近松門左衛門が魅せられた人形浄瑠璃

世話浄瑠璃が人気を得た背景

元禄時代に花開いた上方文化

近松門左衛門が魅せられた「にんぎょうじょうるり」

画像

人形遣いが人形を操る様子が描かれている『曽根崎心中』絵入本

人形浄瑠璃の舞台

近松は、豊かな文学性を持つ、優れた浄瑠璃作品を多く残しています。しかし、そのほとんどは上演が途絶えてしまい、現代の観客が、文楽で鑑賞することの出来る作品はほんのわずかです。その原因のひとつは、人形浄瑠璃の上演の形式が、大きく変わったことだと言われています。

現在の文楽では、3人で1体の人形を操ります。この操作方法を、「三人遣い(さんにんづかい)」といいます。主遣い(おもづかい)・左遣い(ひだりづかい)・足遣い(あしづかい)の3人が、息を合わせて人形を操っているのです。
しかし、近松が活躍した時代の人形浄瑠璃は、「一人遣い(ひとりづかい)」で演じられていました。1人の人形遣いが、人形の裾の方から手を差し入れ、高く掲げて操作する方法です。
近松は、「一人遣い」で演じられる舞台を前提に、作品を書いていました。しかし、人形浄瑠璃は、時とともに、近松の時代とは異なる形で上演されるようになっていきます。「三人遣い」の技法が生まれると、人形はその分大きくなりました。それに伴い、舞台装置も、大がかりなものとなります。近松の作品は、こうした新しい形式の舞台では、演じづらくなっていくのです。

一方、近松の時代にあって、現在は失われてしまった印象的な演出もあります。
人形浄瑠璃の舞台には、「手摺(てすり)」という板が設置されます。この板は、人形にとって「地面」にあたる高さまで、人形遣いの体を隠すように置かれています。これは、現在の文楽でも同じです。
近松の時代には、舞台の上に「仮の手摺」(透けて見える布)を置き、人形遣いが人形を操作する様子を、観客に見せる演出がありました。人形の演技だけではなく、それを操作する人形遣いの動きまでが、「芸」として鑑賞されていたのです。

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