どこにでもいる

どこにでもあるカップ

JR東日本トレインチャンネルのCM映像「New Unit PROMISE デビュー・プロジェクト(どこでも返せる篇)」の落ちが大好きです。

テレビ局オーディションに売り込みにいったギター男二人組。事務所社長(谷原章介)「千年に一度の逸材」という売り文句も虚しく、TVプロデューサー風の男から「こんなのどこにでもいるでしょ」と一蹴される。

「ん?」ここからの社長のリアクションがいいですね。侮辱されて色めき立つバンドメンバーとマネージャーを制して「どこでもとは凄いじゃないか!」とあくまでポジティブ満載なオーラを発散させる。こんなふうに、むりやりにでも物事を明るく考えてくれるCMは嬉しい。起承転結の結がねじれているけど、それがまた可笑しい。いつでもどこでも、お金が借りられるのもいいけど、いつでもどこでもポジティブで前向きというのがありがたい。当のバンドメンバー、柄本時生と勝地涼も、わけもわからず肩を組んで笑っているではないか。

若者というのはいつも「オンリー・ワン」であったり「たったひとつの個性」であったりすることを求められているので、「君みたいのは、どこにでもいるでしょ」とか「君の代わりは沢山いるよ」と言われるのはつらいこと。受験や就活を通して、自分がいかにユニークかつ優秀かを証明しつづけなければならない。彼らにはなんと辛いことか。

彼らの「個性」は、まだ彼らの内部で静かに眠っているだけかもしれない。同じような価値観を与えられ、同じような教育を受けてきた彼らが、表面的に似たようなベールをまとっているのは、ある程度仕方がない。小さなころにはあった個性を、隠されてしまっただけかもしれない。

うちの大学の4年生もこれから社会に出ていく。とりあえず「どこにでもいる」っていうのもいいのではないですか。とりあえず普通の平均値からはじまっても、いつか社会でもまれていくうちに、たったひとつの自分が輝きだすのではないですか。

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レイチェル・リンド

宝石のようなカップ / 小伝馬町のカフェ華月で レイチェル・リンドというおばさんのことを覚えていますか? 「赤毛のアン」に登場する、わりと重要なキャラクターですよね。アンが住むグリーンゲーブルスから丘を下っていったあたりに住んでいました。だから、アンの養父母である、マリラやマシューが街へ向かう時には、どうしてもこのレイチェル・リンドさんの家の前を通ることになります。 家事全般を完ぺきにこなす主婦であり、人の行動倫理を極める教育者でもある。こういう人だから、マリラのアンに対する教育方針にもなにかと口を出す。悪い人ではないんだけど、真面目過ぎてちょっと困った人です。 彼女は、自分の家の周囲で何か変わったことがあると、それが何なのかが理解できるまで、徹底的に調べないと気がすみません。マシューがちょっと正装して通っただけで落ち着かなくなってしまう。 「ああ、これで私の一日は台無しだわ」 いったい何があったのだろうと、行き先をあれこれ詮索しないではいられません。家事も、なにも手につかなくなってしまう。 カナダの田舎アボンリーに住むレイチェル・リンドですが、SNSに時間を費やす僕たちによく似てませんか。 誰がいま何をやっているのか、どこへ行っているのか、何をつぶやいているのか。仕事をしているのか、休暇をとっているのか、誰と食事しているのか、タイムラインをチェックせずにはいられない。 まわりが何をやっているのかいつも気になる。 でもそのくせまわりと同じ事はやりたくない。 みんなそういうものですよね僕たち人間って。

クリングゾルの最後の夏

ヘルマン・ヘッセは、生涯の旺盛な読書を通じて、中国、日本などの東洋思想に惹かれていた。実際に南アジア方面への旅行を通じて著した「インドから」という本もありますし「シッダールダ」という本も書いています。 「クリングゾルの最後の夏」(☆1)という小説は、四十二歳で生涯を閉じようとする一人の画家を主人公にヨーロッパの没落を扱った異色の小編だそうです。読んでみたいけど、なかなか入手できないです。この小説に出てくる主人公たちは、お互いを「杜甫」「李太白」などと呼び合う。彼らの会話は、まるで禅問答。

帝国ホテルについて知ったかぶり

スェーデンで大学教員をされている我が同輩H氏は、フェースブックでほんとに面白いことをつぶやく。彼のお話には、いつもいろいろと考えさせられる。このたび彼は、アマゾンのKindle版で 「ゴッホ-崩れ去った修道院と太陽と讃歌」 という立派な、デジタル本を出版したという。その手際の良さと行動力に感服するわけだが、それより面白かったのは、彼の感想。 キンドル版への登録はそれほど大変ではなく、本ができていれば30分もかからず登録できるという。そして彼はいまのこういうデジタル的な作業と、昔の作業をくらべて振り返る。彼が会社にはいった当時(それは僕がはいったころと一緒だ)は、学会発表の原稿は原稿用紙に手書き、会社の大部屋でチェリーかなんかをスパスパ吸いながら手書きで書いていたって。