義太夫節の創始者である竹本義太夫
文楽では、「義太夫節」の語りで人形を操作します。この「義太夫節」の創始者が、竹本義太夫(たけもとぎだゆう)です。義太夫の登場は、人形浄瑠璃の歴史を大きく変化させます。
そもそも、文楽のルーツである人形浄瑠璃は、江戸時代初期に誕生しました。以前からあった「浄瑠璃」と「人形操り」という2つの芸が結びついたのです。
義太夫が登場する前までの浄瑠璃を、「古浄瑠璃(こじょうるり)」と呼びます。しかし、義太夫によって「義太夫節」が誕生したことで、新しい人形浄瑠璃の時代がはじまりました。
近松は、浄瑠璃作者として、竹本義太夫に多くの作品を提供しています。義太夫節の成立に、近松の存在はなくてはならないものでした。
義太夫が、大坂・道頓堀(どうとんぼり)で竹本座を旗揚げしたのが貞享元年(1684年)です。翌2年には、近松と組んだ最初の作品『出世景清(しゅっせかげきよ)』で、宇治座の宇治加賀掾(うじかがのじょう)と競演します。こうして誕生した「義太夫節人形浄瑠璃」が、今日の文楽へと繋がっているのです。