鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査成果その4
◎にじゅうまる調査課の鈴木です。
現在は稲沢市に所在する鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査を行っており、間もなく調査は終了する見込みです。
今回は、平成23 年度に実施している5ヶ所の調査区のうち、西寄りの11Bb 区の調査成果の概要を紹介します。
●くろまる鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査成果速報No.4-1
11Bb 区1 面(14 世紀〜 15 世紀頃)の成果
11Bb 区1面では、14 世紀から15 世紀までの溝や大型土坑などが発見されました。溝は東西方向に1条、南北方向に3条が走っており、屋敷等を区画したものと思われます。溝の重なり具合からみて、屋敷割は少なくとも2回は変更されたようです。
大型土坑については、浅いものが多く、その用途は不明です。
●くろまる鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査成果速報No.4-2
11Bb 区2面(12 〜 15 世紀頃)の成果
11Bb 区2面では、12 世紀から15 世紀までの溝や柱穴などの遺構が発見されました。鎌倉時代には南北方向に2条が走っており、その東西両側には柱穴がたくさん見つかっています。屋敷の中に掘立柱建物(ほったてばしらたてもの)が建っていたことが想定されます。
2条の溝の間には円礫をきれいに敷き並べた石敷遺構があります。正確な用途は不明ですが、今で言う「流し」のようなものだったかもしれません。
鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査成果その3
◎にじゅうまる調査課の鈴木です。
現在は稲沢市に所在する鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査を6月末日までの予定で行っています。
今回は、平成23 年度に実施している5ヶ所の調査区のうち、西寄りの11Aa 区の調査成果の概要を紹介します。
その2
●くろまる鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査成果速報No.3-1
11Aa 区1 面(12 世紀〜 15 世紀頃)の成果
11Aa 区1面では、12 世紀から15 世紀にかけて掘削されたと見られる柱穴がたくさん発見されました。この結果,地面に穴を掘って柱を埋める建物(掘立柱建物:ほったてばしらたてもの)が広がっていたものと思われます。
11Aa 区のすぐ西側(昨年度に調査した10A 区)では、同じ時期の南北方向に走る溝が発見されており、その溝に囲まれた区画内に屋敷を構えていたものと推測されます。
その1
●くろまる鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査成果速報No.3-2
11Aa 区2面と3面(10 〜 12 世紀頃)の成果
11Aa 区2面では、10 世紀から12 世紀にかけて掘削されたと見られる柱穴や溝が発見されました。1面と同様に,地面に穴を掘って柱を埋める掘立柱建物が広がっていたものと思われます。
写真では、柱穴の並び方を想定した復元線を入れておきました。この結果、少なくとも3棟の建物があったことが考えられます。この地点では10 世紀頃から人々が住み始めていたのでしょう。
鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査成果その2
◎にじゅうまる調査課の鈴木です。
現在は稲沢市に所在する鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査を6月末日までの予定で行っています。
今回は、平成23年度に実施している5ヶ所の調査区のうち、西寄りの11Ba区の調査成果の概要を紹介します。
その2
●くろまる11Ba区1面(15世紀頃)の成果
11Ba区1面では、深さが1mを超える大溝が2本確認されました。溝の中からすり鉢や茶碗が出土しており、15世紀に掘削され埋められたものと思われます。
東西方向に平行して並んでおり、大溝の間は通路、大溝の外側は屋敷があったものと推測されます。この屋敷がどのような人たちのものかはよく分かりませんが、幅が狭いとは言え堀を構えるのですから、そこそこな方々の屋敷と想像されます。
Ba-1
●くろまる鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査成果速報No.2-2
11Ba区2面と3面(12〜15世紀頃)の成果
11Ba区2面では、長さが1m前後の長方形の土坑が発見されました。14世紀から15世紀前半のものと見られますが、その穴の目的などは不明です。
その下位の11Ba区3面では、浅い落ち込みとその床面で柱穴などが発見されました。竪穴住居に近い構造のこの建物は12世紀頃に作られており、何らかの作業場だった可能性も考えられます。
15世紀の大溝(で囲まれた屋敷)より前にも、人々が生活を営んでいたことが分かりました。
Ba-2
これよりも古い時期のについては、平安時代の灰釉陶器などがわずかに出土していますが、これに伴う遺構をしつこく探しましたが発見するには至りませんでした。近くに平安時代の遺構があるのだろうと想像されます。
◎にじゅうまる調査課の鈴木です。
現在は稲沢市に所在する鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査を行っています。
平成23年度の鎌倉街道周辺遺跡の発掘調査は、11Aa区・11Ab区・11Ba区・11Bb区・11D区の合計5ヶ所で行っています。
今回は東寄りの11D区の途中経過を紹介します。
全景
●くろまる11D区1面(15世紀中頃〜18世紀)の成果
11D区1面では、鎌倉街道と推定される幅が約10mの高まりが南北に伸びる形で確認されました。これは、昨年度の調査で発見された鎌倉街道の続きと考えられます。15世紀前葉の柱穴などを埋めて作られていますので、道は15世紀中頃に作られたと思われます。
その後は、少なくとも18世紀には、畑の耕作土が堆積し「うね」に関係すると思われる小溝が掘られました。このころには、街道は廃止されていたことが分かりました。
D区1
●くろまる11D区2面(14世紀〜15世紀前半)の成果
11D区2面では、鎌倉街道が作られる直前の遺構がたくさん確認されました。東部では柱穴が多く見つかり、掘立柱建物が建っていたと推測されます。中央部から西部にかけては、中型から大型の穴(土坑)が繰り返して掘られた状態が確認されました。
土坑からは、陶磁器の他に、鍛冶の時に発生する廃棄物(鉄滓)や焼けた土壁や炭片などが多く出土しています。この場所が金属製品を生産した作業場の付近であったと推測できます。
D区2
先日、瀬戸市にある愛知県陶磁資料館 南館2階 こども考古学研究室の「堀りたての土器・洗いたての石器」コーナの展示替えを実施してきました。今回展示を行ったのは、以下の4つの遺跡です。
御山寺遺跡[ごさんじいせき](岩倉市)
上品野E窯跡[かみしなのいーかまあと](瀬戸市)
桑下東窯跡[くわしたひがしかまあと](瀬戸市)
西浦遺跡[にしうらいせき](豊橋市)
縄文時代から、弥生時代、古墳時代、鎌倉時代、江戸時代のモノなど、いろいろな地域のいろいろな時代の遺物を展示しました。是非一度、見に来てください。
展示
展示
◎にじゅうまる調査課の永井邦仁です。
安城市小川町に所在する寄島遺跡では、鹿乗川改修工事に伴う発掘調査を5月から9月までの予定で実施しています。寄島遺跡では、平成18年度の発掘調査で弥生時代末期から古墳時代初めの集落跡を検出していますが、今回の調査地点はその南側に位置します。場所は、小川町志茂の交差点から東へ向かうと鹿乗川にかかる下懸橋に出ますが、その北東側の一帯です。
重機
▲さんかく重機による表土掘削作業(南西から)
最初に作業を開始したのが11C区で、道路を挟んだ南側は平成12年度に下懸遺跡として発掘調査した場所です。重機を使って、表土(遺跡全体を覆っている造成土や耕作土)を掘削します。
地層
▲さんかく土層断面で遺構・遺物のある地層を確認します
次に調査区の端にトレンチを掘って、遺構遺物が検出できる地層がどの深さにどれだけの厚さであるのかを調べます。黒色の地層からは弥生時代中期から平安時代にかけての土器が多数出土しています。この調査区の場合、黒色の地層の上面と下面で遺構検出を行うことになりました。
作業
▲さんかく遺物包含層の掘削作業(南から)
そして遺構検出面を目指してスコップを使って掘削していきます。近世以降の耕作によって遺構は残っていないものの遺物を含む地層を遺物包含層として掘削していきます。現在は遺構検出を進めており、集落の建物遺構などが沖積地の微高地上に広がる様子が判明しつつあります。
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