6.24.2011
國分功一郎
第4回
第一章 暇と退屈の原理論
――ウサギ狩りに行く人は本当は何が欲しいのか?
原理というのは、すべての議論の出発点となる考えのことである。暇と退屈の原理論と題された本章では、暇と退屈を考えていくための出発点を追求しようと思う。
ではどこにそれを求めようか? どんなテーマについても、たいていそれを論じているひとがいる。そうした先駆者の考えを参考にできれば効率がいい。ここでもそのようなやり方をとることにしよう。
暇と退屈を考察した人物として本書が最初に取り上げたいのは、十七世紀のフランスの思想家、ブレーズ・パスカル[1623~1662]の議論である。
6.23.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
21. 「いつ・どこで・どんなものが・どの期間」に注目する。
福島第一原子力発電所の事故以来、ニュースでは、
――「浄水場の水から、乳児の摂取量の上限となる暫定基準値を上回る量の放射性ヨウ素が検出」
――「海水の放射性物質、基準上回る。ヨウ素131の濃度は、今月2日に基準値の750万倍」
といった表現をひんぱんに目にするようになりました。(ただし安全を見越して、基準値自体が低い値に設定されていますから、「○○倍」という言い方も若干問題かもしれません。)
放射線の人体への影響を考えるには、「いつ・どこで・どんなものが・どの期間」に検出されたのか、を確認することが大事です。
6.17.2011
國分功一郎
第3回
革命は一瞬の出来事(祝祭)のように語られてきた。ロマンチックである。革命の前にも、革命の渦中にも、革命の後にも、生活は続く。いまを犠牲にするものは、永遠の高みにある革命という大義(理想)の前に、常に犠牲を求められることになる。いまを捨てて、未来をとる。その転倒した発想と縁を切れるか。今回は、著者にとって格別の愛着の対象(ウイリアム・モリス)から語りおこされる。(編集部)
序章――「好きなこと」とは何か?(承前)
〈暇と退屈の倫理学〉の試みは決して孤独な試みではない。同じような問いを発した思想家はかつて存在した。時は一九世紀中頃。イギリスの社会主義者、ウイリアム・モリス[1834~1896]がその人だ。
モリスはイギリスに社会主義を導入した最初期の思想家の一人である。当時の社会主義者・共産主義者たちは、どうやって革命を起こそうかと考えていた。いまでは想像もできないかもしれないが、彼らにとって社会主義革命・共産主義革命はまったくもって現実的なことだった。そして実際に二〇世紀初頭にはロシアで革命が起こるのである。
6.13.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
17. 38億年間、生物は放射線の中で生きてきました。
放射線が生命に影響を与える仕組みの鍵は、遺伝子=DNAです。DNAは、ヒモのような形をしていますが(二重らせん構造)、放射線は、このヒモを切断するのです。
紫外線で日焼けなどの皮膚障害が起こりますが、これは、皮膚表面の細胞のDNAに切断が起こるためです。紫外線は体の奥には達しませんが、放射線は、透過力が強いため、体の深部にある臓器の細胞のDNAにも切断を引き起こします。
6.10.2011
時評 第4回
原発問題と四つの倫理学的例題
大澤真幸
原発事故の収束は見通しが立たず、事故による避難者数は約10万人と推計される。この三ヶ月の間に次々に明らかにされる事故対応の不備、齟齬、無策、隠蔽、糊塗。中部電力浜岡原発は停止に追い込まれ、圧倒的な不信感が日本を覆っているかに見える。ところが、脱原発派は多数ではない。先月、かろうじて「原発消極派は57%」と集計されたにとどまるのだ。青森県知事選でも、原発推進派の現職が三選を果たした。これだけの被害と不信を日ごと募らせても、なお原発と縁を切ろうとしないのはなぜか。経済効果では説明しがたい。そこにどんなメカニズムが働いているのか。(編集部)
昨年、NHK教育テレビの講義で注目を集めた、政治哲学者のマイケル・サンデルは、第一回目の講義で、倫理学者や哲学者の間ではよく知られている、次のような思考実験的な例題に言及している。今、あなたは電車の運転手である。しかも、不幸なことに、あなたの電車は、故障してブレーキが利かなくなっている。さらに不幸なことに、あなたの電車の前方の線路には、5人の作業員が仕事をしていて、あなたの電車が猛スピードで近づきつつあることにまったく気がつかない。このまま走り続けたら、あなたの電車は5人を轢き殺してしまうことになる。
國分功一郎
第2回
少しは余裕ができた。明日の糧をどうやって手に入れるか、そのうんざりするような綱渡りから、やっと解放された。差し当たり雨露をしのぎ口にするものは手に入った。そればかりか、休日に何をするか、思い煩うことも増えた。そして時折り胸に兆すある痛覚。「何が楽しいのか分からない」……。問いがくっきり視界に捉えられる。(編集部)
序章――「好きなこと」とは何か?(承前)
最近他界した経済学者ジョン・ガルブレイス[1908~2006]は、二〇世紀半ば、一九五八年に著した『豊かな社会』でこんなことを述べている。
現代人は自分が何をしたいのかを自分で意識することができなくなってしまっている。広告やセールスマンの言葉によって組み立てられて初めて自分の欲望がはっきりするのだ。自分が欲しいものが何であるのかを広告屋に教えてもらうというこのような事態は、十九世紀の初めなら思いもよらぬことであったに違いない。*2
6.08.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
13. 放射線をあびる「範囲」も大事です──局所被ばくと全身被ばく。
放射線をあびる「強さ・勢い」だけでなく、吸収する「範囲」によっても、放射線の人体への影響に、大きな違いが出てきます。
火にあたると、全身が温かくなります。これが行き過ぎると、全身火傷です。空中を飛んでいる放射線を全身にあびるのは、これと同じ状況です。これを「全身被ばく」と言います。
6.05.2011
國分功一郎
第1回
パスカルは「人間の不幸などというものは、どれも人間が部屋にじっとしていられないがために起こる」と言った。耳が痛い。じっとしていられないのはなぜか。なぜうろうろしてしまうのか。無聊をかこつからに違いない。無聊は「退屈なこと、心が楽しまないこと、気が晴れないこと」。「なんとなく退屈だ」と感じたことのない人はまずいない。空元気を出しても、斜に構えても、この気分から逃れる術はないように感じる。では、退屈を散じるために何があるか、手持ちの材料を点検してみるとまことに頼りないことがわかってくる。「我々の最も深いところから立ち昇ってくる「なんとなく退屈だ」という声に耳を傾けたくない、そこから目を背けたい…。故に人は仕事の奴隷になり、忙しくすることで、「なんとなく退屈だ」から逃げ去ろうとするのである」。これがハイデガーの言葉であると知って、いささか驚く人も多いだろう。退屈をめぐる哲学と倫理学が、ここに要請される。(編集部)
序章――「好きなこと」とは何か?
人類の歴史の中にはさまざまな対立があり、それが数えきれぬほどの悲劇を生み出してきた。だとしても、人類が豊かさを目指して努力してきたこと、豊かさが人類の目標であったこと、それは事実として認めてよいものと思われる。
人々は社会の中にある不正と闘ってきた。なぜなら、社会をよりよいものにしようと、少なくとも建前としてはそう思ってきたからだ。
しかし、ここでとても不可解な逆説が見出される。人類が目指してきたはずの豊かさ、それが達成されると人が不幸になってしまうという逆説である。
6.01.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
前回(第5回)までは、放射線についての「基本用語」を紹介してきました。今回からは応用的な話題に入ります。放射線が私たちの体に及ぼす影響と、その対処の仕方。放射線を「正しく怖がる」ための処方箋です。書籍版も好評販売中です。
11. 放射線は身の回りにあります。
放射線は、今回、福島原発の事故で急に注目されることになりました。もともと目に見えず無味無臭なので、知らなかったという方も多いかもしれませんが、実は、福島原発の事故とは無関係に、私たちはだれでも毎日「被ばく」しています。
5.31.2011
山本貴光
第2回 読書について(1)
連載第二回。テーマやジャンルの良書をどんどん紹介する、という展開と思いきや、筆者は、そうしたブックガイドの通例に反して、読書が(そもそも)良きものと推奨された時代の最良の証言を召喚することにしたようです。読書に就く前に知っておいていいかもしれない「読書術」のガイド。
コンピュータやネットワーク、ケータイやiPad、Kindleといった各種ディジタル機器の普及によって、書物や文章を読む環境が、かつてなく広がり、多様になっています。そうした状況のなか、従来使われてきた紙の書物の位置もまた、かつてなく揺らいでいるようです。電子書籍が何度目かの登場を果たし、「電子か紙か」といった議論を目にする機会も増えています。
ところでこの連載は、ブックガイド、つまり書物の案内を目的とするものです。ですから周囲の変化に惑わず、従来の紙の書物の話を淡々と進めるのも悪くないと思いました。しかし、せっかくの機会でもあります。この際、「読書」とはどういう営みなのか、「書物」とはなんなのか、ということについて、いま一度、とっくり考えてみることから出発してもよいのではないかと思い直した次第です。いわば足下から見直してみようというわけです。
5.27.2011
時評 第3回
想定外のリスクをいかにして想定するか
──原発の安全ための最小限の提案
大澤真幸
連載時評第三回。原発推進派と脱原発論者の対話が成り立たない、としばしば言われる。では、こんな提案はどうだろうか。「もし安全な原発がありうるとすれば、今までとは圧倒的に異なった意味で安全だと見なしうる原発があるとすれば、それは、脱原発派が挑戦的に提起してくるようなリスクにも耐えられるような原発を建設できた場合のみであろう」。
将来の原発の安全性に関して、具体的な提案をさせてもらいたい。
私は、中長期的な視野にたったとき、原発を全廃するしかないと思っている。東電の福島第一原発の事故の現状を知ったとき、またこうした事故にいたるまでの歴史を前提にしたとき、原発をすべて廃炉にするという結論以外に、将来の安全性を保障する責任ある判断はありえない。これが私の考えである。
5.24.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
9. 放射線が変われば、人体への影響に違いが出てきます。
ここで、放射線の基本に立ち返ってみます。(やや込み入った話になりますので、読み飛ばしていただいてもかまいません。)
一口に「放射線」といっても、そこには アルファ線(α線)、ベータ線(β線)、ガンマ線(γ線)、中性子線など、たくさんの種類があるのをみなさんはご存知でしょうか。種類が違えば、性質も異なり、人体に与える影響も違います。
5.20.2011
時評 第2回
福島第一原発の現場労働者を
支援しよう
大澤真幸
新著を刊行した大澤真幸さんによる「時評」第二回です。原子力発電所の帰趨をにぎるのは作業員の方々である。彼らの苛酷な労働環境を想像するとき、私たちにできることはないのだろうか、と思わずにいられない。大澤さんの提言をお読みください。
今、日本で、いや世界で最も重要な仕事、最も多くの人の最も基本的な運命を左右する仕事は、東京電力福島第一原子力発電所にある。日本の運命は、福島第一原発の労働者の働きにかかっていると言って、過言ではない。したがって、われわれ全員が、日本人はもちろんのこと世界中の人々が、福島原発の労働者を支援してもよい立場にある。
今回は、この福島第一原発の労働者について書いておく。内容は難しくはない。ごく単純なことばかりである。
5.19.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
7. 「シーベルト/シーベルト毎時」は「距離/速度」の関係。
10ミリシーベルト(mSv)という表現を見たり聞いたりしたときには、それが何の量を表しているか、注意が必要です。
だれでも知っている10キロメートル(km)の場合と同じこと。この10キロとは、距離なのかスピードなのか、その都度、判断しているはずです。同じ10でも、一方は距離、他方は速度。
5.11.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
第3回
5. 「シーベルト」は放射線が人間の体に与える影響を示す単位。
放射線の量と強さを測るには、何を測るかによって、さまざまな単位が用いられます。その代表は「シーベルト(Sv)」です。
これは放射線をあびた(被ばくした)ときに、人間が受ける影響の強さを示しています。あびた放射線が強ければ強いほど、人間が受ける影響も強くなる。つまり、シーベルトの値も大きくなります。シーベルトという単位によって、いろいろな種類の放射線の影響を同じ尺度で比べることができるわけです。
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