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まつゆき (護衛艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
まつゆき
基本情報
建造所 石川島播磨重工業東京第1工場
運用者  海上自衛隊
艦種 汎用護衛艦(DD)
級名 はつゆき型護衛艦
艦歴
発注 1981年
起工 1983年 4月7日
進水 1984年 10月25日
就役 1986年 3月19日
除籍 2021年 4月7日
要目
基準排水量 3,050 トン
満載排水量 4,200 トン
全長 130m
最大幅 13.6m
深さ 8.5m
吃水 4.4m
機関 COGOG方式
主機 川崎ロールス・ロイス オリンパスTM3Bガスタービン ×ばつ 2基
川崎RRタインRM1C ×ばつ 2基
出力 45,000PS
推進 スクリュープロペラ ×ばつ 2軸
速力 29.7ノット
乗員 200名
兵装 62口径76mm単装速射砲 ×ばつ 1門
Mk.15 mod.2 高性能20mm機関砲(CIWS)×ばつ 2基
GMLS-3 シースパロー 短SAM 8連装発射機 ×ばつ 1基
ハープーン SSM 4連装発射筒 ×ばつ 2基
74式C アスロック 8連装発射機 ×ばつ 1基
68式C 3連装短魚雷発射管 ×ばつ 2基
搭載機 HSS-2B/SH-60J ヘリコプター ×ばつ 1機
C4I OYQ-5B-1 目標指示装置
FCS 81式射撃指揮装置2型-21/12A
SFCS-6A-1 水中攻撃指揮装置
レーダー OPS-14B 対空
OPS-18-1 水上
OPS-20 航海用
ソナー OQS-4
OQR-1 曳航式(後日装備)
電子戦
対抗手段
NOLR-6C ESM+OLT-3 ECM+OLR-9C RWR
Mk.137 デコイ発射機 ×ばつ 2基
その他 曳航具3型 対魚雷デコイ
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まつゆき(ローマ字:JS Matsuyuki, DD-130)は、海上自衛隊護衛艦はつゆき型護衛艦の9番艦。艦名は「松に降り積もる雪」に由来する。なお、艦艇名としては旧海軍通して初の命名である。

本記事は、本艦の艦暦について主に取り扱っているため、性能や装備等の概要についてははつゆき型護衛艦を参照されたい。

艦歴

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「まつゆき」は、中期業務見積もりに基づく昭和56年度計画2,900トン護衛艦2218号艦として、石川島播磨重工業東京第1工場で1983年4月7日に起工され、1984年10月25日に進水、1986年3月19日に就役し、同日付で第2護衛隊群隷下に新編された第44護衛隊に「やまゆき」とともに編入され、に配備された。

1985年 8月13日午後、相模湾での海上公試の際、前日に生起した日本航空123便墜落事故で事故機から離脱し、海上に落下した垂直尾翼部分を偶然発見し回収、事故原因解明に大きく寄与した。 一方、「まつゆき」が123便の航跡付近にいたことから、後日、123便の墜落に関与したとする陰謀説が流れた。この陰謀説は、2025年4月10日の参議院外交防衛委員会で取り上げられた[1] [2]

1987年 6月12日から11月11日、練習艦「かとり」を旗艦とする昭和62年度(第31回)遠洋練習航海(欧州〜世界一周コース)に「やまゆき」と共に参加。12ヵ国、13寄港地を歴訪した[3]

1989年 7月20日から7月27日、護衛艦「やまゆき」と共に、米海軍ミサイル巡洋艦「スタレット」等との日米士官候補生交歓訓練に参加する。

1992年環太平洋合同演習 (RIMPAC) に参加。海上自衛隊から他に参加したのは、護衛艦「くらま」、「たちかぜ」、「さわかぜ」、「あさぎり」、「やまぎり」、「さわぎり」、「やまゆき」、補給艦「はまな」、潜水艦「もちしお」、HSS-2B 哨戒ヘリコプター ×ばつ 8機、P-3C 哨戒機 ×ばつ 8機。

1997年 3月24日、隊番号の改正により第44護衛隊が第2護衛隊に改称。

同年4月21日から9月5日、練習艦「かしま」を旗艦とする平成9年度(第41回)遠洋練習航海(北米・南米西岸コース)に参加。その途上の8月29日、対空射撃訓練中に主砲暴発、訓練弾により自艦の艦首に破孔が生じた。原因は砲製造修理業者の部品加工不良ならびに取り付け間違いと判明した。

1998年 3月20日第4護衛隊群第8護衛隊に編入。

2002年 4月20日から9月9日、練習艦「かしま」を旗艦とする平成14年度(第46回)遠洋練習航海(北米コース)に練習艦「しまゆき」と共に参加。東京出港後、アメリカカナダメキシコパナマドミニカ共和国グアテマラの6ヵ国10寄港地を歴訪した。

2003年 3月13日呉地方隊第22護衛隊に編入。

2008年 2月22日から3月21日まで、護衛艦「はまゆき」等とともに外洋練習航海部隊を編制して江田島湾出港後、東南アジア各地を歴訪。その途上の3月4日午前、ベトナムホーチミン港に「はまゆき」と横付停泊中、ベトナム船籍の貨物船「Hailong45」に接触され、右舷に幅10cm長さ3mのすり傷がついた[4]

同年3月26日自衛艦隊の大改編により第22護衛隊が第12護衛隊に改称され、護衛艦隊隷下に編成替え。

2010年 3月15日、護衛艦隊第14護衛隊に編入され、定係港が呉から舞鶴に転籍。

2012年 4月15日、練習艦隊内地巡航部隊として午前9時に大湊基地を出港後の午前11時5分ごろ、陸奥湾の夏泊半島の北北東約8キロの海上で、同基地から出港した「かしま」「しまゆき」と本艦3隻の練習艦隊見送りのため、低空を展示飛行中だった海上自衛隊 第21航空群第25航空隊(大湊)所属のSH-60J哨戒ヘリ(8279号機:機長 宮永雅彦3佐)が「まつゆき」の左舷格納庫側壁にメインローターを接触させ、墜落した[5] 。この事故で機長が殉職、「まつゆき」も左舷格納庫の側壁を損傷し、実習幹部を「かしま」に移乗させた後、修理のため一時、練習艦隊を離れたが、ユニバーサル造船(現:ジャパン マリンユナイテッド)舞鶴事業所において2週間ほどで修理を済ませ、再度練習艦隊に合流した。

同年5月22日から10月22日、練習艦「かしま」を旗艦とする平成24年度(第56回)遠洋練習航海(東南アジア・中東・アフリカ東岸コース)に参加。14ヵ国、15寄港地を歴訪した。

2016年 1月15日から3月2日までの間、インド海軍主催国際観艦式及び日米豪共同海外巡航訓練に参加した[6]

2021年 4月7日、除籍。その総航程(航海した累積距離)は約79万3500海里(地球約40周分)にもなった。同日午前に行われた自衛艦旗返納式[7] では、舞鶴地方総監伊藤弘海将が「激動の時代を駆け抜けた「まつゆき」が成し遂げた多大な成果と勝ち得た信頼は、決して忘れられることなく、海上自衛隊護衛艦部隊のDNAにしっかりと刻まれ、部内外で語り継がれていくと確信している」と訓示。式後、最後の艦長となった原弘章2等海佐は「「まつゆき」は私の入隊と同じ昭和61年に就役した同期。看取らせていただいたことは最良のことで感無量。「まつゆき」は常に働き続けた海自で一番強い船でした」と語った。最終所属は護衛艦隊第14護衛隊、定係港は舞鶴であった[8] [9] 。 これにより、護衛艦籍のはつゆき型は全て除籍された。 式典後艦番号は塗りつぶされ[10] 、舞鶴基地近傍のブイに係留された。

2023年 2月23日、民間えい船によりえい航され舞鶴を後にした[11]

歴代艦長

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歴代艦長(特記ない限り2等海佐)
氏名 在任期間 出身校・期 前職 後職 備考
01 寺西 弘 1986年3月19日 - 1987年3月15日 まつゆき艤装員長 くらま艦長
02 古賀勝彦 1987年3月16日 - 1988年8月24日 防大10期 開発指導隊群司令部幕僚 運用開発隊運用開発第5科長
03 北村健造 1988年8月25日 - 1989年7月31日 防大12期 運用開発隊運用開発第5科長 海上幕僚監部調査部調査第1課
04 渡部貞吉 1989年8月1日 - 1991年3月24日 防大11期 運用開発隊運用開発第1科長 第1護衛隊群司令部幕僚
05 深田卓夫 1991年3月25日 - 1993年8月19日 防大17期 第1護衛隊群司令部幕僚 海上自衛隊東京業務隊 1993年7月1日
1等海佐昇任
06 石井 奨 1993年8月20日 - 1995年10月8日 23期幹候 海上幕僚監部調査部調査第1課 はるさめ艤装員長
07 塔岡道夫 1995年10月9日 - 1997年9月28日 防大17期 海上自衛隊第1術科学校教官
兼 研究部員
第2海上訓練指導隊砲術科長
08 井ノ久保雄三 1997年9月29日 - 1999年3月25日 防大23期 呉基地業務隊補充部付 海上自衛隊幹部学校付
09 山下万喜 1999年3月26日 - 2000年3月23日 防大27期 せとぎり砲雷長 兼 副長 海上幕僚監部防衛部運用課
10 児玉 功 2000年3月24日 - 2001年10月14日 防大20期 海上自衛隊第1術科学校教官 第2海上訓練指導隊
11 小野寺功 2001年10月15日 -2002年9月19日 防大22期 舞鶴地方総監部管理部人事課長 たちかぜ艦長 2002年7月1日
1等海佐昇任
12 眞鍋浩司 2002年9月20日 - 2003年7月31日 防大28期 かしま副長
13 清水博文 2003年8月1日 - 2004年8月30日 防大29期 統合幕僚会議事務局第5幕僚室
14 山中邦明 2004年8月31日 - 2005年6月23日
15 黒田全彦 2005年6月24日 - 2006年8月29日 防大34期 海上幕僚監部防衛部運用課 自衛艦隊司令部幕僚
16 甲斐義博 2006年8月30日 - 2007年8月9日 防大31期 あさかぜ船務長 兼 副長 佐世保地方総監部管理部総務課長
17 小林知典 2007年8月10日 - 2008年8月21日 防大34期 きりしま船務長 兼 副長
18 吉岡 猛 2008年8月22日 - 2009年8月2日 防大35期 きりしま船務長 統合幕僚監部防衛計画部計画課
19 井上高志 2009年8月3日 - 2010年8月4日 東北学院大
43期幹候
護衛艦隊司令部幕僚 海上幕僚監部防衛部防衛課
20 北川敬三 2010年8月5日 - 2011年7月31日 米国海軍兵学校
(US Naval Academy)・
44期幹候
海上幕僚監部防衛部防衛課
21 石田 徹 2011年8月1日 - 2012年11月21日 統合幕僚監部運用部運用第2課 自衛艦隊司令部幕僚
22 清水 徹 2012年11月22日 - 2013年9月30日 防大40期 第3護衛隊群司令部幕僚 海上幕僚監部防衛部防衛課
23 平野一照 2013年10月1日 - 2015年5月17日 佐世保海上訓練指導隊
船務航海科長
舞鶴地方総監部管理部
24 髙岡 智 2015年5月18日 - 2016年8月21日 自衛隊体育学校 あさひ艤装員長
25 齋藤一城 2016年8月22日 - 2017年7月27日 防大39期 海上自衛隊第1術科学校教官 しらせ運用長
26 櫻井哲久 2017年7月28日 - 2018年12月2日 防大37期 佐世保海上訓練指導隊砲雷科長 佐世保海上訓練指導隊
27 牟田謙介 2018年12月3日 - 2019年12月1日 防大37期 海上自衛隊第1術科学校教官 大湊地方総監部
28 原 弘章 2019年12月2日 - 2021年4月6日 ときわ副長 護衛艦隊司令部幕僚
兼 自衛艦隊司令部

ギャラリー

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参考文献

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  • 石橋孝夫『海上自衛隊全艦船 1952-2002』(並木書房、2002年)
  • 世界の艦船 増刊第66集 海上自衛隊全艦艇史』(海人社、2004年)
  • 『世界の艦船』第750号(海人社、2011年11月号)

脚注

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出典

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  1. ^ "日航機墜落に5つの陰謀説「自衛隊と隊員への冒瀆だ」当時捜索のOBが反論". 産経新聞 (2025年5月1日). 2025年5月1日閲覧。
  2. ^ "日航機墜落の陰謀説唱える書籍は「図書館協議会選定図書」 自民の佐藤正久氏が是正訴え". 産経新聞 (2025年5月1日). 2025年5月1日閲覧。
  3. ^ 昭和62年防衛庁記録(防衛庁制作動画)
  4. ^ "海自護衛艦、また接触事故". APF通信社 (2008年3月4日). 2021年3月7日閲覧。
  5. ^ SH-60J 8279号機の墜落事故について Archived 2012年4月21日, at the Wayback Machine.(PDF文書)
  6. ^ インド海軍主催国際観艦式への参加及び日米豪共同海外巡航訓練の実施について(PDF文書)
  7. ^ "舞鶴・護衛艦「まつゆき」が除籍 自衛艦旗返納行事ID". 朝日新聞 (2021年4月8日). 2021年4月10日閲覧。
  8. ^ "護衛艦「まつゆき」35年の任務終了 墜落ジャンボ機の尾翼発見". 毎日新聞 (2021年4月7日). 2021年4月7日閲覧。
  9. ^ "護衛艦まつゆきが35年の任務完遂 日航機墜落で尾翼発見". 産経新聞 (2021年4月7日). 2021年4月7日閲覧。
  10. ^ "護衛艦「まつゆき」除籍(2021年4月7日、京都府舞鶴市・海上自衛隊舞鶴基地)". 京都新聞 (2021年4月7日). 2021年4月10日閲覧。
  11. ^ 舞鶴地方総監部【公式】 [@JMSDF_mrh] (28 February 2023). "保管船(元 まつゆき )、最後の航海へ". X(旧Twitter)より2023年3月16日閲覧.

外部リンク

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ウィキメディア・コモンズには、まつゆき (護衛艦) に関連するカテゴリがあります。

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