1994年の日本ハムファイターズ
| 1994年の日本ハムファイターズ | |
|---|---|
| 成績 | |
| パシフィック・リーグ6位 | |
| 46勝79敗5分 勝率.368[1] | |
| 本拠地 | |
| 都市 | 東京都 文京区 |
| 球場 | 東京ドーム |
|
| |
| 球団組織 | |
| オーナー | 大社義規 |
| 経営母体 | 日本ハム |
| 監督 | 大沢啓二 |
« 1993 1995 » | |
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1994年の日本ハムファイターズ(1994ねんのにほんハムファイターズ)では、1994年の日本ハムファイターズにおける動向をまとめる。
この年の日本ハムファイターズは、3回目の大沢啓二監督体制の2年目のシーズンである。
概要
[編集 ]| 年 | 最終成績 | リ 丨 グ |
試合 | 勝 | 敗 | 分 | 勝 率 |
総 得 点 |
総 失 点 |
打 率 |
本 塁 打 |
盗 塁 |
犠 打 |
四 死 球 |
O P S |
防 御 率 |
完 投 |
失 策 |
監督 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1994 | リーグ6位 | 6位 | 130 | 46 | 79 | 5 | .368 | . | . | 大沢啓二 | |||||||||
| 1993 | リーグ2位 | 2位 | 130 | 71 | 52 | 7 | .577 | . | . | 大沢啓二 | |||||||||
| 1992 | リーグ5位 | 5位 | 130 | 54 | 73 | 3 | .425 | . | . | 土橋正幸 | |||||||||
| 1991 | リーグ4位 | 4位 | 130 | 53 | 72 | 5 | .424 | 523 | . | . | 3.72 | 30 | 61 | 近藤貞雄 | |||||
| 1990 | リーグ4位 | 4位 | 130 | 66 | 63 | 1 | .512 | 542 | . | . | 3.68 | 41 | 74 | 近藤貞雄 | |||||
| 1989 | リーグ5位 | 5位 | 130 | 54 | 73 | 3 | .425 | . | . | 近藤貞雄 | |||||||||
| 1988 | リーグ3位 | 3位 | 130 | 62 | 65 | 3 | .488 | . | . | 高田繁 | |||||||||
| 1987 | リーグ3位 | 3位 | 130 | 63 | 60 | 7 | .512 | . | . | 高田繁 | |||||||||
| 1986 | リーグ5位 | 5位 | 130 | 57 | 65 | 8 | .467 | . | . | 高田繁 | |||||||||
| 1985 | リーグ5位 | 5位 | 130 | 53 | 65 | 12 | .449 | . | . | 高田繁 | |||||||||
| 1984 | リーグ6位 | 6位 | 130 | 44 | 73 | 13 | .376 | . | . | 植村義信 |
監督就任2年目の大沢は、「1994年のシーズンは1993年の勢いのままいこうと思ってた。故障していたエースの西崎幸広も戻ってくるし、準備も万全。はっきり言って、自信もあったよ」と述べていたが、大沢は自信があったシーズンだったが、いくつか誤算があった。柴田保光の心臓疾患、横浜を自由契約となった高木豊を獲得したが、大沢は「あいつはもっとやられると思っていた。けど、やっぱり力が衰えてたんだなあ。打線のブレーキになっちまった。[2] 」と述べ、マット・ウインタースやリック・シューは契約で揉めてやる気を無くして大きな誤算になった[2] 。開幕直後にロッテに連勝したものの、オリックスに3連敗を喫した。フロントが現場批判を新聞記者にしゃべり、その翌日のスポーツ紙に「日本ハム内紛、フロントが現場批判」という記事が載り、頭に来た大沢が当事者の球団関係者を怒鳴りつけた以降はチームの空気が悪くなり、大沢とフロントが対立、最下位に低迷し8月にオーナーの大社義規に今シーズン限りで退団することを報告した[2] 。最後は1984年以来、10年ぶりの最下位に終わった。東京ドームでの最終戦となった9月28日のロッテ戦試合終了後に大沢が「今年、最下位になったのはすべて私の責任です。ファンの皆様には大変申し訳なく思っております。」と話し、グラウンドで土下座してファンに謝罪した[2] 。シーズン終了後、戦力外を受けた大島康徳 [3] 、柴田、高木も同年限りで引退した。
チーム成績
[編集 ]レギュラーシーズン
[編集 ]| 開幕:4/9 | 5/1 | 6/1 | 7/2 | 8/2 | 9/3 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1 | 二 | 白井一幸 | 遊 | 広瀬哲朗 | 二 | 白井一幸 | 遊 | 広瀬哲朗 | 遊 | 広瀬哲朗 | 遊 | 広瀬哲朗 |
| 2 | 遊 | 広瀬哲朗 | 二 | 白井一幸 | 三 | 片岡篤史 | 二 | 白井一幸 | 中 | 鈴木慶裕 | 二 | 白井一幸 |
| 3 | 左 | 高木豊 | 右 | 田中幸雄 | 右 | 田中幸雄 | 右 | 田中幸雄 | 右 | 田中幸雄 | 右 | 田中幸雄 |
| 4 | 指 | ウインタース | 指 | ウインタース | 指 | ウインタース | 指 | ウインタース | 指 | ウインタース | 指 | ウインタース |
| 5 | 一 | シュー | 左 | 高木豊 | 一 | シュー | 左 | 五十嵐信一 | 左 | 中島輝士 | 三 | 片岡篤史 |
| 6 | 右 | 田中幸雄 | 一 | シュー | 左 | 小川皓市 | 中 | 鈴木慶裕 | 三 | 片岡篤史 | 一 | シュー |
| 7 | 三 | 片岡篤史 | 三 | 森範行 | 捕 | 田村藤夫 | 一 | シュー | 一 | 五十嵐信一 | 左 | 小川皓市 |
| 8 | 捕 | 田村藤夫 | 捕 | 田村藤夫 | 中 | 大貝恭史 | 捕 | 田村藤夫 | 捕 | 田村藤夫 | 捕 | 田村藤夫 |
| 9 | 中 | 大貝恭史 | 中 | 大貝恭史 | 遊 | 広瀬哲朗 | 三 | 片岡篤史 | 二 | 白井一幸 | 中 | 鈴木慶裕 |
| 投 | 西崎幸広 | 投 | 関根裕之 | 投 | 河野博文 | 投 | 河野博文 | 投 | 西崎幸広 | 投 | 白井康勝 | |
| 順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1位 | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- | 西武 | -- |
| 2位 | ダイエー | ダイエー | 0.5 | ダイエー | 5.0 | ダイエー | 1.0 | オリックス | 1.0 | オリックス | 7.5 | |
| 3位 | オリックス | 2.5 | オリックス | 6.5 | オリックス | 6.0 | オリックス | 近鉄 | 1.0 | 近鉄 | ||
| 4位 | ロッテ | 3.5 | ロッテ | 8.0 | ロッテ | 11.0 | 近鉄 | 5.5 | ダイエー | 4.0 | ダイエー | 7.5 |
| 5位 | 日本ハム | 4.5 | 近鉄 | 10.0 | 近鉄 | 13.0 | ロッテ | 15.5 | ロッテ | 16.0 | ロッテ | 21.0 |
| 6位 | 近鉄 | 4.5 | 日本ハム | 11.0 | 日本ハム | 16.0 | 日本ハム | 19.0 | 日本ハム | 20.0 | 日本ハム | 28.5 |
| 期間 成績 |
7勝11敗1分 勝率.389 |
10勝16敗 勝率.385 |
8勝13敗 勝率.381 |
5勝14敗2分 勝率.263 |
10勝12敗1分 勝率.455 |
7勝12敗1分 勝率.368 | ||||||
オールスターゲーム1994
[編集 ]- 選出選手及びスタッフ
| ポジション | 名前 | 選出回数 |
|---|---|---|
| コーチ | 大沢啓二 | |
| 投手 | 西崎幸広 | 6 |
| 捕手 | 田村藤夫 | 9 |
| 遊撃手 | 広瀬哲朗 | 2 |
| 外野手 | 田中幸雄 | 5 |
- 太字はファン投票による選出。
できごと
[編集 ]選手・スタッフ
[編集 ]日本ハムファイターズ 1994 | |
|---|---|
| 監督 | 86 大沢啓二 |
| 一軍コーチ | |
| 二軍監督・コーチ | |
| 投手 | |
| 捕手 | |
| 内野手 | |
| 外野手 | |
表彰選手
[編集 ]| リーグ・リーダー |
|---|
| 受賞者なし |
| ベストナイン | ||
|---|---|---|
| 選手名 | ポジション | 回数 |
| 広瀬哲朗 | 遊撃手 | 2年連続2度目 |
| ゴールデングラブ賞 | ||
| 選手名 | ポジション | 回数 |
| 広瀬哲朗 | 遊撃手 | 2年連続2度目 |
ドラフト
[編集 ]- 網掛けの選手は逆指名による入団
| 順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
|---|---|---|---|---|
| 1位 | 金村秀雄 | 投手 | 仙台育英学園高 | 入団 |
| 2位 | 厚沢和幸 | 投手 | 国士舘大学 | 入団 |
| 3位 | 桜井幸博 | 投手 | 仙台工業高 | 入団 |
| 4位 | 島田一輝 | 内野手 | NTT関東 | 入団 |
| 5位 | 城石憲之 | 内野手 | 青山学院大学中退 | 入団 |
脚注
[編集 ]注釈
[編集 ]- ^ 5月に小川浩一から改名。
出典
[編集 ]- ^ "年度別成績 1994年 パシフィック・リーグ". 日本野球機構. 2015年11月20日閲覧。
- ^ a b c d 大沢啓二『球道無頼』(集英社、1996年)、P239-241
- ^ 週刊ベースボール2018年11月19日号、冷静と情熱の野球人 大島康徳の負くっか魂!!第83回、ゴリ押しした引退試合?、64-65頁
- ^ a b 『1995 ベースボール・レコード・ブック』ベースボール・マガジン社、1994年。ISBN 4-583-03171-8。
| セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 優勝 | 読売ジャイアンツ | 2位 | 中日ドラゴンズ | 優勝 | 西武ライオンズ | 2位 | オリックス・ブルーウェーブ |
| 3位 | 広島東洋カープ | 4位 | ヤクルトスワローズ | 2位 | 近鉄バファローズ | 4位 | 福岡ダイエーホークス |
| 4位 | 阪神タイガース | 6位 | 横浜ベイスターズ | 5位 | 千葉ロッテマリーンズ | 6位 | 日本ハムファイターズ |
| :日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||
| 1940年代 | |
|---|---|
| 1950年代 | |
| 1960年代 | |
| 1970年代 | |
| 1980年代 | |
| 1990年代 | |
| 2000年代 | |
| 2010年代 | |
| 2020年代 | |
| 1946年の公式戦再開に先立って、1945年は終戦後開催の東西対抗戦にセネタースの選手が参加。 | |
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