はじめに 「言語化」という言葉を聞くたびに、私は少しだけ居心地が悪くなる。この感覚に初めて気づいたのは、数年前の、ある夏の午後だった。後輩エンジニアとの1on1で、私は彼にコードレビューのコツを教えようとしていた。モニターに映るコードを指差しながら、「このコードの何が良くないか、分かる?」と聞いた。彼は首を横に振った。私は言葉を探した。「ここの設計が、将来の拡張性を損なっている」「この命名は意図が伝わりにくい」「ここのロジックは複雑すぎる」。彼は真面目にメモを取った。頷いた。理解したような表情をした。でも、次のレビューでも、同じ問題が繰り返された。その次も。さらにその次も。私は、教え方が下手なのだと思った。説明が足りないのだと思った。もっと丁寧に、もっと具体的に、もっと分かりやすく。そう思って、さらに言葉を重ねた。 三ヶ月が過ぎた。ある日、彼は変わっていた。私が指摘していたような問題を、自
おい、言語化しろ - じゃあ、おうちで学べるはじめに 最近、ふと気づいたことがある。技術負債って、もう昔とは全然違うゲームになってるんじゃないか?いや、もっと正確に言うなら、ゲーム自体が終わろうとしているんじゃないか? コーヒーを飲みながら、10年前に書いた自分のコードを眺めていた。当時は「きれいに書いた」つもりだったけど、いくつかの要望がありよく考えずに変更を加えた結果、負債の塊だ。でも、それを直すのに必要な時間とコストの計算が、根本的に変わってしまった。 いや、変わったどころか、もはや「時間とコスト」という概念すら意味をなさなくなりつつある。 syu-m-5151.hatena blog.com 私たちは技術負債を「悪いコード」として理解してきた。しかし、それは大きな誤解だった。Ward Cunninghamが1992年に生み出した原初の概念は、現在広く信じられている「技術的問題」とは根本的に異なっていた。 彼の言う負債とは、ソフ
技術的負債の変質について - じゃあ、おうちで学べるリリース、障害情報などのサービスのお知らせ
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