■しかく「日本語字幕がついている日本語版」というバージョンで観た。字幕はレイアウトを邪魔して見づらいことこの上なかったが、戦時歌謡や玉音放送は字幕があって助かった。
■しかく「この世界」が素晴らしいのは話を「妖怪」から始めること。妖怪は民主シュギだの近代だのが始まるずっと前からいて、人間を見つめ続けている。童話や神話のイメージを冒頭にもってくるのはハリウッド映画のメソッドっぽい。そして二幕目あたりに主人公ではない誰かが、作品のテーマをさりげなく語ってるんだ。
「浪がうさぎみたいに見える」のは、宮部みゆきの「孤宿の人」ですよね(ちなみに海が荒れる凶兆)、人取り鬼や座敷童の登場の仕方も宮部みゆきっぽいと思った。
■しかく考えてみれば「悲しくてやりきれない」というのはスゴイ歌だ。ほかの歌は「悲しくてやりきれない」というのを言葉にしたくないから、津軽海峡で冬景色を見たり、着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んだりしているのに。
■しかくこの映画の呉や広島はおっとりしていて、激しい気性の人やムチャクチャな性格の人はあんまり出てこない。そういうのは全部「仁義なき戦い」が引き受けてくれているので、バランスがとれている。
ちなみに僕的感動のツボは、最後の最後に「天井のほうから誰のかわからない白い手(右手)が出てきて、すずさんの頭をなでなでする」ところ。
■しかく原作にあった「すずが夫・周作と娼婦りんとの関係性を見抜く」というのがオミットされてたのは残念だ。「私はいつもボーっとしている」と自称している割には、すずさんが鋭い観察眼と洞察力を持っている描写だからだ。
■しかく「この世界の片隅に」には必死で作った楠公飯(玄米を炒ってふやかした飯)が進駐軍のゴミ入り残飯雑炊のウマサに完敗するシーンがある。でも今なら低カロリーでオーガニックな楠公飯の完全勝利。進駐軍のチョコレートなんて見向きもしないだろう。そういう形で「なんらかの逆襲」は始まっている。
■しかく21世紀の御世になっても「筆入れ」「下駄箱」「歯磨き粉」という言葉は消えない。まだ「この世界の片隅に」の世界と地続きな感じ。(いつまで下駄箱つってんだ)
■しかく「この世界の片隅に」はわかりやすい話だけど「単純な物語」では全然ないのだ。純朴でほのぼのとしたすずさんの頭上に爆弾を落とすアメリカ人も、きっとあのタッチの純朴でほのぼのとした人間なんだからね。
■しかく一見、純朴でほのぼのとしてるように見えるすずさんだけど、ストレスでハゲができたり、意識下で激しい葛藤があり、情念がうずまいているのだ。そういうドロドロしたものは表面には出てないけど、あの日本家屋の座敷の「薄暗さ」「気味悪さ」に象徴されているのだと思う。
■しかくのんちゃんは放射能クモにかまれてクモ人間になる映画に出たらいいのに。
タイトルは「のんちゃん蜘蛛になる」で。
■しかく「この世界」が素晴らしいのは話を「妖怪」から始めること。妖怪は民主シュギだの近代だのが始まるずっと前からいて、人間を見つめ続けている。童話や神話のイメージを冒頭にもってくるのはハリウッド映画のメソッドっぽい。そして二幕目あたりに主人公ではない誰かが、作品のテーマをさりげなく語ってるんだ。
「浪がうさぎみたいに見える」のは、宮部みゆきの「孤宿の人」ですよね(ちなみに海が荒れる凶兆)、人取り鬼や座敷童の登場の仕方も宮部みゆきっぽいと思った。
■しかく考えてみれば「悲しくてやりきれない」というのはスゴイ歌だ。ほかの歌は「悲しくてやりきれない」というのを言葉にしたくないから、津軽海峡で冬景色を見たり、着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んだりしているのに。
■しかくこの映画の呉や広島はおっとりしていて、激しい気性の人やムチャクチャな性格の人はあんまり出てこない。そういうのは全部「仁義なき戦い」が引き受けてくれているので、バランスがとれている。
ちなみに僕的感動のツボは、最後の最後に「天井のほうから誰のかわからない白い手(右手)が出てきて、すずさんの頭をなでなでする」ところ。
■しかく原作にあった「すずが夫・周作と娼婦りんとの関係性を見抜く」というのがオミットされてたのは残念だ。「私はいつもボーっとしている」と自称している割には、すずさんが鋭い観察眼と洞察力を持っている描写だからだ。
■しかく「この世界の片隅に」には必死で作った楠公飯(玄米を炒ってふやかした飯)が進駐軍のゴミ入り残飯雑炊のウマサに完敗するシーンがある。でも今なら低カロリーでオーガニックな楠公飯の完全勝利。進駐軍のチョコレートなんて見向きもしないだろう。そういう形で「なんらかの逆襲」は始まっている。
■しかく21世紀の御世になっても「筆入れ」「下駄箱」「歯磨き粉」という言葉は消えない。まだ「この世界の片隅に」の世界と地続きな感じ。(いつまで下駄箱つってんだ)
■しかく「この世界の片隅に」はわかりやすい話だけど「単純な物語」では全然ないのだ。純朴でほのぼのとしたすずさんの頭上に爆弾を落とすアメリカ人も、きっとあのタッチの純朴でほのぼのとした人間なんだからね。
■しかく一見、純朴でほのぼのとしてるように見えるすずさんだけど、ストレスでハゲができたり、意識下で激しい葛藤があり、情念がうずまいているのだ。そういうドロドロしたものは表面には出てないけど、あの日本家屋の座敷の「薄暗さ」「気味悪さ」に象徴されているのだと思う。
■しかくのんちゃんは放射能クモにかまれてクモ人間になる映画に出たらいいのに。
タイトルは「のんちゃん蜘蛛になる」で。
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中野貴雄
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