遅咲きの花

花を咲かすまで40年

年をとってから出世した人のことを「遅咲きの花」という。50歳から画家となった、ルソーのような人のことを言うのかな。今や大人気作家の村上春樹さんだって「遅咲き」かな。「風の歌を聴け」が出るまでに、7年近くもジャズ喫茶の店長さんをやっていらした。その間に小説の構想が熟成したんだ。漢字の由来を解き明かした、白川静先生も、長年の下積みの研究を経て、えらく「遅咲き」だったと聞く。

ところで、実際にある「遅咲きの花」というのは、どんな花なんだろうか。普通は、仲間がみな散ってしまってから冬に咲くコスモスのようなものだろうと思っていた。ところがこの世には、文字通りに、ものすごい「遅咲きの花」もあると知って驚いた。この花は、30年〜40年もの年月をかけてたった一回だけの花を咲かせる。そしてその後は? なんと枯れてしまうんだって。

その花の名は、アガベ・ビクトリアエ・レギナエ。 リュウゼツランの一種だそうだ。この花、その見た目もなかなかの大物で、花茎は5メートルにも達するのだ。花というよりも、立派な庭木のようにも見える。9月3日のサンケイのEX記事で紹介されていたのだか、西インド諸島や南米に分布するこの花を、なぜか札幌市に住む大町彰さんという方が、育てあげた。大町さん自身は、60歳ということだから、この花とは、人生の半分以上の時間を過ごしてきたことになる。

今年の9月2日から咲きはじめて、中旬ごろに見ごろを迎えると、この記事には書いてある。おそらく、今ごろはもう、この「遅咲きの花」は、その花としての使命を果たし、枯れてしまったに違いない。

40年間もかけてひとつの花を咲かせるなんて、「遠大な目標を持ったひと」という人格をさえ感じる。大きな理想がなければ、40年もの間、じっとがまんの人生は送れませんよ。「いつか咲いてやる」「いつか咲いてやる」で40年。なかなか出来ることではない。

その点、人間というものは気が短いものだ。特に最近は、短気な話が多い。いかに失言や失策の多い民主党政権とはいえ、一国の政権が、ずいぶんあっさりと見限られるものだ。企業も売れない商品は撤退する。あたらない企画やブランドは取り下げる。長期間結果の出ない研究は仕分けされる。

このへんの「短気」なフィーリングは、着実に若者にも伝染している。就活もうまくいかなければすぐにあきらめる学生。研究室で叱られればドロップアウト。もともと「遠大な目標を持たない」人間は、30年も40年ものあいだ耐え忍ぶことは出来ない。ぽっと出のアイドルも、もてはやされる時間は短い。一時的に人気者となった年少のスターたちは、思い出されることもなく消えていく。

私自身を振り返ると、たいした花も実も無い人生が50年も積み重ねてしまった。花が咲くまでには、あと30年くらいはかかると覚悟を決めなければ。いや、それはちょっと遠大すぎるかな。そんなこと誰も認めてくれはしないだろうな。

Photo Wikimedia : by Miwasatoshi >>>
Agave-chrysantha

この投稿を書き終えたところで、ツィッターのnishijima_botが、こうつぶやいた。われわれの年齢は植物のそれである。芽をふき、成長し、花を咲かせ、しぼみ、そして枯れる。(ヘルダー)

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