10.09.2014
理不尽な進化 まえがき
本ブログで2011年から2013年にわたって連載していた『理不尽な進化』が、このたび書籍になります。2014年10月25日から書店店頭にならびはじめます。これまで連載を読んでくださってありがとうございます。大幅な加筆修正がなされ、最後にはおもわず息をのむ眺望がまっていますので、ぜひ本を手に取ってみていただけるとうれしいです。本の「まえがき」を公開いたします。(編集部)
ま え が き
この本のテーマ
この本は「理不尽な進化」と題されている。ちょっと変なタイトルかもしれない(私もそう思う)。そもそも、進化が理不尽であるとは、どういう意味だろうか。
私たちはふつう、生物の進化を生き残りの観点から見ている。進化論は、生存闘争を勝ち抜いて生存に成功する者、すなわち適者の条件を問う。そうすることで、生き物たちがどのようにしてその姿形や行動を変化させながら環境に適応してきたかを説明する。そこで描かれる生物の歴史は、紆余曲折はあれどサクセスストーリーの歴史だ。生き残った生物は、なんらかの点で生存に有利だったからこそ生き残ったのだから。
10.08.2014
断片的なものの社会学 第8回「笑いと自由」
岸 政彦
第8回「笑いと自由」
本ブログで2013年末から1年間にわたって連載していた『断片的なものの社会学』が、このたび書籍になります。2015年6月はじめから書店店頭に並ぶ予定です。これまで連載を読んでくださってありがとうございました。書き下ろし4本に、『新潮』および『早稲田文学』掲載のエッセイを加えて1冊になります。どうぞよろしくお願いいたします!(編集部)
先日、ある地方議会で、男性議員からの、女性議員に対するとても深刻なセクハラヤジがあり、メディアでも大きく取り上げられて問題になっていたが、そのとき印象的だったのは、ヤジを飛ばされているちょうどそのとき、その女性議員がかすかに笑ったことだった。
あの笑いはいったい何だろうと考えている。
* * *
仕事でも、あるいは個人的にも、いろんな人たちとお付き合いがあり、なかでも自分の研究や教育、社会活動の関係で、いわゆるマイノリティとか差別とか人権とかそういう活動をしている人たちと友だちになることが多い。
ある在日コリアンの男性で、私が心から尊敬して信頼している友人がいるのだが、彼がいつもくだらないことばかり言う。さすがに詳しくはここでは書けないが、非常に不謹慎で、自虐的なネタを言うことも多い。携帯に着信があって取ると「こんにちは、北朝鮮のスパイですけど」とか言われる。不謹慎以前にスベっていることも多く、どう返していいかわからないので、大半は何か適当にごにょごにょとつぶやいている。彼のふだんの、真面目で地道で真摯な活動をよく知っているだけに、いつも困る。
沖縄で、基地問題や沖縄戦の研究で非常に著名な方から、「内地留学」のお話を伺ったことがある。沖縄では、復帰前に本土の大学や大学院に進学することを、「内地留学」とか「本土進学」という言い方をしていた。本土へ来るのにパスポートが必要な時代だった。自分の家族と親戚がいちどだけ、わざわざ沖縄から会いに来たことがあって、東京の繁華街の真ん中で待ち合わせたときに「向うのほうから真っ黒い顔の集団がやってきて、どこの土人かと思ったら、僕の家族だったよ」と言って大笑いをしていた。私は曖昧かつ間抜けな笑みをうかべて、あははと小さく笑うしかなかった。
部落問題について研究している連れ合いの齋藤直子が、関西のある被差別部落の青年会の人たちと車で一緒に移動しているときに、また別のもうひとつの被差別部落の横を通りかかったら、青年たちが「なんか臭いな」「なんか臭いで」「ここ部落ちゃうか」「ここ部落やで」と言いながら大笑いしていたそうだ。
* * *
9.27.2014
渡し舟の上で:現存被曝状況から、現存被曝状況へ|安東量子+ジャック・ロシャール
渡し舟の上で
Sur la barque des passeurs現存被曝状況☆から、現存被曝状況へ
entre deux situations d'exposition existante
――第1回――
安東量子+ジャック・ロシャール
Ryoko Ando et Jacques Lochard
「原発事故以降、福島を巡って巻き起こる声は、そこに住む人間にすれば、すべて、住民を置き去りにしたもののように感じられました。
誰もが、当事者をないがしろにして、何かを語りたがっている状況に、私は、強い違和感を感じました。おそらく、怒りと言っていいのだと思います。
私がこんな事をはじめた理由は、自分達のことは、自分達自身で語るしかないのだ、という思いが根底にあります。
ただ、そんな中、ICRP111だけが、私たちに寄り添ってくれたものであるように感じられました」
こう書いたのが、 「福島のエートス」☆☆代表を務める安東量子さんでした。2012年3月のことです。
この文章にある「ICRP111」とは何でしょうか。民間の非営利団体である国際放射線防護委員会(ICRP)が、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故後、放射性物質に汚染された土地で、そこに住む人々の回復 (rehabilitation)を模索した成果です。被災地域の住民や行政との対話を通してその任に当たった専門家たち──そのひとりがロシャールさんです──が、 この文書を2009年にまとめました☆☆☆。
邦題はたいへん長いもので、「原子力事故または放射線緊急事態後の長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用」と言います。
安東さんとロシャールさんは、2011年の冬以降、この3年弱のあいだ、電子メールを使って、やがて直接顔を合わせることによって、対話を重ね、経験を共有してこられました。
ロシャールさんは、あるインタビューでこう語っています。
「私は川をはさんでこちら側と向こう側の岸を行き来する小さな船の渡守です。チェルノブイリと福島の橋渡し。それと福島と、広島、長崎とのあいだ。まだチェルノブイリ事故の教訓は完全に総括されていませんが、これからは福島に学ぶことが多い。現代から未来へ、二つの事故の記憶も伝えていきます」☆☆☆☆
この往復書簡「渡し舟の上で」では、おふたりの経験と思いを綴っていただく予定です。原子力発電所事故による災厄の、個人的な側面と集団的な側面の結節点が、読者にゆっくりと伝わることを念じています。〔編集部〕
誰もが、当事者をないがしろにして、何かを語りたがっている状況に、私は、強い違和感を感じました。おそらく、怒りと言っていいのだと思います。
私がこんな事をはじめた理由は、自分達のことは、自分達自身で語るしかないのだ、という思いが根底にあります。
ただ、そんな中、ICRP111だけが、私たちに寄り添ってくれたものであるように感じられました」
こう書いたのが、 「福島のエートス」☆☆代表を務める安東量子さんでした。2012年3月のことです。
この文章にある「ICRP111」とは何でしょうか。民間の非営利団体である国際放射線防護委員会(ICRP)が、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故後、放射性物質に汚染された土地で、そこに住む人々の回復 (rehabilitation)を模索した成果です。被災地域の住民や行政との対話を通してその任に当たった専門家たち──そのひとりがロシャールさんです──が、 この文書を2009年にまとめました☆☆☆。
邦題はたいへん長いもので、「原子力事故または放射線緊急事態後の長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用」と言います。
安東さんとロシャールさんは、2011年の冬以降、この3年弱のあいだ、電子メールを使って、やがて直接顔を合わせることによって、対話を重ね、経験を共有してこられました。
ロシャールさんは、あるインタビューでこう語っています。
「私は川をはさんでこちら側と向こう側の岸を行き来する小さな船の渡守です。チェルノブイリと福島の橋渡し。それと福島と、広島、長崎とのあいだ。まだチェルノブイリ事故の教訓は完全に総括されていませんが、これからは福島に学ぶことが多い。現代から未来へ、二つの事故の記憶も伝えていきます」☆☆☆☆
この往復書簡「渡し舟の上で」では、おふたりの経験と思いを綴っていただく予定です。原子力発電所事故による災厄の、個人的な側面と集団的な側面の結節点が、読者にゆっくりと伝わることを念じています。〔編集部〕
Pour lire les textes français, cliquez ici.
親愛なるジャック
日本は長い梅雨の終わりにさしかかっています。先日、寝る前にふと自宅の玄関を開けたら、目の前に小さな黄緑色の光が浮かんでいました。一瞬なんのことかわからず、その後すぐに、それが蛍であることに気づきました。
あなたの国でも蛍は飛びますか? 日本では、蛍の光を亡くなった人の魂に喩える人もいます。私の亡くなった祖母がそうでした。かつて、彼女が話してくれたことがあります。
祖父を亡くした年の夏、親戚の家で夜更けまで話し込んだ帰り道、タクシーを降りた先に蛍が飛んでいたそうです。蛍は、家路を導くように玄関先までいざない、そして、その晩はずっと同じ場所で、時に光り、時に消えながらたたずんでいた。そう、祖母は笑いながら、私に話しました。その時の、幸せそうな安堵感をたたえた祖母の言葉は、今でもはっきりと私の耳に残っています。
「おばあさんな、ああ、おじいさんが帰ってきたんじゃ、と思ったんじゃ」。
私は、それまで、こうした物語を一切信じない人間でした。けれど、祖母の話を聞き、強く心に残ったこのエピソードに何度か思いを巡らせた後、考えを変えました。人の暮らしの豊穣さ、人間が生きることの本質は、こうした些細な物語のうちにあるのではないかと思うようになったからです。
今でも、私は、それが祖父の魂であったとは信じていません。けれど、それが嘘でも本当でもどちらでもいい、そう信じた祖母の語りと、その笑顔にこそ、なによりも大切なものがある、と、そう信じています。
私があなたに書く手紙の冒頭に、こんなことを書くのはなぜなのでしょう。
それは、私があなたと出会うことになった奥底には、こんなささやかな私的な経験が眠っているような気がするからです。
2012年の2月、福島県伊達市のICRPダイアログセミナーで、私があなたと最初に出会ったのは、大雪の日でした。普段は2時間程度で到着する道のりを、6時間もかけて、私は会場に到着したのでした。2011年3月の震災から、まだ1年経たないあの頃は、いまだ、それ以前には経験したことのない異常な緊張感に満たされていたことを思い出します。もしかすると怒声さえ飛び交うのではないかと感じさせる会場の席に、大幅に遅刻して座った私が感じていたことがわかりますか? 会場の暖房が効きすぎたり、効かなすぎたりすることを気にかけながら、私は、司会のあなた言うことが、なぜ、こんなに自分の思考と重なるのだろう、と不思議に思っていたのでした。
それよりも少し前、あなたが書いたICRP111勧告を、私が最初に読んだのは、2011年の10月頃だったと思います。評判では、哲学的で理解しがたいというそれを、私が読んでみる気になったのは、震災後の混乱の中で、とにかくどこかに道筋はないかと探し続けたいくつもの悪あがきのひとつでした。
私が、それまでに地元で小さな放射線の勉強会を開いていたことを、あなたはよくご存知ですね。それは、よくある、けれど、私なりに工夫をこらした放射線の正しい知識を得るための勉強会でした。地元の顔見知りに声をかけ、参加者を集めたその勉強会の経験を通じて、私が強く感じたのは、これは、私たちが必要としているものではない、ということでした。私たちに必要なのは、勉強のための知識ではなく、もっと現実に即した、自分たち自身の現実に向き合うための具体的な方途なのだと私は直感し、けれど、そのためにはどうすればいいのかわからず、その手がかりを探していたのでした。
本当のことを言えば、よくある行政文書のような堅苦しく、形式ばって、それでいて中身は薄い、そんな文書を想像していました。あまり、というよりも、ほとんどまったく期待せずに、当時、日本で目にすることができたICRP111勧告の抄訳版を一読し、私の予想は裏切られました。大きな驚きとともに、心に浮かんだ最初の感想は、「これは私たちのために書かれたものだ」というものでした。
私は、その頃、苛立ち、怒り、悲しみ、そうした暗い感情に満たされていました。なにか光になるものはないか、と探し続けていました。ICRP111勧告は、私が最初に見つけた光、と言っていいと思います。
細かな部分は理解できていなかったと思います。けれど、これが、原子力被災地の被災者のために書かれたものである、ということは、はっきりとわかりました。全体を通して、どこまでも、そこに住む人間にとって不利益にならないよう、それでいて、現実的に被災者の役に立つように、慎重な配慮が施されていることが、強く感じ取られました。同時に、ひどく不思議に思ったのでした。
なぜ、こうしたものが書かれることが可能となったのだろう? 専門家の団体であるというICRPから出された勧告であるのに、その視点は、十分すぎるほどに、そこに暮らす人間のものであるとしか思えなかったのです。
その理由が知りたくて、私が行き着いたのが、あなたがチェルノブイリ事故後10年を経て、ベラルーシで取り組んだというエートスプロジェクトでした。そのことについては、この先、あなたに語ってもらった方がいいですね、きっと。
そして、冒頭に書いた蛍に話を戻しましょう。
私が、ICRP111勧告の後ろに見たのは、無数の飛び交う蛍の光だったのだろうと思うのです。あなたが経験し、あなたが共に語り合ったベラルーシの人々の小さな小さなささやかな、それでいて力強く、時にか弱く、喜び、悲しみ、絶望、希望、あらゆる感情に満たされた、無数の物語。それらがあの勧告文の後ろに、静かに、けれど、はっきりと明滅しています。祖母が愛おしんだ蛍と、その光は、私の中で重なり、同じようにあたたかく光を放ちます。
私は、その豊穣さを抱きしめます。なによりも、信ずるに値するものとして。
2014年7月11日
台風が素通りした日に
安東量子
台風が素通りした日に
安東量子
8.29.2014
イロイロイロ|第1回 横から、上から、または並べて。
下東史明
第1回 横から、上から、または並べて。
車体のイロに注目した、まったくあたらしい発想の鉄道本『トレインイロ』が、今回、電子書籍になりました。これを記念して、著者の下東史明さんに、イロとモノの見方についてのエッセイを寄稿いただます。見慣れたモノも、ちょっと違う角度から見てみると…? お楽しみください!(編集部)
『トレインイロ』
書籍版:
朝日出版社ウェブサイト|Amazon|honto|ジュンク堂書店|紀伊国屋書店|楽天ブックス
電子書籍版:
honto|楽天ブックス|BookLive|E-hon|ebookjapan | 紀伊国屋書店
★『トレインイロ』の壁紙ダウンロードできます。
http://www.asahipress.com/event/train.html
(全部で8種類。サイズはすべて1024×768ピクセル)
『トレインイロ』
書籍版:
朝日出版社ウェブサイト|Amazon|honto|ジュンク堂書店|紀伊国屋書店|楽天ブックス
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(全部で8種類。サイズはすべて1024×768ピクセル)
このたび電子書籍になった拙著『トレインイロ』は、鉄道車両を横から見て抽象化していましたが、車両に限定せず対象を拡げれば、モノ一般は、横からだけでなく、もっと数多くの方向から見直すことができます。
見る方向・角度でガラリと見え方が違ってくるという事態は、誰でも経験していることなのです。僕たちは、知らず知らず、モノの一面だけを見てしまいがちであることを、いくつかの事例を通してご覧に入れたいと思います。
Aは皆さん、何に見えますか?
A
多くの人はダーツもしくはルーレットと見たと思います。
次にBをご覧ください。
B
スイカかな?と思われた方が多いのではないでしょうか。
では次のCはどうでしょう?
C
これもスイカを抽象化したものです。
横に並べてみましょう。C'です。
C'
8.14.2014
加藤陽子さんが選ぶ2014年夏に読んでほしい本
全国の書店でフェア開催中・加藤陽子さんがセレクトした、今年の夏に読んでほしい本10冊と、メッセージをお届けします。加藤陽子さんの似顔絵は、牧野伊三夫さんによるもの。選書フェアでは、各書籍の紹介付き小冊子も配布しています。末尾に掲載しているフェア開催書店さんで、ぜひお手に取ってみてください。(編集部)
『〈戦後〉が若かった頃』とは、私の愛してやまない仏文学者・海老坂武氏の自伝のタイトルです。
今ふりかえれば、戦後日本の若さを支えていたのは、大戦争の惨禍をくぐった後の省察に立った非戦力であったことに気づかされます。
日本を支えてきた大前提が一つの内閣の短慮で崩された 「今」、わたくしたちは新たな決意のもとに「記憶せよ、抗議せよ、そして生き延びよ」(井上ひさしの言葉)をモットーに、非戦力を再び獲得するための長い闘いを始めなければならないと思います。
桜のように散り際が美事な国民性には別れを告げ、竹のようにしなやかに強く生きていこうではありませんか。
そのような時に、あなたとともにあって、あなたを力づけてくれるはずの本を選びました。
――加藤陽子
7.23.2014
修道院のレシピ:電子化記念!特別レシピ公開
猪本典子
『修道院のレシピ』(2002年、朝日出版社より刊行)は、フランス・ブルターニュ地方の修道院で開かれていた花嫁学校のお料理のクラスで使われていた教本 COURS DE CUISINE の全訳。500に及ぶレシピのほとんどは、フランスのふつうの家庭で食べられているお料理です。邦訳の刊行から10年以上が経ちますが、いまだに版を重ねているロング・セラーです。
『修道院のレシピ』
書籍版:
朝日出版社ウェブサイト|Amazon|honto|ジュンク堂書店|紀伊国屋書店
電子書籍版:
honto|楽天ブックス|BookLive|E-hon|ebookjapan
今回、この本が電子書籍になりました。これを記念して、本の中から特にご紹介したいレシピを、著者の猪本典子さんにご紹介いただきます。料理の写真も、猪本さんの撮りおろしです。(編集部)
このページのもくじ
『修道院のレシピ』
書籍版:
朝日出版社ウェブサイト|Amazon|honto|ジュンク堂書店|紀伊国屋書店
電子書籍版:
honto|楽天ブックス|BookLive|E-hon|ebookjapan
今回、この本が電子書籍になりました。これを記念して、本の中から特にご紹介したいレシピを、著者の猪本典子さんにご紹介いただきます。料理の写真も、猪本さんの撮りおろしです。(編集部)
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猪本典子さんより
「フランス料理を好きになってくれる人が増えれば」とあとがきを結んだ『修道院のレシピ』も出版から12年。干支が一巡する間、フランス料理に愛着を覚えた人はどれくらい増えたのだろう。
まず身近な人たちに大きな変化がひとつ。クスクスに添えると粟や稗だと多くの中年男性に不興をかったスムールも、目先を変えてタブレ(修道院のレシピ p.114)にすればまあみなさん、食べず嫌いであったことに気づいたり。そうなんですね、いくらパスタと同じセモリナ粉が原料だと説明しても、思い込みというものはなかなか振り払えないもので。ようやくスムールに対しての変な先入観がなくなったといえるのかもしれない。
ビストロもずいぶんと増えましたね。ステーキにフリッツやサラダを添えたものを気軽に食べることができ、おかげでフランス料理=ソースがたっぷりかかったもの、というこちらの印象も払拭された様子だ。
フレンチトーストもここ数年よく話題になるが、これもパン・ペルデュ(p.270)というフランスのおばあちゃんの智恵のような一品だということを、もちろんご存知でしょう。
フランスでも鮨に始まり今では餃子や丼もの、弁当(?!)まで大いにもてはやされる日本食、日本でもまずは第一歩、件の通り余分な偏見が取り除かれ、フランス料理のおいしさに気づく人が増えていくに違いない。ちなみにお菓子の分野ですが、今年中にゴーフルのブームがやって来るとそんな気がするんですがね。
さてそんな状況で、今回『修道院のレシピ』の電子版が配信される。以前からオーヴンの温度についての質問が多々あったが、やはり電気とガス、大きさ、個々の癖などで設定温度を明確にはできないのだ。中温、高温、時間などの表記を目安にしていただいてというほかない。ただ、どうしても解りづらいという箇所についてはオーヴンの温度以外にもこちらでお答えしようと思っているので、質問をお送りいただけましたら。
12.24.2013
岸 政彦
第1回 イントロダクション
本ブログで2013年末から1年間にわたって連載していた『断片的なものの社会学』が、このたび書籍になります。2015年6月はじめから書店店頭に並ぶ予定です。これまで連載を読んでくださってありがとうございました。書き下ろし4本に、『新潮』および『早稲田文学』掲載のエッセイを加えて1冊になります。どうぞよろしくお願いいたします!(編集部)
もう十年以上前にもなるだろうか、ある夜遅く、テレビのニュース番組に、天野祐吉が出ていた。キャスターは筑紫哲也だったように思う。イランだかイラクだかの話をしていて、筑紫が「そこでけが人が」と言ったとき、天野が小声で「毛蟹?」と言った。筑紫は「いえ、けが人です」と答え、ああそう、という感じで、そのまま話は進んでいった。
* * *
私は社会学というものを仕事にしている。特に、人びとに直接お会いして、ひとりひとりのお話を聞く、というやり方で、その仕事をしている。主なフィールドは沖縄だが、他にも被差別部落でも聞き取りをしている。また、自分の人生で出会ったさまざまな人びと、セクシュアルマイノリティや摂食障害の当事者、ヤクザ、ニューハーフ、ゲイ、外国人などに、個人的に聞き取りをお願いすることもしばしばある。さらに、これらの「マイノリティ」と呼ばれる人びとだけでなく、教員や公務員、大企業の社員など、安定した人生というものを手にした人びとにも、その生い立ちの物語を語っていただいている。いずれにせよ、私はこうした個人の生活史を聞き取りながら、社会というものを考えてきた。
調査者としての私は、聞き取りをした人びとと個人的な友人になることもかなり多いし、また逆に、個人的な友人にあらためてインタビューをお願いすることも少なくない。しかし、多くの場合は、私と調査対象の方々との出会いやつながりは、断片的で一時的なものである。さまざまなつてをたどって、見ず知らずの方に、一時間か二時間のインタビューを依頼する。私と人びととのつながりは、この短い時間だけである。この限られた時間のなかで、その人びとの人生の、いくつかの断片的な語りを聞く。インタビューが終わったあとは二度と会わない方も多い。顔も名前もわからない方に、電話でインタビューしたことも何度かある。
こうした断片的な出会いで語られてきた断片的な人生の記録を、それがそのままその人の人生だと、あるいは、それがそのままその人が属する集団の運命だと、一般化し全体化することは、ひとつの暴力である。
私たち社会学者は、仕事として他人の語りを分析しなければならない。それは要するに、そうした暴力と無縁ではいられない、ということである。社会学者がこの問題にどう向き合うかは、それはそれぞれの社会学者の課題としてある。
12.13.2013
暮らしの放射線Q&A
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書評と読者から寄せられた声
what's new
→ ある国語科教員の方から書評をいただきました '14 4/4 NEW!
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2011年3月に開始され、1,800余の質問に答えてきた「専門家が答える 暮らしの放射線Q&A」。全回答から80項目を厳選、全面改稿のうえ書籍化し、2013年7月に刊行しました。
毎日のように寄せられる質問から、抱えきれない不安と動揺を受けとりました。本書は、単なる活動の記録としてだけではなく、後世に残る「スタンダード」にもなることを願って刊行しました。放射線に関する「家庭の医学」のように読まれれば理想的です。
本書をお読みになった方からの反響が届いていますので、ご紹介します。
日本保健物理学会
「暮らしの放射線Q&A 活動委員会」
『暮らしの放射線Q&A』
朝日出版社
定価2,940円(本体2,800円+税)
A5判並製・400ページ
「暮らしの放射線Q&A 活動委員会」
『暮らしの放射線Q&A』
朝日出版社
定価2,940円(本体2,800円+税)
A5判並製・400ページ
毎日のように寄せられる質問から、抱えきれない不安と動揺を受けとりました。本書は、単なる活動の記録としてだけではなく、後世に残る「スタンダード」にもなることを願って刊行しました。放射線に関する「家庭の医学」のように読まれれば理想的です。
本書をお読みになった方からの反響が届いていますので、ご紹介します。
下記の「書評と読者からの声」を、小冊子にまとめています。講演会などで配布していただける機会がございましたら、お送りいたしますので、お知らせいただければ幸いです。(部数は50部を上限とし、送料〔約160円程度〕はご負担いただきます。日本国内限定とさせてください。) 問い合わせ先: info2★asahipress.com (★を@に変えてください)
11.08.2013
末井昭
『自殺』 まえがき
元白夜書房の編集者・末井昭さんが、ぐるぐる考えながら書いてきた連載『自殺』が本になりました。これまで連載を読んでくださり、本当にありがとうございました。今回は、書籍版『自殺』のまえがきをお届けします。ぜひ書店店頭で手に取ってみてください(編集部)。
二〇〇九年に朝日新聞のインタビューを受けました。テーマは「自殺防止」でした。僕の母親が自殺していて、そのことを書いたり喋ったりしているので依頼されたのだと思います。そして、二〇〇九年一〇月八日の朝日新聞に次のような記事が載りました。
今年は、自殺者が過去最悪ペースだそうです。見つかっていない人なんかも含めれば、もっと多いはずです。ゆゆしき問題ですよね。
僕の母親は、僕が小学校に上がったばかりのころ、自殺しました。隣の家の10歳下の青年とダイナマイト心中したんです。僕の故郷は、岡山県のバスも通らない田舎の村で、近くに鉱山があって、ダイナマイトは割と身近なものだったのです。
物心ついたころ、母は結核で入院していて、うつるからとお見舞いも行けなかった。だから、退院したときはうれしかったですよ。治る見込みがないから退院したんですけどね。母は優しかったが、不良になってました。貧乏だった僕の家のわずかな家財や畑まで売ってぜいたくを始めた。昼間、父が働きにいってる間、いろんな男の人が家に出入りするようにもなった。毎日、夫婦げんかです。ある日、けんかの後、母はプイッと出て行って、数日後に爆発しました。退院から1年ちょっと。32歳でした(いい加減なもので、僕はこのとき母親の歳を間違えていました。30歳でした)。
その後、一緒に爆発した青年の両親には責められたし、事件を起こした家として白い目でみられた。だけど田舎は大きな家族みたいなものだから、学校の先生や村の人たちがよくしてくれて、それほど心に深い傷を負いませんでした。ただ東京に出てきても長い間、母のことは人に言えなかった。それでもある時、芸術家の篠原勝之さんに話したら、ウケたんです。純粋な笑い話として。純粋っていうのは、同情を込めずに笑ってくれたということで、それは篠原さんの優しさだった気がします。
10.28.2013
末井昭
(刊行前のおまけ) 「自殺について」の講演と五人の自殺者
『自殺』はもうすぐ書店に並びますが、本の刊行前に、末井さんに自殺講演会の依頼がやってきてしまいました。その講演会は11月26日に行われますが、どうせなら派手に(?)やろうと、自殺した人の霊を呼びだすことになったのだそうです。呼び出す予定の5名の霊の方々と末井さんのつながりなど……どうなることやら。(編集部)
朝日出版社第二編集部ブログ「自殺」が本にまとめられ、十一月一日に朝日出版社から発売されることになりました。
このブログを書き始めた発端は、四年ほど前に自殺防止について朝日新聞でインタビューされたことです。自殺未遂もしたことがない僕が、なぜ自殺についてインタビューの依頼をされたかというと、母親が近所の若い男とダイナマイト心中していて、そのことを書いたり喋ったりしていたからです。
その朝日新聞の記事を見た朝日出版社の鈴木久仁子さんから(ちなみに朝日新聞と朝日出版社は何も関係ありません)、自殺について「面白い」本を書いて欲しいという依頼がありました。最初は気乗りしなかったのですが、あの震災のあと自分も何かしないといけないという気持ちになり、ブログで連載というかたちで書くことになったのでした。
8.12.2013
ジュンク堂書店池袋本店で、岡ノ谷一夫著『「つながり」の進化生物学』の夏休み連続イベントを行います。第一弾は、『カラスの教科書』(雷鳥社)の松原始さんとの「カラス対ジュウシマツ」という、鳥づくしの楽しいお話でした。
第二弾・8月22日にお招きするのは、『皮膚感覚と人間のこころ』(新潮社)がさまざまな媒体で話題となっている傳田光洋さんです。(編集部でも2007年、傳田さんの『第三の脳』を刊行していますが、息長く読まれつづけるロングセラーです)。
「さわりあう心」と題して、傳田さんと岡ノ谷さんが、ヒトが「毛」を失い、言葉が生まれるまでのコミュニケーション(皮膚と言葉の起源)について、そして意識・心、コミュニケーションの未来について、対話してゆきます。
傳田さんが8月の対談の前に、「私の皮膚研究遍歴」をお話ししてくださいました。イベント前にお読みください。イベントともども、どうぞよろしくお願いいたします!(編集部)
第二弾・8月22日にお招きするのは、『皮膚感覚と人間のこころ』(新潮社)がさまざまな媒体で話題となっている傳田光洋さんです。(編集部でも2007年、傳田さんの『第三の脳』を刊行していますが、息長く読まれつづけるロングセラーです)。
「さわりあう心」と題して、傳田さんと岡ノ谷さんが、ヒトが「毛」を失い、言葉が生まれるまでのコミュニケーション(皮膚と言葉の起源)について、そして意識・心、コミュニケーションの未来について、対話してゆきます。
傳田さんが8月の対談の前に、「私の皮膚研究遍歴」をお話ししてくださいました。イベント前にお読みください。イベントともども、どうぞよろしくお願いいたします!(編集部)
なんとなくそうなった ――私の皮膚研究遍歴など
いつも風呂場でゴシゴシこすってる垢の元、厚さが0.1ミリもない表皮の中にさえ、外の世界を知るための精密な感覚装置、その情報を処理するメカニズムがあります。そしてその表皮が、わたしたちの心にも影響を及ぼしている証拠がいくつも見つかってきています。あるいは精緻な文法を持つ言語をジュウシマツがしゃべっていたり(いや、さえずっていたり、かな?)、地下で複雑な情報組織社会を営んでるネズミもいるんですね。
そういう「いのち」の様々な営みを見ていると、わたしたちが生きているこの世界は、とても大きく深い知恵で満たされている――科学者の台詞じゃないと叱られるけど、「神秘」という言葉を使いたくなります。日々の生活に疲れたとき、そんな「神秘」に想いをはせると、ちょっと気分が良くなります。自然科学にはそんな効用もありますね。
ところで私は最初から皮膚の研究者を目ざしていたわけじゃないんです。いろいろあって、なしくずし的に「皮膚の研究をしろ」という状況に陥ってしまった。そのうち「皮膚は自分のバリア機能をモニターしながら、バリアがダメージを受けると修復する――そういう知的な臓器なんだ」というサンフランシスコの皮膚科学研究者が発表した論文を読んで、こりゃおもしろい、とその研究者に弟子入りしました。二年ほど猛烈に仕事して、帰国後もさらに研究を続けるうち、皮膚に脳と同じ情報処理システムが見つかったり(「興奮」して荒れた皮膚にトランキライザーを塗ると皮膚も落ち着くんですよ)、色、音、その他、いろんなシグナルを皮膚が感じている可能性も見えてきました。
その頃、依頼をいただいて、皮膚に関わる仮説をあれこれ展開してできたのが『第三の脳』という本です。そして、さらに研究を続け、あるいは他の研究者の成果をみていると「仮説」が次々に事実になってきていて、そのあたりを科学的な背景も丁寧に説明しながら書いたのが『皮膚感覚と人間のこころ』です。『第三の脳』でも触れた進化やこころ、命のあり方についても、できる限り綿密な証拠をあげ、根拠になった実験の詳細まで書きこみました。そのため、「今度の本は難しいね」なんて言われたこともありますが、皮膚という「臓器」の大変な意味、それをいろんな人にしっかり伝えられる本にはなったと思ってます。
そういういきさつなので、「皮膚ってそんなに面白いのかなあ」という人はまず『第三の脳』を手にとって「ほんまかいな?!」と驚いていただき、そこで皮膚のすごさをより詳しく知りたい人は『皮膚感覚と人間のこころ』を読んでください。まだ仮説のままの事もあるので、どっちから読んでいただいても結構です。
今、数学者さんたちとの共同研究で、皮膚の若返りや痒み対策ができないか、なんてことを考えています。『皮膚感覚と人間のこころ』の最終章でそのいきさつを書きました。この研究を進めながら、頭の中の実験室では、人間の皮膚が、現代の文明にどう関わってきたのか、どう関わっているのか、そして、これから人間はどう生きるべきなのか、それに答えるための仮想実験も進めたいと思っています。
傳田光洋(でんだ・みつひろ)
傳田さんが、数学者との共同研究でつくられた動画はこちら
世界は数式でできている|資生堂
世界は数式でできている|資生堂
7.23.2013
ジュンク堂書店池袋本店で、岡ノ谷一夫著『「つながり」の進化生物学』の夏休み連続イベントを行うことになりました。第一弾は7月25日(木)19時半~『カラスの教科書』(雷鳥社)の松原始さんとのお話です。(ご予約はジュンク堂書店池袋本店 03-5956-6111 まで)
岡ノ谷一夫さんは、信濃毎日新聞(13年3月17日)で、「ジュウシマツの本よりも絶対カラスの本のほうが売れる」と嫉妬心をのぞかせつつ、「400ページをさらりと読んでしまうところがカラスである」「勢いに乗せられて読み切ってしまうことで、カラスについていっぱしの専門家になってしまうし、動物行動学や行動生態学の概要も学べてしまうのみならず、カラスに蹴られない方法まで学べるのだ。本書が教科書を名乗るのはもっともである」と、『カラスの教科書』を紹介されていました。
雷鳥社の担当の植木ななせさん(編集担当であると同時に『カラスの教科書』のほとんどの絵を描かれてます。本文組みと装丁も!)と松原始さんに、対談テーマをどうしましょう、と相談していたところ、松原さんから『「つながり」の進化生物学』の感想として、書評をいただいてしまいました。
どこにも載せないのはもったいない……ということで、イベント前にお読みいただければと思います。イベントともども、どうぞよろしくお願いいたします。(編集部)
岡ノ谷一夫さんは、信濃毎日新聞(13年3月17日)で、「ジュウシマツの本よりも絶対カラスの本のほうが売れる」と嫉妬心をのぞかせつつ、「400ページをさらりと読んでしまうところがカラスである」「勢いに乗せられて読み切ってしまうことで、カラスについていっぱしの専門家になってしまうし、動物行動学や行動生態学の概要も学べてしまうのみならず、カラスに蹴られない方法まで学べるのだ。本書が教科書を名乗るのはもっともである」と、『カラスの教科書』を紹介されていました。
雷鳥社の担当の植木ななせさん(編集担当であると同時に『カラスの教科書』のほとんどの絵を描かれてます。本文組みと装丁も!)と松原始さんに、対談テーマをどうしましょう、と相談していたところ、松原さんから『「つながり」の進化生物学』の感想として、書評をいただいてしまいました。
どこにも載せないのはもったいない……ということで、イベント前にお読みいただければと思います。イベントともども、どうぞよろしくお願いいたします。(編集部)
岡ノ谷先生がご自分の専門領域を、わかりやすーく語る一冊。これを読めば科学、行動学、信号、コミュニケーション、そして哲学まで幅広くわかり、そして考えることができる。
岡ノ谷先生はジュウシマツの歌の研究で有名だが、その内容は歌の構造の解析(言語学的だ)、歌に対する個体の反応(行動学、あるいは行動生態学)、歌を制御する脳機能(神経生理学)、歌を覚えて行く過程(行動学、特に学習に関する部分)、歌う鳥と歌わない鳥(進化)、と優れて横断的である。だから「ナントカ学の専門家」というより「ジュウシマツの歌の専門家」と思ってしまうのである。
ところが岡ノ谷先生はクジラの歌とジュウシマツの歌を比較したかと思えばハダカデバネズミの社会を調べ、今度はまさかのデグーの道具使用まで飛び出し、何がご専門なのかよくわからない。カラスが「スペシャリストではないが一応何でも出来る」ならば岡ノ谷先生は「音声コミュニケーションの進化と発達に関わることなら全て何でも出来て、ついでにとんでもない発見までしちゃう」、マルチタスクなスペシャリストである。F-22かこの人は。
しかもプレゼンの上手さでも有名。以前ポスター発表を拝見した時、ポスターの前に立っておられた岡ノ谷先生は「ふう、あんまり喋ると疲れるから30秒で説明します。ジュウシマツのメスの心電図を見てどんな時にドキドキするか調べました。するとメスはオスの歌を聞くとドキドキすることがわかりました。そして複雑な歌を聞くと、もーっとドキドキすることがわかりました。」と図表を指差しながら見事に語り尽くしたのである!参ったなあ、こんな人と対談するのか。そもそも京大の大学院特別講義であちらは講師、こっちはペーペーの学生だったわけなのだが…
この本を読むと高校生向けの講義としてずいぶん練られていることがよくわかる。まず「コミュニケーション」という言葉の定義を共有し、ちょこっと自然科学というものについて確認し(理科は習うが、科学とは何かを学ぶ場はなかなかない。ここを読むだけでも価値はある。)、そこからジュウシマツの歌をめぐるあれこれに呼び込んで行く。さらに様々な動物のエピソードを交え(初めて知ったネタもちょこちょこあった)、進化に眼を向けたところで「行動学の4つの問い」を整理し、発達と学習と進化という「歌」を巡る生物学の真髄へと向かう。そこから広く「コミュニケーションって?」という問いへと向かい、現代の生物学では基本的な(そして誤解されがちな)Selfish=利己的、という概念も飛び出し、信号の進化へと内容は進む。そして、さらに先には哲学との境界領域…「主体とは」「相手を理解するとは」といった、自己と他者の認識という広大無辺なテーマが控えている。この辺りになると聞いている高校生も予想だにしなかった世界だったのではないか。
こんな話を高校の間に一度でも聞いておけば人生が変わるに違いない。そして、これをわずか4回の講義に収めた内容の濃さに驚き、これを聞ききった高校生の体力にも驚いた後、「ちょっと待て、この講義は何分なんだ、準備にどんだけ手間かけてるんだ」という、いささかセコい驚きにも見舞われるのである。
★イベントを行ないます! お席が少なくなってきております。お申し込みはお早めに。
7.24.2012
加藤陽子
絵・題字 牧野伊三夫
絵・題字 牧野伊三夫
母校・桜蔭学園での講演記録 後編2
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』著者・加藤陽子さんが母校で話したこと、最終回。
総力戦となったときに動員される論理、「最悪の予想」の立てられ方。なぜ、人々が合理的な行動をとれなかったのか、なぜ、合理的な結末に至らないのか。紀元前のギリシアで初めて「戦史」が書かれた背景から、太平洋戦争まで。「歴史はすべて近代史だ」。(編集部)
総力戦となったときに動員される論理、「最悪の予想」の立てられ方。なぜ、人々が合理的な行動をとれなかったのか、なぜ、合理的な結末に至らないのか。紀元前のギリシアで初めて「戦史」が書かれた背景から、太平洋戦争まで。「歴史はすべて近代史だ」。(編集部)
歴史の「問い」の始まり
ヘロドトスは「歴史学の父」ですが、古代ギリシアにはもうひとり、歴史学にとって重要な人物がいます。トゥーキュディデース(紀元前460年頃~400年頃)で、ヘロドトスより20歳くらい若い。トゥーキュディデースという名前は、実に発音しにくい。ただ、岩波文庫などでは、この名前を採用しています。トゥーキュディデースは、まさに、今回のお話のテーマとしてドンピシャの題名、『戦史』という本を書きました。こちらは岩波文庫で、500ページ位もある厚さで上・中・下の三巻本の分量があります。やはり読み通すのは大変だと思いますが、こういう本を読んでいる女子高生には誰も話しかけてこないと思いますので、ひとりになりたいときなどにお薦めです(笑)
トゥーキュディデースが誰と同じ世代かといえば、哲学者のソクラテスです。紀元前5~4世紀にかけてのギリシアは文化の隆盛期で、とくに都市国家のアテナイでは数々の演劇がうまれ、パルテノン神殿など、現代にも残る文化や芸術作品、建築物が生み出された時期でした。
9.29.2011
山本貴光
第3回 読書について(2)
四ヶ月ぶりの更新、連載第三回です。電車の中では本が読めるけど、家に帰るとまるで本を開く気にならない、という人。机に向かうとなかなかページを繰る手が遅くていらいらするけど、愛用のソファに寝転がるとぐんぐん読める、という人。他人の本の読み方など考えたこともなかった。自分の癖も意識してこなかった。今回は、「本を読むということの広がり」を実感していただきます。
愛読、一読、閲読、音読、回読、会読、解読、看読、玩読、句読、訓読、講読、購読、誤読、再読、雑読、査読、色読、失読、試読、侍読、熟読、誦読、触読、真読、斉読、精読、速読、卒読、素読、体読、代読、多読、耽読、直読、通読、積読、摘読、点読、転読、顛読、難読、拝読、白読、判読、範読、繙読、必読、披読、複読、併読、奉読、捧読、味読、未読、黙読、訳読、濫読、略読、流読、輪読、朗読、和読
いきなりお経のような書き出しになりました。ここに並べてみたのは、すべて読むことにまつわる言葉です。名前を与えられている読書の仕方だけでも、これだけの種類があることに驚きますし、これらを、十把一絡げにして「読書」と言ってしまうのは、なんだか雑駁過ぎて申し訳ないような気さえしてきます。
とはいえ、私たちはそうと自覚しないまでも、日々の暮らしのなかで、そのつど自分の必要や状況に合わせて、さまざまなスタイルで読書をしています。ものを読むということは、生活のなかのさまざまな営みと同じように、人それぞれで、そこにはその人の生き方が現れます。
ただ、多くの場合、読書は一人ですることが多いため、他人と自分の読書のスタイルがどのように違っているのか、どのように似ているのかということは、日ごろなかなか実感しづらいところでもあります。そこで、いくつかの読書を論じた書物を並べてみることで、本を読むということの広がりを眺めてみようとしているところでした。
8.15.2011
更新情報
加藤陽子「歴史 この不思議な学問に魅せられて」 後編1 歴史は「戦史」から始まった 8/15 UP
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加藤陽子「歴史 この不思議な学問に魅せられて」 前編1 前編2
加藤陽子「この夏に読んでほしい一冊」 死者の彼岸からの視点で、世界を眺め直してみる
末井昭「自殺」 第1回 第2回 第3回 第4回
國分功一郎「暇と退屈の倫理学」 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回
吉川浩満「理不尽な進化」 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回
大澤真幸「時評」
1. 浜岡問題の隠喩的な拡張力
2. 福島第一原発の現場労働者を支援しよう
3. 想定外のリスクをいかにして想定するか
──原発の安全ための最小限の提案
4. 原発問題と四つの倫理学的例題
5. ドクター・ショッピングと原発情報
大澤真幸「社会は絶えず夢を見ている」 あとがき
中川恵一「放射線のひみつ」 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回
第6回 第7回 第8回 第9回 第10回
山本貴光「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」 第1回 第2回
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加藤陽子「歴史 この不思議な学問に魅せられて」 前編1 前編2
加藤陽子「この夏に読んでほしい一冊」 死者の彼岸からの視点で、世界を眺め直してみる
末井昭「自殺」 第1回 第2回 第3回 第4回
國分功一郎「暇と退屈の倫理学」 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回
吉川浩満「理不尽な進化」 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回
大澤真幸「時評」
1. 浜岡問題の隠喩的な拡張力
2. 福島第一原発の現場労働者を支援しよう
3. 想定外のリスクをいかにして想定するか
──原発の安全ための最小限の提案
4. 原発問題と四つの倫理学的例題
5. ドクター・ショッピングと原発情報
大澤真幸「社会は絶えず夢を見ている」 あとがき
中川恵一「放射線のひみつ」 第1回 第2回 第3回 第4回 第5回
第6回 第7回 第8回 第9回 第10回
山本貴光「ブックガイド――書物の海のアルゴノート」 第1回 第2回
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