思い浮かべますか? いまの私の答えは、ジェフ・エメリック。 この人の名前を、いままで私は完全にスルーしていた。思えばなんと恥ずかしいことか。彼の名前は「アンソロジー」シリーズのクレジットには、何度も登場していたはずだ。いまさらながら、私は彼こそが「6人目」のビートルズであると推薦したいと思います。どこへ推薦するかって、それは分からないのですが、とにかく彼の著書「ザ・ビートルズ・サウンド(新装版)」を読んで、確信したので推薦します。 この夏はとにかく、この本「ザ・ビートルズ・サウンド(新装版)」にすっかり引き込まれてしまった。炎天下でバスを待つ時間も、蒸し暑い電車の中でも、平気で読み続けた。これだけ面白がって読んだ本も珍しい。 長い沈黙をやぶって、ジェフ・エメリックが語ってくれた物語は、久しぶりに「生きたビートルズ」の姿を、読む者の目の前に生き生きと浮かび上がらせてくれるような、エピソードが満載。ビートルズの4人と、ジョージ・マーティンという稀代のソングメーカーたちを、録音卓の後ろから見つめ続けた男。世界を変えてしまうような音楽が生まれた現場でおきた「奇跡」を、ジェフ・エメリックは、あくまで等身大の人間の群像物語として、語り伝えてくれるものだ。自分(ジェフ)とバンドメンバーとの個人的なつながりや確執を、つつみかくさず書き残してくれたことに、僕は感謝したいと思う。 これから少しの間、このすばらしい本の中身について書かせていただきたいと考えております。

ミツバチ民族

ミツバチたちは、信じられないほど賢く、効率良く花蜜を集めることが出来ます。なにか特殊なコミュニケーション能力を使って、巣のまわりにある食料の分布情報を、交換しているにちがいありません。 カール・フォン・フリッシュが発見した「8の字ダンス」がそのコミュニケーションの基本です。花蜜のある食料源を見つけた「働きバチ」は、その食料源の位置と距離とを、その独特なダンスによって、他の仲間の「働きバチ」に知らせるのです。お尻の振り方や、ダンスの中で動く方向が、エサ場の場所を教える言葉になるのです。 しかし、それだけでは、花蜜を集める仕事を最大効率で進められるとは限りません。できるだけ沢山の花蜜を集めるためには、できるだけ多くの「働きバチ」を、できるだけ豊富に蜜のある花のところに、集中させる必要があります。ミツバチは、一体どのような方法で、それを実現しているのでしょうか。その秘密は、ミツバチ社会の「上司のふるまい」にありました。 (カール・フォン・フリッシュは、1973年にノーベル生理学・医学賞を受賞) 「動物たちの心の世界」(マリアン・S・ドーキンス著 / 長野敬他訳)の第4章に、ハチ社会における情報交換と報酬のシステムについて解説がありました。 ここで言う「上司」とは「働きバチ」のように巣を出て働くことをせず、巣の中で花蜜などの食料を待ち受けている「受け取りバチ」のことなのです。実際に、彼らを「上司」と呼んでいいかどうか微妙ですが、会社の営業部で言えば、営業マンの帰りを会社で待っている係長か課長みたいなものでしょう。 彼らは、栄養豊富な良質なエサを運んできた「働きバチ」を褒めるのだそうです。「おおー!よくやったね〜。えらいえらい」などと、ねぎらいの言葉を掛けるのではありません。単純に、質の良いエサは、さっさと手早く受け取る、ただそれだけです。だから、正確には「褒めている」というよりは、ただ「おいしそうなエサに飛びついている」だけかもしれません。 でも、実際に労働をしてエサを運んできた「働きバチ」にとっては、「受け取りバチ」がなかなか受け取ってくれないと、それは「いまいち喜ばれていない」というサインになるのです。その代わりに「さっと受け取られる」ということは、「おお、俺がやった仕事が喜ばれている」というメッセージになるらしい。それなので、さっさとエサを受け...

シエスタ民族

日本にはなぜ「シエスタ=お昼寝」習慣が根付かなかったのだろうか。日中の日差しが強すぎることもなく、適度な気候であったため、日本人は常に「働きつづける」ことを美徳としする、セカセカ民族の国となってしまったのだろう。実に残念なことだ。 水木しげるさんの「睡眠至上主義」を持ち出さなくとも、「お昼寝」の効用は明らかなのだ。午前中の活動を終えて、おいしい昼食を食べれば、誰だって眠くなってくる。当然活動の度合いも落ちて、仕事の効率だって悪くなる。思い切って、2〜3時間寝たほうが、効率が良いのに決まっているではないか。 しかし、日本は勤勉で働き者の国なのだ。明治以降はとにかく、西欧諸国に追いつくために、国を挙げて生産性を向上させなければなかった。日本人に「お昼寝」などしている暇はなかったのだ。しかし、21世紀ともなり、日本の置かれている状況は激変したはずだ。中国に抜かれたとはいえ、日本のGDPは、いまだ世界のトップクラスにある。もう、セカセカする理由は無いのでは? 森村泰昌著「露地庵先生のアンポン譚」は、このへんの消息を実にうまくとらえて、現代の日本人のセカセカ具合を笑い飛ばす、素晴らしい本である。大阪の露地裏的価値観を武器に、近代を大股で走り抜けてきた日本人が気づくべき、「ゆっくりした間合い」について思い起こさせてくれる。 森村先生が、ヨーロッパでの展覧会において体験したエピソードが面白い。マドリードでは、シエスタが終わり、サッカーの試合が終わるまで、誰もレセプションに現れない。パリの展示会場では、電気工事のお兄さんが、二日続けて遅刻。それでもまったく悪びれずにニコニコしている。ベネチアの展示会場では、つごう三種類の電気コンセントが、統一されることもなく使われている。「使えればそれでいいじゃん。間に合えばまあいいじゃん。楽しければそれでいいじゃん」。という、実に鷹揚なゆったりとしたひとびとが、ゆったりとした価値観を交換している。「流れているのは悠久の時間」だと、森村氏は発見する。 慌てることはないよ。人間の一生はとりあえず一生にすぎないんだから。 太古からとぎれることなく続く、この時間の流れを感じて生きていこう。 シエスタ的価値観に近いこれらの都市、パリ、マドリード、ベネチア。いずれも堂々たる芸術の街じゃないか。以前に一度マドリードで、アルコという芸術...

睡眠のパワー

睡眠には「パワー」がある。とはいえ、実際に寝ている人の状態とは、まさに「脱力」状態なのだし、それに「パワー」があるというのも変な話かもしれない。しかし、やはり睡眠には「パワー」がある。 そのことを、身をもって証明しているのが、水木しげる先生である。今年めでたく、88歳の米寿を迎えられた、水木先生は、太平洋戦争中にニューギニアの激戦を体験された。片腕を失う大けがをした上にマラリア罹患という、大変な目に合われた。しかし、ご本人いわく、その大怪我と病気も「睡眠の力」で克服したと断言されている。「どんな病気も怪我も、睡眠によって癒すことができる」というのが、水木しげる先生の信念となっているのだ。 「家族が寝ていたら決して起こしてはならない」これが水木家の家訓だ。だから、水木先生のお嬢様は、学校でも遅刻常習犯だったというが、それでも水木先生の「睡眠至上主義」はゆるがない。 睡眠についての書籍を読むと、人間のような脊椎動物が、もっともよく眠るということが書いてある。イヌもネコもよく眠る。しかし、馬など、原野で外敵の危険にさらされて暮らしていた動物は、あまり深くは眠らないという。イルカなど、泳ぎ続けなければならない動物になると、右左の脳で半分づつ眠るという芸当をするそうだ。両生類より下等な動物は、そもそも眠らないとか。 しかし実は「睡眠」という現象には、まだまだ相当な謎が隠されているということも、事実らしい。睡眠に関係する書籍は沢山あるのだが、人間の睡眠についての本質論となると、いずれの本においても、どうも歯切れが悪いのである。日中の活動をふり返って、脳の中の配線を組み替えている(プログラムのし直し)とか、精神的なリフレッシュをしているとか、皮膚や体の組織を修復している、など諸説あるようだが、やはり決定打はないようなのだ。 しかし、一方で、睡眠不足ともなれば、私たちの意識は朦朧となり、行動は怪しくなってくる。徹夜続きのような無理な生活を続ければ、いずれ病気になる。精神的にも肉体的にも、だんだん怪しい状態となってくる。「寝る子は育つ」という通り、私たちは睡眠をもっと大切にしなければならないのではないだろうか。 しかし、水木家のように「何事よりも睡眠を優先する」という大胆な家訓を作れる家はそうはあるまい。学校でも、会社でも、むしろ「睡眠を削って頑張った」とい...

よく寝てよく遊ぶ国

ワールド・カップと参議院選挙が同時に燃え尽きた。はじまったはずの大相撲も生中継なし。阪神対巨人の首位攻防戦さえも二日連続で雨天中止。なんだか盛り上がる場所を一気に失ったような日本。 でもこの情熱の国スペインでは、世界チャンピオンとなったチームを迎えて、連日の大熱狂と聞きます。へたをすると今日あたりもまだ、だいたいこんな騒ぎが続いているのではないかと心配です。いや別に心配ではないのだが。 (写真は、7月14日にマドリード在住の友人が送ってきてくれたもの) かりに日本が奇跡的に優勝していたとしても、道頓堀川のダイビングのような騒ぎは、せいぜい一晩のことだろう。日本人が、二晩も三晩も騒ぎ続けるなんてことは、あり得ない。日本人の頭には常に「翌日の仕事にひびきますから」という考えがあるものね。「W杯で優勝した時には日本国民は三日三晩騒ぎ続けること」なんていう法律でもないかぎり、無理だ。