2025年8月26日火曜日
残暑お見舞い申し上げます
毎日毎日暑い日が続きます。福岡市博物館総館長の中野です。前々回(5月24日)の「楽史の集い」が終わったあとに更新の予定だったのですが、すっかりサボってしまいました。申し訳ありません。
さて、「総館長の歴史講座」と冠をつけてリ・スタートした「楽史の集い」は5月・7月と「花押」をテーマに話をしました。事前の広報をご覧になった方から「博物館で押し花の講習をやるのか?」といった問い合わせがいくつかあったそうです。確かに「花押」をひっくり返すと「押し花」にはなりますが、残念ながら当方は「押し花」に関する蘊蓄は持ち合わせておりません。
「花押」というのは自署によるサインの様なもので、手紙を出す場合などに用いられました。一般の古文書講座などでは、さらっと流されるテーマですが、今回はこれをすこし深掘りしていきました。「花押とは何か?」からはじめ、その歴史や様々なかたち、「花押」の機能や歴史研究に果たす役割などなどを二回に分けてお話いたしました。
「花押」というものをより身近に感じていただきたいと考え、講座の締めくくりとして、参加者みなさんにご自身の「花押」をデザインしていただく時間を設けました。近世(江戸時代)になると、花押の作成にもいろいろな流派がうまれ、難しい約束事がつくられていきます。たとえば、生まれ年の干支によって、花押の線で囲まれた部分(「空穴」と書いて「めど」とよみます)の数に吉凶が生じるといったものです。子年うまれの場合は、「空穴」の数をいくつにすると運勢が開けるが、いくつだと凶運にみまわれるといった具合です。
こういったことを一々気にし出すと、中々うまくいきませんので、当日は『くずし字辞典』などを利用していただき、お好きな字(漢字に限らず仮名やアルファベット)を基に思い思いに「花押」をデザインしていただきました。限られた時間でしたが、参加されたみなさん大変楽しく、ご自身の「花押」づくりに挑まれていたようです。作品のなかには秀逸なものもいくつかありましたので、折々にこの場で紹介していきたいと思っています。当日参加された方々のご協力をお願いします。
さて、次回の「総館長の歴史講座・楽史の集い」は9月27日(土)の午後を予定しております。内容は「関ヶ原合戦」にちなんだものを考えています。7月26日の予告と全く違うものになってしまいましたが、実は9月9日(火)から当館の企画展示室(黒田家名宝展示)で「関ヶ原戦陣図屏風」を展示します。折角の機会ですので、その紹介を兼ねて「関ヶ原合戦」の話をしようかということになりました。ご関心の向きには、是非とも博物館に足をお運びいただければと存じます。開催の時間帯については、博物館のHPや市政だよりなどでご確認いただきたく存じます、併せてよろしくお願いいたします。
福岡市博物館総館長 中野 等
2025年7月25日金曜日
本日よりトワイライトミュージアム2025開催!
福岡市博物館では、2025年7月25日~8月24日の金・土・日・祝日と8月13日(水)・14日(木)を「トワイライトミュージアム」として、20:00まで(入館は19:30まで)開館時間を延長します。
・常設・企画展示室 20:00まで(入場は19:30まで)
・特別展示室 芥見下々『呪術廻戦』展 17:30まで(入場は17:00まで)
・ミュージアムショップ(1階)17:30まで
ぜひこの夏、いつもとは違う夜の博物館をお楽しみください。
イベントはすべて終了しました。たくさんのご参加ありがとうございました。
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《期間中のイベント一覧》
①トワイライトミュージアムで大身鎗「日本号」絵はがきセットをゲットしよう!
https://www.city.fukuoka.lg.jp/keizai/museum-kanri/charm/nihonngou3.html
②トワイライトミュージアムで水素バス体験試乗
博物館周辺を約15分間周遊予定です。
各日15:00~、16:00~、17:00~
・事前申込:不要、参加無料(定員:各回先着20名)
ただし、開催日の14:30から博物館で配布する整理券が必要です。
詳細はコチラ↓
https://www.city.fukuoka.lg.jp/keizai/museum-kanri/charm/suisobasusizyoutaiken2.html
③総館長の歴史講座「楽史(らくし)の集い」
今回は、特別に、トワイライトミュージアムの時間帯に行います。
テーマは、「花押 パート2」。前回参加していない方も、どうぞお気軽にご参加ください。
・会場:喫茶・談話室(博物館2階)
・事前申込:不要、参加無料(定員:先着50名)
参加ご希望の方は、博物館2階 喫茶・談話室にお集まりください。
(写真は「徳川家康書状」※参考資料。赤い四角で囲まれた部分が花押です)
④トワイライトミュージアム・夜の博物館探検
普段は入ることのできない、博物館のウラ側を探検します🕵️♀️
・日時:8月2日(土)1回目:18:00~/2回目:19:00~(各回30~40分程度)
・事前申込:不要。当日17:00から1階総合案内にて整理券を配布します。
・定員:各回先着20名(小学生以下は要保護者同伴)
※このイベントでは、収蔵庫には入りません
⑤ぐるぐるまわるうちわづくり
インドのぐるぐるうちわをつくってみましょう!
・日時:8月9日(土)17:30~19:30(受付終了は19:00)
・会場:1階 みたいけんらんラボ・講座室1
・事前申込:不要、先着100名まで
※参加は随時OK!
⑥紙コップでオリジナル風鈴づくり
紙コップと鈴を使って、オリジナルの風鈴をつくりましょう!
・日時:8月16日(土)17:30~19:30(受付終了は19:00)
・会場 :1階 講座室1
・事前申込:不要、先着100名まで
※参加は随時OK!
⑦民族衣装で撮影会 in 博物館
さまざまな国の民族衣装を着て、記念撮影しましょう!
・日時:8月23日(土)17:30~19:30
・会場:1階 みたいけんらんラボ
・事前申込:不要
※参加は随時OK!
⑧福岡市博物館で獅子舞を楽しもう
福岡市博物館で宇田川原豊年獅子舞保存会(市指定無形民俗文化財)による獅子舞の披露を行います。当日は「ダンボールを使った獅子頭作り」「博多人形絵付け体験」のワークショップも開催します。夏の思い出づくりにぜひお越しください。
⭐獅子舞披露
・日時:8月23日(土)17:30~
・会場:グランドホール
⭐ワークショップ
●ダンボールを使った獅子頭作り
・日時:8月23日(土)
1回目:13:00~/2回目:15:00~/3回目:18:00~(各回1時間半程度)
・会場:講座室1
・定員:各回先着4名(小学3年生以下は要保護者同伴)
・参加費:無料
●博多人形絵付け体験
・日時:8月23日(土)
1回目:13:00~/2回目:15:00~(各回1時間半程度)
・会場:講座室1
・定員:各回先着20名(小学3年生以下は要保護者同伴)
・参加費:1,800円
※ワークショップは当日12:30から講座室1で受付開始
詳細は、以下のリンクよりご確認下さい。
2025年6月27日金曜日
【別冊シーサイドももち】〈105〉百道に監獄を建てた人々の話~福岡監獄移転60年備忘録~
埋め立て地にできたニュータウン「シーサイドももち」の、前史から現代までをマニアックに深掘りした『シーサイドももち―海水浴と博覧会が開いた福岡市の未来―』(発行:福岡市/販売:梓書院)。
この本は、博多・天神とは違う歴史をたどってきた「シーサイドももち」を見ることで福岡が見えてくるという、これまでにない一冊です。
本についてはコチラ。
この連載では【別冊 シーサイドももち】と題して、本には載らなかった蔵出し記事やこぼれ話などを紹介しています。ぜひ本とあわせてお楽しみいただければ、うれしいです。
第1回(「よかトピアに男闘呼組がやってきた!」)
第2回 (「ダンスフロアでボンダンス」)
第3回 (「よかトピアの「パオパオ・ロック」とは。」)
第4回(「開局! よかトピアFM(その1)KBC岸川均さんが育てた音のパビリオン」)
第5回(「思い出のマッスル夏の陣 in 百道」)
第6回(「最も危険な〝遊具〟」)
第7回(「開局! よかトピアFM(その2)1週間の全番組とパーソナリティー」)
第8回 (「ビルの谷間のアート空間へようこそ」)
第9回(「グルメワールド よかトピア」)
第10回(「元寇防塁と幻の護国神社」)
第11回(「よかトピアのストリートパフォーマーたち」)
第12回(「百道地蔵に込められた祈り」)
第13回(「よかトピアのパンドールはアジアへの入り口」)
第14回(「あゝ、あこがれの旧制高校」)
第15回(「よかトピアが終わると、キングギドラに襲われた」)
第16回(「百道にできた「村」(大阪むだせぬ編)」)
第17回(「百道にできた「村」(村の生活編)」)
第18回(「天神に引っ越したよかトピア 天神中央公園の「飛翔」」)
第19回(「西新と愛宕の競馬場の話。」)
第20回(「よかトピア爆破事件 「警視庁捜査第8班(ゴリラ)」現る」)
増刊号(「はじめてのテレビ取材!」)
第21回(「博多湾もよかトピア オーシャンライナーでようこそ」)
第22回(「福岡市のリゾート開発はじまりの地?」)
第23回 (「ヤップカヌーの大冒険 よかトピアへ向けて太平洋5000キロの旅」)
第24回 (「戦後の水事情と海水浴場の浅からぬ関係」)
第25回 (「よかトピアへセーリング! オークランド~福岡・ヤマハカップヨットレース1989」)
第26回 (「本づくりの裏側 ~『シーサイドももち』大解剖~」)
第27回 (「開局!よかトピアFM(その3)今日のゲスト 3~4月」)
第28回 (「まだまだあった! 幻の百道開発史」)
第29回 (「開局!よかトピアFM(その4)今日のゲスト 5~6月」)
第30回 (「百道の浜に舞いあがれ! 九州初の伝書鳩大会」)
第31回 (「開局! よかトピアFM(その5)今日のゲスト 7月」)
第32回 (「聞き書きの迫力~西新小学校100周年記念誌を読む~」)
第33回(「開局!よかトピアFM(その6)今日のゲスト 8~9月」)
第34回 (「百道を駆け抜けていった夢の水上飛行機」)
第35回 (「開局!よかトピアFM(その7)ここでも聴けたよかトピア」)
第36回 (「幻の「百道女子学院」と須磨さんの夢」)
第37回(「開局!よかトピアFM(その8)『今日もリスナーさんからおたよりが届いています』」)
第38回(「西新町209の謎を解け!~建物からたどるまちの歴史~」)
第39回(「「地球をころがせ」を踊ってみた ―「よかトピア」オリジナル音頭―」)
第40回(「映える写真が撮りたい!~百道とカメラとモデルの雑史~」
第41回 (「よかトピアでアジア旅 ― 三和みどり・エスニックワールドのスタンプラリー ―」)
第42回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画①〕スリルを楽しむ~百道の飛込台とハイダイビング~」)
第43回 (「〔世界水泳2023福岡大会応援企画②〕大海を泳ごう~かつての遠泳、いまはオープンウォータースイミング~」)
第44回 (「百道海水浴場はどこにある?」)
第45回 (「2100年のパナコロニーからPAF522便に乗船したら、こうなった―よかトピアの松下館(1)―」)
第46回(「百道テント村100年 大解剖スペシャル!」)
第47回(「トラジャのアランとコーヒーと ―よかトピアのウェルカムゲートはまるで宙に浮かんだ船―」)
第48回(「〔世界水泳2023福岡大会応援企画③〕世界水泳観戦記録 in シーサイドももち」)
第49回(「福岡市の工業を支えた九州松下電器は世界のヒットメーカーだった―よかトピアの松下館(2)―」)
第50回(「百道から始まる物語 ~「水泳王国・福岡」の夜明け前 ~」)
第51回(「よかトピアのトイレと日陰の話」)
第52回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正編~」)
第53回(「リゾートシアターは大忙し ―よかトピアのステージ裏―」)
第54回(「ピオネとピオネ ―百道海水浴場最後の海の家に隠された名前の謎―」)
第55回(「34年前のよかトピアではこれが当たり前の景色でした ―電話やカメラや灰皿の話―」)
第56回(「百道で行われた戦時博覧会「大東亜建設大博覧会」とは」)
第57回(「キャラクターが大集合した「いわたや(岩田屋)こどもかん」と、ついでによかトピアの迷子事情も」)
第58回(「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編①~」)
第59回(「巨大な鳥かごに入ってみたら、極楽鳥がであいを伝えてくれた ―よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(1)―」)
第60回 (「西新町に監獄ができるまでの話」)
第61回 (「鳥のグッズを開封、そしてシンガポールからはバードショーもやってきた ―よかトピアの「芙蓉グループ・バードカントリー」(2)―」)
第62回 (「西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈前編〉」)
第63回 (「西新町の福岡監獄 建築見学ツアー〈後編〉」)
第64回(「よかトピアの海上レストラン ―マリゾン(1)―」)
第65回 (「「百道海水浴場年表」を読む!~大正後編②~」)
第66回 (「子象のタクシー、初乗り100円でシーサイドももちをご案内 ―よかトピアの象のはなし ―」)
第67回 (「船で、飛行機で、データで、電波で、人の手で、福岡と世界を結んだよかトピアのパビリオン ―マリゾン(2)―」)
第68回 (「よかトピアはドームつくりがち」)
第69回 (「シーサイドももちはMVステージ(その1)」)
第70回 (「シーサイドももちはMVステージ(その2)」)
第71回 (「百道松原を買った藤金作(その1)― 西新爆上がりの回 ―」)
第72回 (「百道松原を買った藤金作(その2)― 元寇防塁発見の回 ―」)
第73回 (「サザエさん通りの生い立ち ―「プレ・サザエさん通り」と波瀾万丈の元寇防塁 ―」)
第74回 (「最初の海の家「設備屋」の行方と西南学院のキャンパス」)
第75回 (「百道に計画されていた幻の国際飛行場」)
第76回 (「ガワラッパのネッキ、ミズチと戦う ―よかトピアの「河童館」は福岡市の弱点「水」を大特集したウォーターパビリオンだった(その1)―」)
第77回 (「ドラえもんが水のことを教えてくれた日 ―よかトピアの「河童館」は福岡市の弱点「水」を大特集したウォーターパビリオンだった(その2)―」)
第78回 (「修養の殿堂、百道に建つ~射撃場跡地にできた社会教育会館~」)
第79回 (「まっすぐ過ぎる道路~百道に残る四角い街区のナゾ~」)
第80回 (「シーサイドももちにはお金が置いてある ―ヤップカヌー外伝(その1)―」)
第81回 (「ルッパン船長とヤップのダンスチーム、よかトピアを飛び出してダイエーに行く ―ヤップカヌー外伝(その2)―」)
第82回 (「シーサイドももちの緑地さんぽ① ~地行浜&海浜エリア編~」)
第83回 (「小学校の体育用具倉庫で山笠のムルティをつくってほしい ―よかトピアで大活躍だったインド(その1)―」)
第84回 (「シーサイドももちの緑地さんぽ② ~百道浜エリア編~」)
第85回 (「あるときは少年が空中に浮き、あるときはバラタナティアムやカタックを舞う ─よかトピアで大活躍だったインド(その2)─」)
第86回 (「「この楽しさにあなたの首は耐えられますか?」─よかトピアの九州電力パビリオン(その1)─」)
第87回 (「スーパーシップ9、九州を乗せてフランスへ飛んでいく―よかトピアの九州電力パビリオン(その2)―」)
第88回 (「70年続く伝統の林杯ヨットレース ― 百道とヨット① ―」)
第89回 (「海水浴場の安全をまもった〝百道の王〟」)
第90回 (「スーパーシップ9の「9」は九州のキュー(たぶん)―よかトピアの九州電力パビリオン(その3)―」)
第91回 (「昭和20年代の博多湾クルージング─百道とヨット②─」)
第92回 (「え、今度はガメラとギャオスですか!?―屋根に穴があいた福岡ドーム(その1)―」)
第93回 (「百道良いとこ一度はおいで! ―福利厚生の場としての百道①―」)
第94回 (「四島さんの「二宮佐天荘」と百道 ―福利厚生の場としての百道②―」)
第95回 (「防塁線を駆け抜けろ! 観光コンテンツとしての元寇 ―元寇防塁今昔①―」)
第96回 (「別冊シーサイドももち的にG1(『ガメラ 大怪獣空中決戦』)を見てみた ―屋根に穴があいた福岡ドーム(その2)―」)
第97回 (「百道の海岸はお相撲銀座~百道と相撲にまつわるエトセトラ~」)
第98回 (「うちの球場は屋根を開けたり閉めたりできるんです ― 福岡ドームをつくる(その1)―」)
増刊号 (「まちの移り変わりをシーサイドももちから考える~福岡教育大学附属福岡小学校の授業から~」)
第99回 (「今年で元寇750年を迎える運びとなりました ―元寇防塁今昔②―」)
第100回 (「100回記念なので ”数" をかぞえてみました。」)
第101回 (「よかトピア遺産に会いにいく ―人気のご当地スーパーA-Zに謎の大蛇が生き続けていた編(その1)―」)
第102回 (「福岡刑務所があった時代を思いながら跡地を歩く―尹東柱と福岡刑務所―」)
第103回 (「よかトピア遺産に会いにいく―人気のご当地スーパーA-Zに謎の大蛇が生き続けていた編(その2)―」)
第104回 (「第1次西新元寇ブームの熱狂 ー元寇防塁今昔③ー」)
〈105〉百道に監獄を建てた人々の話~福岡監獄移転60年備忘録~
跡地は現在、早良区役所や早良市民センター、SAWARAPIA(旧 ももちパレス)などの公共機関が集まる場所となっていますが、ここにはかつて、高い赤レンガの塀に覆われた、巨大な監獄(刑務所)が建っていました。
福岡監獄(刑務所)については百道の歴史の一つとして、こちらのブログでも過去4回(!)にわたって紹介してきました。
まずは、福岡監獄が西新町に移ってくる前のお話(第60回)。次は完成した福岡監獄の建物を「建築見学ツアー」としてご紹介したお話(前後編/第62・63回)、それから時代がぐっと下って、戦中の福岡刑務所に収監された韓国の詩人・尹東柱(ユン・ドンジュ)の没後80年にあわせて行われた、追悼式や記念講演会の様子、そして来日された尹東柱のご遺族と一緒に福岡刑務所跡地を歩いたというお話でした(第102回)。
第5弾となる今回は、刑務所移転60年記念ということで、明治~大正初期にかけてのビックプロジェクトだった福岡監獄の建設について、建設当時の状況をもう少し細かく深掘りしてみたいと思います。
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明治に起こった近代監獄建設プロジェクト
福岡監獄は、明治41(1908)年に工事が始まり、大正5(1916)年に完成しました。この時期は、監獄や拘置所などが全国でつくられており、それらは当然国の事業として行われました。
なかでも明治33(1900)に監獄法が施行され、最初の監獄改築計画としてつくられた長崎監獄(明治40年竣工)、千葉監獄(明治40年竣工)、金沢監獄(明治40年竣工)、奈良監獄(明治41年竣工)、鹿児島監獄(明治41年竣工)は、「明治五大監獄」と呼ばれます。
これら「明治五大監獄」を設計したのは、当時司法省営繕課にいた司法技師の山下啓次郎と太田毅でした。山下も太田も帝国大学造家学科(現在の東京大学建築学科)を卒業して司法省に入庁したエリート技師です。
2人は8歳ほど年の差がありますが(山下の方が年上)、どちらも日本銀行本店や東京駅の建築などで知られ「日本近代建築の父」と呼ばれた辰野金吾の弟子でした。また、山下はジャズピアニストとして活躍されている山下洋輔さんの祖父に当たります。
一方の福岡監獄は、先ほどの明治五大監獄の後、第2期の監獄改築計画としてつくられた監獄です。ちなみに同じ第2期として建設が計画された監獄は、甲府監獄(山梨県/明治45年竣工)、秋田監獄(秋田県/明治45年竣工)、安濃津監獄(三重県/大正4年竣工)、豊多摩監獄(東京都/大正4年竣工)がありました。
福岡監獄の設計者は?
というのも、福岡監獄に関しては設計図面などの詳細な資料が見つかっておらず、具体的な設計者名の特定には至っていないのです。
福岡監獄の建設に当たっては、建築現場で実際に指揮を執っていたのは山下ではなく、その部下の金刺森太郎という人物だったことがわかっています。
金刺は技手から技師への昇進と同時に、福岡監獄建設現場への在勤を命じられています。福岡監獄は同年6月には建設が始まっていますので、金刺が技師として着任する前から補佐的に設計に関わった可能性もありますが、その場合でも主な設計者は上司であった山下や太田と考える方が自然でしょう。
苦労人・金刺森太郎のその後…
金刺はこの後も数年ごとに大阪→神戸→名古屋→京都→東京→大阪・名古屋(兼務)とくり返し異動を命じられ、各地の監獄や地方裁判所などの建築に従事しています。
とりわけ有名なのは、2024年に放送されたNHKの朝ドラ「虎に翼」のロケ地としても有名になった「旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎」。これも金刺と山下の設計による建築物です。この建物は現在でも名古屋市市政資料館として使われており、建物だけでなく図面資料なども保存され、一般に公開されています。
レポ・福岡監獄の建設現場から
さて話を福岡監獄に戻しましょう。
一方、金刺が福岡を去ってすぐ後、本格的な工事が始まっていた明治43(1910)年8月に、福岡監獄の建設現場を取材した記者がいました。
それは、福岡日日新聞社にいた斎田耕陽という記者です。
記事ではそんな多加羅こと斎田耕陽が建築中の福岡監獄に潜入し、その様子を3回にわたって細かくレポートしています。
さすが新聞記者、前々から看守長とはすでに「顔馴染」になっていたようで、その看守長に先導され、さっそく「工務室」で「重松主任技手」と「森技手」という2人の担当者を紹介されています。この「重松主任技手」とはおそらく金刺とともに福岡に赴任していた重松勘之助で、「森技手」とは同じく司法省営繕課にいた森兵作という技手だったようです。
斎田はさらにこの取材で当時の建設予定平面図も見せてもらっています。しかし、福岡監獄の建設は途中何度か計画が変更されているため、この時の取材で斎田が見せてもらった図面と最終的な出来上がりとは少し違っています。
細かい部分の違いはもちろんありますが、大きく違うのは次の2点です。
こちらが実際に完成した配置図。
このように、中央見張所より手前の部分には本来「拘置監」と「女監」という施設ができるはずでした。拘置監とは、刑事被告人や死刑の言い渡しを受けた者を拘禁する場所で、女監とはその字の通り女性受刑者のための監獄です。
ところが建設途中で青年監(一般の受刑者よりも若い受刑者を収容)と、幼年監(少年犯罪者を収容)を併設しなければならなくなり、計画は変更に…。
結果、拘置監は土手町にあった福岡区裁判所敷地内に「福岡監獄土手町出張所」(現在は中央区役所がある場所)を建て、女監に収容予定の女性受刑者たちは、久留米にあった分監(現在は福岡刑務所久留米拘置支所)に移されることになりました。こうした計画変更は、最終的に工期が延びることになった一因でもありました。
木工(大工) 106名
木挽き 49名
鍛冶 42名
石工 52名
畳製造 5名
レンガ製造 111名
レンガ積み 35名
左官 13名
その他人夫 330名
雑役 32名
合計 775名
※「雑役」は、炊事・掃除等も含む。
しかもこれらの作業を担ったのは、実際そこに収監されている受刑者たち…そう、この775名の作業者は、全員が受刑者というわけです。
もちろん彼らを指導・管理するのは看守たちです。当時福岡監獄に配属されていた職員の内訳は下記のとおりでした。
典獄 1名(毎週3日勤務)
第2課長 1名(毎日出勤)
看守長 2名
部長 6名
看守 60名
主任技手(看守長兼務) 1名
第三課分遣看守長 1名
技手 2名
工手 1名
看守 1名
雇書記 1名
第一課・第三課事務看守 3名
合計 80名
現在の刑務所の看守職員数は正式には公表されていませんので比較はできませんが、800人近くの受刑者に対して80人の看守というのは、さすがにちょっと心許ない気もしますよね(しかもほとんどが外で建築作業をしているという…)。
こうして監獄建設の様子を隅々まで見学した斎田は、最後に工事中の建物の2階に上がらせてもらい、次のような感想で記事を締めくくっています。
工事中の第二監の二階の棟に登臨した時は新に一種の感が浮んだ。見渡せば海の中道、志賀、残の島(注:能古島)、袖浦の碧水を隔てて皆一望の中に入る。更に南に向き反れば、門前近く猿田彦大神の社に対し、やや距れて稲荷山の涼し相な風景も呼応の間に見えて居る。東は緑滴るばかりの松の梢を天上から眼下して脚下に千眼寺の瓦を看(み)、西は室見の清流を隔てて愛宕の山を仰ぎ見る。知らず愛宕山の頂辺に立ち、福岡新監獄の壮観を下瞰しつつ「大丈夫当(ま)さに此に居るべし」と壮語して居る新将門的快男児ありや否や。
* * * * * * *
今回は福岡監獄の建設当時の様子についてご紹介しました。
【参考資料】
・『司法省沿革略誌』明治41年1月−明治45年7月・大正1年7月−大正5年12月・大正6年1月−大正10年12月・大正6年1月−大正10年12月
・『紀念写真帖』(阿部写真館謹製、柴藤活版所、1916年)
・筑紫野市史編さん委員会編『筑紫野市史 下巻 近世・近現代』(筑紫野市、1999年)
・瀬口哲夫「再見 東海地方の名建築家③ 建築人生の花道となった名古屋控訴院/設計監督工事者・金刺森太郎」(『ARCHITECT』2005年6月号、JIA公益社団法人日本建築家協会)/http://www.jia-tokai.org/archive/sibu/architect/2005/06/seguchi.htm
・石田潤一郎「赤れんがの監獄が物語る明治の近代化」(重要文化財旧奈良監獄見学会講演会資料、2017年7月16日開催)
・明治43年8月21日『福岡日日新聞』朝刊3面「新築中の福岡監獄(二)」・明治43年8月23日『福岡日日新聞』朝刊3面「新築中の福岡監獄(三)」