5.31.2011
山本貴光
第2回 読書について(1)
連載第二回。テーマやジャンルの良書をどんどん紹介する、という展開と思いきや、筆者は、そうしたブックガイドの通例に反して、読書が(そもそも)良きものと推奨された時代の最良の証言を召喚することにしたようです。読書に就く前に知っておいていいかもしれない「読書術」のガイド。
コンピュータやネットワーク、ケータイやiPad、Kindleといった各種ディジタル機器の普及によって、書物や文章を読む環境が、かつてなく広がり、多様になっています。そうした状況のなか、従来使われてきた紙の書物の位置もまた、かつてなく揺らいでいるようです。電子書籍が何度目かの登場を果たし、「電子か紙か」といった議論を目にする機会も増えています。
ところでこの連載は、ブックガイド、つまり書物の案内を目的とするものです。ですから周囲の変化に惑わず、従来の紙の書物の話を淡々と進めるのも悪くないと思いました。しかし、せっかくの機会でもあります。この際、「読書」とはどういう営みなのか、「書物」とはなんなのか、ということについて、いま一度、とっくり考えてみることから出発してもよいのではないかと思い直した次第です。いわば足下から見直してみようというわけです。
5.27.2011
時評 第3回
想定外のリスクをいかにして想定するか
──原発の安全ための最小限の提案
大澤真幸
連載時評第三回。原発推進派と脱原発論者の対話が成り立たない、としばしば言われる。では、こんな提案はどうだろうか。「もし安全な原発がありうるとすれば、今までとは圧倒的に異なった意味で安全だと見なしうる原発があるとすれば、それは、脱原発派が挑戦的に提起してくるようなリスクにも耐えられるような原発を建設できた場合のみであろう」。
将来の原発の安全性に関して、具体的な提案をさせてもらいたい。
私は、中長期的な視野にたったとき、原発を全廃するしかないと思っている。東電の福島第一原発の事故の現状を知ったとき、またこうした事故にいたるまでの歴史を前提にしたとき、原発をすべて廃炉にするという結論以外に、将来の安全性を保障する責任ある判断はありえない。これが私の考えである。
5.24.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
9. 放射線が変われば、人体への影響に違いが出てきます。
ここで、放射線の基本に立ち返ってみます。(やや込み入った話になりますので、読み飛ばしていただいてもかまいません。)
一口に「放射線」といっても、そこには アルファ線(α線)、ベータ線(β線)、ガンマ線(γ線)、中性子線など、たくさんの種類があるのをみなさんはご存知でしょうか。種類が違えば、性質も異なり、人体に与える影響も違います。
5.20.2011
時評 第2回
福島第一原発の現場労働者を
支援しよう
大澤真幸
新著を刊行した大澤真幸さんによる「時評」第二回です。原子力発電所の帰趨をにぎるのは作業員の方々である。彼らの苛酷な労働環境を想像するとき、私たちにできることはないのだろうか、と思わずにいられない。大澤さんの提言をお読みください。
今、日本で、いや世界で最も重要な仕事、最も多くの人の最も基本的な運命を左右する仕事は、東京電力福島第一原子力発電所にある。日本の運命は、福島第一原発の労働者の働きにかかっていると言って、過言ではない。したがって、われわれ全員が、日本人はもちろんのこと世界中の人々が、福島原発の労働者を支援してもよい立場にある。
今回は、この福島第一原発の労働者について書いておく。内容は難しくはない。ごく単純なことばかりである。
5.19.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
7. 「シーベルト/シーベルト毎時」は「距離/速度」の関係。
10ミリシーベルト(mSv)という表現を見たり聞いたりしたときには、それが何の量を表しているか、注意が必要です。
だれでも知っている10キロメートル(km)の場合と同じこと。この10キロとは、距離なのかスピードなのか、その都度、判断しているはずです。同じ10でも、一方は距離、他方は速度。
5.11.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
第3回
5. 「シーベルト」は放射線が人間の体に与える影響を示す単位。
放射線の量と強さを測るには、何を測るかによって、さまざまな単位が用いられます。その代表は「シーベルト(Sv)」です。
これは放射線をあびた(被ばくした)ときに、人間が受ける影響の強さを示しています。あびた放射線が強ければ強いほど、人間が受ける影響も強くなる。つまり、シーベルトの値も大きくなります。シーベルトという単位によって、いろいろな種類の放射線の影響を同じ尺度で比べることができるわけです。
5.10.2011
時評 第1回
浜岡問題の隠喩的な拡張力
大澤真幸
まもなく新著を刊行する大澤真幸さんが、毎週「時評」を寄せてくださることになりました。第一回は、浜岡原発。ある政治的な決定に触れると、だれしも何か不満を触知する、そんな習性はどこに起因するのか、どうやって脱出するか。
ウィンストン・チャーチルは、労作『第二次世界大戦』の結末で、政治の役割、政治における決定の神秘について論じている。学者や専門家は、いろいろな案件について、複雑で多様な分析結果を提示する。その分析結果から示唆される選択肢のそれぞれに関して、それに賛成すべき理由ひとつに対して、反対すべき理由がふたつあるとか、逆に、反対すべき理由ひとつに対して、賛成すべき理由がふたつあったりする。専門家たちは、だから、必ずこう言う、「一方でOn the one hand...、他方でOn the other hand...」と。こうした状況で、誰かが、はっきりと決定しなくてはならない。決定というこの行為が十分な根拠をもつことは、絶対に不可能である。その不可能なことを引き受ける者、それが政治家だというのが、チャーチルが言わんとしたことである。
5.06.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
第2回
3. 「放射能がやって来る!」はまちがいです。
「放射線」「放射能」「放射性物質」。どれも互いによく似た言葉ですが(だからこそ、よく混同されるのですが)、意味はそれぞれ異なります。
「放射線」は、物質に“電離”を与える「光」や「粒子」のことですが、平たく言えば、物体を突き抜ける能力の高い光や粒子のことを指します。さまざまな種類の放射線があって、その性質もそれぞれ違うのですが、とりあえず、全部まとめて「放射線」と呼んでおきます。
5.04.2011
加藤陽子
絵・題字 牧野伊三夫
絵・題字 牧野伊三夫
母校・桜蔭学園での講演記録 前編1
一昨年の秋、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の著者・加藤陽子さんが、母校である桜蔭学園を訪れました。そのときの講演録を2回に分けてお届けいたします。掲載にあたり、一部加筆しています。
14歳
――丸ちゃん先生がもたらしてくれた、数学への目覚め
こんにちは。加藤陽子です。私は現在、東京大学文学部で日本近代史を教えています。今日は、みなさんに、私がどのように進路を決めていったかということ、そして私の専門分野である歴史学についてお話しするためにやってきました。母校で講演するのは初めてで、実はとても緊張しているのですが、みなさんと同じ中高生だった頃を思い返しながらお話ししていきたいと思います。
私は現在50歳になりますが、子どもがいません。ですので、みなさんのような可愛くて賢いお嬢さんたちを見ていると、ひとりくらい連れて帰ってしまおうか(笑)、なんて思ってしまいますね。私が在学していた20数年前と違って、なんだか桜蔭学園も芋畑から花畑へと変容を遂げているのかもしれません。
加藤陽子
絵・題字 牧野伊三夫
絵・題字 牧野伊三夫
母校・桜蔭学園での講演記録 前編2
一昨年の秋、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』の著者・加藤陽子さんが、母校である桜蔭学園を訪れました。そのときの講演録を2回に分けてお届けいたします。掲載にあたり、一部加筆しています。
ひとりの先輩と、歴史との出会い
それでは、なぜ私が歴史学へ進んだのか、そのきっかけとなることをお話ししましょう。
物理部と兼部して社会科部にも入っていたといいましたが、その社会科部で、私はひとりの先輩と出会います。
きっとみなさんにも素敵な先輩、格好いい先輩、嫌な先輩がそれぞれいると思いますが、社会科部の村山先輩は、クールで中性的な女子高の憧れの先輩像とはまったく違う、
やはり文化祭の話になりますが、中学2年生のときの文化祭で、社会科部は「世界恐慌と1930年代のアメリカ」というテーマで発表を行いました。夏休みに各自が分担して準備するのですが、幼くてまだ可愛らしかった私は、先輩から言われたテーマを一生懸命調べて、レポートを書いていくのですね。そうすると、そのレポートを村山先輩は真っ赤に添削して返してくる。
5.03.2011
中川恵一
イラスト 寄藤文平
イラスト 寄藤文平
第1回
東日本大震災の被災者の皆様に心よりお見舞い申し上げます。今回の原発事故により、「放射線」という言葉を聞かない日はありません。ただ怖がる、のではなく、「正しく怖がる」ために必要なことを皆さまと共に考えていきたいと思います。
1. 放射線を語るための「言葉」からはじめましょう。
テレビから突然、「シーベルト」とか「マイクロ」とか「ベクレル」とか、耳慣れない言葉が聞こえてくるようになりました。よくわからないからこそ、「怖そう」とか、「どうなってしまうんだろう」といった不安や恐怖を抱いている方も多いのではないでしょうか。
『社会は絶えず夢を見ている』
あとがき
大澤真幸
今月中旬に刊行する新刊『社会は絶えず夢を見ている』から「あとがき」を転載します。──「いつも「リスク社会」は可能性として語られてきた。ついに到来した「震災・津波・原発」の惨状を見据え、ありうべき克服を提起する強靱な思考」と、書籍の帯に記しました。連続講義の書籍化、第一弾です。
今、われわれは、日本人は、「夢」の中にいるかのようである。3・11の破局の後、すなわち二〇一一年三月十一日午後二時四十六分に東日本の太平洋岸を襲った震災と津波の後、さらにこれにひき続く福島第一原子力発電所の事故の後、私自身を含む多くの日本在住者は、まるで「夢」の中を生きているかのような感覚を覚えている。その夢は、覚醒以上の覚醒であり、破局以前の日常の方こそがむしろ、微温的なまどろみの中にあったことを、われわれに思い知らせる。
本書に収録した四つの講義はすべて、3・11の破局よりも前に行われたものである。しかし、私自身が驚いている。講義の中のさまざまな論材が、破局後の主題とあまりに直接的に対応していることに、である。
山本貴光
第1回 書物はつながりあっている
これから月に二度ばかり、「書物の海のアルゴノート」と題して、ブックガイドを務めせていただきます。今回は、連載全体への前口上がてら、このブックガイドで試みたいことについてお話ししてみます。
古くは古代シュメールの楔文字が刻まれた粘土板からこの方、人類はほとんど無数と言いたくなるほどの書物やそれに類するものをつくってきました。その量は、年を下るにつれて、さまざまな技術の発明・革新とともに増え続けています。
その厖大な書物の海を旅してまわりながら、そこここで目にしたものを報告する。そんな気分を表したいと思って、古代ギリシアの冒険譚『アルゴナウティカ』にあやかってタイトルをつけてみました。黄金の羊の毛皮を求めて龍と戦うわけではありませんが、毎回、或るテーマを決めて、それにまつわる書物を何冊か選び、これをご紹介しようという趣向です。
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