360度のファンタジー


カトビツェという街は、かつてはポーランド随一の工業都市だった。当時の面影を残すレンガづくりの重厚な建物が、炭鉱の街だった当時の雰囲気を伝えている。今は、博物館や公共施設などとして再利用されている。夕闇に浮かぶ城塞のような建物が、何かを語りかけてくるようだ。

異国の地を訪れて初めて見た景色は、あとになって360度VR動画のように記憶に蘇ってくることがある。こういう時にジャーナリストならば、こうした記憶を鮮明な言葉にして書き残すことができるのだろう。

ラフカディオ・ハーン(小泉八雲 1850 - 1904)は、ギリシャ生まれのイギリス人。ジャーナリストとして世界を巡る。明治23年に来日。英語教師として日本に暮らしながら、当時の日本文化を捉えた素晴らしい本の数々を残した。当時の日本人の生活の素晴らしさ、風景の美しさだけでなく、不思議な伝承や怪異の物語も収集し紹介した。

アクセル・ハッケも1956年生まれのジャーナリストである。新聞社でのスポーツ記事編集、ルポライターを経験したのちに物語作家となった。彼の絵本作品は独特の世界観とユーモアがあって日本でも人気だ。いつもコンビを組むミヒャエル ゾーヴァの挿画が幻想的で素晴らしい。

幻想的なファンタジーを書く二人が、ともに通信社に勤めるジャーナリストであったとは面白い。ジャーナリストには鋭い観察力と映像のように鮮明な文章表現力がある。彼らの言葉には、360度VR動画のような没入感と現場レポのような迫真性がある。それはおそらく、彼らが現実世界をまさにそのように享受しているからなのだろう。



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レイチェル・リンド

宝石のようなカップ / 小伝馬町のカフェ華月で レイチェル・リンドというおばさんのことを覚えていますか? 「赤毛のアン」に登場する、わりと重要なキャラクターですよね。アンが住むグリーンゲーブルスから丘を下っていったあたりに住んでいました。だから、アンの養父母である、マリラやマシューが街へ向かう時には、どうしてもこのレイチェル・リンドさんの家の前を通ることになります。 家事全般を完ぺきにこなす主婦であり、人の行動倫理を極める教育者でもある。こういう人だから、マリラのアンに対する教育方針にもなにかと口を出す。悪い人ではないんだけど、真面目過ぎてちょっと困った人です。 彼女は、自分の家の周囲で何か変わったことがあると、それが何なのかが理解できるまで、徹底的に調べないと気がすみません。マシューがちょっと正装して通っただけで落ち着かなくなってしまう。 「ああ、これで私の一日は台無しだわ」 いったい何があったのだろうと、行き先をあれこれ詮索しないではいられません。家事も、なにも手につかなくなってしまう。 カナダの田舎アボンリーに住むレイチェル・リンドですが、SNSに時間を費やす僕たちによく似てませんか。 誰がいま何をやっているのか、どこへ行っているのか、何をつぶやいているのか。仕事をしているのか、休暇をとっているのか、誰と食事しているのか、タイムラインをチェックせずにはいられない。 まわりが何をやっているのかいつも気になる。 でもそのくせまわりと同じ事はやりたくない。 みんなそういうものですよね僕たち人間って。

クリングゾルの最後の夏

ヘルマン・ヘッセは、生涯の旺盛な読書を通じて、中国、日本などの東洋思想に惹かれていた。実際に南アジア方面への旅行を通じて著した「インドから」という本もありますし「シッダールダ」という本も書いています。 「クリングゾルの最後の夏」(☆1)という小説は、四十二歳で生涯を閉じようとする一人の画家を主人公にヨーロッパの没落を扱った異色の小編だそうです。読んでみたいけど、なかなか入手できないです。この小説に出てくる主人公たちは、お互いを「杜甫」「李太白」などと呼び合う。彼らの会話は、まるで禅問答。

帝国ホテルについて知ったかぶり

スェーデンで大学教員をされている我が同輩H氏は、フェースブックでほんとに面白いことをつぶやく。彼のお話には、いつもいろいろと考えさせられる。このたび彼は、アマゾンのKindle版で 「ゴッホ-崩れ去った修道院と太陽と讃歌」 という立派な、デジタル本を出版したという。その手際の良さと行動力に感服するわけだが、それより面白かったのは、彼の感想。 キンドル版への登録はそれほど大変ではなく、本ができていれば30分もかからず登録できるという。そして彼はいまのこういうデジタル的な作業と、昔の作業をくらべて振り返る。彼が会社にはいった当時(それは僕がはいったころと一緒だ)は、学会発表の原稿は原稿用紙に手書き、会社の大部屋でチェリーかなんかをスパスパ吸いながら手書きで書いていたって。