ダム談義:水力発電を遡る
〜大正浪漫のベンチャー魂 福沢桃介と川上貞奴〜

出席者 (順不同・敬称略)

しろいしかく神津カンナ 作家

しろいしかく橋本?コ昭 元関西電力取締役常務執行役員,
元日本大ダム会議会長
しろいしかく川?ア正彦 (一財)日本ダム協会専務理事

しろいしかく中野朱美 (一財)日本ダム協会参事
水力発電は,本来,環境に優しいとされる再生可能エネルギーの代表格である。が,現状では,太陽光発電や風力発電の勢いに押され,なかなか話題に上らない。しかも,水力発電に適した優良なダムサイトはもう残り少ないと言われる中,その将来性,可能性はどのようにとらえるべきか。

今回は,「水燃えて火」の著者,神津カンナ氏を迎えて,橋本?コ昭氏,川?ア正彦氏と,明治から大正にかけての激動の時代に自らダムと発電所を造り,木曽川の水力発電事業に取り組んだ福沢桃介と川上貞奴の物語を参考に,我が国の水力発電の歴史を追いながら,新たな時代の水力発電のあるべき姿を探ってみたいと思います。

「水燃えて火」の誕生は

中野: 本日は,お忙しい中,貴重なお時間を頂戴しありがとうございます。この座談会のきっかけは,新幹線の車内誌「ひととき」に載った記事でした。大井ダムや読書発電所等を,建築家の團先生をご案内するという役回りで出させて頂いたのですが,それを神津さんが目に留められ,『水燃えて火』をわざわざお送り頂いたことが始まりです。「水燃えて火」は,明治から大正にかけての激動の時代に自ら資金を投じてダムと発電所を造り,木曽川の水力発電事業に取り組んだ福沢桃介と,我が国初の女優,マダム貞奴こと川上貞奴の物語ですが,神津さん,この本をお書きになったいきさつからお聞きしてもよろしいですか?
((注記)このごろ内、ひととき紹介ページ同「水燃えて火」紹介ページ)

神津: これは,もともと「風のゆくえ」というタイトルで,日刊の業界紙「電気新聞」の連載小説として1年間に亘って書いたものです。それを加筆,修正し,さらに改題して単行本として中央公論新社から平成29年3月に刊行したものが「水燃えて火」です。私にとって初めての新聞連載小説でした。紙面に毎日載る小説というのは,1日分の文章量としては少ないのですが,1年間続けるとなると,400字詰めの原稿用紙で600枚以上になるので,だいたい単行本の上下巻ぐらいにはなります。ちょっと自分でも把握し切れないような分量だったので,毎日大変でした。私の師匠である佐藤愛子先生には,新聞の連載小説を引き受けるなんて,とてつもない蛮勇の持ち主だと言われましたが,怖い物知らずで,なんとかやってやるぞとややチャレンジングな気持ちもあって取り組んだのです。


「水燃えて火」表紙


中野: 新聞の連載小説というのは,それ程すごいものなんですね。連載を引き受けられた決め手はどういうことだったのですか?

神津: もともと「電気新聞」とは,エネルギー関係の執筆や講演等でお付き合いはありましたが,連載執筆のお話をいただいた時は,たまたまその翌年に「電気新聞」が創刊110周年を迎える時期でした。聞くと電気新聞の長い歴史の中で女の人が連載小説を書いたことは一度もなかったということで,編集の方も今まで誰もやってないことを,110周年だからやってみたらどうですかと薦めてくれるので,つい私もほだされて,というか,自分でも成る程そうかと妙に納得してお引き受けしました。それに挿絵をお願いした画家も女性,そんな経緯もあって執筆も挿絵も女性コンビで初めて連載小説を書いたということになり,その意味でもとても嬉しく思っています。

中野: 発電事業をテーマにされたのは電気新聞への連載小説ということで,媒体側からあらかじめこういうテーマで,と企画されたものだったのでしょうか?
神津: そうですね。「電気新聞」なので,やはりエネルギーに全然関係ない話という訳にはいかないだろうとは思っていたのですが,さて何を書こうかなと考えました。これまでもエネルギー関連の施設については,いろいろな所を見せて頂いていました。だいぶ以前ですが,木曽の読書発電所や,桃介記念館にも行きました。記念館には,福沢桃介という人が,この木曽川に7つの大規模な水力発電所を造ったという事だけでなく,木曽がどういう特色のある地域なのか,木曽山林や特に檜などにはどういう歴史があったのかという解説と展示がされていたのを覚えています。それに,川上貞奴も一緒に関わっていたとか,開発反対派の首領格に島崎広助がいたとか,いくつか興味深い展示もありました。

中野: 私も桃介記念館へは取材で行きました。

登場人物に話題性がある

神津: エネルギー関連の施設を見学するということで行ったのですが,発電所や記念館をじっくり見ると,このような施設の建設に携わってきた多くの人たちには,日本で初めての女優という有名な女性も関わり合っているし,建設に反対をする側にも地元の名家島崎家の人物など,名の通った人がいるので登場人物には申し分ない。それに木曽川流域の脈々たる歴史的背景なども,もっと詳しく調べたら面白いなとその時思いました。それで連載をという話になった時,最初に思いついたのです。

中野: 主人公が福沢諭吉の婿養子で,発電所建設に反対した人物が島崎藤村のお兄さんだったりしますからね。話題性がある。書き進める中,どういったシーンに一番力を入れて書かれたのでしょうか。粗筋に添ってある程度は,書き溜められていたのですか?

神津: 先のストーリーを考えながら書くというより,現実には行き当たりばったりでした。たくさんの資料や文献を調べましたがよく解らないことが山のようで,木曽山林の歴史,電力の歴史,水力発電の歴史,どれもみな面白いのですが,私は専門家ではないので,やはり理解するのが大変でした。古い資料は沢山あって,目を通すと文字としては読めるのですが,最初のうちは内容がよく解らない。でも,水力発電のメカニズムも,御料林の歴史も,木材の山落とし,川流しのやり方も,労を惜しまず掘り下げて調べて行くうちに,少しずつ解っていく。これは楽しかったことの1つですね。今の時代,何でもすぐに解らないと皆一度で嫌になってしまうけど,ちょっとずつを積み重ねて段々解るという事が,結構面白い事だというのを再発見したという感じがします。

中野: 神津さんがダムを見られたのは,大井ダムが初めてですか?

神津: いいえ,ダムは以前にもけっこう見ています。私,自分が小柄だからかもしれないのですが大きい構造物が好きなんです。タンカーに乗せて貰った時も,7階建てのビルの上から見るような景色に,震えるほど感動しました(笑)。
だから,黒部ダムとか,中部電力さんだと泰阜ダム,電発の御母衣ダム,佐久間ダム,ああいう大きな構造物を見るのは結構好きでした。

中野: この本を拝見すると,すごく丹念に取材されているように思います。ダムのことも本当に細かく書いてあるので。


神津: だいたい物書きは嘘つきなので,たとえば小説の主人公がカメラマンなら,カメラのことは千年前から知っているみたいに書かなきゃいけない(笑)。自信なく書いてしまうと,全部嘘のように見えてしまうので。でも多分,さすがにプロの橋本さんがお読みになったら,ここは違うよという箇所は山のようにあると思います。

中野: お母様が女優さんでいらっしゃいますから,貞奴の人生にもご興味があったのでしょうか。

神津: そうですね。何度も編集の方や読者に怒られましたが,この小説は桃介の話なのに御料林の話が多過ぎるとか,貞奴がアメリカやヨーロッパに行くくだりが長過ぎるとか,一体いつ電気の話に戻るのでしょうか?と。もう,さんざん言われて(笑)。でも,さっきお話ししたように,ひとつ勉強し始めると面白くて仕方ないのです。当時の演劇の世界も,御料林と民有林のありようも,当時の日本の社会の仕組みそのものだったり,日本という国が抱えていた,あるいは今も抱えている問題の一端を垣間見ることが出来て,非常に面白かった。時代のダイナミズムというものが感じられました。

桃介と水力発電

中野: なるほど。では,少し視点を変えて,橋本さんにお伺いします。橋本さんから情報提供のご用意を頂いているものの中で,まず水力発電の歴史的なところの補足をお願いします。桃介の開発した賤母(しずも)発電所は,本にも出て来ましたが,大正の始めに逓信省が行った第一次発電水力調査がベースになっていると思われるとのこと。その報告書を35年程前にご覧になったそうですが,それはどういうものでしたか?

橋本: 桃介は,木曽川開発に当たり,当時いち早く水力発電を提唱していた人で,逓信大臣だった後藤新平に支援を求めます。後藤は,協力者として秘書官だった増田次郎を推薦したのですが,この人の名前は第1次発電水力調査報告書には出て来ませんので,この調査の前に,既に賤母発電所計画に携わっていたので,それでスカウトされて桃介のところに行ったのではないかと私は想像しています。

中野: 恵まれた水資源を有効に使うため,古くから国主導で水力発電に適した場所の全国的な調査(発電水力調査)が行われていた訳ですね。この調査は,明治43年の第1回以降,社会的ニーズに合わせ,計5回行なわれたとのことですが,そのことについてお伺いしたいと思います。


発電水力調査票(資料提供:橋本?コ昭氏)
橋本: では,最初に「包蔵水力」という言葉についてお話しします。これは,判り易い言い方をすると,ある地域が持つ水力発電のポテンシャルということです。地形図や,降雨量のデータから,標高0m以上の地域で,雨が蒸発したり,土地に浸透していくということを無視して,これだけの水力のポテンシャル(潜在力)があるというのを計算したのが,「理論包蔵水力(年間発電電力量)」と言うのです。戦後に,野口遵さんが創設された野口研究所で,電卓もない時代に全部そろばんで手計算したのだと思いますが,日本全国を合わせると理論包蔵水力は6 775億kWh,そのうち木曽川水系が370億kWh,飛騨川の合流点の今渡発電所までで約140億kWh。つまり木曽川にはそれだけのポテンシャルがあるということでカウントされていました。実は,昭和56年の第5次発電水力調査には,私も関わっていたのですが,その時に新エネルギー財団を通じて三菱総研に取りまとめを委託したら全部で7 176億kWhということでした。最近の地形情報を入れておよそ7 100と出たので,昔の計算精度も大したものだと思いました。なので,木曽川水系には400億kWhぐらいのポテンシャルがもともとあった川だとご理解いただければと思います。こうした理論包蔵水力の内,その時代時代の技術力や経済性の評価に加えて,現実的な開発可能包蔵水力が求められることになります。

日本の水力発電の歴史

中野: 桃介の時代から木曽川水系には,それだけの可能性があったということですね。当時の発電水力調査についてお聞かせください。

橋本: 桃介が発電所の建設を計画した時代は,日露戦争後の好景気で,旺盛な電力需要があるということで,第1次調査(明治43年〜大正2年)はその頃行われました。川を流れる水の量について,皆さん余りご存じないとは思いますがかいつまんでご説明します。

川を流れている水の量は,毎日毎日変動しています。それを計測しておいて,一番たくさん水が出た時から,365日分の,1年間の水の量のデータを大きい順に並べていきます。それを10年とか30年とか全部合算して,365分の1日目は平均すると何m3という形で示したもの,これを「流況曲線」と言うのです。英語ではデュレーションカーブと言います。365日の水の量が解るので,これをベースに発電計画を立てると,年間の発電電力量が計算出来る訳です。

そこで「豊平低渇」という言葉があります。これは「豊水量」「平水量」「低水量」「渇水量」というのを示しており,「渇水量」が少ない方から10日遡って,355日目からの量です。発電のために川の途中で取水すると,発電所の下流までの水がなくなるので,これを考慮し最大使用水量を設定して計画しなければなりません。水力発電といっても流れている水全部が使える訳ではないのです。

桃介の時代,第1次調査の頃は,ダムを造る能力も水量を調節する技術も乏しかったので,発電所の多くは流れ込み式でした。ところが,調査の結果をみて,もっと大きな水力が欲しいとなって,水の取り方を考えようということになりました。また,送電技術も進歩してきたので,従来よりも遠くまで電気を引いていけるようになりました。そこで,低水量(275日流量),平水量(185日流量),これぐらいのところを目指して最大使用水量を決めましょうという事になり,第2次(大正7年〜11年)にかけて調査を始めています。

第1次調査の時で200馬力,約150kWです。これを計画の最低出力にしていたのですが,それではもったいないということで,第2次では,750kWぐらいの発電能力はせめて持たせたいという計画にしようということになりました。それで開発可能な包蔵水力が段々増えていった訳です。最終的には,ダム式にして,豊水量ということで,95日流量ぐらいまで持っていって調整して,効率のいいところで水をうまく使い,溢れてただ流れていくだけの水を出来るだけ少なくしようということを計算しているのです。



中野: なるほど,水力発電というのは,流れている水を全部使って発電しているのではないということなんですね。その後の発電水力調査はどうなりましたか?

橋本: 戦前の調査は,第3次調査(昭和12年〜16年)までです。この頃は,技術的にも進歩し,ダムがどんどん出来た時代です。また,ダム利用の発電が急拡大して,電力会社は競ってダム水路式の発電方式を採用していました。第二次世界大戦が起こって,火力は空襲でやられて発電能力が無くなってしまったので,終戦後に急遽水力開発しようと調査を実施していますが,きちんとしたデータは揃っていません。
戦後改めて行われたのが,第4次調査(昭和31年〜34年)です。この頃は,所得倍増計画の時代で,高度経済成長期です。電力の内訳が「水主火従」から「火主水従」に変わるという時代で,火力発電所をベースロード電源にして,黒四のような水力をピークロード対応させる運用が出来ないかということで,水力に関しても,より大出力を目指して貯水池,調整池式開発に重点をおいた調査を行っています。このように調査の目的が,時代背景によって徐々に変わってきています。
私が関わったのは,その次の,第5次調査(昭和56年〜61年)です。この時は,オイルショックが2回あり,火力に依存し過ぎる危うさも指摘され,さらに原子力が出てきて,ベースロード電源としてだけではなく,kWhを稼ぐ,石油の代わりになるようなエネルギー資源という観点でやろうということになり,もう一遍水力についても詳細な調査をということで,国指導で実施されました。

1次から4次まではkWで評価をしていたものが,5次調査ではkWhという考え方になり,エネルギーとして評価しようということになっていきました。経済性評価にあたって,将来的に石油代替エネルギーとして開発可能な包蔵水力が相当あるのだというねらいが国にはあり,コストという現実から考える電力会社とは考え方の方向が異なり,相当議論があったと記憶します。

その後,具体的な計画の見直しや開発が行われ,昨年の集計になりますが,全部で既開発928億kWhで,開発可能包蔵水力トータルで1 320億kWhあるという状況になっています。kWh的には昭和61年に集計したものとほとんど変わらないので,そろそろ限界が来ているのかなと考えています。

ちなみに,これは私がいつも言うのですが,電力需要について,全電力の販売電力量のうち,電灯需要は2 668億kWhとなっています。乱暴な考え方ですが,経済性を全て度外視したならば,つまりナショナルセキュリティー上は,水力で1 320億kWhですから,全力でやれば民間の電気については,油が絶たれても,原子力が止まっても,何とか半分の電気は点くことになる。節約して,電灯の2つに1つは消しても暮らしは何とかなるというような計算が可能になるのです。つまり,電力をグロスで掴めば,そういうふうな想定が出来ます。水力発電についての調査データの説明としては,こういうような数字がありますよということで聞いておいてください。

木曽川水系の開発

中野: 水力発電の話から,生活基盤の状態が見えたような気がします。ありがとうございます。ところで,桃介が木曽川最初の八百津発電所を建設中に引き継ぎ,次々と発電所が開発されるのですが,その後,関西電力さんが手掛けた木曽川水系の電力開発はどのようになりましたか。

橋本: 大正末年,神津さんの「水燃えて火」の表現を使うと桃介の水力オペラ終演時に,木曽川水系には桃介が造った桃山,須原,大桑,読書,賤母,落合,大井の7発電所と下流に八百津発電所があったという状態でした。第二次世界大戦中の電力国家管理時代に建設され,戦後,当社が日本発送電?鰍ゥら引き継いだ段階では,支流の開発も進んでいました。桃介が造った7発電所以外に八百津も含めて16ヵ所の発電所を当社が継承し,全部で23の発電所がありました。現在,当社分としては八百津発電所が昭和49年をもって運転中止になったので合計33の発電所があります(表−1)。

中野: 桃介が木曽川開発を手掛けて以降,昭和26年の電力会社再編の際,関西電力さんに継承されたのですね。


表-1 木曽川水系の開発推移(資料提供:橋本?コ昭氏)
最近の気象現象について

中野: 桃介の話とは少し離れますが,現状のダムと水力発電について,最近の降水量の変化という側面から伺いたいと思います。

橋本: 今も大雨が降り,極端な変動が目につくように感じますが,今後の水力開発について,年降水量の経年変化を調べてみると,年平均1 500から1 600mmぐらいで,5年の移動平均をかけても,意外と変動は少ないというのが解ります。

特に,1950年ごろのピーク時は,狩野川台風,カスリーン台風,13号台風とか,物すごく台風が来て洪水が起こり,人がたくさん亡くなったのは,やはり水が多い時でした。その後はそれほど変動していなくて,最近はまたちょっと水が多くなっているということですが,日本の平均気温偏差をみると,確かに右上がりに上がっているにもかかわらず,年平均の降水量は余り変わらないといえます。

中野: ここ20〜30年くらいの全国レベルの年間降水量のトレンドと地球温暖化に伴う総降水量の変化予測はどのようにお考えでしょうか。

橋本: 今後の水力を考える上で,地球温暖化を考えると,気象庁が発表している最悪のシナリオで,プラスマイナス100から200mmぐらいの変動はありますが,年降水量の大きな変化はうかがえません。一応,木曽川をイメージしましたが,年間降水量からみたら多少のずれはありますが,それほど大きな変化が見られない。ただ降り方の変化は,日降水量200mm,時間降水量50mmになると,倍ほど増えています。つまり,雨の降らない日も倍増えてくるということで,これは相当,時間的に雨の降り方がすごく激しくなるということです。そういうことが含まれていると思うので,今後の河川流量の変化では,総流量としては余り変わらないが,極端に降って洪水になったり,また極端に降らなくてひどい渇水になったりということになるので,時間,空間等の集中度偏在に伴って,下流の洪水を防ぐためにも,また利水容量の確保のためにも,やはりダム容量の拡大は必要でしょう。

中野: 降水のこれまでの様相と,今後の予測との差を年間降水量と降り方の面から,ダムの容量の拡大のためダム再開発は必要になってくるのですね。

橋本: 下流河道の整備と組み合わせるのか,節水をしましょうというふうにするのか,この辺は国の政策次第だと思いますが。ダム容量の拡大では,水力としてはメリットが単独では難しいので,今後は,結果論としてですが,これに伴って水力の発電量が増大するのかなと思っております。ダム再開発ということで,木曽川筋で当社が関わっているのは新丸山ダム事業と,それに伴う丸山,新丸山,笠置と3つの発電所の増設ということです。新丸山ダムは,丸山ダムを20.2m嵩上げすることによって丸山ダムが持っている二つの目的(洪水調節・発電)をパワーアップします。

ダムを有効利用するには

中野: どうもありがとうございました。今,ダムの必要性ということも話が及んだ訳ですが,かつて桃介がそこに目をつけて開発をしていった木曽川の水力発電ですが,東日本大震災以降,原子力発電が止まってしまい,再生可能エネルギーを見直しましょうという流れになるのですが,どちらかというと太陽光発電とか風力発電に話がいってしまい,水力が霞んでしまった感があります。日本に,ダムは約2 700基もあるのに,もう少し利用出来ないものかと思います。神津さんは,ダムの働きについてどのように感じておられるのでしょうか。

神津: 専門家ではないので,なかなか難しいのですが。それこそ,さきほど物書きは嘘つきだと言いましたが,もう1つ特徴があるとすればそれは,やぶにらみ的な面があるということでしょうか。例えば,原子力発電も多くの人が嫌だと言うと,本当にダメなものか,もうちょっとよく見てみたいなと思ってみたり,ダムも,「脱ダム宣言」とか,「コンクリートから人へ」と,極めてキャッチーな言葉が世の中に出てきて,何かダムが「ムダ」の象徴みたいになって,すごくいけないものだという風潮になってしまった時,私はそういう流れに懐疑的になるというか,本当にそうなのかなと思ってみる。そういう見方をしています。

それで,桃介の時代の事を調べていても,当時のダム反対運動は結構激しく,今と違って,ムシロ旗を持って押し寄せたり,それこそ切った張ったで血を見る,みたいな話もいっぱい出てくるのです。水利権とか,昔からある騒動のタネがたくさんあって,今よりももっと過激な反対運動もあった。それが今や,自然エネルギーの権化のようにいわれるまでに変化している。同じ水力発電とかダムも,時代によってありようが変わってくる,人の見方は変わっていくものだという事を,今回書きながらあらためて強く感じました。

その時だけの,ある切り口だけで物事を見てはいけないという事を思い知らされました。ですから水力がこれから先どうなるかということも含めて,余り短絡的に物を見てはいけないのではないか,という気持ちを強くしています。

中野: そうですね。時代が大きく変わるときには,いろんなエネルギーが必要だし,いろんな人に負担がかかってくると思います。反対運動も大きい。ただ時代が変わっていく時に,水力発電は大きな力になった。電気が点灯して,産業が興り,人々の暮らしを照らしたのです。だからこそ,桃介も大きな挑戦をした。それだけ時代を動かす活力はすごかったし,だからこそ「水燃えて火」という小説にもなったと。

神津: そうですね(笑)。

ダムの役割の変化

中野: 神津さんから,時代によってダムの役割も変化していくというお話がございましたが,川?ア専務はどのようにお考えですか。


川崎: 私は,国土交通省でダム造りをしていました。ダムの役割の変化を社会的ニーズからみていきますと,戦後復興のためには,まず電力が必要でダムも大規模な発電ダムがたくさん造られました。また,食料増産のため農業用水を開発しました。工業用水については,冷却用水が多かったのですが,技術が発達していき,一度使った水を何回も使うようになって,回収率が97%ぐらいまで上がりました。薬品を入れていくらきれいにしても,実際は30回使いが限界です。そのうち水をあまり使わない産業構造にシフトして工業用水もそんなに要らなくなった。電力開発の後で,一番需要が大きかったのが水道用水です。
東京など大都市に人口が急激に集中して一気に水が足らなくなり,オリンピックを目前に渇水になりました。そこで,緊急的に利根川の水を武蔵水路を造り東京都にもってくる対策などを行い,水道用水の開発を急ぎ,多目的ダムで洪水調節と水道,発電を進めてきたのです。現在では水道用水需要は人口が減少している地域は下がり始めています。家庭のトイレなどの節水機器,食洗機の普及でどんどん使用水量は減ってきたので,水道用水の量は確保された時代になってきました。

神津: 確かに水需要は減っているのですね。

川崎: 利水がある程度充足していった中で,今後の水利用に,2つの大きい変化が起きていると思います。1つは地球温暖化です。先ほど,橋本さんのお話にもありましたが,1時間に50mm,100mmと短時間に集中的に降る豪雨対策です。都市内の雨を下水道で処理できるのは大体1時間50mmまでで,それ以上になると溢れます。最近は,時間当たり100mm程度が降ることもあり,マンホールから溢れます。川幅を広げる治水対策もあるのですが,都市部ですでに家が建ってしまって用地確保が難しく,上流で貯めるダムがどうしても必要になってきます。また,利水への影響も大きくなっています。利根川では去年も今年も渇水でしたが,雨が降らない期間が長くなるとともに,米どころの東北とか北陸では雪解け水を使って田植えを始めるのですが,冬の降水量が減って,雪不足で田植えにも影響が出ます。温暖化のため治水と利水の影響が大きくなっており,対処するためにはダムは不可欠です。

地球温暖化やエネルギーについて

中野: 極端な気象現象,局地的豪雨という状況下では,下流まで効果がある上流にダムを造る必要性がありますね。

川崎: そうですね。上流で水を貯める機能がどうしても必要になります。もう1つの課題はエネルギー対策です。今後期待される自然エネルギーの中でも太陽光と風力は安定してない。安定している水力発電に変えたいのですが,大きい発電所ができる場所は余りない。そうなると,いろんな場所に小さい水力発電所を数多く造って,エネルギーを確保していく必要があると感じています。そういう意味で,温暖化対策と発電を合わせた多目的ダムが増えていくと思います。

物の見方を変えてみる

神津: 今,造築している八ッ場ダムは,治水ダムですか。

中野: 治水と利水の多目的ダムです。今度の東京オリンピックまでには完成するということで急ピッチで進んでいます。先ほども少しお話がありましたが,ダムを造る時には上流と下流の問題があります。下流はダムの恩恵を受けるが,上流は土地を移転しなければならない。私は,インタビューで木祖村村長の唐澤さんに,ダムの上下流の人々を結びつけるきっかけは,上流と下流はどちらもウイン・ウインの関係をもたせていこうという取り組みが必要ということをお聞きしたことがありますが,ダムも,そういうところでうまくやっていけるといいなというのがあります。

神津: 確かにそうですね。妻籠の島崎広助も反対はしていましたが,考え方はすごく面白い。補償として単に学校を造れとか,鉄道を敷けというだけでなく,当時の電力会社に申し入れたかったのは,村が経営参加するということでした。発電したら,その分が自分たちの収入になるという,村そのものが経営に参画するという方針を考え出したのです。ただやみくもに反対するとか,金をくれというのではなくて,自分たちも発電する側に入れば,物の見方も変わるのではという発想でした。結局はうまくいかなかったのですが,もしうまくいっていたら,日本のエネルギー情勢は変わったかもしれないとさえ思います。川?アさんが話されたように,小水力発電という考え方も,温故知新という言葉のとおり,もっと目を向けてもいいものなのかもしれないと最近思い始めました。

中野: 確かに,考え方を変えてみれば,全て反対ということではないと思います。得するものと損するものがちゃんと出てくるので,そこら辺をうまく調整していけば,国の発展にもつながっていくと思います。

小水力発電について

川崎: これは,橋本さんにもご意見を聞きたいのですが,田舎が非常に疲弊しています。若い人は都市へ行き,田舎はどんどん疲弊している。特にダムの水源地から人がいなくなる。それを何とかしたいと。地域経済のため,小水力発電所に少し民間のお金を入れて,地元と一緒につくる仕組みができて,日銭が少しでも落ちたら,地域も元気になりそうですし,小さなものをたくさんつくるという中では,ダムはまたお手伝いしていけるのではないかと感じています。和歌山のダムでは,地元市町村が水力発電所をつくって動かしている。また,福岡県のうきは市では,町長が国土交通省と経産省の人間を町に出向させて,二人に発電計画をつくらせ,知事の了解をもらって水力発電を動かし始めた。地方独自にうまく計画を進める事例が出始めています。


橋本: 水力というのは水を使っていますが,水というのはその土地の従属性が非常に高いものです。電力会社の場合は,経営という観点からすれば経済性を無視した開発は出来ない。特に小さいものは構っていられないというのが現実。地産地消というのは経済性の原則をゆがめた状態にならざるを得ないのです。でも,それも物の考え方だと思います。どんな場合でも,効率最優先で成長していって,コストミニマム,それでよしというのか,それで,地域,地域で,疲弊していくところは終わりになればいいのかで違う。それはあると思うんですね。

桃介の時代と違って,今はいろいろな施策が施されているから,例えば,農業用水路でも低落差の発電機をつければ,地産地消程度のものは出来ると思います。特に中国地方なんか,昔から中国電力さんが困るぐらい,地元でいろいろとやっておられたところもあると聞いたことがありました。1つ問題になるのは補助金が出ていて,その補助金が,発電に対するものと別の目的に使われるということになると,返せ,戻せの話になるという話を時々聞きます。だから,国としては,そういうことも含めて,例えば,スーパー農道,国交省並みの道路を造れるわけですから,何とでも理屈はつくと思います(笑)。やる気になれば出来ると思うので,その辺は,これから国の方で省庁の壁を越えて考えていかれるべき1つの施策だと思います。

川崎: 知恵の出しようみたいなところがありますね。京都の桂川にかかっている渡月橋の横に小水力発電をつけて,橋の照明に使って,電気代をできるだけ少なくしています。

水力発電の魅力について



中野: よくダムは環境破壊と言われますが,太陽光パネルは取り替える時に,産業廃棄物になります。

橋本: 木曽川筋でも今,太陽光パネルがたくさん並んでいますが,大雨が降ったらどうなるか。

神津: この前の大雨の時も,パネルは大丈夫だったのかとだいぶ心配しました。

橋本: 安く上げるために随分と雑な工事をしているのではと気にかかる。

中野: そうですよね。風力も一方方向で季節風が吹くところはいいかもしれませんが,風が吹かなければ回らないとなると不安定ですね。

橋本: ヨーロッパみたいな,ずっと吹いているところと違うからね。海外からの輸入品は,風だとか地震とかの荷重に対する設計がないから,台風なんか来たら壊れるので,保安点検をしょっちゅうしなくてはならない。
中野: なるほど。神津さんは,水力発電の魅力についてはどうお考えでしょうか。

神津: 桃介の時代からの水力発電設備を見ていると,ある種の枯れた技術が水力を支えているように思えてなりません。以前,宇宙飛行士の方に伺ったのですが,スペースシャトルに乗って宇宙に行く際,私たち一般人は最新鋭の機械が揃ったもので飛び立つようなイメージをもちますよね。ところが,実は1世代前の装置を使っているとおっしゃるんです。それはなぜかといったら,自分が長年訓練してきた装置は直すことも出来るし,何が起こっても対応できる。最新鋭のものでは,何かあった時に対応出来ない。だから,1世代前の手慣れた技術,扱える技術で行くのだということをおっしゃっていたのが,すごく印象的だったのです。

だから,100年ぐらい前の桃介の時代に造られた水力発電所は,もちろん,途中で補修や改造など手を入れていますが,地震が来ても,大雨が来てもびくともしない。そうすると,長年培ってきた水力の,あるいはダムの歴史というのは,やはり熟成した技術の良さ,チーズのミモレットのような,熟成した技術で,別の言い方をすれば枯れた技術で,非常に誇れるものになるのではないかと思います。

中野: なるほど。長い歴史があるのは長く使えるものですね。

神津: 「水燃えて火」のカバー装画を描いてくださった日本画家の川?ア麻児さんから聞いたお話ですが,彼女が日本画で使っている岩絵具というのは昔からあるもので,高松塚古墳などから出てきた絵に使っている岩絵具とほぼ同じものだというのです。それはなぜかというと,それらの絵がどのくらい前に描かれたものなのか,どの程度修復されたものなのかは定かではありませんが,少なくとも今まで色が残っている実績があるというのです。今ものすごくいい発色をするものであっても,100年後,200年後に残っているかどうかは分からない,というのです。今の時代,そういう見方や判断は極論かもしれませんが,最先端の技術ばかりが技術じゃないという気もどこかにあります。それが水力の一番の魅力だと思います。特に,桃介の時代,大正ロマンの雰囲気もあって,窓がたくさんある建物や,ランプを灯した天端など,今どきこんな発電所は造らないと思いますが,底に凝縮され,蓄積されていった,作り手の思いが見えるのは大きいと思います。

中野: 私も「ひととき」の取材で,建築家の團先生と一緒に,桃介が造った大井ダム,読書発電所等に行きましたが,その時,團先生が,近代建築の歴史は100年ぐらいのもので,土木技術はもっと随分前からあると,建築に土木を取り入れアールデコでライン川のように木曽川の発電所を造るという。

後世のことも考えながら,桃介はすごい夢があると思います。そういったロマンがあったからこそ,読書発電所も土木遺構になっているのでしょう。先程,神津さんが話されたように,枯れたもの,ダムも土木遺産になっているような,満濃池とかがありますから,そういうところも見て欲しい。一部分を切り取って,悪いといわれると残念です。

神津: そうですね。最近,八ッ場ダムの工事現場をテレビで見たのですが,ダムの堰堤コンクリートで幾層にも積み重ねているところで,雨が降ると,少し凹んだところに溜まった水を作業員が小さなスポンジで丁寧に水を吸い取っているのです。巨大なダム構造物は大型重機で造っているイメージがありますが,こんなことまでするとは思いませんでした。完成するともう見えないところですしね。


熟成された技術とは

中野: 技術者の方はすごく謙虚で,大っぴらに言わないので判らないのですね。もう少し広報してもいいのではと思いますが,橋本さん,どうですか。水力発電事業者としては。

橋本: 今,桃介の時代の技術が熟成されているというのがありましたが,第1次発電調査のときに建設単価,目標を作成しています。kW当たりを330円から500円ぐらい。これを今の価格に直してみました。私が北陸地建によく出張していた時に汽車の中で弁当を買ったその弁当の蓋に印刷してあったのが面白くてね。それをコピーして,今までずっと持っているんです。天明(1781年)から米一俵の価格表がずらっと並んでいる。

神津: お弁当の蓋に時代ごとのお米の価格表が記載されているのですね。


弁当の蓋の米一俵の価格表

橋本: 何かの参考になると思ってとっておいたのですが,一応米ですから,発電所という機械ものなので物価指数があてはまらないとは思いますが,穀類の物価上昇指数を発電の建設単価に換算しますと,今だったら150kW程度だったら土木設備から全部入れて,kW当たり150万から200万円。音沢発電所,出し平ダムの排砂をやっているところですが12万4 000kWの発電所を造った時に,現在ならkW当たり38万円かかる。スケールメリットを勘案するとそれほどずれてないなと思います。明治43年は米一表が5円36銭だった。最近のデータを若い人に調べてもらって,昭和45年以降,明治時代に目標としていたものが,現在の価格にしても,余り度外れて高いものではなかったということなのです。

弁当の蓋の米一俵の価格表(拡大したもの)
神津: すごいことですね,それは。

橋本: 桃介の発電所,水力で熟成されたというイメージがあるとおっしゃいましたけども,その当時からいろんな技術開発して進歩している。その昔,不器用?に造られていた時代,最近はいわゆる高級な技術を入れることによって,コンパクトになり,便利になったりするのですが,価格的には高いお金を入れなきゃいかんから,結局そんなに変わってないということだと思います。それに,水力は壊れることも少ない発電所です。もしも壊れても,比較的少ない人数で直せば何とか直る。おっしゃられるような,安心して,安定して使えるもの。ただ,同じ再生可能エネルギーでも,太陽光だとか風力に比べたらという話になるのですけれどもね,下を見れば切りがないから,そういうのと水力を一緒に比べてみても余り意味がないかなと思います。

中野: そうですね。水力発電は初期投資が大きいですから。

橋本: 資本回収の時間が長いのです。当社はこれまで海外でも水力開発をやっていますが,これだけ電力会社が自由化になってきたら,電力間の競争が激化するので水力のような初期投資力が大きく資本回収に長時間を要するものを海外で展開できるのはかなり限られた場合になるでしょう。国内に残っている水力はそれほど大きなものではないので,どちらかといったらkW当たり高い方向にいきますから,国がおやりになられる特ダムだとかダムの再生,そういったものでどの程度コストがリカバリーできるか。それによって,電力会社が水力にさらにプラスしていくような機会があるのかなと,その辺が1つの分かれ目だと思いますね。

ダムを理解してもらう

中野: 川?ア専務にお聞きしたいのですが,ダムの新設が望めないなら再開発とか,どうにかしてダムをもう少し活用できないか,またそういう切り口で皆さんに広めることができないものか,何か考えられることはありませんか?

川崎: 確かにダムを新設できるサイトは少なくなってきたと思います。ダムサイトとして良い地点はほぼ活用されているので,今後は,既存ダムを利用して再開発するような方向にシフトしていくと思っています。ダムがある谷地形は上へ上がるほど容量は多く取れます。昔のダムでは放流する設備が不十分で満足できる量を放流が出来ないなどの不都合があった。今からは,ダムの嵩上げと同時に放流設備を改造する再開発が増えていくように思います。再開発と発電が共同で事業できる可能性が広がりますね。

橋本: 要は,ダムを造るよりも,貯水池の容量を確保しないといけない。ダムには必ず土砂が入ってきて埋まっていきます。北大の雪の結晶の研究で知られている中谷宇吉郎氏が,ダムは埋没するという論文を嘗て雑誌に書いています。再開発してダムを高くするとか,土砂を排出して池の容量を確保するとか,いろいろあるが国が法整備も含めて何か考えないと。ただ土砂を出すには地域の問題もあって,今は土捨て場も確保できないからなかなか進まない。木曽川でも土砂を取っていたと思います。いずれにせよ,貯水池の容量確保が大きな問題なのではないかと。

川崎: 貯水池の堆砂が進んでいる中央構造線と糸魚川,静岡,天竜川沿いはものすごく土砂が多くなっていますから,そこら辺をみると,堆砂問題はどうしても避けて通れない。

橋本: 奈良のあたりもそうです。中央構造線があるから。

川崎: 本当は,入ってきたものをそのまま外へ出せたら良いのですが,そうもいかない。

橋本: 今さら改造出来ないですからね。

川崎: 地形上うまくいけば貯水池をショートカットは出来るのですが...。洪水時にトンネルで水と一緒に土砂を流すようなやり方。それから,すでに関電さんがやっているように,堤体の下部に穴を開けて,洪水の末期に土砂をダムから下流へ流すようなやり方。だけど,全てのダムで出来るとは限らないのです。

橋本: そうですね。特に洪水の時は,バイパスさせるというようなやり方だったら,下手すると水を無駄に流してしまう訳です。するとせっかく溜めて,発電に使えると思ったのに,流してしまうというのは,相反することになる。うちの場合は揚水発電所ではバイパスをしていますが,揚水発電は一度溜めた水を上下させるだけですから。

川崎: 土砂を出すのに,陸上で機械を使って掘りダンプトラックに積んで運ぶのが一番安いと思っています。今,淀川水系の木津川には複数のダムがありますが,代替容量を確保するダムを新たに建設して他のダムの水位を下げて,浚渫船ではなくドライアップで堆砂を掘る予定です。

橋本: それが出来るところでは,その方が早い。

川崎: ただ,泥が舞い上がって泥水が下流に流れると漁業に問題が出ます。アユとか,そうなると漁業者に怒られたりします。

神津: 人間が川に手を出すと,必ず何か起こるのですね。

川崎: だから難しい。どれだけ一生懸命やっても,決まり手がないというのも本当ですね。

橋本: それは,そうですね。

見てみたいダム

中野: ちょっと話は変わりますが,神津さんが次に見てみたいダムはありますか?

神津: 特殊なダムはぜひとも見ておきたいと思っています。とても印象に残っているのは神流川の揚水発電の上ダム。ロックフィルで,白くて,すごいきれいでした。誰もいない時期に1人で車で行ったのですが...。

中野: 南相木ダムですね。

神津: そうです。ものすごくきれいだったんですよ。

中野: なかなか美人なダムとして,ダムマニアさんの間でも評判ですね。


南相木ダム(撮影:sagoH)
神津: なるほど美人なダムですか。あと,もっと見てみたいのは,もう数少なくなっているバットレスダムですね。

中野: 中空重力式ダム,真ん中が空いているというのもありますが。

神津: そう!真ん中が空いている。あれも面白いですね。

橋本: それは中電さんの井川ダムだとか。中空重力式でも,中部電力さんはそこに発電機つけていますからね。

豊稔池ダム(撮影:安河内 孝)

川崎: 横山ダムは中空重力式ですが,別の意味で有名。映画の宇宙戦艦ヤマトの地球発進の舞台です。あそこで撮影をしました。

神津: そうでしたか。面白いことに使われているのですね。その他にどんな型式のダムがあるのかなと思って調べていたら,いろんなものがあることに気付きました。複数のアーチがある形のダムとか。

橋本: マルティプルアーチダム。豊稔池ダムがそうですね。
神津: あれもまだ見てないんです。だから次はぜひとも行きたいと思いながら果たせずにいます。まだまだ私の知らない面白いダムはたくさんあると思っていますが,それぞれのダムがなぜそういう形になったのか,コンクリートを少し節約するとか,膨大な貯水量に耐えるためとか理由は様々でしょうが,そこにどんな知恵があって,どんなことを工夫して,どんな人たちが造り上げたのか。そういうのがつい見たくなるのです。

節約と工夫と

橋本: 黒四もそうですが,アーチダムというのは,造ったらその後の保守点検に力を注ぐ必要がある。堤体を毎日計測して変化がないかチェックしなければならない。あの当時に,それを造ったというのは,1つには日本にセメントが少なかったから。つまりダムの材料がない。それに対して,コンクリートの型枠大工はいっぱい居た。つまり人件費が安かった。あの頃は,材料費のほうが高かったのです。だから,少しでもダムを薄く,重力式コンクリートダムを造るよりは,薄いアーチダムを造った方がトータルでは安かったからです。中空重力式ダムはそういう理由から考え出されたもの。今の時代はもう材料の方が安い。人件費が高いから,出来るだけ型枠大工の人件費を節約出来るようにということで,完全に移動式の型枠にしているのです。

川崎: 完全な機械化施工の流れです。

橋本: 機械でもってダダダっとコンクリートを入れていくような形,それこそ大量消費方式でやっている。

中野: 桃介の時代も,材料費の高騰とか,震災とか,いろんなことがあったと思いますが,それでも工夫に工夫を重ねて,木曽川を堰き止めたというのは,本当にすばらしい物語になるのだなと思いました。実に大井ダムがきれいなのですよね。

神津: 大井ダムは,減勢工の色合いの違うところ,いびつなところとかほんとにきれいですね。幾何学的でいい感じですよね。

橋本: すごい洪水が起こったら何の意味もないと思うのですが。

中野: あれは費用を少しでも安くするためにそのままにしておいたと...。

橋本: なぜ,ああいうことをしたのかという理由については記録がありません。


大井ダムと大井発電所(撮影:ToNo)
後世のことも考えてデザインした

中野: 團先生は,あそこでオーケストラのコンサートをやったらどうだって。

神津: ああいう一見無駄なことって,後々,残るのですね。今は無駄は省けという時代だから,とにかく効率的に造るのですが,結果として後世に残らないものばかりが大量生産されるという感じもありますね。今の発電所なんかをみていると,これでいいのかと...。

橋本: 作り方がせこいですよね。建屋の空立米当たりの単価を安くする。そういう流れです。ただ昔の発電所を見ていいなと思うのは,あれだけ窓が多い。すると,補修工事をするにも昼間だったら日光が入って,案外仕事がしやすい。ドイツの発電所でも,天井が全部ガラス張りになっているとか,そういうのが結構あります。あれは太陽光をうまく使って,照明を少なくしている。昔の人の知恵は本当にいいなと思います。今の時代はもう何としてでも安くしなくてはいけないから,何でもかんでもコンパクトにする。その代わり,いざメンテナンスをしようとしたら,照明をがんがん点けないと仕事が出来ない。昔の人の知恵は大したものだなと思いますね。

中野: 後々まで残るものには,一見無駄なものが多い,という話がありましたけど,天端の照明灯の形とか,凝ったデザインが目を引きますね。

神津: 今でもそのまま十分に観光資源になり得るものを提供している訳で,読書発電所も,そういう意味では歴史的な役割も十分に担っていますね。だからといって,無駄遣いを奨励している訳じゃないのですけど,ああ,なるほどなと思うことがありますね。

中野: 桃介が力を注いだのはすごく判る気がします。

事業のパートナーとしての貞奴

神津: 桃介自身も変わった人ではあったし,それなりのお金もあった。時代も今とは全く違う状況だったので一概にその是非を語ることはできないと思いますが,それにしても驚くのは,土木とか,発電やエネルギーの世界に,女の人が関わり合うということが,今よりも少ないと言うか,ほとんどない時代だったのに,桃介が,たとえ自分の好きな女性で,片時も離れたくないという気持ちがあったとしても,そこに一人の女の人を関わらせたというのは,相当に大きなことだったのではないかと思うのです。実際に彼女は,窓の形とかいろいろと要望を出していますね。設計をした人にも細かくいろんなことを言ったそうです。確かに無駄遣いかもしれませんが,それが,今7つの発電所が残っている所以にもなっているのだと思います。女の人でも発電というエネルギー事業に何らかの形で関わることが出来たというのは,1つのエポックメイキングみたいな感じだったという気がしています。

中野: 本当にビジネスパートナーというより,お妾さんだったとかと言われてはいますが,最後まで絶対に自分の名前を通して,自宅も川上貞としているぐらいなので,女性としてもきちんとした人だったと思うし,それも魅力的ですよね。

神津: そうですね。


本に登場する濃やかな描写

中野: 本当に芯のしっかりした人という印象です。実は「二人で水うちわを振ろう」という言葉がすごく印象に残っているのですが,「水うちわ」は書き始める時からご存じだったのですか?

神津: 岐阜に行った時に,水うちわはよく見ていたのですが,その時はそれ程興味がありませんでした。でも,地元の古い方が,うちわにはニスが塗ってあるので,鵜飼船で遊ぶ時にはその水うちわに水をつけてあおぐと涼しいのだと教えてくださったのです。その言葉がすごく印象に残っていて,これはぜひどこかで素材として使いたいと思っていたので,今回うまく出せて良かったです。

中野: それで途中で何度か出てくるのですね。私も印象的だなと思っていました。読んでいて,神津さんの言葉の力というか,筆の力で魅せられてすごくドキッとしました。

橋本: 私も1ヵ所,田端が結婚するというのを聞いたときに,しつけ糸がとれるところを読んで,あれはすごいなと思いました。

神津: ありがとうございます。房の心のありようを想像して書いたところです。ダムでしつけ糸がとれたら大変ですが。

橋本: ドラマチックで。こういう書き方があるのだな,と思いました。



神津: そういうのが楽しかったです。もちろん,ダムについてはいろんなことを調べなければならないので,それは大変だったのですが,そうではない場面では,ここでどんなものを食べさせようか,どんなお皿にしようか,どんな家の様子で,どんな小道具を使おうかなどと頭を巡らせました。ちょうど房さんの話の場面で,くけ台が出てくるシーンがあるのですが,この「くけ台」という言葉も,その時久しぶりに思い出したのです。そういえば,祖母が縫い物をする時,くけ台を出していたな...と。もうずっと忘れていたのですが,房が座って縫い物をしている時には,どういう雰囲気だろうと一人でボーっと考えていたら,あっ,おばあちゃまが使っていた「くけ台」だと,ふっと思いついたのです。何というか,そういう素材の仕込みの楽しさがありましたね。

中野: そういうふうに遊びがないと...。

神津: もう息が詰まって死んじゃいますよ。設計図と古文書とにらめっこだけだと(笑)。当時の経済や株のことも大変でした。その頃のことって,実際の資料を見ても私には解らないことが多くて...。
中野: 株のところで,「買いは技術、売りは芸術」と言うのもすごい言葉だなと思いました。人が買うときには売れということですか。

神津: 株の世界では有名な格言のようですが,私は株をやらないから,感覚を掴むのも大変でした。

中野: でも,読んでいてすごく面白かったです。そういう濃やかな描写が。

橋本: 外債を売りさばくために,上手く,エジソンから来たという手紙を使っているのですね。俺は友達だと。それで信用を得ているのですね。

神津: だから,やっぱり山師なんでしょうね。

中野: 普通の人ではないですね,それに,貞奴の話をちゃんと聞いているんですね。

神津: 私がちゃんと聞くような男に仕立てたのです(笑)。

中野: 本を読ませて頂いた時,松坂慶子がNHKの「春の波涛」でやっていたのを思い出して調べてみたのですが,途中で終わっていて水力発電のところまで描かれてない。

神津: そうなのですか。私,見てないので知らないのですが。

中野: 原作者の杉本苑子さんもダムのことも少しは書かれてはいるですが,大井ダムの建設で終わっているので,ここから先は,誰か書く人がいるのかなと思いました。ダムについても詳しく書かれていますね。すごく深い,いろんな展開があって。ああいうのは毎日仕込んで書かれるのですか?

神津: いえ,もちろん伏線は考えることは考えるのですが,なかなか日々に追われて思うようには出来ませんでしたね。

新聞連載をまとめる

中野: 新聞の連載だから書き溜めておいて,文章量を調整されたのですか?

神津: ある程度の固まりでは頭の中では考えていたのですが,細かいシーンごとになると,なかなかペースがつかめなくて。それこそ,プールであっちに行ってターンして,こっち戻ってターンして,というのが永遠に続くみたいな感じで,一体,今は何周目なの,という気持ちでした。書き始める時,まず大きな模造紙に年表を作りましたが,この年表が1つの基礎土台のようになりました。縦軸に年代,桃介と貞奴と広助と,日本史と世界の電力史を横において,エクセルで表を作成して,定規を持っていっては横列を調べました。年表を見て,今はここの話だとかしょっちゅう確認しながら...。もう一つは1年分の連載カレンダーも手元に置いたこと。今日の連載は全体の中のこの辺まできたというのと,あと残りがこのぐらいというのを,ぱっと見て視覚的につかめるような形にしていました。

とても勉強になったのは,ストーリー全部を見通す,俯瞰する目を持っていなければいけないのと同時に,細かい緻密なところを丁寧に組み込む技も必要だということでした。そういうところを1つでも間違えると,すぐにお小言を言う方がたくさん読んでおられるので...(笑)。特に業界紙なので,電気についてはいい加減なことは書けないので,細かなところと大局的なところの両方を行ったり来たりしていました。でも自分の物の考え方としては,とても勉強になり鍛えられましたね。

橋本: そういう意味では,桃介や貞奴や広助の会話を書いている時が一番空想が働いて楽しく書けそうですね。

神津: ええ!私がどんなにいい女のせりふを言っても,誰も怒らないし,どんな男が何を言っても構わない。そこは楽しんで書けました。実は昔,私が小説を書き始めた頃に編集者の人に,「あなたは、せりふ回しが下手だ。互いに会話しているように読めない。だから、せりふのところは自分でしゃべってみて書くと良い」と言われたことがあるんです。そんなこともあって,桃介,貞奴,房,それから広助でも出てくると,一人で成り代わってしゃべって,夜中じゅう独り言をいう女でしたね(笑)。

中野: なるほど。でも書き言葉としゃべり言葉と確かに違うので,読んでいる人にしてみれば,しゃべりながら書いてもらった方が会話として読みやすいのですね。

神津: そうだと思いますね。今からみれば,それこそが楽しい時間でしたけど。


水力は安定しているエネルギー

中野: 神津さんが古いものをうまく使うと言われましたが,水力発電というすごく昔からある技術をうまく使って,今に生かすというのは大事なことかと思います。

神津: 最近,エネルギー総合工学研究所の方から「2050年における日本の一次エネルギー供給の姿」という興味深い資料を頂きました。2050年までに日本が二酸化炭素を80%削減するという目標を大前提にしているのですが,それによると,2050年には一次ネルギーに占める水素の割合が13%で,厳しい環境規制の下では水素が基幹エネルギー源になる可能性を示しているのです。他のエネルギー源はというと,原子力発電は新規増設なしでほぼ40年間でフェードアウト,CO2の分離回収(CCS)が年2億t/年という前提で,石炭も石油もきわめて少なくなり,天然ガスとともに水素が増加してくるのです。どのエネルギー源も「だんだん増える」か「だんだん減る」かのいずれかなのですが,面白いなと思ったのは,水力だけは2050年にもほぼ変わらず同じ量になっていることです。

橋本: 水素をどうやって作るつもりか出ていましたか?

神津: 自然エネルギーから作るそうです。

中野: 水力はいかに安定しているエネルギーであるかという答えなのかもしれないというのはありますね。

橋本: 現在は,液化天然ガスから水素を造っていますが,もともとLNGが既に液化天然ガスのため天然ガスを液化するためにものすごくエネルギーが必要になるのです。

神津: まさに,そうなんですよ。

橋本: 他には,原子力を使った水素エネルギーの産出方法が考えられているのですが...。

川崎: どうも他のやり方だとペイしないでしょうね。

神津: いま国が一生懸命頑張って考えていると...。でも,一番ポテンシャルがある水素の作り方というのは,オーストラリアの褐炭で水素を作ることだそうです。それを,水素船みたいなので,日本に運んでくるのが一番良いらしいのですが,でも水素を作るためにオーストラリアでは山のようにCO2を出すことになるのですごく不思議だなと思いました。そんなことをしてまで,日本に水素を運んで来ていいのか,と思いましたけど。

橋本: 電気自動車にしても個々のCO2排出源としては,確かに減りますが,充電するための電気エネルギーは一体どこで作るのかということになって...。結局,排出源を1ヵ所にまとめているだけなのです。コントロールしやすくなるという点においてメリットはありますが。本質的な解決ではないような気がします。

中野: 温暖化,CO2,いろいろ環境問題もあって,エネルギー問題はさらにさらに難しいところに来ていますね。

橋本: もう1つだけ。神津さんは,木曽川で発電設備を見られた時に,沈砂池見られませんでしたか?

神津: 沈砂池,見せていただきました。

橋本: あの木曽川の沈砂池は,桃介が造りました。あれは物すごくよくて,しかも2層式です。余裕を持って作られていて,片方を排砂する時でも,片方だけ水を通しておいて発電は出来るように,水は流せるようにしてあるのです。片方ずつ排砂をして,常に発電能力が落ちないようにしてある。あれはすごい。大桑か,読書かどこの発電所のことを言っていたのか判らないのですが,はるか先輩の人が,昔は2台の発電機を計画した時にはもう1つ加えて3つ作ったと。メンテナンスする時には切り替えて,いつも2台動いて途切れないように。それだけ電気は必要とされていたのです。だからお金に余裕のある時には3つ作ったと言われました。もともとの計画が1つの時には,さすがに2つ作るのは難しかったみたいですが,2つの時に3つというのは実際にあったらしいです。

神津: 確かに,あの沈砂池はすばらしいものでした。

橋本: 入り口のところにも,もっともらしい屋根がついて,字が書いてあるのかなというような感じの,ちょっと贅沢なことをしていますね。設備全体が余裕あるということはレジリエンスです。いざとなった時にも,その余裕分で何とか耐えられる。復旧が可能というか,非常時のサポートが出来るのです。

神津: F1レーサーみたいに能力があれば,遊びのないハンドルでも運転出来ますが,一般人が運転する時には,ハンドルに遊びがない限り,恐ろしいことになる。これから全部自動運転になるかどうかは判らないですが,そういう意味での遊びの部分はどこかに残しておかないと,いろんな意味で,結構辛いものになりそうだという気はしますね。

今後の水力発電について

中野: 水力発電のことで,いろんなお話を聞けたのですが,もう少しお話ししたいことはありますか。

橋本: これだけご理解いただいているので,もう一つご理解を深めて頂きたいと思います。私は,昭和50年に関西電力に入社したのですが,最初の赴任地は大飯の1・2号の原子力発電所でした。その後,御坊発電所で日本で初めて外海(太平洋)に造られた人工島方式の火力発電所の計画が始まったので,そこに行きました。昭和54年の12月からは,水力計画課に移りました。その時に思ったのは,ある地形図を見て水力を開発しようという時に,自分が計画したことによって,使うエリア,基本的にはここにダムを造ったら,その上流から来る水を使う訳で,発電所を造る時にはその間の落差を使う。そこの地形を使うに当たって最適なものは何かと考えて,その時はコストミニマムですが,本当に会社の中で意思決定してもらうために個人的にどう考えたかというと,例えば10tの水を使う時に,使用水量をあと1t増やせられないか,また落差ももう少し取れないかということです。

つまり,ここで造ってしまったら,二度とこれは造り直しが出来ない。ここの土地を二度と利用させてもらえないという思いがすごく強くて。多分,水力計画をやっている連中は,そういう考え方をするやつが多いと思います。自然をうまく利用させて貰うのですが,一度でも自分がベースになってやったものが造られてしまうと,そう簡単にこれを変えることが出来ない。これは物すごく重要なことだし,実はそれこそが水力開発屋の醍醐味なんだと。それは自然の力を利用するからなんですね。それが,火力発電所だったら,どこかその辺の土地に造成して,護岸を造って船が着くようにして,あとはメーカーさんにポンポンとプラントを置いてもらってタンクを造ればそれで終わり...。我々のはそういう仕事じゃない。自分で山の中を歩いて,場所を探してきて自然の地形を利用させてもらうというところから始める。もちろん地域に対しても,感謝しながら造っていったという思いがありますね。

神津: なるほどね。

橋本: 平成12,13年頃,電力業界も自由化がどんどん進み,それまで日本の電力会社は海外の仕事はやれなかった,やってはいけなかったのですが,自由化を進めるに当たって,海外事業をやってもいいとなった。その代わり,国内の事業に影響を及ぼすなと。つまり,赤字を海外で出しても,それが国内に対して電力料金に跳ね返るようなまねはするなと,そういう枠が出来始め...。電源開発さんはEPDCインターナショナルという海外の子会社を持っておられて,そこでやっていたのですけれども,それもいわゆるコンサルティングが中心で。我々も何とか海外でやっていかなきゃいかんと,随分東南アジア方面をうろうろしました。


そういう中で,私が直接タッチできなかったのはフィリピン,ラオスもミャンマーもちょっとやりました。ミャンマーはこれからですけどもね。それから台湾。インドネシア。随分とやってきました。設計は,国内でやる時と基本的に考え方は一緒です。ただ,その地域,地域に応じていろんな制約がありますが,与えられた制約の中で許されることであれば,我々としては,ここでやったら二度と手を加えることが出来ないという思いで,徹底的に使わせてもらう。その代わり,迷惑かけるようなことはなしに,そこに流れてくる水をうまく利用させてもらうという思いだけは,執念のようにして持っていました。

だから,会社の中で一度,計画が決まって常務会に通ったとしても最後まで粘って,少しでもいいものをと,マージナルコストが許される限りはやろうということでやってきました。桃介の時代,木曽川を上から下まで階段状に使って,測量もそんなにきちんとしたものがない時にすごい執念を持って,桃介の下にいた人はやったのだと思います。これは水力やっている人間にずっと流れているDNAじゃないですかね。

神津: うらやましいですね,そういう仕事のやり方って。

川崎: ダイレクトにお金にかかってきますから,やった事が結果として目に見えるのですね。

橋本: そうですね。高校の同級生でゼネコンの建築担当の役員と時々会うので話をするのですが,彼らは再開発で最近潤っているという訳。「おまえの会社が手がけたものを、おまえがいるうちにつぶして、また造る、それに喜びを感じているのか」と言っていますが...。

神津: けんかを売っているという訳ですね(笑)。

橋本: 地図に残るという,どこかの会社のあれを言うつもりはないのですが,私らは自分で計画して,自分らで造ったものは,少なくとも100年,150年は残る。そこの違いはあります。どんなにきれいな建物を造っても,おまえらは寿命の短いものを造っているんだと...。

エネルギー開発は寿命も長い

神津: それは,マインドが違うんだと思います。私は以前,「なぜ新規事業は失敗するのか」というのを示した図表を見せて貰ったことがあるのですが,縦軸が製品の寿命で,横軸が開発期間で,図表の中にはさまざまな製品がプロットされていました。一番開発年月が短くて,製品寿命も一番短いのが水着であったのが,今でも忘れられない(笑)。水着はデザインして,1年で流行が終わってしまうということで,開発期間も商品寿命も短い訳です。その対極にあるのがエネルギーで,開発には長い年月が必要ですが,1つ造ってしまえば寿命も長い。何で新規事業は成功しないのかということを説明するための図表なのですが,その背景にある理由は作っている人のマインドが違うということなのです。水着を製作している人たちの頭の中にある開発年月と製品寿命,それを創造するというマインドと,エネルギーインフラを造る,しかも,一度造れば簡単には変えられないというものを造るのでは,全くマインドが違う,ということなのです。

たとえば日本たばこが,一時期,薬を開発していました。たばこの寿命は6年ぐらいで,開発年月は5年ぐらい。だから,水着なんかよりはもうちょっと長いのです。ところが製薬というのは,エネルギーほどではないですが開発年月が結構かかる。それでいて,寿命はエネルギーほど長くはない。このJTのたばこ作りのマインドと薬作りのマインドでは,全く立ち位置が違うので,会社全体としてはうまく進んで行かなかったのだろうという図表だったのです。

なかなか面白いと思って見ていました。インフラ産業,つまり失敗したら二度と取り返しがつかない,人の生活までかかわっているような仕事は,それを担う気持ちが培われていない限り,うまく成し得ない。これは,非常に判りやすいと感じましたね。

中野: そうですね。人の生活に密着しているというのが誇りになる仕事ですね。

橋本: 鉄道会社の人も同じような発想じゃないかな。一度線路を敷いちゃったら,鉄道もそう変えられませんからね。鉄道屋さんだとか,港湾,インフラの中での比較しか出来ない。その中では,建築は比較的に賞味期限が短いということは言いたいですね。

川崎: それと,土木系は造った構造物に自分の名前を書かないのですよ。

新入社員は「黒部の太陽」を見る

中野: 建築家は作品に名前を書きますが,そういうところは建築と土木は違いますよね。関西電力さんは,電力会社としての社会的な存在意義や企業スピリットというものを,新入社員達にどのように教えられているのですか?

橋本: うちは新入社員全員に研修所で「黒部の太陽」の完全版を見せてから,それぞれの研修を始めます。実を言うと,私自身も関西電力に入るまで,黒四のことを全然知らなかった。また木曽川も,水力調査に行った時は北陸の担当だったので縁が無くて,木曽川に行ったのは課長になってからです。それで,当時,こんなのがあると言って見せられたのが,青焼きのコピー本です。昭和36年に,朝日新聞が半年ぐらい掛けて木曽川の特集をしていまして,160回くらい記事が載っていた。古代から現代まで木曽川についての歴史を書いていて,確か桃介の事とかもあったと記憶しています。ただ,それがコピーにコピーを重ねた青焼きが製本してあって,すでに活字がつぶれていて読む気もしませんでしたが...。

黒部ダム
その中に御料林の話がありました。今ではもうありませんが,当時,上松という駅に貯木場がありました。私の母親の里が伊勢で,私はそこで産まれたからなんとなく馴染みがあるのですが,そこに御遷宮のための材木を集めるのです。小川という,木曽川筋から行くと,下流から見たら左手の方,赤沢美林というところがありまして,そこに太いヒノキがいっぱい生えています。宮大工の棟梁が山を見て歩いて,次に心柱に使うのはこの木だと決める。その昔は,それを切った後にもしもだめだとなったら,その場で切腹だったらしいです。今でも,前の御遷宮の時に切った木の切り株には,しめ縄が張ってあったはずです。そして,次の木はこれですという印がつけられ,ちゃんと分かるようになっていた。そこだけ非常に記憶が鮮明です。だから出張に行った時,水力開発のことより木曽川ではそういうのを見たという懐かしさを感じますね。

中野: 黒四は,あの当時に,本当によく出来たと思いますね。厳しい自然を相手にして...。

橋本: この間,あの映画で石原裕次郎が演じていた笹島会長も99歳で亡くなりました。あの当時としてはすごく身体の大きい方でしたね。

中野: そうですね。笹島会長の強い意志があったからこそ黒部ダムが完成出来たと言ってもおかしくない方でしたね。

桃介については

橋本: 木曽川を開発してやろうと言った桃介も大したものですけれど。

神津: でも桃介は,誰もが好きになれるようなタイプじゃないのです(笑)。

橋本: これは言わないでおこうと思いましたが,実は私も彼みたいなタイプは余り好きじゃない(笑)。

神津: 判ります。松永安左ヱ門は偉人と評されるけれども,何で桃介はそうならないかというと,どうも松永との差があって,私が書いていても,つい貞奴の方が多くなるのです。桃介に対するシンパシーが今ひとつ。なかなかその人物像の中に入り込めない。よく判らない人なのです。もう1つ非常に面白かったのは,桃介は福沢家の娘婿だったということも影響しているのか,自分のものを本当に何も残してないのです。房がその後どうだったのかとか,小説なんかではいろいろと書かれているので,そういう資料は残るのですが,本当のものがないのです。上手な人だと思いました。

橋本: そういうのを自分で全部消しているのでしょうか。

神津: そういう意味でもすごく怜悧な人というか。

橋本: 養子に入る,それも留学のためでしょ。だからかなり計算高い人ですよね。

中野: でも,人に惚れさせるようなところもあったのでしょうね,貞奴が惚れ込む程に。

橋本: まあそうでしょうね。

神津: 貞奴も,妙な男が好きですよね。

中野: 音二郎にしても...。

神津: あの音二郎もちょっと不思議な人物だし。こういう男,私ならあまり入れあげないなと思いながら書いていましたもの(笑)。

中野: それでも,のめり込んでいっちゃうんですね,アメリカに行くにしても。元来,勝ち気な女性というか,すごく一本気な女性なんですね。

神津: それはそうだと思います。

中野: 実際はすごい派手だったのでしょうね。見栄えのする顔,女優第1号ですものね。

橋本: 桃介の事が余り好きじゃないなと思っていたけども,本当の事が言えて良かったです(笑)。

神津: どうぞどうぞ。ご遠慮なく。

橋本: 書かれたご本人を前に好きじゃないとは,言えないなと思っていました(笑)。

神津: 特別に意識していた訳ではないのですが,桃介という人は抜け目のない人だと思うことが多くて,私も書き進むうちにだんだんに貞奴の話の方が分量が多くなってきました。私,余り悪人は書かないのですけれど,桃介の良いところというのがなかなか掘り出せない,書き表せないというのが正直な思いです。だから,桃介が残した資料がない分,さきほどの遊びの部分でいえば,各電力会社さんがお持ちの多くの資料を見せて頂いたのですが,これがこの小説を書くうえで大変貴重な素材になり,助けて頂きました。

それから,図書館に探しに行った時,貞奴と音二郎が海外公演に行った資料も極めて少ない中で,当時,凱旋帰国していろんな公演をやった時の新聞評をまとめた本が出ているというのが判り,それを中央図書館に頼んで取り寄せてもらって読みに行きました。そうしたら,それはいわゆる新古書でした。何十年も前の本だけど,借りた人は私が初めてで誰も借りていない。もちろん閉架に入っているのに新しいのですよ。こういうものを残しておいてくれた人のおかげで,今私が見たいなと思ったものがあると。それも感動したことの1つでした。誰かが残してくれないと消えてしまうものがあるのだと思いました。

中野: すごい壮大なロマンですね。お話がとても盛り上がりました。

神津: それもこれも,水力発電の歴史や,それを担う人たちの営みに僅かばかり向き合ってきたからこそ,です。

中野: 神津さんと,こんな話が出来るなんて夢にも思ってなくて。

神津: いえいえ,私も同じです,今日はとても勉強になりました。

中野: ダムのことも,1つずつ話を掘り下げればもっとたくさんの物語が出てくるのではないかという事がすごくよく判りました。今日は本当にありがとうございました。

(神津カンナ氏プロフィール)

作曲家の神津善行,女優の中村メイコの長女として東京に生まれる。東洋英和女学院にて,幼稚園から高等部まで学び,その後,渡米。アメリカのサラ・ローレンス・カレッジにおいて,演劇を学ぶ。帰国後,執筆活動,テレビ,ラジオの出演,講演,公的機関や民間団体の審議委員などを務める。

【著書】
「親離れするとき読む本」「美人女優」
「パープル・ドリーム」「長女が読む本」
「あなたの弱さは幸せの力になる」
「メイコとカンナのことばの取説」
「思慮深いまなざしを育むために」
「冷蔵庫が壊れた日」「水燃えて火」

【主な連載・レギュラー】
「神津カンナの あんな話こんな話」ラジオニッポン
「家族の風景」渋沢栄一記念財団機関誌 青淵
「ウェーブ時評」電気新聞

【受賞歴】
国際協力功労者賞(H11.7国際協力事業団)

【所属団体】
日本文藝家協会 日本音楽著作権協会
日本近代文学館維持会

(橋本?コ昭氏プロフィール)

昭和50年3月 京都大学大学院
工学研究科修士課程修了
4月 関西電力株式会社入社
平成4年6月 水力計画課長
平成7年12月 金居原水力発電
建設準備所副所長
平成10年5月 ダム工学会論文賞受賞
平成11年6月 土木建築室副部長(土木)
平成15年6月 土木建築室土木部長
平成17年6月 支配人・土木建築室長
平成18年6月 日本大ダム会議理事就任
6月 執行役員・土木建築室長
平成19年5月 日本大ダム会議副会長就任
平成21年6月 常務取締役
平成22年5月 土木学会理事
(〜24年5月,企画担当)
平成25年6月 取締役常務執行役員
平成26年2月 日本大ダム会議会長就任
平成27年6月 取締役退任,
エグゼクティブ・フェロー就任
平成29年2月 日本大ダム会議会長退任,
顧問就任

学位等:京都大学博士(工学)
技術士(電力土木),
APEC Eng. (Civil Eng.)

所属学会等:土木学会フェロー,
ダム工学会

(「月刊ダム日本」 2017年11月 より転載。座談会は2017年8月3日に日経BP社で行われたものです。写真撮影:眞鍋政彦(日経BP社))
(2018年2月作成)
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