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中原歵

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中原 歵(なかはら ただし、1914年(大正3年)7月30日 - 1992年(平成4年)11月25日[1] )は、日本の内務警察 官僚警視総監位階正四位

経歴

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東京都出身[2] 第一高等学校を卒業。1937年10月、文官高等試験行政科試験に合格。1938年東京帝国大学 法学部を卒業。同年、内務省に入省し計画局属となる[3] 1939年に徴兵され入営。1942年召集解除となる[2]

内務省に復帰し福岡県警察部職業課長に就任。以後、企画院勤務、内務省防空総本部業務局勤務、神奈川県警察部経済保安課長、同警備第一課長などを歴任し終戦を迎えた[2]

1946年、内務省警保局防犯課勤務となり、以後、山梨県警察部長、国家地方警察山梨県本部警察長、国家地方警察千葉県本部警察長、国家地方警察本部刑事部鑑識課長、同総務部会計課長、警察庁長官官房 会計課長茨城県警察本部長、警察庁警ら交通部長警視庁 交通部長、警察庁警務局人事課長、警視庁総務部長、同警務部長、警察庁警務局長などを歴任[2] 1965年1月、警視総監に就任し1967年3月まで在任した[4] 。この間、1965年に吉展ちゃん誘拐殺人事件の解決に尽力[1]

退官後、動力炉・核燃料開発事業団 監事日本道路交通情報センター 理事長自動車安全運転センター理事長、交通管制施設協会会長、日本交通管理技術協会顧問などを歴任した[2] 。1992年死去。死没日付をもって従六位から正四位に進階した[5]

脚注

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  1. ^ a b 『現代物故者事典 1991〜1993』431頁。
  2. ^ a b c d e 『日本警察官僚総合名鑑』39頁。
  3. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』325頁。
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』489頁。
  5. ^ 平成5年 1993年1月6日付 官報 本紙 第1068号 6頁

参考文献

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  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 小山善一郎・石丸陽編『日本警察官僚総合名鑑』新時代社、2005年。
  • 『現代物故者事典 1991〜1993』日外アソシエーツ、1994年。
警視総監 (第66代:1965-1967)
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